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うちにはお義姉さんとお義兄さんがいるのに、どうして次男の嫁である私が義母の面倒をみなければならなかったと言うと、それには複雑な事情がある。義母は後妻で、義母の本当の子供は主人だけなのだ。前の奥さんは3人目の子供のお産の時に、子供と一緒に亡くなってしまい、3歳と5歳の子供を抱えて困った義父がすぐに後妻をもらったのだ。家には舅と姑がいて、いきなり家事と老人の世話と、二人の子供の母になった義母は大変だったと思う。そのうえ結婚したら炭屋を始めて、お舅さんについて遠くまで歩いて配達に行ったという話はよく聞いた。そしてすぐに主人を身ごもり、赤ちゃんの世話もしなくてはならず、考えたらよくやったなぁと思う。そんな大変なところへ恋愛結婚でもなく、よく嫁いだなぁと思うが、実は義母は1度結婚に失敗しており、いわゆる出戻りだったのだ。結婚した人が酒乱で、家にお金を一切入れない人で、一緒に住んでいたお義母さんも変な人で、耐えられなくて、1ヶ月ほどで、逃げて帰ってきたのだという。戸籍謄本にはその事実が書かれていないので、戸籍にも入れてもらえなかったのだろう。昔のことなので、出戻りの人にはもう良い縁談などなく、後妻になるしかなかったのだろう。義父はおとなしいいい人だったし、人物的にはいいと思って結婚したのだろうが、自分が想像していたよりもその生活は大変なものだったんだと思う。いろんなストレスを小さな子供に向けてしまってもしょうがない。義母はお義兄さんとお義姉さんにつらくあたり、お義兄さんは子供のころに受けた心の傷が今でも消えないのだそうだ。昔の人だからしつけが厳しかったんだと思うが、本当の子供じゃないからつらく当たるんだと思ってしまったようだ。実際3人子供を育てればわかると思うのだが、どうしても下の子に甘くなってしまうのは実の母でもあることだ。でもそれを、自分の子供ばかり可愛がるというように感じてしまった。実際そうだったのかもしれない。その上すぐ隣に親戚が住んでいて、その人に「自分の子供じゃないから叱れないんだ。」などと言われたので、意識して厳しくしたのだと生前義母は私に話してくれた。うるさい小姑までいて、ほんとに義母は苦労したんだと思う。でもそれを小さい子供にぶつけたのはやはりいけないことだ。お義兄さんたちはしつけではなく虐待されたと感じている。いじめと同じで、やった方はそんなつもりでなくても、受け取る方がそう感じてしまったのなら、それはいじめなのだ。大人になって私が嫁いでからの義母は、そんな義兄たちにつらく当たる様子はなかったし、お義兄さんもお義姉さんもお盆や正月など、家族を連れて遊びに来るし、まさかそんなことがあったなんて私は全然知らなかった。でも8年前に義父が亡くなってから、あまり家に寄り付かなくなったのは確かだし、認知症になってからは私にまかせっぱなし。主人も義母は自分がみると言っていたし、変だなぁと思っていたが、他人にはわからない複雑な感情があったようだ。主人も自分のせいでお義兄さんたちがつらい思いをしているということを感じながら育ったわけで、それもまたつらかったようだ。もう亡くなったというのに、あそこの兄弟はまだそんな風に傷が癒えていない。なんだかかわいそうだと思った。そんな苦労をして子供を育てたのに、そんな風に嫌われて、お義母さんもかわいそうだと思った。でも、もう亡くなってしまったのだし、関係を修復することもできないのだから、後は嫌なことは忘れて、これからを生きていかなくてはならない。お義兄さんのお嫁さんはとてもいい人なので、これからも仲良くしていこうと会食の時に話していたし、いろいろあったけど、これからは兄弟3家族仲良くしていきたいものだ。
2014.07.27
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二七日、三七日、四七日、五七日と一週間ごとにお参りがあり、お寺さんに家に来ていただき、お経をあげてもらう。浄土真宗は三十五日で忌明けなのだが、お寺さんの都合で、今日(三十六日目)忌明け法要をすることになった。三十五日を過ぎているのにいいのかと聞いたところ、四十九日の前倒しということでやればいいという。なんだか適当だ。昨日、お葬式をした会館の人が忌明け用の花を1対もってきてくれた。これも葬儀代に入っているのだという。どうりで高い祭壇代だったわけだ。でも新たにお花を頼まなくてもいいから便利かも。中陰台がとても華やかになった。昨日今日とものすごい暑さで、各地で熱中症で倒れる人が続出という気温(38度)の中、会館ではなく義母の家で法要をすることになり、朝から準備するだけで汗だくになることを予想して、普段着で出かけた。みんなも集まって来て、そろそろ礼服に着替えようとしたところ、あああああぁ・・・@@!ものすごいミスに気が付く。私の礼服や主人や長男のカッターが入っている旅行鞄を家に忘れてきてしまった。主人や息子のスーツを入れる袋3つと、小物などを入れた手提げ袋等をもって来たので、もう1つ鞄があったことをすっかり忘れてしまったのだ。