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February 17, 2024
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カテゴリ: 仙台の歴史
澱町(よどみまち)


広瀬川に架かる澱橋の向こう側が、かつての澱町。
澱橋が架かる町なので、「澱町」と呼ばれたようです。

かつての澱町は今、仙台市青葉区角五郎一丁目(昭和42年11月1日住居表示)と、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)という町の、それぞれ一部になっています。〔仙台市「歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)」より〕

澱橋を渡った先の左側が角五郎一丁目、右側が広瀬町。全国的に住居表示がほぼ街区方式で行われたので、ここでも道路を境に町名が分かれています。


角五郎一丁目側には、澱橋の下に回り込むように、交通量の割にかなり広いT字路がありました。
この道について、こんな趣旨の記載を見つけました。

"広いT字路交差点。旧澱橋があった頃は橋とつながる十字路だった。
昔の澱橋は明治22年の洪水で流失。

昭和36年にやや東側に架け替えが行われ(今の澱橋)、やがて鉄橋は姿を消し、十字路はT字路に変わった。"
〔せんだい市史通信第28号(仙台市博物館市史編さん室・平成24年7月31日発行)より〕

なるほど…T字路のガードレール(写真の右端)の先に鉄橋(旧澱橋)があって、元々は広い十字路だったのですね。


明治25年から昭和36年まで使われた旧澱橋の跡は、今もこのT字路の先、澱橋の隣に残っています。(対岸にも同じような痕跡があります。この画像では見えにくいですけど…)


広瀬川沿いの旧澱町。正面奥で澱橋をくぐっています。


旧澱町の通り沿いに建つ「澱不動尊」


澱町はだいたいこの赤いラインの範囲だと思います。

先ほどのT字路には「中島丁/角五郎丁」の辻󠄀標が建っていたので、角五郎一丁目側の澱町は橋の西側のほんのわずか。このT字路までだったのだろうと思います。





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Last updated  February 22, 2024 06:44:14 PM
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