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今日(3月30日)は若草読書会のお花見会の日。当初の大阪の開花予想日は3月23日であったのだが、25日に延び、今日ようやく開花宣言となったようです。そんな次第で、お花見会は完全に大外れの設定日となってしまいましたが、予定通りに実施でありました。 と言うのも、毎回前年の12月上旬頃までには、メンバー各位の日程調整をし開催日を決定し、東京方面の遠方からの参加者もある関係で、雨が降ろうが、花が咲いていまいが、予定通りに実施するというのが、我々若草のお花見という訳なのである。 兼好さんは「月は隈なきを、花は盛りをのみ見るものかは」と言って居られますが、さすがの彼も呆れる「花の咲かぬを見る」今日の我々のお花見には「もの好きにもほどがある」と言うのほかないのかも(笑)。 それを予想してか、若草ホールの主である恒郎女さんから、凡鬼さんに何か俳句に因んだお話をしてもらえないかという要望が出され、それをヤカモチから同氏にお伝えしたところ、快くお引き受けくださいました。 ということで、今日午前11時若草ホール集合にて、先ず凡鬼さんの「俳句よもやま話」というタイトルの講話で会が始まりました。 参加者は、恒郎女さんとそのお嬢さんのめぐの郎女さん、凡鬼さんとその夫人景郎女さん、祥麻呂さん(千葉県からのご参加)、槇麻呂さん、利衣郎女さん(今回初参加)、和郎女さん、偐山頭火さん、そしてヤカモチの10名。 俳句の三大季語、雪、月、花について、芭蕉、蕪村、夏目漱石、飯田龍太、永井荷風、中村草田男、大石悦子などの句を解説しつつ、さらりとした紹介があり、「文人と俳句」という今日の主テーマ、「俳句を本業としていない芸術家、文化人、政治家などの俳句」をとりあげて、解説をいただきました。 そのうちのいくつかの句を紹介・列記すると、以下の通り。 久保田万太郎 秋風のふきぬけゆくや人の中 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 夏目漱石 菫程な小さき人にうまれたし 叩かれて昼の蚊をはく木魚かな 寺田寅彦 徒に凍る硯の水悲し 哲学も科学も寒き嚔哉 芥川龍之介 凩や目刺しに残る海の色 あお蛙おまえもペンキぬりたてか 永井荷風 行春やゆるむ鼻緒の日和下駄 色町や真昼しづかに恋の猫 竹久夢二 指がまづそれと気のつく春の土 人妻となりたる君におぼろ月 平塚らいてう 川面吹き青田吹き袖にみつ みどり児の眠る真昼や合歓の花 中村吉右衛門(初代) 道かへて櫻の道を歌舞伎座へ 温泉の町に銀座もありて目刺し売る 佐藤春夫 影ふかくすみれ色なるおへそかな 千枚の青田渚になだれ入る 吉屋信子 稲妻や将棋盤には桂馬飛ぶ 東海道松の並木に懸大根 宮沢賢治 秋便り菊の隠密はひり候 斑猫は二席の菊に眠りけり 三好達治 菜の花や渡しに近き草野球 千住の化け煙突や雷きざす 五所平之助 永き日や波のなかなる波の色 あまぎ嶺の虹に妻呼び妻と見る 大久保橙青 黄金と呼ぶ礁あり春の海 国会をぬけて涼しき句会かな 松本清張 障子洗ふ上を人声とおりけり 子に教え自らも噛む木の芽かな 檀一雄 姫うつぎ見つつ祝ぐ子の盛り 地の果てに立つや虚空の石の色 藤沢周平 汝を帰す胸に木枯鳴りとよむ 桐咲くや田を売る話多きむら 正午過ぎに講話終了。 お花見会は弁当、飲み物各自持参が恒例。 ということで、各自持参のお弁当で昼食。恒郎女さんとめぐの郎女さんがご用意くださったお味噌汁をいただきながらの、雑談&お弁当タイムでありました。 第2部はたこ焼きパーテイであるが、その前に、桜花は期待できないものの、お花見会である以上、「長門川の桜の花はいかにかあらむ」と花見散歩に出かけることに。 偐山頭火さんは、散歩には参加せず、長門川畔まで我々を見送っての早退でありましたので、たこ焼きパーテイは欠席であります。<参考>若草読書会4年ぶりのお花見 2024.4.1. さて、実は、ヤカモチは、若草ホールに着いたのが10時半であったので、会が始まる前にと、長門川畔の桜を下見していたのでした。(長門川畔の桜並木) 昨年は4月1日がお花見会でありましたが、花吹雪が舞うほどの花の盛りでありました。それに比べると何ともはや、の状態であります。 それでも、よく見ると数輪咲いている木もあるにはあるのでありました。(同上・開花宣言をしてもいい程度の咲き具合) ということで、ともかく皆うち揃って散歩に出かけることに。 めぐの郎女さんは留守番で残ることに。(同上・ズームアップ) まあ、一応は咲いているので、こんな風にそこだけを切り取れば、十分に「花の盛り」であります。 しかし、「霞か雲か匂ひぞ出づる」と参らねば、他の花を花見することもよかろうと、色々な花を撮影してみました。(スミレ) はい、先ずはスミレであります。(カリン<花梨>) そしてカリンの愛らしき花。 この木はまだ若木にて、背丈も人間の背丈よりも少し高いだけ。(同上)(オオキバナカタバミ) オキザリスの仲間。景郎女さんに何の花と問われて、オオキバナオキザリスと和洋折衷のような名前を申し上げてしまいましたが、オキザリスはカタバミのことですから、正しくはオオキバナカタバミであります。(トウグミ<唐茱萸>) ナツグミとも言うそうですが、要するにグミであります。(ラッパスイセン) 他にも、ハナニラ、ムスカリ、ノボロギク、ヒメオドリコソウ、ホトケノザなどなど色々な花の、花見散歩。 そして、今年もセイヨウカラシナの黄色い帯。(恩智川畔のセイヨウカラシナ) 長門川は恩智川の支流、東から流れ込む御神田川と南から流れ込む長門川が新若草橋の下付近で恩智川に合流しているのである。 とまあ、色々な花の花見をして、鯉の群れ泳ぐ姿や鴨は羽を羽ばたかせて水浴びをする姿などを見つつ、たわわに実を付けた金柑が日に照り映える様を愛でたりの、しばしの散策でありました。(長門川畔のモニュメント・よみがえる魚たち)(同上・副碑) そして、若草ホール前の小さな公園の一角にある葉を落とした銀杏の木と飛行機雲。これは、例により早々と昼食を済ませたヤカモチが食後の一服と外に出て、タバコを喫いながら撮った食後の空であります。 花見散歩に出かける2時間近く前の撮影であります。(銀杏の木と飛行機雲) 散歩から若草ホールに戻ると、めぐの郎女さんが、たこ焼きパーテイを始めるべく、たこ焼きを焼き始めて居られました。 30分か40分程度の散歩ではお腹が空く筈もなく、しかし、一応は別腹ということで、皆さん数個は食されました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2024.03.30
