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自分の子供を餓死させるのは健全な行動ではない 原発事故を境にして多くの日本人が「何かおかしい。このままでは日本はダメになってしまうのではないか?」と感じています。でも、1990年頃から日本の大人は少しおかしくなったのかも知れません。 それまでのように単純な「右上がり社会」・・・つまり高度成長路線を走っていたときは何も考えなくても良かったのですが、バブルが崩壊して自分たちで方向を決めなければならなくなると、人生観、世界観が重要になり、方向性を失いました。 その結果、「もったいない」、「節約」、「自然との共生」など部分的な正義はあるものの、全体のつじつまがとれない言動にでました。その間に、年金騒動、赤字国債の大量発行、やっていないリサイクル、温暖化騒動と架空のなかで右往左往してきたようです。 資源の方面で次のような話があります。 「子供が20人いるとして、パンが100ヶあるときには子供にゆっくり食べさせて良いが、パンが10ヶになったら先に取らせろ」 これは「どんなにパンが少なくても、我が子を餓死させて、他人の子供を助けるのは健全な考えとはいえない」ということです。これはこの世の矛盾についての一つの指針です。本当はパンが十分あることが必要なのですが、もしもない時には、やはり我が子を救おうとするのは仕方がない。それが結局、集団の最も良い状態をもたらすということです。 これを「石油がなくなりそうだ」ということに当てはめると、「みんなで石油を節約しよう」と呼びかけるのは良いのですが、「石油が枯渇しそうな時には先に石油を取った方が勝ち」というのも同時に正しいのです。 それでは日本政府が「石油が枯渇しそうだから、節約しよう」と言うのは正しいのでしょうか? もちろん、私たちの日本にとっては間違っています。かつて中東から日本へタンカーで運ばれてきた石油は、日本に来るまでに東南アジアや中国に向かっているということだけなのです。 日本が国際的に孤立し、無謀な行動(石油などの節約)にでたのは、「我が子を餓死させる思慮の足りない親」だったからです。 そして、少し高度なことになりますが、石油が社会のドライビングフォース(活動の源)になっている時に「脱石油」をするためには、「せきゆを使わざるを得ないから、石油を使った方が勝ち」ということです。つまり、もし脱石油には今の都市を「脱石油型」に変えなければならないとすると、石油を使った自動車や建築機械を使わざるを得ないことも私たちは考えなければなりません。 かくして日本社会は1990年代から不景気になり、リストラが進み、就職率が下がり、国際競争力を失い、規制でがんじがらめになり、経費はかさばり、何でも自粛するようになり、ますます形式化して、それが今回の大震災(地震予知の虚偽)と原発事故(安全神話)になったのです。 親の責任は大きいと言わざるを得ません。私たちの目標は贅沢ではなくても、額に汗して働くことができる社会、老人になって突然、哀れにならない社会だったはずです。 ・・・・・・・・・ 別の機会に書きますが、「人生や家庭は節約するほど幸福になるけれど、競争社会は節約したら衰退する」ということなのです。 「競争社会では哲学者は死ぬ」というのも事実で、「人格高潔、戦争を好まない民族」は、かならず「利害優先、好戦的民族」に滅ぼされてきたというのが歴史です。 このような関係を解消しようという理想に燃えて第二次世界大戦後に国連ができたのですが、まだ、その域には達していません。それどころかイラク戦争や温暖化騒動などを見ると、むしろまだ人類は国連の場を利用して競争社会での利害を追求している段階です。 「理想に燃えて飛び跳ねたことをすれば、結局は次世代に大きな災厄をもたらす」というのも歴史の示すところです。人間の心は一人ずつ過去を引きずっているので、現状を打破したいという希望はあるものの、それは多くの人の心の変化に沿ってしか進まないのです。 未来の理想に対して強固な信念を持ち、それに向かって突き進むのですが、現実は徐々にしか変わらないという事実を認める胆力も必要とされます。 ・・・・・・・・・ 現在の日本の「もったいない、節約」という考え方は、官僚の天下り先を作る利害と、理想を追う庶民の心を巧みに操作したもので、世界の進歩と隔絶しているという点では日本は衰退の方に舵を切っており、それは私たちの子供や孫が世界から取り残される結果となるでしょう。 