ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2011.11.27
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カテゴリ: 女性史
ナイチンゲールの世界 (50)

1865年、ナイチンゲールは、ロンドンでのホテル暮らしをやめて、サウス街10番地の屋敷を買い取り、そこに居を構えました。

スクタリの陸軍病院から戻ってから、ほぼ9年が経っていました。この間、61年までは、スクタリでの経験を生かした、戦地や国内でのイギリス軍の病院や駐屯地の衛生状態や宿舎の改善、さらにはイギリス国内のあらゆる医療施設や、市民の生活空間の衛生環境の改善に向けて、様々な報告書や統計資料の作成に、熱中してきました。

シドニー・ハーバートの亡くなった1861年8月以降は、大英帝国の最重要の植民地だったインドについて、その衛生状態の改善のための報告書と統計資料作りに、寝食を忘れて取り組みました。彼女の良き協力者だったハーバートの霊を慰め、彼との約束を果たす積りだったのでしょう。

インドに関する報告書を纏め上げた所で、彼女はようやく一息つきました。いや一息入れるしかなくなっていました。クリミア戦争従軍中に患ったクリミア熱は、身体の奥深い所で、彼女の健康を蝕んでいたのです。ナイチンゲールには休息が必要だったのです。

ここで彼女は考えました。「病院や市民の生活空間に関する改善提案は生かされるようになった。今後は良質の看護婦を育成する看護学校の仕事に注力しよう」と。

幸いクリミア戦争で、ナイチンゲールと行動を共にした看護婦達が、協力を申し出てくれていました。そこで彼女は看護学校の校長に納まり、学校のカリキュラムについて、あれこれ指示を出すだけで、実務は全て善き協力者達に任せることにしたのです。

学校はそれで上手く機能しました。サウス街の住まいに移転後のナイチンゲールは、学校の入学式と卒業式に式辞を述べる外には、年に数回自家用の馬車で公園を散策するくらいしか、外出することはなかったのです。
                         続く





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最終更新日  2011.11.27 20:56:34
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