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(承前) 前記事の続編です。曽束大橋を渡って対岸の道に入ったところで、前記事が終わりましたので、そこから始めます。<参考>曽束大橋を渡った左岸の道から天ケ瀬ダムまでの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(わが庵は都のたつみ) 2014.3.13. 地図で見ると曽束大橋手前1kmほどの地点から喜撰山大橋の手前800mほどの地点までは、瀬田川が滋賀県と京都府との境界になっているようです。 従って、曽束大橋は右岸京都府と左岸滋賀県との間をつないでいる橋ということになります。右岸の道は曽束大橋を渡る手前1km付近から京都府の府道3号になっていて、橋を渡った先の左岸の道は再び滋賀県の県道3号ということになる。 曽束大橋を渡ってしばらく行くと、上の<参考>記事に掲載の写真にあるように、眼を射るような鮮やかな黄色のトラトラの道が展開するのであったが、それは10年前のことで、今回目にしたのは、それらの塗装が褪色して目立たぬくすんだ色に変化し、加えて所々摩耗したり剥がれたりもしているという、何ということもない道になってしまっていました。 写真に撮って現在の姿と10年前の光景とを比較してみれば面白かったかもしれないのだが、撮影せぬままやり過ごしてしまったので、後の祭りであります。(瀬田川左岸の道) 宇治11km、天ケ瀬ダム9kmという標識のある地点までやって来ました。この先喜撰山大橋の先から、瀬田川は宇治川と名を変えるようです。(コース地図4・喜撰山大橋からJR宇治駅まで) 喜撰山というのは、喜撰法師に由来する名称。 喜撰法師は六歌仙の一人とされるが、伝記など不詳の御仁。 紀貫之の変名という説などもあり、正体不明。 古今集仮名序に「宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば、秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし」とその歌風が評されている歌人であるが、紀貫之の変名であるなら自分で自分を評したことになり、愉快と言うほかない。わが庵いほは 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 古今集983、小倉百人一首8)<参考>喜撰・Wikipedia しかし、喜撰山大橋もその下流側にある吊り橋、大峰橋も今回は撮影していない。上記<参考>の10年前の記事に写真を掲載していますので、ご参照ください。 ということで、次の写真は、宇治川に左側から流れ込んでいる田原川に架かる宵待橋になります。(宵待橋) 宵待橋を渡ったところで振り返って撮ったのが上の写真。 宇治川左岸の道からこの田原川の道に入り、つまり上の写真に即して言うと、画面の奥・左手からこの橋にやって来て、こちら岸の道を画面左手に進み、再び宇治川左岸を川下へと進むのが正しいコース。 ここで、タバコ休憩をしていると、右手から例のカナダ人二人組が現れたのである。 この橋をこちらに渡り右折して、写真画面左手に行くべきところ、彼らは左折して、写真画面右手に、つまり反対方向に進んでしまったようです。 こちら岸の道は、この橋から左が府道3号、右が府道62号。彼らは府道62号を田原川沿いに上流へと進んでしまったようです。府道62号は国道307号に突き当たり、国道307号は京田辺から枚方方面へと通じている道である。どの付近で道を間違えたと気づいたのだろう。 少しばかり言葉を交わし、彼らを見送ってからゆっくりとヤカモチも出発であります。(天ケ瀬ダム) ほどなく、天ケ瀬ダムが見えて来ました。 10年前はダムを見学しましたが、今回はパスして、坂道を走り下る。 宇治の市街へと入ったところで、源氏物語宇治十帖宿木之古蹟という碑がありました。この碑については前回10年前の銀輪散歩の折にこれを撮影した記憶があったので、今回は撮影しないで置きました。帰宅後調べてみると確かにその写真がPCに残っていました。 ということで、その10年前の写真を掲載して置きます。(源氏物語・宇治十帖・宿木之古蹟)(同上・副碑) 近くにあったマンホールは撮影しましたが、この図柄のマンホールは既にマンホールシリーズ記事にて紹介済みでありました。(宇治市のマンホール) マンホールのことはさて置き、宇治十帖古蹟の碑は10年前に撮影したものが他にもあるので、ついでに掲載して置きます。(源氏物語・宇治十帖・総角之古蹟)(同上・早蕨之古蹟)(同上・椎本之古蹟)(同上・副碑)<参考>宇治十帖・Wikipedia 全10ヶ所が揃ったところで記事にアップしようとでも考えて、これまでブログに掲載しないまま、写真を保存していたものと思われるが、10年を経過しても一向に進展しなかったということは、その気にならなかったということでしょうから、現状あるままの在庫で記事掲載ということにいたします。<参考>蛍塚から宇治神社までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(もののふの八十宇治川の) 2014.3.14.(宇治散策案内図) はい、宇治川の中洲の島、塔の島に架かる喜撰橋の前に出ました。 中洲の島は二つあって上流側が塔の島、下流側が橘島である。 塔の島は喜撰橋によって左岸とつながり、橘島は橘橋によって左岸と、朝霧橋によって右岸とつながっている。(喜撰橋) この辺りから10年前の銀輪散歩とは異なるコース取りとなります。 前回は、橘橋を渡って、中洲の島・橘島に渡り、宇治神社、宇治上神社を経て仏徳山(大吉山)展望台まで登り、下山して宇治彼方神社、菟道稚郎子墓、下居神社と巡ってJR宇治駅ゴールというコース取りであったが、今回は島には渡らず、宇治川左岸の土手道を直進でありました。<参考>宇治上神社からJR宇治駅までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き) 2014.3.15. 