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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回からはハガキに印刷した「旅報告」の郵送に代えて、印刷前の「旅報告」を電子メールに添付という方法で送っていただくことができました。 写真については、かなり前からメール添付で送っていただいていますので、これで全てのプロセスが電子化されたことになります。 かつては写真も紙に焼き付けたものを送っていただいていて、それをヤカモチがデジカメで撮影し、その画像をPCに取り込んでいたのですが、写真を撮影した画像なので、鮮明さに欠けるという難点がありました。メール添付による送信で、岬麻呂氏撮影の元画像がそのまま入手でき、この問題は解消しました。 残るは、紙で送られて来る「旅報告」と「写真説明」でありましたが、これも、今回からは、ヤカモチが撮影してPCに取り込む必要もなく、メール添付のそれをPCに取り込めばいいだけとなりました。 さて、今回の旅は、網走・流氷の旅であります。 流氷の旅は毎年恒例にされているようでありますが、今回はご長男、そのご長男(つまり、岬麻呂氏のお孫さん)、岬麻呂ご夫妻の4人旅でありました。 では、メール添付で送られて来たという旅報告と写真説明を先ずご紹介申し上げます。(旅・岬巡り報告327)(同写真説明)※画像をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの画像でご覧いただくこともできます。 では、八日遅れとなりますが、流氷の旅に私たちもお相伴させていただきましょう。2月19日関西空港→新千歳空港→女満別空港→レンタカー→能取湖南岸→能取岬→網走セントラルホテル(3連泊) 関西空港からの女満別空港直行便がなくなったそうで、新千歳空港での乗り継ぎで女満別空港へと向かいます。(岩木山・機上から) 津軽上空から見る岩木山です。 飛行機の窓からの撮影ですが、綺麗に撮れています。(函館山・機上から) そして、函館山です。 海に突き出した半島の先に函館山が一望です。 飛行機の窓からの写真が続きます。(富良野盆地・機上から) これは、新千歳から女満別への飛行機から撮影の富良野盆地。 昨年ご逝去されたfurano-craftさんのことなどが思われます。(十勝連山・機上から) 同じく、雪の十勝連山です。(サロマ湖・機上から) 女満別空港へと高度を下げて行く機上からのサロマ湖です。 すっかり凍結して白い雪原となっているサロマ湖であります。(能取湖・機上から) 女満別空港への着陸は、いったん海上まで出て旋回し、北側から着陸するという飛行ルートになるのでしょうか。 この日は南寄りの西風が吹いていて、北からの着陸ルートということになったのでしょう、多分。となると、流氷は沖合に離れ去ってしまうこととなり、流氷観光としては問題あり、である。 それはともかく、能取湖上空から女満別空港へと着陸態勢に入ったようであります。 女満別空港でレンタカーを利用して、向かわれたのは能取岬。(能取岬)流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) ということで、今回の旅の宿、網走セントラルホテル到着であります。 夕食では、「地酒を楽しんだ」というのが定番の岬麻呂氏でありますが、今回はお孫さんとご一緒ということで、そちらに気が向かわれていたのでしょう、「夕食は近隣の食事処で、孫は珍しいものばかり注文、特にエゾシカの刺身が大変気に入った様子で・・」とお孫さんのことを書いて居られますな。 食であれ、何であれ、好奇心旺盛なのは、おじいちゃん譲りと言うべきかもしれませんが、いいことであります(笑)。 流氷観光船、ガリンコ号を予約されていたのでしょうが、その夜、明日のガリンコ号は欠航する旨のメールが入ったとのこと。2月20日涛沸湖・白鳥公園→斜里町・宇登呂→オシンコシンの滝→エゾシカ牧場→天に続く道(R334)→網走監獄博物館 ガリンコ号が欠航とあっては是非もなし。 宇登呂まで行けば、流氷が見られるだろうという岬麻呂氏の見込みに従い、宇登呂へと向かうことに。(流氷下への潜水) はい、その見込み的中。宇登呂の流氷です。 知床半島が流氷をせきとめる役割をしているのですな。びっしりと接岸しています。 この流氷の下へ潜水しようとする人も居るようです。(宇登呂の流氷) 岬麻呂氏のご長男とお孫さんは、接岸している流氷の上に乗ってご満足であったとか。我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持) こんなにも流氷が混み合っていると、夜更けには、互いにぶつかり、こすれ合って軋む音がするのだろうか。さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持)(同上)(オシンコシンの滝)(エゾシカ牧場) エゾシカ牧場は「宇登呂の国道沿いにある」とのことですから、R344沿いということですな。 そのR344の直線道路部分全長28.1kmが「天に続く道」。 視界が悪く、天に続いているようには見えないこの日でありました。(天に続く道)2月21日美幌→津別相生・交通博物館→阿寒湖→鶴居村・鶴見台→摩周湖→屈斜路湖→弟子屈湖→美幌峠 網走に戻るも、こちらには流氷がないのでは、仕方がないと予約していたガリンコ号乗船をキャンセル。津別相生の交通博物館へ。(津別相生駅・ラッセル車) そして阿寒湖へ。 阿寒湖は完全に凍結していて、湖面が駐車場になっている。 「ダンプカーも走れるらしいです」とのことだが、過去には90cm以上もあった氷の厚さが温暖化で年々薄くなってきているだという。(阿寒湖・雄阿寒岳遠望) そして、鶴居村の鶴見台へタンチョウを見に。(丹頂 鶴居村・鶴見台)(同上)(同上) 次は、「霧の摩周湖」ならぬ「吹雪の摩周湖」。 霧であれ吹雪であれ、視界が悪くて見えないのであれば、どちらでも同じこと、の摩周湖であります。(摩周湖) 屈斜路湖は、湖岸から温泉が湧出していて、その部分が凍結を免れているので、白鳥たちが集まってくるのだそうです。(屈斜路湖の白鳥) これは美幌峠から眺めた屈斜路湖。 中央の小島は中島。(美幌峠) 岬麻呂氏「『君の名は』の有名な場所の一つ」とのことだが、ヤカモチは知らない。「佐多啓二と岸恵子の映画は若者は知らない。同名の漫画が有名で知っている。」とのことだが、中途半端なヤカモチはと言うべきか、超高齢過ぎて認知機能が衰えたからと言うべきか、何れにせよ、その映画の題名は記憶するものの、内容の詳細は知らないので、「ああ」とも「そうそう」とも申し上げ兼ねるのであります(笑)。2月22日サロマ湖・ワッカ原生花園→R238→湧別→網走・オホーツク流氷館→女満別空港→新千歳空港→関西空港 旅の最終日は、サロマ湖へ。(サロマ湖・地吹雪) 上の写真撮影直後に、右方向から猛吹雪が襲来したとのことですが、国道238で湧別まで、お孫さんに雪道運転の練習ということで「吹雪と地吹雪を体験させる」ということをなさったとか。 いいおじいちゃまですね。(サロマ湖) 着陸の際に上空から眺めたサロマ湖ですが、ワッカ原生花園もサロマ湖も当然のことながら、雪に埋もれていて、ただの雪原。(同上)(網走湖・オホーツク流氷館屋上から) まあ、何にしても楽しそうな家族旅行でありましたね。 全743kmのドライブ旅お疲れさまでした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.02.27
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昨日(2月17日)は若い頃からの親友の一人である野〇氏邸を訪問して来ました。 発端は昨年12月14日の彼からの電話。 久しぶりの電話であったが、それによると肺に水がたまって呼吸困難になるという重大事態に陥り、救急車で搬送されるということがあり、それは適切な救急医療の措置により、軽快したのであるが、その際の検査で小腸から大腸への連結部にガンが見つかり、その摘出手術を受けることになったとのこと。 7時間にも及ぶ手術だったそうだが、幸いその手術もうまく行き、他への転移も今のところは認められないということで、術後の経過観察は適時に要するものの、無事に退院でき、現在は自宅に帰っているという話であった。 彼と直近に会ったのは一昨年の12月のことであったので、そんな大変なことになっていたとは露知らずで、大変驚きました。 すぐにも見舞に行くと言ったが、もう年末でもあるから、年が明けたらまたこちらから連絡するので、食事でも一緒にしようというのが、彼の言でありました。 で、年が明けて日程を調整する中で、彼が指定して来たのが昨日の2月17日であったという次第。 そして、彼のご自宅にお伺いして、一緒に鍋でも囲んで食事を、ということになったという訳である。(大阪市西区役所) 午後3時の待ち合わせであったが、早くに最寄り駅に到着してしまったので、土佐稲荷神社に立ち寄ったり、近くの喫茶店に入ったりして時間調整をして・・。(土佐稲荷神社)(同上) 思えば、一昨年の12月に彼の自宅に招かれて食事を一緒した時にも、土佐稲荷神社に立ち寄って時間調整しているのでした。<参考>囲碁例会・銀杏散る道 2022.12.7. 土佐稲荷神社 2013.6.9. 若い頃は、年に一度ヤカモチの方が彼を自宅に招き、食事をするということが続いていたが、いつの頃からかそれが途絶え、一昨年12月と今回と、ここ2回は、彼の方が自宅に招くということが続いていることになる。 さて、時間調整するも、少しくらい早くても許容される範囲だろうと、約束の時間よりも15分ほど早い時間に、彼のマンションの玄関チャイムを押すこととなりました(笑)。 