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先日(4月20日)のブログでご紹介した「S--塾」の万葉ウォーキングで、大学同窓の先輩、後輩諸氏と一緒に、平城京公園~平城天皇陵~磐媛陵~法華寺~佐保川畔万葉歌碑~聖武天皇・光明皇后陵を歩いて来ました。今日は全国的に晴天の好天気でありましたが、各地で真夏日になるなど、随分と暑い日となりました。参加者には80才を超えるご高齢の方もおられましたが、皆さん元気に歩かれました。立派なものです。 今回のウォーキングは講師役を仰せつかった小生が選定したコースにて、高齢者でも歩けるようにと平坦なコースにし、距離も11~2km程度のものにしましたが、気温が予想を上回るものとなったのは、想定外のことでした。朝10時に近鉄西大寺駅を出発し、磐媛陵の近くでお弁当タイムと講義タイム(万葉集第2巻冒頭の磐媛の歌4首は、ちゃんと犬養節で皆で朗誦しましたよ)、法華寺近くの喫茶店で休憩タイムを取るなどしつつ、のんびり、ゆっくりペースで歩いたので、ゴールの奈良駅到着は午後4時半を過ぎていました。小生の想定したゴールタイム午後3時からは約90分遅れとなりましたが、まずまずのいい時間の到着でした。参加者の皆さんも楽しんで戴けたようにて、まあ、成功であったのではないかと思っています(笑)。 近鉄奈良駅前で解散した後、世話役のM氏と同期のK君との3人で喫茶店に入り、今年初めてのかき氷を食べました。まあ、それ程に暑かったということです。ご参加戴いた皆さん、どうもお疲れ様でした。(平城京公園、大極殿址付近に咲き群れていた花、タチカタバミか?)(法華寺に向かう途中。後方建物は法華寺郵便局。参加者の中の最長老M大先輩です。頑張って居られます。)(万葉歌碑<法華寺境内にある。>)上の歌碑の歌は山部赤人が藤原家(法華寺は藤原不比等の屋敷のあった場所)の山池を詠んだもので、万葉集には次のように出ている。 山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠める歌一首いにしへの ふるき堤は 年深み 池のなぎさに 水草(みくさ)生(お)ひにけり (巻3-378 山部赤人)(佐保川畔)関連記事:4月20日「磐媛皇后と光明皇后」 5月 3日「奈良青葉散歩」
2009.05.10
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今日は、小生が元勤務していた会社で支店長をしていて、今は独立して会社経営をしているK氏が相談したいことがあると言うので、その相談に乗るべく、これまた自転車で、銀輪散歩を兼ねて、待ち合わせ場所の上本町のシェラトン都ホテルまで行って来た。 出がけに、大学の先輩のM氏から電話があり、友人のT氏からは、久しぶりに一緒に飯でも食わないかとの誘いのメール。3人も懐かしい人とのコンタクトが重なるというのも面白いことである。 自宅から上本町までは1時間弱、丁度よい運動である。帰途にいつもの通り、花園中央公園に立ち寄ると、ハナミズキが白い花を咲かせていた。この花が咲くともう初夏という気分になるのであるが、今年はやはりどの花も例年より開花が早いように思われますな。ハナミズキの上の写真が今ひとつなので、本日(18日)朝、もう一度写真を撮って来ました。追補して置きます。(4月19日追加)
2009.04.17
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今日は母校の卒業式。全学の卒業式の後、各学部に分かれての学位授与式があり、法学部同窓会長としての祝辞を述べるため、学位授与式に出席。その後の卒業記念パーティーは、我々同窓会主催、学生たちの企画運営という方式でやるので、これにも出席。今月末日に任期満了で会長職を退任するので、これが会長としての最後のお勤めでありました。やれやれです(笑)。 祝辞は大したことも話せないので、最後に、例によって、自作の万葉調の和歌を「犬養節」で朗誦してお祝いとした。後のパーティーの時に、学生から、「みんな決まり切った形の祝辞が多いので、万葉の話と歌は意外で、新鮮で、印象的でした。」と好意的な言葉を戴き、嬉しく思いました。 前会長他に無理矢理に引受けさせられた会長職であったが、まあ、いい経験をさせて戴いたものだと、今は思っています(笑)。いざ出でな 道の幸(さ)きけと 桜花 今し咲くらむ 待兼の山 (偐家持)(卒業記念パーティー) お陰でWBC決勝戦最後までは見れなかったが、夜のニュースなどでたっぷりと見させて戴きました(笑)。サムライ日本(ジャパン)、おめでとう!
2009.03.24
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もう10日位前のことになるが、友人の蝶麻呂氏が蝶と遊びに八重山諸島に出かけ、旅先から蝶の写真を送って来てくれていたので、紹介して置きます。彼とは1月に山登りを一緒にして以来ご無沙汰している。(八重山の海)(ヤエヤマカラスアゲハ)<写真提供:虫養蝶麻呂氏>
2009.03.23
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本日は大学の同窓会の新会長副会長懇親会ということで、前会長も参加せよとの新会長の仰せに従い、参加すべく、梅田まで出かけた。4月1日からお世話いただく新しい役員の方々と楽しい会食のひと時を過ごさせて戴いた。 出がけに、拙宅から駅への道の辺にあるM邸の庭のハクモクレンが見事に咲いていたので、写真に撮りました。「大和はまほろば」氏のブログでハクモクレンが紹介されていたのと、カマトポチ氏のブログで美しいピンクのモクレンが紹介されていたことに触発されての、小生の一枚、という訳である。輝く白さが写真ではうまく出ていませんので、失敗作ですな。(白木蓮) 懇親会の会場へと向かう途中、中之島公園を通ったので、公会堂なども写真に撮ってみました。今回も「人が写ってない」、とnanasuguさんに言われそうですが。(水晶橋)(中之島公会堂)
2009.03.19
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去る10日義弟(妹の夫)が急逝した。49歳の早過ぎる死。どうしてこのようなことに・・。悲しく、辛く、悔しい。逝きし弟のことも心痛く悲しいことであるが、我が妹や姪たち他の遺された肉親の心根を思いやると、更にも心ふたぎ、悲しく、辛く、一層胸が痛む。 そんな次第にて、お通夜、葬儀とバタバタと心落ち着かずして、ブログを更新する気にもならなかった。ようやく葬儀も終り、一段落したので、義弟の死を傷む意味でも、茲に追悼の歌を掲載して置くこととします。 弟よ、安らかに眠れ。君の優しい笑顔、眼差し、立ち居振る舞いなど、あれやこれやを、私たちは忘れない。合掌。君が思ひ 生駒高嶺に 立ちなびく 雲とし見れど 知るすべのなき桜花 咲くをし待たず 逝く背子の 思ひかなしき 春日は照れり妻や子の 嘆き悲しみ 何とかも 知りてか君の 逝くが恨めし高々に 渡れる月の いや冴えて 背子の逝きぬる 春の夜は更け我妹子に 泣けよと言ひて 肩むだき すべも知らなく この身の悔し我妹らの 思ひ泪の 悲しかり などて君はも 言ふも虚しき高々に 昇りゆくらし 我背子の ひとすじ白き 雲立ちゆけば春雨の しくしく降るに しくしくと 心ぞ痛き しくしく悲し別れ花 叫び泣きぬる 声いかに 君聴くらむや いでましの時我背子と 今し別れの 時の雨 煙れば見えず 山も泣くらし
2009.03.13
