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6月18日は義父の命日だった。仏壇にお参りしようと思っていたけど、いろいろあって行くことができなかった。お義父さんがさびしくなってお義母さんを呼んだのかなぁ。3日後にお義母さんがいなくなっちゃうなんて。そろそろゼリーやプリンだけでなく、柔らかいおまんじゅう等も食べられるようになったと聞いていたので、仏壇にお供えした上用まんじゅうを持って、施設に面会に行く予定だった。施設に入る前、仏壇に供えてあった上用まんじゅうを一気に3つか4つ食べてしまったことがあって、おなかがすいていたのかもしれないが、義母はおまんじゅうがとても好きだったんだと思う。19日はゴスペルの親睦会があったから行けなくて、20日は生協の荷物が届くのが遅くて結局夕方になってしまい、明日行こうと思っていたところだった。あの日、夕方でも行っていれば、最後にお義母さんとお話しできたかもしれない。ちょっと後悔が残る。でも病院へ駆けつけた時、しっかり私の目を見つめて、その目がとても優しい目だったから私は救われた。病気の影響で、時々とてもきつい目でにらむ時があって、そんな目で最後に見つめられたら、きっとトラウマになってしまっただろう。最後に私を見つめた目は優しい目だった。だから私もにっこりとほほ笑んでお母さんを見つめた。お義母さんは口をパクパク動かして私の名前を言ったような気がする。きっと良くなってまた元気になると思ったのに・・・お棺にお義母さんの好きだった上用まんじゅうを入れてあげた。今日は私の結婚記念日だった。毎月1回帰ってくる主人は歯医者の予約がしてあり、来週帰ってくる予定だった。主人が1週間早く歯医者の予約をしていれば、義母の最期に会うことができたのになぁ。母親の最期に会えなくて、かわいそうだった。でも5月の末に面会した時、主人の名前を呼んでとても喜んでいたので、最後に会った時の印象がとてもよかったから、主人も後悔はないだろう。何もできない記念日だったが、義母が主人や息子と会わせてくれたんだと思う。それに、さくらんぼ狩りもコーラスの発表もゴスペルの親睦会も行かせてくれてありがとう。
2014.06.24
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主人も次男も今日帰っていくので、男手があるうちにグループホームへ荷物を取りに行くことになった。小さなタンスとその中にある衣類、雑貨など。あと、テーブルやいす、手押し車、車椅子。結構荷物があるので小さな引っ越しみたいだ。義母の担当だった職員さんが、形見に何か欲しいというので、義母が書いた習字や、ハンドタオルなどをあげた。その人はほんとに義母のことが好きだったようで、義母の物がなくなってしまうのが悲しいみたいだ。車いすの処分に困っていたら、急に体調が悪くなった人用に欲しいというので、施設に寄付した。そのほか、おむつやパッドなどもたくさん残っていたので、どなたかに使ってくださいと引き取ってもらった。義母のリハビリ用に買ったパズルなども欲しいというので、全部寄付した。先日買ったばかりの新しい上靴も、どなたかの洗い替えにと置いていく。もっと大変だと思ったが、ワゴン車に全部乗ったので、荷物運びは一度で済んだ。施設がいろいろ引き取ってくれたので、ずいぶん助かった。
2014.06.24
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朝、会館へ向かう為に車を運転しようとしたら、足がつった。慣れないパンプスのせいか、それとも一昨日昨日と立ちっぱなしで疲れたのか、次男が免許証を持ってきていたので運転してもらって、助かった。長男は明日仕事で今夜帰らなければならないので、遅くなるといけないから、お葬式が終わったら直接帰れるように、自分の車で向かった。会場に着くと、義母の担当の施設の職員さんが来ていて、その人はちょっとガサツで、まじめな義母とは気が合わないと思っていたが、すごく義母を可愛がってくれていて、ちょっと子供扱いしていたのだが、いつも声をかけて遊んでくれるので、義母も喜んで握手をしたり、信じられないが、投げキッスをしたりしていたらしい。その人にとっての義母は特別な存在だったようだ。「こんな私を必要としてくれた。」と、かなりパニックになって泣きじゃくり、義母の代わりに私に握手して下さいと、私と握手をして、なんだか私も泣けてきた。お葬式は12時から始まり13時出棺だった。途中で私はおなかが痛くなり、冷や汗たらたらで、悲しみに浸る暇もなく、棺にお花を入れる時しかチャンスはないと、真っ先にお花を供えて、そのままトイレに駆け込んだ。お腹が治まり帰ってくると、まだ順番にお別れをしていたので助かった。式の後は私が骨壷を持って、バスで火葬場へ行き、しばらくトイレなんて行けないだろうから、本当にセーフだった。