大震災と原発事故は私たちに、東大教授や霞ヶ関のお役人の個別の利害のために現実を見失い、子供たちに被害を与えてはいけないという点で大きな教訓を残しました。今こそ、私たちは日本の常識は世界の非常識であり、子供たちは衰退に向かって進んでいることを知らなければなりません。 ところで、東大教授や霞ヶ関の高官が現在のように極端に自分の身だけを大切にして、社会的責任を果たさなくなったのか、このことについてはまた別の機会に書こうと思っています。とにかく、彼らが仕組む「日本人の美しい心」につけいる方法について私たちはよく心得ておく必要があるでしょう。 「savetdyno.70-(5:41).mp3」をダウンロード (平成24年4月27日) 武田邦彦
2012年04月30日
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被曝と健康に関する最新論文がでました 読者の方から教えいていただいたので、最新の被曝と健康の論文をご紹介します。 この研究は広島長崎で被曝した人8万6千人あまりの方を対象として行われていて、被曝量は高い線量から1ミリシーベルト以下の微量な被曝をした人も対象になっています。 そしてこの論文の中心的な結論は、 1)広島長崎の被曝でガンがかなり多いこと、 2)低い線量の被曝でも発がんが見られること(低線量被曝は危険)、 3)被曝量とガンの発生はほぼ比例すること(私はあまり用語が適当ではないと考えて使いませんが、いわゆる「直線仮説」が成り立っているということです)、 4)いわゆる閾値(これ以下は大丈夫という被曝量)という限度はなく、強いて言えば0ミリシーベルトであること、 などです。 「被曝したら被曝量に比例してガンが増える」という論文はこれだけではありませんが、「1年100ミリシーベルト以下の被曝で、ガンが増えるなどという知見はない」と言い続けた専門家が間違いであったことも同時にこの論文で確認し、ハッキリすると思います。 もっともこの論文以外にも、低線量で健康障害を起こしたという論文は昔から多く、「被曝は大丈夫」というのは、「知見がない」のではなく、「論文は多くあるが、私の考えは違う」ということなのです。つまり簡単に言えばウソだったのです。 ・・・・・・・・・ ところで、日本は科学技術立国といいながら、実際には科学的に奇妙なことが次々と社会で「常識化=空気的事実」となる原因は、1)理科系文科系が分かれていること、2)論文の多くが英語で書かれ、日本人の目に触れないこと、3)利害関係者が英語の文章を故意に誤訳すること、などです。この場合は2)に当たります。 科学が国によらず人類の宝であることから、英語で書かれるのは仕方がないことですが、同時に日本語でも流布されないといけないと思います。でも日本は後進性があるので、「英語で書かれた論文でないと採用の時の参考にしない」というような大学がまだ多いのです。 英語で海外の論文に投稿し、それを日本語と日本的に直して国内学会誌にだすと「2重投稿」ということで厳しくおしかりを受けます。でも、日本の科学の成果を日本人が十分に役立てることはとても大切です。それを実質的にできないようにしている今の学会、大学などの考え方にたいして私は納得できないでいます。 2011年の大震災と原発事故以来、御用学者という言葉が定着しましたが、この新なる原因はすでに20世紀の初めにマックス・ウェーバーが指摘しているように「職業としての学問」(生活やお金のために学問を道具として使うこと)が定着してきたからでもあります。その典型が「東大教授」です。 日本の学会で利権が固定し、1)研究費を国が握る、2)勲章を国が決める、3)研究費の配分を東大教授が決める(京大、東北大などの御用学者も参加する)、4)役所は大学の予算配分を東大に厚くして、その見返りに御用学者になってもらう、ということが行われています。 このグラフは日本(上)、アメリカ(下)の大学ごとの予算ですが、日本は東大がダントツで、数ヶの大学に予算が集中的に行っていることがわかります。それに対してアメリカは広く「ばらまき状態」です。 日本では「ばらまき」は悪く、「集中」は良いと言われますが、そんなことはありません。「集中」はどうしても腐敗を招きます。腐敗した学問と、少しの無駄はあるけれど腐敗しない学問では、腐敗しないことが大切です。「articletdyno.68-(7:19).mp3」をダウンロード (平成24年4月26日) 武田邦彦
