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――――――― ■義経黄金伝説■第45回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第7章 西行法師(佐藤義清)の思い出 一一三八年(長暦2年)から ■■2 一一七五年(安元元年) 京都・鞍馬。十五年後。今年57歳になった法師が、山道を登っている。 京都・鞍馬山・僧正ヶ谷である。木の根が血管のように山肌に現れている。 激しく武者修行をする牛若の前に、法師が一人現れていた。かぶりもので牛若には顔が見えない。「牛若殿、元気であらせられるか」「はっ、あなた様は」「名乗るほどの者ではない。いずれ私の正体わかりもうそう。いわば、牛若殿の未来にかけておるものだ。いかがかな、牛若殿、武術の方は上達いたしましたか」 その問に不審な顔で牛若は答えた。「はっ、鬼一法眼様の指導よろしきを得て、ますます励んでおります」「そうよのう、ここ鞍馬山の坂道で鍛えられれば、体力もつきもうそう。が、牛若殿、くれぐれも自重されよ。牛若殿の身は、御身一人だけのものではないのじゃ。お気をつけられよ」 そう言い残し、法師は去って行った。練習に励む牛若の前に、牛若の師匠、鬼一法眼が現れる。「お師匠、見たこともない法師が、私を激励されましたが…」不思議そうな表情で述べた。 鬼一はかすかにほほ笑んで「ふふう、牛若、あちこちにお前の守護神がおるようじゃのう」「あの方は、私の守護神ですか」「どうやら、そのようだのう」 牛若は、首をひねる。その姿を見て、鬼一法眼は笑っていた。 牛若は京都までかけ降りては、自分の武術を試し、鞍馬にかけ戻っている。「牛若殿、またそのような乱暴狼藉を働かれて…」非難するような様子で、その若い僧は言う。その源空という名の僧は、比叡山の僧坊に属しているのだが、ある時牛若と出会い、友達となったのだった。ゆっくりとお互いの身の上を話し合った。源空は、じっとりと顔が濡れるほどに、牛若の身の上を案じてくれた。「何と、お可哀想な身の上をなのだ…」 その若者らしい激情に、牛若もまた自身の身の上話に、涙を流すのである。「牛若殿、仏に身を任せるのじゃ。そうすれば、おのが身、仏によって救われるであろう」常に、そう言うのだった。が、牛若は仏を信じぬ。自分の体は、戦の化身だと信じている。なぜならば、父は源氏の長者だったのだ。武者の血が流れているのだ。それがこのような京都の辺境に置かれようとも、いつかはこの世に出たい。源氏の若武者として、名を馳せたい。そういう願いが、牛若の心を一杯にしている。 若い血は、あの急勾配の鞍馬山を、毎日行き来することによってにじり立ち、若い体は強力な膂力を手に入れつつあった。そして、その若い力を、世の中へ出て試したいと、希っていた。源空は、やさしく牛若に語る。「およしなされ、牛若殿。おのが身は平相国、平清盛殿から助けられた命ぞ。そのような恐ろしいことは、お止めなされ」と非難し止めるのであった。■■5一一七八年(治承二年) 京都・鞍馬それから3年後、京都・鞍馬堂宇で鬼一法眼が、西行を待っていた。「おお、ここじゃ、西行殿」「おお鬼一法眼殿、息災であられるか」「西行殿も、歌名ますます上がられる。うれしい限りじゃ。それにあの遮那王、教えがいがある。よい弟子を送り込んでくれたものじゃ」「牛若、いや遮那王はそれほどまでに」「そうじゃ、仏法など、とんと興味がないわ。俺が教える武法のみ。さすがは源氏の頭領、源義朝殿が和子じゃ」「いや、やはり清盛殿の願いどおりにはならぬか」「それでは、やはり、奥州藤原秀衡殿の手にお渡しするか」「そうじゃのう。がその前に、武術の腕どれくらいのできあがりかを確かめてみるかのう」「よい考えじゃ。さすがは武名高い北面の武士であられた西行殿じゃ。して、相手は」「近ごろ京で評判の、あの法師はどうじゃ」西行は手を打って、「弁慶か、よかろう」五条を中心とした平の清盛六波羅政権は、170の大きな屋策をほこり、5200余の家々をしたがえている。6条河原と京の葬送地鳥辺野の間を埋め尽くしている。この北域には、山門武装の資源つまり弓矢を生産する弓矢町を抱合している。弓矢町はつまり武器工廠である。また、300名からなる赤鬘(かむろ)なるスパイキッズ養育所も含んでいる。この年、京都には「太郎焼亡」なる大火事がおこっていて、西の京はまだ焼け跡が広がっている。京の人間は乱世の始まりを感じ始めていた。その京都・五条にある松原橋たもとに のっそりと、その大男の僧兵は立ち塞がっている。大男にしては、筋肉質で敏捷な動きをしている。「お主が牛若殿か」 月の光が鴨川の川面に映えている。牛若が押し入ろうとしていた平家の公達の家屋敷あたりからは、光とさざめきが漏れている。が、庶民が住んでいる辺りは、もうすでに闇の中に沈んでいる。東山の辺りも、夜空に飲み込まれていて、遠く比叡の山からのわずかな光が、星のひとつのように霞んでいた。「私が牛若とすれば、どうする」 ゆっくりと、牛若は答える。「そうなれば…」 急に大きな弁慶が、牛若の顔を隠していた布を捲る。「ふふっ、なかなかよい顔をしている。稚児にするにちょうどよい…」 少しばかり、沈黙が二人の間に流れ、視線が素早く交わった。「が、しかし、命をもらわねばならぬ」 言うが早いか、弁慶は、背中から引き抜いた薙刀を一閃していた。普通の人間ならば、真っ二つである。が、弁慶の薙刀には、手ごたえがない。目の前にあるはずの、血まみれの体も残ってはいない。「はて、面妖な」「ふふっ、ここじゃ、ここじゃ」 弁慶の後ろから声が聞こえて来る。すばやく、背後を見返すと、橋げたのうえにふわりと牛若が乗っている。まるで、重さがない鳥のように、それは乗っているのだ。「貴様は、飛ぶ鳥か」「ふふう、そうかも知れぬぞ」不敵な笑みが、牛若の顔から漏れている。「鞍馬山の鳥かもな」 その声音は、完全に人を食っている。牛若は、自分の力を他人に見せるのが、うれしく、楽しいのだ。「お前は、平氏のまわし者か」毅然と、牛若が言う。「何を言う。平氏など、物の数ではない」そう答えるが早いか、弁慶は橋を蹴って、欄干のうえに薙刀を数振りする。その刀の動きは、常人の目には捕らえられぬ。とはいえ、明かりなどない夜中である。誰もそれには気付かぬ。ただ、野犬が、恐るべき力の争いに驚き、鳴き声をあげている。「どうした、弁慶。この私を捕まえることができぬか」にやりと笑う牛若の顔に、弁慶は、憎しみを倍加させる。 西行と鬼一法眼は橋の影からのぞいている。「どうじゃ、遮那王様の動き」「よかろう。あのように成長しておられるならば、秀衡殿の手元にお送りしても、十分役にたつじゃゃろう」。「秀衡殿もお喜びであろう」二人笑い会う。「西行殿、後はお任せいたす」「何をこしゃくな」が、弁慶の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。「弁慶、止めるのじゃ」突然異形の老人が、弁慶の前に姿を現し、争いを止めようとした。強い、弁慶はこの男を見て毛穴がひゅつと閉じるの感じた。「なぜじゃ、鬼一殿。この若造を殺せというたは、お主ではないのか」弁慶はこの老人にくってかかる。「もうよいのじゃ。お主もこの若者の力がわかったであろう」「そうであればこそ、なおさら許せぬ。俺の力を見せねば、気が済まぬ」「そうじゃ、鬼一。止めてくださるな。この大男に負けたと言わせるまでは、私も気が済まぬ」欄干の上にいる牛若が、答える。「こやつ、いわしておけば」 今度は、背中より大槌を引き抜いて、弁慶は打ってかかる。ズーンと大きな音が響き、バラバラと橋げたが川中に崩れ落ちる。「おお、何をする。橋を壊すつもりか」「橋が壊れるが早いか、お主が死ぬのが早いか」 騒ぎを聞き付けた検非違使たちが六波羅の方から駆けつけてくる。「いかぬ」弁慶はそれにきを取られる。「ぐぅ」思わず弁慶が叫び、気を失う。牛若の高下駄が蹴りを弁慶の天頂に加えていた。「やれやれ」鬼一は橋のしたに用意してあった小舟に弁慶の体を隠し、鴨川を下った。「牛若殿、もう少しお手柔らかにのう」「戦いの舞台を移そう」「こわっぱ、どこに逃げる。怖じけづいたか」息を吹き返し、苦しい息の下から弁慶が叫ぶ。「何を言う。お主がそう暴れるから、そら平家の郎党が現れたではないか」平家の屋敷に点々と灯が灯り、その灯が五条の橋を目がけてくる。かなりの人数のようだ。牛若が跳躍する。「おのれ、何処へ」弁慶は上を眺め、叫んだ。「頭の悪い坊主。この京都で晴れ舞台と言えばわかろうが…」声は天から響いた。「くっ、あそこか。わ、わかったぞ。約束を違えるなよ。半刻後じゃ、よいな」遠方で見ていた、西行と鬼一法眼はお互いに顔を見合わせていた。「いかん、あやつら、まさか…」「そうじゃ、あの寺じゃ」二人は疾風となり、東山を目指している。四人が目指すは、坂上田村麻呂公の寺、清水寺である。牛若は、弁慶の前で、清水寺の舞台で、ひらりひらりと舞っている。「ふっ、弁慶、どうじゃ。おまえもこの欄干の上で、京都の町を見てゆかぬか。よう見えるぞ。特に平家屋敷がな。おっと、お主の体では、ちと無理かのう」「くそっ、口のへらぬこわっぱじゃ。そのようなこと、俺にもできるわ」「弁慶、止めておけ。お主の重さ、この清水寺の舞台を沈ませるぞ」「牛若殿、もう止めておきなされ。このお方もお疲れじゃ。お主の武勇、充分私も見せてもろうた」いつも間にか源空も現れている。「争い事は、武士たちにお任せなされ」源空の頭の中には、子供のころの自らの家の惨劇が埋まっている。 源空、後の世にいう法然は、この後、京都市中で僧坊を営み、後白河法皇、九条兼実らの知遇を得ることになる。 後に鎌倉仏教と呼ばれることになる、新しい日本仏教は、この源平争乱という武者革命と時を同じくしつつ起こった「宗教改革」だったのである。(続く) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.31
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――――――― ■義経黄金伝説■第44回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――第7章 西行法師(佐藤義清)の思い出 一一三八年(長暦2年)から■■1 一一三八年(長暦2年) 京都佐藤家屋敷。一一八六年(文治2年より五十年前の京都。佐藤康清の屋敷に訪れようとしている数名の侍がいる。京都風ではあるが少し違う。着物の材料生地はなかなかの質である。裕福さが推し量れるのである。京都油小路二条、神泉苑の傍らに佐藤家の屋敷はある。紀州紀ノ川北岸にある荘園・田仲庄の上がりで佐藤家は潤っている。 今様が聞こえている。外祖父源清経は白拍子目井とその養女乙前を囲っている環境にあり、佐藤家もその流れにある。今日は遠くからの客人が来るため、宴を華やかにという気づかい、聞こえてくるのである。立派な出で立ちの若侍が挨拶をした。「奥州平泉の秀衡でござる」佐藤康清宅に、奥州平泉の藤原秀衡が、お供を連れ、訪れていた。先先代清衡は、奥州の政情が平安となった時期、京都を訪れていた。京に上るということは、現在とは意味が異なる。まさに京は、世界の中心であった。清衡は、京都の栄えを見て、この京都の複製を平泉に作ろうと考えたのである。 そして、京都情報収集基地として「平泉第」を設置した。次は人のコネクションである。 清衡は、京都とのコネクションを作り上げようと必死であった。このとき、遠縁である佐藤家を頼った。現在の佐藤康清は、佐藤義清、西行法師の父である。「おお、これは、これは、丁寧なご挨拶いたみいります。書状にはいくどか。このたびは書状とお土産をいただきありがとうございます」挨拶を返したのは佐藤康清である。黄金や平泉の産物が送り届けられていた。(若い御曹司じゃ。まだ二〇歳にはならぬじゃろう。が、すでに大物としての貫禄が、、)康清は思った。「いや、何の何の、義清殿と奥州藤原氏とは、五代逆上れば兄弟ではござらぬか。当家もこの京都にはなかなか親戚、知人が少ない身のうちでござる」佐藤康清は北面の武士。2人の息子がいる。「奥州藤原氏といえば、京でも黄金王として名前が高こうござる。平泉から荷駄が入りますれば、京の庶民など、今でも大騒ぎする始末。その御曹司が、このようなあばら家へようお出でくだされた」「のう、佐藤殿。少しばかり、京見物につきおうてはくださらぬか」と秀衡は頼んだ。「同じ年頃の息子、佐藤義清を京都見物に案内させましょう」奥から若者が現れる。「佐藤義清でございます。お見知り置き下さい」このとき二十才である。「おお、康清殿はみめ麗しい良き息子をお持ちじゃ」「見目美しいとは、、お戯れを、、よろしゅうございます。どんな所など案内つかまりましょうか」「祖父から聞いております。東山の桜、そして宇治平等院などをのう」 数日後、佐藤家前に、奥州に帰ろうとする秀衡を郎党が待っている。見送る佐藤義清(西行)だった。秀衡は別れを告げた。「義清殿、よいか約束じゃ。きっときっと平泉に来てくだされ。佐藤義清(西行)殿がために、平泉にあるものを用意しましょうぞ」「私のために、あるものを。はて、何かな。秀衡様、必ず平泉に参ります」「きっとじゃ、約束したぞ。楽しみにされよ」 去って行く黄金王藤原秀衡郎党の行列を見送る佐藤義清(西行)だった■■2 一一四三年(康治2年) 平泉 咲き乱れる桜。金色に輝く寺や屋敷。そこが平泉であった。まさに黄金都市。それを見渡す、西行であった。「ここは異国か…」 西行、思わず呟く。 西行このとき二十六才。まさに平泉王国は異国であった。 後にコロンブスの新大陸発見の契機となった本、東方見聞録、マルコ・ポーロにいわく『ジパングは黄金の国である』とは、この『平泉』であると言われている。金色堂は黄金の家である。 京都を始めてみた藤原清衡の京都文化に対するコンプレックスは、まず都市平泉の建設から始まっていた。 平泉は、まさに京都の複製都市であった。 例えば、東に流れる北上川は、京都の鴨川。その向かいに聳える東稲山は比叡山。中尊寺の占める関山は北山である。 この北の京都を作り上げた奥州藤原氏の経済力は、みちのくの特産物と呼ばれる黄金と馬であった。清衡、基衡、秀衡は、三代にわたり、平泉の黄金都市建設のために、その黄金を潤沢に使った。 当時の日本は、大きく三つに別れていた。平泉を中心とする奥州は、農業ではなく、鉱業を基盤とした国家であった。 坂東つまり鎌倉は、馬の放牧を中心とした牧畜国家。そして、平家の支配していた西国は貿易を中心とする海洋国家であった。金色堂は初代清衡公によって、天治元年(一一二四年)に建立された。 建物の内部はもちろん、安置された三十二体の仏像も黄金色に包まれている。内部装飾に使われている夜光貝は、インド洋の産であり、下地の素材である紫檀材も南洋諸島産の伽羅木であり、平泉王国が独自の海外との貿易ルートを持っていたことを示している。市街中心に大長寿院がある。 大長寿院は、中に三丈(約九メートル)の阿弥陀如来像を収めた巨大建造物である。そこに収められている一切経五三〇〇余巻、金字と銀字で交互に写経した清衡経は、千人の僧が丸八年かかって完成させた。 平泉は、そのような巨大寺院が甍を連ね、処方から集まる物産が売られている市が賑わいを見せている。 西行を奥州藤原氏の人々が待ち構える。 このとき、西行二十六才。二代目基衡三十九才、その子秀衡二十三才である。「佐藤義清殿、いや今は西行殿か。どうじゃ、北面の武士をお止めなされて」基衡は冷やかに言った。「そうでございますなあ、出家いたしましたのは、二十三の年でございますから、もう三年立ち申した」「都はどうじゃ、上皇殿はお元気でおわしますか」「うるわしゅうございます」「西行殿、法衣の衣に隠れられて、動きやすかろう」秀衡はちらりと嫌みをいった。「秀衡様、それはうがちすぎというもの。私は歌詠みの僧です」西行はやや怒気を含んで答えた。秀衡の言葉が、的を得ているからである。佐藤は、歌詠みをしながら全国を渡っている。諸国の実状がよく見えてきている。いわば、京都・西国王朝の情報官であった。 今、平泉・秀衡屋敷に西行はいる。「西行殿、ものは相談じゃ。ゆるりと、この平泉王国見て回られい。それを見てからは相談じゃ。遠き親戚でもある西行殿だからこそじゃ。この平泉王国を見られてから決めてほしいのじゃが、我々の一族は平和を望んでおる。祖父の代より、京に対し、黄金、馬を贈っておるのは、この平泉仏教王国の平和を望んでおればこそじゃ」 西行、少し考えて。西行は、その秀衡の言葉を噛み締めている。「私に平泉の間者になれとおっしゃるのか」「いやいや、そうではござらん。我々の相談相手になってほしいのじゃ」「言い方はかわれど、一緒でございましょう」「いやいや、西行殿。我々は夷の国である。京から見れば、異国じゃ。京から攻め滅ぼされるべき国じゃ。が、民百姓は仏教のお陰で、平和に暮らしておる。それをようご覧になってから決めてほしいのじゃ」「いわば、同志になっていただきたいと申しておるのじゃ」「同志ですと」「同胞(はらから)と言ってもよいかのう」「それほどまでに、この西行をお信じくだされるのか」 平泉・束稲山の桜は満開だった。 その元には平等院に瓜二つの無量光院が見えた。「束稲山の桜、見事でございますなあ」 西行が感嘆している。その西行に対して、にこりとして秀衡は言った。「これも西行殿と見た、あの東山の桜でございますぞ。それにあの無量光院おわかりいただけたか」 秀衡は、昔の京都を思い出し言った。 「あの山は西行殿のために桜を植えましたのじゃ。我々の義の証として」「わたしのために」西行は後の言葉につまる。秀衡は山一つを、京都東山を真似て、桜の山とした。それは西行一人のためにである。「ご感動の程わかります」。「あれは秀衡様が宇治平等院を見て、感激されて、お造りになられたのですね」「のう、西行殿、なぜ中尊寺というか、おわかりになるかのう」「中尊というは、脇侍や眷属神と一見の群像の中央本尊のことでございますな」「そうじゃ、西行殿、この平泉王国を、よく見て回られたか」そう言われて西行は、ゆっくりと思い起こしてみた。「あの奥羽の所寺を、すべて中尊寺の脇寺、眷属寺と見なしたならば、中央本尊にあたるのが中尊寺でございますなあ」「その通りじゃ」 西行はやっと理解できた。そうなのか。「平泉王国全体が、浄土曼陀羅なのでございますね」「我が祖父、清衡は平泉王国一万余村の村ごとに寺を建てた」 西行の頭には、白河の関からの笠卒塔婆が々と続いている光景が浮かんでいた。「また、西行殿がご覧になったように、白河関から外浜までの道路、一町別の笠卒塔婆を立て、その面に金色の阿弥陀像を描いてござる」「ま、まさしく、平泉はこの世を極楽浄土さながらに実現せしめる、浄土にございます」「我が祖父、清衡、この金色堂の床上に納棺されておる」「清衡様は永遠の命を…。即身成仏でございますか」「平泉は仏教が至高の現実。最高の善なのじゃ。そういう考え方で、平泉を治めておるのじゃ」「お心がけ、りっぱでござります」「うつしじゃ、西行殿。京都のうつしがここ、平泉、そして、仏教の桃源郷をここに、、おわかりいただけるか」(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.30