迎えてくれた彼には、病やつれなどの感じはなく、お元気そうな様子であったので、先ずはひと安心です。 昔のことのあれやこれや、最近の出来事のあれやこれや、共通の友人、知人のことのあれやこれやを、酒の肴にしての、とりとめもないお喋り(と言っても下戸のヤカモチですから、アルコールは最初の乾杯の一杯だけで、後は専らウーロン茶でしたが・・)。 美味しいお料理と奥様の行き届いたおもてなしも受けて、愉快で楽しいひとときを過ごさせていただきました。ヤカモチとしては、病気見舞いのつもりでお伺いしたのであったが、まるで快気祝いみたいで、こちらが元気をもらったような感じで、時間は瞬く間に過ぎ、午後7時近くになったので、おいとまをすることとなりました。思ふどち まさきくもあれ 常磐なる 松のさ枝を 結び願はな (松家持) 野〇氏のご健勝を心からお祈りします。
2024.02.18
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友人・岬麻呂氏からの旅便りであります。 今年2回目となる石垣島へのご夫婦旅ですが、今年1月11日~14日に行かれた石垣島旅行で、カエンボクの花を「もしも見そびれたらと考え予約しておいた」ということですから、今回の旅は予備としてご計画されていたもののようです。 前回の旅でもカエンボクの花の写真を撮影されていますから、「見そびれた」というような事情ではなかったかと思われるので、ならばキャンセルしてもよかったのでしょうが、カエンボクの花の咲き具合に満足されなかったのか、それとも何度でも見たくなるのがカエンボクの花ということで、キャンセルは勿体ないと決行されたのか、その辺のところはよく分かりませんが、前回から22日後にしかならない時期にまたしても石垣島への旅でありました。 (旅・岬巡り報告326 石垣島)2月5日関西空港→石垣空港→レンタカー→玉取崎展望台→平久保埼灯台→野底海岸→吹通川マングローブ林→米原ヤエヤマヤシ群落→川平湾→御神埼灯台→唐人墓→バンナ公園→南の美ら島ホテルミヤヒラ(3連泊) 関空の早朝便で石垣島へ。 しかし、本降りの雨。想定内とはいえ残念、とは岬麻呂氏の言。 それでも平久保埼灯台では、時々小雨の曇りに回復。 同じく岬麻呂氏の言、これは「想定外」であったとか(笑)。(平久保埼灯台) 野底海岸では、前回はマリンスポーツの若者たちで大賑わいであったのが、この日は岬麻呂氏ご夫妻のみという超閑散であったとのこと。 そこの瀟洒なカフェで昼食を楽しまれました。 大人のお子様ランチ、とはいかなるものか。お子様ランチの大盛に小鉢が三つとスープ付き、というのがその正体らしいですが、三分の一を食べるのがやっとで、そこでギブアップされたというから、楽しまれたのか苦しまれたのか、微妙でありますな(笑)。(寒緋桜とヤシの木) バンナ公園のカエンボクは満開だったようです。(カエンボク) これが、そのバンナ公園のカエンボクの花かと思われますが、今回の旅の目的はカエンボクの花でありますから、先ずは目的達成であります。 とここで気づいたのですが、カエンボクの花を重ねて見たいと仰ったのは岬麻呂氏ではなく夫人の方であったのではあるまいか。 そこで、岬麻呂氏は予備的に準備していた旅の計画を実行せざるを得なくなった。 であるなら、岬郎女様に成り代わって歌でも1首詠んでみますか(笑)。石垣の 島に春咲く カエンボク つぎて見まくの 欲しき花かも (岬郎女) 「見まく」とは「見む」+形式体言「あく」がくっついた語で「見むこと」という意味になります。 同じような用例は万葉にも多くあり、 「見る」+「あく」で「見らくしよしも」とか、 「降らむ」+「あく」で「降らまくはのち」とか、 「恋ふる」+「あく」で「恋ふらくは」とか・・。(クルーズ船遠望) 今回も石垣港には巨大クルーズ船が寄港していたようです。 船影から判断するに、前回と同じMSCベリッシマ号のようです。 ホテルのレストラン「ひるぎ」での夕食時、「先月キープした泡盛の飲み残しボトルが先に出て来たのには驚かされた」とか。店員さんが覚えていて下さったのですね。 こういうことも旅先ではうれしいこと。よかった、よかった。2月6日島を右回りに一周→観音埼灯台 気温23℃。島を右回り。一瞬の晴れ間に恵まれる。 この日の情報はこれだけですから、いかなヤカモチもお手上げ(笑)。(観音埼灯台) まあ、観音埼灯台が青空に白く映えていますので、これも、よかった、よかった、であります(笑)。 学生時代、犬養先生の万葉集の講義での余談で「人は、本当に喜んでいる時は、嬉しいな、嬉しいな、と2回重ねて言うものだ」と仰っていたのを思い出しましたので、ヤカモチも2回重ねて、よかった、よかったであります。(石垣の海)2月7日白保海岸→御神埼灯台→平久保崎→川平湾→底地ビーチ この日は、曇り時々小雨、気温21℃。今度は島を左回りに。 カエンボクの花を堪能であります。