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今日はブログアップをしないつもりでいましたが、「カコちゃん08」さんという方が、ご自分の絵と偐家持の和歌とで素敵な作品をお作り下さり、これをブログにて公開して下さいました。先ほどこのことに気がつきましたので、これを皆さまにご紹介させていただきます。カコちゃん08さん、どうも有難う。彼女のブログは下記からご訪問下さい。 カコちゃんのartist気分ー京8150の日記 下記は彼女がコラボレーションして下さった作品です。彼女のご了解は得ていませんが、一方的に通知だけして、まあ、ご了承いただけるものと信じて、彼女のブログから転載します。天使らの 踊りなるらし 春の花 火の色に咲き 風にぞ光る (偐家持)
2009.02.24
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銀輪散歩から帰宅したら友人の大嶽氏から郵便物が届いていました。開封すると、この1月25日に発表された、彼の最新の作品集No.7「花月」のCDであった。彼からの嬉しい春のプレゼントであった。大嶽氏は高校の頃からの友人であり、若草読書会の仲間の一人でもあるが、箏曲家として活躍されている。(大嶽和久作品CD) 収録されている曲は「花月」、「天河」、「飛鳥」、「風韻詩抄」、「飛翔」、「熊野讃景」の6曲。これらについて、的確な評をする能力も資格もありませんが、いずれも心に響く、素敵な曲なので、興味のある方は是非一度聴いてみて下さい。これらの曲についての彼のブログ(「音楽の輪・和・話」)での紹介記事を、参考までに、以下に転載して置きます。 自作のニューアルバムが予定通り1月25日に発売されました。日程的にはかなりタイトなスケジュールで少し心配していたのですが、何とか間に合いまずまずの好発進で一安心していいるところです。 今回のCDはお勧めの自作曲を集め、好評を頂いた前回の作品集No.6「飛天」に劣らない仕上がりとなっています。 1曲目はCDのタイトルにあります「花月」。この曲は高尚な遊興を意味する「花月」を箏・尺八で表すべく、日本情緒な曲調の中で遊びの要素を盛り込んだ曲に仕上がっています。三橋貴風氏の尺八も絶妙で是非お聴き頂きたい1曲でもあります。 2曲目の「天河」は三絃と十七絃の二重奏曲。中野幹子氏の委嘱により自分としては初めての編成で、三絃は少し難しいですがリズムのある面白い仕上がりになっています。 3曲目は「飛鳥」。この「飛鳥」は1994年の作で、かねてから音源に残したく思っていたのですが、今回やっとCD化することが出来ました。エスニックな旋律をもち不思議な雰囲気の漂う曲ですが、箏・十七絃・尺八ともにかなり難しく、アンサンブルというよりは3者のバトルが楽しめる曲でもあります。 4曲目はメインタイトルにしようかと迷った「風韻詩抄」。三絃・箏・十七絃の三重奏曲で、それぞれが楽器の持つ特性を生かしつつメロディーを表現し、アンサンブルも楽しめるといった何重にも楽しめる曲で、お気に入りの1曲です。 5曲目の「飛翔」は十七絃の独奏曲。我がパ^トナーから長年にわたりリクエストを受け、それに答えて書いた曲で、初演は私が演奏したのですが今回は本来弾くべく彼女が演奏しています。 最後の「熊野讃景」は友人の長谷川槇雄氏の勧めで書いたのですが、この曲を書くにあたり彼に熊野を案内していただいて、熊野の情景が目の当たりに浮かぶ描写音楽に仕上がっています。 このCD是非一度お聴き下さい。参考 大嶽和久氏のホームページ
2009.02.13
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本日は中国人留学生の I さんとの対談でした。母校の大学の法学部に留学して来ている学生に対し、同窓会で毎年1名に奨学金を出しているのであるが、その学生さんとの対談である。これも同窓会長としての職務の一つなのである。対談記事を同窓会報に掲載して、奨学金留学生を会員に紹介するための恒例の企画となっている。 今回の留学生は、昨年に続き中国からの女子学生となったが、上海からの留学生の I さんである。 I さんは、父親が日本人と一緒に会社を経営されていて、小さい頃から日本人と接触もあり、日本に親しみを覚える環境で成長され、大きくなったら日本へ行ってみたいと常々思っておられた由。法学部だから、法律の勉強をされているのは当然として、語学にも興味があるらしく、朝鮮語、フランス語も勉強中とか。日本語はもう流暢なものであるから、いずれは何ヶ国語もペラペラ話されることになるのかも。 いずれは、日本と中国との交流に役に立てるような仕事をしたいとのことであるが、それが民間レベルのものであれ、政府間レベルのものであれ、大いに頑張って、ご活躍戴きたいものである。 何事にも前向きな、明るく聡明な清々しいお嬢さんだ。対談内容の著作権は、同窓会にあるので、小生のブログでこれを先取りしては法的にも問題があるので(笑)、ここでは割愛します。 日中両国は、時として、歴史認識や教科書問題・靖国参拝問題などで、政治的にギクシャクすることもあるが、両国が友好な関係にあることが、両国にとってのみならず、近隣アジア諸国にとっても望ましいことであるのは、言うまでもないことであるだろう。 I さんのような存在を通して、相互の理解と信頼がより確かなものとなることを期待したいものです。北京にも同窓会支部を立ち上げようという動きが我が母校法学部卒業の留学生の間で生まれつつあるが、大変いいことだと思う。 対談の会場は大阪市北区の料亭「芝苑」。対談後は懐石料理の昼食で、同席の事務局長のA氏、副会長のK氏、N氏も交えての楽しい雑談のひと時を過ごすことができました。(「芝苑」) 季節柄、料理の器はすべて、梅の花があしらわれていて、料理とともに春を心ゆくまで楽しませていただきました。 梅の花も中国から日本に入って来たものであり、万葉の頃、貴族達が屋敷の庭に植えたりして楽しんだことが最初のようであるが、本日は大伴家持の父、大伴旅人が太宰の帥であった頃(天平2年<730年>正月13日)に太宰府で開いた「梅花の宴」の際の歌から2~3首を紹介しておきましょう。 今日は旧暦では1月15日だから、この宴は、今から1279年前の一昨日に開かれたということになる。春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日(はるひ)暮らさむ(山上憶良、巻5-818)わが苑に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも(大伴旅人、巻5-822)梅の花 いまさかりなり 百鳥(ももとり)の 声の恋(こほ)しき 春来たるらし(田氏肥人、巻5-834)(帰宅途中の道の辺にて)
2009.02.09
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今日は夕刻から母校の大学の法学部の海外からの留学生の懇親パーティーに招かれ、出席して来ました。 我が法学部同窓会が留学生奨学金制度を設けて、奨学金をささやかながら贈呈していることもあってのご招待で、A事務局長、S副会長、K副会長らと共に出席、楽しいひと時を過ごさせて戴きました。 我々が在学の頃は、海外からの留学生は法学部にはいなかったと思うが、今は大学院まで含めて、法学部関係だけでも80数名もの留学生が在学しているとのこと。中国、韓国、モンゴル、ベトナム、ミャンマー、タイ、アメリカ、ルーマニア、キルギス、ブラジルなどなど世界各国から、国費・私費の留学生が来ているよう。全学では千五百数十名にも上るとのことである。 このようにして国際交流が自然体で広がり、彼らが日本へのよき理解者となって、母国に帰り、帰国した後も日本のことをよく思ってくれ、親日家としてそれなりの役割を果してくれたなら、それは大変素晴らしいことであります。頑張れ、留学生諸君。 同窓会長としてのスピーチを頼まれましたので、 ”I’m sorry I cannot speak English。” とノーベル物理学賞受賞の益川先生のまねをさせていただき、スピーチを始め、最後は、彼らにも「日本の和歌などの伝統文化にも触れて、日本を、日本人をより深く理解して欲しい」というようなことで、道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」という和歌を、我が敬愛する犬養孝先生の「犬養節」で朗誦してみました。 さて、どれだけの人が理解できたかは??です(笑)。 まあ、この歌は、川端康成がノーベル文学賞を受賞した際の記念講演で引用した歌として、一時期有名になった歌であるが、日本時間の今朝ノーベル賞授賞式が行われたということでもあったので、関連付けて小生も「二番煎じ」ながら、引用させて戴いたという次第。 少し早くに会場に着いたので、校内を散策。クヌギが夕映えで美しく紅葉していました。 最後は教授のうちのお二人がサンタクロースに扮して登場。クリスマスプレゼントという楽しい趣向も。