2012年04月30日
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被曝と健康に関する最新論文がでました 読者の方から教えいていただいたので、最新の被曝と健康の論文をご紹介します。 この研究は広島長崎で被曝した人8万6千人あまりの方を対象として行われていて、被曝量は高い線量から1ミリシーベルト以下の微量な被曝をした人も対象になっています。 そしてこの論文の中心的な結論は、 1)広島長崎の被曝でガンがかなり多いこと、 2)低い線量の被曝でも発がんが見られること(低線量被曝は危険)、 3)被曝量とガンの発生はほぼ比例すること(私はあまり用語が適当ではないと考えて使いませんが、いわゆる「直線仮説」が成り立っているということです)、 4)いわゆる閾値(これ以下は大丈夫という被曝量)という限度はなく、強いて言えば0ミリシーベルトであること、 などです。 「被曝したら被曝量に比例してガンが増える」という論文はこれだけではありませんが、「1年100ミリシーベルト以下の被曝で、ガンが増えるなどという知見はない」と言い続けた専門家が間違いであったことも同時にこの論文で確認し、ハッキリすると思います。 もっともこの論文以外にも、低線量で健康障害を起こしたという論文は昔から多く、「被曝は大丈夫」というのは、「知見がない」のではなく、「論文は多くあるが、私の考えは違う」ということなのです。つまり簡単に言えばウソだったのです。 ・・・・・・・・・ ところで、日本は科学技術立国といいながら、実際には科学的に奇妙なことが次々と社会で「常識化=空気的事実」となる原因は、1)理科系文科系が分かれていること、2)論文の多くが英語で書かれ、日本人の目に触れないこと、3)利害関係者が英語の文章を故意に誤訳すること、などです。この場合は2)に当たります。 科学が国によらず人類の宝であることから、英語で書かれるのは仕方がないことですが、同時に日本語でも流布されないといけないと思います。でも日本は後進性があるので、「英語で書かれた論文でないと採用の時の参考にしない」というような大学がまだ多いのです。 英語で海外の論文に投稿し、それを日本語と日本的に直して国内学会誌にだすと「2重投稿」ということで厳しくおしかりを受けます。でも、日本の科学の成果を日本人が十分に役立てることはとても大切です。それを実質的にできないようにしている今の学会、大学などの考え方にたいして私は納得できないでいます。 2011年の大震災と原発事故以来、御用学者という言葉が定着しましたが、この新なる原因はすでに20世紀の初めにマックス・ウェーバーが指摘しているように「職業としての学問」(生活やお金のために学問を道具として使うこと)が定着してきたからでもあります。その典型が「東大教授」です。 日本の学会で利権が固定し、1)研究費を国が握る、2)勲章を国が決める、3)研究費の配分を東大教授が決める(京大、東北大などの御用学者も参加する)、4)役所は大学の予算配分を東大に厚くして、その見返りに御用学者になってもらう、ということが行われています。 このグラフは日本(上)、アメリカ(下)の大学ごとの予算ですが、日本は東大がダントツで、数ヶの大学に予算が集中的に行っていることがわかります。それに対してアメリカは広く「ばらまき状態」です。 日本では「ばらまき」は悪く、「集中」は良いと言われますが、そんなことはありません。「集中」はどうしても腐敗を招きます。腐敗した学問と、少しの無駄はあるけれど腐敗しない学問では、腐敗しないことが大切です。「articletdyno.68-(7:19).mp3」をダウンロード (平成24年4月26日) 武田邦彦
2012年04月30日