無事に火葬も終え、会館に戻ってきて、そのあと初七日のお参り。そして精進落しを食べて、すべての行事が終わった。昨日一昨日とあまり食事も食べられなかったが、ホッとしたのか、精進落としの御馳走は完食。主人が親戚のおばさまたちに、三十五日や1周忌は子供たちだけでやりますと宣言。義父の時は会館を借りて、大勢親戚を呼んで行ったが、みんなもう高齢で、来るのも大変で、だれかに運転手をさせて3人で来なければならないし、質素にやってほしいという義母の遺志をくんで、私たちだけで自宅でやることにしたのだ。義母の姉妹はすごく仲が良く、何かと言っては集まる人たちなのだが、親戚の付き合いを壊してしまったみたいで、ちょっとどうかなぁとも思ったが、誰も文句は言わなかった。世代交代ということだろう。長男は駐車場の車の中で着替えて帰って行った。そのあと、夜、義母の家に祭壇を飾りに来てもらう。義母の家はだれも住んでいなくて、祭壇を飾る広い場所があるが、うちなんかだったら、家の中がぐちゃぐちゃで飾る場所もない。主人か私に何かあっても義母の家で飾ってもらおう。仏壇の前に素敵な祭壇ができ、お花いっぱいに囲まれた義母の遺影がある。ずいぶん若い時の写真だが、実は義父の遺影に使った旅行の時の写真で、もともと義父と二人で写っていたものなのだ。これでペアになったというわけだ。今と全然違ってすごくふっくらとしているので、なんだかお義母さんじゃないみたいだけど、病気になる前の、元気でしっかりしていて、毎日1万ぽ歩いていたころの頃のお義母さんだ。天国では杖なしで、愛犬とさっそうと歩いているんだろうなぁ。お義父さんとは会えたかなぁ。
2014.06.23
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15時からの湯灌の儀式が行われた。途中、施設の人が来て、一目会いたいと言うので、湯灌の儀式に参加してもらう。いちばん来てほしくなかった義母の入院に賛成していた男の職員だ。すぐに帰るかと思ったら、最後までいて、家族の中でひとりお茶を飲んで居座り、お義母さんが二人いたら、うちはやっていけないねって話していたんですよ~などと、空気の読めない会話をして、お姉さんたちの怒りを買う。そのあと、ケアマネージャーの女の人が来て、その人はほんとにいい人だったし、涙ぐんで話も出来なかったが、気持は十分伝わった。通夜の前に所長、看護師さんたち、通夜の途中にも一人、夜中にはいつも優しく接してくれたパートの職員さん、みんな仕事帰りの服装で、次々と駆け付けてくださった。看護師さんは、もっと早く気付いてあげられなくて・・・と泣いていた。仕方がないと思う。様態は急変したんだし、もし早く病院へ運んだとしたら、きっと手術になっただろうから、そうなったら、今度は手術に耐えられなかっただろうし、命を取り留めても、完全に寝たきりになってしまっただろう。それより、苦しまずに、体を傷つけることなく、静かに眠りについてよかったと思う。お義母さんがプリンを食べたそうにしていたからと、もうひとりの方はプリンを持ってきてくれた。家族葬なので、ほんとに親族にしか知らせなかったが、施設には亡くなったことを知らせたので、みなさん次々と義母に会いに来てくれて、お義母さんも喜んでいただろう。私たちよりも施設の人の方が、救急車に乗る前の元気な義母を見ているだけに、みんなびっくりして、ショックを受けている様子だった。通夜は19時から始まった。主人が高い祭壇を選んだので、義母の思い出の写真をスライドにしたり、お義母さんの意に反して、ちょっと派手な式になってしまった。親戚のおばさまたちが来て、通夜振る舞いもして、けっこう夜遅くまでおしゃべりしていったようだ。私と子どもたちは10時ごろ先に失礼して自宅へ戻った。会館には主人と姉夫婦と、お兄さんの4人が泊まった
2014.06.22
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医者の話では、おなかが膨れていたので、もしかしたら腸の病気か何かかもしれない。解剖して原因を調べますか?と聞かれたが、体にメスを入れるのは嫌なので断った。CTを撮ればある程度のことがわかるけどどうしますか?と聞かれたが、もうお義母さんが戻ってくるわけではないのでそれも断ってしまった。原因不明なので、一応心不全ということになった。すぐに葬儀会社へ電話して、迎えに来てもらうことになった。生前お義母さんは互助会にはいっていたので、手配はスムーズだった。会館の人が、葬儀会館に行く前に、家の前を通りますか?と言うので、是非にとお願いした。すると5分ぐらいなら、家にあがることもできます。と言うので、私はずっとお義母さんを家に帰してあげたかったので、もうすぐ主人が到着するので、それまで待ってもらえますか、と頼み、30分ぐらいだったら待ってくれると言うので、会館ではなく、実家に来るように主人に連絡した。