全24件 (24件中 1-24件目)
1

友人Cは仕事仲間だけれど、もともと絵画の修復家。最近はフレスコ画やテンペラ画教室なども開いており通訳が必要な時など私もお助け人になったり、絵を一緒に描かせてもらったりしている。その彼女が関与しているフェスタ メデイエヴァレ、中世風のお祭りが週末開催されているということで家族で出かけてみた。場所はローマ北方40キロになるチェルヴェテリの近郊全くのカンパーニャ田舎。通常はマネッジョ、馬場としてクラブが設けられている場所だが、これが思ったよりずっと素敵な所。大きな樫の木やらオリーブの木の林があってなかなか。馬場では中世の衣装を着た楽団が中世の楽器で演奏。また中世風の馬でのリレー競争などが行われていた。それだけでなく、中世風の屋台が出ていて、オリーブの木で作られた製品や貝細工、弓や剣、機織りで作られる製品の屋台が出ていた。また、仔馬や羊のコーナーでは子供たちが動物に触れるようになっていて、大喜びの娘だった。
2013.06.30
コメント(0)

日本では知る人もないと思うが、イタリアではマスメデイアでもよく登場していたマルゲリータアック女史が昨晩亡くなった。享年91歳。彼女はフィオレンテイーナ(フィレンツエ生まれ)。天文物理学者として知られ、イタリアでは天文台を統率する初めての女性であった。何年か前に彼女が見つけた惑星はアックと名がつけられている。彼女の気取らない笑い顔が大好きだった。独身かと思っていたら、62年来幼馴染と結婚していた。全く正反対の性格の旦那さんだったらしい。お化粧やショッピングが大嫌い。神様も信じないという人だった。死については、エピキュロスが言ったようにその場には私はいないからと全く恐れていなかったが、病気については自分のアウトノミアを失うこと、つまり自分で自分のことを出来なくなってしまうのが怖いと何年か前に述べていた。亡くなったのは、住んでいたトリエステの病院。1週間前に心臓病で運ばれていたらしい。坂道の多いトリエステの町を自転車で行き来していた彼女の姿を想像していた今日だった。PS:過去のインタヴィウを読んでいて、アック女史の両親がプロテスタントであったこと、そのせいか自由と責任についてはしっかり教育されたが、そのほかは自由に育てられたという。
2013.06.29
コメント(0)
先日海でふと出会ったのは、小さな犬を連れた年配のご夫婦だった。ご婦人の方はあまり気にならなかったのだけれど男性の爽やかな話し方と着こなしにうっとりしてしまった。イタリアではフィレンツエで行われるピッテイウオモが終わり毎日のように新聞にも男性ファッションが書かれるくらい、男性もおしゃれな人が多い。若い人は若いというだけで強いものがあるけれど、歳をとってから服は何でもいいから着ていればいいという感じにせず、自分がまず楽しみ周りのひとも気持ちよくさせる、そんな年配の方のお洒落がわたしは好き。その人は、白い麻の緩やかなズボンにきれいなコバルトブルーの半そでシャツ、白い麦わら帽子、皮のサンダルといういでたちだった。流行にとらわれない、のんびりした感じも良かった。またおしゃれというのは、外だけではない。自分の中も磨かないとそれが外に出てこないような気が最近している。
2013.06.28
コメント(0)
![]()
今回大学のゼミで一緒だった友人のO氏が日本エッセイストクラブ賞を受賞した。今年出た本「S先生のこと」である。S先生のこと著者:尾崎俊介価格:2,520円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る彼の前作になる「紙表紙の誘惑」はなかなか面白くまた私たちのO先生にまつわる思い出が描かれている所では泣かせてもらった。今回の本は実はまだ読まなければいけないところだけれどとても楽しみにしている。それにしてもO先生もS先生もこんなにO氏に思ってもらって幸せだと思う。お二人とも天国でニコニコしていらっしゃることだろう。
2013.06.27
コメント(0)
先日はベルルスコーニに7年もの懲役という判決が出た。ミラノの法廷は3人の女性による裁判官だった。彼のスキャンダルは世界的に有名で、いまさら説明する必要もないと思うが、彼のヴィッラに女性たちを呼び、報酬を払って(宿泊の際には5000ユーロ、なしの場合には2000ユーロ)売春のサービスがあったということと、ルービイという女性は当時未成年であったということが問題になっている。国の首相がそういった行動をとるのはオカシイと思うのは普通と思うのだけれど、実際のところイタリア内では、それは彼のプライヴェートな部分だからと言い、彼の行動を肯定する人がいるということも事実であり、それがこの国の問題であると思うわけ。彼はメデイアセットというイタリアの私営テレビ局ほとんどにモンダドーリという出版社、本屋さんも持っており、彼の権力はまだまだあるけれど、これが彼の荒廃につながるという見方は強い。ベルルスコーニは上訴してやると憤慨している。彼の場合、こんな判決が出てもすぐに刑務所行きというわけにはならない。権力があるというのはすごいものだ。残念!
2013.06.26
コメント(0)