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農水省、無農薬野菜の禁止に?! 食品安全では無添加食品を禁止に?! 農水省が「1キロ100ベクレル」と決めた国の食材汚染の基準より低い目標を民間が個別にたてるな!と通達をだした。前代未聞、軍部が幅をきかせていた時代でもそうそうない話だ。東京に首都が移ってから400年、制度疲労は極限に達していると思われる。このまま掘っておくと次のようなニュースも出てくるだろう。ここで芽を摘んでおかなければならない。 【近い将来のニュース1】農水省は農家が「無農薬野菜」を栽培するのを禁止する動きに出ている。それに歩調を合わせて食品安全委員会も「食品添加物を入れない食品」の販売禁止を検討している?! 【近い将来のニュース2】日本政府と霞が関の官僚は、「日本を民主主義から封建社会へ」変えた方が日本のためになると判断、国民はバカだから自由に行動させてはダメだという方向に基本的な政策を取り始めた。国民の自由な活動を制限し、すべてを国家統制の中で生活することを強要する、それは金融政策、教育政策、環境政策ばかりではなく、国民の健康、食品まで及ぼす?! 【近い将来のニュース3】憲法には「基本的人権」が明記されているが、戦力を否定している憲法でも世界第5位の軍事力を誇る自衛隊を国民は認めてきたのだから、基本的人権を無視することもできると霞ヶ関が内部通達をだした?! ・・・・・・・・・ 「国が決めた食品汚染の基準が1キロ100ベクレルなのだから、それより低い自主基準は使うな!」と農水省が通達(食材の流通にとっては恫喝や準強制になる)した。「放射線障害防止規則」の第一条には「被曝をできるだけ減らすように努めなければならない」とあるのだから、「民間が国より良い方向の目標を立ててはいけない」ということをハッキリと役所が言ったということだ。 たとえば、「農薬の基準があるのだから、無農薬など認めない」、「添加物の基準が決まっているのだから、食品には必ず添加物を入れなければならない」というのと同じで、本来、ない方が良いとか、少なくした方がよいものなのだけれど、現実的に使わなければならないからこそ「**以下」という基準がある。 また、道路交通法関係では、「この道路は時速50キロに制限されているのだから、30キロで走るなどもってのほかだ」となり、校則では「9時から1時間目が始まるのだから、8時50分に教室に入るなどとんでもないことだ」、メタボでは「男性では胴回りが85センチ以下ときまっているのだから、80センチ以下を目指した個別の目標のダイエットは禁止」などとなる。 日本社会の基本的な道徳、倫理、秩序を乱す発言だ。実にばからしいが、官僚がここまで来たかということを示している。 もう一つ、「被曝は健康に良い」という自説を強調する学者がいても良いが、法律(社会の合意)では「被曝は減らす方が良い」となっていることは上記の法律でもハッキリしている。 道路交通関係でも「スピードが速いほうが緊張感があって安全だ。特に制限速度をオーバーしているときはさらに緊張しているから安全」という人がいても、「制限速度が決まっていて、速度が遅い方が安全だ」という合意がある時にはそれを守らないと社会は維持できない。 ここまで来ると、ほとんどの公約を守らない民主党、法律規則を無視する官庁は、早期に総退陣、総辞職、総退職しなければならないだろう。日本国憲法の基本的人権を無視する日本の中枢をこのまま放置して良いと考える人は、憲法改正運動(第9条ではなく、基本的人権の制限)を初めて、旗色を明らかにして欲しい。 今回の農水省の通達がだされ、報道されることは実に異常な社会である。こうなったら増税どころか、思い切って税金を半分にして、官僚のトップを全部入れ替えなければならないだろう。わずかな可能性を求めれば農水省自体が、この不適切な通達を取り消し、陳謝し、関係者を処分するなら良いが。その力は残っているか? 「tdyno.67-(6:06).mp3」をダウンロード (平成24年4月25日) 武田邦彦
2012年04月29日