2008.12.11
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本日は午後から「囲碁の会」。H氏と2局、AO氏と1局して3戦全敗。今日はちょっとよく見えてなくて、ケアレスミスが続きました。まだまだですな。 夕刻は「下戸の会」の忘年会。元の会社の仲間(現役もOBもいる。)との久しぶりの再会であった。小生は本当の下戸であるが、多くは何故か「呑んべえ」である。愉快なひと時を過ごしました。(下戸の会) もう終わりかけの頃にて、テーブルにはご馳走がありません。もっと早くに撮影すべきでしたな。店は梅田OSビル17階の「ごだいご」でした。よしもあしも もみたひにけり 年の暮 酒はどちとし 呑むべかりけれ (偐家持) 参加者は、SE氏、SI氏、U氏、H氏、I氏、Y氏、M氏、T氏、N氏に小生の10名。幹事のY氏、I氏ご苦労さま、ありがとうございました。
2008.12.10
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夕刻の自転車散歩から帰宅して我がブログを開くと、友人オガクニマン氏から、小生の昨日の夕空の「ニッコリマーク」を、西はりま天文台公園が発表しているよ、との書き込みがありました。 早速同天文台公園のホームページを検索してアクセスしてみると、そのとおりでした。以下のような綺麗な写真も掲載されていたので、ご紹介しておきます。(西はりま天文台公園が撮影、発表しているニッコリマークの写真) 同天文台公園のホームページ記事全文は下記の通りです。<2008年12月 1日> 夕空ににっこりマーク出現現在、宵の明星として日没後に見られる金星は日に日に高度を上げ、都会でも簡単に見つけることができます。本日12月1日はこの金星が木星と最接近し、さらに細い月もたまたま近くにあるため、金星と木星が「目」、月が「口」のにっこりマークのように見えました。 ちなみに明日は月が「おでこ」の位置にくるため、にっこりマークは今日一日だけの現象でした。 <写真>にっこりマークのように見える木星、金星、月の接近。右上が木星、左中央が金星、下が月です。飯塚 亮 研究員、前野 将太 研究員 撮影西はりま天文台公園ホームページはここをクリックしてください。
2008.12.02
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本日は大学同窓会東京支部の総会ということで、久しぶりに東京にやって来た。同窓会の会長なんぞという野暮な役回りで、挨拶するための東京出張という訳である。総会後は講演会と懇親会。講演会と懇親会は経済学部と我が法学部との合同による催しということで、100名弱の参加者があった。(懇親会の風景) 午後6時開会ということで、少し時間に余裕があったので、JR信濃町駅で下車して、神宮外苑の銀杏並木の紅葉(いや、これこそ「黄葉」と書くべきか)を楽しんで来ました。(神宮外苑銀杏並木) 今夜は東京泊り、明日は柴又を散策して来ます。 次回、30日の読書会で「フーテンの寅さん」を取り上げることとなっているので、ちょっとあの辺りを歩いてみようという、他愛もない思いつきではあるのだが・・(笑)。
2008.11.21
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寡黙なる 友が差し出す 割石榴これは俳句をやる友人の、凡鬼さんの句である。 実が熟して割れた石榴は俳句では「笑い」を表象するものとして使われるらしいが、この句はそれを意識して「寡黙」と「笑い」をそっと並べたものであるとのこと。時々我々友人間の若草メールで送っていただく凡鬼作の俳句は楽しみなものの一つである。 ザクロの実が色付き始める季節となりました。割れて実が笑い出すのはもう少し先のことです。銀輪散歩の途次、ザクロはないかと探したら、あるものですな。たわわに実をつけた石榴の木を見つけました。 笑い顔は追ってお見せすることとして、本日は「寡黙」なるご尊顔をご紹介申し上げまする(笑)。 昨夜は中秋の名月よく見えてご同慶の至りでございましたが、へそ曲がりの兼好はんは「花は盛りを、月は隈なきをのみ見るものかは」と言うたはりますな。 よって、本日の十六夜の月をこそ見るべきと思えども、今夜は雨のようにて、雲居の月となりそうですな。十六夜(いざよひ)の 月待つ宵の 草の花 咲きても雨の 降るといふらむ (偐家持) 若草読書会の友人から、メールあり、名月を眺めていたら、亡き母のことや小生の作りし和歌など思い出された、とのこと。偐家持のその歌とは、天の海 月の船ゆく 秋の夜は 母もや乗らむ 光さやけしであるが、彼女のお母上のご逝去を傷み、小生が詠んだ歌のようでもありました。古の人も月を眺めつつ亡き人のことを偲んだことであるか。 先日、小生がサラリーマン現役時代の頃の元上司で、元社長でもあったO氏が亡くなられたが、そんなことも思いつつ、合掌です。
2008.09.15
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今日は9月9日、重陽の節句(菊の節句)である。長生の効能があるという菊花酒を飲んで長寿を願うという節句であるが、桃の節句や端午の節句、七夕などに比べると格段に影が薄い。絶滅危惧種の節句である。 もっとも、本来旧暦(太陰暦)での話だから、旧暦では今年は9月29日が9月1日。従って10月7日が旧暦の9月9日、重陽の節句である。約一か月後だから、菊の花とも季節的に合い、菊の節句というのも肯ける。 重陽の節句の我が国での最初は天武天皇十四年のこととされている。日本書紀天武紀十四年九月の条に、「九月(ながつき)の甲辰(きのえたつ)の朔(ついたち)壬子(みづのえねのひ)に、天皇、旧宮(ふるみや)の安殿(あんどの)の庭(おほば)に宴(とよのあかりきこしめ)す。」とあるからである。 ところが、天武天皇は朱鳥元年九月九日に没するので、この日は忌日とされ、宮中での宴は行われなくなったらしい。 天皇が天武系から天智系に変ったこともあってか、平安時代初期(嵯峨天皇)に重陽の宴の記事が見えるようになるとのこと。 さて、重陽の節句の今日は大学の同窓会の幹事会の日にて、その後の懇親会では、ビヤホールにて、菊酒ならぬ麦酒でのEin Prosit(乾杯)でありました。 友人の話であるが、盃の酒に月影を映しそれを飲み干すと長寿になるという話があるらしい。新暦の重陽は、菊の花ではなく、月を酒に浮かべて飲むべかりける、ですかな。(注)上の月の酒の話の根拠が何であるかは知らないが、こんなことが元になっているのかも。月ではウサギが臼をついているが、あれは中国では、餅ではなく、仙丹という不死の薬をひいているとされている。また、月の神様・月讀尊は飲むと若返るという変若水(おちみず)を持っていると言われている。(以上、10日夜11時追加)
2008.09.09