古代エトルリア人は謎に満ちた民族であった。アジアからイタリア中部に移動してきたのではないかと言われていたが、最近の調査ではイタリアの原住民族であったのかもしれないとも言われている。かれらの持つ技術は素晴らしいもので、のちの古代ローマ人の土木技術は彼らからと言われている。採鉱や商業にたけていたために彼らが裕福になったという。ナポレオンが流されたエルバ島に行くときにピオンビーノという町の港から船に乗る。そのピオンビーノの前身はポプローニアと言われた古代エトルリア人の町。その町近くのバラッテイ湾に沈没した船から今回発見されたものが、とても興味深い。この目薬は炭酸亜鉛と松脂、蝋蜜、オリーブ油を混ぜて2200年前に作られたもの。海外にも輸出されたらしく、旅が可能なように丸薬の形になり、錫で作られた円筒の入れ物に積み重ねて入れられていたという。おそらく目の外側に使われたものであろうと想像されている。現在でも亜鉛は皮膚の赤みをとったり、鎮痛として使われており、当時からもうそれがわかっていたとは驚き。ヴェスヴィオ山の噴火で亡くなった大プリニウスも、実はこの丸薬について目や皮膚の治療に使われたと書いているという。そのほかに当時の医者が使っていた道具として、ツゲの木で作られた薬瓶、乳鉢、鉄の探り針、採血用のブロンズ製鉢が挙げられている。これらを木製の鞄に入れて医者は旅したものだという。
2013.06.25
コメント(0)

日本では富士山が世界ユネスコ遺産に登録されたとか。イタリアには、157各国に及ぶ962のユネスコ遺産のうち47の遺産がある。ローマ付近では、ヴァチカンを含むローマ旧市街もそうだし、近郊のテイヴォリにはエステ家の別荘やハドリアヌス帝のヴィラ、チェルヴェテリ、タルクニアのネクロポリなどが含まれる。今回登録が決まったのは、またもやシチリア。エトナ山。標高3340mのカターニア付近にある活火山。2700年もの間活動を続けているという。シチリアのカターニア付近を旅すると、結構活発な活火山なのでエトナ山の噴火を見ることがたまにある。噴火していないときには、火口近くまで見学が可能だけれど噴火している場合にはもちろん危険なので、途中までになる。そういえば昔エトナ山に登った時に突然噴火が始まって流れるマグマを近くで見ることが出来たのはラッキーだったのかもしれない。噴火は夜見ると最高にきれい。年にもよるけれど、標高が高いので真夏でも雪が残る。夏スキーが可能。ちなみにシチリアでは、ノト谷、アグリジェントの神殿の谷、シラクサ、ピアッツア アルメリーナのヴィッラ ロマーナにエオリエ諸島などが登録されている。サイトからイタリアのユネスコ遺産に登録された場所を写真でチェックできる。
2013.06.24
コメント(0)