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日本の電気代はなぜ高い? 鉄鋼業と電力業 日本の電気代はアメリカの2倍です。長い間、日本の国民は高い電気代に泣かされてきました。中小企業は安い電気を使う海外との競争に疲れ、日本の家庭ではすっかり「節電」が定着しています。 道徳としての節電が良いか悪いかは別にして、電力会社にお金を出すために高い電気代を設定し、国民が我慢するという構図を、原発事故を境に止めたいものです。 日本の電気代が高いはずはありません。具体的に、燃料費、発電所建設費、送電距離、送電変電効率、電力品質などを比較しても良いのですが、このように細かく計算するとほとんど必ず電力会社の計算値に多くの人がだまされます。 それより、「日本の鉄鋼は品質価格ともに世界一なのに、なぜ電気は劣等生なの?」という質問の方が的を得ています。 鉄と電気は最終製品こそ似ても似つかないものですが、生産方法はまるで同じです。石炭を焚いて、鉄鋼では溶鉱炉を、電気では発電機を動かし、それで鉄と電気という製品を作るわけです。 新日鉄やJFEという巨大な鉄鋼会社と、東電・関電という電力会社の規模はいずれも巨大ですし、やっていることは同じで、日本の鉄鋼は国際価格で、しかも品質は第一です。 おまけに電力には日本特有の有利なことがあります。日本は人工稠密で国土が良い状態で管理されているので、送電距離が短く、国民が電気の送電に協力しているので、電柱などを敷設する問題も少ないという特徴があります。 それに三菱重工の高効率発電機、パナソニックが開発した高性能ガイシ、それにSF6の高圧スイッチ、ケイ素鋼で作られた変電装置など日本の電力技術は世界最高峰でもあります。 ダメなのは、地域独占、政商と化した電力のビジネスモデルにあります。まさにかつての日本の農業をダメにしたコメ政策を思い出します。まずは、発送電分離でもなんでも良いので、電力の独占から競争環境にすることでしょう。 電力会社にお勤めの皆さん。多くの方は若い頃、もうけより日本の電気のことを考えて就職されたと思います。2011年の原発事故は東電ばかりではなく、すべての電力会社の責任でもありますから、ここで初心に返り、外国に負けないコストで電気を作るべく頑張ってもらいたいと思います。 石炭、天然ガスで十分に現在の電気代の半分になります。事業の独占とはそれぐらい恐ろしいものなのです(西ドイツと東ドイツが統合したとき、西ドイツの人は東ドイツの工業製品が20年以上も遅れていたのにびっくりしました。同じ民族でも競争のないときにはそうなります)。 平成24年4月23日)「tdyno.66-(5:27).mp3」をダウンロード ( 武田邦彦
2012年04月28日
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タバコと健康をゆっくり考える(新しい1) 数字と論理 今回は、「肺がんの原因はタバコである」ということは、イコール、「タバコを吸うと肺がんになる」といえるのか、それを「ゆっくり」と考えてみます。 1960年頃、成人男性の総人口が5000万人、喫煙者は4000万人、肺がん死数は2000人でした。ここではとても難しいタバコの問題を一つずつ考えていくために、急がず、数字と論理の問題から取り組んで行きたいと思います。まず、5000万人では集団の数があまりに数が多くて実感がでないので、同じ比率で少し小さい集団を考えてみます。つまり人口5万人の市で、喫煙者が4万人、肺がん死2名だったと考えてみます(全部1000分の1)。 まず、この市で肺がんで死んだ人は70才で2人ともスモーカーだったのですが、ほぼ平均寿命とします(タバコを吸っている人が肺がんで亡くなる時期がどうかという問題は全体の論旨に影響を及ぼさないので、このまま整理を続けます)。喫煙者が4万人もいるのに、肺がんで死んだ人(肺がんは致死率が高いので肺がん死と肺がんはほぼ同じだった)はたったの2人。後の39998人は元気か、あるいは他の病気で死んでいることになります。 でも、ここでやや難しいことを説明しなければなりません。それは「事故による死亡」の場合は全人口を対象とし、平均年齢近くで死亡するときには「死亡した原因」で整理するということです。 たとえば、交通事故で亡くなる人は年齢によらないので、交通事故死が1万人の時には、全人口1億人に対して事故確率1万分の1とします。日常的な生活をしている時に交通事故にあう可能性は1万分の1ということです。 交通事故死の確率は小さいように思いますが、そうでもありません。人間は約100年生存しますから、毎年10000分の1の確率なら、生涯に100分の1になるので、100人に一人が交通事故で不慮の死を遂げるということになります。 タバコを吸って肺がんで死亡するのは「病死」なのでしょうか? 「不慮の死」なのでしょうか? それによって若干取り扱いが変わります。