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知人のN氏が参加している「知恵の会」なるものがある。 龍谷大学の先生方が中心になっての歴史と文学に関する有志の集まりとのことだが、今般、この会が「京の歴史・文学を歩く」という本を出版された。 2006年の「京都学の企て」に続く第二弾の出版らしいが、枕草子、源氏物語、方丈記、平家物語、太平記などの文学作品を踏まえて、ちょっと面白い切り口で、京都の色んな場所を紹介している。読んでいるうちに、本のタイトルの通り、京都を歩いてみたくなる本だ。 N氏も執筆されていて、同氏からこの本の出版のことを知ったのであるが、買い求めて読むことにした。 なかなか面白い。小生も読み始めたばかりですが、京都がお好きなお方には、お勧めの本ですな、これは。「京の歴史・文学を歩く」(知恵の会代表 糸井通浩編 勉誠出版 定価本体2300円)
2008.08.20
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昨日、散歩で蝉の脱殻を見つけた。 羽化した蝉の形見。 今朝早くに我が歌集にご訪問戴いたcream38様のブログを拝見すると、蝉の脱け殻の写真が掲載されていた。 実は小生もその写真を撮り、ブログに載せようとしていたのであるが、ちょっとバタバタしていてそのままになっていたという次第。遅ればせながら小生の空蝉もブログ・アップします。 蝉の「ぬけがら」を「空蝉(うつせみ)」というが、「うつせみ」というのは元々は「この世の人」という意味で「現し臣(うつしおみ)」からきているとのこと。 「現身」とも書くが「身」は後世の当て字らしい。また「空蝉」も平安時代以降の当て字らしい。平安時代のこの「空蝉」から、蝉や蝉の脱殻を「空蝉(うつせみ)」というようになったのである。 現身で思い浮かぶ万葉歌はこれ。うつそみの 人なる吾(われ)や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 兄弟(いろせ)とわが見む(巻2-165 大来皇女) 確かに、「うつしおみ」から「うつそみ」となったことが納得される。 これに「空蝉」を当てたから「うつせみ」になったんでしょうな。 偐家持も一首(これはcream38さんのブログの「空蝉」の写真を見て、そのブログへの書き込みとして、作った歌であるから、ここでの「空蝉」に使うのはカンニングみたいな気もするが、自作の歌にてあれば、まあよろしかろう。)空蝉の ひとつありけり 夏の風 吹きゆく命の 跡や眺めむ さて、話は変わるが、智麻呂様ご夫妻から絵手紙が届いた。 桃が二個描かれていた。 先日訪問させて戴いた時に、お土産にと桃を頂戴し、美味しくいただいたのであるが、今度は絵になってやって来た。口だけでなく、目も美味しくなるなあ。
2008.07.17
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本日は母校の大学法学部同窓会の総会。小生が会長をお引き受けして二回目の総会である。任期は二年で、来年の3月までは会長の職務は続くこととなるが、総会が終わったということでまずは大きな山を越えたことになる。来年の総会は新会長のもとでということだから、まずはヤレヤレである。 本日は鷲田総長にご講演いただけたのが何と言っても嬉しきことでありました。講演の演題は「待つということの意味」である。 「待つ」という受動的な行為の持つ重要さを、その行為の意味、在り方を深く見つめ直すことにより、再評価しようというもの。現代の社会が、前のめりの姿勢の社会になり、待つことをしない社会、待たなくてよい、或いは待つことのできない社会になっているが、これは今の社会の評価基準がすべて「達成度評価基準」になっているせいであるとし、創造的な営みや生命の営みとかかわる分野とか、教育などの分野にあっては、この評価基準では測れないとする。そのことをよく自覚することが大事である。など、なかなか刺激的で面白いお話であった。 既に先生の著書「待つということ」(角川選書)において、まとめられているので、興味ある方はご一読下さい。偐ヤカモチ、懇親会の中締めにて、詠める歌一首小百合花 後(ゆり)も逢はむと 花咲きて 夏の宴も 今し開かむ
2008.07.05
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本日は小生の大学の法学部同窓会にて運営しているS****塾というのが夕刻からあった。 これは同窓生の有志が集まり、その中の一人が講師となってテーマ自由にて発表戴き、懇談するというものであるが、今回は学部は異なり工学部の卒業生なのであるが、古典文学や和歌に造詣が深く、この2月に小生が知己を得た、N氏に講師をお願いして、お話戴くこととした。 テーマは―「大和魂」千年紀―であった。「大和魂」という言葉は源氏物語に初めて出て来るらしいが、源氏物語千年紀とされ、紫式部・源氏物語に関心が高まっている今年ということで、これに因み、紫式部が使った「大和魂」の意味を理解し、この千年に渡ってこの言葉がどのように変遷してきたかを眺めようというもの。 紫式部を始めとする平安期の人々は大陸から遣唐使などを通じて流入して来る大陸唐文化に対して「大和魂」を使い、それは「漢才に対する実務的な、あるいは実生活上の才知、能力」とでも言うべきものであり、「漢詩文」の才に対する「大和歌」(和歌)の心というようなものであった。 源氏物語・乙女の巻「・・なお、才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましひ)の、世に用ひらるる方も、強う侍らめ。・・」 (日本魂<やまとだましい>をいかに活かせて使うかは、学問の根底があってできることと存じます。)<与謝野晶子全訳「源氏物語上巻」角川文庫・昭和63年> 江戸時代末期になって、吉田松陰始め幕末の人々は、西欧文化に対して「大和魂」を用い、国学と尊王攘夷運動を展開し、太平洋戦争敗戦前の人々は、欧米文化に対して「大和魂」を用い、軍国主義と天皇神聖化を煽動した。いずれも外来文化の流入や何らかの危機の中で日本人としてのアイデンティティーが揺らぎ、曖昧になりかかって来た時に、日本人とは何か、我々の伝統、固有の文化とは何か、という形で、自らの文化を再認識し、差別化することによって、そのアイデンティティーを「大和魂」に求めたのである。 このようなN氏の指摘は極めて刺激的で、興味深く、今まで余り「大和魂」なんかについて考えることもなかったというか、何やら胡散臭いものという感じで思考から遠ざけて来た気もする小生であったが、今日は言わば初めて「大和魂」という言葉に向き合い、考えさせられたのでありました。講話の後の参加者との質疑応答や懇談も楽しいものになった。 民族としてのアイデンティティーが危機に瀕した時に、それを取り戻そうとするのは、それ自体は極めて自然なことであり、必然的な現象であるだろう。しかし、それは冷静な判断と健全なバランス感覚の中でなされるべき民族としての内省であるべきで、具体的な内容を伴ったものでなくてはならない。 戦前の軍国主義の圧力の高まる中で喧伝された「大和魂」は、気分的、教条的、抽象的で、中身のないもので、排外的、独善的で、ひたすら国家のために国民が犠牲となることを正当化するための仕掛けとしての、ヒステリックな「大和魂」であったように思う。 これは「大和魂」という言葉にとっての不幸であったのだ(紫式部もびっくり?)。それとも「魂」という言葉そのものが、そういう危険性を内在させている、日本人独特の言葉であるのだろうか。「大和魂」がいかなるものであれ、個人個人がしっかりと自らの経験とか考え方に基づいた自分の「魂」、自立した「魂」を持つということが大切なんだろう。それが結果として、脈々として受け継がれて来た日本の文化に根ざしたもの、民族の文化のDNAと繋がっているということであるべきで、個々の文化や伝統やらを捨象した抽象的な「大和魂」が声高に、政治的に叫ばれるようなことは、やはりご免蒙りたいものである。 近頃は音楽バンドのグループの名前とか、スウェットパンツの名前とかにも「大和魂」が使われているとか。こういう少しずらせた使い方は精神の健康を表すものと言うべきで、悪くないことだ。あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にも 大和魂 咲きてあるかも??