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――――――― ■義経黄金伝説■第43回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■7 1189年文治5年京都 京都の後白河法皇御殿にも平泉落城の知らせが届く。「頼朝、ついに平泉へ入りました」関白,藤原(九条)兼実が後白河法皇に悲しげに報告した。「そうか、しかたがないのう。平泉を第二の京都にする計画潰えたか。残念じゃのう」「せっかく夢を西行に託しましたが、無駄に終わりました」「が、兼実、まだ方法はあろう」後白河は、また、にやりとする。「と、おっしゃいますと…」 不思議そうに、兼実は問い返す。(いやはや、この殿には…、裏には裏が、天下一の策謀家よのう。平泉を第二の京都にできなかったは残念だが、次なる方策は)「鎌倉を第二の京都にすることじゃ。源氏の血が絶えさえすれば、京に願いをすることは必定。まずは頼朝を籠絡させよう。さらに頼朝が言うことを聞かぬ場合は…」後白河の目は野望に潤んでいる。「いかがなさいます」「義経が子、生きていると聞くが、誠か」「は、どうやら、西行が手筈整えましたような」「その子を使い、頼朝を握り潰せ。また、北条の方が操りやすいやもしれぬ。兼実、よいか鬼一法眼に、朕が意を伝えるのじゃ」笑いながら、後白河は部屋に引き込んだ。兼実は後に残って呟く。「恐ろしいお方じゃ」兼実は背筋がぞくっとしている。■1189年文治5年 伊勢 西行も伊勢にある草庵で、平泉壊滅の知らせをききながら京都六波羅でのある男との会話を回想していた。 いまから二十九年前、永暦元年(一一六〇) 西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れている。 清盛と話す西行から、座敷の遠くに幼児と母親が見えていた。「おひさしゅうござる。西行法師殿の巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの北面の武士、当時の佐藤殿とはのう」 清盛は、西行に色々な歌を代作してもらったことを思い出して、恥じらい、頭を掻いていた。「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」「今は、確か」「そうじゃ、後白河法皇にけちをつけ、伊豆に流されておる。のう、西行殿。古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼児、どう思う」「おお、なかなか賢そうな顔をしておられますなあ。清盛殿がお子か」「いや、違う。常盤の子供じゃ、名は牛若と言う」「おう、源義朝がお子か」 西行は驚いている。政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいるとは。清盛とは拘らぬ男よのう。それとも性格が桁外れなのか。自分の理解を超えていること確かなのだ。「そうじゃ、牛若の後世、よろしくお願い願えまいか。西行殿も確か仏門に入られてあちらこちらの寺に顔もきこうが。それに将来は北の仏教王国で、僧侶としての命をまっとうさせてくれまいか」「北の…」 西行は、少しばかり青ざめる。「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものはない」にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。西行が秀衡とかなり深い関係があり、京都の情報を流していることを知れば、いくら清盛といえども黙っているはずはない。西行は冷や汗をかいている。「……」「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、秀衡殿にとって、荷ではないはず」しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気にしていないように。「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」「俺も人の子よ。母上からの注文が多少のう」 相国平清盛は頭を掻いていた。母上、つまり池禅尼である。清盛も母には頭があがらぬ。この時が西行と義経のえにしの始まりとなった。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.29
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――――――― ■義経黄金伝説■第42回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■7 1189年文治5年 平泉王国 平泉王国の焼け跡を馬で見回る二人の姿があった。源頼朝と大江広元である。 文治五年(一一九六)八月二二日、頼朝の奥州成敗で、実質上日本統一がなったといえる。大和朝廷の成立後も奥州は異国であり、異国であり続けた。 二人は、中尊寺のところに来ていた。この寺跡は焼け残っている。見上げる頼朝は、感動していた。「おお、広元、この平泉王国の富、さすがというべきか」「ははっ、聞きしに勝る都城でございます」 西行がいった通りだと頼朝は考えていた。平泉は仏教王国だった。 なにしろ、頼朝は、伊豆に流されて以来、毎日毎日読経ばかりだったのである。心根に仏教教典が染み付いている。空で経文がいくらでもいえるのだ。 奥州藤原氏に対するやっかみの心が、頼朝に擡げてきた。(こやつら奥州藤原氏にだけは、負けたくない。私が日本の統一者だからだ。私が日本一の武者の大将なのだ。それならば、私の町鎌倉にもこのような寺が必要だ。「このような寺を鎌倉に作るのじゃ。鎌倉が、都や平泉に劣ることあれば、われらが坂東武者、源氏の恥じぞ。この平泉におる職人共をすべて鎌倉に連れ帰り、寺を建てるのじゃ」「心得ました。この平泉にある寺の縁起、すべて書き出し、我が手に提出致しますよう命じてございます」 頼朝の願いどおり『鎌倉には、平泉の寺院を模倣した寺が建てられた』が、それは平泉には及ばない。所詮は、平泉の寺院のコピーでしかないのだ。コピーは本物をこえることはできない。 やがて、頼朝は、目下気になっていることを聞いた。「泰衡が弟、忠衡、発見できぬか」「いまだ発見できませぬ」広元は残念そうに答えた。「ええい、忠衡がおらねば、黄金の秘密一切わからぬとは」 古代東北の地、中でも気仙地方は、世界でも最大級の豊かな金鉱を有していた。今出山金山、氷上山の玉山金山、雪沢金山、馬越金山、世田米の蛭子館金山などである』頼朝はいらついている。(この国を攻めたは、実は奥州黄金を手に入れることぞ。この国の王には黄金が必要なのだ、あの京都を凋落するのは黄金が一番なのだ)「国衡も見つからぬのか」「いまだに姿が見えませぬ」「ええい、国衡もいないとならば、奥州の金を手に入れたことにはならぬ。されば何のための奥州征伐ぞ」 怒りの目で、頼朝はあちこちを見回している。その時、何かがキラリと光り頼朝の目をいた。「あれは…」 頼朝が、小高い台地にある焼け跡に目を移した。あきらかに何ヵ月か前の焼け跡である。二人は高館の跡まで馬を走らす。「この場所が、義経殿が最期を遂げた場所でございます」 広元が冷静に告げていた。「義経が死に場所か……よし、少しばかり見て行くとするか」 その頼朝の目には、涙がにじんでいる。頼朝は馬を、その台地に乗り上げ、ゆっくりと馬から降りた。その場所から崖が北上川へと急に落ち込んでいて、東稲山も間近に見える。頼朝はその風景を見ながら思った。「目の前のあの山が東稲山でございます。西行殿が愛でた桜山です」(義経、なぜ私の言うことを聞かなんだ。俺は武士の世を作ろうとしたのだ。それを後白河法皇などという京都の天狗に操られよって…。我が兄の心根、わからなんだか。やはり母親の血は争えぬか)頼朝は母常盤の血を引いていた、やさしい、さびしげな義経の顔を思い浮かべていた。(あのばか者めが…)太陽の光を受けて、頼朝の眼をいる輝きが焼け跡にある。(これは…)頼朝は、その土を触ってみた。何かが土仲から姿を現す。 それは、猛火にも拘わらず、溶け掛けた銀作りの猫の像だった。見覚えがあった。「大殿様、その像は…」 広元が不審な顔をしている頼朝に尋ねた。頼朝は3年前の、鎌倉での西行法師の顔と話を思い起こしていた。「西行め、こんなところに…、やはり」 頼朝は悔しげに呟いている。「では、その猫の像は、あのおり西行にお渡しなされたものではございますか」「そうだ」「やはり、西行は後白河法皇様のために…」「いや、違うだろう。西行は義経を愛していたのであろう。まるで自分の子供のようにな…」 頼朝は遠くを思いやるようにぽつり述べた。広元はその答えに首をかしげていた。思い出したように頼朝が告げた。「平泉中尊寺の寺領を安堵せよ」頼朝は急に広元に命令を下していた。 頼朝は信心深い性格だった。三二歳で伊豆で旗を揚げるまで、行っていたことと言えば、源氏の祖先を祭り、お経を唱えることだけだった。 まさに、日々、お経しか許されていなかった。毎日十時間の勤行は、頼朝の心に清冷な一瞬を与えていた。神、仏が見えたと思う一瞬があるのだった。この一瞬、頼朝は思索家と思えるものになっていた。 頼朝は、自らの行っている幕府作りが日本の歴史上、大きな転換点になるとは考えてもいる。板東の新王、ついに平将門以上の存在になった。源氏の長者が、何世紀にもわたって成敗できなかった奥州も我が手にした。彼の考えていたのは、武家が住みやすい世の中を作ることのみであった。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.27
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――――――― ■義経黄金伝説■第41回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■6 1189年文治5年7月 鎌倉「さあて、源氏の古式にならい、旗をあげる時じゃ、広元、準備おこたりないか」源頼朝が言った。大江広元は大江国房の孫である、平泉に攻めいるは源氏が「前九年の役」からの野望であった。「源氏の血を奥州に広めねばならん」。「大殿(頼朝)様、日本のすべての国に動員をかけませ。頼朝様の見方かどうか判断できましょうぞ」「ということは、源平の争いのおり、我が源氏の軍に刃向かいものどもにも、動員をかけるわけか」「さようでございます。今天下は大殿さまに傾きつつあります。誰が見方か、敵か、この動員に参加するかどうかで見事にわかりましょうぞ。これにより、大殿様の天下草創が周知徹底できましょうぞ。すなわち、源氏が武家の王であることが見事証明できましょう」「わかった。みなまでいうな。広元、その力をもって平泉を征服しょうぞ」■東国は将門(まさかど)の乱の後、1028年(長元1年)平らの忠常(ただつね)が反乱を起こした。追討使は源頼信。多田の満仲の子供である。源頼義(よりよし)は前九年の役(1051年から1063年)、後三年の役(1083年-1087年)を通じて関東平家を郎党とする事に成功した。源頼義(よりよし)は、板東の精兵を、奥州の乱の鎮圧に動員した。その契機は平直方(なおかた)の娘婿となったからである。忠常(ただつね)の乱のおり、平直方(なおかた)は追討使となり、源頼義(よりよし)の騎射の見事さに感心し、娘を嫁がした。平直方(なおかた)は鎌倉に別荘を持っており、源頼義は義理父からこの屋敷を譲り受ける。鎌倉は関東平氏のの勢力範囲であったが、源氏は関東地方に人の支配権を得た。源頼義の子供であり平直方(なおかた)の外孫である義家(よしいえ)は、前9年の役、後3年の役でその武名を天下にとどろかせた。源義家よりの4代目が、源頼朝、源義経の兄弟である。後三年の役は1087年に終わり、その100年後、頼朝の私戦、奥州大乱は、1189年7月に鎌倉の出発を持って始まる。頼朝は、新しい日本歴史を作ろうとしていた。日本の統一である。■ 1189年(文治5年)9月 平泉王国 (なぜ私が攻められるのじゃ)。奥州王である藤原泰衡は悲しくなった。(約束を守ったではないか。ちゃんと頼朝が言うとおり、義経を殺し、その首を差し出したでしないか。義経を差し出せば、奥州は安堵するという約束をしたではないか。くそっ、西の人間など、やはり信頼できぬ。この戦どうしたものか。助かる手段はないものか。そうじゃ、ともかくも頼朝に平謝りに謝ろう。そうしなければ、親父殿、祖父殿に申し訳が立たぬ。この身、どうしても奥州仏教王国守らぬばのう。 そうだ、まだ西行がおる。あやつを捕まえ、頼朝に申し開きもうそう。そうだ、それがよい) 奥州の平泉王国第4代国王、藤原泰衡は思った。 が、一瞬後、その命が吹き引き飛んでいた。郎党、河田次郎の裏切りであった。奥州黄金郷は、ここに滅んだ。1189年(文治5年)9月3日の事である。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.26