(カエンボク<赤>)(同上<オレンジ色>)(同上<オレンジ色・接写>) 白保海岸は、島の東部にありサンゴ礁が大きくて有名らしいですが、そこにある白保食堂で昼食。 女将さんとはすっかり顔なじみになっておられるようで、「また来たの」というのが女将さんの言。 大海老4本、サラダ山盛りというエビフライ定食を注文し、山盛りご飯は半分にしてもらったそうだが、食べ残してしまわれたとのこと。 「お歳ですかね、食が細りましたね。」これも女将さんの言。 「元から盛りが多すぎる。」これは岬麻呂氏の言。(寒緋桜) 盛りが多すぎる昼食に苦闘された岬麻呂氏でありましたが、午後は、寒緋桜を楽しみ、御神埼灯台へ。(御神埼灯台) 平久保崎、川平湾、底地ビーチと巡って、午後4時にホテルに帰着。 その直後に豪雨。 早めの帰着で、これも、よかった、よかった。2月8日右回りドライブ→石垣港→石垣空港→関西空港 旅の最終日のこの日も、曇り時々小雨。寒波の影響で気温は19℃。 右回りにドライブ。 石垣港で、巡視船あさづきを撮って、巨大クルーズ船の近くへ。(海上保安庁 巡視船 あさづき) 巨大クルーズ船・MSCベリッシマ号。 巨大なビル、大型マンションが船に化けたような圧倒感がありますね。 前回、この船を近くで見ようとされるも、その前夜に出航してしまっていて果たせずでありましたが、今回は間近くで見ることができました。 と言っても、巨大過ぎて、かなりの距離を取らないとその全体がカメラには収まらないので、痛し痒しですな(クルーズ船) 夕刻便で関西空港に帰還。 全581kmの島内ドライブの旅完結、お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。(追記:2024.2.16. 10:24)巨大クルーズ船を間近に見るというくだりのところで「前回たのでしたが」という意味不明の文章になっていたので、加筆訂正しました。これは打ち込んだ筈の文章がPC操作の具合で一部が消えてしまったことによるものです。
2024.02.15
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今日は囲碁例会。自宅をMTB(マウンテンバイク)で出発。中央大通りから大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡り、滝川公園で小休止。(滝川公園で見かけた保育園児たち) 滝川公園では、保育園児たちのお散歩タイムであったようです。 振り返ると、こちらでも保育園児たちの集団。(同上) 子どもたちの可愛い仕草に心和まされつつ、ヤカモチ爺さんは楽しそうに藤棚の下でタバコをぷかりぷかりでありました(笑)。 梅田スカイビル到着は11時45分。 前回、地階・滝見小路で見つけた「全席喫煙席」という店に自然に足が向かっていました。そこで昼食&珈琲。(CAFFE PIAZZA DEL POPOLO) 昼食を済ませて地上に上がると、丁度ポールから放水が始まっていましたが、地階の廊下や店内からこの水が滝のように見えることから、滝見小路という名付けになっているようでありますので、その写真を撮ってみました。(梅田スカイビルの滝) 付属棟のガーデンファイブ棟の5階の部屋に行くと、今日もヤカモチが一番乗り。 碁盤と碁笥の設営をして他の出席者の来場を待つ。 部屋の窓から外を眺めてみると・・こんな眺め。(中自然の森) 写真右手にその一部が見えているのが、先ほどまで放水をしていた滝のポールであります。地階に設けられた中庭・中自然の森を取り囲む水路へと滝の水が落ちることとなるので、地階にある店の窓から、滝が眺められるという次第。日に何回か放水されるのだろうと思うが、何分間かの短い時間であるから、滝が見られるのはわずかな限られた時間帯だけのことである。(同上) 中自然の森の向こう側に見える建物は大阪ウエスティンホテル。 梅田スカイビルと大阪ウエスティンホテルとを総称して新梅田シティと呼ばれているという次第。 待つ事10分余。平〇氏がご来場。 同氏と対局。これは、終始優勢の展開でヤカモチの中押し勝ち。 少し遅れてご来場の村〇氏と次に対局。これはほぼ互角の展開であったが、寄せでうまくやられてしまった感じで、ヤカモチの数目負け。 最後に村〇氏と平〇氏が対局。これは平〇氏の中押し勝ち。 ということで、今日は全員1勝1敗ということになりました。 これで、ヤカモチの今年に入っての成績は5勝1敗。 例会終了後、平〇氏とヤカモチの両名は、全席喫煙席の店に行き、しばし談笑でありました。 帰途は、花園ラグビー場経由で帰宅。(花園ラグビー場)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.02.14