前回は、宇治の万葉歌碑を巡るというテーマがあっての散策でしたが、今回はそういったものはなく、平等院も時刻からみて入場できる筈もないので、何という当てもないそぞろ歩きである。(宇治川 対岸左手の山が仏徳山<大吉山>である。) 土手道から細い路地を抜けて、平等院参道に出る。 さすがに参道は大勢の観光客。店の前の空間に椅子席やテーブル席を備えた店が目にとまる。ここなら押して歩いている愛車トレンクルを駐輪する場所もある。そこで抹茶ソフトを食べている観光客の姿につられでもしたか、ヤカモチもこれを買い求め、店先の椅子席でこれをいただくこととする。 参道を出ると宇治橋。 その一角は、宇治十帖に因み「夢浮橋ひろば」と名付けられているようです。(夢浮橋ひろば) そこにあるのが紫式部の像。(紫式部像)(同上・副碑) そして、夢浮橋之古蹟の碑。(源氏物語・宇治十帖・夢浮橋之古蹟)(同上・副碑) 以上、紫式部、夢浮橋之古蹟碑、宇治橋の3点セットの写真がこれであります。(3点セット写真)(明治天皇御駐輦之地碑) 紫式部像や夢浮橋之古蹟碑に取り囲まれる形で、これらとはいかにも不似合いな感じで明治天皇御駐輦之地碑が建っている。この碑が先にあって、源氏物語関係の像や碑がその後に設置されたということなんだろう。(宇治橋)(同上・説明碑) 宇治橋を渡り、右岸へ。 宇治橋を渡る頃には、もう午後5時になろうかという時刻。(宇治橋から橘島に架かる朝霧橋<左>、橘橋<右>を望む) 京阪宇治駅の左奥にあるのが、大河ドラマ館。 入館料などは必要とせず自由に入館できる施設のようだが、既に午後5時を過ぎていて、営業終了、閉館していました。(光る君へ・大河ドラマ館) 大河ドラマ館の裏手にあるのが、菟道稚郎子の墓。 彼は、応神天皇の皇子。仁徳天皇の異母弟である。 応神天皇没後の、菟道稚郎子・仁徳天皇・大山守三者の関係などは、上記<参考>の過去記事「瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き)」または下記<参考>の「菟道稚郎子・Wikipedia」をご覧ください。(菟道稚郎子尊宇治墓)<参考>菟道稚郎子・Wikipedia妹らがり 今木(いまき)の嶺に 茂り立つ 妻松(つままつ)の木は 古人(ふるひと)見けむ (柿本人麻呂歌集 万葉集巻9-1795)(<妹らがり>今木の嶺に茂り立つ妻を待つという松の木は、昔の人も見たであろう。)(注)古人=今は亡き菟道稚郎子を指す。 これは、「宇治若郎子の宮所の歌一首」という題詞と共に万葉集巻九の挽歌の部に収められている歌であるが、この歌の歌碑は、宇治神社の背後の山、仏徳山(大吉山)の展望台にある。今回はとても展望台まで登る元気も時間的余裕もないのであるが、上記<参考>過去記事にはその歌碑の写真も掲載していますので、ご覧ください。(同上) 菟道稚郎子墓に隣接する場所に浮舟宮跡という石碑が建てられている。 源氏物語・宇治十帖の浮舟の君を祀った古社が、かつてこの付近にあったらしい。(浮舟宮跡碑)(同上)(史跡 宇治川太閤堤跡碑) 宇治川太閤堤跡の碑と大河ドラマ館の間をトレンクルで走り抜けて宇治橋に戻り、JR宇治駅へと向かう。(JR宇治駅前、茶壷型の郵便ポスト) はい、JR宇治駅前広場のユニークな茶壷型郵便ポストに迎えられて、今回の銀輪散歩は終了であります。(完)<参考>過去の銀輪万葉・京都府・滋賀県篇は下記参照 銀輪万葉・京都府・滋賀県篇(その1) 2007年7月~2019年3月銀輪万葉・京都府・滋賀県篇(その2) 2019年7月~
2024.03.21
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先日(3月15日)、10年ぶりに石山から宇治まで持参のトレンクルで銀輪散歩して参りました。 ところが、トレンクルで走り出すと何やらペダルが重い。後輪のタイヤがペチャンコになっている。パンクなのか虫ゴムの劣化による空気漏れなのか、何れにせよ自転車屋を探さなくてはならない。 地元の人に教えていただいた自転車屋さんにトレンクルを持ち込むと、パンクではなく虫ゴムの破損による空気漏れであったよう。 これでは自転車屋さんも商売にならないだろうと、自転車用のヘルメットを購入することとしました。 それが、下掲写真のヘルメットであります。(ヘルメット) 自転車についてもヘルメット着用が法的義務とされたが、当面は罰則なしの努力義務というのが法律上の取り扱い。 そんなことで、いずれは買おうと思っていたものの、これを先送りし、ヘルメットを着用せずに自転車に乗っていたヤカモチでありましたので、いい機会でもあるかと、店頭に展示されていたいくつかの中から選んで買い求めたという次第。 早速にこれを着用し、いざ出発であります。 既に正午をかなり過ぎてしまっていたので、JR石山駅近くの食堂で昼食を済ませることにする。食堂を出て、銀輪散歩の態勢に入ったのは午後1時を過ぎてしまっていたかと思う。(コース地図1・JR石山駅から瀬田川洗堰手前まで) 京阪唐橋駅前から瀬田川沿いの道を南へ。(京阪・石山寺駅) 石山寺駅前、瀬田川畔の蛍谷公園の入口に紫式部のレリーフが入ったオブジェが設置された噴水ひろばがあったが、奥のベンチに年配のご夫婦らしきお二人が坐って居られ、このオブジェを撮ろうとすると、背後にお二人が入ってしまうアングル。撮影は諦め、振り返って撮ったのが上掲の駅の写真。 百人一首の紫式部の絵札のそれのような、彼女の姿の絵が遠目ながら目に入りました。めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半よはの月かな (紫式部 新古今集1497、小倉百人一首57) 今年の大河ドラマが紫式部が主人公となっていることから、紫式部が源氏物語の宇治十帖を執筆した場所と伝えられる石山寺は観光客の注目を集めることとなるのだろう。(ミツマタ) そして迎えてくれたのは、ミツマタの花。春されば まず三枝さきくさの 幸さきくあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹わぎも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1895) 「さきくさ」は未詳植物で、ジンチョウゲ、ヤマゴボウ、フクジュソウなど諸説あるが、ミツマタのこととするのが有力説である。 