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――――――― ■義経黄金伝説■第40回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■4 1189年(文治五年) 十三湊(とさみなと) 津軽平野を横切る岩木川の河口に十三湖と呼ばれる海水湖がある。現在は狭い水戸口で日本海と結ばれているが、昔は広大な潟湖であった。 義経と吉次が目指していた十三湊(とさみなと)がここである。 藤原秀衡、その弟秀栄の勢力圏である.この十三湊を中心に蝦夷地、中国大陸との貿易を行い、繁栄していた。この湊から貿易された蝦夷や、黒龍江など、異民族の産品は、京都に送られ、公家たちを喜ばせていた。 夷船、京船など各国の船が商売を求めてこの港をおとづれている。その船どまりに、吉次の船は停泊している。船を外海用の船にさし変えて出かける。食糧、水を積み込むためである。「吉次よ…」と義経は吉次に呼びかけていた。牛若の頃を思い出している。「そうだ、あの源空はどうしていよう。今の私の姿を見たらどういうだろう」源空はすでに法然として宗教活動にとりくんでいる。後白河法皇も帰依しているのだ。(無駄な殺生はおやめなされと今でもいうかな。だがすでに私の手はもう汚れている、平家の若武者の屍をいくたり気づいてきたことか。日本全国に死体の山を気づいていた。兄じゃのために、その私が兄者のために、この日本を追われるのだ)今はもう若き頃、思い出だ。「京都の鞍馬山、よう冷えたな」「はっ、殿。京と鞍馬山よりも奥州平泉の方が寒いのではありませぬか」 吉次は、義経の質問の意味をうまく理解できずに答えていた。「いや、吉次。人の心じゃ。京の人の心は冷たすぎる。あの都市の地形によるものなのか」「が、殿、これからゆかれる蝦夷はもっと寒うございますぞ。雪も深うございます」「そこに住む人の心が暖かければよいが…」少しばかり義経は考えていた。「ところで吉次。静は健やかだろううか」「心配なされますな。後ろ盾には西行様がついておられます」「が、西行様もお年じゃ」「ようございますか、義経様。義経様が今日あるは、西行様の深慮遠謀のお陰。すべて考えられる手は打っておられます」 義経は、目の前に広がる寒々とした日本海の海面を見つめ、寂しそうにして言った。「そうであろうな、無論。が、吉次殿、お前はなんで私を逃がす手助けをした。なぜ心変わりした」「吉次は商人。利で動きますぞ」吉次は僅かに笑ったようだった。「利か。私と一緒にいて、お主に何の利益がでるか」「ふふう、それはこれからの義経様の動き次第。よろしいか、義経様。十三湊の先は宋国そして、あの金でございます。また新しい国が誕生するとの噂も聞いております。その時に義経様に助けていただきましょう。藤原秀衡様の祖父、清衡様は、昔から黒龍河を逆上っておられます。その河の沿岸には、商品が数多くございましょう」「それに吉次、俺は蝦夷の地図を持っておるからのう」「そう、それでございます。それは言わば宝の地図。いろんな商材がありましょう」 吉次は遠くを思いやるような眼をした。「もう一度、夢を追ってみるか」吉次は思った。 (奥州藤原秀衡様のお陰で一財をなした。が、その秀衡様も今はない。これからの日の本は、源頼朝殿の世の中になる。が、そのうち外国で一儲けも二儲けもしてみよう。商人吉次の心には、もう日本の事は映っていないかもしれない。出雲、備前、播州、大坂渡辺、京都平泉第、多賀城、平泉、、。あちこちを移り住み、商売をした。平の清盛と共に奥州の金をつかい、福原で宋の商人と貿易もした。日本全国に吉次事の手配の者が散らばり商売を行っている、主人であるこの儂がいなくても、商人の砦としての吉次王国は揺るぎもしまい。儂の後輩が跡を継いでくれよう。日本全国に儂のような商人が増え、日本の商売が繁栄し、日本が繁栄するだ)吉次はそれを、望んだ。(日本が平和であればよい、すでに頼朝殿により、日本は統一されるだろう) もの思う吉次、義経二人の前に、唐船が、突然現れて、義経らの船腹に急激に力任せにあたっていた。衝撃が走る。 「む、この唐船は、、何用」 「何奴?」 船から竿がのび義経の船へ。その船へ飛び乗ってきた僧衣の聖たちが、突然、義経を圧し囲んでいた。「義経様、お命ちょうだいいたす」聖たちが叫んだ。「待て、お主ら、誰の手の者じゃ」「我らか。我らは文覚様が手の者じゃ」「何!文覚」「今はもう頼朝様が世の中。義経様のこの世での役割、もう終わられたぞ。消えていただきたい」「まてまて、お主ら、文覚殿にお伝えあれ。この義経は兄上と張り合う、そのような望などない。もう私、義経は日の本にはおらぬ。遠い国へ行くのじゃ。日の本のことなど預かりしらぬこと」「それが俺らは合点が行かぬ。いつ帰って来られるかわからぬ。それは頼朝様が世を危うくする」 聖たちは、八角棒を構え、殺意をあらわにしている。義経はしかたなく刀を引き抜いている。坂上田村麿呂将軍の刀である。飛びかかる男を二人切り放った。船上で、殺戮が始まろうとした。「まて、皆、やめよ」戦船の長らしい男が、船からわたって来て、義経に対峙していた。「義経様と存じ上げます、我らも無駄な殺生はしたくはございません。文覚様からの伝言をお聞きいただきたい」「何、文覚殿の…、申してみよ」「もし、坂上田村麿呂将軍の太刀をお返しくださるならば、我々手を引くように言われております。我らが目的はその太刀でございます」「なに、この大刀を…」「さようでございます。その太刀は征夷大将軍の太刀、大殿様にとっては征夷大将軍という位、大切なものでございます。また皇家にあっては、その太刀が外国に渡ること、誠に困難をを生ぜしめます、なぜなら皇家にとって、その刀は蝦夷征服をして統一を果たした日本国を意味する大事な刀でございます」吉次が言った。「義経殿、よいではないか。お返しなされい。そんな太刀など、どうでも良いではございませぬか」「何を言う、吉次。お前も知っておろう。この太刀、我が十六歳のおり、鞍馬から盗みだし、ずっと暮らしを共にしてきた刀じゃ。そう、やすやすと…」船長が、続けて言う。「では、こういたしましょうか。約束をもうひとつ。もし、その太刀をお返しくださるならば、決して義経様が和子、義行(よしゆき)様を襲いはしないとお約束いたしましょう」「我が和子をか。くそ、文覚め」「が、殿、このあたりが取引の決め所かと」吉次が告げる。「この商売人めが。むっ」しばらく、義経は考える。「よい、わかった。この太刀、お返しいたそう。が、必ず、我が和子、義行がこと、安全をはかってくれ」 義経の太刀は、頭らしい男の手に渡った。やがて船と船とを繋いでた桁が外されている。「では、義経殿。よき航海を、いや失礼いたしました。これから先の事。我々の預かり知らぬことでした。我々は義経殿には合ってはおりませぬ。ただ、海から行方知らずの太刀を、拾いあがただけの事」 両船は、少しずつ、離れて行く。「が、義行のこと、必ず約束を…」義経は船にむかい叫んだ。「わかり申した。文覚様にそう告げます」「大丈夫でしょうか」吉次が疑問を投げる。「まあ、西行殿、鬼一殿、生きておわす間はな、大丈夫であろうよ」義経は、遠くをみながら言った。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.25
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――――――― ■義経黄金伝説■第39回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■3.文治五年(1189)鎌倉 文治五年(一一八九)六月一三日。「九郎義経殿の首、届きましてございます」広元が頼朝に告げていた。「何、義経の…」「いかがいたしましょう。御館様直々に」「いや、止めておこう。顔を見知りおく梶原景時と、和田義盛に行かせるのじゃ」 (これが義経が首か)塩漬けにされた首が、漆箱から出された。梶原景時は思った。 (何とこやつは不思議な奴よ。数々の新しい戦い方を考えつきながら、言うこと、話すこと、考えることは、まるで童子のような奴であった) 義経の首は、塩漬けにされていた。奇麗に彫金された漆の箱から取り出される。 (されど、泰衡も可哀想な奴よ。自らの首を絞めよったわ。頼朝様が自分の弟をこのような目に合わした奥州藤原氏を許す訳がない。なんと政治的見解のない男よのう。所詮は奥州の田舎者。祖父、父よりはずーっと人間が下がりおる)梶原は思った。(頼朝様の怖さを知らぬ。あの方は自分の思いどおりに動かぬ者、あるいは頼朝様の思いを読み取れぬ者を非常に嫌われるのだ。が、それに義経に対する兄弟愛を泰衡は気づかなんだか。 義経を捕縛して、頼朝殿に差し出せば何とかなったかもしれんな。いや、まてよ、やはりだめか。 頼朝様が欲しいのは、奥州は金の打出の小槌よ。頼朝様が言えば言うだけの金が送り込まれて来るわ。)これからの戦略を梶原は思った。 頼朝は忙しげにあちこち歩き回っていた。頼朝は自分で命令しておきながら、義経の首は見たくなかった。「どうであった」不安げに頼朝は、広元に尋ねた。「梶原曰く確かに義経様の首であったということです」「むう、泰衡め。我が弟を殺しおったか。早速、奥州を打つ。我が弟が敵じゃ」 頼朝は、急に怒り出した。 その怒りの激しさに、広元は驚いている。(なぜだ。ご自分が命令なさったくせに。この殿は、京の女子のようなところがあるな) 「院宣はどうなさいます」「そのようなもの、必要ない。この頼朝の弟を殺したは許しがたい。奥州藤原氏め、余が総指揮をとって攻め滅ぼそうぞ」 頼朝は甲高い声で、上ずって、まるでヒステリー状態のように命令していた。「御意。いよいよ日本は、頼朝様のもとに」「広元よ。日本よりも、俺は義経を殺した泰衡めが憎いのじゃ。父秀衡があれほどかわいがっておった義経を、自分が王国支配したいがゆえに、殺してしまいおった泰衡めがのう」「はあ…」広元は急に気が抜ける気がする。(一体、何を考えておられるのじゃ。が、まあよい。今は奥州藤原氏を滅ぼせばよいのじゃ) 広元と頼朝は、しばし無言でみつめあう。 頼朝は、急に昔にした義経との会話を思い起こした。「兄上、父上は兄上に似ておられますか」 頼朝は、急に義経にこう聞かれたのだ。「なんだ、こいつは…」 義経は真剣な眼差しで頼朝をじっと見つめている。「こやつは子供か」と頼朝は思った。 義経、は父のことを覚えていないのだ。一二歳の時まで父親と一緒に戦い、無念にも負けた頼朝とは違う。父親の愛情を受けたこともなく、父の記憶もまったくないのだろう。義経の心のどこかに、父を思う気持ちが常にあるのだ。と、人間観察にかけては優れている頼朝は思った。 (このような純粋な心を持っている奴は、かえって危ない。思い込んだらそれこそ命懸けだ)と、頼朝は義経の心の純粋さを羨み、そして義経を憎んだ。一方、大江広元は、鎌倉へ来いという書状を受け取った日のことを思い起こしていた。貧乏貴族である大江広元は、昇殿を許されていない。つまり、帝にお会いすることなど、かなわぬのだ。 しかしながら、幼少のころから蓄積された学問が、広元の自意識を肥大させていた。(私は大江の家のものだ。自分ほどの者が、なぜ重用されぬのか。藤原の阿呆どもが、どんどん出世し、なぜこの俺が、このような貧乏ぐらしをしなければならぬのか)鬱屈した意識が、一層勉学に打ち込ませていた。 そんなある日、源頼朝の元にいる知人から、ぜひとも鎌倉へという手紙を受け取のだ。新たな天地、板東の鎌倉!。新世界。 広元は迷った。鎌倉などは町ではない。この当時、日本で都市といえたのは京都、そしてかろうじて南都奈良。そして奥州藤原の平泉。それ以外は泥臭い田舎である。教養人など、一人もいないのだ。 広元は文化の香りが好きだった。知的な会話を欲していたのだ。その知識人のいない鎌倉へなど。しかし、義経の存在が、広元の意を決しさせた。 それは暑い日だった。 その日、木曽将軍を滅ぼした義経の軍勢は、都大路を行軍していた。京の民は、「ほう、あれが義経か」と物見高く、都大路に並び、一目有名な義経を見ようとざわめいていた。義経は武巧一の武者であり、そしていわばアイドルスターだったのだ。 広元は興味にかられ、庶民の間に入って、義経の軍勢を眺めていた。 「うっつ」広元は、衝撃を受け、急に道ばたに倒れていた。 何かが広元の額に当たり、一瞬気を失い、倒れたのだ。 やがて、気がつくと、額が割れじっとりと血がにじんでいる。「くそっ、一体」「だいじょうぶかい、お公家さま」 見知らぬ庶民が、不安げに広元に声をかけている。「一体、私はどうしたのだ」 思わず、ひとりごちていた。「お前さん、気付かなかったのかい。義経さまの馬が撥ねた石が、お前さんの頭に当たったのさ」額に手をあてる、じっとりと血がにじんでいる。「何…、今、義経は…」 怒りの勢いに、その庶民の男はのけぞり指さす。「ほら、あそこさ」 広元は勢いこんで人込みをかき分け、義経の顔を覚えておこうとした。「おのれ、義経、覚えておけ」(相手は凱旋将軍。何も覚えてはいまい。俺は単なる路傍の石。が、今に見ておれ)何かが広元の中ではじけていた。(俺は、俺の知識で新しい国を作ってやる)急にそんな思いが、広元の心を一杯にした。思いもかけぬ考えだった。そんなことを、今の今まで考えてもみなかった。 この日、しかし、民衆の羨望の目を浴びながら、にこやかに、すこやかに、何の苦労も知らぬげに、都大路をゆったりと後白河法皇の元へ向かう義経に、広元はどす黒い怒りを覚えた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.24
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――――――― ■義経黄金伝説■第38回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■2 1189年(文治五年) 平泉 平泉ちかく北上川の川縁にいる西行が、吉次の方に向って言った。吉次は小船を用意している。「さて、吉次殿。義経殿の逃げ先、よろしくお願いいたします」「わかりました。すべておまかせを。して静殿は、いかがいたします」「吉次殿、この手配りは、静殿には話していない。供を付けて京都に帰っていただくか」「わたしもそのほうがよいと考えます……」吉次も首肯した。静は気を失って倒れている、 遠くやけくすぶる高殿、義経屋敷跡の煙が巻きあがっている…。 二日後、北上川の船上に、ゆったりとすわっている義経がいた。 吉次が姿を見せる。気付いた義経が話しかける。「のう、吉次殿、十五年前もお主の船で、だったな」「さようでございますなあ。なつかしい限りでござます」 吉次は、遠くを見透かすような目をする。「あの折りは、ものもわからぬまま、お主に連れられ、摂津大浦(尼崎)から多賀城まで一航海じゃった。が、あの頃の俺は、意気に燃えておった」「何をおっしゃいます、義経様。これから、まだまだでございます。これからの行き先、蝦夷には、新天地が待っていましょうぞ」義経にとって平泉は新世界であったが、まだ、その先の新世界へ行こうというのだ。「吉次殿、お前もあの頃に比べると、偉くおなりだな」「あの仕事で、私に運が開けました。お陰様であの縁で、藤原秀衡様にかわいがっていただき、このような身代が築けました」「ああ、そうか、すべては西行法師殿のお陰だなあ」「さようです。西行様のお陰でございます」「残念ながら、私は西行殿の役には立てなんだ」 義経はすこし寂しそうな顔をした。「西行様の思いとは…」「あの平泉を、第二の京都、陰都とするとする事じゃ。そして崇徳上皇をお祭りする事だ。平泉王国を、北のそなえとして仏教王国として、平和郷を作ることだった。その将軍が私だ。また、主上を、平泉お招きするという案だ。この企みは、後白河法皇も気に入っておられたのだ」「仏教の平和郷ですか。もう、それもこの日本にはございますまい。すべては鎌倉殿の思いのままになりましょう」「藤原泰衡殿が、兄上頼朝殿と何とかうまくやってくれればよいが」「それは、やはり、むつかしゅうございましょう」吉次は冷たく突き放した。北上川の水面も寒々と、月光をあびて澄み渡っている。■1189年文治5年・京都「なに、義経、自刀したとな」後白河法皇がうめいた。「今、多賀城国府より知らせが入りました」藤原(九条)兼実が答えた。「しかたがないのう。後は頼朝が動き注意せねばなあ。ところで、義経が家来、皆、討ち死にいたしたか」後白河が、兼実に不安げに尋ねた。 後白河の顔色を見て、藤原兼実が意地悪く尋ねる。「院がお気になさっているのは、弁慶の事でございましょう」兼実は、うれしげに返事を待っていた。「そうじゃ、あやつは朕が手先。が、途中で義経に寝返ってしまいよった。せっかく熊野の山で見つけた、朕がための闇法師だったのだが」「さようでございましたな。院が熊野へ参拝なさったのも、もう三十回になりましょうかや」「そうなのだ。弁慶は十度目の熊野参拝の折り、朕が、眼につけたのだ」後白河はそのおりを思い返すように言った。 この時期、蟻の熊野詣といわれるくらいに、熊野詣は流行っていた。我も我もと、皇族や貴族が和歌山の熊野に詣でるのである。京都から淀川をくだり、渡辺津から泉州をぬけて…熊野は旧き日本の時から、1つの王国勢力であり無視できぬ。それゆえ、特別の配慮が行われている。熊野三社は伊勢神宮と同格とされている。大和朝廷統一以前の勢力がいまでも残滓として残っている。山伏もこの地域を勢力範囲とした。当時の海の交通には熊野の海商が、海の侍が大きな役割を果たしている。熊野三社の供御人(くごにんー神社に属する人間)が、遠く奥州まで船を運んでにぎわっている。熊野、伊勢の回船や船人をいかに把握するかが、この時期の日本の支配者には是非とも必要であった、山伏もまた、この時期の日本にひとつの勢力である、が、頼朝と広元は、日本全国に守護地頭という制度をつくり、板東のご家人を送り込む事により統一しょうとした。 十度目かの後白河法皇の熊野巡幸。その折りに山法師が後白河法皇の宿所に願を願っていた。「殿下、弁慶とか申す山法師、ぜひともお目にかかりたいと申しております」「どんな奴じゃ」「いや、それは化け物のような…」「化け物のようじゃと、おもしろい」「朕が会ってみようかのう」「お止めください。危のうございます」 が、その返事の前に、向こうで騒ぎが興り、何かが法皇の前に飛び出して来ていた。雑色を振り切り、弁慶が雑色たちの人垣を跳躍して来たのである。恐るべき膂力であった。「私が、その化け物の弁慶でございます」 悪びれずに、その大男は言う。後白河は思わずたじろいでいたが、「くはは、お主が弁慶か。ふふふ、おもしろい奴よのう」 が、一瞬、後白河は、弁慶の顔に何かを見たようだった。「いかがなされました、法皇様」「いや、何でもないのじゃ。汗が目に入ってのう」後白河は顔をつるりとなでた。「それでは、私の考え、お聞きください」 護衛の武士が追いついて来た。「恐れ多いぞ、何者ぞ。主上の前なるぞ。いかがいたした」「よいよい、しゃべらせてやれ」「よろしゅうございますか。法皇様、この世の中は、断じて間違ごうてございます」「何をぬかす」「よいよい、しゃべらせてやれ」」「平家がごとき世の中を支配するとは、必ず法皇様、天を御所に取り戻してくださいませ。これらは我らが願いにございます」「我らじゃと、我らとは誰じゃ」「我々、山法師でございます」「ほほう、気にいったぞ。お主の心根、面構え、名は何と申す」「はっ、武蔵坊弁慶と申します」「弁慶とやら、朕の闇法師を申し付けるぞ」 ちらりと後白河は笑ったように見えた。が、弁慶は「ありがたき幸せ」 と深々と頭を下げているので、その表情が見えない。「して、お主の母、ご鶴女殿は息災か」「法皇さま、わたしの母親の名前をなぜご存じか…」「うむ、昔あったことがな、あるのじゃ」(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.23
