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第1章 一一八六年 鎌倉八幡宮2 文治二年(1186)四月八日(承前)あの女、手に入れたい。頼朝はふと思った。たとえ、義経の思いものであったとしても…。 義経の女の趣味は良い。誉めてやりたいぐらいだった。頼朝は今でも心のうちは、京都人である。京都の女が好きなのであった。この田舎臭い鎌倉近辺の女どもには、あきあきしている。が、そのあたりには、異常に感の鋭い政子のために、今までにも、散々な目にあっている。いままた、頼朝はちらりと…、横目で政子の方を向く。視線がばったりあう。いかぬ。政子はその頼朝の心を見抜いているかのようだった。が、政子は、そんな頼朝の思いを知らぬげに、静の舞に見ほれている。よかった。感づかれなかったかと、頼朝は安心した。 政子の思いは別のところにあったのである。北条家・平政子は、この日本のファースト・レディになれたという自負もあり、肌色もよろしく、つやつやしている。新しい阪東独立国が、京都の貴族王朝にもかなわぬ国が、我が夫、頼朝の手でなったのである。 義経のことは、気にならなかった。静という、コマを手に入れているのだから。それに静の体には。「ふふう」と、思わず政子は笑った。 大殿もそのことはご存じあるまい。せいぜい、京都から来た白拍子風情に、うつつを抜かされるがよい。私ども、関東武士平家の北条家が、この日本を支配する手筈ですからね。あなた、大殿ではない。誇りが、政子の体と心を、一回り大きく見せている。頼朝はある種の恐れを、我妻政子に感じている。やがて,後に政子は、日本で始めて、女性として京都王朝と戦いの火蓋を切るのだが、その胆力は、かいま見えているのだ。 この政子と頼朝に共通している悩みと言えば、それは…愛娘大姫のことであった。舞台の上の静の元気さ、華麗さを見るたびに、比較して打ちし抱かれたようになっている大姫の心の内を思い悩む二人であった。 その問題は二人の、この鎌倉幕府成立の内にたなびく暗雲である。 大姫はうつむきかげんに静の舞いを見ている。舞台を見て嗚咽が会場のあちこちに広がっている。見事である。それが、武士達にとっての正直な感想であろう。いわば敵に囲まれながら、どうどうと義経への恋歌を歌うとは、歌姫・白拍子・女の戦士としては、静かは十分にこの戦場で勝利をおさめようとしていた。(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://w3.poporo.ne.jp/~manga/
2003.04.27
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海からの歴史●発行者独白●2000・09/29初稿●○なぜ、歴史が好きになったのかを語りましょう。高校の歴史の授業、全然おもしろくなかったです。大学に入ってから司馬先生のほとんど全作品を読んで、日本史ってこんなにすごかったのかと思いました。ってまあ司馬先生がすごいのですけれど。あと、「奈良市」のお仕事で、歴史展の仕事をしました。この時「奈良市史」をほとんど全部読み込みました。加えて、橿原市の藤原京イベントのお手伝いをちょこっとしました。里中満智子先生の名作漫画「天上の虹」を現場で再現したかったのです。この時期、上記のイベントに関連する歴史博物館、史跡をほとんど全部見ました。自費及び公費で、、○次には首都の移転から言うと京都、東京ですよね。京都にはほぼ8年間、京阪電車で毎週一回程度遊びに行ってます。歴史の概念、鳥瞰図が頭の中に入っていて、歴史現場に行くとすごくおもしろいっす。興奮します。京都以外の歴史現場検証は、例の「青春18切符」でお安く旅してます。R&Bです。鉄道アンド自転車です。で、奈良のときに興味を持ったのです。つまり奈良市に残っているお寺、東大寺、春日大社、興福寺ってまんま、天皇家のお寺、藤原氏のお寺と神社。