このミツマタの花から少し南に下ったところにあるのが料亭・新月。 ヤカモチが属する友人グループ「健人会」の会合はこのところ専らこの料亭でお世話願っているが、来月3日にも昼の宴席が予定されていて、近々またこちらまで出かけて来ることになる。<参考>健人会関係の記事はコチラ。(料亭・新月) 料亭・新月から石山寺東大門前までは200mくらい。(石山寺の東大門) 石山寺の門前には、ご当地ゆるキャラの「おおつ光ルくん」が観光客に愛嬌を振りまいていましたが、いつの間にか姿が見えなくなっていました。 上の写真では、東大門の前に彼が写っています。21世紀版光源氏だそうですから、今年の大河ドラマのこともあり、彼にも注目であります。 石山寺名物という石餅とお茶のセットを注文、上掲写真の一番手前に写っている床几に腰掛けてこれをいただきました。 写真には写っていませんが左手の店で販売しているもので、店の中のテーブル席で食べることもできるのだが、外の方が気分がよかろうと、自転車を身近に停めても置けるので、床几を選んだ次第。 石山寺はこれまでに何度も訪ねて居り、過去記事にも掲載しているので、今回はパスです。自転車のトラブルがなければ少し立ち寄ってみてもよかったのだが、先を急ぐこととする。<参考>石山寺 2008.10.25. 石山寺散策 2015.9.3. 石山寺散策(続) 2015.9.4. 石山寺散策(続々) 2015.9.5. 石山寺の駐車場を通り抜け、瀬田川沿いの国道422号に出てこれを川下へと走る。(コース地図2・瀬田川洗堰から立木観音手前、鹿跳峡付近まで) 瀬田川洗堰の手前にあったのが皇后陛下行啓記念碑。(皇后陛下行啓記念碑)<参考>貞明皇后・Wikipedia 裏面には、大正11年11月12日の文字が読み取れるから、大正天皇の皇后であり、昭和天皇の母である貞明皇后の行啓を記念した碑であるようだ。 上の写真の碑の左背後に写っているのが、今日の相棒、ヤカモチのトレンクルであります。(瀬田川洗堰) 瀬田川洗堰から1kmほど下った付近で、国道422号とお別れし、県道3号に入る。県道3号を数百メートル進んだ付近にあったのが、「滋賀県指定自然記念物・鹿跳峡の甌穴(米かし岩)」と書かれた説明板。 川岸の木立に紛れて見落としてもおかしくない目立たぬ説明板であったが、たまたま目に止まり、自転車を一時停止。(鹿跳峡の甌穴) 見ると、河原に下りることができる、道とは言えないが何度も人が下りているうちに自然に出来たと思われる通路らしきものができているので、河原に下りてみた。説明板に掲載されている「米かし岩」はどれとも特定できなかったが、岩がゴロゴロとあって、甌穴らしきものが散見される眺めでありました。(同上) 川の淀みの中にわずかに頭を見せている岩が「米かし岩」なのかもしれないが、足場が心もとないので接近しての確認はせず、遠くからの撮影で済ませました。 そして、ほどなく立木観音です。(立木観音・参道登り口) 本堂までは延々と石段を登らなければならないので、ここもパスです。(同上・説明板) 冒頭でこのコースを走るのは10年ぶりと書いたが、2014年3月11日にこれを走っているので、その折の記事も適宜貼り付けて置きますので、併せご覧ください。 前回は、自転車を肩に担ぎ、この石段を登って、本堂まで行って居りますので、下記参考記事をご参照願います。<参考>JR石山駅から曽束大橋までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(獺の祭見て来よ瀬田の奥)2014.3.12.(コース地図3・立木観音から曽束大橋、喜撰山大橋) 立木観音から南に400mほど下ると鹿跳橋。(鹿跳橋西詰)(鹿跳橋の上からの眺め) 瀬田川は鹿跳橋の下流で大きく西向きに流れを変え、県道3号も西方向に向きを変える。 西に800mほど行くと石山瀬田川浄苑という霊園の入口がある。 その付近を走っている時に、後ろからクロスバイクで走って来た外国人二人組に追い抜かれる。「コンニチワ」と言うので、「どちらから?」と尋ねると、カナダだという。カナダ人男性の二人組である。宇治まで走るのだと言う。目的地は同じであるから一緒にと言いたいところであるが、こちらは変速機のついていない小型折りたたみ自転車であるトレンクル。彼らは変速機のあるクロスバイクであるから、出せる速度に格段の違い。とてもついてはいけない。「お先にどうぞ」であります(笑)。 ところが、先に行った筈の彼らが自転車を道の両サイドに停めてスマホか何かを見ている。道が不案内な様子。大声で、次の橋、曽束大橋を渡るのだと教えつつ、彼らを追い抜いて行く。しかし、すぐに追いつかれて再び置いて行かれる。 そして、その曽束大橋を渡って、ヤカモチも対岸の道へ入る。(曽束大橋) 本日はここまでの記事とします。(つづく)
2024.03.19
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今日は、大腸の内視鏡検査の日でありました。 昨年の検診でも便潜血が認められたということでこの検査を受けたのであるが、今年も同じ健診結果であったので、内視鏡検査を受けることにしたもの。 検査日前日となる昨日からは、大腸検査食エニマクリン(3食+間食セット)のみを食し、午後8時に下剤を飲み、腸内洗浄の準備に入る。午後9時以降は絶食。 因みに、エニマクリンの内容は、朝食が鯛がゆ。昼食が和風ハンバーグ+白がゆ。間食がゼリーミール+ビスコ。夕食がコーンポタージュ。 食に関しては余り頓着しないヤカモチであるが、これには参りました。殆ど苦痛と言ってよい食事でありました。去年も同じものを食しているので、経験済みなのであるが、そのことについての記憶が曖昧になっていたので、苦痛を新たにしたという次第。 そして、検査当日の今日は、午前8時に、先ず吐き気防止などのための錠剤を飲んだ後、経口腸管洗浄剤モビレップ配合内用剤を2リットルの水に溶かして、200㏄ずつを1杯とし、これを2杯20分~30分かけてゆっくりと飲み、次にお茶または水を1杯飲む。これを1セットとして、5セットを繰り返すというもの。 これは、更なる苦行にて、吐き気を我慢しつつ朝8時過ぎから、10時過ぎまで飲み続ける。