これはヴァチカン美術館内、ピオ クレメンテーノ美術館のミューズ(芸術の女神)の部屋におかれている彫刻。ミケランジェロ ブオナロテイがとても愛し、この彫刻を見に通い詰めたという話がある。確かに、このトルソ(イタリア語で上半身の胴体)を見て彼が描いたシステイーナ礼拝堂のフレスコ画を見るとははん、ここから来ているなという感じがする。おそらく、もともとはブロンズ製のギリシャ彫刻であったものをローマ帝政期初期に大理石で模倣したものであろうと言われる。長い間作者のサインがあることから、(アテネのアポロニウス、ネストルの息子)オリジナルとされていたが、最近はレプリカという説が強い。この彫刻、見つかったルネッサンス時代にこういった形であったため、何であったかということが現在も不明。たぶんヘラクレスではないかと言われていた。彼の脚に動物の皮のようなものが見えるのだ。最近では、この動物はライオンでなく、(ライオンならヘラクレスになるらしい)ピューマであるらしいとして、トロイア戦争にまつわるアキレスに次ぐ英雄アイアスではないだろうかと言われている。この彫刻は他の作品とともにユリウス2世がベルヴェデーレ宮の中庭に置いたものだが、伝説によればミケランジェロに修復を頼んだという。(足りない手足を作ってくれということだった)が、ミケランジェロはこの作品があまりにも素晴らしいためにそれは無理だと断ったという伝説がある。
2013.06.23
コメント(0)

カンポ デイ フィオーリはブログでも紹介したけれど、ローマ旧市街に今では少なくなった市場が朝立つところになる。昔はもっと市場という感じがした気がするけれど、今は観光スポットのひとつになってしまって、観光客用に皮のバッグなども売られている。ここは日曜日を除く午前中に毎日市場が立っているので付近にいらしたときには立ち寄るのも楽しいかも知れない。ちょうど、大通りの反対側にはナボナ広場がアルという位置関係になる。大体14時ごろまで。夜は市場が勿論ないけれど、若者たちでとっても賑わう場所。広場の角にはフォルノ、つまりパン屋さんがあって、この辺に住む人たちがパンを買いに来るので列が出来るが、ここのピッツアも美味しい。(もちろん食べる所はないので、お持ち帰り)小路を抜けると立派な建物があるが、現在フランス大使館が入っているパラッツオ ファルネーゼ、ファルネーゼ館。もともと1500年代半ばに建てられたものだが、パオルス3世の屋敷であった所でもあり、ミケランジェロも設計に関わっている。ファルネーゼ館前は広場になっており、例のごとく噴水がある。この噴水の大きな大理石の風呂桶はもともとカラカラ帝の大浴場から来ているものだ。この辺を歩くと、昔からのお店がまだまだ残っていて嬉しい。先日はお昼ご飯にアル ガレットに行った。随分きれいになったがオーナーは変わらないし、パスタも美味しかった。AR GALLETTOpiazza Farnese 102tel.06'6861714日曜日休み12時半から15時19時半から23時半まで
2013.06.22
コメント(0)