全て藤原氏の土地って感じですよね。元興寺(ガンコウジ)は、最近ブームの「奈良町」ー奈良市に在ります。お薦めの場所ーの中心にあるのですが、この元のお寺が飛鳥寺(日本最初の仏教寺院)なわけです。ここは大化の改新で破れた蘇我氏の氏寺です。奈良町の三箇所に在ります。つまり、寺の境内が町に成ったんです。奈良町エリアが元興寺の境内。さらに江戸時代まで五重塔がありました。つまり、奈良には2つの塔ツインタワーがあり猿沢池を挟んで在ったわけです。片や藤原氏方や蘇我氏。どちらが繁栄するか、お分かりですよね。元興寺は太子信仰でも有名。この奈良の地は天皇と貴族(特に藤原氏)にとっては古郷(ふるさと)になります。さてクイズ。京都に「奈良」を感じさせるところがあります。「神鹿」の像春日信仰です。「猿沢池」のミニチュア版がある神社、それはどこでしょう。答え、京大近く吉田山。吉田神社の所にあります。○そんなこんなで、日本人の仏教史ってあまりにも儀式としての仏教感しかないのでは、政治の手法としての宗教は?という疑問を同人誌、と大阪シナリオ学校で書いたのが、「西行黄金伝説」です。大阪シナリオ学校の卒業作品です。このために、鎌倉は数度、平泉に3回、十三湊(トサミナト。さて、ここは何処。答え。青森県。タンカー座礁で有名に)に1回、現場検証のため?、旅行です。私は近畿・中国・四国は例の18切符でぶらつけるのですが、東北地方はなかなか行けないのです。ちょっとは、歴史をおもしろく感じる「自己分析」(山田は心理学卒)のツモリで、同人誌時代(25年前からSF同人誌、長いなー、SF老人誌になってますけど。こんな事言うと星群とかおこられるぞ。注。SFの名門同人誌)ほんとにつたない作品ですけど、ちょっとメールマガジンでコンテンツ出しの練習アピールのために、お蔵出しさせて戴きます。(43702)○鎌倉幕府と云う体制の確立は、貴族にとっては驚天動地の出来事でしょう。歴史上かつてない政治大激動、そして奥州藤原氏は東北エミシの国、日本の国ではないのです。この時期、明らかに三国志状態でしょう。瀬戸内海荘園群を経済基盤とする西国貴族王朝。対する東国武士国家、そして奥州平泉王国。主人公は西行法師と義経!。書けるか大丈夫か?。書いてあるチュウネン。○てなわけで、始まっちゃいましたが、むろんフィクションなんで。ただ、この「IT革命」時代のイメージをかぶせる事もできますよね。訳のわからんパソコンってなもののおかげで「社会の仕組み」がかわっちゃって団塊の世代のおじさんなんて、どうしていいかわからない。いっそ平家の様に壇ノ浦で入水自殺を。したらダメダメです。暇な方はどうぞ。暇な人はいない?。
2003.04.26
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―――――――――――――――――――――――――――■義経黄金伝説・西行黄金伝説(さいぎょうおうごんでんせつ)改題■第1回 ――――――――――――――――――――――――――― 作 飛鳥京香http://w3.poporo.ne.jp/~manga/ ―――――――――――――――――――――――――――第1章 一一八六年 鎌倉八幡宮 1 文治二年(1186)四月八日のことである。 鎌倉八幡宮の境内、音曲が響いてくる。「京一番の舞い手じゃそうじゃ」そこに向かう雑色(ぞうしき)が仲間と声高に話していた。相方がこれも声高に答えた。「おまけに義経が愛妾とな」「それが御台所様のたっての願いで、八幡宮で舞うことを頼朝様がお許しになられたのそうじゃ」「大姫様にもお見せになるというな」「おう、ここじゃが。この混み様はどうじゃ」鎌倉の御家人たちもまた、この静の白拍子の舞を見ようと、八幡宮に集まって来ている。大姫は頼朝と御台所・北条政子の娘であり、木曽義仲の子供である許婚を頼朝の命令で切り殺されたところでもあり、気鬱になっていた。去年文治元年(1185)三月平家は壇ノ浦で滅亡している。