その間に何度もトイレに駆け込み排便を繰り返し、最後は殆ど色のない透明な水だけというような排泄物となったところで、飲むことを中止としました。今回のヤカモチは4セット完了時点でそのような状態となったので、最後の5セット目を残し、全部は飲み切らずに済みました。 検査に際しては眠くなる薬を点滴にて投与するので、車や自転車での来院はしないでください、というのが病院側の注意事項。昨年の検査ではこれに従い、電車で出かけたのであるが、今回は自転車(MTB)で出かけました。検査開始前の「この後、車や自転車を運転する予定はありませんね。」という医者の質問には「はい、ありません。」という虚偽の回答をしてのことでしたが、眠気やふらつき感が残るようなら、自転車を押して歩けばいいというヤカモチなりの安全対策を予定してのことでありました。 昨年がどうであったかは記憶にないのであるが、今回は、検査中もその後もずっと眠くなることも、身体がふらつくということもなく検査終了となりました。検査後1時間の病院内安静という措置もなかったので、今回は麻酔もなかったのだろうと思う。 切除されたポリープ2個についての組織検査の結果は、4月1日以降の主治医の外来診察日にお越しください、とのことであるから、それまでは何とも言えないのであるが、多分今回もガンとは認められず、異常なしということなんだろうと思う。 会計を済ませて病院を出たのは午後4時前後。 道路向かいの馴染みの喫茶店・ペリカンの家にてサンドイッチ&珈琲で今日初めての食事。 30分ほどで店を出て恩智川べりを走って、帰宅。(恩智川畔のユキヤナギ)(同上・セイヨウカラシナ) 恩智川畔にはユキヤナギとセイヨウカラシナが咲き始めていました。 上は、デジカメを家に忘れたままであったので、スマホで撮影。 セイヨウカラシナの写真は、気づかずに動画で撮影していたようなので、これを静止画にエクスポートしての掲載であるため、やや不鮮明です。 以下は、今日の写真ではありませんが、花ついでに、14日の銀輪散歩で撮影したオオイヌノフグリとタンポポの写真を掲載して置きます。 桜の開花(開花予想日23日)も間近、いよいよ春本番であります。(オオイヌノフグリ)(同上)(タンポポ)<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.18
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今日は囲碁例会の日。 囲碁例会は、毎月第1、第2水曜日(但し、祝休日の場合は休会)に開催されることになっている。会場は、梅田スカイビルの付属棟であるガーデンファイブ棟の5階にある部屋である。2012年3月までは、スカイビルのタワーイーストの21階の部屋で行っていたが、同年4月から現在の場所に部屋が移転し、以来12年間現在の部屋で活動を続けていることになる。部屋からの眺望は些か悪くなったが、囲碁をする段には「眺望」はどうでもいいので、問題はないという次第(笑)。 今日も、雨の心配はなさそうなので、愛車MTB(マウンテンバイク)で梅田スカイビルへと向かう。囲碁も楽しみであるが、自宅から梅田までの銀輪散歩もそれに劣らぬ楽しみなのである。 かつては、朝早くに家を出て、遠回りの寄り道をしたり、色々と走るコースを変えてみたりということがよくあったが、最近は最短ルートを直行直帰というが多くなっている。これも年齢による体力、気力の衰えという奴かもしれない。 今日もその直行直帰でありましたが、今日はちょっとした想定外のハプニングもありました。 最短ルートは花園公園から中央大通り経由、大阪城公園通り抜け、国道1号・2号経由、梅田ランプ西交差点から梅田スカイビルというコースになるが、今日も概ねこのコースでありました。 先週の例会の記事で紹介した大阪城公園のベニスモモの花であるが、1週間経過後の今日は更に開花が進んで、一層華やかになっていました。(ベニスモモ) ベニスモモはベニバスモモとも呼ぶようで、或る木に掛けられた名札には、「ベニバスモモ(ベニスモモ)」と書かれていました。 これをパノラマ撮影モードで撮った写真が下掲の写真です。(同上) 大阪城公園ではこの2枚を撮影したのみでノンストップ通り抜け、天満橋を渡り、少し西に入った処にある滝川公園で小休止。 藤棚下のベンチで煙草を一服して、また走り出し、大阪天満宮前から国道1号線、梅新交差点からは国道2号線となり、桜橋交差点経由、出入橋交差点から北に入り、JR線ガード下を潜った先の梅田ランプ西交差点まで来たところで、この交差点の風景を撮影しようとウェストポーチからカメラを取り出し・・ところがカメラがない。 ここで、初めて気が付いたのでした。 小休止した滝川公園のベンチにカメラを置き忘れたのでした。 ウェストポーチにはスマホ、カメラ、財布その他のものをごちゃごちゃと入れているのであるが、スマホを取り出そうとして、カメラが邪魔になったので、これを先ず取り出しベンチ脇に置き、スマホを取り出したのでありました。スマホはウェストポーチに戻したものの、脇に置いたカメラをそのままに、その場を立ち去ってしまったことに、気が付いたという訳であります。急いで引き返す。 置き忘れた状態のまま、そこにあることを願いつつ・・。 果たして、おそらく滝川公園から梅田ランプ西交差点の往復であるから30分以上の時間が経過していたかと思うが、それは置いたままの状態でヤカモチを待ってくれていました。やれやれです。 ということで、余分な往復がありましたので、梅田スカイビル到着は11時57分。今日はいつもより少しばかり早めに家を出たのに、到着はいつもより15分程度遅くなってしまったという次第。 全席喫煙可の喫茶店で昼食。 昼食後、会場の部屋へ。それでもヤカモチが一番乗り。 少し遅れて平〇氏がご来場。 同氏と対局。これは、ヤカモチの完敗。 続いて、村〇氏と対局。これは、村〇氏が終盤で大きな見落としというか勘違いがあった所為でヤカモチの勝ち。 最後に村〇氏と平〇氏が対局。 これは、終盤で大石が頓死して、平〇氏がギブアップとなり、村〇氏の中押し勝ち。(村〇氏<白>vs平〇氏<黒>戦の最終盤面図) かくして、全員が1勝1敗。今日は出席者は3名のみでした。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.03.13
