記憶の淵に沈みゆくもの

記憶の淵に沈みゆくもの

2004.01.14
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今日も一人、これで最後という上司が来る。
ご家族の問題とご自身の問題とを抱えながら
ずっとこちらを支えてきてくれた方である。
年上の方に言うのは失礼かもしれないが、
小柄で可愛らしい素敵な女性だ。

年明け初めてお目にかかったその方は、
今までと変わらぬ笑顔で入ってきた。
手にはたくさんの荷物を抱えている。
いつもの光景と余り変わらないが、

案の定、「ご挨拶に」とひとつ袋が手渡された。
こちらのみなで食べて欲しい、と。
その方のご自宅近くで有名なお菓子屋さんのお菓子である。
ありがたく頂戴し、机の上に広げる。
甘い香りがふわりと漂った。

そしてね、と今度は鞄をごそごそ。
一瞬警戒しそうになったが、すぐに思い当たる。
この方はハーブティーやら紅茶やらを
たくさんこちらにご寄付くださる方なのだ。
おかげさまでこちらの上司たちはみな、
美味しい紅茶というものに目がなくなってしまった。

そうでしょう? と目をきらきらさせて答えてくれた
冗談の通じる人でもある。

そんなことを思い出しているうちに
鞄の中から次々と取り出されたのは
やはりたくさんの種類の紅茶だった。

どこの銘柄のものだか、柚木崎にも分からない。
見たことがない缶のデザインだったからだ。
他にもハーブティーを数種、紅茶が2種。
「たくさん一気にごめんなさいね」
そう恐縮するその方。
そんな、恐縮するのは柚木崎の方である。
趣味で好きでいろいろ持ってきたお茶。
上司たちに出していたら、この方がウチにもあるからとくださって
今では持ってきていただくお茶の方が多くなってしまった。
それなのに、こんな謝られるなんて、何か違う。
こちらも深々と頭を下げた。
大切に美味しくいただかせていただきます。

他の上司たちが仕事で席を外したとき、
その方はこっそり柚木崎に耳打ちしてきた。
「あのね、おまめなんだけどね」
この方は煮豆を作らせると天下一品の腕前の方である。
今までたべたことのある煮豆の中で
この方の作られた煮豆以上のものを、
柚木崎は実は、食べたことがない。
嬉しいことに、この方は出会って以来、
いい豆が手に入ったからといっては煮豆を作り、
柚木崎にくださるのである。
これほど嬉しいことはない。
ありがたくいただき、片割れと奪い合うようにして食べている。
その豆、というのだから、なにかあったのだろうか。
「今年の豆は、イマイチみたいでね、美味しくないの」
泣いてしまいそうな顔をしている。
この方のそんな顔を見ると、
柚木崎はどうして良いか分からなくなってしまう。
困った。どうしよう。
「だから、今回は持ってこなかったんだけど……
 またお豆を煮たら、持ってきて良いかしら?」
辞める自分が来るのはおかしい? 
そう小首をかしげて涙目で聞かれ、
柚木崎は首をブンブン横に振ってしまった。
そんなことはない。
いつでも遊びに来て欲しい、と。
来て貰えたら柚木崎は勿論、他の上司たちも喜ぶから、というと
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑みをこぼしてくれた。
その目尻から涙がぽろりとこぼれ落ちた。

淋しいからお別れは言わないね。
そういって帰っていった上司。
他の上司たちともお別れを言わなかった。
いつかまた! それだけ。
それでも涙をぽろぽろこぼしながら帰っていった上司。
いつでも本当に遊びに来てくれると嬉しい。





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Last updated  2004.01.15 16:43:56
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