2008.06.10
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今日は先般役員を退任されたH氏の慰労会ということで、小生にもお声を掛けて戴き、参加。親しい仲間うちの飲み会であった。S氏、YN氏、YM氏、O氏、TD氏、TN氏とH氏そして小生の計8名による楽しい夕食会であった。 H氏は懐が深く、誰からも好かれるお人柄、豪傑と「やんちゃ小僧」が同居しているみたいな方である。長い間のお勤め御苦労さまでした。 参加者はすべて、小生の現役時代になにがしかの形で共に仕事をさせていただいた、気の置けない仲間、先輩であるから、下戸のヤカモチ君も酒席であっても、楽しい、心地よいひと時を満喫したのであった。 H氏が会社から身を引いたことをとらまえて、「まずは、出所おめでとうございます。」というのが、乾杯の言葉であったことからも、この会の雰囲気がいかなるものであったかが、ご理解いただけると思うが、会社のことや、趣味のことや、健康のことや、それぞれの近況や、誰それの消息などから、始まって話題は尽きないのであった。会社という組織の中では、上下関係や立場、役割などから、本人の気持ちとは異なることも言い合わねばならないこともあるが、そういったしがらみを離れての付き合いというのは、本当にいいものである。学生時代の友人たちとの交流にも似た雰囲気が醸し出されて来るようでもあったのは、それぞれが人間として互いを尊敬し、認め合っているからであるだろう。 今後ますますのH氏のご健勝を心よりお祈り申し上げるものである。そして、このような友人としての輪がいつまでも続くこと、そして、これらの素晴らしい友人、先輩諸氏がいつまでもお元気でいらっしゃることを心から願うものである。 会の始まった頃に、最近知己を得たN氏から、紫香楽宮跡遺跡から出土した万葉歌の記載された木簡の特別見学と、近辺の散策のお誘いのメールが入って喜んだが、お誘いの日が、生憎と他の予定と重なっていて参加できず、お断りする羽目に。残念無念である。
2008.05.23
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元部下のH君からメールあり、「4日午後2時59分、無事長男誕生しました。母子ともに元気です。」との報告。彼の喜びの顔が目に浮かぶ、嬉しい知らせである。本当におめでとう。よかったね。今日友人と自分の子供が生まれた時の感慨を話していたものだから、その偶然にも、何やら不思議な思いがする。誕生の4日は、24節気の第5番目、春分から15日目の、清明の日であった。この日は空気が清く澄み、明るい光が満ち溢れる日とされる。まさに春の喜びに満ち満ちる日なのだ。実際、今年の4月4日は、よく晴れて、爽やかな、春爛漫の桜、桜の、「匂ふが如く、今盛りなり」という、まさに清明の日に相応しい、美しい日であった。神様もきっとその誕生を祝福して下さったのでしょう。清明の日という、その名の文字通りに、清々しく、明るい子に、すくすくと、のびのびと、育ってゆかれることをお祈りします。誕生を祝して、H君に贈りし和歌。我が背子は 父となりしや 喜びの 笑まひ桜の 花と咲くらし春花の 咲ける盛りの 清明の 日に生まれたり 愛ぐし我が子は
2008.04.07
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4月1、2日と今日と母校の大学法学部、ロースクール、大学院の入学式、入学オリエンテーションに列席し、同窓会長としての祝辞を述べるという、公務で忙しいことでした。若い人達の希望に満ちた門出に立ち会えることは、何やら嬉しく心地よいことでありました。彼らの前途の幸いを心からお祈りします。昨年は犬養孝先生ご生誕100年ということでもあったので、先生の「初恋を思ふべし」を彼らに贈った。今日は大学院ということで、同じく犬養先生の言葉として、「情熱をして静かに燃えしめよ、湿れる松明の如くに」を贈ることとした。いずれも島崎藤村からのものであるから、私が彼らに贈ると、これは、孫引きならぬ、ひ孫引きであるか。犬養万葉顕彰会刊「国文学講義」より彼らに犬養節で朗誦して、そのお祝いとした自作歌は、 桜花 今盛りなり 待兼の 丘吹く風も 今日や言祝ぐ小生もまた会社を卒業し、無所属人生への入学であってみれば、この歌は自分への応援歌でもあるのかも。彼らに負けず花と咲かなければなりませんなぁ。大学の近くの喫茶店にて、午後三時十四分。
2008.04.04
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大学卒業以来勤めた会社と今日でお別れ。いい上司、いい同僚、いい部下に恵まれ、幸せな会社生活を送らせていただいた。感謝です。入社同期の友人、蝶麻呂君からは、 渭城の朝雨軽塵をうるほす 客舎青青として柳色新たなり 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽関を出づれば故人無からむという王維の漢詩が、桜の花の写真(下掲)と共にメールされて来た。「下戸の僕に酒を勧めてどないするねん。」とは言うまい。ありがとう。今日も元部下の男子社員、女子社員が大勢でお別れに来てくれた。素敵な花束とメッセージもありがとう。君たちと一緒に仕事の出来たことを幸せに思う。君たちの健勝と多幸を祈ります。これからもよき友人でありたいものです。
2008.03.31
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今日は母校である大学の法学部の卒業祝賀会。今年から、同窓会が主催で行うことになり、出席してきた。我々の時代と違って、女子学生の多いこと。三割位は女性かも。従って雰囲気も華やいだものとなり、悪くない。 小生は祝辞を述べさせられたが、例によって、自作の万葉調の和歌を、犬養節で朗誦して、その言祝ぎとさせて戴いた。 出で立ちの 道の幸きけと 桜花 今か咲くらむ 待兼の丘 出で立ちの 日をな忘れそ 桜花 明日は咲くらむ 待兼の丘 桜もようやく蕾ふくらみ、今にも咲く風情である。若き後輩たちのこの新しい門出の日に、時間と場所をともにできたことを幸せに思う。 彼らには、新しい門出にあたってのそれぞれの初心というか、決意というか、その思いを大切にし、それを忘れることなく、自分の道をしっかりと歩み、精一杯に生きて行って欲しいと思う。彼らの今日の輝きがいつまでも続きますように。彼らのうえに幸いのありますように。(犬養万葉顕彰会刊「犬養先生の国文学講義」収録の写真より転載。) 今日は、若い彼らに小生がむしろ元気を貰った気がする。ありがとう。 会場である母校大学の構内に入ると道の辺に沈丁花の花が盛りと咲いていた。甘い香りに包まれてゆくと、若き日に過ごしたここでのあれやこれやも思い出されて、少し感傷的に。 「あぁ、お前は一体何をして来たのだと、吹き来る風が私に云ふ」 中原中也の詩の一節も思い浮かぶという風でもありました。 少し早くに着き過ぎたので駅前の喫茶店に入ってコーヒー・ブレイクしていて、店のトイレに入ったら、そこに張り紙があって、「がんばれ、がんばれ、何処かで、誰かが、あなたのために祈っている。」と書いてあった。人はみな誰かのために生きており、周囲の色んな人に支えられて生きている。誰かが自分のために祈ってくれている、そのことを忘れず、彼らもこの後の人生を歩いて行って欲しいものだ。待兼山はまだ桜が咲いてなかったので、小生手持ちの写真で代用。