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昨日(3月8日)は、朝のうちは家でゴロゴロしていたが、昼食後タバコが切れたので、タバコ屋さんへ。 喫煙という悪癖から未だ脱せずにいるヤカモチであるが、タバコの購入は近所のタバコ屋さんで2カートン(20箱)をまとめ買いするのを原則としている。で、近所の駄菓子屋さんM商店併設のタバコ屋さんへこれを買い求めに外出。 そのついでに、馴染みの喫茶店「ペリカンの家」への届け物があったので、これを届けることとする。更に、そのついでのついでに、少しばかり銀輪散歩をしてみようというもの。 さて、その届け物というのは、今回の能登半島地震とその際の火災によって甚大な被害を受けた輪島の朝市通りの復興を願って、40年前に出版されたものの復刊として、福音館書店から今月出版された「あさいち」という絵本。 若草読書会のメンバーの一人であり、長年にわたり子どもたちへの本の読み聞かせ活動をされている景郎女さんから、メンバー宛メールでこの絵本の復刊のことをお知らせくださったのがその発端。 早速、ネット注文でこれを1冊買い求め、一読後、「まちかどライブラリー」をされている喫茶店「ペリカンの家」さんにこれを寄贈しようと思いついたという次第。 ペリカンの家へは、自転車で往路は10分余、復路は15分位の距離。往路と復路との差は、自宅が坂の上にあるため、往路は下り、復路は上りということになるためである。<参考>輪島朝市通りの火災は1か所から拡大した・NHK 朝市。 ☆もも☆どんぶらこ☆の日記あさいちの 絵本とどけむ ペリカンの 家へごごいち 銀輪駆けて (輪島家持) 珈琲しつつ、ペリカンの家・店主、ももの郎女さんと暫しのお喋り。 店を出て、近隣の公園などをMTB(マウンテンバイク)で巡ったアト、最後は花園中央公園へ。(クロガネモチ) すっかり葉を落としてしまったクロガネモチの木に鈴なりの赤き実。(同上)銀輪の 道まだ寒かれ 日の射せば くろがねもちの 実の照るも見む (実家持)(本歌) この雪の 消け残る時に いざ行ゆかな 山橘やまたちばなの 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)(注)山橘=ヤブコウジ(同上) 時々、このように葉を落としてしまったクロガネモチの木を目にすることがあるが、本来は常緑広葉樹であるから、普通は下掲の写真のように葉は常にある筈のもの。これでは、ウメモドキみたいではないかと思ったりしたが(これで、実はウメモドキであったなら、とんだお笑いぐさ)、同じくクロガネモチなんだろうと思う。うめもどきの ごとにやあらむ 赤き実の 葉は落ちぶれの われくろがねもち (我家持) これはすぐ近くにあった別のクロガネモチの木。(同上) 通常はこういう姿なのがクロガネモチであるが、落葉樹のようにすっかり葉を落としてしまうクロガネモチというのは、品種が別なのか、単なる個体差なのか。 上掲写真の右奥に写っているのはサンシュユの木。(サンシュユ) 接近して撮ると・・。(同上) 昨日、3月8日は国際女性デーでありました。 この日はイタリアでは男性が女性にミモザの花束を贈る日とされているようで「ミモザの日」とされている。この習慣は、日本にも一部上陸しているようですが、まだ定着という状況ではなさそうなのは、日本男子としては有難いこと。 有難いと言えばサンキューであるから、今日3月9日は感謝の日。 まあ、これは日本でしか成立しない駄洒落であります。 その感謝の日でもあれば、イタリア男子でもないヤカモチは、ミモザの日の翌日ということで、同じ黄色のサンシュユの花の写真を掲載して感謝の意を表することとします。(東大阪市の市の木・クスノキ) 公園の桜広場の一角にあったのが、東大阪市制20周年記念植樹のクスノキの木。(同上副碑) 昭和63年(1988年)3月1日に市制20周年記念として植樹されたものであることが、この碑から見て取れる。ということは、枚岡市、河内市、布施市の三市合併により東大阪市が誕生したのは、昭和43年(1968年)3月、今から53年前ということになる。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.09
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今日は囲碁サークルの例会の日。 お天気の方が心配であったが、朝方の雨は止み、昼前後には所により一時的な雨があるものの、午後は回復に向かうという予報であったので、自転車(MTB)で出かけることとしました。 コースはいつものお決まりコース。中央大通りから大阪城公園通り抜け、土佐堀通りから天満橋を渡り、滝川公園で小休止。大阪天満宮の前を通り、国道1号線、2号線から新出入り橋交差点、梅田ランプ西交差点経由で梅田スカイビルまで、というコース。 大阪城公園の森之宮入口広場には何本かのベニスモモ(紅李)の木があり、花を咲かせていました。(ベニスモモ) 遠目にはうっすらと紅がかった色に見えるが、接近して写真に撮ると殆ど白色である。(同上・接写) 噴水広場を通り抜け、太陽の広場、大阪城ホールを右に見て、少し行ったところにあるのが桃園。 桃の花も咲き出しています。(ハナモモ)(同上・接写) モモはやはり桃色がモモらしくていいと思うのだが、スモモのような白い花のモモもある。(ハナモモ・関白) このハナモモはカンパク(関白)という品種名らしい。その旨の名札が脇に立っていました。(同上・接写) 天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 道路向かいのお寺の今日の門前の言葉はこれ。(今日の門前の言葉) 何やらヤカモチの「へぼ碁」のことを言われているような気も(笑)。 梅田スカイビル到着は11時40分頃。 昼食は、CAFFE PIAZZA DEL POPOLOという喫茶店で。 全席喫煙可という今時珍しい店であるが、愛煙家には嬉しい店。 禁煙・分煙という時代の流れに逆行していることになるが、そういう店が圧倒的に多いことから、逆にそのことで結構「はやって」いるようにも思われるから面白い。 12時15分に会場の部屋へ。 勿論、ヤカモチが一番乗りである。 待つこと20分程度。