2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全11件 (11件中 1-11件目)
1
最近、幼児教育が議論を呼んでいます。一連の教育改革の流れの中で、その基礎根幹に関わる部分を担っているからだと思います。一方で義務教育の国庫負担金廃止についての議論がなされ、また一方では幼児教育の無償化が検討されています。幼児教育の無償化検討なんだか不思議な感じがします。先生たちの給料は能力給への転換が始まりつつも、給料の減額の方向で話は進み、能力が高くてもそんなに高い給料は支給されない様子で、優秀な人材は教師になろうとはしなくなるように思われます。これでは何を改革したのやらわからないという状態になりそうです。さて、最近まで「愛国心」について長い時間をかけて議論が繰り広げられてきました。いろんな問題をはらんでいますが、うっかり父さんは「愛国心賛成派」です。ただし、昔のいわゆる「天皇万歳」という愛国心ではなく、純粋に「自分の国を愛する」という意味でのことです。「国のために命を賭ける」というのは何も「戦争に行く」と言うことではありません。「国の産業を発展させるために一生を捧げる」「国民の安全を守るために働く」ことも「国のために命を賭ける」ということになると思います。私は父親として、この国の将来を担って立つ子どもを育てています。これも「国のために命を賭ける」ということだと私は思っています。日本という国が豊かで、安心して、平和に暮らせる国であるように、自分の子どもがそんな国を作っていけるように教育していくことこそ、親のつとめであると信じています。それは決して一部の人の幸せのためでなく、すべての人の幸せを考えた上でのことだと思っています。その「愛国心」を幼児教育でどのように教えていくか、ということで、こんな幼稚園が出現しました。幼稚園で「教育勅語」驚きました。まさかこう来るとは…。確かに「教育勅語」は素晴らしい思想のもとに作られていますが、あまりにも「天皇」の色が強すぎます。根底の思想には学ぶべきものがありますが、それをそのまま教育に使うことは、やはり「時代錯誤」としか言えないような気がします。「教育」はある程度の偏りがないと行なえないものだと私は思います。「思想」「主張」なくして教育はあり得ません。が、その思想が「個人」や「特定のもの」に利益や影響力を及ぼすようなものであってはなりません。そこに「公共性」や「公平性」がなくてはなりません。そういう意味で、「教育勅語」は改良されてしかるべきものだと思います。ちょっと早まっちゃったね…。教育勅語は素晴らしいですよ。でも、そのままはダメ。詳しくはこのHPが参考になります。教育勅語教育勅語
2006年06月30日
コメント(3)
妻が私に聞いたことがあります。「うっかり父さんは、なぜ私と結婚したの?」私は答えます。「そりゃいろんな理由がある。」「決め手は?」「価値観がとても近いことかな…」「じゃあ、もっと価値観が近くて、もっと好みの人が現れたらどうするの?」と、そんなやり取りをしたことがあります。あなたはどう答えますか?-------「何のために生きますか?」あなたはそう聞かれて、なんと答えますか?「誰のために生きますか?」あなたはそう聞かれて、なんと答えますか?「もっといい人生があるかもしれない」「もっといい仕事があるかもしれない」「もっといい相手がいるかもしれない」「ここは自分がいる場所じゃない」あなたはそう思いますか?(何のために 4 より)
2006年06月25日
コメント(0)