その立役者が義経。その愛妾が話題の人、静。平家を滅ぼした源氏の大祝賀会である。その舞台にある女が登場するのを、人々はいまか今かと待ち兼ねて、ざわついている。 季は春。舞台に、観客席に桜の花びらがヒラヒラと散ってきて風情を催させる。 その時、どよめきが起こった。 人々の好奇心が一点に集中し、先刻までのどよめきが、嘘のように静まっている。舞台のうえにあでやかな人形があらわれた。 舞殿(まいどの)の上、ひとりの男装の白拍子が舞おうとしている。 頼朝から追われている源義経の愛妾静その人であった。この時、この境内の目はすべて静に注目している。 衣装は立烏帽子に水干と白い袴をつけ、腰には太刀より小振りな鞘巻をはいている。 静は、あのやさしげな義経の眼を思っている。きっと母親の常盤様そっくりなのだろう。思考が途切れる。騒がしさ。ひといきれ。 静の母親の磯禅師は今、側にはしり寄って執拗に繰り返す。「和子を救いたくば、よいか、静、頼朝様の前での舞は、お前の恭順の意を表すものにするのです。くれぐれもこの母が、どれほどの願いを方々にしたか思ってくだされ。わかってくだされ。よいな、静」涙ながら叫んでいる。 が、静にも誇りはあった。 母の磯禅師は白拍子の創始者だった。その二代目が静。義経からの寵愛を一身に集めた女性が静である。京一番といわれた踊り手。それが、たとえ、義経が頼朝に追われようと…。 静は母の思わぬところで、別の生き物の心を持った。要塞都市、鎌倉の若宮大路。路の両側に普請された塀と溝。何と殺風景なと静は思った。その先に春めいた陽炎たつ由比ガ浜が見えている。その相模の海から逃れたかった。 かわいそうな一人ぼっちの義経様。私がいなければ、、そう、私がここで戦おう。これは女の戦い。知らぬうちにそっと自分の下腹をなででいる。義経様、お守り下させ。これは私の鎌倉に対する一人の戦い。別の生き物のように、ふっきれたように、静かの体は舞台へ浮かんだ。 しかし,今、舞台真正面にいる頼朝の心は別の所にある。 頼朝は、2つの独立を画策していた。ひとつは、京都からの独立、いまひとつは、階級からの独立である。武士は貴族の下にいつまでもいる必要がない。とくに、東国では、この独立の意識が強いのだ。西国からきた貴族になぜ、金をわたさなければいけなにのか。だれが一番苦労しているのか。その不満の上に鎌倉は成り立っている。しかし、義経は、、あの弟は、、義経は人生において、常に逃亡者である。自分の居場所がない。世の中には彼に与える場所がない。義経は、頼朝が作ろうとしている「組織」には属することが不可能な「個人」であった。その時代の世界に彼を受け入れてくれる所がどこにもない。 頼朝はまた平泉を思う。頼朝に宿る源氏の地が奥州の地を渇望している。源氏は奥州でいかほどの血をながしたのか。頼朝は片腹にいる大江広元(おおえひろもと)をみる。土師氏(はじし)の末裔。学問を生業とする大江一族。頼朝は京から顧問になる男を呼び寄せる折、あるこだわりを持った。なぜなら、彼の曾父は大江匡房(まさふさ)。博学の士。八幡太郎義家に兵法を伝授し、奥州での勝利を確約したといわれている。頼朝はその故事に掛けている。奥州との戦いのために学問の神、大江家が必要だったのだ。さらに別の人物頼朝は眺める。文覚は十年前、後白河法王の密命を受けてきた荒法師で、が今は頼朝の精神的な支えとなっている。皮肉な運命だった。法王はそこまで、頼朝が大きくなるとは考えてなかった。 その想いの中を歩む心に、声が響いて、頼朝はふと我にかえる。「しずや、しずしずのおだまき繰り返し、昔を今になすよすがなる。吉野山みねの白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき」 ひらひらと舞台の上に舞い落ちる桜吹雪の中、静は妖精のようだった。人間ではない、何か別の生き物…。 思わず、頼朝をはじめ、居並ぶ鎌倉武士の目が、静に引き寄せられていた。