ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2012.08.01
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カテゴリ: 社会風俗
クロニクル 山谷騒動

1960(昭和35)年8月1日

52年前のこの日、午後8時過ぎ、東京台東区山谷の、通称「マンモス交番」の警官が簡易旅館街(通称ドヤ街)で、酔って騒いでいた男性を、交番に連行しました。

これに反発した山谷の住人達が騒ぎ出し、これに野次馬も加わって約3000人の集団が、マンモス交番を包囲、未明まで投石などを繰り返す騒ぎとなりました。浅草署は警官500人を動員して、13人を検挙しましたが、警官と消防士44人と、群衆や報道陣数名が重軽傷を負いました。

マンモス交番は、山谷地区の警備を強化する目的で建てられた、全国初の鉄筋コンクリート3階建ての建物で、署員34人、私服刑事6人が配置された、大型交番でした。

ここには、山谷を危険地区と見なし、力で抑え込もうとする警察の方針が、露骨に示されていました。当時、誰もがそう感じていたのですから、日夜眼前にマンモス交番を見つめる山谷の住人達が、交番に監視されていると感じ、交番に反発するのは、無理からぬことでした。

暑い夏の世に、酔漢の連行事件を通じ、そうした住民達の鬱憤が、一挙に爆発したものでした。騒動は、1日おいて、3日、4日と続いて起こり、その都度負傷者や検挙者が出ました。

ドヤ街の住人を危険分子と見なし、山谷地区一帯を封じ込めようとする、警察の力の政策が、住民の反発を招き、大きな騒動を生み出しました。こうした山谷の事情を突き詰め、山谷の住人を人間として認め、自作の曲として歌い上げたのが、岡林信康の『山谷ブルース』でした。

「今日の仕事は辛かった~。後は焼酎をあおるだけ~」と歌う彼の曲は、この出来事の数年後に登場し、やがて来るヴェトナム反戦を格としたフォークブームの時代にも、ずっと歌い継がれ、異彩を放っていました。






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最終更新日  2012.08.01 03:04:46
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