「50年一緒にいよう」私は結婚する前、妻にこう言いました。結婚した年、私が25歳、妻は24歳。50年後は私が75歳、妻は74歳。その頃私は男性の平均寿命に近いでしょう。男性は78歳位だそうですから…。50年かけて育てるお互いの気持ち。色々あって当たり前。私の50年と妻の50年は、喜び、楽しみ、悲しみ、憂い…いろんなもので満たされていくことでしょう。今、50年のうちの13年が過ぎようとしています。4分の1以上が過ぎてしまいました。ここまでは、お互いを深く知り合うための時間だったように思います。最近、安定した時期に入ってきました。口論も減り、「こんなときはこうだな」というのがやっとわかってきたように思います。あと37年。まだまだいろんなことが待ち受けています。これからの15年は、きっと娘たちを育てるために力を費やす時間になるでしょう。進学、結婚、出産…私たちが歩んで来た道を、娘たちも歩んでいきます。少なくとも、私たちくらいの幸せはつかませてやりたい。その準備をする15年です。今まで私たちは、お互いに向き合っている時間が長かったように思います。やっと夫婦2人は同じ方向を向きます。互いの顔を見ることは少なくなり、同じ目的に向かって、娘たちのために全力を尽くしていくことでしょう。そして…娘たちが無事巣立っていったとき、もう一度向き合う時期が来ます。互いの顔を久しぶりに見つめ合ったとき、そのときどんな思いがこみ上げてくるのか…私はその日を楽しみにしているのです。何のために生きるのか…?50年の思いを確かめるために、私はすべてを捧げて生きるのです。
2006年06月24日
コメント(2)
「好き」「恋」「愛」の違いは私にとって「種を植える」「芽が出る」「水をやって育てる」ことの違いだと思っています。「あ、この人好きだな」そんなふうに思う人は、この世にたくさんいると思います。その中で、気が合ったり、価値観が合ったり、趣味や好みが似ていたり、またお互いを認め合うことができる人も、何人かいるはずです。「あの人も良いし、この人も良い」そんなふうに思って当然かもしれません。でも、密生している苗がうまく育たないように、幾人もへの恋心はうまく育っていきません。苗の中から「これだ」と思うものを選んで育てていくように、少し芽が出た感情の中から「これだ」と思うものを選んで育てていかなければならないのです。選ぶのにはやはり「覚悟」がいります。選んだ芽に水をやり続ける「覚悟」枯らさずに最後まで育てきる「覚悟」風が吹いたとき、日照りが続いた時でも、決してあきらめずにその芽を守りきる「覚悟」…そんな「覚悟」をしてたった一つの「芽」を選ぶのです。他の選ばなかった「芽」のためにも、選んだその「芽」を大切にしなければなりません。いつか花が咲き、実がなり、そして最後の時を迎えるまで、一生懸命育てていく、それが「愛」。だから私にとって、愛情とは、今が100%なのではなく、別れの時に初めて100%になるものなのです。
2006年06月23日
コメント(0)
人と人との関係が稀薄になってしまった昨今、ニートや引きこもり、不登校や職場不適応など、人間関係に起因するストレスや心の病などは増加の一途をたどっているように思えます。実は「離婚」もその一環ではないかと思えます。自分の思いを上手に伝達できない相手の思いをわかろうとしない一方的でわがままな主張を相手に押し付けたり要求したりするまた、された方も我慢できるだけの心の成長がないそこからそのストレスが暴力に至るまた、虐待に至る金銭の浪費でストレスを発散する酒で紛らわすなどの経緯があって、「離婚」。私はいつも思うのです。戦国時代の武将の妻たちは偉大であったと。夫が生死を賭けて戦場へ行き、それを待つ苦しさ。また、出て行く男の極度の緊張とストレス。そんなものと戦いながら、ずっと一緒に時を過ごすことを誓う覚悟。そう。覚悟。私にとって、「愛」とは「覚悟」のことなのです。何があっても、どんなことが起きても、この人と死ぬまで一緒にいる「覚悟」。私は結婚前に、妻にいいました。「俺はお前を一番大事にはできない。一番大事なのは仕事だ。それでも一緒になる覚悟はあるか?」妻は承諾しました。妻にとっては「自分が一番ではない」という衝撃とそれを飲み込む「覚悟」が必要だったことでしょう。私はこの言葉を発することで、「お前が一番だ」と言う以上に、妻に対して「そのかわり絶対に幸せにしてみせる」という無言の「覚悟」をしたつもりでした。一番でなくても一緒にいてくれる妻を、どうして不幸になどできるでしょうか。