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智麻呂氏がお亡くなりになって、この15日で、はや2年になる。 そのご命日を控えての今日(12日)、ご家族で、はびきの中央霊園にある故智麻呂氏のお墓参りをされることとなり、夫人の恒郎女さんからお誘いをいただき、ヤカモチもその一員に加えさせていただくこととなった。 ということで、MTBで恒郎女邸・若草ホールに向かう。長女の今日郎女さんと恒郎女さんとヤカモチは、今日郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗して、10時30分を少し過ぎた時刻に若草ホールを出発して、はびきの中央霊園に向かいました。次女のめぐの郎女さん、三女のかほりの郎女さんは、めぐの郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗されて、奈良県側から、現地11時集合で向かわれる手筈になっているとのこと。 15分弱の遅れで現地に到着。奈良県組は既に到着済で、お墓の掃除などを済ませ、我々の到着を待って居られたようであります。 めぐの郎女さんのお嬢さんのナナちゃんも来ておられましたので、墓参の参列者は全8名でありました。(智麻呂氏が眠る日本基督教団小阪教会墓地)(同上) お墓の前で、讃美歌「うるわしの白百合」(この曲は智麻呂氏が特にお好きだったという讃美歌である。)と讃美歌「神ともにいまして」(この曲は若草読書会の例会を終えて若草ホールをおいとまする際によく歌ったものである。)とを、皆で合唱。そして黙祷を捧げ、皆の集合写真を撮影の後、お墓を後にしました。(墓地背後の鉢伏山)われはまた 鉢伏の山 訪ね来む 見まくの欲しき 君にしあれば (偐家持)(はびきの中央霊園) 墓参後、太子町から竹之内街道(国道166号)経由で奈良県葛城市に向かい、「魚菜食房すしぜん」(葛城市太田)へ。そこで昼食ということになりました。お勘定は恒郎女さん持ちということで、すっかりご馳走になってしまいました。(「魚菜食房すしぜん」の道路向かいの白梅の木) 昼食が始まる前に、三人のお嬢様からとバレンタインチョコまでいただいてしまいました。 昼食時の会話の中で驚かされたのは、ナナちゃんの記憶力の卓越さでありました。ナナちゃんは智麻呂氏のお孫さんであることは、智麻呂絵画展の記事などをご覧になっているお方は夙にご承知かと思いますが、彼女にとってのおじいちゃんである智麻呂氏が入院された日や退院された日などの日付を鮮明に記憶されていて、即座に何年何月何日と言い当てることがお出来になったことでした。(バレンタインチョコ) たらふくご馳走になり、再び、今日郎女さんのご主人のお車に同乗させていただき、若草ホールへの帰途に。 途中、立ち寄った「道の駅葛城」の前では、お猿さんの曲芸が披露されていました。(お猿さんの曲芸) 宙返りの瞬間をカメラに収めようと待ち構えていましたが、曲芸師とお呼びするのか猿回し師とお呼びするのがいいのか存じ上げませんが、彼の前口上が長過ぎたようで、宙返りで飛んだ瞬間に画面が暗転してシャットダウンしてしまい、撮影に失敗でありました。(同上) 若草ホール帰着は午後3時ちょっと前。 珈琲をご馳走になってから、ヤカモチは今日郎女さんたちとはひと足早く、MTB(マウンテンバイク)で家路につきました。 恒郎女さん、そしてご家族の皆さん、今日は家族でもないヤカモチをその一員に加えさせていただき、本当にありがとうございました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.02.12
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日付が前後しますが、一昨日(2月6日)は月例の墓参でありました。 月例と言ってはいますが、1月については、年末に墓参することでもあり、毎年割愛していますから、2月がその年の最初の墓参ということになる。 我が家の墓地は生駒山地の西麓の高みにあるので、かなりの急坂もある坂道を上らなければならない。そして、途中にあるお寺の門前の言葉を見て行くというのが、お決まりのパターン。 この日の門前の言葉はこれ。(門前の言葉) ”そのうちに”なんて 当てにならないな いまがその時さ -トーベ・ヤンソン-<参考>トーベ・ヤンソン・Wikipedia ムーミン・Wikipedia はい、墓地の入口付近です。(墓地への道) この奥が墓地。 墓地から西方向を望むと、大阪平野が一望である。(墓地からの眺め) ワイドに撮ると・・。(同上2) 更にワイドに撮ると・・。(同上3) 花を取り替え、線香を手向け、礼拝。 墓参を済ませるとそのまま直帰ということが多いのであるが、この日は山沿いの細道を辿り、枚岡梅林まで散策。(センダンの木) 遠くに実をいっぱいにつけたセンダンの木が、遠目には花を咲かせたように、ひと際目立っていました。 はい、ズームアップして撮影してみると、間違いなく実であります。(同上)(山沿いの道) トンネルのようになっている左側の道は、下の畑への通路でありますので、右側の道を行きます。