お寺さんが来るまであと40分しかなく、家まで20分ぐらいかかるので、往復するとほんとにぎりぎりだ。私がパニックになっていて危ないということで、長男に送ってもらうことに。長男の車に乗って、二人で自宅へ戻る。途中道が混んでいてほんとにハラハラした。鞄をもって義母宅へ戻ると、ちょうど住職が着いたところだった。私は家で着替えてきたので、主人と長男は急いで台所で着替える。三男は家から礼服を着てきたのでよかったのだが、冬のスーツなので、熱中症みたいになってしまい、その上私がいない間に、2階の階段から足を滑らせて転げ落ち、尾てい骨をひどく打ったようで、気分が悪くなってリビングの椅子で休んでいた。とんだバタバタで法事が始まった。人が多くてちっともクーラーが効かず、途中で住職が扇子をパタパタとやりだしたので、あわてて扇風機を住職に向ける。私も息つく暇もなくお経が始まったので、汗が噴き出して大変だった。休憩の時に住職は自分の車にタオルを取りに行った。あんな袈裟をつけてよほど暑かったのだろう。お茶も冷たいものを用意した。1時間程度で法要が終わり、みんな急いで服を普段着に着替えて、木曽路へ昼食を食べに行った。暑いから着替えを持ってきてねと連絡しておいてよかった。あ~これでやっと忌明けがすんだ。義母の姉妹(おばさまたち)を呼ばず、子供たち3家族だけなので、気楽にできてよかった。食事中にこれからも3家族仲よくしていこうねとおお義姉さんたちと話し合った。みんな私がよくやってくれたというようなことを言って下さり、ちょっと救われた。感謝の言葉を言わなかったのは主人ぐらいだ。心で思っていても口に出さなきゃだめだよね。
2014.07.26
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亡くなった日から数えて7日ごとにお参りがある。義母は土曜日に亡くなったので、毎週金曜日だ。今日は二七日だった。区役所でやるいろいろな手続きがあるので、1日会社を休んで主人が帰ってきた。二七日のお参りの後、区役所へ行って、相続のための、義母の戸籍謄本や除籍証明書などをとり、そのあと市民課で印鑑登録手帳を返し、保険年金課で後期高齢者の保険証、福祉給付金資格症などを返し、福祉課で、介護保険症、敬老手帳、身体障害者手帳、福祉特別乗車券などを返した。後期高齢者医療被保険者には葬祭費が5万円出るそうだ。その他すでに払い込んでいる保険料などの還付金が戻るらしい。銀行の通帳も閉めてしまったので、公共料金や、施設に払うお金などが落ちなくなってしまったので、名義書き換えや、引き落としの手続きなどもある。だいたい1か月遅れで引き落とされるので、いろいろな請求書があとから届く。とにかく手続きが山盛りだ。区役所の後は郵便局で簡易生命保険の受け取りや、定額貯金の相続の手続きをしに行く。大した額でもないのに、全ての相続人の実印登録書がいるらしい。お兄さんとお姉さんに、忌明け法要の時に持ってきてもらうように連絡する。義母の財産はそのくらいなので、それで済んだが、いろいろな銀行に貯金があったり、株を持っていたりすると、もっと大変なんだろうなぁ。認知症になってから私が通帳を預かっていたので、あちこちの物をまとめておいたので、よかった。義母の死因はたぶん腸閉そくだと思われる。私の叔母が同じ病気で亡くなって、やはり昼まで家族と一緒に食事をして元気だったのに、夕方頃もどして様子がおかしくなり、病院に着いたら手遅れだったという。高齢者の腸閉塞などは急変することがあり、命を失うことも多いらしい。解剖やCTは撮らなかったけど、おなかがポンポンに膨れて、紫色になっていたという。先生も腸の病気だろうと言っていたし、たぶんそうだったんだと思う。先日退所手続きに行った時、施設の人が、当日のことをいろいろ話してくれて、とにかく脱水症状になるといけないからと、水を飲ませたり、私が差し入れで持っていったドリンクゼリーを飲ませたりしたと言っていた。それをおいしそうに2パックも飲みほして、その後、もどしもしなかったのでいいと思っていたら、その後急変したということだった。2パックも一度に飲ませなくてもいいのにとも思ったが、前日から食事が取れていないので、少しでも栄養をと思ったのだろう。腸閉そくの時は水も飲ませてはいけないらしいが、気がつかなかったのだから仕方がない。たぶんそれが急変につながったのだと思う。責めるつもりもないし、もし発見が早くても手術したりしたら、それに耐えられなかったと思うし、たとえ命が助かっても、もう完全に寝たきりになっていただろう。何より腸閉そくはすごくおなかが痛くなるのに、痛くなる前に意識がなくなったのか、ほんとに苦しまず、あっという間の安らかな死だった。精神病院へ入院して、院内感染でインフルエンザにかかって、その後立てなくなって、おむつになって、最後の方は本当にかわいそうだった。悔むこともたくさんあるけど、私としては精いっぱいやったし、全てしょうがなかったんだと思う。今は不自由な体から解放されて、ほんとによかったねと言いたい。
2014.07.04
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