平〇氏がご来場。 彼と対局している間に、村〇氏、福麻呂氏が来られ、隣で両者が対局。 結果は、平〇氏と村〇氏が勝ち、ヤカモチと福麻呂氏が負け。 メンバーチェンジし、勝ち組同士、負け組同士で対局。 ということで、ヤカモチは福麻呂氏と対局し、平〇氏は村〇氏と対局。 2局目もヤカモチが中押しで負け。連敗である。 隣は、と見ると未だ中盤の戦い。 福麻呂氏は歯医者の予約がこの後あるとかで、早めに帰るとのことなので、平〇・村〇戦の決着を待って、再度メンバーチェンジしての対局は無理という訳で、ヤカモチともう一局打つこととする。 福麻呂氏とヤカモチは早打ちなので、勝負が早いのである。 今度は、ヤカモチの勝ち。 ヤカモチは1勝2敗。福麻呂氏も1勝2敗。 我々の2局目の勝敗が決着したのに、隣の両者は未だ終盤戦の状態。 結果は、平〇氏の半目勝ち。平〇氏2勝、村〇氏1勝1敗。 これが本日の皆さんの成績。 結局、時間切れでヤカモチは村〇氏とは対局出来ずでありました。 平〇氏とヤカモチは時間に余裕があり、煙草休憩を「全席喫煙可」の喫茶店で暫時過ごすこととする。 帰途もほぼ同様のコース取りで自宅へ。 途中、中央大通りを横枕西交差点まで来たところで、満開のミモザの木があったので、撮影。(ミモザ) ミモザの和名は銀葉アカシアであったかと記憶するが、ミゴトな咲きっぷりです。同交差点近くの横枕南公園で小休止、花園中央公園でも小休止して、帰宅は午後5時15分でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~ 花関連の過去記事は下記参照 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.06
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今日は、久しぶりに小阪教会の礼拝に出席して参りました。 というのも、小阪教会創立97周年記念礼拝という特別な礼拝であったことに加え、礼拝後の祝会で、故智麻呂氏のご息女の今日郎女さんがメンバーとなって居られるジャズ・バンドの「Small Planets」によるコンサートが予定されていたからであります。 自宅から小阪教会までは自転車で30分もあれば行ける距離なので、例によって例の如く、MTB(マウンテンバイク)で出かけることとしました。 近鉄・河内小阪駅を少し南へ行った付近で、同じく礼拝に出るべしで前を歩いて居られた槇麻呂氏と利衣郎女さんに出会い、そこからは自転車を降りて一緒に歩くこととしました。 教会到着は、9時55分。(日本基督教団小阪教会) 教会の敷地に入ると、入り口右手にこんな案内看板。(同上・創立97周年記念礼拝の案内板) 下は創立90周年の時に作成された記念ロゴのようですが、本日のプログラムや週報にこれが掲載されていました(但し、カラーではなくモノクロ)ので、同教会のホームページからカラー版のものを転載して置きます。<参考>小阪教会ホームページ(同上・創立90周年記念ロゴ) 午前10時15分。定刻となり、礼拝開始。 (同上・週報より転載) 礼拝終了後、教会でご用意くださった、ハヤシライスで昼食&珈琲タイムを取り、午後からのコンサートタイムとなる。<参考>Small Planetsホームページ バンドのメンバーの皆さんを撮影した演奏中の写真をそのままブログにアップしてもいいのかどうか迷いましたが、上記のホームページなどを拝見すると、氏名も演奏画像などもネットに公開されていますから、顔部分を隠すなどの修正を加えずに掲載しても問題ないと判断されるので、そのまま掲載させていただきます。(Small Planetsの演奏風景)(同上) (同上)(同上) (同上)(同上)(同上) 祝会終了後、凡鬼さん、槇麻呂さん、和郎女さんら若草読書会のメンバーと利衣郎女さんたちと小阪駅近くの喫茶店で暫し閑談。3時半頃に店を出て、駅前で皆さんと別れてヤカモチは家路に。午後4時過ぎの帰宅でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.03.03
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今日から3月でありますが、本日の記事は4日前のことになりますから、2月26日の記事ということになります。 この日は予約を入れて置いた整体院で施術を受けた後、1月に健診を受けた石切生喜病院へ、健診結果を受領するため立ち寄ることにしました。 肺がん検診は指摘事項なし。大腸がん検診については、便潜血が認められるので要精密検査という昨年と同じ指摘。その他については、高血圧であること(これについては、既に循環器内科で降圧剤を処方して貰い、それを服用しているので、改善しつつあります。)と血糖値が基準値をわずかばかりオーバーしていることから、「生活習慣を改善し、折をみて再検査を受けてください。脂質代謝でわずかに異常を認めますが、日常生活に支障ないと考えます。」という指摘でありました。 これは、一昨年あたりから、足底筋膜炎ではないかと思われる足裏の痛みと腰痛から長距離を歩くということが出来なくなり、運動量が減少していることが関係していると思われる。 長距離ウオークは無理でも、自転車は長距離でも大丈夫なので、銀輪散歩に精を出しますかな。 だからという訳でもありませんが、病院の向かいの馴染みの喫茶店・ペリカンの家で少し早めの昼食を済ませると、ブラブラと何処というあてもない銀輪散歩を続けることとしました。 北隣の大東市に入り、JR住道駅と鴻池新田駅との中間付近で寝屋川にぶつかり、川を渡るか川沿いを走るか迷ったが、川は渡らずに左岸沿いの道を選択することとする。しかし、これは一方通行の道で、これを逆走する形となる上、右手は寝屋川のコンクリート壁が延々と続くという、何とも楽しくない道。 そこで、鴻池新田駅の少し手前で、左手に並行して走っているJR片町線(学研都市線)の高架下を潜って、左手・南に方向転換。 そこから先は、どう走ったのか定かではないのであるが、時々、生駒山の見える方角を確認しつつ走る。 そろそろ引き返す頃合いかと東に方向転。 そんな、でたらめに走っている中で出くわしたのが宇波神社。(宇波神社) ここは、初訪問の神社だろうと、ブログネタついでにご挨拶して行くこととする。 