(同上) こんな細道をしばらく歩き、やがて人家もある広い道に出て、枚岡梅林である。(枚岡梅林の梅1) 枚岡梅林は、2016年に梅の木がプラムポックスウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、2017年1月に全ての梅ノ木が根こそぎ伐採除去され、全滅した。このウイルスに感染すると除去後4年は梅の木を植えてはならないらしく、4年の空白後の2021年1月31日から、梅の若木が植樹され、梅林復活事業が開始された。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 墓参・花散歩・枚岡梅林 2016.3.5. ということで、現在の梅の木は植樹後まだ3年しか経っていないので、人の背丈よりも高い木はごく少数で、多くは人の背丈程度かそれ以下の背の低い若木である。 それでも季節めぐるごとに花を咲かせ、春の到来を告げてくれる。(同上2) 上の白梅は玉ナントカという品種名の書かれた名札が掛けられていたが、思い出せない。 下の紅梅は、鹿児島紅(かごしまこう)という品種名の名札でした。(同上3)(同上4) 最後は、枚岡梅林の水仙です。(枚岡梅林の水仙1)(同上2) 墓参&近隣散歩の記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.02.08
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今日は囲碁例会の日。いつもの如くMTB(マウンテンバイク)で、梅田スカイビルまで銀輪散歩であります。 中央大通りを西へと走り、森ノ宮駅前から大阪城公園を通り抜けるというお決まりのコース。(大阪城公園)(同上・天王寺商業高校同窓会の梅の木) この梅の木を撮影しようとしたら、次々に色んな人がこの木に近づき、梅の花の写真を撮ったり、梅の木を背景にして記念撮影をしたり、ということで、かなり時間待ちさせられました。三叉路になっている真ん中に植樹されているので、目立つのであろう。それほど背丈が高くない木であるが、カメラを低くして空を見上げるような角度で撮影したので実物よりも高木に見える。 天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 この公園で休憩した場合に必ず撮るのが、道路向かいにあるお寺の門前の言葉。今日の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) 去年 わからなかったことが 今年 わかることがある 老いもまた楽し 同感です(笑)。 もう一つは、 ていねいに 生きよう まあ、人生の残高がどんどん少なくなっている我が身でありますから、ていねいに生きなくては勿体ないというもの。これも同感でありますが、ていねいに生きているということが実際にできているかどうかはまた別問題ではあります(笑)。(梅田スカイビル) 梅田スカイビル到着は11時33分。 ガーデン・ファイブ棟1階のいつもの店は今回も「CLOSE」の表示。 イースト・タワー1階の喫茶店に行ってみると、改装工事中でお休み。 仕方なく、地下の滝見小路の飲食店街に下りる。 すると、全席喫煙席という珍しい店があったので、ここで昼食と決めました。喫煙者は、肩身が狭くなるばかりであるが、全席喫煙とは、喫煙者には有り難い店である。(CAFFE PIAZZA DEL POPOLO) ランチ&珈琲&煙草でゆっくりしてから、会場のガーデンファイブ棟5階の部屋へ。ヤカモチの一番乗り。 美術部の人たちが数人来て居られ、しばし彼らと雑談。 そこへ、平〇氏と村〇氏がご来場。少し遅れて福麻呂氏がご来場。 本日の出席者はヤカモチを含め、全4名でありました。 ヤカモチは先ず、平〇氏と対局。村〇氏は福麻呂氏と対局。 ヤカモチの初戦は中押し勝ち。上辺の大石が頓死して万事休すとなり、平〇氏が投げられました。村〇氏と福麻呂氏との対局は福麻呂氏の勝利。 メンバーチェンジして、2局目は、福麻呂氏と対戦。 これは、結構の大差にてヤカモチの勝ち。 隣の村〇vs平〇戦は未だ中盤戦の進行状況。 ということで、福麻呂氏ともう1局打つこととする。 今度は僅差かと思われたが、20余目の大差でこれもヤカモチの勝ち。 ということで、今日は3戦全勝でした。 ここで、時間切れとなり、村〇氏とはお手合わせせぬまま、解散となりました。 帰途は、少し雨に降られましたが、濡れるほどではなく、午後5時半頃の帰宅となりました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.02.07