つまり「タバコを吸うと肺がんになる」という表現は、「タバコを吸うと若くして肺がんになることがある」ということなのか、「タバコを吸っていても平均寿命付近で死ぬが、その原因が肺がんの場合が多い」ということなのかで変わるからです。 もし、「肺がんの原因はタバコであり、早く死ぬことが多い」とすると、タバコを吸っていた40000人のうち、39998人が肺がんにならず、2人だけ肺がんになったのですから、「タバコを吸うと肺がんになる」と言うのはかなり大げさで事実を表していないことになります。 次に、タバコを吸ってもあまり平均寿命はかわらないので、「死んだ人の死因の一つ」と考えると、タバコを吸っている人で死んだ方は400人程度で、そのうち2人が肺がんで死んだということになります。 ・・・・・・・・・ ここまででまとめてみましょう(タバコも交通事故と同じ不運が起こるとすると)。 タバコでその年に肺がんで亡くなる人 20000人中1人 交通事故でその年に亡くなる人 10000人中1人 ・・・・・・・・・ そうすると次の言い方は誠意ある言い方でしょうか? タバコを吸うと肺がんになるからタバコを吸ってはいけません 外に出たら交通事故に遭うから外に出てはいけません ・・・・・・・・・ また「原因」を表現すると、 肺がんで死ぬ人の原因はタバコです 交通事故で死ぬ人の原因は外出です ・・・・・・・・・ 結局、論理的には、 タバコを吸ったから肺がんになるとはいえません。 外出したから交通事故に遭うとはいえません ・・・・・・・・・ 「外出しなければ交通事故に遭わない」(タバコを吸わなければ肺がんになりにくい)は良いのですが、「だから外出してはいけない」(だからタバコを吸ってはいけない)という表現はこのような整理をする限り不適切であることがわかります。また「交通事故の原因は外出だ」(肺がんの原因はタバコだ)は良いのですが、「外出すると交通事故に遭う」(タバコを吸うと肺がんになる)も不適切です。 タバコについて、かなり整理が進んだと思いますが、「人間にとって外出も大切だから、交通事故に注意しよう」と言うぐらいが適切とすると、タバコも同じぐらいの確率ですから「気分転換にタバコも良いが、吸い過ぎには注意しよう」ぐらいが妥当と言うことになります。 「tabacco21tdyno.69-(9:10).mp3」をダウンロード (平成24年4月28日) 武田邦彦
2012年04月28日
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「善良な日本人の国」に住みたい・・・自分で決めたことを守り、人の考えを否定しない 子供が「自分で決めたことぐらいは自分で守れる人になりたい」と言ったら、大人はどう答えるだろうか。「おりこうね」とか「それは当然だよ」ということはあっても「そんな必要はない」と叱る大人はいないだろう。 大学生が「多様な時代だから人の考えを尊重したい」と言えば、先輩は「それは良い考え方だ」と言うことはあっても、「自分の考えを押しつけるのが良い」と公に言う人もいない。 でも、今の日本はこの二つの当然なことが守られず、正反対のことが平然と行われている。そしてこともあろうか、「当然のことを言う人」(たとえば瓦礫の搬出は法律に違反する)が「自分で決めたことを守らない人」に罵倒されるというありさまだ。 また、ネットなどでは「多様な意見」を尊重するどころか、少しでも自分の考えと違えば口を極めて罵倒に罵倒を重ね、時によってはそれが仕事かと思うほどの時間と労力を使い、社会から葬ってしまおうという人も多い。ネットは私たちにとって大切な新しいものであるが、それを活かすも殺すも私たちが「人の考え」を尊重するかどうかにかかっている。 ・・・・・・・・・ 私はかつて製造会社にいた。日本の製造会社が世界に冠たるものになったのは技術もともかくながら、それより「従業員の善良さ」だった。工場の従業員は「お金で雇われた労働者」であって、商法上は「社員」でもないと言われる。なにか「人」ではなく、「時間を買われた物体」のように言われる。もちろん5時とか、定まった時間が来なければ帰ることもできない。 それでいて、頻繁に「愛社精神」が求められたり、時には改善の努力が足りないと叱られる。時間を買うなら、愛社とか改善の努力などは不要なはずである。