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――――――― ■義経黄金伝説■第37回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第6章 1189年(文治五年) 平泉■1 1189年(文治五年) 平泉 文治五年(1189)4月30日』「もはや、これまでじゃ。義経殿を高館を襲え」 奥州、藤原泰衡は、目の前に揃う武者に命令を下していた。激情で目の前が真っ赤になっているのだ。奥州藤原の武者たち500騎乗は「おう」と鬨の声を上げる。藤原秀衡がなくなりまだ、2年とたたない。泰衡は平泉で兄弟や部下の粛正をつくかえしている。自分の命令を聞かない部下や弟を亡き者にしていた。その滅亡へ、自ら進んでいるのだ。武者は、義経がいる高館を目指して駆け寄ってくる。高館の物見がきずく。高館に火矢が打ち込まれる。泰衡の軍勢は、半刻後、高館を取り囲んでいた。逃れる道はない。高館へのすべての道は兵で塞がれている。「高館が、燃え上がっております」 燃え上がる高館近く、北上川の対岸で、西行と静が二人していた。「くそ、まにあわかたか。静殿、残念じゃ、」「静殿、義経殿にあのこと伝えてられよ。聞こえるかも知れぬ」西行は静を促した。 西行は。高館にいる義経に伝えよう叫んでいる。「殿、和子は生きておわす」遠くから、静は義経に呼びかける。聞こえているのかいないのか義経の姿は望見できない。「殿、わ、和子は…頼朝様のご慈悲で生きておわす。和子の命、お守りくださると約定いただきました。これは政子様も、ご承知になられております」義経の姿が見えたような気がした。、静の姿にゆっくりうなずき、炎の中に入って行った。 火の手が高館すべてにまわっている。 外から呆然と見上げる西行と静。「さあ、もうよかろうぞ」「義経さま……」静は、高殿の方へ声を限りに叫んでいる。高館の中、「もはや、これまでか」義経はうめいている。「義経様、どうぞ、ご準備のほうを」 東大寺闇法師、十蔵が、義経そっくりの顔で言う。十蔵は西行の命令で、この地にいるのだ。「十蔵、私だけが助かる訳にはいかん。私を信じてついてきてくれた郎党たちも、助けてくれ」「義経様、それは無理というもの」 義経の回りには弁慶始め郎党たちが、取り囲んでいる。皆、覚悟を決めているのだ。「どうぞ義経様、お逃げくだされ。我々はここで討ち死にし申す」弁慶が涙ながらに言う。「そうです。それが日の本のため」他の郎党も続けた。「どうか頼朝殿に無念をはらされよ」「弁慶、自分だけいい子になるなよ」「よろしいですか。義経様は我々の宝。いえ、この日本の黄金じゃ、どうか生き延びてくだされ」「武者は戦場で死ぬものでございます。我々、義経様のために死ぬこと、恐れませぬ。むしろ誇りに思います」「我々は、平氏との、幾たりかの、戦いを、楽しませていただきました」「武勇こそ武士の誇り]「義経様…」「俺は良き友を持った」義経のほおを、滂沱の涙がしたたりおちている。義経は、その涙を拭おうともしない。「友ですと。我々郎党をそのように…」 義経の郎党、全員が義経をとりかこみ泣いている。皆、胸に込み上げて来るものがあるのだ。 弁慶は思った。これは愛かもしれんな。衆道ではない。仏門で、衆道は当たり前だが、俺の義経様への思いは、やはり愛だろう。そうでなければ、もともと俺は後白河上皇様の闇法師じゃ。鎌倉殿の情報を取り入れがために、義経様に近づいたのじゃ。 弁慶は不思議に思った。そして時折、後白河法皇の憂鬱げな顔を思い出していた。弁慶を見る法皇のまなざしには何かがあった。家族愛、不思議な感覚であった。弁慶は、また、一個の後白河法皇の闇法師、いわば法皇の捨てゴマだった、その男に対し法皇のまなざしは何かを告げようとしていた。法皇は、今でもまだ、白拍子を呼んで、今様を口ずさんでおられるのだろうか。弁慶は遠く、京都にいる法皇を思った。「泣いている暇など、ありません。早くお逃げくだされい」東大寺闇法師、十蔵が冷水を浴びせる。「何じゃと、人間の感情がわからぬ奴じゃのう、お主は」 弁慶が涙で目を一杯にしながら、十蔵にけちをつける。「弁慶殿、俺らが東大寺闇法師の命は、目的のために捨てるのが定法。今がその時。一刻も猶予はならんのじゃ」「十蔵殿…」 義経が十蔵の肩に手を乗せた。「済まぬ。私がごときのためにのう。命を捨ててくれるのか」「何をおっしゃいます。奴輩は、炎の中で死ぬが本望。先に東大寺での戦で、多くの部下を殺しておりまする。また目的に死ぬこと、東大寺の闇法師として恐れはいたしませぬ」「すまぬ。許せ。皆、さらばじゃ」 義経は、地下につくられた坑道から消える。十蔵が支度し、施工した坑道であった。「東大寺勧進職、重源殿の絵図、役に立ったな」弁慶がひとりごちた。 やがて平泉、北上川を見下ろす北政庁北西の小高い丘にある高館に、藤原泰衡の軍勢がわれさきになだれこんできた。「お主ら、ここから先は地獄ぞ。わしが閻魔大王ぞ」 その弁慶めがけ、数十本の矢が打ち込まれていた。 弁慶は一瞬、たじろぐが、再びからだを動かし「ぐっ、これは、これは、泰衡殿の武者もなかなかのもの、けつして平家にひけはとらねのう」弁慶は。泰衡の兵に打ちかかっていく。「こやつは化け物か」 泰衡の兵共がその生命力に驚いている。西行と静は、まだ対岸にいた。静は、うなだれている。「静殿、さあ、今上の別れじゃ。一節、薄墨の笛を吹いてくださらぬか」「西行様、酷なことをおっしゃいます。それに果たして、義経様に聞こえるかどうか」「何をいわれる。ここが静殿の見せ場ぞ。静殿の義経殿への愛の証し、ここで遂げられよ。義経殿の旅に趣向をなされ。それが、静殿のお持ちの薄墨の笛じゃ」 西行は文学者であった。この殺戮の場においても、文学者的な演出を試みている。それが、静には奇妙に思われる。この方は何をお思いか。「薄墨の笛」これは代々源氏の長者に受け継がれる、鋭い音色の出る笛、竜笛である。昔から、中国では竜の声として言われているのである。 静は、この笛を、吉野で義経と別れた時にもらっている。太郎左たちに襲われたときも肌身離さず持ち歩いていたのである。「よいか、静殿、最後の別れじゃ。一節吹かれよ」西行は、静に命令している。「西行様は、酷なことをおっしゃる」「静の愛の表現を、この場でされよ…、義経殿とは、もう二度とはこの世の中で会えぬのだ。別れを惜しまれよ」 静は、涙ながら笛を手にした。 高館の火の手は、一層燃え上がっている。 炎を背景に、笛を吹く静の姿は、妖艶であった。静の目の色は、今や狂人のそれである。悲しい音色が、いくさ場の中で、旋律を響かせている。『十蔵殿、頼んだぞ。このあいだに義経殿は、お逃げくだされい』 西行は心の中で叫んでいた。静かにすら義経が逃げる事は教えていない。「ああ、義経様」演奏の途中で、静は崩れ落ちる。 西行は、静を抱き起こし姿を消そうとした。藤原泰衡の軍勢が、北上川対岸にいる、西行と静に気づき、こちらにむかってきたからである。東大寺闇法師、十蔵は高殿の炎の中、僧兵の雄叫びを聞いたような気がした。(ここが死に場所。平泉、高館。そして義経殿の身代わり。何とよい死に場所を、仏は与えてくれたものか。東大寺の大仏を焼いてしもうた、部下の僧を助けられなかった責任は、これで少しは心がやすんじられよう) 悪僧(僧兵)の頃に、心は戻っていた。紅蓮の炎を見ながら、十蔵は思った。心は、その時に舞い戻っている。奈良猿沢の池のまわりに、僧兵の首のない死体がごろごろ転がり、地面を流れた血糊が、地を、どす赤黒く染めあげている。 東大寺、興福寺の伽藍の燃え上がる紅蓮の炎は、火の粉を散らせる。死体をくすぶらせる煙が舞っている。えもいわれぬ臭みが、辺りを覆っていた。空は昼というのに、炎のため浅黒く染まって見える。 あちこちの地面に差し込まれた棒杭の先には、平家の郎党に仕置きされた僧兵の首がずらりと無念の形相を露にしていた。ここが死に場所、熱さが十蔵の意識をおそう。紅蓮の炎が重蔵の体をなめ尽くした。東大寺闇法師、十蔵の体は、義経として滅びた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.22
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―――――――■義経黄金伝説■第36回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■6 1187年文治3年 平泉 奥州平泉、高館屋敷で寝ている義経の枕元に、異形の者が現れていた。義経は、気付いて起き上がり、とっさに刀を構えていた。「何者じゃ」「さすがでございますな。義経様、お静かに願います。私は東大寺闇法師、十蔵にございます。ここに西行様からの書状を携えてございます」 十蔵は書状を差し出している。「なに、西行殿の…。おう。お主は十蔵どのじゃな」義経は、先日にあった十蔵の事を思い出し、書状をあらためる。「西行様に、秀衡様からの密書届いております」「秀衡様の密書、何ゆえに西行殿の手に」「秀衡様のお子様たちのことを考えてのことでございましょう。西行様と京の後白河法皇様。すでにご相談なさっておいでです」「して、何と」「義経様、この平泉で死んでいただきましょう」十蔵は冷たく言い放った。「何を申す」義経は驚いている。「よろしゅうございますか。鎌倉に、静様の和子様、生きておられます」 加えて、驚くべきことを、十蔵はさりげなく言う。「なに……、それは誠か。して男の子か」 義経の驚きは、喜びに変わっている。「はい、さようにございます。今は大江広元様が手の者が、育てております。また、この事は、頼朝様はご存じではありません」「大江殿が…。つまり、兄者が平泉を攻める時の人質という訳か」 義経は考え込む。「いえ、頼朝殿の策は、泰衡様に義経様を打たせるおつもり…」「む、何と、兄者はなんと汚い策をお使いになるのか。それで、我が子はどういう策に使われるのだ」「おそらくは、義経様を平泉の武士たちと団結し、頼朝殿に当たらせないがため…」「さすれば、私はどう動けばよいのじゃ…」義経は悩む。もうあの源平の戦ではないのだ。この平泉の義経は別人のごとくなのだ。「私が、義経様の身代わりになって、この地にて果てさせていただきます。義経様は平泉からお逃げ下され」 十蔵は冷静に答える。義経が驚く番だった。「何だと、私には縁のないお前が…代わりに討たれるだと、、」「さようでございます。西行さまの命令でございます。十蔵のこの命、東大寺のもの。すでに闇法師となった段階ですてて降ります。義経様はご存知あるまいが、私は源平の争いですべてを失っております。魂の抜け殻でございます。よろしゅうございますか、義経様。このときに乗じ、蝦夷へ落ち伸びてください。吉次殿が手の者が、お助けするでございましょう」「重蔵殿、、」義経は言葉がでてこない。何ゆえにこの男は、私のために、、そして、吉次殿。「吉次殿が、私を助け出すといわれるか……」ようやく、言葉を発した。何かの感動が、義経の心をとらえている。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.19
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―――――――■義経黄金伝説■第35回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■5 1187年文治3年 京都 「磯禅尼殿、失礼いたす」西行がつづいて、京都五条に住む磯禅尼(いそのぜんに)を訪ねていた。「おお、これは西行様ではございませぬか。おひさしゅうございます」「禅尼、和子をどうなされた」「和子ですと、急になにをいわれます、どなたの和子でございますか」「お隠しあるな、静殿と義経殿の和子じゃ」「静ですと、そのような者、私の子供ではありません。何を申されますのです。それに義経様の和子様、男の子ゆえに、すでに稲村ヶ崎で海中に投げ入れられてございます」白々と泣く真似をしている。「禅尼殿、そなた、鎌倉の大江殿とは取引せなんだか」西行は眼光鋭く、厳しく追及する。禅尼は思わず袖で顔を覆い隠す。「何を恐れ多い、鎌倉の政庁長官と取引ですと」が、じんわりと冷汗滲んでいる。「禅尼殿、すべてわかっておるのじゃ。もうお隠しあるな。私も和子を悪いようにはせぬ。せめて、静殿のお手に返してくれぬか」 西行は急にやさしく言う。西行は昔の禅尼の晴れ姿を思い起こしふうと笑った。「といいましても、静の行方、ようとしてしれませぬ」「静殿は、私と一緒ら平泉に向う。今は義経様と一緒のはずじゃ」「義経さまのところ、が、すでに、何人かの暗殺者が、義経殿が屋敷に」「心配するな、東大寺の闇法師を、義経殿が元に遣わしてある。さて、禅尼殿、私と一緒に来ていただこうか」「いずこへ」「いわずとしれたこと、鎌倉の、大江広元殿の所じゃ。和子を取り戻しにのう」■ 1187年文治3年 京都「はてさてどうしたものか」この時期最大の歌人、藤原定家は悩んでいるのである。藤原定家は特大寺家の親戚であり、西行は若かかりし頃、この家特大寺家の家人であった。紀州田仲庄の荘園は特大時家の預かり所であえる。「そうやは、慈円さんとこに相談にまいりましょうか」藤原定家はひとりごちた。慈円(じえん)は関白藤原兼実の弟でもあり、いわゆる文学サロンの仲間であった。慈円は今、西行から頼まれている伊勢神宮あての歌集を清書している。歌集は奥州に出かける前に仕上げていたが、この清書書きを慈円にたのんでいた。西行の「しきしま道」は、一歩、完成に近づいていた。■ 1187年文治3年 鎌倉「これはこれは、西行殿。鎌倉に庵など持つお考えを改められたか。これからは鎌倉が日本の中心ぞ」 数日後、鎌倉の大江屋敷に西行はいる。 この時期、宿敵の文覚は鎌倉にいない。弟子の夢見も同じ行動をとっている。「いやいや、私ももう年でございます。ただ広元殿だからこそ、お願いしたい儀がございます」 西行のへりくだった様子に、広元は、かえって不信の念を抱いた。「はてさて、この私に一体何をせよと」「義経殿の和子、お渡しいただきたい」「何を仰せられる。血迷われたか。静が生んだ和子は、すでに稲村ヵ崎に打ち捨てられた」 その答えに西行は、にやりとして、「広元殿、このこと頼朝殿にもお隠しか。が、私の耳には入っており申す。よろしいか、広元殿。私の後には山伏が聞き耳、知識糸を、日本全国に張り巡らされてござる。広元殿のこの子細、頼朝殿の耳に入れば、今は鎌倉政庁の長官といえども、どうなるかわかりませんぞ。富士の裾野のこと、お忘れではござりますまい。頼朝殿の勘気に触れれば、その人物に用なくば、すぐ打ち捨てられましょう。このこと、唐の歴史に詳しい広元殿なら、おわかりのことでございましょう」西行の恐ろしさが広元の体の中に広がって行く。 (ここは西行におれて、味方に加えるは一策か)広元は、真っ青になり、おこりのようにぶるぶる震えた。広元は書状をしたためた。「ええい、西行殿、和子を早々に連れていけ。預け先は、この書状に記してある」「ありがとうございます」西行に笑みが浮かんでいる。「が、よいか西行殿。この和子、決して世の中に出すではないぞ。頼朝殿の元に、すでにこの日本は統一されたのじゃ」 投げ捨てるように言う、大江広元。西行に逆に凄んでいるのだが、いかんせん迫力が違った。■ 1187年文治3年 多賀城 多賀城国府にある吉次屋敷では、京都から到着した西行と吉次が言い争っていた。「吉次殿、恩をお忘れか」 顔を真っ赤にして、西行が喋っている。「恩ですと、何をおっしゃいます」「いや、お主が金商人として有名になれたのは、誰のお陰じゃと聞いておる」 畳み掛けるように、西行は喚いた。が、吉次の答えは冷たいのだ。「それは、私には備前のたたら師の息子として育ち、その関係から姫路へ、岡山へそして、回船鋳物師の船に乗り、この多賀城にたどり着き、商売を始めたからでございます」「吉次殿、再度申し上げる。お主が、藤原秀衡様にお目もじできたのは、誰のお陰じゃと聞いておる。また、平相国清盛に照会され、宋のあきうどと取引できたわ誰のおかげじゃ」 西行の目には、怒りが込み上げてきている。「それは西行様のお陰でございます」「そうじゃろう。私が、京でお主を助けたこと、忘れたのではあるまいな。ましてや、書状を持って、秀衡様に会いに行ったのを忘れたのではあるまい」「……」吉次は、具合の悪いことを思い出し、黙っている。「一時期、京都の平泉第(平泉の大使館)の頭目となれたのは、誰のお陰だと思っている。それが時代が変わりましただと。私は昔の金売り吉次ではございませんだと。お前は備前あたりの鋳物師で終わったとしても、詮無いことだったのだぞ。私がお前の出雲で覚えた、そのたたらの技術を知っていたからこそ、秀衡殿に推挙したのじゃ」 西行の怒りは頂点に達している。二人は、お互いを無言で見つめあっている。とうとう吉次がおれた。「わかりました、西行様。それで、この私に何を」「よいか、平泉の義経殿を助けるのじゃ」西行の息が荒い。「えっ、義経様を……」驚きの表情が、吉次の顔に広がって行く。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.18