武将ではないので生死を賭けてはいませんが、毎日疲れ果てて帰ってくる私を、笑顔で向かえてくれる妻を裏切ることは、私にはできません。不平不満もいいました。夫婦喧嘩もたくさんしました。もう出て行く!と怒鳴ったこともあります。俺は死にたい!と叫んだこともあります。が、一緒にいようと誓ったのだと、それを覚悟したのだと、最後にはお互いが納得します。そんな歴史を積み重ねるごとに、一番ではなかった妻の存在は、一番である仕事というものを追い越そうとしています。でも、私にとって、妻は一番ではありません。一番になってはいけないのです。一番になってしまうと、私は破滅してしまいます。仕事も手につかなくなり、妻の後ばかりを追いかけるようになります。いつも、妻は二番目。だからいいのです。だから続けられるのです。私も妻にとって、二番目でいい。妻の一番は娘たちであってほしい。私にとって、「愛」は100%ではないのです。「愛」よりも素晴らしい、言葉では言えない、一緒に過ごした「時」だけが知るものが必ずあると思うのです。それは「覚悟」無くしてはたどり着けない感情だと思うのです…。
2006年06月17日
コメント(4)
結婚したての頃、本当に仲睦まじくというか、べたべたというか、始終くっついている夫婦に限って何年かして再会すると、「別れた」という話を聞きます。これは一体なんなのか?私の周囲では離婚率が非常に高い。中には「成田離婚」さながらに電撃結婚後電撃離婚した友人もいます。クラスの20%~30%が母子、父子の家庭か、再婚家庭の学校、学年があるとも聞きます。これで良いのか?振り返ればやはり1960~1970年代、性のタブーに目が向けられ、雑誌や映画などのメディアにおいて、性的表現に関する規定が緩やかになり、それを追いかけるように男女間の関係に対する意識の垣根が低くなり、「離婚」や「私生児」、「再婚」に対する罪悪感や劣等感というものが薄れていきました。以前はアイドルをはじめ、芸能人のスキャンダルはその人の価値を低めることにつながっていましたが、今では逆に人気や話題性を高める一因ともなり、「何回結婚した」という再婚歴が自慢げに語られる始末。その影響かもしれませんが、普通のごく一般の民間人たちも、離婚、再婚に関して無頓着になっているかのような振る舞いが随所に見られます。以前は戸籍謄本の写しには気を遣ったものです。自分の出生が知れることとなり、本当の生みの親でないとわかった時、子どもがショックを受けるということが多々あったからです。ところが今はどうでしょう。そんな配慮は必要なさそうに思えるくらい、「バツイチ」が流行語のように流行り、「離婚は経験のうち」とでも言わんばかりに「浪人生」が今では当たり前のように、「離婚」も当たり前のように考えられているような気がしてなりません。確かに、仕方なく離婚に至った人たちも多くいることでしょう。そんな人たちが肩身の狭い思いをしないように、弱者保護の視点でそんな動きもあったのでしょう。しかし、保護される側の弱者が逆に「常識」「強者」のようになっていくのは、おかしい気がします。「ネクラ」「むっつりスケベ」そんな言葉が流行し始めた1980年代、性への意識はどんどんオープンになり、それとともに「貞操観念」も低くなり、一人の人と添い遂げることの尊さを説くことは「滑稽」とさえも感じられる2000年代に突入したのです…。
2006年06月16日
コメント(0)
私にとって、「恋」と「愛」の違いは、「生まれる感情」と「育てる感情」の違いだと思っています。植物を種から育てたことがある人はわかると思うのですが、芽が出た時のワクワクした気持ち、これは「恋」。そして、その芽に水をやり、風が吹いても倒れないように添え木をし、大切に大切に育てていくときに次第に生まれてくる感情、「無事に花が咲いてほしい」、「種を実らせてほしい」、そして、最後にしおれて枯れていったときの何ともいえない、感謝やいたわりと似た感情、それが「愛」なのではないでしょうか。「『愛』は最初から存在する訳ではない」というのが私の理論です。だから、「愛しているから結婚する」というのは間違っていると思っています。そう、こんなことを言うから、「え?じゃあ、なんで結婚したんですか?」と後輩に聞かれ、ある意味責めるような口調で問いただされたりするのです。