2008.03.24
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万葉うたがたり会のコンサートに初めて寄せさせていただいた。 万葉集の和歌に曲をつけ、万葉調のきらびやかな衣装を身に纏った、美しき乙女達、歌姫達が、うるはしき声で歌う。 今回は犬養孝先生ご生誕百年を寿ぐ、とサブタイトルにあるように、先生ご生誕百年に寄せて、先生を偲ぶコンサートでもあったようだ。先生ご生誕百年記念の諸々の催しの棹尾を飾るものと言えよう。リーダーの岡本三千代さんは大学時代に犬養先生の教えを受けられ、万葉と出会い、卒業後は万葉歌に自ら曲をつけ歌うという、独自の今のスタイルを確立され、長年にわたって活動されてきたようだ。小生は、昨年にひょんなことを契機として岡本さんと知己を得て、万葉うたがたり会の活動を初めて知るという、にせヤカモチの面目躍如といった迂闊さであったが、何という素敵な活動をされているのだろうと、今日は感じ入った次第。 今日のステージは彼女の犬養先生への思いがよく現れていたし、それが聴衆にも共感され、共有されて、犬養先生が恰も降臨してステージの何処か、或いは会場の何処かに居られる、そんな感じの、自ずからなる一つの世界がステージと会場の聴衆とを一体化してゆくという風でもありました。素敵な演出、素敵なステージであったと思います。今後の「万葉うたがたり会」のますますのご活躍をお祈り申し上げます。 なお、歌姫のひとり、山口ひとみさんは、小生の大学の同窓会の役員会のあとに決まってゆく大阪市内のビヤホールでも歌って居られて、お見かけしたことがあったので、親近感を覚えました。また、会場で茨田童子ことM氏と2月28日以来の再会にて、一緒にコンサートを楽しみました。大学同期のS君とも出会うなど、別の愉快もありました。
2008.03.15
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本日は、小生の母校である大学へ中国から留学して来ている女子学生Cさんと料亭芝苑で対談し、昼食を共にした。わが同窓会(法学部同窓会)は母校への支援の一つとして、八年前から母校法学部に留学して来ている外国人学生に対して、ささやかながら奨学金を出している。大学側から推薦された成績優秀な留学生一名を選抜して奨学金を贈るのである。Cさんは同窓会から奨学金を贈与された留学生である。彼女は、中国瀋陽市出身の聡明で明るい、とてもチャーミングな女子学生である。今回の対談は、小生が昨年四月から同窓会の会長をやらされている関係で、毎年この時期になると、同窓会長と奨学金留学生が昼食を共にし対談することになっているという、恒例のものである。この対談内容を同窓会報に掲載するための企画である。 対談といっても、同窓会奨学金を受けた留学生がどういう留学生なのかを会員に紹介するためのものであるから、もっぱら、こちらが質問する側になり、彼女に色々と語って貰うという、スタイルになる。 彼女からは、中国の家族のことや、こちらでの日常生活のこと、大学での勉学の状況などの自己紹介のほか、何故日本を、我が母校を留学先に選んだのか、から始まって、日本と中国との違い、日本人と中国人との違いや、日中両国の関係のことなど、日ごろ感じていることを率直に語って貰った。海外に出て母国を外から眺めることによって初めて見えてくるものというものがある。彼女も日本という視座から母国中国を眺めて見えて来たものがあったようだし、同様に日本、日本人についても日本に来てみて初めて見えたものもあったよう。このような交流によって生み出される相互理解・相互信頼と多面的に物事を見、客観化して見るという姿勢が双方の国民の間に相当の基盤を保持する状況が形成されれば、政治的、経済的危機が両国間に生じても、何とかうまく乗り切っていけるのではないかと思う。彼女もそのことを肌身に感じているのだろう、中国の人はもっと日本に来て実際を見るべきだし、日本人も中国に行ってもっと実際の中国を見るべきだ、というようなことを言っていた。当たり前のことではあるが、結局はそういうことを地道に積み上げてゆくしかないのだろう。 彼女のような人が日中両国の友好と平和の砦となってくれるのであってみれば、我が同窓会の奨学金も、本当にささやかではあるが、そういうことに貢献していることになるのだ。聡明な彼女が、この後も勉学に励まれ、自らの夢を実現し、日中両国にとっての有為な人間として活躍されることを心から願うものである。若い彼女の前途に期待しつつ、彼女のご多幸を心から祈る。 きみがゆく 道は春べと 花咲きて 笑みてあるらし 風は吹くとも写真は、友人・偐山頭火君撮影の梅を使わせていただいた。
2008.03.06
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今日は、「お蔵百人一首」が取り持つご縁でご紹介いただいた、N氏とM氏のご案内で枚方市、交野市の万葉歌碑や俊成歌碑、百済寺跡、百済王神社、渚院跡、片埜神社、山田神社、アテルイ墓、同首塚(宇山東公園)王仁墓、仁明帝外祖母田口媛墓、機物神社、(七夕万葉歌碑)、私市かささぎ橋、妙見宮、犬養万葉歌碑(税務大学校内)などをご案内いただいた。 枚方にこのようにみるべき処が沢山あることに驚いた。両氏の懇切なご説明に助けられ楽しいひと時を過ごすことができた。感謝。 次は、山頭火君と自転車で来てみるかな? 昨年12月4日の「七夕万葉歌碑」を、今日の歌碑めぐりを踏まえて加筆編集しようとして、誤って消してしまったので、再録しておく。 なお、今回の歌碑めぐりで機物神社の織姫と観音山の牽牛が間に天野川を挟んで対応しており、天野川にかかる逢合橋で年に一度の逢瀬を果たすという枚方七夕伝説の全体図が理解できた。妙見宮の星降りの伝説も興味深い。北斗七星ならぬ北斗八星の話も面白い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・枚方市香里丘の観音山公園に、山上憶良の七夕の歌の万葉歌碑のあるのを発見。憶良牽牛の 妻迎へ船 漕ぎ出らし 天の河原に 霧の立てるはにせ家持中山の 古き寺跡 七夕の 歌碑立つ丘に 恋は秘めてき
2008.02.28
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大阪南医療センターに入院しているN君を見舞って来た。心筋梗塞で倒れたというので心配していたが、順調に回復しているようで、元気そうだったのでひと安心。一日も早い全復を祈る。一緒したM君と珈琲でも喫むかと、喫茶アキが近いので、帰りに立ち寄ることに。先日お届けした「お蔵百人一首」がお客様の閲覧に供されているようで、有り難いことだ。珈琲を注文したら、今日もママさんのお心づくしの野菜サラダ他を出して戴きご馳走になってしまった。ありがとうございます。今日はM君の車に同乗の故、錦織公園には寄らず帰途に。帰宅したら椿が一輪咲いていた。
