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『日本語の発音はどう変わってきたか:「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(釘貫亨著、中公新書)を読みました。年配の人だと蝶々のことを「てふてふ」と書いていた時代があったことをまだ覚えています。「てふてふ」と書きながら発音は「ちょうちょう」だと習ってきた人たちです。これはいわゆる旧仮名遣いの一つですが、なぜ蝶々が戦前まで「てふてふ」と表記されていたのでしょうか。それはもともとそう発音されていたからです。奈良時代から江戸時代にかけて日本語の発音はどう変化したのか。蝶々は本当に「てふてふ」と発音していたのか。もちろん、当時テープレコーダーなど音声を記録する機械はありませんでした。ではなぜ当時どのように発音されていたか、分かるのでしょうか。著者は当時の発音を解明するためにいろいろなものを手がかりにしました。それが、たとえば中国から入ってきた漢字を日本語の音に当てはめる「万葉仮名」や、宣教師が編んだポルトガル語で書かれた「日本語辞典」でした。著者はほかにも各時代に当時の発音が分かる様々な資料を見つけていきます。それらの資料をもとに学問的に精密な方法で、時代時代にどんな発音の日本語が使われていたのかを明らかにし、私たち音声学の素人にも分かりやすく解説してくれたのがこの本です。本の帯にあるとおり、戦国時代から安土桃や時代に生きた羽柴秀吉は当時の人には「ファシバフィデヨシ」と呼ばれていたということも蝶々は「てふてふ」と発音されていたということ分かってきました。発音記号も記録する機械も発明されていなかった時代でも発音は解明できる、学問の奥深さを垣間見た思いでした。
2024年11月26日
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「日本語とにらめっこ:見えないぼくの学習奮闘記」(モハメド・オマル・アブディン著、白水社)を読みました。入院用図書(明日から数週間入院するわたしの暇つぶし用に買った図書)のはずが面白すぎて、入院する前に読み終えてしまいました。困ったこっちゃ。著者のアブディンさんは全盲のスーダンからの留学生。19歳で日本に来て日本語を覚え、鍼灸の資格を取り、大学院に進学。現在は大学の教員、研究員として、またエッセイストとして活躍しています。本書は、全盲かつまったく日本語を知らなかった彼がいかにして自分で日本語の本を出すまでになったのか、彼の日本での「奮闘記」です。「奮闘記」は副題にもなっています。しかし「奮闘記」と言われると何か違和感を覚えます。面白がりな彼のキャラクターもあって、奮闘記というより周りの人に可愛がられながら楽しく日本語を覚えていった感じがしてなりません。奮闘はたしかにしているし並大抵の努力ではないほどの体験はしているのですが、苦労したことも大変だったこともすべてを糧にしプラスにしていく彼のポジティブな性格のゆえ、そんなに奮闘しているように見えないのです。アブディンさんのおやじギャグが大好きなところも災い(?)しています。それは同音異義語の多い日本語の特徴をうまく理解して、会話に応用していくということなのですけれど。たとえば鍼灸の仕事でいきなり全盲のアフリカ人がやってきたのでびっくりする日本人の客から、「出身地スーダンはどんなところですか」と聞かれ、「スーダンは日本より数段広くて、数段暑いです」と言ってすぐに距離を縮めてしまったりします。初対面人との少しの会話からすぐに出身地を当ててしまうほど方言にも造詣が深いのは全盲ゆえの耳の良さがあるのかもしれません。が、やはりそこには彼の強い探究心があるのだと思います。たくさんの親切な日本人たちに囲まれていたのもよかったのでしょう。私自身、盲人の学習の手伝いをしたり留学生の勉強に関わったりした経験があるので、アブディンさんの学習環境がいかに恵まれていたのかはよく分かります。盲学校や鍼灸の学校以外にもボランティア的にホームステイやホームビジットを受け入れてくれた人たち、また彼の入学後、点字にする機械や盲人用パソコンを要求に応じてすべて準備してくれた筑波大学。やはりこうしたサポートがないと彼の努力だけでは難しかったところもあると思いました。それにしても大人になってから日本に来てこれだけ日本語を扱えるようになったアブディンさんはやはり稀有な存在。いくら環境に恵まれていたといっても、それは彼の努力があってこそ環境も整っていったということ。熱心に勉強し「奮闘」したことがよく分かる本でした。遊び心というか、本書を読み進めていくと何でも楽しんでしまう彼の前向きの性格が随所に見えました。やはり盲人とか留学生とか関係なく、どんな分野であっても勉強は楽しんでやること、好きになることが大事。それはスポーツや習い事などでも同じ。そんなことを思わせてくれる、とっても気持ちのいい読後感をいただきました。
2024年11月03日
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こんなふうになってたのか。脊柱管狭窄症の手術をして10日あまり、初めて自分で傷跡を見ました。なに分背中の手術ですからそう簡単に見ることはできません。鏡に映そうにも真後ろにある傷を見ようとしても体の硬い私には無理。それにあまり体をねじってはダメとも言われています。どうやれば自分でキズが見えるだろうと考え、思いついたのがスマホのカメラで撮影すること。早速試してみることにしました。しかし、コトはそう簡単ではありませんでした。手を伸ばしてスマホを背中側に回すことができません。普通のカメラと違ってスマホの場合は「シャッター」の位置がわかりにくく、シャッターを切ることが難しい。それでもこの辺かなと当たりをつけて撮るのですが、撮った写真はただ背中が映っているだけで傷口は全然見えません。ちょっと途方に暮れたそうになったときに思いついたのがスマホを固定してビデオモードにし、こちらが動くこと。うまく撮れました。ちゃんと傷が映っていました。傷口だけでなくドレイン(血液排出管)の穴に貼った絆創膏も。初めて傷を見た感想は「結構切ったんだな」です。私の体には幼稚園児のときに切った盲腸の手術痕と高校生のときに切った心臓カテーテルの痕がありますが、それらに比べてこちらの傷はダントツ1位の長さ。目測で7~10cmぐらいはあるでしょうか。これで私も立派なキズものです。今後ビーチに泳ぎに行くときはあまり注目を浴びないように必ずラッシュガードを着ないと、と思うのは意識しすぎですかね。今まで痛みでしか手術をした実感がありませんでしたが写真を見るとやっぱり手術したんだなとあらためて思いました。
