全11件 (11件中 1-11件目)
1
朝いつもの天井堅くしまったインクの蓋昼灰皿に積もったタバコキーボードの隙間のほこりゆがんだ眼鏡空のホットメールひとり
2007/10/28
コメント(4)
自分の心を追い詰めて行き場も無くしてしまえすがるもののないところに追い込んでひとりで 立ち尽くせばいいひとおもいに終劇の幕を下ろせば一人芝居の喜劇を笑う者もいない温かい人の心も冷め切った心のフィルターを通れば熱いはずの吐息さえ白く凍える冷たくなったこの手を差し出せば漆黒の空にゆがんだ笑い顔に触れたもう少しだけでいいから小さな氷の棺に居させてくれ僕が僕を許せるまで
2007/10/26
コメント(1)
とうとう そのひが やってきたどうしようもなく そのひは きてしまったそれでも きょうは きのうからおってくるそれでも きょうは あしたをおいかける
2007/10/26
コメント(0)

邇邇芸命が天降りしようとしたとき、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来たのであった。邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った。そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。猿田彦は伊勢の阿邪訶の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。そして、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。
2007/10/21
コメント(1)

秋日和が続いている雨のにおいを忘れさせて小さな柔らかな雲がしずかに南の空に吸い込まれていく乾いたはずの涙が とめどなくあふれ淡いセルリアンの空に舞い上がる傾いた日差しに おびえて震える影を抱きかかえながら声にならない言葉を 飲み込んだ秋日和が続いている
2007/10/18
コメント(0)

狩野永徳の展覧会に行ったついでに、清水寺に。もう来る事はないだろうと思っていたが、気がつくと足が向いていた。懐かしさと、切なさがこみ上げてくる。観光客の喧騒を離れて、二年坂に下りる。以前来た時には版画の個展をやっていた小さなギャラリーが小物のお店に変わっていた。そんなに時が流れたのだろうか、と思っていたときに携帯が鳴った。S氏の死の知らせだった。85歳になったS氏は大学の先輩でもあり、友人?でもあった。晩秋の気配がすぐそこまで来ている京都は悲しい思い出になった。黄色い花に羽を休める蝶がいた。息のかかるほど近づいたが逃げる気配はなかった。美しさも、思いも、命も、失ったものはもう戻らない。失ったものの大きさに気づいたときには、空に舞い上がった蝶のように、手の届かないところに行ってしまっているのだろう。
2007/10/16
コメント(0)
今日から20日まで、神戸市灘区{県立美術館付属原田の森ギャラリー}阪急王子公園駅西館で開催いたします。今回は初入選者が十七名。さて、今日は丸一日美術館にいる。ゆっくり見て回ろうと思っているが、審査のときに気が付かない作品のよさを味わうのもいいものだ。明日は、別の展覧会に行く事になった。京都で明日から始まる展覧会だが、朝一で行ってそのままとんぼ返りの予定。神戸、京都、大阪。関西にいるとこの三都も観光気分はあまり感じない。そこに行っても、酒場にしか興味が行かない(僕だけだろうね)。どうしてこんなに酒を飲むようになったのだろうか。毎月その飲む量とペースが上がってきている。昼ごろになってようやく体からアルコールが抜けていく感じ。しかし夜にはまた満タン給油している。理由は判っているのかも知れない、「こんな時もあるんだ、これもいいんだ」と自身に言い聞かせながら、そして壊れるまでは飲むのかもしれない。
2007/10/14
コメント(2)
画家として、何を描くのか。僕はひたすら、人を人間を描いてきた。僕の描く人達は、実は僕自身だった。人の心の奥底を描くのが人物画家だとすれば、僕は果たしてそれを描けてはいない。なぜなら、僕自身の奥底すら掴めないでいるのに、人の心の深層が描けるはずがないからだ。だから僕は僕の心の奥を見つめて描いている。それは実に狭く偏った人間を描く事になるのかもしれないが、それでしか表現のしようがないからだ。52年の人生は、あまりにも多くの人を苦しめ、その何倍も自身が苦しみ、やりきれない寂しさの中を吐き散らしながらのものだった。出来るなら全てを懺悔し、心の枷(かせ)をはずしたいが、僕にはそれほどの勇気すらない。自己保身といびつなプライドの塊なんだ。作品でしか、吐露できない。言葉を持たないからこそ、僕のような偽善者にはまったく似つかわしい表現手段だ。最後に残ったものは愛ではなく、悔恨と憐媚の傀儡。それを描くしかない。さあ、創めよう醜洛の宴。酔った言葉は支離滅裂だが、真実でもある。僕はいつでも落ちる事が出来る、落ちればどれほど楽な事か。落ちる事を躊躇するのは、また人を傷つけてしまうからだ。画家は自身が作品として、結末をも描かなければいけないのか。それも自業自得と言うものかもしれない。人の形には魂がある。それをもてあそぶ画家には必ず罰が下る。僕を見ればそれが真実だとわかるはずだ。泥酔の画家の、支離滅裂の言い訳を聞いてくた人に、、、感謝です。今日も酔っているんです。あの日から休まず、酔い続けています。
2007/10/11
コメント(0)

心が空っぽになった状態を「空ろ」がらんどうの心。抜け殻になった心の状態を「虚ろ」虚無の心。同じ言葉でも漢字で書くとかなり意味が変わってくる。ね。
2007/10/07
コメント(0)

帰る場所を探して、夕暮れのホームに立っている。のぼりのホームに立つ人影はない。僕は何所に向かっているのだろう。くだりホームの信号は全てが赤い。
2007/10/06
コメント(2)
時間と言う波に押し流されていく毎日。どこかの淀みにすがろうとしても、とりつく事も出来ないままに。人の心の温かさを感じる暇も与えぬ流れは、止めどなく次から次に押し寄せてくる。僕は何を見つめていたのだろうか。僕は何を見つめようとしているのだろうか。判っているはずなのに、うつろな心はそれを映そうとはしない。光はある。押し寄せる時の波はその波頭に、きらきらと光を孕んでいるのだから。それをひとすくいすればいい。光はそこにある。暗いときの流れの水面に、それを見たのだから。
2007/10/04
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1