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平成18年4月8日、ばあちゃんが永眠しました。
一昨日が告別式でした。
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小さい頃から おばあちゃん子 だった僕。
ばあちゃん が毎朝作ってくれる 味噌汁 が大好きだった。
幼稚園に行きたくないって泣いた時 おんぶで連れて行ってくれたこと、
小学生の時 公民館の鏡を友達とふざけて割ってしまって
両親に言えずに困っていたら、内緒で弁償してくれたこと、
今でもよく憶えてる。
大学の4年間 地元を離れた時は、来る日も来る日も 寂しいと言い続けたばあちゃん。
地元に戻って就職し、初めての給料で ご馳走してあげたら、
とっても喜んでくれたね。
でも、大阪に転勤になった頃から痴呆がひどくなり、僕の顔も分からなくなった。
僕が結婚して間もなく、足の骨を折って入院し 退院することはなかった。
ひ孫の顔を見せてあげることはできたけど、誰なのかよく分からなかったみたい。
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最後のお別れの時。
棺にお花を入れてあげながら、
ばあちゃんの顔を しっかり瞼に焼き付けようとしたのに
悲しみが目から溢れ出して、滲んでよく見えなかった。
ななか ゆうや も きょうすけ も、お花を入れて ばあちゃん とお別れしたよ。
ひ孫だって、きっと分かってくれたよね。
僕は 何も孝行してあげられなかったけど、ばあちゃんには いっぱい愛情をもらったよ。
ばあちゃん、本当にありがとう。