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2022/01/25/火曜日/午後から曇天生誕120年の後半「向井が愛した家具とともに」入館料200円失われていく日本の民家を描いた洋画家といったごく表面的な印象で訪ねる。何しろアトリエを見るのが好きだ。その人となり、選択して来たこと、時代背景を知ると向井潤吉という人間と作品が切実に迫り来る。仏像はその寺で見るのが良いように、アトリエで作品が見られるのは本当に喜ばしい。住宅やアトリエには芸術家の本懐のようなものが篭っている。今回は彼愛用の家具などにも触れることができた。家具は吉田ショウヤ(彼の存在を民藝の百年展で知った。)と木工作家の林次郎の紹介があった。林次郎は今回初めて知った。彼の作品は残念なことに不審火で焼失。チェストだけが手元に残り、館内でベンチに転用されていた。彼の作品をまとめて見たいものだ。内部は作品が展示されているためだろう、撮影禁止なのが残念。大きくはない庭だけれど、昔日の世田谷の印象を刻んでいるらしい。石が多く用いられているが重苦しさは無く柔らかく自然な感じ。
2022.01.26
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2022/01/12/水曜日/穏やかでも空気が冷たい「ぐるっとパス」を12月末に購入したらオミクロン株急蔓延。少しでも行ける内に足を運ぶ。林芙美子といえば放浪記、のイメージで建築とはおよそ結び付かなかった。しかし家の普請に当たり200冊からの住宅関係書を買い込み、研究し、大工連れで京都の見学までしている。求道心の塊のような方である。「生涯住む家を作るなら、何よりもまず愛らしく美しい住宅を作りたい」と多忙な流行作家の傍ら、昭和16年の夏に竣工させた。この住宅には武張ったところも権威的なところもない。水回りと茶の間に最大予算をさいた、まさに芙美子という人間の見える住宅だ。浴室西壁一杯の引違い窓からは寝室とアトリエのある棟の前に植えられたカエデのイチギョウジとオオサカヅキが西陽に照らされ臨める。オレンジと真紅の紅葉が並んだ美しさは例えようがないとか。茶の間の東奥には母のための四畳半がある。すっきりとした狭さを感じさせない内装。こういう部屋を見ると半間でも床の間があるとよいなあ、と思う。玄関アプローチの床石、カマチの踏み石、床の黒曜石、また隣接の客間の意匠は数寄屋風で、作家の住宅らしい格調がある。プライベートな空間のほのぼのとした柔らかさと好対照作家の書斎。ずっと正座で書き続けられる、なんていうことに感嘆する。雪見障子で光をコントロール、裏庭の見える廊下に面した障子戸の内法の低さが美しい。正座から見た内寸法だろうか。右上の照明は書庫の天井灯。当初からのものはこれとアトリエの天井灯だけだそう。また画像で判然としないけれど、外壁テクスチャーに独特のさびた味わいがあると思っていたら、お醤油に漬けた鉄屑を漆喰に混ぜて仕上げたものという。昔からある技法らしい。この季節、さっぱり花はない。けれど小さな案内板を見ると今では個人の住宅で見られなくなったものが並び植えられ、その季節が待ち遠しい。
2022.01.13
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2021/12/07/火曜日/曇天この吉田五十八設計住宅が毎日公開されていることの有り難さ。ほんの一時の滞在のために出かける。応接間に面した坪庭応接鉤形プランの小間を挟んで、実は二つの坪庭が対照的な姿を見せている。曇天、若しくは小雨などにはこの緑の苔と小石常緑植物が広い屋内から実に鮮やか。雪吊り作業は本日で三日目だとか。これぞ用の美。夫人室飾り棚のガラス面に反射した庭の雪吊りの風景。その明るく美しい像は暗い屋内から僅かに臨まれ、ハッとする配置だ。
2021.12.09
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2021/11/16/火曜日/薄曇り歩いてみるものだと、ふつふつ感動を覚えた一日。全く予備知識無しで、よもや吉田五十八の住宅、それも二つの和室を備えた建築に見えるとは!これは一般財団法人世田谷トラストまちづくりが管理している「猪股庭園」。駅から徒歩10分ほど。幾つか写真を撮ってみたが、この建物の空間の豊かさ美しさ気高さが画像(私のスマホと腕)ではちっとも再現され得ないことを思い知った。↑二つの光庭、対照的な横溢と枯れと。↑二つの茶室、四畳半とニ畳、大庵?小さいニ畳の方は格別手を入れた印象で、重たいものは軽く軽いものは重くのお茶道の心ある、小さきものは、かな↑途切れることなくつながる空間、内も外も。この流れは吉村順三につながっていることがよく分かる。わたし如きにこの住宅はとても語れないけれど、この住まいは住む人の成熟もかなり要求されることだろう。書を見るとき、上手下手ということはもちろんあるけれど、高い低い、というのもあるそうだ。それは書かれた文字によって造られる空間の美、というように私は受け取った。建築というのも造られたところではなく造られない空間を日常の動きで知るものだ。そこにはやはり「何もないところ」がかもす高い低いがあるように思われる。もしも近所に住んでいたら、足繁く通い清掃などさせてほしいくらいの空閑だ。少しはマシな人間になれるかも。