今時はネットで何でも調べられるのが便利だが、我が家では未だに百科事典なども合わせて利用している。ウイキペデイアは、ネット百科事典のようなサイトで、しかも色々な言語で訳されているために私も活用している。が、見ていると、かなり間違いがある。例えば、私の大学のゼミの教授について書かれたものも、最近友人とチェックしていて、間違いがあった。(出身大学名など)また先日もシエナの聖カテリーナについて見ていた時に、イタリア語から日本語の訳を見ていたら、結構間違いがあった。例えば、彼女はシエナの染物屋の20人兄弟の終わりのほうの娘であり、読み書きが出来なかった。僧院に入るためのお金が家になかった。彼女のシンボルは百合の花。*イタリア語*日本語訳では、これが裕福な家庭に生まれとあり、シンボルは薔薇の花と共に百合の花とある。美術史ではシンボルってすっごく大事。というのも、聖人聖女の数がとても多いので、それで区別するという決まりになっているから。薔薇の花なんだっけと調べなおすと、聖カテリーナという人は何人かいて、特にエジプトのアレッサンドリアの聖カテリーナもいる。彼女は車輪につけられ殉教したので多くの場合車輪がシンボルになる。薔薇の花がシンボルでもある。こういうことから、ある程度疑いをもって記事というのは読まなくてはいけないということが改めて分かる。
2013.06.21
コメント(0)
ポーランド人の法王様が亡くなってから6年1ヶ月になる。亡くなって早々、すぐに聖人にしてくれという巡礼者がとても多かった。この法王様ファンは多く、150人万の巡礼者がローマを訪れているという。ヴァチカンの決まりはややこしく、すぐに聖人になれるというものではない。聖人になる前にまず列福式が行われ、聖人になるには行った奇跡の調査がなされる。ヴァチカンのお医者さんたちが認めた奇跡のひとつは、2011年にパーキンソン病の女性を治したというもの。また、癌だった女性を完全に治したという例もあるらしい。ここで、ヨハネス パウルス2世が今年10月に聖人になるという可能性が非常に高くなったようだ。
2013.06.20
コメント(0)
最高気温は36度くらいまで上がり、来週はまだ上がるとの予想がある。最近観光客が増えたせいか、盗難も増加の傾向にあるようだ。ここで、昨日の事件をお話してみよう。70歳過ぎMさんはお孫さんを含むご家族とローマに滞在中。フォロ ロマーノからコロッセオの見学中、ずっと写真撮影で忙しくしていらした。小さなお孫さんがあまり歩けないためにコロッセオから乗ったタクシーから降りる際に腰につけていたポシェットに入れていたお財布がないことに気が付いた。そういえば、とMさんは思い出した。コロッセオの内部でひとりの男性に写真を撮ってくれるように頼まれたけれど、そのときに誰かポシェットを開けて財布を盗ったのかもと。とにかく、コロッセオは年中混んでおり、写真撮影に忙しい観光客に目をつける泥棒は沢山いる。イタリアの泥棒は芸術技と言われる。ローマのある旅行会社では特にコロッセオ内、付近とトレビの泉、ヴァチカン美術館付近で多いと警告している。ここで、観光客はどうしたらいいのか。観光の際に必要のないものを全部ホテルのセイフテイに預けてしまったらどうだろうか。多少の小銭くらいでカードなどもなるべく使う日を決める。観光にはカードは必要ない。ショッピングデイだけ決めてその日にもつようにする。写真を撮ってくれと言われても断る。人が多いところは鞄に特に気を付ける。楽しい旅行ができるようにしっかり注意を配りたいものだ。
2013.06.18
コメント(0)

ローマに飛行機で入ってくる場合、ローマの空港フィウミッチーノに到着する直前に大きな湖が見えることがある。それが、ブラッチアーノ湖。ローマ北には火山性の湖が3つあるが、そのうちのひとつで、一番ローマに近い湖になる。ここに、トム クルーズなど有名人たちが結婚披露宴を行った有名なお城がある。お城はもともと15世紀にオルシーニ家が建てさせたもので、法王は勿論ヨーロッパの王家、有力者たちが滞在した。その後、現在に至るまでオデスカルキ家というもともと北イタリア出身の貴族の持ち物になっている。オルシーニ家もオデスカルキ家も法王を出している有力貴族の家柄になる。現在、お城の一部が公開されているほか、結婚披露宴などで貸されているというわけ。お城の見学は一時間ごとにツアーが行われている。夏は英語のツアーもあるようだ。ツアーは約1時間で、お城の内部、法王の部屋や図書館、ロンダというお城の巡察路も一部回る。ブラッチアーノの旧市街もナカナカ趣きがあるのでぶらぶらするのをお勧めしたい。ブラッチアーノまではローマから電車でも来れる。(オステイエンセかサンピエトロ駅からブラッチアーノ駅)オデスカルキ城piazza mazzini 14,bracciano, RM月曜日お休み火曜から土曜日まで10時から12時までと 15時から17時日祝日9時から12時半と15時から17時半 ツアーは30分ごと夏期は閉館が1時間遅くなるチケット7,50ユーロtel. 06'99802379
2013.06.15
コメント(0)