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―――――――■義経黄金伝説■第34回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■4 1187年文治3年 京都 文治三年(一一八七) いまは、京都の嵯峨に住まう西行の草庵に、一人の商人姿の男が訪れていた。西行の草庵はあちこちにある。「十蔵、まかりこしてございます」「おお、これは、十蔵殿。ひさかたぶりだ」十蔵は、挨拶もそこそこに、用向きを聞いた。 いわば十蔵は、死に急いでいるのである。 西行からのこの度の連絡を受けたおり、いよいよ俺の死ぬときが来たかと、体が武者ぶるいしていた。無論、西行に呼ばれたことは、東大寺や重源には告げてはいない。奥州藤原秀衡がなくなった事は聞いていて,世の中が再び騒然となって来ていている。「で、西行様、何かご依頼が」「そうだな。……」 しばし、西行は、無言だった。やがて、 深深と、十蔵に頭をさげていた。「すまぬ、十蔵殿、死んでいただけぬか。東大寺のためではなくこの西行のため、いや日の本のためにな」平然とうけとめ、十蔵はふっと笑う。「いよいよ、お約束のときが、参りましたか」「早急に、摂津大物が浦(尼崎)より旅立ってほしい。そして多賀城で吉次に会い、それからは吉次の指示に従ってほしいのじゃ」「西行様はいかがなさります」「お前様の後を追う。他に片付けなければならぬことが多いのじゃ。先に立ってくれ」「わかり申した」 十蔵は、すばやく、西行の前から姿を消す。 「はてさて、重源殿が、どう動くかだが」 西行はひとりごちた。■ 1187年文治3年 平泉 平泉の高館に、泰衡の弟、忠衡が、内々で義経を訪れてきていた。「のう、忠衡殿、私はこの平泉王国の将軍の座を、泰衡殿にお譲りしてもよいのだぞ」 平泉王国の内紛の様子を知る義経は、自ら身を引こうとしている。が、この言葉を聞いて、忠衡は、激怒し、立ち上がっていた。「何をおっしゃいます、義経殿。そのことは我が父秀衡が、我々子供を死の床に呼び、遺言したもの。それをいまさら…、なさけのうございます」 最後には泣き出している。その忠衡の方に手を掛け、慰めるように義経は言う。「私はよいのじゃ。私の存在で、この平泉平和郷が潰れることになっては困りましょう」「それが鎌倉殿の、狙いではございませんか」「この勝負、最初に動いた方が負けという訳でございますな」「さようでございます。よろしゅうございますか。今、天下の大権を握れるのは、頼朝殿か義経殿か、どちらかでございます。断じて、我が兄泰衡ではありません」 思案顔の義経と、見まもる藤原忠衡だった。■ 1187年文治3年 京都「静殿、今から恐ろしき事を申し上げる。お気を確かにされよ」西行は静をたずねている。京都大原にある庵である。静はあの事件ののち平泉から帰り、尼になり京都郊外にある大原の寺に住まっている。長くは、平泉にいなかった。というのは義経が新しく妻をもとめている。新妻は、藤原氏の外戚である。それゆえ、静は身を引き、京都に傷心で戻っていた。「西行様、そんなに思い詰めた表情で、一体何をおっしゃるつもりでございますか」「義経様の和子様、生きておられる」しばらくは、静の体がふるえていた。顔もこわばっている。「西行様、おたわむれを、冗談はお止めください。私は、鎌倉にて我が子が殺められるところを目にしております。この目に焼き付いております」「が、その殺された和子は偽物じゃ」「まさか、そのようなことが」「よいか。静殿の母君、磯禅尼殿、しきりに下工作をなさっておった。その結果じゃ、後ろで糸を引くは大江広元殿。その企みじゃ」「それでは、今、和子は」「それは、おそらくは、鎌倉の、大江広元殿が知っているはずじゃ」■ 1187年 京都藤原兼実屋敷「お、重源殿。よう参られました。ちょうどよい機会ですな。拙宅に法然殿が参られておられますぞ」「おうおう、それはよき機会でございますわな」関白藤原兼実の自宅だった。重源は雑職(ぞうしき)に、表で待つように告げる。重源は猫車(1輪車)を自からの移動に利用している。重源には雑職がいつも2人ついている。この車で、日本全国を勧進して回っている。勧進集団50名を引きつれて日本全国を勧進して回っている。東大寺勧進職は、最初、法然に白羽の矢があたったのだが、法然は、重源に譲ったのだ。藤原兼実は、法然に帰依し、兼実から噂をきいた後白河法皇も法然に寄進している。「兼実様、もうしあげにくき事ながら、、」重源は、時の関白藤原兼実にふかぶかと頭をさげていた。兼実に不安がよぎる。「いかがなされた。重源殿、表をあげてくれませや。そんな他人定規な、な。麻呂と重源殿の間ではございませんか。大仏再建の事、麻呂も、法皇様もあなたさまにお礼を申しあげたきくらいです。よう、よう、あそこまで大仏を再建してくださりました。で、まさか、何か大仏再建の事で、、」重源は、しばし、頭を下げたままである。「さようです。できれば、関白殿、拙僧は勧進職を辞退したいのです」重源は、その精悍な顔をあげ、関白藤原兼実に言った。「何をいわはるのですか。今この折りに殺生ですわ。無責任とでもいいましょうか。重源様の力を、信じたればこそ、お願いしたのやありませんか。それに民も大仏再建に熱意をいもって協力しているのや、ございませんか」この大仏再建で庶民の仏教信仰が普及してきたのは事実である。その民衆の仏教に対する熱狂のうねりを、重源もひしひしと感じている。兼実は思い当たった。金がたりんという事か。「ははあ、金(きん)ですか。でも平泉なり、鎌倉なりから届いたの違いますか、、まさか、金がおもうている程届かなかったからとか。図星ですか。でも西行殿に奥州の秀衡殿に説得していただいたのではないですか」「いいにくき事ながら、充分ではありません」「ははあ、西行殿の話と、、秀衡殿、頼朝殿の届いた砂金と違うとでも、、」「西行どの何かたくらみを、、」「その話は聞かなかった事にいたしましょうか。で、今しばらく奥州の事態をお待ち下されや」「それは、平泉が滅びる、、というお考えか」重源がたづねた。「いや、はや、北の仏教王国平泉は、我々、京都の人間としては、滅んでほしくはありませんわあな。何しろ、仏都やさかい。しかし、頼朝殿は、義経殿の事があり、まあ、早くいえば、奥州が欲しいのでございましょうな」「源氏の血ですな」「我々、京都の人間としても、早く天下落居(世の中がおちつくこと)してほしいのですわな」「平泉の仏教王国が滅んでも、日本が平和になればいいと」「さようです。あの国は蝦夷の末裔。頼朝殿が征偉大将軍として、あの者ともを滅ぼしくれれば、日本の平和がおとづれましょう」「今までの世とは、異なる平和でございますな」「庶民が平和を求めている事は、勧進されながらおわかりでございましょう」重源は考えている。(やはり、京都は平泉をすて、鎌倉をとったか。平泉の黄金が、鎌倉の手に期すか。やはり、我々の鎌倉侵攻は早めればなるまい。栄西殿が宋からかえってくる前に体制がきまりそうじゃ。法然殿とも話あわずばなるまい。大仏再建の趨勢は、はや、鎌倉殿の手に握られたか)(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.17
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―――――――■義経黄金伝説■第33回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■3 1187年文治3年 鎌倉 秀衡死亡の知らせは、早馬で鎌倉にも伝わっている。「どうやら、秀衡殿、お亡くなりになった様子でございます」大江広元が頼朝に告げた。「そうか、とうとう亡くなったか」 広元には、頼朝が何やら寂しげに見えた。好敵手を失った寂寥感かも知れなかった。大江広元にとっては、千載一遇のチャンスに思える。その時期を逃しては、平泉王国を滅ぼすことはできまい。気が抜けたようになっている頼朝を、勢いづけなければと思った。「いよいよ、奥州攻めも近うございますな」「いや、まだ先になさねばならぬことがある」「それは…」「わからぬか、広元。義経は平泉王国の大将軍となっておる。平泉が義経の元、一致団結をしておれば、我々も恐ろしいわ。あやつの戦ぶり記憶していよう。戦ぶりでは、残念ながら、この日本一の武者よ」「それに十七万騎の奥州の馬があれば、恐ろしゅうございますなあ」 よくよく考えれば、まだ平泉王国は、強固なのだ。「そこで、考えよ。どうすれば、よいかをな」「内部をもっと分裂させますか」広元のお得意の策諜を使わねばならない。「そうじゃ。義経さえ、差し出せば、奥州の地を安堵しようとな。そういう書状をしたためを使者に持たし奥州の泰衡のもとに出そう。のう広元、奥州藤原秀衡は平清盛よりも恐ろしかったわ。俺の誘いに全く乗らぬ」 広元の目には、頼朝の体がやや震えているように見えた。気のせいだろうか。それに…、広元は気に掛かることを告げた。「例の黄金の件は、いかがいたしましょう。まだ、わが鎌倉の手元に…」「そのこと、うちやっておけ。秀衡さえ亡くなれば、奥州すべての黄金は、我が鎌倉のものとなる。大事の前の小事じゃ」「東大寺が、文句をいいますまいか」 京都のことなどをもう気にせずばなるまいと、広元は考える。それに関しては、頼朝の方が一枚上手だった。「何の届かなかったことにすればよいであろう。そうじゃ、黄金を、この頼朝からの贈り物としよう。鎌倉幕府の将軍として、京都へ、また南都奈良に赴かねばならぬからのう」「それは、また京朝廷への大姫様のお披露目ともなりましょう」 そのことも広元にとっては、忘れてはならなぬことだった。頼朝がどうであれ、京都とのパイプは繋いでおかねばならぬ。強固にしておかねばならなかった。この鎌倉幕府を完全に支配し、京都に向かせればならん。「そういうことじゃ。きらびやかに飾り、坂東の田舎者と思われている我々が、美しく着飾った姿形を、京都の貴族どもや民に見せてやろうではないか」「さようでございますなあ」それには、広元も同じだ。うだつのあがらない京都の貧乏貴族の俺が、新しい治世者の一人として、都大路を従者を多数連れ、行列として練り歩けるのだ。今度は、私が、京都の皆を羨ませる番だ。広元は、自らもきづかずに、昔の傷あとをなでていた。その額の傷は、往時の義経の凱旋行列を思い起こさせていた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.16
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―――――――■義経黄金伝説■第32回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■2 1187年文治3年一〇月 平泉 文治三年(一一八七年)一〇月二九日。秀衡は死の床にあり、枕元に泰衡、忠衡、国衡他の兄弟たちを呼んでいた。「よいか、心して聞いてほしい」秀衡の苦しい息のの下から話し、息子たちは首肯した。「跡目は泰衡に譲る。よいか泰衡、平泉王国を守れ」 思いがけない言葉であった。泰衡は答えようがない。「……」 しかし、次の言葉が泰衡の心の中に、裏切りの心を植えた。「源義経殿を頼りにせよ」泰衡はすぐ反応している。「それはどういう意味でございますか、父上」 病床にいる父親に対して、怒りをあらわにしている。秀衡の言葉は、余計に泰衡を煽るのだった。そのいたらなさが、今度は秀衡の心を憂鬱にさせる。この泰衡が、平泉黄金王国を滅ぼすのか。なぜにこの父の想いがわからぬのか。秀衡は言葉を続けた。「義経殿を大将軍とし、その下知に従がうのじゃ」「……」泰衡は、さらに急に不機嫌になった。「よいか、泰衡は不満であろうが、この俺が亡くなったという情報が入れば、鎌倉殿は必ず動く。鎌倉殿は、義経殿の誅殺が目的ではない。この平泉の黄金が目的なのじゃ。鎌倉、そして源氏、板東の武士どもはこの地の黄金をねらっている。絶好の機会なのじゃ。よく聞け。泰衡。それゆえ、義経殿を差し出しても、頼朝殿はこの平泉を攻めてこよう。心せよ、泰衡、忠衡、国衡、みな兄弟心合わせ、義経殿をもり立て、頼朝に対して戦うのだ。藤原の百年が平和、後の世まで続けるのだ。平泉黄金王国のこれからはお主らがになう。この仏教平和郷を決して板東の者ども、さらには京都の王朝に渡してはならん。この奥州の地を守りぬくのじゃ。決して、頼朝殿の甘言、受け入れるではない。義経殿を差し出すのではない。よいな…。これが俺の遺言だ」劇抗した秀衡の声が急に途絶える。最後の気力でしゃべったのだ。「父上……」 息絶えている秀衡に、息子たちはをかきいだいている。 しばらくして「どうする兄じゃ」次男の忠衡が、たずねた。「父上の遺言のことか」「いや、そうではござらぬ。義経殿のことじゃ」「お前はどちらの味方じゃ、忠衡」 意に反して、答えはしばらく返って来なかった。「無論、兄者じゃ」 こやつは本当に私の味方なのか。安衡は考える。「それならば俺が下知に従え」「が、義経殿は、、」「よいか忠衡、我らが秀衡が子ぞ。由緒正しい子ぞ。それが義経ごときに従えると思うのか」怒りながら、出て行く泰衡である。 かわって、急の知らせを聞いた、青い顔の義経が走りこんで来た。 末期には義経はわざと呼ばれていない。が、泰衡は走り過ぎる義経を無視していた。「葬儀の準備だ」秀衡の体は、中尊寺中見壇下に置かれ、この平泉の守り神となる運命である。 義経は、秀衡の遺体をかきいだき、泣いている。「秀衡様、十六の時より、親以上の恩を受けさせていただきました。この恩生きておられるうちにお返ししたかった」 義経は本当に涙を流し、嘆き悲しんでいる。片腕をもぎ取られた思いがしているのだった。 義経は父なるものに憧れていた。物心付いた時には、父は亡くなっていた。平清盛、そして藤原秀衡、源頼朝、後白河法皇、西行。すべて父なる人をイメージして対してきた。そして、最大のピンチのおり、最大の父なるものに死なれたのである。 義経は、惚けたようになっていた。源平合戦で、あれほどの戦術家だった武将の姿は、どこにもなかった。心が砕け散ったようだった。いまや、日の本には義経にとって、どこも安住の地はないのだ。 「なぜじゃ、親父殿」泰衡は思った。 なぜ、実の子の俺を可愛がってはくれぬのじゃ。奥州は我らが血の元で支配しているのじゃ。四代にわたって、京都の人間と戦こうたではないか。義経はいくら優れた武将とはいえど、実の子ではない。他人ぞ。おまけに京都の人間じゃ。源氏の人間じゃ。いかに奥州を源氏が攻めたか。頼朝と仲が悪いように見せて、何を企むのか分からぬではないか。奴らが欲しいのは、この奥州ぞ。それを西の人間の義経を信じるとは、どういうことじゃ。おまけに弟どもも俺に従おうとはせぬ。国衡など、義経を兄のように尊敬しておる。 なぜ俺を、京都へ連れて行ってくださらぬのか。親父殿、祖父殿、大祖父殿、皆、京都へ行ったではないか。なぜ俺だけのけ者にするのじゃ。 京都に対する恨みと、義経に対する怒りがすこしずつ泰衡の心を、人格を変えつつあった。それは、とりもなおさず、奥州の危機であった。戦雲はすぐそこまで押し寄せている。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.15
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―――――――■義経黄金伝説■第31回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第5章 1187年 押し寄せる戦雲■8-3 1187年文治3年 京都 それから一年、文治三年、七月、京都。後白河法皇と関白、藤原兼実が話していた。鎌倉と、平泉に対する政略である。「兼実、どうすべきか。鎌倉の頼朝、しきりに義経捕縛の院宣を寄越せと申してきておる。頼朝はこの院宣を平泉に送り、王国の内部崩壊を起こすつもりじゃ。そしてその責任は朕、後白河におっかぶせるつもりじゃ。平泉の義経と秀衡は恨みを俺に向けよう。が、どうじゃここは頼朝がこと聞くべきか」「さようでございますなあ、法皇様。ここは頼朝殿を立て、義経殿捕縛の『院宣』を出していただきましょう。そして、同時に、東大寺用途沙金を早く献納せよとの教条書を出しましょうぞ」「先に西行殿に、法皇様が申し付けたことも、確認いたしましょうほどに。こちら側も、秀衡と、義経に一押し必要でしょう」「それは名案かもしれぬな」■8-5 1187年文治三年 平泉 すでに、西行法師は、伊勢にもどり、しばらく時間がたった。 平泉にある義経高館(たかだて)を夜、郎党が訪ねていた。「義経様、お館様(秀衡)がお呼びでございます」「こんなに遅くにか」「はい、何かお二人でお話ししたいご様子でございます」 秀衡屋敷内で義経が秀衡に話しかける。秀衡は病床にある。「秀衡様、お元気であられますか」義経が挨拶をする。「おお、義経殿か、よう来てくだされた。この秀衡があの世に召される前に、義経殿にお渡ししておきたいものがあってのう。近うよってくだされ」 秀衡は、自分の死期を感じている。「これはこれは、何をお気の弱い事をおっしゃいます。秀衡様あっての義経でございます。さてはて、一体この私に、何をくださると言われますのでしょうか」「さて、これをごろうじろ」 一片の絵図が、病床の秀衡から義経の手に渡される。「こ、これは、御館(秀衡)様」「見ておわかりのとおり、蝦夷の絵図じゃ。この絵図、祖父の代より伝わっておる。いわば藤原家の秘宝じゃ」蝦夷の一部はすでに平泉王国の勢力圏にふくまれている。「これをいかにせよと」少しばかり、は眼をつぶり、息をつぐ。「よいか、義経殿。はずかしながら、、、よいか。我が息子たちが、義経殿を襲うやもしれん。そのときは、この絵図を手にして逃げ延びてくだされ」「が、しかし…。それは奥州藤原氏、平泉に対する裏切りではありますまいか」「この老人の言うことは、聞くものじゃ。老人といえば、西行殿を知っておろう。あの西行殿が、きっと義経殿を助けてくれるはずじゃ」「西行様が…」「西行殿とは、北面の武士、佐藤義清の頃より、我々平泉、奥州藤原とはすくなからぬ縁であろう。それにのう、義経殿。残念ながら、後白河法皇様が、とうとう貴公追捕の、院宣を出された」「何でございますと。あの法皇様が、私を追捕する院宣を、、、」 義経の顔色が変わっている。裏切られたか、この想いが義経をおそう。「義経殿、安心せられい。この平泉に、秀衡あるかぎり、そのような命令聞きはせぬ。兼実様も非公式に、法皇様の意向を伝えに参ったのじゃ。あくまで、その院宣は、頼朝を怒られないためのもの。それに義経殿、いよいよ我が軍勢、整えまする」「秀衡殿、本当に、我が兄者と、いよいよ、ことを構えるおつもりか」「安心せられよ。我が軍団は鎌倉に引けはとりません。義経殿を中心に、奥州平泉十七万騎、轡を並べれば」「いよいよ、奥州と鎌倉が戦いか……」おのが運命を呪う。義経に安住の地はあるのか。その想いが体をおもくする。この秀衡様にいままでの恩をいかに返せばいいのか。義経は病床の秀衡をじっと見守っていた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.14
