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415系1500番台に代わって水戸線での主力車両となったE531系。水戸線では5両の付属編成が運用されています。E531系は415系やE501系の代走として水戸線を走ることは何度かありましたが、定期的に見られるようになったのは2014年12月からです。その後は付属編成の増備と寒冷地仕様の3000番台の導入が進み、ついに2016年3月に415系1500番台の完全置き換えが発表されてしまいました。写真はK460編成です。E531系は415系1500番台の流れをくむ青色の帯が特徴的で、私も好きな車両です。415系1500番台の後継者として末永い活躍を期待しています。車内は小山寄りの1、2号車がロングシート、友部寄りの3~5号車がセミクロスシートとなっています。E233系でおなじみの黒色の三角形の吊革は、E531系で最初に導入されたものでした。特にセミクロスシートは415系鋼製車両以来、久しぶりに水戸線にやってきたものと思われます。今後はE531系の撮影数を増やしていきたいです。撮影日:15.11.03
2016.01.23
以前紹介した大月線の「松山踏切」の少し先にある歩行者専用の小さな踏切です。付近は住宅地が広がっていて、周辺住民の抜け道的な利用はありそうですが人気は少なく静かです。踏切名は付近の地名「新西原」が由来となっています。地名になぜ「新」がつくのかはわかりません。西原第一踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市松山撮影日:15.11.05
2016.01.23
水戸線で活躍している415系1500番台です。415系はつい最近まで水戸線の主力車両として、小山駅に頻繁に顔を出していました。しかし、E531系付属編成の増備によって次第に活躍の場が減少し、ついに今年3月のダイヤ改正で引退することになってしまいました。私の大好きな車両なので引退するのはとっても惜しいですが、近代的な外観の一方で確実に老朽化が進んでいたと思われます。写真はK542編成です。私がまだ撮影していない編成でした。東北本線ホームから撮影したK542編成です。211系と同じステンレス車体に青色の帯が格好良くて大好きです。車内です。廃車まで登場時と同じえんじ色の座席モケットを保つものと思われます。車番プレートです。全ての車両でオリジナルのプレートが残っていました。415系1500番台といえば、震災後に広野駅に長期間留置されたのちに復帰したK544編成、そして現在でも原ノ町駅での留置が続くK534編成という2編成を忘れてはいけません。K544編成は2年以上動かず、ストライキなどの困難に直面しながらも見事に復帰し、現在も運用を続けています。そして、K534編成は震災後一度も動くことがないまま廃車を迎えてしまいそうで、本当に悲しくなります。651系K202編成とともに原ノ町駅でずっと閉じ込められています。K534編成が小山駅に姿を見せることも、もう二度とないでしょう。こうした震災の悲しい記憶を背負った415系の引退は、他の車両の引退よりも特別なものを感じます。残り少なくなった415系の活躍を、最後まで見守っていきたいと思っています。撮影日:15.11.03
2016.01.21
当ブログで何度も紹介している107系100番台です。115系とともに高崎エリアの主力車両となっていますが、短編成化された211系への置き換えの話があり予断を許さない状況となっています。写真は小山駅に停車中のR17編成です。R17編成の前に連結されていたのはR6編成です。どちらも後期製造車で、ドア間の窓は3枚となっています。こちらはR10編成です。車内は撮影できませんでしたが、R10編成の運転台を撮影しました。国鉄型電車と同じ仕様で、アナログなメーターが並んでいます。165系の発生品でしょうか?運転室の上部にあった車番プレートです。オリジナルのものかどうか不明ですが、アクリル製のプレートが残っていました。最後にR19編成です。この編成は107系100番台のラストナンバー車両です。運転室の上部に、R10編成と同じ書体のプレートがありました。クモハのものは撮れませんでした。撮影日:15.11.03
2016.01.19
富士山駅に隣接している場所にある踏切です。踏切名の通り、この奥には富士急バスの整備工場と車庫があり、踏切を大型バスが通行することもあります。この周辺は富士急行の私有地のようですが、線路の向こう側にも住宅などがあるため住民の利用も意外とあります。反対側から。この踏切も大月線、河口湖線の共用踏切で、大月方面から河口湖方面に行く場合は踏切を2回通過します。この踏切には名称の記載がなく、踏切名は撮影後に調べて分かりました。月江寺(富士急ハイランド)方を見ます。右端は留置線です。富士山方を見ます。富士山駅は行き止まりの構造です。自動車工場前踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市松山撮影日:15.11.05
2016.01.18
先述の「松山踏切」から少し富士山駅寄りに進んだ場所にある第4種踏切です。住宅の裏手にある小道が交差していて、利用者はほとんどありません。安全のために手動式遮断機が設置され、通行する人は遮断機を手で上げてから踏切を渡ります。反対側から。踏切名は富士急行線の車両基地の裏手にあることが由来です。この踏切は手前側が大月起点の大月線、奥側が富士山駅起点の河口湖線で、大月方面から河口湖方面に向かう場合はこの踏切を2回通過することになります。両線は一体的に運行されていますが、正式には路線名が異なるため2つのキロ程が記載されています。大月線月江寺方(上)、富士山方(下)です。河口湖線富士山方(上)、富士急ハイランド方(下)です。車庫裏踏切 23K260M(大月線)/0K350M(河口湖線) 幅員2.0M所在地:山梨県富士吉田市松山撮影日:15.11.05
2016.01.18