感嘆の息を吐くのもためらわれるほど、 それは…、人と神の境を歩んでいる妖精の姿であった。 ■■■ 広野から見えるその山は、荒錆びた様子で噴煙をあげている。富士山である。「おうおう、何か今の時代を象徴しておるような…」 一人の僧服の老人が、目の前の風景に嘆息をしている。心のうちから言葉が吹き出していた。その歌を書き留めている。詩想が頭の中を襲っている。湧き上がる溢れんばかりの想い。老人は、もとは武士だったのか屈強な体つきである。 勢い立ち噴煙を上げているは富士の山。活火山である。『風になびく 富士のけぶりの空に 消えて行方も知らぬ 我が思いかな』「我が老いの身、平泉まで持つかどうか。いや、持たせねばのう」 老人は、過去を思いやり、ひとりごちた。 豪奢な建物。金色に輝く社寺。物珍しそうに見る若き日の自分の姿が思い起こされて来た。あの仏教国の見事さよ。心が晴れ晴れするようであった。みちのくの黄金都市、平泉のことである。「平泉じゃ、平泉に着きさえすれば。秀衡(ひでひら)殿に会える。それに、美しき仏教王国にも辿り着ける」。僧は、自らの計画をもう一度思い起こし、反芻し始めた。 平泉にある束稲山(たばしねやま)の桜の花の嵐を思い起こしている。青い空の所々が薄紅色に染まったように見える。その彩は、絢爛たる仏教絵巻そのものの平泉に似合っている。それに比べると都市(まち)としては鎌倉は武骨である。「麗しき平泉か、、そうは思わぬか、重蔵殿」言葉を後ろに投げている。後ろの草茂みにいつの間にか、黒い影が人の形を採っている。東大寺闇法師である。「西行(さいぎょう)様はこの風景を何度もご覧に」「そうよなあ、、吾が佐藤家はこの坂東の地にねずいておるからのう」西行ー佐藤家は藤原北家、そして俵藤太をその祖先とする。平将門の乱を鎮めた秀郷(ひでさと)である。「重蔵殿、まだ後ろが気にかかられるか。はっつ、気にされるな。結縁衆(けちえんしゅう)の方々じゃ。ふう、鬼一法眼(きいちほうがん)殿が、良いというのに後詰めにつけてくだされている」 一息。「さてさて、重蔵殿、鎌倉に入る前、いささか、準備が必要じゃ、御手伝いいただけるか」しっかりとした足取りで、西行は歩きはじめた。■■■おなじころ、奈良東大寺。大仏の鋳造も終わり、大仏殿の建築にとりかかろうとしている時勢である。 治承四年(1180)平重衡の手で東大寺をはじめ興福寺の伽藍が焼かれ大仏が焼けた折は、京都の貴族はこの世の終わりと思ったものだが、、勧進聖の手でその姿を再びこの世に現せている。 牛車が荷駄を載せ、大工、石工、彫師、何かわからぬ諸業の人間が一時に奈良に集まり、人のうねりが起こっている。その活気に囲まれ東大寺の仮屋でこの勧進事業の中心人物が、もう一人の若い僧と湯釜からでる湯気を囲んで話し合っている。「どうでございますか。西行さまは」、 若い僧が年老いた僧に尋ねる。「それは西行殿が我が東大寺にためにどれほどの事をしてくださるかという問いかな、、」何か言外に言いたげな風情である。「左様作用でございます」 若い僧ははこの高名な僧の話し振りにヘキヘきする事もあるのだが、なんと言っても当代「支度一番(したくいちばん)」の評判は彼の目から見ても揺ぎ無いところだ。このような難事業はやはりこの漢しかできまい。「蒼いのを、、」「といいますと」少しばかりの怒りが含まれている。「西行殿はあるお方の想いで動いておられる。人生の最後の花と咲かせるおつもりじゃ」「では、平泉の黄金は、大仏の屠金はどうなります、、いあやはやしかし、重源(ちょうげん)さまは西行さまの高野の勧進事業をお手伝いされたのでは、、」若い僧は事態に困惑している。「蓮華乗院の事か。ふう。あれはあれ、これはこれよ。伊勢参拝の件で恩は返してくれている。はてさて物事どう転ぶか、な」 高野山蓮華乗院の勧進を西行が行っていた。治承元年(1177)の事である。 西行の働きで歴史始まって以来初めて、、仏教僧が伊勢神宮に参拝している。重源の一団である。西行は神祇信仰者であった。