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―――――――■義経黄金伝説■第30回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■9 1186年文治2年 鎌倉 鎌倉には、西行襲撃失敗の報告が早馬で届いている。「西行を追った我が手の者、かえって参りませぬ。どうやら、返り討ちにあったようでございます」大江広元は、策の失敗を頼朝に告げた。次郎左達は大江の支配下に動いていた。「むむう、役に立たぬやつらじゃ。して、西行は。そして沙金は」 頼朝は、顔を朱に染めて尋ねる。「どうやら、西行は、いまだ平泉から動かぬ模様です。沙金については、行方しれずとのうわさ」「待てよ広元、我が手配の者ども失敗したといいうたな」「左様です」「では、砂金の行方は、おかしいではないか」「あるいは、他の賊がが奪いにきたか、あるいは秀衡に対して西行が嘘をつおいているか」その時は、雑色が入って来る。「藤原秀衡様の沙金が、鎌倉に届きました」「して、その荷駄隊に、西行なる法師おったか」 広元は尋ねた。「いえ、多賀城の商人吉次の荷駄隊と聞き及びます」「吉次の……」「西行の沙金いかがいたしたか」「いずこかに。今日の荷駄は、恐らく平泉の別動隊。秀衡もやるものです。一杯食いました」「ならば、西行の荷駄隊は目くらましか」 「いつくかの荷駄隊を送り出した可能性もございます」 二人は策につまり急に黙る。「のう広元、一体、後白河法皇はどのような話を、西行に伝えたのか」頼朝が別の考えをしめいしゃ。「あるいは秀衡殿と、義経殿が手を結び、この鎌倉を攻めよとか」「が、秀衡殿、動くかどうか」「今、あの平泉は義経殿が戻ったことにより、秀衡の和子たちが命令にしたがいますまい。秀衡の子供のうち、特に泰衡は、腑抜け。とても秀衡の後を継げる器ではないと聞いております。泰衡を一押しするのです。義経を渡さねば、鎌倉の軍勢が平泉を攻めると」 広元は一番恐るべき、そして考えられる策を述べる。「その一押しも、この鎌倉ではなく、京の法皇から出させた方が面白いかもしれぬ」「まこと、さようでございます。平泉王国、内部から崩壊させるのが得策」 広元は、頼朝の案に賛意を示した。「広元。わざわざ義経を見逃し、平泉に入れたのも正解かも知れぬのう」 意外な言葉であった。頼朝は、わざと、義経を逃がし、どうしても奥州へ逃げて行かざるを得ないようにしたというのだ。「まこと、これは頼朝様にとって、義経殿、秀衡殿、大天狗殿(後白河法皇)の三者を一度に追い詰めて行くのに好都合でございましたな」 この時期に、三者を纏めて滅ぼそうという案だった。「では、もう一手打つか」「はて、その手は、平泉の内紛を起こすための……」「そうだ。泰衡の舅殿、藤原基成殿を動かすのよ」「おお、それはよい手でございます」広元、手を打った。「秀衡殿亡き後、基成殿は泰衡殿の政治顧問、義経殿のことよく思っておりますまい」■ 1186年文治2年 京都 京都では、後白河法王と関白の九条兼実が策を練っている。「さあ、どうじゃ、兼実。お前なら、どちらを取るかじゃ。秀衡か、頼朝か」 かすれ声で、後白河は言った。「法皇様、そのお声いかがなされました」「いや、また、ちと今様うたいすぎてのう。声が嗄れたわ」今様好きのの法王は、こんな折りでも今様はかかさぬ。生活の一部である。「秀衡、頼朝の事、法皇様のことでございますから。両天秤をかけた上、各々方策を取っておいででしょう。どちらにころんでも安全なように」 疑い深く兼実は答える。貴族の長らしい安全策をのべる。 後白河は、ふうと溜め息をついたようだった。「よう、わかったのう」「それはそれは、麿はいつもお側にお仕えしている身でございます。そのくらいのこと読めずにいかがいたしましょう」「ともかく、兼実、朕は、あの武士どもが嫌いじゃ。なにか策を考えよ」 心の底から、後白河法皇は武士を嫌っているのである。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.10
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―――――――■義経黄金伝説■第29回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■8 一一八六年文治2年 平泉 西行たち一行は、平泉に戻り、秀衡を訪ねている。 西行の姿は乱れている。「これは、どうなされた西行殿,まるで乞食(こつじき)かと間違う程の有様」「申し訳ござりません。やはり、国境の足利の庄にて盗賊がおりました。砂金は荷駄とも奪い去られております。その野党もどうやら頼朝が手の者らしい」秀衡は、疑い深く西行の顔を覗いている。「西行ともある方が、おまけに弁慶殿もお供してその様か。して、その盗賊どもはいかかがいたしたか」「荷駄ともに逃げおりました」 秀衡は静かに西行の顔を見ている。やがてポツリと言った。 「いやはや沙金よりも、西行様の命の方が大切じゃ。平泉の沙金はまだつきることはございますゆえ。しかし、西行殿、ご自慢の藤原秀郷流剣の腕はどうなされた」「いやいや、俺も年じゃ、自分の身を守るので精一杯でござった」「そのものたちの風体は」「はっきりとは覚えておりません」「まあ、良い。探索方をだしましょう」「が、あのあたりはすでに鎌倉殿の勢力範囲でございましょう」「秀衡殿。身を割ってのお願いじゃ」西行は秀衡に頭をさげている。「無体なお願いとが存じ上げる」「はてさて何を、私と西行殿の間で」「うむ、では申し上げる、再度、東大寺への砂金、今一度お願いを申し上げる…」秀衡はすこし考えている。「ふむ、西行殿の願いであらば、よろしかろう」 しばらくして、すべて理解しているように秀衡は言った。 奥州藤原秀衡も、当然ながら、西行一行の荷駄隊の跡を、密かに物見の者につけさせている。 黒田悪党は、、この平泉に入った瞬間から、不穏なる者供として後をつけていた。 秀衡も、西行が言葉とうりに動くとは考えていない。西行の真意を推し量っているのだ。 百年の平和郷をつづかせなばならない、それが北国の帝王秀衡の宿命でありつねに、中尊寺金色堂壇にあるにある初代、二代目の眼を感じている「この日本成立以来の奥州のいくさ人の考え方」の規範は、「京都人を信じるな」であった。 たとえ、同族、であろうと、西行は京都人であり、東北人ではない。 完全に信ずる事は永久にないのだ。■一一八六年文治2年 奈良東大寺 1ヶ月後、西行と十蔵は、何事もなかったように、奈良東大寺にある総勧進職、重源(ちょうげん)の前に立っていた。海上の道を進み、荷駄隊が黄金を届けていた。吉次の配下が行った。秀衡は安全な海上の道をすすめたのだ。大物浦(兵庫県尼崎)についた黄金は淀川、山崎、奈良山の川道を通じて東大寺に届けられている。 重源は西行を労い、感謝をあらわしている。 重源は、西行が伊勢草庵に返った後、十蔵を別室に呼んでいる。「何か変わったことはなかったか、十蔵どの」「はい、先ほどの西行様のご報告の通りです」 「ふう」 重源は、じっと十蔵の顔をのぞき込む。「十蔵殿、お主、ひとあたりしたな」重源は、西行という人間に影響されたと言っているのだ。「ひとあたりですと、何を言われます、重源上人様」「私は、のう、結縁衆の方々の報せも、聞いておりますぞ」重源は言葉を止めて、目の前にある茶碗をゆるゆるなぜている。「よいか、十蔵殿、お主の体は、すでにお主のものではないのじゃ。よいか、お主の体と心は、闇法師になった瞬間から、東大寺がものですぞ。それを忘れていだいては困りますのう」「は…」重蔵は青ざめている。小刻みに体にふるえがきた。「ふふ」重源は、ねずみをいたぶる猫のつもりか、十蔵の顔を覗き込んだ。「まあ、よろしかろう。お疲れでございましょうな。さぞかし。ふふ、ではお下がりなさい。西行殿の動きは、これからも逐一報告くだされよ。よろしいですかな。十蔵殿よ、ふふ」「わ、わかりもうした」 ほうほうの体で、十蔵はあわてて重源の前から消えた。 内心の動揺は、重源に見透かされている。「あれでよろしいのですかな、はたして、、」 勧進を手助けする若き僧、栄西が障子のうしろから茶碗を手に、重源の前にあらわれている。重源はゆっくりと、それに答えず茶を飲む。「ふふう、相変わらずうまい茶じゃな。のう、栄西殿、良薬、良薬、いあや、人が人にあてられるという事は、ご存じかな」「重源様、はて、面妖な。人にあてられる事ですと。一体、それは」「十蔵がことですよ。あやつ、西行殿という劇薬にあてられたかもしれませんな」「西行殿が劇薬。ははっ、重源様は、面白いことを言われる。西行殿を、我々が結社に取り入れておいた方が、よかったですか」 重源は少し考えていた。「ふむ、いや、少し、それは遅すぎたかもしれませんのう、西行殿は、みづからの結社をおもちじゃわ。ふふ」重源はにこりと微笑んでいる。「いずれ、私が鎌倉にて、我らが結社の分派を、作り上げましょう」栄西が上機嫌で、決意を新たにした。「ほほ、それはよき考え。私も、宋の陳和景を鎌倉へいかしましょうぞ。それに運慶殿、快慶殿らも、この東大寺が仕事が終われば、鎌倉まで取りよこします」「ふふう、板東の要塞都市、鎌倉を我らが支配する。面白く楽しい、身震いいたしますな」「いずれ、西行殿は、奥州平泉をそのようにしようとしていたらしいが、西行殿は少しあの平泉王国、いあや、奥州藤原家に入れ込み過ぎましたな。やはり、西行殿はのう、桜の花が、、好きじゃからのう。ふふ、、」「西行殿は、やはり、散り際の見事さをお考えでございますな」「さようよのう、西行殿は、所詮は、残念ながら、北面の武士あがりですのう。我々のように、武士上がりでも、比叡の山や宋に留学にいき、選ばれた学僧になった者ではありませんからのう」「それも道理でございますな。それでは、重源様、私はまた宋へ行って参りますぞ」「おお、今度お帰りになる時は、大仏殿は完成していましょう」「それに、」栄西は少し考えて、「重源様。頼朝殿からも、金を出させねば仕方ありますまい」「そうですな。頼朝殿も、我々の前で、砂金を差し出すという大見えを、切ってもらわくてはなりませんからのう」重源、元の名は紀重定(きしげさだ)紀家は、古代貴族大伴家の血をひく技術の家。家の歴史が違うのである。東大寺の二人の勧進僧は、お茶釜を前にゆっくりとほほえみを絶やさず、前にある湯気のたち込めるお茶を飲み干している。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.08
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―――――――■義経黄金伝説■第28回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■7 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山 階段丘ちかくの草陰から、戦いの様子を見る別の武士たちがいる。頼朝の探索第である。広元から,後に残り西行たちの行方を見張り報告するように指令を受けていた。『よいか。西行の遺骸より、必ず銀の猫をとりだせと。それが西行を殺した証明となる』と。一人がつぶやく。「いかがいたそう」「あやつらは、どうやら、京都あたりから西行をつけてきた悪党の群らしいのう。我らより先に手を出したか。あるいは大江広元さまの手ずるか」「加えて、武蔵坊弁慶もおる」「かえって好都合ではないか。西行らも、先の賊をやっつけて気も緩んでいよう」「それはそうじゃ、好機ぞ」武者たちは、西行たちを倒そうと、飛びだそうとした。 その時、武者の背後に人影があらわれる。「おぬしら、飛び出すのはぬ、わしを倒してからにせい」 僧服をまとった西行と同じ年くらいの老人である。驚く武者たち。「主らのもくろみとうり、そう、うまくいかぬのが面白いところでのう」「な、何奴、貴様は西行が手のものか」「ほほう、坂東には俺の名、まだ通ってはおらぬか」「貴様は何者じゃ」「覚えておけ。といっても、お主らはすでに冥府への道を走っておるのでな」「何を抜かす。この乞食坊主め」「乞食坊主とはよく抜かしたわ。冥府への土産によく覚えておけ。俺は義経殿が武道の師匠、鬼一法眼(おにいちほうがん)よ」鬼一方眼は、杓丈をゆるりと探題たちに向けている。京都の陰陽師、鬼一方眼は、結縁衆、道々の輩も引きいている、先日の競技場へ結縁衆、道々の輩の大いなる示威行動を仕切っていたのは、当然、鬼一である。「げっ…」武士たちはたじろぐ。「ふふつ、板東でも少しは名が通っておるか。うれしいのう」鬼一にこりと笑う、それが武士たちにはかえって恐ろしげに見える。「何、義経の師匠だと。それでは、師匠相手に鎌倉武士の力を見せる。相手せねばならないな」切りつける馬上の武者。が、鬼一法眼は攻撃をスルリと交わし、見る間に彼らを倒した。まるで舞台の上で舞いの練習をするようにである。ただ、舞台と違うのは血しぶきが、あたりに舞い降りている。 彼らの馬は逃げ去っていた。「ふっ、たわいもない奴らじゃ。いずれも鎌倉殿が手のものか」 鬼一法眼は、倒れている武者たちの衣装を調べた。 そこへ西行たちが、この騒ぎを聞き付け、何事かと賭散じてきた。競技場祭事中央の悪党の太郎佐たちの死体は、十蔵が、背後にいる結縁衆を呼び寄せ片付けている。「おおう、これは鬼一法眼殿か。後詰めありがとうござる。この者たちは、何者か」「どうやら、鎌倉殿が手の者らしい。どうも、まだ、奥州藤原の沙金を狙っておったらしいのう」「頼朝殿も、まだまだ、やるものじゃ。あきらめきれぬか」「で、これから、どうなさる」「ちょうどよい、潮時かもしれぬ。のう、鬼一殿、俺は盗賊に襲われ、命からがら逃げ出したのだ」「それでは、秀衡どのよりの沙金は……」「盗まれて行方しれずじゃ」「それでは、この沙金は行方しらずにせねばなりませんな」鬼一は西行の言葉を受けた。「鬼一殿、十蔵殿、お願いできるか。弁慶殿は、静殿を平泉の高殿までおつれくだされい」「さあ早く、この板東を一時離れ、再び奥州に逃げ帰るましょうぞ」「ふふつ、逃げ帰るといたしましょうか」皆が、この西行の言葉に和していた。下野の国足利の荘・御矢山の突風は吹き止みそうにない。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.07