ところが、帰宅して調べてみると、2010年4月28日の記事でこの神社のことが紹介されているのでした。 しかし、この記事では、小さな写真2枚と由来の碑文の一部の転記が紹介されているだけなので、今回撮った写真を没にするのも忍び難くありますれば(笑)、これを補足するという形で記事にすることといたします。<参考>河内街道銀輪散歩 2010.4.28.(同上・拝殿)(同上・由来などの碑) 上の石碑の碑文については、前記<参考>記事に転記した文章が掲載されていますので、それをご参照ください。画像をクリックしていただいて、フォト蔵に収録の大きいサイズの写真でご覧いただき、石碑から直接これを読み取ることも勿論可能です。 それによると、元々は、宇婆神社と称していたようだから「ウバ」神社と発音していたと推測される。「宇婆」は仮名表記だと、濁点が省略されて「うは」と表記されることも多いから、「ウハ」から「宇波」となり、発音も「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 或いは、「婆」の「女」が省略され、「宇波」となった結果、「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 「宇婆」から「宇波」に社号が改称されたのは、明治8年(1875年)4月28日のことで、今から149年前のことに過ぎないから、地元出身の方のブログ記事でも子どもの頃「ウバ神社」と呼んでいたと記されているように、今でも「ウバ神社」と発音する人がいるようにも思われる。 「宇婆」からは「優婆夷、優婆塞」という仏教の在家信者を表す言葉やバラモン教の聖典・ヴェーダの最終章「ウパニシャッド」とこれに基づく「ウパニシャッド哲学」なども連想したりできるが、関係はないのだろう。 尤も、ウパニシャッドの語源は「近くに坐す」という意味らしいから、村の鎮守の神様には相応しい名称と言えるかも(笑)。<参考>在家・Wikipedia ウパニシャッド・Wikipedia(同上・宇波神社の秋祭りの碑) 碑の全文を転記すると下記の通りです。宇波神社の祭神は埴安姫命(はにやすひめのみこと)で字(あざ)瓦(かわら)口(ぐち)に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば、従三位を授けられています。(大阪府全誌)神社の周辺は、まわりより少し高くなった所で、古代は水辺であったようで、この付近を白肩(しらかた)の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で「シカタ」という処があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では、宇波神社に見られる郷土芸能として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願って祓って歩くのです。平成13年9月東大阪市 境内の石碑によると、秋祭りは毎年10月16日のようだから、覚えていたら、今年の秋には祭りを見に再訪してみるか。(同上・神武天皇遙拝所) 境内には神武天皇遙拝所があるが、西向きに遙拝する位置にそれがあるので、橿原神宮の方向(南東方向)ではなく、日向の方向を意識したものかもしれない。(同上・道路向かいに建立された新しい社殿) 拝殿を背に鳥居の前から南方向を見やると、鳥居前の東西道と鳥居正面を南方向に伸びている南北道とが鳥居の前でT字交差している。この南北道はこの宇波神社の参道ということになるのだろう。 この参道の起点の左手(東側)には、拝殿・本殿のある境内地と東西道を挟んで向き合う形で、まだ新しい社殿が建立されている。 では、この参道を南(奥)へと下って参りましょう。(おかげ灯籠) 南へ100mほど下ったところにあったのが、おかげ灯籠。(おかげ灯籠と河内街道の碑) 上掲写真の説明碑文の全文は下記の通りです。伊勢神宮の遷宮(神殿の建替)の行われる年は「おかげ年」といわれ、この年に参宮すると、平年より一層のご利益があるということから、集団となって伊勢神宮参詣が行われました。江戸時代の後半の明和8年(1771)には、200万人以上の参詣があったと記録されています。宝永2年(1705)、文政13年(1830)のおかげ参りも大規模なものでした。文政十三年庚寅の年号のあるこの燈籠も、おかげ参りをした加納の人たちが、記念して常夜燈として建てたものです。この前の道は、宇波神社の参道で、河内街道に先立つ古い道でもあります。西方を南北に通る河内街道は、大正11年(1922)刊行の「大阪府全誌」に、当時の主たる街道の一つとして、枚方市伊加賀で国道1号線(京街道)から寝屋川、四條畷、大東、東大阪市を経て、JR関西線八尾駅までの道としてのせられています。江戸時代の古図には、“河内街道”という名称はありませんが、伊加賀から河内平野の中央部を南北に通り、旧村各地を結ぶ古い道として、大切な役割を果たしていました。平成5年1月東大阪市 更に100mほど行くと、吉野神社跡地という碑がありました。 宇波神社の由来などを記した石碑に、「末社には吉野神社、水分神社を有す」とあるから、この付近一帯までが宇波神社の境内地であったのかもしれない。(吉野神社跡地の碑) 裏面を見ると平成2年2月の建立とあるから、1990年の建立。 34年前であるから、未だ新しい。 道路向かいの宇波神社の新しい社殿の建立の祭にこの碑も建立されたのかもしれない。だとすれば、宇波神社新社殿の建立も1990年2月ということになるが、この点は未確認であります。(同上・裏面)(宇波神社などの位置図) 参考までに宇波神社などの位置図を示して置きました。 緩衝緑地公園を経て、中央大通りから、花園中央公園へ。(花園中央公園のモミジバフウ) 花園中央公園のモミジバフウはすっかり葉を落とした中、点々と実が沢山なっていて、地面にも落下した実があちこちに。(同上) 上の写真では、鳥の巣らしきものがあったことが見て取れます。 以上で、銀輪散歩終了、帰宅であります。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.03.01
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