本年文治二年(1186)であった。「重源様は、西行様と高野山では長くお付き合いされたと聞き及びます」「そうじゃ、西行殿が麓の天野別所に妻と子供も住まわせておったこともしっておる。また、弟佐藤仲清殿が佐藤家荘園の田仲庄の事で高野ともめておった事も分っておる。さらに、相国殿(平清盛)との付きあいもな、よく存じ上げておる」 田仲庄は紀州紀ノ川北岸にあり,粉河寺と根来寺の中ほどにある。「ああ、和田の泊まりも重源様の支度でございましたな。そうか。それで、重蔵殿を、、」「そうじゃ。すべては、平泉に這いいてからじゃな」 二人は栄西が中国・宋から持ち帰栽培した茶をたしなんでいる。 独特の香ばしい馥郁たる香りが二人をゆったりと包んでいる。(続く)(C)飛鳥京香・山田企画事務所http://w3.poporo.ne.jp/~manga/
2003.04.25
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義経黄金伝説●西行黄金伝説●改題@第1章@ーー作者独白ーー 日本版三国志の物語。時代は,源平の争いから、鎌倉幕府が成立しょうとしていた時期。瀬戸内海荘園群を経済地盤とする、後白河法王を頂点とする貴族制西国王朝。新興勢力である東国騎馬武士団を率いる源頼朝。古代よりエミシの血を受け継ぐ奥州に黄金・仏教王国を構える藤原秀衡。この三者にあって糸を噤む、当時最大級文化プロデユーサー西行法師。最大級武人、源義経。日本の背後に潜む闇のカタチなく存在する住民、道々の輩。ケッシテ歴史小説ではありません。時代アクション小説です。歴史用語の間違いなどお許しを。ともかく1186年、鎌倉八幡宮、静の舞より、舞台の幕は上がります。、、、―――――――――――――――――――――――――――■西行黄金伝説(さいぎょうおうごんでんせつ)■第1回 歌の聖人西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。これから、500年後、徳川家康は、頼朝を敬慕し、吾妻鏡を熟読、その政治方針の参考とした。現在に残る吾妻鏡は欠損部が多いといわれるが、これは徳川幕府の施政方針の一環ともいわれる。徳川光圀は、その「大日本」編纂事業のひとつとして、「義経」に関する故事来歴を全国各地から収集させた。それより後、明治時代になり、明治政府および帝国陸軍参謀本部は、また、大陸政策を立案するべく、東京帝国大学の満州探検の奨励、満鉄調査部の研究も奨励した。いわゆる有名な研究資料「笹竜胆印の探求」全書である。むろん義経遺跡の探求を目的とした、ツングース族の口承伝承をも仔細に研究したといわれる。この小説の資料は、東洋文庫及び皇室に保管されている資料を基本とする。GHQがその占領政策にあたって、日本人の精神構造の研究家としてその著書「菊と刀」で有名なべネデイクト女史の指導により、持ち帰ったともいわれている。現時点では、この完全版資料の行方は、行方不明であり捜索中である。この小説は、大阪島本町にある中州興業大学歴史資料館の御協力により、その現存する貴重な資料の一部部分を使用している事を付記しておく。1990年盛夏、著者は、鎌倉にある頼朝に関する遺跡の数々を訪れていた。頼朝公事跡の裏山にそれは合った。大江広元公の墓である。ごねん江戸時代末期、長州藩家老周布が江戸賛府のおり記念の碑を作っている。また、島津家もこの大江家を祖とする。大江は、この国の形を鎌倉幕府で作り、明治維新は、長州・島津家協同の日本革新作業であったとすれば、すべては、やはり、鎌倉に始まるといえよう。小説「義経黄金伝説」は、大江広元公墓に出会ったこの瞬間に生まれた。これは12世紀日本の3つの都市と、京都王朝につかえる3人の騎士の物語である。 http://w3.poporo.ne.jp/~manga/
2003.04.24
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