それからみんなで実家へ向かった。実家へ着くと、会館の人が二人で担架みたいなもので義母を運んで、中へ入れてくれた。仏壇の前に寝かされ、久しぶりに家に帰ってきた義母はうれしかっただろう。30分ぐらいして主人がタクシーで駆けつけてきた。主人が来るのを待って、みんなで葬儀場へ移動した。主人が実家で義母に会うことができて本当に良かったと思う。通夜は明日、葬儀は明後日に決まった。義父の時にお世話になったお寺さんにお願いして、枕経をあげてもらう。今日一日は会館でお義母さんを預かっていただけるということなので、ちょっとひとりにしておくのはかわいそうな気もしたが、朝から着の身着のままで病院へ駆けつけて、何の準備もしてないので、いったん家に帰ることにした。 女性は礼服さえあればあとはストッキングぐらいで済むが、男4人の支度をするのにてんてこ舞いだった。閉店寸前に、3人の子供と主人のカッターを8枚買いに行った。礼服や、黒い靴下、ベルト、靴などを準備する。義父の時はまだ学生だったので、学生服でよかったが、3人ともまだきちんとした礼服を買ってなかったので、三男は大学入学の時に買った黒いスーツ、長男は、私の父のお下がりの礼服で間に合わせることに。次男などは仕事場から直接来たので、ドロドロの格好で、靴も運動靴。黒いスーツは東京に置いてきたので、自宅にあった濃いグレーのスーツと、三男が黒い靴を2足持っていたので、それを履くことに。(サイズがあってよかった)ベルトはたまたま新品が買ってあったので、それをあげた。黒いネクタイも、なんとか4本あったのでよかった。こんなに早く何かが起きるなんて思ってもいなかったので、準備はしておくものだとつくづく感じた。認知症になる前のお義母さんは本当にきちんとしたしっかりした方だったので、自分の棺の中に入れてほしいと、四国へお遍路さんに行ってもらってきた記帳や印がたくさん押してある白い着物のようなものや、わらじ、自分のへその緒などがひとまとめにしてあったので、探すのも簡単だった。葬儀場も互助会に入っていたし、お寺さんとも付き合いがあったので、どこにしようか探すこともなく、段取りよく出来たと思う。生前、自分のお葬式は身内だけで質素にやってほしいと言っていたので、家族葬で、香典も一切もらわないことにした。
2014.06.21
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義母が亡くなりました。あまりにも突然で、バタバタとしてあっという間に終わってしまいました。21日(土)の朝、8時ごろ施設からの電話で起こされる。いつもならもう起きている時間だが、昨夜なんだか眠れなくて、3時過ぎまで布団の中で起きていたので、今日は休日だしゆっくり寝ていようと思っていたところだったので、頭がぼーっとしてなかなか体が動かない。電話によると、昨日からご飯を食べるともどしてしまうという状態が続いていて、血圧は高いが、熱はないし、大きな声を出して元気がいいので、様子を見ていたとのこと。でも今朝になっても嘔吐が続くし、血中酸素濃度が90を切ったので、今から救急車を呼んで病院へ行くので、家族も来て下さいとのことだった。私はノロウイルスか何かかなぁと思ったが、とにかく急いで着替えて出かける準備をした。施設へ向かおうとしていたら、また電話があって、血圧が下がって様子が変なので、家族を待たずに救急車を呼んだところ、救急隊の方が、どこの病院がいいかと聞いてくれたので、うちの近くの病院を希望したが、そこは施設から遠いので、前に肺炎で入院していた東部医療センターへ行くことになった。うちからは40分ぐらいかかるので、病院の近くに住む兄夫婦のところに電話して、病院で、救急車が到着するのを待ってもらうようにお願いした。以前そこに入院した時、義母だけを置いて、施設の人が帰ってしまったことがあったので、とにかく誰かに受け取ってもらおうと思ったのだ。たまたま土曜日だったので、お兄さんが休みでほんとによかった。病院へ向かう途中にまた電話があって、延命治療はどうしますかという内容だったが、運転中だし、もうすぐ着くからそれまで待って下さいと返事をする。病院へ着くと私の予想とはまったく違って、義母は危篤状態だった。施設の看護師さんの話だと、それまで「おねえさん」とか「トイレトイレ」とか大きな声で話していたが、救急車に乗ると安心したように身を任せ、「寒い」というので、毛布を掛けてあげたという。そのまま意識がなくなり、病院へ着いた時には、もう瞳孔も開いて、脈も触れないぐらいになっていた。危篤だということで、お兄さんのお嫁さんも仕事をやめてかけつけていた。医者が、今からできる治療としては、人工呼吸と気管切開ぐらいだが、人工呼吸をするとあばら骨が折れてしまったりすることもある。もう高齢なので、自然の流れにまかせますか?と聞かれたので、前の入院の時も、延命治療はしないと家族で話し合っていたので、本人もそれを望んでいるだろうから、自然に任せますということになった。