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第28回和郎女作品展 昨年の2月以来の和郎女作品展であります。 今回は、若草読書会の新年会に向けて、多数の作品を宅配便で若草ホールにお届けくださり、ヤカモチほかの出席者がそれらを頂戴して持ち帰りましたが、肝心の和郎女さんご本人は他用で急遽ご欠席となり、残念なことでありました。 当日、若草ホールにて、その作品の一部を撮影しましたので、これを以って和郎女作品展を開催させていただくこととしました。 毎年、干支に因む作品を作成くださいますが、今年は辰年ということで、辰に因む作品からご紹介します。(辰1) 竜の万葉歌で思い浮かぶのが大伴旅人のこの歌。竜(たつ)の馬(ま)も 今も得(え)てしか あをによし 奈良の都に 行きて来(こ)むため (大伴旅人 万葉集巻5-806)<竜の馬が今すぐにでも欲しい。(あをによし)奈良の都に行って戻って来るために。> 大宰府の帥であった大伴旅人のこの歌に答えて奈良の都に居た何某が詠んだ歌がこれ。竜(たつ)の馬(ま)を 我(あれ)は求めむ あをによし 奈良の都に 来(こ)む人のたに (作者不詳 万葉集巻5-808)<竜の馬を探してみましょう。(あをによし)奈良の都に来ようとする人のために>(注)「来む人のたに」の「た」は「ため」と同じ。(辰2) 万葉集にはこんな歌もある。虎(とら)に乗り 古屋(ふるや)を越えて 青淵(あをぶち)に 蛟竜(みつち)捕(と)り来(こ)む 剣(つるぎ)大刀(たち)もが (境部王 万葉集巻16-3833)<虎にまたがり古い家屋を越えて、青淵で蛟竜を捕って来られるような剣大刀が欲しいものだ>(辰3) 同じデザインの作品を重複して撮影してしまったようですが、没にするのもどうかと思うので、「3’」として掲載して置きます。(辰3’)(辰4)(辰5) なお、作品のタイトルはヤカモチが勝手に付けたものであります。(エコバッグ) こんな手芸作品も。 作品を持ち帰る便宜も考慮してのものでしょうか。(ひな祭り1) ひな祭り、というタイトルで合っているのかどうか分かりませんが、ひな祭りも近いことであり、そんなイメージがしました。(ひな祭り2) これはヒラメですかね。(ヒラメ) 赤い草履を汚したくないと、裸足になって水たまりを歩く少女。(少女と水たまり)(桜美人)この花の 一枝ひとよのうちは 百種ももくさの 言こと持ちかねて 折をらえけらずや (娘子 万葉集巻8-1457)<この花の一枝の中に沢山の言葉を持ち切れなくて、折れたのではありませんか。>(節分と梅)(梅) これも前掲の「節分と梅」右側の作品と同じデザインの作品でした。(バラと辰) これも右側の辰は、前掲の「辰4」と同じデザインの作品でありました。(鶴と松と少女)(七夕) 七夕はさすがに少し早過ぎますが、まあいいでしょう。天の川 梶の音(と)聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-2029)<天の川に櫂の音が聞こえる。彦星と織女星が今夜逢うらしい。>(三日月と梟) 三日月の万葉歌と言えばこれでしょうか。月立ちて ただ三日月(みかづき)の 眉根(まよね)掻(か)き 日(け)長く恋ひし 君に逢へるかも (大伴坂上郎女 万葉集巻6-993)<新しい月が立って、わずか三日目の月のような細い眉を掻きながら日々長く恋してきたあなたに逢うことができました。>振り放(さ)けて 三日月見れば 一目(ひとめ)見し 人の眉引(まよび)き 思ほゆるかも (大伴家持 万葉集巻6-994)<振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の引いた眉の形が思い出される。> 帰りがけにバタバタと撮影したので、3作品について同じデザインのものが重複してしまいましたが、これはヤカモチ館長の手落ちにて、お詫び申し上げます。また、ごく限られた数の作品しか撮影できなかったことについてもお詫び申し上げます。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 フォト蔵アルバム「和郎女作品集」はコチラ。
2024.02.05
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友人・岬麻呂氏からの旅便りであります。 今回は「日本で一番早いお花見(寒緋桜)が目的の夫婦旅」とのこと。(旅・岬巡り報告325 沖縄 寒緋桜)1月23日関西空港→那覇空港→(レンタカー)→具志川城址→喜屋武埼灯台→知念岬→ニライカナイ橋→残波岬・ホテル日航アルビラ(3連泊) 先ず、沖縄本島最南端にある具志川城址に向かう。(具志川城址)<参考>具志川城(糸満市)・Wikipedia 沖縄ラボ・沖縄本島最南端の城跡「具志川城跡」みどころ紹介 おきなわ物語・具志川城跡(糸満)・国指定史跡 喜屋武埼灯台に立ち寄り、南東端の知念岬へと向かいます。<参考>喜屋武岬・Wikipedia 琉球おきなわ説話・喜屋武岬と灯台 その途中で撮影されたのでもあるか、旧・玉城村(現・南城市)のマンホールの写真です。