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甘いものは、心に優しい。「食べ過ぎると震えが来るね」ちょっとした心の寒さには、チョコレートがよく効く。「鼻血出ない?」多少の時間と懐にゆとりがある時は、ケーキがいいかもしれない。「ケーネスクローネなんて、手が届きませんよぉ」確かにその通り。角砂糖でもカジってなさいな。「ブラウンシュガーがいい」くそほど、贅沢ですってば。おはぎ。 蕎麦饅頭。 フルーツタルト。 UCCのワッフル。グリーンティ。おいおい、ダイエットは?「心にゆとりが無いと出来ません」それじゃあ何時までたっても、いくら優しいスィーツ頂いても、効果ありませんね。戦後の甘味料はチクロ。ズルチン。 サツマイモがご馳走。今は何でもありまス。お金とゆとりを溜め込んで、いざ!スィーツぅ。
2007/06/29
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神戸の美術館で開催されている、近代画家の「絶筆展」を観た。自分の死を意識しないまま、絶頂期に逝った画家。寿命を全うして逝った画家。自ら命を絶った画家。病魔に冒され道半ばで逝った画家。当然絶筆といっても、内容はかなりの差があった。完成された作品、加齢により筆力の衰えた作品。病気で思うがままに行かなかった作品。突然逝き、途中で筆を立たれた作品。死を受け入れ、覚悟の壮絶な作品。その中でもやはり、青木繁は僕の心の中に食い入って来る。絶筆はあまりにも惨めな、惨憺たるものだが、彼の末期は居た堪れない程の、やりきれなさがある。怨み、絶望、自壊、この世のありとあらゆる闇が彼を襲い、奈落へ引きずり込んでしまった。僕はまたあの時のように、自分と重ね合わせていた。その時の死への誘惑は、甘味なものだった。全てが終わる。全てから開放される。全てから尻尾を巻いて、人の手の届かないところへ逃げていく。「もういいじゃないか、十分苦しんだろぅ、楽になろうよ」そう何かが、頭の中、脊髄が脳に突き刺さっている辺りから、囁き掛ける。僕は不幸にも、生きていた。死ぬまで、拭えないどろどろとした衣装をまとって、これからも生き続ける事になった。20年前、僕は2度死んだはずだったのに、生きている事への後悔と、自刃する事の恐怖と、自分の選んだ道への執着と絶望とに身悶えながら、後何年無様に生きていくのか。末期に口にするのは、生卵6つ。今日は27日、たまに素に帰ってとことん弱音を吐いてみたかった。このまま黙っていると、いま、くだらない絶筆が1つ残ることになるから。
2007/06/27
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JUCOUが企画する、作家個展シリーズ、第一弾です。花、きのこ、野草、を爽やかな色で描いた、端正な水彩画展です。場所:ギャラリーオスカー日時:6月23日から28日 午前11時から5時まで阪急花隈駅北へ5分地下鉄大倉山東へ5分神戸市中山手通7丁目中国寺:関帝廟すぐそば今日朝、展示をしました。3時間かけた展示は、まずまずといったところでしょうか。岩崎さんは、多趣味な方。きのこにかけては野を駆け巡り、、、、以前きのこ狩りにお邪魔して、珍しいきのこをたらふくご馳走になりました。彼女の多彩な趣味が生きた、センスのある作品たちが60点並びました。お近くにいらっしゃった時は、お立ち寄りください。9月には企画個展第2弾「和田勉展」4月には京都造形芸術大学生2人展(予定)さて、最近自分の個展もさることながら、ほかの作家の企画をやるようになりました。自分の個展より、ずいぶんと楽しいのが判り、年間3~4個の企画をやるようになりました。神戸で個展やグループ展をやってみたい方は連絡ください。僕もお手伝いさせていただきます。ちなみに?今特製カレーを作っています。もう5時間掛かっています。後8時間後に完成です。
2007/06/22
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夜1時に電話が掛かってくる。がんがんに酒を飲んでいた。12時48分時計を見た。頭の中心から、何か膨れ上がってくるのが分かった。覚えているのはそこまで。明け方5時過ぎに気がついた。携帯の着暦には1時2分とあった。掛かってきていた。僕は不覚にも、気を失っていたようだった。
2007/06/21
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大阪、披露宴。京都、ティアラ展。神戸、バイク置き場。この週末は、三都を巡った。観光は一切無し、僕のこの18年の画家生活の中で、観光と言えるものがあったかと、ふと思うことがある。在ったかも知れないが、そういった記憶はどんどん薄れていくものなのか。いやいや、鮮明に残っていることもある。大昔、高校のとき。休みのときは美術館かお寺を巡っていた。セザンヌのりんごに涙を流し、古寺の緋毛氈で抹茶をすすった。高校のそれは、日帰りなのだが、旅と言えた気がする。いま、僕にはその感覚があまりにも遠く、記憶の断片にわずかに触れている。それほどになってしまっている。最近それを、感じることが多くなったのは、果たして加齢によるものか。三都にいても、町のほうから僕に語りかけてはくれない。旅とは、旅人が語りかけて初めて成るものなのかもしれない。
2007/06/20