治療室から一度病室に移った。病室に入ってから、私が「お母さん、わかる?○○だよ。」といつも施設に面会に行った時のように話しかけると、それまで上を向いていた目が私の方に動いて私を見つめた。そして口をパクパク動かした。私がわかったんだと思った。何か刺激があるとまゆ毛を動かしたり反応がある。そのあとお義姉さんと二人で「お母さん、お母さん」と声をかけると機械の数値が50から80くらいに上がる。しばらくすると50から30ぐらいに下がって、また呼び続けると上がったり下がったりしていた。時々0になってびっくりして呼びかけるとまた戻ったり、そんな感じが続いていた。単身赴任で西宮にいる主人にすぐに帰ってくるように電話して、長男と東京にいる次男にも連絡した。家にいた三男には学校へ行かずに家で待機するように。先生はあと数時間かもしれないし、数日かもしれないと言われたが、気丈なお母さんのことだから、きっと復活すると信じていた。50ぐらいで少し安定したので、休憩室で家族に電話したりしていたら、お義姉さんが、「大変!」とろうかに出てきて、あわてて病室へ戻る。それからは0のままもどらなくなってしまった。お姉さんたちが病院に着くころなので、お兄さんは駐車場へ迎えに行っていたので、すぐに電話する。ちょうどお姉さんたちが着いたところだった。もうすぐ、みんなが来るから頑張ってと声をかけるが、0のまま。お姉さんたちが駆けつけてから、お医者さんが「10時25分です。」と臨終を告げた。あと2時間ぐらい頑張ってくれれば、主人や、子供たちも間に合ったのに、主人も二男の新幹線の中だった。
2014.06.21
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今日はもう一つの習いごと「ゴスペル」サークルの親睦会だった。練習後、近くのお店で食事会。メニューは鶏の唐揚げ定食。そこの店は海鮮を中心とした和食屋さんなのだが、唐揚げを選ぶところが若いという感じだw40人近くのメンバーが一度に行ったので、予約がしてあるとはいえ、お店はてんてこ舞い。人手が足らないみたいで、なかなかご飯が運ばれてこなかったので、みんなでセルフサービスみたいに食事を運んだ。コーラスのメンバーよりもゴスペルのメンバーの方がもう一回り若いので、小さなお子さんや赤ちゃんを連れてきている人もたくさんいて、そんな若い人たちと親睦できるのも、このサークルに入ったからこそだ。夏には近くの小学校の夏祭りに出演することも決まって、なんだか私の生活が随分変わってきた。思いきって、サークルに入ってよかったな。
2014.06.19
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今日は月2回練習しているコーラスのボランティア発表会だった。ひとり暮らし老人のふれあい昼食会のアトラクションとして招待されたのだ。会場は瀬戸市にあるので、何度も下見に行って、道を間違えないように。今回のボランティアは先生も参加してくださったので、とても心強い。「春に」とか「野ばら」とか、難しい歌がたくさんあったが、みんな家でも練習して、しっかり音が取れていたので、なかなかいいハーモニーになっていたと思う。お揃いで購入した赤いコサージュも可愛かったし、去年買った黒のロングスカートも出番があってよかったw発表後、みんなで木曽路へ行って、お昼ご飯を食べた。楽しくおしゃべりして、リフレッシュ。30代から60代まで、歌を通して、いろいろな年代の人と仲良くできるのがうれしい。
2014.06.16
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今日はアルバイト先の先生たちに誘われて、バス旅行で、八ヶ岳までさくらんぼ狩りに行った。八ヶ岳まで!と、最初びっくりしたが、高速道路で、3時間半ぐらい。おしゃべりしていたらあっという間だった。まず清里高原ホテルでフランス料理のランチを食べ、ハイジの村で満開のバラを見て、そのあとさくらんぼ狩り。最後にチーズケーキ工房で、お土産を買って帰ってくるコースだった。昨日から関東方面は大雨で、道路が通行止めのところもあったが、運がいいことに私たちが行くところはすべてなんともなく、雨にもそれほど降られずに、暑くも寒くもなく、本当に良かった。さくらんぼも佐藤錦、紅秀峰、香夏錦と3種類あり、30分食べ放題。それぞれにおいしかったが、皮、身ともに柔らかく甘かった香夏錦をおじいちゃんたちにお土産として買った。息子にはチーズケーキを買って帰るからね~と言ってあったので、1ホールと、カマンベールどら焼きというお菓子を買って帰った。京都以来のバス旅行だったが、結構楽しかった。また誘われたら行こうかな。
2014.06.08
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