(南城市<旧玉城村>のマンホール) 城(ぐすく)の石垣と湧水をデザインした図柄だそうですが、旧・玉城村の村章があしらわれています。 南東端の知念岬です。(知念岬)<参考>沖縄本島のおすすめ観光スポット情報・知念岬公園 そして、ニライカナイ橋。(ニライカナイ橋)<参考>Okinawa Hip Hop Bus・ニライカナイ橋 ニライカナイとは「はるか彼方」という意味。海のはるか彼方に理想郷があり、そこから神がやって来て、人の世を創ったというのが沖縄の伝説。 2002年開通以来、その景観の良さから沖縄県南部のドライブスポットとして定着。全長660m、高さ80m。歩道が整備されているので、散歩にも適しているとのこと。1月24日本部半島八重岳→今帰仁城→運天港→古宇利島→名護城址 この日は、いよいよ目的の寒緋桜のお花見でありますが、その前に国頭郡恩納村のマンホールであります。(沖縄県国頭郡恩納村のマンホール) ヨット、恩納岳、万座毛(象の鼻の形をした奇岩がある海食崖)、村の花ユウナ(オオハマボウ)の図柄。 桜の前にツツジ。 ヤエヤマツツジです。 「栄えをとめ」の桜の前に、「にほえをとめ」のツツジを持って来るのは、万葉集の歌にもかなっています。(ヤエヤマツツジ)<参考>物思(ものも)はず 道行(ゆ)く行くも 青山を 振り放(さ)け見れば つつじ花(はな) にほえ娘子(をとめ) 桜花(さくらばな) 栄(さか)え娘子(をとめ) 汝(なれ)をぞも 我(われ)に寄すといふ 我をぞも 汝(なれ)に寄すといふ 汝(な)はいかに思(おも)ふや思へこそ 年の八年(やとせ)を 切り髪(かみ)の よち子を過ぎ 橘(たちばな)の ほつ枝(え)を過ぐり この川の 下(した)にも長く 汝(な)が心待て (柿本人麻呂歌集 万葉集巻13-3309)<物思いもなしに道を行きながら、青山を振り仰いで見ると、ツツジの花のように色美しい娘子、桜花のように真っ盛りの娘子。おまえのことを私といい仲だと人は言い寄せるそうだ。私のこともおまえといい仲だと言い寄せるそうだ。おまえはどう思っているのか。あなたを思えばこそ、八年という年月、切り髪の少女の頃を過ごし、橘の梢が伸びてゆく時を経て、この川の下水(したみず)のように長く、ずっとあなたの心を待っているのです。> さて、旅の目的たる、本部半島八重岳の寒緋桜、栄え娘子やいかに。(八重岳・寒緋桜) 「例年20日過ぎには頂上付近が満開なのだが、今年は天候不順で花が無い(咲いた様子が見られず)。」とのこと。 時々、小雨が降るという生憎のお天気ではありましたが、中腹付近は八分咲きにて、今年も「栄え娘子」と無事接見を果たされました。お花見の目的達成、何よりでありました。(同上) 今帰仁城、運天港、屋我地島、古宇利島、名護城址と巡り・・。(今帰仁城址)<参考>今帰仁城・Wikipedia(古宇利大橋・屋我地島から撮影)<参考>屋我地島・Wikipedia(同上・古宇利島から撮影)<参考>古宇利島・Wikipedia(名護城址の寒緋桜)<参考>名護城・Wikipedia 桜の方は、今帰仁城では三分咲き、名護城址では咲き始めといった具合であったとのこと。1月25日辺戸岬→オクマビーチ この日は、最北端の辺戸岬を目指します。(辺戸岬・祖国復帰闘争碑) 東シナ海前に見て、わしらが生きた土地がある♪ 沖縄返還運動で歌われた「沖縄を返せ」の歌が思い出されます。 石碑の左側奥に、鹿児島県の最南端、与論島がかすかに写っています。 画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でご確認ください。(同上・北西方向)<参考>辺戸岬・Wikipedia 同じく、大きいサイズの写真でご覧いただくと、水平線上に伊平屋島、伊是名島の島影がかすかに見てとれます。(同上・東方向)1月26日八重岳→今帰仁城→古宇利島→うるま市・勝連城跡→海中道路→平安座島→那覇空港→関西空港 最終日、八重岳の桜再訪問。(再び、八重岳・寒緋桜)(今帰仁城址を背に北方向の海と寒緋桜) 三分咲きという今帰仁城の桜も再訪問。(同上・寒緋桜<ズームアップ>)(ワルミ大橋から左奥の運天港を遠望) さて、古宇利島で昼食に食されたという青いカレーがこれ。 岬麻呂氏も初めて食されたそうですが、味は普通のカレーのそれであるが、盛り付けのデザインの意味が分からなかったということで、24日の昼食に続き、26日の昼食でも再挑戦されたようです。(青いカレー) 岬麻呂氏の旺盛なる好奇心には感心するのほかありませんが、白いご飯が古宇利島、青いカレーが海、中央の細い棒状のパンが古宇利大橋を表現しているとのことであります。 以上、青いカレーの謎も解け、沖縄本島桜旅も無事完了であります。 全683kmドライブ旅でありました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.02.04
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