もしそのようなものが大切なら、緩やかな時間の拘束は必要でも、5分でも遅れれば給与を引かれるなどとはまったく矛盾するように思われる。 ところがそのような「劣悪」な環境にありながら、工場の従業員のほとんどは会社がより多い利益を上げるため、順調に生産できるため、時には他人の仕事を手伝ってまで会社に貢献しようとする。 まるで東電が事故を起こして謝りもせず、除染(自分で汚したものを片付ける)もしないのに、じっと我慢をしている人と似ている。それは日本人にすばらしい特徴だ。東電が日本人とは思えぬほど恩知らずなのに、それに影響されず、シッカリした誠実さを持っているのだ。 ・・・・・・・・・ 私はこのような古来から日本人が持っている誠実さ、潔さ、礼儀正しさを貴重で大切なことと思っている。そしてそれが自分の公約を自分で破る民主党政権や、礼儀という言葉がまったく信じられないネットの社会が続いても、日本人は失わないと思う。 でも、それでもあまり長く続くと少しずつ破壊してくるのではないかと心配でもある。まずは指導者から潔さを示して欲しい。鳩山元首相はお母さんから月々もらっていた1600万円が贈与税とは関係ないこと、何に使ったかを明らかにして欲しい。民主党の議員は公約の主要部分を放棄したのだから、議員を辞めて欲しい。東大教授は東北大震災、福島原発事故で間違ったことをいっったのだから辞職して欲しい。 横浜市長は「放射線など怖くない。1年1ミリを守る必要がない」(1年1ミリは法律だから公務員は自分で決めたことを自分で守るという範囲に入る)というパンフレットをわざわざ印刷して市民に配り、その後、給食で汚染された食材を子供に食べさせたし、そのパンフレット作りに協力した日本学術会議の役員もともに辞めて社会から引退した方が良い。 環境省も、低レベル廃棄物が1キロ100ベクレル以上なのに、1キロ8000ベクレルの瓦礫を引き取れというのだから、環境省は業務を中止してもらいたい。もともと環境省は温暖化騒動の時にIPCC(国連の温暖化機構)が「温暖化すると南極の氷が増える」と報告しているのを、日本語に訳すときに「減る」と訳した張本人だ。かなり悪質である。 まずは指導層から子供が普通に言うことを実践し、それを手始めに、ネットの罵詈雑言も少し弱めた方が良いと思う。人はそれぞれ違う考えを持っている。でもその「考え」とは「自分が言ったことを言わないといったり」、「事実についてウソを言ったり」することではない。常に自分の名前を名乗り、もし必要ならその考えに至った根拠を示し、できるだけ個人の誹謗中傷を避けるということが前提だ。 「自分が考えること」が尊重されるためには、考えを持つ過程でも、誠実、潔さ、そして礼儀が必要だからである。 「goodpeopletdyno.64-(7:26).mp3」をダウンロード (平成24年4月19日) 武田邦彦
2012年04月27日
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三井化学岩国大竹の爆発事故について(2) 大丈夫三井化学岩国大竹工場の爆発の時に、現場近くにウランを含んだ触媒(使用後と考えられる)があった問題で、ウランを入れた倉庫の損傷は外部だけにとどまっていることがわかりました。従って、爆発で飛散していないので、付近の方は安心してください。しかし、この問題は二つの大きな課題があることを示しています。第一には、住民が心配していること、心配するであろうことを自治体、会社、報道がより積極的に伝えることだろう。「自分の都合の悪いことは触れない」というより、社会との新しい信頼関係を作るには、関係者がより積極的に「ウランについては****なので心配ありません」と発表し、写真を公開するのが適当と思います。今回、報道が不十分だったのは、「ウランの倉庫は損害を受けていないのだから、心配する方がおかしい。彼らはなんでも反対する」という古い概念で取り扱っているのではないかと思います。新しい企業倫理(CSR)は「隠す」のではなく「何でも明らかにすることによって社会の信頼を受ける」と言うことです。報道もそのようにして欲しかったと思います。第二の問題は、なぜ使い終わったウランを含む触媒が倉庫においてあるかと言うことです。日本が高度成長の時にウランをかなりの化学工場が触媒として使っていました。しかし放射性物質なのでできるだけ使いたくないということで触媒が改良されて、モリブデンなどの違う元素を使うようになったのです。