2008.02.25
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偐家持作歌「万葉孤悲歌」に友人の和麻呂殿が曲を作って下さり、今日その発表公演を含む演奏会あり、もう一人の友人オオキミ様の懇請で当初予定を変更してその付き添いの形で演奏会へ。自分の拙い歌も和麻呂の美しい曲に載せて歌われるとそれらしくなるから不思議。少し面映ゆくもあったが、和麻呂殿に感謝です。 演奏会終了後オオキミ様と珈琲して(喫茶店で槙麻呂殿に出会う。)別れ、次の予定の高校同期会の会場へ。久しぶりに会う恩師や旧友との心地よいひとときに酔いました。今日はダブルヘッダーで慌しかったけれど、ヤカモチ、内容の濃い一日を過ごさせて戴きました。感謝です。(演奏風景:和麻呂氏提供写真)
2007.12.01
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吾妻麻呂様からの美しき写真の北海道紅葉便りがまた届いたことを紹介するのを忘れていた。層雲峡、知床五湖、美瑛岳、知床プニュウ岬の秋である。ヤカモチと違って吾妻麻呂は行動範囲が広い。とても叶いません。秋されば 霧らふ川面の 波立ちて 雲間射す日に もみぢの燃えし知床の 五湖の水面の さざれ波 立ちて羅臼の 山は雲居にもみぢ葉の 赤き裳裾の 娘子ゆく 美瑛の山ぞ 雪は降りけるいつも、いつも美しき写真の便り有り難きことでござる。
2007.10.19
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本日は我が母校の高等司法研究科、所謂ロースクールの、司法試験合格者の合格祝賀会があり、それに出席して来た。法学部同窓会の会長をやらされているので、言わばこれも公務ですな。若き法曹の卵たちに贈る歌とて、偐ヤカモチの作りし下記の歌を、お祝いの言葉に添えて、犬養節で朗詠してきました。待兼の 丘にぞ咲ける 萩の花 咲きし始めの 思ひな忘れそ彼らの前途に幸いあらんことを祈る。
2007.10.04
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前回錦織公園に来た時に昼食をとった店。今回もお世話になった。優しそうなおばあちゃんと親しみ感のあるママさんがやって居られて家庭料理のようなランチがヤカモチ君のお気に入り。 ちょっと感謝を込めて和歌にしてみた。錦織 里のアキ風 すがしきと またも来にけり 銀輪駆けて赤飯の 昼げなりけり このたびは アキの里なる 道の辺の店
2007.09.28
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ポルトガルの女性と結婚、リスボンに住んでいる大学同期の友人、M君が一時帰国したので、F君の呼び掛けで、北新地の一角で食事会を持った。小生はM君とは卒業以来だから38年ぶりの再会である。大学同期というのは不思議なもので38年ぶりでも昨日会ったばかりのように昔に帰って心が通い合ってしまい、心地よい。「日本語はいいね。」長く海外で生活している彼の何げない言葉が心に残るが、海外生活の経験のないヤカモチにはこの感覚の本当の処は分からない。ファド、ワイン、ユーロ高、少女誘拐(?)事件、味覚の国際比較、日本の首相交代、宗教、と話は転変、愉快なひと時でした。
2007.09.14
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本日はグループ会社のOBにして元総務、法務担当経験者有志の飲み会の集い。偐家持の入社時の上司や先輩など敬愛する方々と旧交を温めることのできる、懐かしくも楽しい集いである。現役の社長も居られるが、多くはそれぞれに第二の人生を有意義にしっかりと、そして悠々と生きて居られる、言わば人生の達人の皆様である。ヤカモチも昨年からそのお仲間に加えて戴いているが、光栄なことです。右も左も分からなかった新入社員の頃にご指導戴いた方など、小生の今日あるは、この方達のお陰である。仕事を離れてもお付き合い戴ける幸せを感じつつのひととき。
2007.08.28
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本日は若草読書会の日。槙麻呂殿の発表にて浅田次郎「月島慕情」を取り上げる。偐家持はこの作家は何故か今まで読まずに来た。今回槙麻呂殿のお薦めで短篇集を文庫本で数冊読む機会を得た。面白く読ませるし、読んでいて何やら快いのであるが、話が出来すぎで、うますぎて、抵抗なくすぅーっと胸に入り、通り過ぎてしまい、読後の印象は却って薄くなってしまう感じも。通俗的と云われる所以か。読書会メンバーの色々な感想面白くありました。芝居好きの槙麻呂殿愛読の作家であるのも頷けます。東北の山を登山している重麻呂殿よりハヤチネウスユキソウの写真メール届く。
2007.07.22
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智麻呂画伯ご夫妻から絵手紙が届いた。大学の同窓会関係の集いがあり、それに参加したアト、同期のK君と食事をして、夜遅くに帰宅したら、一通の葉書。智麻呂様からの、あぢさゐの絵手紙だった。「歯医者の帰りに紫陽花一鉢買いました。」とあるから、それを描いて下さったのか。有り難いことです。やさしいお心遣い嬉しく、家持は芯から癒されたのでありました。若草に 咲きしあぢさゐ 絵てがみに なりて舞ひ来し 梅雨の入りかな夜が更けても雨はしくしく降り続いている。◇偐家持◇
2007.06.14
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偐家持も参加している若草読書会。その読書会、次回は浅田次郎をやると発表者の「長谷の槙麻呂」君よりメール。ヤカモチ君は万葉人ゆえ、この作家は全く読んでないので、早めにと本日書店に。槙麻呂のメールにあった課題図書「月島物語」探せど見つからず。ふと目に入りしは「月島慕情」。本は"物語"ではなく「月島慕情」であった。八代亜希をチラリ思い浮かべつつ、「慕情」買う。「雨の慕情」ではなく「月島慕情」を買う。困りくの 長谷の槙麻呂 月島の 慕情語らず ヤカモチやきもき**** 大伴のヤキモキ ****
2007.06.13
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偐山頭火君との合作の「草の細道―銀輪万葉集」の校正が終了。一般公開も間近である。まぁ作品は我々二人の自己満足に過ぎないと思うが、後半からは読んでも少しは面白くなるようにと、注記を加えたりして、いささか読者をも意識した内容にしたつもりである。そんなわけだから、面白いと思ってくれる人が一人位はいると思う。興味ある人はご連絡下さい。偐家持は和歌と和歌の注記を担当しただけで、写真も構成も偐山頭火君の手になるもので、彼がこの本を作ったと言っても過言ではない。感謝。☆☆∞ 偐家持 ∞☆☆