ようやく夏らしい日がやってきた。最高気温は30度くらい。うまい具合に学校も2012・2013年度が終わったところ。早速夏休みに入った娘と海に出かけてみた。私たちが通うのは、ローマ北部になるサンタセヴェラの海岸。ここはお城もあり、ローマっ子に人気があるのだが、何といっても小さな湾が人工的に作られているために、子供たちが海で泳いでいても海流で流されていかないのが親たちには安心という所。その代わり泳ぎに自信があるという人たちは湾の外で泳ぐことになるが、息子曰く、ときどき蛸やヒラメを見ることがあるという。イタリアでは正式な海開きというものがない。毎年5月1日のメイデイくらいから海の施設を開ける所が多いようだ。が、今年は4月末に開けてからずっと5月中お天気が悪くて大変だったようだ。いつも行く施設のMは、「おかげで軽い肺炎になって抗生物質を飲んでいたのよ。」と言っていた。この時期まだ人も少ない海はいい。水が冷たいので水に入るのは足だけにするように娘に言う。だが、日差しは強く、砂浜が熱くて裸足では歩けないという感じだった。
2013.06.14
コメント(0)

日曜、月曜の決選投票により、遂にローマ市長が決まった。右寄りの前市長アレマンノ氏を破って左寄りのマリーノ氏が選出された。アレマンノ氏の5年に及ぶローマ市長のしわざでローマ市のランクが落ちたとされる市民の意見がここに現れている。アレマンノ氏36点に対し、マリーノ氏は63点と圧倒的な勝利だった。さて、このイグナツイオ マリーノ氏、実はお医者さん。もともとジェノヴァ出身の両親とローマに引っ越しをしたのが14歳の時。当時はローマのフィウメ広場付近に住んでいたという。医学部はローマのカットリカ大学を出ている。現在はパンテオン近くの小路にある家に住み、フォリインペリアリにあるオフィスまでは自転車。お寿司と展覧会や映画鑑賞が趣味で、時間のあるときにはボルゲーゼ公園を自転車で回ったり、パンフィリ公園散歩という。マリーノ氏が通うのは、自宅付近のエノテカ スピリテイ*ピエトラ広場にある*だとか。ピエトラ広場は、パンテオンから遠くない場所。ハドリアヌス帝の神殿が一部残る。内部はボルサつまり株式取引所になっている。最近トラム8番がヴェネチア広場まで伸びたけれど、フォリ インペリアリをさっそく歩行者天国にしたいと言っている。市長の仕事は週7日無休で頑張りたいというマリーノ氏のこれからが楽しみなところ。
2013.06.12
コメント(0)
スーツケースにシーズンなんてないと思っていたらそれがあるんだなあ。何故かというと、夏場は旅行する人が多いので、お店にもたくさんのスーツケースを置いていることが判明。わたしの憧れのスーツケースは何といってもドイツのリモワだけど、値段が張るので年に何度もスーツケースを使わない限りはそこまで張り込むことはないと思う。リモワでもいろいろあるけれど、いつかはあのシルヴァーのスーツケースを持っていつも旅というのが夢。イタリアではロンカートというメーカーがあって、最近サムソナイトに対抗してかなり頑張っている。サムソナイトに比べると値段はちょっとだけ安いが、品質は悪くない。ということでロンカートにしようかと思っていたのだが、近所のお店でサムソナイトを見たらベルギー製であるということで思わずゲット。種類は、セキュアとかいうもの。値段はそう高くない。そう安くもない。だって、空港内で投げられたりすると壊れることってやっぱりあると思うし、その点高いものを買ってもしょうがないというのが私の考え。前回日本でエースの小型スーツケースを買ったけれどいつの間にか、角にひびが入ってしまったのであまりおしゃれなものを買うのは中止。
2013.06.10
コメント(0)
やっぱり爬虫類に近かったのかもしれない。夏らしい陽気が戻った途端に元気が出てくる。今年は5月中お天気がずっと悪かったから本当に滅入っていたのだった。気候というものが人間に与える影響は大きい。考えてみると、ここ何年か友人と時間があるときにウオーキングをしていたのだが、今年はお天気と友人の調子が良くなかったためにそれも随分長いことお預けになっていた。やはりヨガだけでは足りなかったのかもしれない。冷血動物は日に当たらないと体が温まらない。ここで一つ話を思い出した。皇帝ハドリアヌスは、鬱の気があったそうで、そのためガラス張りの部屋を作らせ、鬱になるとそこに入っていたという。ちょっとうつけがある人は試してみるといいかも。(ガラス張りでなくても、日に当たること)
2013.06.08
コメント(0)