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京都で今、ティアラの展覧会をやっていると聞いた。グレース王妃のティアラ、ヨーロッパ貴族のティアラ。高価な古きよき時代の宝石達。その中に、先のオリンピックのフィギアスケートで金メダルを獲った、日本人スケーターのティアラの展示があると聞いた。それは並んでいるほかのそれとは違い、豪華でもなく華麗でもなくとてもシンプルなものだと言う。僕は並外れた高価なものよりも、そのティアラに惹かれてしまう。出来ることなら、この手の中に抱きたいほどに。心が惹かれるのは、見た目ではない、高価さでもない。理屈ではなく、そう、相性とでもいうのか、自然と心の中に浸み込んで来る様な、そんなことだと思う。当然だがそのティアラは、僕のものにはならないのだけれど、心の内側の温かい襞の間に、ずっと隠していたい衝動に駆られる。豪華にさまざまな宝石をちりばめた、金色の冠達。僕はそのどれよりも、細い銀の台座に、遠慮がちに置かれた数個の小さな石の、そのティアラが、一番高価で貴重に思える。
2007/06/15
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今夜は死ぬまで飲む、ぞ。死ぬほど飲めませんでした。汗
2007/06/14
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三宮午後10時。ある公共のアートイベントについて、それに係っているスタッフの一人に相談を受け、8時ごろから初め、終わってニシムラ珈琲から出てきた。スタッフの方が、外の縁石にしゃがんでメモしているのを、歩道の中央付近で立って待っていたとき。前方から歩いてきた、一人の30歳くらいの女性と目が合った。彼女は僕に、これでもかと言うぐらいの嫌悪の表情をした。敵意にも似た嫌悪感をあらわにした、ゆがんだ顔を見たのは、は殆ど初めての体験だった。なおかつ、僕を避けて僕を中心にした、半径3メートルの円の外周をめぐりながら、僕を避けて過ぎていった。ちなみに、誤解を招くような格好をしていた訳ではない。淡いグリーンのワイシャツに黒のジーンズ、バッグを右肩に引っ掛けていただけだった。変質者のような行為も無い、只チラッと目があっただけだった。どうも解せない、僕はおぞましいほど醜い外観をしているとは思っていないのだが。確かに中年を過ぎた、お世辞にも素敵な容姿をしている訳でもないが。何か妙に釈然としない、怒りにも似たしこりがまだ胸の中に残っている。ひょとしたら、僕が自分の醜さを、認識していないだけなのかもしれない。落ち込んじゃったよ。 参ったよ。 勘弁してよ。
2007/06/13
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心の求めるままに生きることは理想なのだが、自己優先の生き方はリスクを伴う。そんな事を無視してまで、自分の理想的な生き方を選べる人間は多くは無いと思う。しかし、心のどこかで、いや意識無意識の中でその生き方に恋慕しているのは事実だ。奔放にと言う事ではない。勝手気ままにやることがそうなのだとしたら、それは何の意味も持たない。道徳であったり、倫理に反することに底触はするが、決して犯罪に繋がるものではない。作家が言うところの「心のままに生きる」と言うのは、全てが創作に繋がっているし、またそうでなければ只の自己中でしかない。世間の目と戦っている作家もいる、と言うこと。
2007/06/12
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案内状も作る時間も無い程のバタバタ急遽の個展。知り合い(京阪神)にメールでお知らせ。お忙しい中有難うございました、お礼を言いつつ本日最終日です。
2007/06/10
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オスカーでの個展が後3日で終わる。始まったばかりなのに、もう終わりっぽい感じがするのは、毎回個展のたびに思う。今回は、案内状とかを作っているゆとりも無い程、急に決まったものだから、知り合いも来ない。当たり前です、知らせてないんだから。本を読んだり絵を描いたり。なんと、お昼寝をするゆとりまであるんだ。これっていい事なのかどうか。とにかく、殆ど知らせていない個展は、ピュア。
2007/06/08
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空いているギャラリー。2階が借りられていて、1階が空いてしまったから、僕はささやかにひっそりと展示して、ゆっくりギャラリーの中で絵を描こうと思って、今日の展示を迎えると。げ!!40点も並べてしまった。油絵が50号から0号まで7点を筆頭に水彩、デッサン、版画、ETC・・・・・・・でも仕方が無い。明日から、ギャラリーの会場で毎日に近い状態で、絵を描くことにします。6月5日~10日 午前11時から午後6時までギャラリーオスカー 神戸市中央区下山手通7丁目078-361-3567
2007/06/04
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7月の個展のために、久しぶりの静物画を描いていると、以前ここに書きましたが。やはり中々思うようにはかどりません。別に静物画が嫌いな訳じゃないんです。じっと静かに動かない物との対話も、心地よいのですが、焦りのようなもの、脅迫観念にも似た焦りのような物を感じてしまうんです。静物は自分の描きたい物は、ある程度揃える事も可能ですが、人物の場合は中々そうは行きません。モデルの問題がまず1つ。モデルがあったとしても、大きな問題が残っているんです。それは、僕にとっての人物画というのは、自己内面の精神的表現、(ややこしい言い方ですね)要するに気持ちを込めてって事なんですが、それが厄介な代物で、中々おいそれと出てきてはくれません。モチベーションの問題も大きいのですが、まずそれがあってのモチベーションです。せっかく人物を描くのですから、見る人のこころに何か得体の知れないセレブレーションを与えたいと思っています。未だ僕の内面には行く先の分からないタービュランスが巻き上がっている次第です。
2007/06/01
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