2006年06月10日
コメント(2)
戦国時代、女性は政略結婚のような形で武将のもとへ嫁がされることも多々ありました。顔も知らない相手のところに嫁いでいくのです。それなのに、その武将が命を落としたとき、後を追うように自らの命を絶っていった人たちも多くいます。一体なぜなのか。当然、それ以上生きていても、その世の中ではまともに生きていけないであろうことが予想され、惨めな姿をさらしながら生きるよりも死を選んでいくのかもしれません。が、あなたなら死ねますか?顔も知らなかった相手のところに嫁ぎ、一生を終えた女性たちは、一体何を思い、どんな気持ちで生きていたのだろう。そう思ったとき、私はそこに、「愛」という言葉では語れない、計り知れないものを感じずにはおれません。人と人が一緒に暮らす時、そこには「愛情」も必要なのかもしれませんが、それ以上のものが何かあるのではないか。「愛情」が永遠なものではなく、「永遠なもの」を「愛情」と呼ぶなら、「愛があるから結婚する」というのはおかしいのではないか?そんなことを大学生の頃考えていました。そして、たどり着いたのは…「恋愛50年論」です。
2006年06月09日
コメント(0)
人は結婚するとき、「この人を永遠に愛し続ける。」「この人は他の人とは違う。自分は永遠に愛してもらえる。」「自分はこの人のことは何だってわかるし、相手も自分のことをなんだってわかってくれる。」と思って結婚する人が多いようです。「愛は決して冷めることはない。」と。でも、結婚生活をしていたらそんなものではないことぐらい、ほんの1~2週間もすればわかると思います。全くの別人が別々の環境で育ってきたのですから、いきなり2人で暮らし始めても、わからないことだらけなのは当然です。そんなとき、こう思うようです。「こんなはずじゃなかった。」と。あたりまえです。そんなはずじゃないことくらい、結婚する前からわかっていることです。そしてこう言います。「別れた方がいいんじゃないだろうか。」と。さらにこう感じます。「相手は自分のことをさっぱりわかってくれていない。」「こんな人とは思わなかった。」「もっとほかに自分に合う人がいるはずだ。」「早くその人を見つけなければ。」と。そんな人は、わたしに言わせれば、「永遠の旅に出るのと等しい。」「世界中を探して回るのか?」凸凹がちょうどうまく合うように最初からできた相手なんて、この地球上かけずり回って探してもいるわけない。自分の尖ったところや滑らかなところ、くぼみや穴ぼこ、そんなものとぴったり合う人が、この世にいるわけない。それは相手だって同じなのだ。
2006年06月03日
コメント(1)
教科書特殊指定廃止YOMIURI ONLINE教育委員会の設置義務撤廃、特区で導入へ・政府が最終調整NIKKEI NET小泉首相「愛国心教育は大事」 衆院特別委で答弁Sankei webうーん…本当に軍国主義の道を歩むのか?そうは思えないんだけど…。教科書の特殊指定を無くして、愛国心をうたい、教育委員会を無くして…そして9条を改訂して、…義務教育国庫負担金を減らして、消費税を増やして、防衛費を拡大する…中曽根総理が目指していたことが今現実になっているのだろうか…。不勉強でわからないんだけど、そうであってほしくはないな。憲法第9条は、日本の数少ない他国に誇れるものだから。富士山、京都、第9条。無くしちゃいけない日本の心。
2006年06月02日
コメント(0)
以前、後輩が結婚するとき、私はこう聞かれました。「先輩、奥さんと別れようと思ったことはありますか?」なかなか単刀直入な質問です。「あるよ」と答えました。「どうして別れなかったんですか?」と聞かれたので、「だって100%じゃないでしょ?」と答えました。
2006年06月01日
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1