EATALYは世界中に広がるスロウフードショップ&バル、レストラン。ローマのオステイエンセ駅裏に昨年6月オープンしたEATALYは世界最大というもの。このブログでも何度か紹介したけれど、やはり平日に行くとかなりすいている。今回はコーヒー、オルツオにお菓子(ああ楽しい)、パスタ、乾燥ポルチーニきのこなどをゲット。値段はそのへんのスーパーで買うよりもちょっと高いものが多いけれど、なかなか見つからないものを置いているので、見ているだけでもエンジョイ。そういえば、オファーのアメリカンチェリーを買ったのだけれど、これがなかなか美味しかった。通常イタリアのものを扱っているのだけれど、2階(上階)の塩売り場ではハワイのピンク色をした岩塩とかも売っていて、興味深いこと。(これって食べないでスクラブにするといいかも)そうそう、お買い物は上階に上がっても最後出る前に地階のカッサ、レジでまとめてお会計になる。ただし、食べ物やサン、レストラン、バルはその場でお会計になるので注意。
2013.06.07
コメント(0)
ようやく娘が帰宅。昨年はシエナ付近とちょっと遠かったけれど、今年はラツイオ州北部にあるブレーラという街で割と近め。車で1時間半くらいの距離。毎年このカンポ スクオラ(学校からの旅行)から帰ってくると彼らはひどく疲れている。慣れない場所で寝るのと、夜遅くまで(23時くらい)何とデイスコがあるため。原点に帰っていいと思っていた私は大間違いで、そういった道徳観というのは全くなく、デイスコで着替えるものがなかったとか、考古学の発掘作業をしたので、ズボンが汚れてしまって困ったとか、という所で終わってしまうんだな。でも、考古学学者にひどく気に入られて随分沢山のことを勉強してきたような感じではあった。
2013.06.06
コメント(0)
先日のNYタイムズにもあったけれど、このフランシスコ1世。大人気なんです。謁見のある水曜日やご挨拶がある日曜日なんて、何とも言えない混雑状態。以前のドイツ人の法王様ベネデイクト16世の影が本当に薄くなってしまったなという感じもある。サンピエトロ広場前のお土産やさんたちは大喜びらしい。何を作っても売れてしまう。ということで、フランシスコ1世の愛嬌ある顔が入ったカレンダーに、絵ハガキなど売れに売れまくりらしい。出身のブエノス アイレスでは地下鉄で移動していたという法王様。これからの改革が楽しみなところ。この混雑何とかならないかしら、でも。
2013.06.05
コメント(0)
娘が学校からの旅行に出かけた。今回のテーマはプリミテイヴ、原始的な生活ということで、寝る場所もプリミテイヴなテント風だという。*だが、部屋にトイレやシャワーの設備はあるらしいのが、可笑しい*彼らは歴史でホモ エレクトウスなどプリミテイヴなところを勉強している。ということで、日程を見ると、例えば火をおこす、岩に絵を描く、などの作業が入っていた。焼き物を焼いたり、穀類を臼で引いたりというようなこともするらしい。通常の環境から離れてみるというのは、大事なことだろう。彼らは、歴史ばかりでなく、自立ということも少しずつ分かり始めるわけだ。スカウト活動で夏場に行ったキャンプでは本当に不便な思いをしたのをいつも思い出すが、原点に帰るということはいつでも大事なことかも知れない。
2013.06.04
コメント(0)