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――――――― ■義経黄金伝説■第27回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■6 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 下野の国足利の荘に季節風が吹き荒れ、御矢山から、突風となり、吹き降ろして きた。 動けずにいる西行の足元に,何かがころころと、転がって来た。西行は、それ を足でとらまえ、蹴り出す。 その物体は、砂金に気をとれている太郎左の顔に激突する。馬から落ちる太 郎左。次いで次郎左の顔にも。 「西行、貴様」 起き上がったが、怒りが二人の顔を朱に染めている。 「私が、京の蹴鞠の一番手であるとしらなんだか」 佐藤家は、京都の芸能蹴鞠の使い手が多い。西行の祖父は特に有名であっ た。 「くそうう、西行、食らえ、我ら黒田悪党が腕のさえを見よ」 太郎左と、次郎左が、二人が心合わせ、左右に同時に動く。 兄弟の体を合わせ、ねらい違わず相手を倒しす二人の技「双剣の構え」であ る。体の動きの同調は、さすがは兄弟である。 寸分の狂いもない。二人が一人のように、羅卒天のように四本の腕が動いてい る。 「我らが、双剣の構え破れるかのう」 二人は西行に走りより、向かいあい、左右同時に刀を振り下ろす。 一瞬、たじろぐ西行。 が、急に大男があらわれた。太郎左、次郎左の両腕を諸手で後ろからつか む。 「うぐつ」 「貴様、何者」 言う間もなく、二人の体は宙に浮いている。 地面にたたきつけられた体の上に、その太い樹の幹とも見える両足が鳩尾を 踏み根でいる。 さらに、鳥海の背面から逆落としをかけている。 て、見る間もなく盗賊三人をなぎ倒している。 突然吹いた「からっ風」のように現れている。 残りの黒田悪党のの手下たち十名程は、逃げ去っていた。 祭壇中央の広場には太郎左、次郎左、鳥海の三人が倒れている。 「弁慶殿、手助け有り難うござる」 西行が、その愚風の男にお礼を言った。 「おお、ちょうどよい塩梅でござった」 「儂も、年には勝てませんな」 西行は頭をかいている。 「義経様が、安全な場所まで、後をつけよと申されたのが、ちょうど、よろ しゅうござった」 弁慶であった。弁慶が、土産にとして京都から贈り物、蹴鞠数個を、西行に 向けて送りだしていた。 「白河の関をこえ、ここまでついてきた価値があったというもの。頼朝殿と の戦いではさすがに姿を見せる事はできませなんだが、」 静が弁慶に抱きついている。 「おお、弁慶殿、よう、生きていらっしゃったか…」 「おお静殿、よくご無事でここまで。吉野で別れて。もういくたりになります か。ここではひどい目にあわれましたのう」 「弁慶殿、義経様の和子様、殺されました」 涙ながらに静は言う。 「何!」弁慶は以外な言葉に驚く。 「義経殿が輪子が、頼朝によって、」 大粒の涙が、大地にしたたる、 「義経殿に如何につかえれば、、良いのか」 「う」 静も同じように顔をしづませていた。 「かわいそうな方々じゃ。時代が悪いのかもしれんのう」 西行は、黒田悪党三人の遺骸に対して片手拝みをしている。 「すまぬ。天下静謐、明日の日本のためじゃ、堪忍されよ」 (続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.06
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―――――――■義経黄金伝説■第26回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■5 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 十蔵が恐ろしい表情で、「お前たち、俺の正体知ったからには、よけい生かしておく訳にはいかん。それに俺の方もお前たちの顔に見覚えがある」と挑発に乗らず冷たく言い放つ。十蔵の心は、すでに東大寺の伽藍消亡の折り、しんでいるのだ。「……」三人は顔を見合わせる慌てていた。「お前たちは…」西行は、あることにきずき手を打つ。「そうじゃ。東大寺焼失の折り、その奈良で、押し込み盗みを働いておった盗賊の片割れじゃな」「ふふう、気付かれたからには、仕方があるまい。我々は、確かにその折りの風盗よ。あの折り、一働きして、確かに財をなしたわい」「のう、鳥海、こやつの顔を見てみい。お前も覚えがあろうが」 顔を見合わせる、十蔵と鳥海。 二人とも汗がどうっと噴き出た。まさかの驚きである。「お主は…」鳥海が慌てていた。「兄弟子よ。お前様には会いとうはなかった」鳥海が十蔵にいう。「かような所で…。そんな身分に落ちたか、鳥海」十蔵は蔑みの目でみる。「人のことを言えたものか。十蔵、お前様も東大寺の闇法師、闇の殺し人に成り下がっておろうが」「よいか、鳥海。よく聞け。俺は進んでこの役引き受けたのじゃ。なぜならば、東大寺攻防の折り、たくさんの仲間を、俺のせいで死なしてしもうたからのう。ましてや、東大寺、大仏が焼け落ちるのを見たとき、俺の心の根は変わったのじゃ。俺の心の間に浮かんだのは闇じゃ。復讐じゃ。残念ながら、仏法は俺の救いにはならなんだ。よいか、俺は死に場所を探しておる。目の前にある障害はすべて、握り潰してくれる」「十蔵、わるう思われるな。俺はあの大仏が炎上する時、考え方が変わったのじゃ。いや、生き方かもしれん」「何を思うたのじゃ。お主の最後の言葉聞いてやろ「この貴族の世が終わる。これからの世は武士の時代じゃ。それゆえ、兄弟子よ、聖武帝の東大寺ごときに義理を果たすのを止めろ」「何を申す。東大寺、いや東大寺大仏、あってこその日の本ぞ」「東大寺など、我々、貧乏人から金をふんだくるだけの存在じゃ。貴族でもない我々を助けてくれることなぞありもうさん」「鳥海、そのたわごと、地獄で言え」東大寺闇法師、十蔵が叫ぶ。「おもしろいわ。この闇法師。いあや、十蔵!たっぷりいたぶってくれようぞ」「お主がその心なら、私も仕事がやりやすい。こ砂金の荷駄を挟んで勝負じゃ」「よいか、お主たち。この沙金は、日本全体を平泉のような平和郷を、この世に作るための資金じゃ。たやすく渡す訳にはいかぬぞ。考えを改めぬか、ぬしら」西行がさけんだ。が、寂しそうな顔をしている。絶望しているのだ。このような奴らが世に多すぎる。日本は何を失ったのか。「何をぬかすか、このくそ坊主。二人揃って三途の川、渡してくれようほどに」 「そう申すなら、いたしかたあるまい。殺傷は望むところではないが、儂には武士のおりの約束があるでな」 西行は、密かにつみおいていた先祖代々の佐藤家の愛刀、朝日丸を取り出し、悪党の攻撃にたいして防戦しょうとする。長く使ってはいないのだ。 黒田悪党、太郎左たちは、西行たちの強さに思わずたじろいでいた。こんなはずではない。「いささか、こやつら、手ごわいぞ」次郎左が言う。「されば。あの手を、使うか、兄者」太郎左は、祭りに使われた廃屋に走りいき、ひとつから静を連れて出て来た。生かしておいたのだ。「おい西行、この女をこうすれば、我らを容易には打てまい」次郎左は、静の首筋に刀を当てている。「ああ、西行様」静が我が身を呪うように嘆く。「う、静殿。生きておられたか。ありがたし」さすがの西行も、とまどい手がだせない。「どうじゃ、我らがたっぷり弄んでやったわ」次郎左がにやりとする。「もう生きてはおれんというのを、何とか生かしておいやったぞ」「よいか、この静とその沙金との交換と最初の案はいかがか」「どうだ西行返事をしろ」次郎座がわめく。「…」しかたなく、西行と十蔵は、剣と棒を、地面にゆっくりと降ろす。「ふうふう、その用に早くすれば、よいものを、」 広場の炎の外に富めておいた荷物駄を積む馬に、太郎左たち一群が連れていこうとする。 「おう、お宝じゃ」 静の体から、次郎左の注意が一瞬離れた。 祭りの階段丘の方より、新たな声が西行に聞こえた。 「西行殿、お助けに参った」ささやく声だった。「おお、その声は…」「しっ、奴らに聞こえましょう」「さらば、もうひといくさ始めようその声の主は言った。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.05
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―――――――■義経黄金伝説■第25回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■5 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 足利の荘、御矢山は、1日前の御矢山祭りの喧噪がうそのようにしずまりかえっている。何人かの鎌倉の物見が、姿を見せずにいるようだが、西行と十蔵は、御矢山祭に参加していたご家人衆が、領地に急いで帰るのを、のんびりと見て、時間を過ごしていた。すでに、西行は、伝説の人になってはいる、とうりすぎる武士どもが尊敬のまなざしでとうりすぎる、「西行様、これからは私の出番もお作りくださせ」「ふふ、十蔵殿、ワシははしゃぎすぎたかのう」「おひとりだけ、目立っておられましたぞ」「困ったことに」「何でございましょう」「試合で体がほぐれた、今度は刀のさばきをみせたいものじゃ」「いいかげんにされませ。私が重源様からおこかれます」「そうじゃのう、たまには、十蔵殿の見せ場もつくらなければのう」「ふふ」黒田悪党たちは、1つ手前の宿場で、待っている。御矢山祭り騒動があった事は、街道を行く商人や武士の郎党たちの話から感じていた。「何やら、西行が鎌倉殿を相手の大立ち回りをしたようぞ。いかがかのう、鳥海殿」悪党首魁の太郎左が、そばにいる破戒僧、鳥海にたづねた。「ふふつ、太郎左殿、お気の小さい事を。聞くには及ぶまい。たかが流鏑馬。古式からの儀式。我らは、源平の戦を生きのびし歴戦の強者」「そうじゃ、兄者、所詮は、京都後白河法王に気に入られし歌詠みの坊主。まして、大江様からは何の指示もない」「それよ、次郎左、そこが怪しいぞ」「何を、兄じゃ、それは、約定とうり砂金を奪い取れという事であろうさ」と次郎座が笑い飛ばした。それを受け、他の者どもも「ふふつ、70歳の歌詠坊主、左手一本でひねりつぶすわ」「鎌倉殿も、我々の襲撃を見て見ぬ振りをするという約束ではなかったか」「幸い、ここまでは検非違使の手は回ってはいまい」と、濁酒をはむ悪党は、あくまでも威勢のより集団であった 御矢山には、今、人はいない。 西行の荷駄一行は、約束違わず正午、その御矢山にある広場の中に入って来ていた。打ち捨てられた仮小屋が並んでいる。「お主たちは、離れていて下され」 荷駄人夫どもを、その場から逃した。西行と、残りは十蔵一人。仮小屋が並ぶ窪地の真ん中で、西行は叫んでいる。「西行じゃ、お約束のもの、お持ちしたぞ。静殿を返していただこう」 七十才と思われぬ大声で、西行は叫んでいる。が、人の現れる気配をない。「西行、待ち兼ねたぞ」ようやく、山頂の方向から声が帰って来た。と同時に数束の弓の群が、雨霰と飛んできて、目の前の大地に突き刺さっている。無論、矢の群は、西行と十蔵を狙っていた。「名乗りもあげず、我々を射殺すつもりか」「卑怯なり」二人はその場をはね飛ぶ。 が、二人は、矢の攻撃に捕まらぬ程、敏速に動いている。西行の手に荷駄に隠してあった愛刀、朝日丸が握られている。同じように十蔵の手にも杓丈が。 窪地の入り口から、続いて、火が、大きな火の群がなだれ込んで来た。それは藁を積んだ荷車である。が走り込んでくる。そこへむかい、さらに火矢が打ち込まれた。仮小屋も、周囲の屋も燃え上がり、炎をあげる藁が、西行たちの背後を塞いでいる。袋の鼠である。「どうじゃ、西行。これで、もう逃れることはできぬぞ」 西行一行の前に、立ち塞がる、騎馬にのった商人風の一団が、総勢十四人現れている。「西行殿、お荷物お預かりしたい」 真ん中の屈強な頭目らしい僧服の人間が威嚇した。「静殿をお返しいただきたい。ところでお主はどちらさまじゃ…」一団の首領が答える。「たぶんご存じあるまい。我々は伊賀の国、東大寺黒田荘に住む太郎左、次郎左そして鳥海」「そして静はあやめ、遺骸はこの山中に捨てた」次郎左が憎憎しげにはき捨てる。西行にはしづかな怒りの炎が燃えた。義経殿への、、約束が。「して、このやつがれの荷物を希望とは」「隠しても無駄だぞ。その後ろの荷駄に用がある。この破戒僧、鳥海が、すべてのからくりを知っておる。のう鳥海」 壮丁の鳥海が前にでてくる。「西行。貴様が東大寺勧進僧重源より依頼を受け、この陸奥まで来たこと、京の噂。ましてや藤原秀衡は、京の公家殿の依頼を無下に断りはすまい。すなわち、その西行一行の荷駄、まさしく秀衡公の沙金に相違あるまい」「それを、少しばかり分けてほしいという訳だ…」商人姿の太郎佐がにやりとする。「ふふ、西行、すべてとは申しますまい。半分でもいいのじゃ」弟の次郎座がこずるそうに言う。「ならぬ。この沙金はもはや秀衡殿のものでも、西行のものでもない」 西行は、声高に答えた。この悪党どもをこわがってはいない。「では、だれのものと…」「東大寺のものじゃ。いや日本国のためのものじゃ」「くはくはは、片腹痛し。よいか西行、貴様はその年だ。ましてや、世は義経を巡って藤原秀衡の平泉と、鎌倉とは不穏な動きがある。その途上のこの平泉と関東の国境、足利の山中で、西行法師が、行方不明になっても、調べる方策などありはせぬわ…」「やい、この歌詠みの坊主。早く荷物を渡せ」太郎左はいらいらしている。「そうじゃ。さすれば命だけは助けてやるわ」「太郎左、次郎左、それに鳥海とやら、この俺をただの歌詠みの坊主と思うたのか」西行は自信たっぷりに言う。「何」「わしの藤原秀郷流剣の腕を、少しは見せねばなるまい」「き、きさまは一体、」三人は西行の勢いと自信に驚いている。「昔は北面の武士、佐藤清衡。お主らはしるまいが、先祖は俵藤太ぞ。平将門を打ち破りし名門。ましてや、儂の鞍馬での兄弟弟子は鬼一法眼、その名前はいくら田舎侍とて聞いていよう」「西行様、その前に、このような奴輩。私におまかせあれ」十蔵が、西行の前に棒をかまえて立ち塞がっている。「ぬっ、貴様はどこかで見た顔じゃと思うたら」馬頭を、十蔵に回している「お前。東大寺僧兵の指揮をしておったじゃろう。のう次郎左、この男の顔に見覚えはないか」太郎左が十蔵の姿を弟に言う。「そうじゃ。兄者、こやつは確かに指揮をしておった。お前たち、悪僧(僧兵)どもが弱いから、平家ごとき柔侍に東大寺の伽藍を焼かれてしまうのじゃわ。くはは」三人は、十蔵をあざ笑った。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.04
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―――――――■義経黄金伝説■第24回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■4 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 下野(しもつけ)国足利荘御矢山(みさやま)武神を祭る御矢山神社の山々が揺れ動いているのだ。やがて円形競技場の周りに、人の波が現れている。結縁衆が、競技所のまわりと取り囲んでいる。「よいか、頼朝殿、我が手には、結縁衆がついておる。ご存じのとうり、京都王朝が成立する以前の日本全国におかれた方々じゃ。その方々との縁も、この西行はもっておる。いかがかな。ここは、この西行を、京都へすんなりと行かしていただけぬか」西行が、流鏑馬の終わった競技場の中心で、頼朝に向かい叫んでいた。「西行、この仏敵め」土段上にいる文覚が、叫んでいた。西行が答える。「文覚殿、よいか、平泉は仏教王朝ぞ、その仏教平和王国を、この頼朝殿はつぶそうとして追われる。その考えを吹き込みしは、広元殿か、あるいは、おぬし文覚殿か」再び、競技場、土壇の武士の動きが激しくなった。家人、郎党を呼び寄せ、戦支度を始めているのだ。一部は馬の止まりに走り初めている。この騒ぎに再び、あの声が朗と響いた。「今は神聖なる祭りの時、場所じゃ。双方とも武器をしまいなさいませ。ここでの戦さは不要、無用じゃ。我々坂東武者は、日本の政治(まつりごと)を正さんがため、挙兵し、平家を滅ばした。我々、これから日本の政を正しくおこさんが者たちが、商売や芸事を生業とする民と戦うは、意味あることか、お考えなされませ。我々、坂東が武者は、すべての民のため、正当なる政治を行わんがため、打ち働かん。今周りを取り囲みし方々も聞かれよ。我らは、まっとうなる政治を打ち立てん。周りにおられる方々も、安んじて生活できるたつきを与えようぞ」北条政子であった。それを受け、流鏑馬道で、西行に向け、弓をひいていた頼朝が弓を手からはずし、大声で叫んだ。「よいか、皆、聞け。本年の御矢山御祭りは、この西行殿と頼朝の流鏑馬射合をもって終わりといたす。皆には元鎮守府将軍藤原秀郷流の武芸を見ていただいた。これをもって領地への土産話とせよ」あたりは、承服できない武士たちがいる。再び、頼朝が告げた。「よいか、領地に引き上げられよ。今ここで刃傷沙汰に及ぶは我が鎌倉に、弓を引いたとみなす」少しつつ、競技場から人の波が引いていく。頼朝は、競技場傍に設けられた仮屋敷に戻り、体を打ち振るわせ、怒りをあらわにしている。大江広元と、文覚の二人を前に怒鳴っている。「よいか、本日は自重しょう。が、奥州平泉を攻め滅ばした後はかならづや、西行とその結縁衆を滅ぼせ。また、あの西行の敷島道を完成させてはならぬ、我々武士の武威と、仏教にて、この日本は支配されるべきぞ」「ははつ、かならずや」二人は唱和した。「奥州平泉を滅ぼすは、我が大江家の悲願でもあります」「頼朝殿、ワシは、その頼朝殿の考えに惚れたんじゃ」文覚が言葉を続ける。「奥州仏教王国を滅ばしさん、その黄金を手に入れて、今度はこの鎌倉を仏教王国にいたしましょう。そうじゃ、我が鎌倉にも大仏を建設いたしたしましょうぞ」大江広元が言葉を継いだ。「結縁衆のやつばらには、我々が恥をかかされておりまする。たとえ、比叡山、高野山がどういおうと、奴らを、山の中においこみましょうぞ。この街道筋や、湊泊まりに、居る場所がないようにいたしましょう、その支配体制を頼朝殿のお力でなしとげましょうぞ」摂津、川西多田から鉱山貴族となり、金属資源の使い方を知り尽くした軍事貴族、源氏は、当時最大の黄金郷、奥州平泉を攻め滅ばさねばならなくなった。