2024年11月18日
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「話におひれをつける」とは事実を誇張していうことですが、「尾ひれはひれ」と言う人がいてびっくり。「尾ひれはひれ」の「はひれ」は一体どういう字を書くのとききましたが、「多分カタカナなのでは」という返事。おひれは漢字で書くと尾鰭。つまり、「元々なかったしっぽやヒレをつけて言う」ということなので誇張表現ということになるのですが、オヒレハヒレとなると何のことかさっぱり分かりません。尾鰭羽鰭?でも、どうしてそんな表現ができたのか興味を持ってインターネットで調べてみました。どうも、「尾ひれをつける」と「根掘り葉掘り」が混じった表現のようですね。明らかな誤用表現なのですが、驚いたのは「おひれをつける」が1030件ほどヒットしたのに対して、「おひれはひれ」は1700件ほどヒットしたこと。中には「おひれはひれは誤用」というサイトもあるのですが、ほとんどは当たり前に文章の中に「おひれはひれ」または「おひれ、はひれ」と使っているんです。雰囲気を「ふいんき」と読む人が増えてきており、とくに若い人だけを取ると「ふんいき」と読む人が半数以下になっているという事実もあります。そのうち、「おひれはひれ」も『正式な』表現として辞書にも載るようになるかも知れません。いや、すでに現代用語辞典などでは項目を与えられているかも?
2007年01月04日
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少し退院の希望が遠のきました。体は正直、というか、体に嘘をつかれたというか。昨日病室に主治医が来て「血液検査の結果、炎症反応の値がまだ高いのでもう少し様子を見ましょう。来週もう一度採血をして、値が下がっていれば退院になります」と言われました。炎症反応って何?と思いましたが、先生に聞く間もなく出て行かれたのでネット検索をすると、要するに体に傷があれば起こる「症状」で値が高いうちはまだ十分癒えてないことだと素人解釈しました。そうか。自分では元気だと思っているけれど、体はまだ負った傷を治そうとがんばっているんだ。朝晩何度かやってくる看護師に「痛いところはないか。しびれるところはないか」と尋ねられても、痛いところは手術した背中の傷口だけで手術前に痛かった脚はもう全く痛みませんと答えるだけ。手術の痕の痛みも徐々に治まってきています。リハビリは課された課題以上のこともできるし自分ではすっかりよくなっていると思っていました。そのため炎症反応の値が高いと告げられたことにちょっと驚いています。そして考え直しました。先生の言うとおり、あと1週間はじっくり治そう。もともと手術から2~3週間で退院と言われていたので予定通りと言えば予定通り。気がつけば背中の傷の痛みもずいぶん引いてきました。当初は軽い咳でも傷に響いていたものが今では咳き込んでもくしゃみをしてもそれほど痛みません。寝返りも、靴下を履くのも最初はおそるおそるやっていたのが今では難なくできます。どれもこれも、快方に向かっている証拠。この1週間は退院後の日常生活に支障を来さないために準備をするまさに「リハビリ」期間だと受け止めます。
2024年11月15日
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「佐藤愛子の孫は今日も振り回される」(杉山桃子著、コスミック出版)を読みました。しばらく入院するので病院に持っていく本を探していたとき、偶然見つけたのがこの本です。タイトルのとおり、作家佐藤愛子の孫が「おばあちゃん」のことや家族のこと、そしてアーティストとしての自分のことを書き綴った本です。ところどころに自筆の漫画も入っていて、病床にいても軽く、そして楽しく読むことができました。佐藤愛子の晩年のエッセイ「90歳。何がめでたい」などの著作が好きで本屋には佐藤の本を探しに行きました。そのとき、佐藤の著書と並んで置かれていたのがこの本。本書「はじめに」に書かれた自己紹介や中の数ページをパラパラっとめくって立ち読みし、面白そうだったので購入することにしました。孫からみたおばあちゃんの話などは期待した通りでしたし、杉山桃子さん自身の考え、人生観などのくだりは期待以上のところが多くありました。この本からは杉山さんが真面目に人生や世の中を考えていることが見て取れ、すごく素直に育った人だなという印象です。ただアーティストとしての才能がどれほどなのかはこの文章からは読み取れず、ぜひ杉山さんのライブに行きたいとまでは思いませんでした(本人が「ライブをするのも好きではない」と言ってしまっているぐらいですし)。でも世の中のことを真摯に懸命に考えている様子は十分伝わります。おばあちゃんのような突き抜けた文才はこの本からは見られませんが、素直な感性とストレートにそれを表現できるエッセイストとしての才能の方を感じました。佐藤愛子のような変人と暮らしているとネタがいっぱい転がっていそうです。続編に期待します。
2024年11月24日
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