ヴァチカン美術館内にあるピナコテカ、絵画館は、観光コースからちょっと外れているので大混雑のヴァチカン美術館の中でもちょっと一息つけるところのひとつ。内部に、ラッファエッロの部屋があるのはご存じだろうか。彼が下絵を描いた、システイーナ礼拝堂のタペストリーや、彼の重要な絵が何枚かあるところで彼が壁画を描いた4つのラッファエッロの部屋とはまた違うところ。ここに、私の好きな「フォリーニョの聖母」がある。これは、ウンブリアの町フォリーニョ出身のジギスモンド デイ コンテイ氏の注文によるもので、もともとローマのカンピドーリオにあるサンタ マリア アラ チエリ教会の主祭壇画として描かれたものであったという。ジギスモンド氏は、歴史家であり、人文主義者、時の法王ユリウス2世の秘書を務めていた。この絵は、彼のフォリーニョの家が落雷を免れたことから、聖母マリアにささげるものであったという。真ん中の天使がもっている札にはそれが書かれている。ナポレオンがローマにやってきた時に沢山の美術品が持っていかれたが、この絵もそのひとつであったらしい。のちに、バチカンが買いなおしたもの。絵をよっく見ると、聖母マリアの周りに雲が描かれているのだが、それがなんと沢山の天使たち。また、絵の背景にフォリーニョの町が描かれているが、ジギスモンド氏の家の上に落雷がちゃんと描かれている。聖母マリアが見ているのは、注文主のジギスモンド氏と、ライオンを傍にもつ聖ヒエロニムス。彼の保護聖人だという。一方、反対側には、おそらくアラチェリのフランシスコ修道院の依頼により、聖フランシスコと、洗礼者ヨハネ(毛皮をまとっている)が描かれている。美術史では、子供のキリストと聖母マリアを中心に左右に聖人たちが描かれている場面をサクラ コンヴェルサツイオーネ、つまり聖なる会話と言っている。
2013.06.03
コメント(0)

ローマのトラステヴェレは、テヴェレ川向うという意味を持つ地区になる。一般の日本人の観光コースからはちょっと外れているようだけれど、中に入ると昔風の小路が続くところで、なかなか雰囲気があるところ。この辺は、昔この近くに住んでいたこともあって、たまに寄るととても懐かしい。トラステヴェレの中心は何といってもサンタ マリア イントラステヴェレ教会だけれど、そこからヴァチカン方向に向かう小路をあがっていくとセッテイミアーナ門すぐあと右にはラッファエッロの壁画が残るヴィッラ ファルネジーナ館やそのすぐ前にはコルシーニ館(現在美術館)、その裏にはオルト ボタニコつまり植物園と隠れた秘宝が沢山あるところでもある。この近くに友人の娘夫婦が経営するパブがあるので友人Dとたまに来るのだが、素敵なホテルを発見。ちょっと変わった素敵な隠れ家に泊まりたいという方にはお勧め。値段もそう張らないようだ。1泊200ユーロくらい。名前はドンナ カミッラ サヴェッリ ホテル。修道院だったところがホテルになっているが、もともと1600年代ベルニーニのライバルとして知られるボッロミーニの作と言われる。Hotel Donna Camilla Savellivia Garibaldi, 21tel. 06-588861
2013.06.02
コメント(0)
昔は事故をすると破損損傷のための保険金が降りるのに何ヶ月かかかったものだ。最近は保険も大分スピーデイーになっている。家人の車は先日ブログで話したように牛乳配達のトラックの扉が開いて後ろのガラスが破損。CIDという保険同士で解決する方法で、昨日保険やサンが破損状態を確認。保険が同じだったり、協定を結んでいるととても早いらしく、その場で破損金額のチェックが出た。或いは保険やさんが協定を結んでいる車修理工場に持っていくと、修理費は全部タダになる。というのも、今回牛乳配達のトラックの非が100%認められたから。今回は車のほうはまだ修理をしなければいけないのだけれど、とりあえず保険やさんの速さに感動したのだった。
2013.06.01
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1