それが昔年の、源氏の氏長者(うじちょうじゃ)、頼朝の使命だったのである。別の仮小屋にて、北条家の面々が集まっている。「婿殿は、、、我々板東政権によって、いらぬ時がくるかもしれぬのう、政子殿、その事、政子殿考えておられよ。幸い、2人の子供に恵まれておるが、我らが源氏の方々を頭にいただいて、いくが当然じゃが、その氏の長者がやくにたたぬ時もありえよう」北条時政が周りを見渡し言った。政子は、顔を青ざめながら、ゆっくりと首肯した。その頃、頼朝は大江広元だけと話をしている。「広元、ワシは、お主の使われせた、手先の者どもの事は相知らぬぞ。おまえに任せるが、失敗した折りは、すべて、お主が責任をとれ。お主がどう動こうとワシは知らぬ。また鎌倉郎党の者も使うのはやめよ」矢継ぎ早に、頼朝は命令する。「まさに、ここ、御矢山で、西行が盗賊に会うは、ご神前で誓ったワシが恥をかく。また、この事は、文覚にしれるではないぞ」。しばらくして大江広元が、北条政子に呼ばれていた。「ここは、ふたりだけの相談でございます。大江殿、いかが考えられる、いやこれからの攻め手の事」大江は、頭を振り絞る。ここは、政子殿、いや北条家に自分の知略を見せておかねばなるまい。「あるいは手として、義経殿の命と、奥州黄金の支配権とを天秤にかける方法もございましょうが」「それは、坂東の方々、世の方々が納得すまい」「武士は武士。ころはそれ、後白河法皇の勅宣という事もございましょう。まして、藤原秀衡様が亡き後ならば、義経殿の支配に、奥州の武士の方々がつき従うとお思いですか。それはありますまい」「それはなぜじゃ」「奥州は、源氏の流した血で汚れておりますぞ。その象徴である義経殿を、中心にすえるは、奥州武士の面々がいかにも納得いたしますまい。まして義経殿の戦い方は、山丹の手法。我が国の手法ではない。奥州武士が納得いたしません。ここは、京都を利用利用いたしましょう」「如何に。大江殿」「我が物見によれば、決して、奥州平泉の兄弟仲は良くはありますまい。鎌倉殿に、日本支配権を奪うまでは、利用できるものはすべてお使いになられた方が。京都、奥州、さらには、あの西行殿の手下どもも」と告げて、大江は、政子の顔をじっくり見た。「まして、義経殿は、平家を滅ぼした戦の上手でございますぞ。義経殿の和子がまだ生きておわす事を知るは、政子殿と、この広元のみでございます」政子はひやりとして、少しばかり話題を変えた。「この日本に昔からおられる方々を、支配しやすくいたしましょう。住む場所をきめすのじゃ」「良き考えです。また、板東には、京都から新しい仏教を移住させ、武者殿の精神的背景になる教義を使いましょうぞ。我々が許す信仰しすい形の仏教を広め、鎌倉を別の佛都にするのです」「頼朝殿が大将軍の位におつきになり、この国をおさめる事になっても、この国の民をお忘れなきようにお願いいたします。この国は武士だけによって動いているかわけではございません。京都の貴族、我我、武士。文覚殿のような法師殿が支配するわけでもない」「作用です。国を富ましましょう。そして、相国平清盛殿が押し広げた中国宋との貿易、また平泉がもつ山丹の貿易利権も、てにいれましょうぞ。さすれば、あのような、民草は恐れる必要はございますまい。土地の支配権を、貴族や仏教からとりあげ、土地は、我々、板東の者ためにいかしましょう。それこそが、我らが生き残る道でございます」大江広元は、北条家に乗り換えていた。御矢山神社にある荷駄隊の馬留め場まで戻った西行は、十蔵の顔を発見した。早々と、武士の郎党は、この神社境内から姿を消しつつある。田舎にある神社の静寂が、すでに戻りつつある。西行は、十蔵に頭をさげながら、つぶやいた。「ふふ、また、おかげで生き残ってしもうたのう。お役目ご苦労でした。が、十蔵どの、今度は静どのを助ける番か」東大寺闇法師、十蔵はにやりとうなづいた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.03
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―――――――■義経黄金伝説■第23回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■3 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 競技場は、頼朝、西行の2人流鏑馬対戦のため準備がはじめられている。観客の叫び、興奮は、もはや尋常ではない。伝説ともなるべき試合が、今繰り広げられようとしているのだ。夫々が、1町離れて、対面にたち、馬上から狩俣の矢をつがえて突進する。木製弓は、強靱だが弾力がない。弓がしならないために、深く引き絞る事ができない。そして飛距離がでない。お互い馬上であらえば、なおさら引きしばれない。相手の至近距離で構える理由はこれである。流鏑馬は、左横の的を射る。弓は左手に持ち、左横の目標を撃つ。的が正面にあるうちにねらいをさだめ、流鏑馬では走路(さぐり)から、わずか3尺5寸(約100センチメートルで)で鏃がふれんがばかりに射る。矢でねらうは、「最中」つまり体の腹部である。頼朝にとって、西行は、京都王朝のシンボルだった。板東王国をつくるべき今、自分、頼朝に将軍位を渡さないのも、いわば、ご家人衆からもれば、京都におわす後白河法皇の考えであるとし、西行の行動の後ろに、後白河法皇が見え隠れする。西行が、この不穏なる時期に、奥州平泉に行ったのは、京都王朝と奥州平泉の協同作戦の話に相違あるまい。そしてその作戦中心人物は、義経に相違あるまい。西行の後ろに義経の陰を見るのだ、西行は義経にとって、いわば育ての親代わり。西行は、この板東の最初の独立国、平将門の王国の夢破りし藤原秀郷の子孫、それゆえ、京都王朝の意志を感じるのだ、ともかくも、西行は、これから頼朝が打ち倒すべき敵の象徴であった。いくら年齢の差があろうと、負けるわけにはいかぬ。まだ、完全に、頼朝は板東地方を把握している訳ではない。平家という宿敵が南海に沈んだとしても、鎌倉が堅固なる国家にはなっていない。武家の象徴であるべき頼朝は、ここで、京都王国と武家の象徴である、西行を、後家人衆前で、倒す意味がある。逆に対手である西行は、考えている。さてはて、十蔵どの、ご準備の方はよろしいかな。山並みのいずかにいるはずの十蔵に、願いを送っている。西行の動きは、天下静謐が、目的なのだ。そして、あの麗しき方への、人生をかけた約束をはらさねばならない。崇徳上皇様との約束も、また、日本を敷島道でもって霊的に保護する企てもなしてはいない。まだまだ、人生においての宿願が、西行の胸にはあるのだ。義経が、この鎌倉を打ち破る可能性もあるのだ。この砂金が、重源に届き、京都後白河法皇法王が手助けの方策をとるならば、、、この頼朝ひきいる板東王国も盤石ではない。意志として、鎮守府将軍藤原秀郷の後裔は、西行の血が、頼朝を破れと命令していた。御家人衆の興奮の中、大江広元は、まわりの武家とは異なり、おそれをいだく。もし、頼朝殿があの西行に負ける事があれば、源氏が、この板東の、また、奥州においても、武門の誉れでないことを意味する。武門の王ではないのだ、とすれば、大江広元が頼るべきは、いったい、誰を。大江広元は密かに、北条家の面々の方をゆっくりと、盗み見た。文覚は、せっかくの板東王国が滅ぶ事があれば、奥州平泉が、日本を支配する事になれば、京都の寺の勧進を誰をたよるのか。仏教王国である奥州平泉に頼む事になるのか。いやはや、とすれば、また、後白河法皇に依頼せざると。いあやいあや、滅相もない。ここは頼朝殿に一勝負挑んでいただけなければ、ここでの武家のメンツはたつまい。、それぞれの想いをよそに、準備はとどこおりなく整う。盛装となった2人は、流鏑馬道の両端にいる。「頼朝殿、ワシがこの勝負に勝てば、砂金の安全を。この西行を京都に帰らせ、黄金を、後白河法王に渡す。これで頼朝殿の名前をあがりましょう。まして、頼朝殿は仏教三昧の方と聞き及びます」伊豆に流された後の、頼朝は、たしかに朝から晩まで、仏教を唱和してきた。「くどい、西行どの、はじめにご家人の面前にて、その事告げておろうが、この鎌倉の勢力及び範囲であれば安心あれかし」「いあざ、いざ」「そうれ、それ」両者は、駆け抜けた。1射は、鏑矢の羽音が西行の耳をそぎ、頬には擦過傷の血がうっすらとにじむ。「はずしたか」頼朝がくやむ。馬の首をめぐらし、再び対戦に入る。「いざや、2射を目にもの見せん」西行は、顔をそらさなければ、つきたっていたかもしれぬ。お互いに矢をいるは1本、1射のみ、走り貫けるに、次の矢をつがえる間はない。ましてや、背面から射るは、作法にもとる。2射目、、頼朝の矢は、西行の正面法衣をつき抜けていたが。体は触れてはいない。が、逆に西行2射目は、頼朝の防衣をつき抜けようとした。が防具が、そのエネルギーを別の方向に逃げさせ、馬の鞍から弾き飛ばしていた。思わず、頼朝は馬から背面にころがる。時が止まったように、観客のざわめきが、静寂に変わった。「そこまでじゃ」大江広元が叫んでいた。これ以上の醜態を、ご家人どもの前では見せられぬ。「皆の方々、おわかりであろう。西行殿、秀郷流武芸は、ここ板東で発生し、京都にいっても不滅である。その西行殿の腕を頼朝殿は、しめされたのじゃ。無論、どちらも相手を射殺す事はないのじゃ」が、道に落ち足る頼朝は、たちあがり、そばに落ちている弓矢をそれぞれ拾い上げた、矢をつがえ、馬上の西行に向けた。西行もしかたなく3の矢を頼朝に。静かに、精密に北条家からなる近衛の弓兵隊が頼朝の動きに合わせ、会場の各所から、西行1人に向けて、その鏃を向かわせた。頼朝の弓が、西行をねらっている、て、西行もゆくりと、的を頼朝にしぼった。西行は思った。(よいか、頼朝殿、私をまた、藤原秀郷にしたいか)藤原秀郷は、平将門の額を打ち抜いている。それをもって、平将門の乱(935年から940年)は終わり、最初の板東独立国はついえたのだ。そして 藤原秀郷は、鎮守府将軍となり、武家の尊敬をあつめた。秀郷はそのとき64歳だった。場は沈まりかえっている。誰一人動こうとはしない。「おまち下され」全員がその声の主を見た。頼朝の妻、北条政子だった。土壇上部から、叫んでいた。「弓をさげよ」そばには、娘大姫がうつろなる表情で、たくましき母親の様子をかいま見ている。「西行殿を、頼朝殿以外の射手が、射るは卑怯でございましょう。武門の名折れ。我が夫、頼朝殿の武門の名前をあげるときです。頼朝殿に恥をかかせてはなりません。みなさま弓をさげれれよ」「そうじゃ、皆、弓をさげよ」舅の北条時政が、和した。板東武者は、武威を好む。武家の棟梁とと仰ぐ頼朝が、その武威を見せねばならない。と北条家はいうのだ。弓手隊は、下がり弓を下ろした。「そもそも、西行殿はお客人。まして板東武者の端源、藤原秀郷殿の腕目を、みなさまにお見せするた、ここに来ていただいた。頼朝殿はその座興に的になられたのじゃ。いかに頼朝殿が武芸の達人といえど、秀郷流にはかないません。これは我々坂東武者が一体となれりて、奥州をせめんがための座興ぞ。我々が油断せず、平泉を攻めるがためじゃ」「先の保元の乱以来、親子、兄弟合い争うは、この世の常じゃ。我々が仲間割れせず、平家を南海にしずめ、先には白川の関を越え、奥州をうつは間近ぞ。義経は、我が夫、頼朝殿や、皆様方へのご恩を忘れ、平泉に逃げ込み、我々をねらう。坂東をまた、いずれかの支配の地におきたいか。これは我々の宿願であろう。我々、板東が勝つか、平泉が勝利するかは、それは皆様のお力や、お働きによる。我々が砂金をもって、京都に行き、後白河法王に閲覧に拝し、奈良大仏も再建しようではございませんか。さすれば、京都の貴族たちも、我々、板東武士の意向にはうかう事は不可能でございましょうぞ」政子の傍に控えている、父親北条時政は、弁達の我が娘に向け、うっすうら笑いをこらえている。競技場にいる頼朝が、矢を下ろして、政子の言葉に続けた。いかんせん、熱くなりすぎたぞ。今は。政子に助けられたか。ここが潮時。如何に納得させるかじゃ。「西行殿と、砂金を京都に送り返すは、我々鎌倉の誠意と実力をみせんがためぞ。板東の武家の方々、、そして、源氏、我が北条家の方々、坂東名家の方々、心して聞かれよ。この日本をこれから、動かすは、我々坂東武士ぞ。」西行が、頼朝の演説を途中で止めた「でものう、頼朝殿、この周りの様子、そしてあの音を聞かれよ」やっと、か。十蔵殿、時間がかっかったのう。地鳴りが、競技場にすこしづつ響いてきている。「なに、これはいったい」業腹の武士たちも、あたりの異音にきづき、騒ぎ出す。御矢山の山奥から、、その近在の山腹からも、人々の気配と異音が津波のように押し寄せてくるのだ。目指すは、どうやらこの御矢山競技場。御矢山神社参道や周囲にいた、道道の輩も、自らの仕事場所を打ち捨てて、競技場周りに集まりつつうあった。この人間達を北条家の護衛兵が押しとどめようとするが、多勢に無勢である。「京都には貴族があらえる、板東には武士、しかしながら、いにしえより、大和地方で今の京都王朝が、成立する前に、民がいた。この日本の各地、国々に、京都の意向、お主ら武士にも承伏できぬ民草がおられる。この方々との縁も、この西行はもっておる。その方々が、この西行を助けようとされておる。さあて、如何なさるぞ、頼朝殿」(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.02
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―――――――■義経黄金伝説■第22回 ―――――――――――――――――――――――――――(C)飛鳥京香・山田博一http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■2 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 頼朝は、皆より1段高い御矢山競技場土壇上から、西行の流鏑馬を、見て満足しょうとした。今、七十歳にならんとする西行は、昔のこと、北面の武士である事を思い起こそうとしていた。この老躯に、果たして役目が務まるか。しかし、わづかながらでも、体の反応が残っているだろう。それにかけるしかあるまい。まだ、我が生涯の目的のため、負けるわけにはいくまい。当時の馬の大きさは、前脚のひずめから肩の一番高い部分までを体高とした、日本の在来馬は、四尺(約121センチメートル)を通例とする。軍馬の場合は少し大きく四尺三寸(約130センチメートル)が標準である。西洋のサラブレットの体高が160~170センチメートルなので、西洋高のポニーの大きさに相当する。中国の軍馬の条件は130約121センチメートル以上であり、秦始皇帝の兵馬俑にある馬俑の平均体高は、121センチメートルであり、アジア地方草原馬の標準といえた。当時の木製弓は、弦を外した上体では反りがなく、直線で樋のある腹側に弦をそのまま掛けている。木の性質から弓はしならず、世界級大きなものとなり、平均で7尺2寸(約210センチメートル)となり、馬の体高より大きい。弦は、麻の繊維を錬り、その上に補強のため漆を塗る、あるいは、糸で巻き閉めてから漆を塗る。矢は、鏃(やじり)矢羽、ヤガラからなる。矢の長さは、握り拳ひとつを1束とし、十二束(約83センチメートル)が標準であった。ヤガラは本体部分で篠竹をつかう。鏃は、武士の流鏑馬には、鏑矢が使われている。西行は、見事に、流鏑馬を行い、的を打ち据えていた。2度3度、流鏑馬の走路(さぐり)を走り終え、的をすべて当てていた。賞賛の叫びが、下野の国足利の荘・御矢山競技場にこだましていた。この時期は、弓矢道が戦いの常道である。戦いの主役は刀剣ではない。頼朝は考えている。この西行の藤原秀郷流の武門の技を、まして、70歳にもなる男の見事さを、この坂東御家人の前で、見せるのは、頼朝は、歓声の中を、急に立ち上がった。扇子を振り上げている。「見事じゃ、見事じゃ、西行殿、さすがは、俵の藤太。藤原秀郷どのの御子孫じゃ」藤原秀郷は、弓矢の達人として、東国の御家人からの崇拝の的である。昔語りに「近江ミ上山の大百足を退治し、竜神から小俵、反物、鍋、武器をもらったという」伝説が、この時代の人々に埋め込まれている。「西行殿どうじゃ、射組の試合はいかがか」流鏑馬で、2人が合いむかい、お互いの相手を的に打ち合おうというのである。観客から驚きの声があがって、騒がしかった。「対戦する相手は、そうよのう、、」頼朝は、しばし考え、口を開いた。「そうじゃ、私がつとめよう」一層の興奮が、周りの武士たちを驚かせ、感動させる。頼朝は弓の上手として、子供の頃から有名であった。「百発百中の芸を振るいて、合い戦うる事数度に及ぶ、射殺すところの者これ多し」と当時の文献に書かれていた。この坂東で、先輩にあたる京都の北面の武士と射る合いをする事も無駄ではあるまい。と頼朝は思う。「頼朝殿、それは、、」頼朝の傍らにいた、大江広元と、文覚が、同時に叫んでいた。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.01.01
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