1月15日、「115系の日」となる今日は、小山駅で撮影した湘南色の115系を取り上げます。この編成はT1039編成で、1000番台の3両編成となっています。高崎エリアの115系は、短編成化された211系が登場したことによって先はあまり長くないのではないかと思います。今のうちに記録したいと思います。高崎の115系の特徴は「湘南色」塗装を維持していることです。中央本線から横須賀色の115系が消え、JR東日本の近郊型電車の国鉄色は湘南色のみとなりました。先頭車の車内です。この編成にはリニューアルが施されていて、座席や化粧板などが更新されています。かつて房総地区で活躍していた113系S編成と同様の車内となっています。先頭車の車端部です。優先席の前は車いすスペースとなっています。中間車の車内です。車番ステッカーです。以前は手書きで書かれていてかなりみっともなかったですが、ここ1、2年の間にステッカー式の車番表記になりました。次回は107系と211系を掲載していきます。撮影日:15.11.03
2016.01.15
このあたりで富士急行線と並行している国道138号から脇道に入ったところにある小さな踏切です。交差する道は狭くて自動車の通行はできず、歩行者のみが通行できます。周辺には住宅が点在していますが、この脇道はほとんど人通りがなさそうです。この踏切の先には河口湖線の踏切も存在します。ここより手前(大月寄り)にも踏切がありますが、未撮影のため後日掲載します。反対側から。踏切名は所在地の地名が由来です。この踏切には銘板があるので、元々は第4種踏切だったと思われます。(富士急行線の踏切では、基本的に第4種踏切のみに銘板が設置されています)松山踏切 23K175M 幅員1.8M所在地:山梨県富士吉田市松山撮影日:15.11.05
2016.01.12
住宅地の中にある踏切です。この踏切周辺も住宅が多く立ち並んでいて、踏切の利用者は周辺住民が中心となっています。踏切名は付近の地名が由来です。踏切の向こうは富士吉田市竜ケ丘ですが、所在地は富士吉田市松山です。竜ケ丘踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市松山撮影日:15.09.11
2016.01.12
国鉄型「名所案内標」特集の第2弾です。今回も様々な駅の名所案内標を掲載していきます。まずは総武本線佐倉駅の名所案内標です。駅名標と同じ電照式のタイプで、書体は「JNR-L書体」を使用しています。名所は2か所のみですが、情報量が多いため大型の掲示器を使用しています。外房線茂原駅の名所案内標です。佐倉駅のものよりも小さい掲示器を使用していますが、名所の数が多く小さな字でスペースいっぱいに記載されています。2種類が設置されていて、「スミ丸ゴシック」書体のものとゴシック体のものがあります。外房線土気駅の名所案内標です。茂原駅のものと大きさは同じですが、シンプルに名所と距離のみが記載されています。書体は「JNR-L書体」を使用しています。中央本線甲斐大和駅の名所案内標です。ホームに建てられているタイプの標準的な名所案内標で、スペースをいっぱいに使ってぎっしりと記載されています。2種類が設置されていて、ひとつは文字が薄くなった古いタイプ、もうひとつは新しいタイプとなっています。中央本線韮崎駅の名所案内標です。甲斐大和駅と同じタイプの名所案内標ですが、こちらはさらに小さな字で名所について詳細に説明しています。中央本線四方津駅の名所案内標です。比較的大きい字で記載されていて見やすいです。中央本線甲府駅の名所案内標です。珍しい青地のタイプで、シンプルに名所と距離のみを記載しています。今回は千葉県と山梨県の名所案内標を掲載しました。まだまだありそうなので、積極的に探していきたいと思います。
2016.01.10
第一踏切のすぐ脇に隣接している第二踏切です。第一と比べてこちらのほうが交通量が多いです。この踏切にも銘板や名称の表記がありませんでした。緑ケ丘第二踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市緑ケ丘撮影日:15.09.11
2016.01.10
月江寺駅周辺に広がる住宅地にある踏切です。この踏切は隣にある第二踏切とわずか10mほどで隣接しており、第二踏切と連動しています。周辺は住宅が密集していて、交通量は比較的多いです。踏切名は所在地の地名が由来となっています。この踏切には銘板や踏切名表記などがなく、撮影後に調べて名称がわかりました。緑ケ丘第一踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市緑ケ丘撮影日:15.09.11
2016.01.07
月江寺駅の下吉田寄りに隣接している踏切です。歩行者専用の踏切で、自動車は通行できません。周辺は住宅が密集しているため住民の利用は意外とありそうですが、日中は比較的静かです。踏切名は月江寺駅から下った場所にあることからそのまま命名されています。月江寺下踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市緑ケ丘撮影日:15.09.11
2016.01.06
下吉田地区の街中にある大きな踏切です。通称「おひめ坂通り」と呼ばれる広い道路が交差していて交通量は周辺の踏切の中で最も多く、さらに踏切と交差点が一体化していて交差点は合計7差路にもなるためとても危険な踏切です。赤白模様の屈折式遮断機が4本設置されています。踏切名の「小舟山」はこの付近に昭和30年代ごろまで存在した小さな山の名前で、当時は富士吉田のシンボル的な存在だったそうです。しかし、山は中央道の建設工事のため崩されてしまい、現在は跡形も残っていません。この踏切名が小舟山の存在を現代に伝えているといえます。小舟山踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市下吉田撮影日:15.09.11
2016.01.04
あけましておめでとうございます。2016年も「わさびくま日記」をよろしくお願いいたします。「新倉第一踏切」から少し月江寺寄りに進んだところにある第二踏切です。住宅の裏にある小道が交差していて、周辺住民以外の利用はなさそうです。道幅が狭いので、普通乗用車の通行は困難です。下吉田方を見ます。月江寺方を見ます。列車は雄大な富士山を望みながら勾配を駆け上がります。新倉第二踏切(キロ程不明)所在地:山梨県富士吉田市新倉撮影日:15.11.05
2016.01.04
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