2021.11.18
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2021/04/30/金曜日/快晴茅野市、蓼科湖の北東に小津安二郎記念館がある。元は当地ではなかったようだがこの地に移設されたとのことで、関内にはガイドの方がいます。小津安二郎の片腕ともいうべきシナリオライターの野田高梧のお兄さんが肺病のために転地療養した縁でこの辺りにいわば小津村ができた。笠智衆や往年の美貌俳優佐田啓二もこの近所に別荘があった。佐田さんはここから東京に帰る途中に事故で命を落としてしまった。内部空間はまるで小津作品のような静謐な空気が流れている。ここで野田高梧と共に好きなタイヤ菊を飲み交わしながらいくつかの映画が生まれた。浴室の佇まいがことの他素晴らしい。総じて水回りが美しい。お風呂の焚き付けには何段か地下に降りて作業する仕組み。何となく吉村順三自宅が想起された。お昼ご飯はここから近いお蕎麦やさん。お蕎麦は特にかわり無い印象だが、田楽、卵焼きなど周辺が充実。
2021.09.10
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2020/09/25/金曜日/晴天「高遠なつかし館」敷地にある風格のある住宅は、馬島家の施療院付住宅。元々高遠の人ではなく、眼科医のいない藩に出仕、藩医となったと記憶。天保年間建造の藩医の住宅が、ほぼ当時の姿を留めた珍しい建物だそうです。この頃から昭和の始めまで、設備的な進化はあったにせよ、住宅と暮らしぶりの大きな変化はあまり無いように思われる。ところで、高遠の殿様、保科正之は2代目将軍の子でありながら幼少のみぎり高遠藩主の養子となっている。小さなまた山間の辺鄙な場所で稲作もできなかった土地に江戸から養子に出す、というのはこの地が幕府にとってよほど重要な場所であったことが想像される。やがて正之は会津に藩替となるが、このとき会津に高遠蕎麦がもたらされた。大根おろしのつゆに味噌を混ぜたタレで頂く。高遠で食べたお蕎麦屋さんでは先ず塩で頂いた。ネギで蕎麦をすくって食べる、というのもあったように思うが、そのスタイルは大内宿の至る所で見た。↓秋たけなわ大内宿の、手作りあふれる新そば案内
2021.09.06
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2019/04/19/金曜日/晴れて爽やか西行こそまさに「狂多くして出遊を愛す」人。今をさる700年のその昔、西行は都を遠く離れてこの地に庵を結んだという。資料に基づいたような庵が再現されていた。庵からは真正面に中千本辺りの桜が臨める。苔の岩間から滴るお水も枯れることなく流れ、芭蕉も二度この地を訪れその水を口にしたというので私も真似た。「とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなき住居かな」と詠んだ苔清水芭蕉のこたえて「露とくとく 心みに浮世わすすがばや」西行庵の印象は「水の音は さびしき庵の 友なれや 峯の嵐の 絶え間絶え間に」 『山家集』
2021.08.29
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2021/05/24/月曜日/強い日差し晴天益田孝原富太郎松永安左エ門とは近代三茶人と呼ぶらしい。その三翁の三つの茶室が移設されていて、一服頂くことも可能。初めに習ったのは表、大学を過ごした京都で通ったのは裏。お茶道に出会った初め故か、表のさらりとしたお手前が好みでお師匠さんへの愛着も深い。夏場には氷を浮かべた釜の水で頂くお抹茶。ヨシズから入る斜めの日差しが床で折れて短冊に明るむ具合、風が運ぶ夏草の匂いなど、子ども心にもどこまでも静まるひとときは忘れ難い。茶室とそれに続く庭は日本の芸術の頂点とも思う。
2021.08.27
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