2007.06.08
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岬野吾妻麻呂様より陸奥の旅完結篇の追伸と写真届きぬ。寒立馬 草はむ音の たくましく 迷ひぞなけれ いのちひたすら寒立馬が無心に草をはむ、その音が聞こえて来そうないい写真。若草読書会の友人6名での熊野旅行で立ち寄る予定の熊野の「花の窟」とされる、日本書紀の、イザナミノミコトを熊野の有馬村に葬った、という記述部分をコピーする。午後は自転車にて散歩。いつも行く公園の菖蒲苑は日に日に咲く花の数が増え、紫、薄紫、白の花が今日はさらに優雅に咲き誇っていた。尾形光琳の絵の思ひ浮かびし。ニセヤカモチ
2007.06.06
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今日は蝶を追ってる筈の虫飼重麻呂が「球追ひの重の輔」となりて甲子園球場に現れ、「勝ちます」宣言。その通りに、阪神は西武に勝って連勝。よしよし。大津の鯨麻呂からはプールに行くとのメールありしが、もう入鹿麻呂になったのかな?槙麻呂殿よりは、イザナミノミコトを熊野の有馬村に葬ったことは日本書紀に書いてある、とのメール。調べると第五の、一書に曰はく…に書いてあった。予も鯨麻呂殿と同様、老眼のせいで前回調べた時は見落としたみたいである。高橋虫麻呂殿に虫眼鏡借りませうかな?虫麻呂殿は幻視の名人、虫眼鏡はお持ちでないか。偐家持
2007.05.31
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久しぶりに明日香郎女様のブログを訪問すると、この偐家持が郎女に贈りし歌が紹介されていた。風薫る 飛鳥に花と 咲きし児の 笑みに誘はれ 夕風の吹く さて、今日はまた旅なれば、明日香風 葉袖に吹くや 我妹子の 声なつかしき 旅を行くかも といった処か。 さて、自転車かつぎて、家持は いづち行くらむ 青嵐**** 偐家持 ****
2007.05.19
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今日は先日中学時代の級友と墓参をした恩師の命日である。滋賀県の太神山(万葉集では田上山)を自転車で登っている時に先生の訃報の電話を受け取ったが、その時の気持ちが甦る。私の父と同年令でもう一人の親父みたいに思っていたが…。 先生が亡くなられた時はまだ元気だった父も一昨年秋に急逝した。父とはよく万葉の故地を一緒に歩いたものだが…。 二人とも今はもう居ない…。近江なる 田上山に 立つ雲も 直には逢はず 思ひつつぞ居り高円の 田原の里に 立つ雲の 父と歩きし 遠き日もがも☆偐万葉田舎家持☆
2007.05.17
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友人との小旅行、「塩津山の道」にするか今庄「かへるみの道」にするかと迷っていたのに、継体天皇潜龍伝承のある味真野にしようとS君の強い意見。継体と照日の前との悲恋を語る能「花筺」の碑がある味真野神社の隣の味真野苑は、中臣宅守と狭野茅上娘子の万葉悲恋の歌碑もあるから、偐家持としても妥協することとし、6月2日は武生行きと決めました。紫式部、継体天皇、宅守・娘子の悲恋を廻る旅となるか。今習っている謡曲「吉野天人」が終ると「花筺」をやると先生が言っていたから、この処何故か継体づいている。**** 偐家持 ****
2007.05.16
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今日は知り合いと昼食を共にするとて、自宅から梅田へ自転車で。途中、大阪城公園の木陰に休んでいると、友人から中也生誕百年の記事が神戸新聞に載っていたよ、とのメール。乾いたすがしき風に吹かれていると、「庭も柱も乾いている/今日は好い天気だ/縁の下では蜘蛛の巣が/心細そうに揺れている…」とか「丘々は胸に手をあてしりぞけり…」とかいう中也の詩が口をついて出る。偐家持もいつしか中也の世界に紛れ込み、いえ、万葉に中也の方が紛れ込んで来たのでした。さて、友人偐山頭火君は今日も、木津温泉「Dの複合」現場検証の旅か?偐家持
2007.05.14
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中学時代の恩師の墓参に級友の有志らで。墓は霊山寺のバラ園の前の坂を登った処にある。バラ園の 花は今年も 咲きたれど 君が笑まひに 逢ふすべのなき線香の 煙に見えし 面影の 矢田の丘べの 晴れて悲しき教え子の 手向けし花を 見し君は 青葉の風と なりて吹くらむ合掌。偐家持
2007.05.13
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大学同期の有志の飲み会にて旧交を温む。友人の名を折り込みて詠める歌六首藤の花 川面にうつす 影清み 田の上渡れる 風や染むらん田上の 山は青葉に 滴りて 山辺の村に 夏は来ぬらし原に草 野つ鳥鳴きて 夏芙蓉 咲きよそひたる この道ゆかめぬばたまの か黒き髪の 娘子らの 裳裾濡らしぬ 神の御田ゆく當麻路に 夏来たるらし 仲つ田の 家鶏鳴く村に 風さやに吹く夏されば 卯の花匂ふ この道は 願ひてぞ来し 神がまにまに偐(にせ)家持
2007.05.09
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友人三人と日帰りのウォーキング旅をしようとなったが、新疋田にするか今庄にするかで迷っている。 新疋田は、深坂古道を歩くコース。万葉歌人、笠金村が、「塩津山 打ち越え行けば 我が乗れる 馬ぞつまづく 家恋ふらしも」と詠んだ道である。 一方の今庄の「帰(カイル)」の道には、大伴家持が、都へ帰る田辺福麻呂に贈って詠んだ「可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ 我をし思はば」の歌がある。どちらにするか決めかねている。「ひき」にするか、「かえる」にするか、「ひき・蛙」の迷いという次第。偐家持
2007.05.07
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日の入るる 横しの山の 春雨の 雲に隠るる 背子の悲しき四月なる 花はのこせど 郎子は いづちゆかめや 悲雨の空に近江野の 草津に逢ひし 我背子の 面影立ちぬ 通夜の道かな花海棠 常世に咲けど 見し背子の なき掛川の 春は悲しき桜花 散りのまがひに 逝く背子を 呼び戻さめど すべの知らなく石走る 遠江の 山桜 散りぬる朝の 照る日悲しき受けとめむ 背子が眼差し 面影の 涙に見ゆる 夜ぞ更けにけり今いちど 君が笑まひと 君が声 見たし聞きたし 思ひぞ痛き4/7通夜にて詠める歌をここに記し置く∋偐万葉田舎家持∈
2007.05.05
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