でも、ウランの触媒を引き取るところがありません。これは原発と同じで、日本社会は原発やウランを使うことをしても、その後始末をいやがったのです。それは関係者ばかりではなく、反対派も含めた日本人全体の責任でもあります。三井化学自体は、ウランの触媒をどこかが引き取ってもらいたいと思っているでしょう。でも一企業ではどうにもならず、国がシッカリしなければこの問題は片づきません。かつてウランは自由に化学薬品として使えたのですが、放射線によるガンの研究が進むとともに規制されてきたのです。いま、政府は「被曝ではガンになりにくい」と言っていますが、これまでの規制の思想は全く正反対だったのです。いずれにしても安心してください。(平成24年4月24日)武田邦彦
2012年04月27日
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原発再開の最低条件(4)・・・核廃棄物の貯蔵所を先に決めること(大人の責任) 原発の再開問題で、もう一つ、驚いたことがある。それは経団連が「電気が必要だから原発を再開して欲しい」と言ったことだ。特に権限も力もない一個人が言うなら少しはわかるけれど、日本の経済界と言えば「政治三流、企業一流」と言われるからだ。 でも、責任感ということでは三流なのかも知れない。というのは、原発を動かして電気を欲しいなら、原発を動かしたときに出る核廃棄物を引き取らなければならない。電気だけ欲しい、廃棄物やイヤというのでは子供だ。 アパート経営を始めた人が、借りる人の募集広告に「家賃はいただきますが、トイレは汚れるので使わないでください」という条件を書いたら借りる人はいない。良いところだけを取って、イヤなものは他人に任せるというのは子供なら許されるが、大人とは思えない。 経団連は子供の集団なのだ。それならそれらしく、テレビに出てきて意見など言わないで欲しい。 福島原発事故の一つの原因は、「良いとこ取りの原発政策」にあった。地震も津波もないアメリカで設計されたものをほぼそのまま使い、海岸に作るなら塩水の影響を最優先で考えなければならないのに、地下に電源、ポンプ、そして非常用発電機までおいて、今回の事故になった。 防潮堤が原発全面にあっても、潮が高くなれば四方八方から来るのに、それを守るのはサボった。さらに緊急時の対策もやらない・・・なにからなにまで「やるべきことをやらずに、電気を作ってお金をもらう」という考えに徹していた。 立地、地元対策、安全対策、廃棄物・・・全部、税金でまかない、そのために政治家にお金を配り・・・としているうちに内部が腐敗して多重防御もウソ、地震対策もウソになっていった。 「子供が運営する原発」から「責任をとれる大人の原発」にしなければならない。原発再開に当たって「仮に事故が起こったら四閣僚が責任を取る(とれるはずもない)」、「再開に反対するのは集団自殺を招くと同じだ(せいぜい10年前に帰るだけ)」などの発言を見ていると、政府も子供なので原発はできない。 技術陣も原子力安全委員会の委員は事故の責任をとらず、まだ任務についていて報酬ももらっている。このような子供のような責任の取り方で原発を運転するのは危険である。 原発再開に当たっては、まず「核廃棄物の貯蔵所をどこに作るか」・・・電力をほしがっているところに作るのが合理的だから、再開した自治体がまず引き受けなければならない。大阪は「原発の電気は欲しいが廃棄物はイヤだ」といい、原発の立地の自治体は「お金は欲しいが廃棄物やイヤだ」と言っているのも子供だから、危なくて仕方がない。 今、日本の原発は本格的に稼働してから30年も経つのに、まだ核廃棄物は宙に浮いている。これをどうするのか?と日本人の大人に聞くと、「子供に任せる。おれは汚いものはイヤだ。電気だけ欲しい」という。世界に対しても恥ずかしいし、大人の態度ではない。 原発再開の第四の条件、それは「核廃棄物の引き取り手、場所を決める」ことを優先することだ。電気が欲しいといっている今がチャンスである。 「4thhurdletdyno.66-(4:45).mp3」をダウンロード (平成24年4月22日) 武田邦彦
2012年04月26日
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タバコは吸った方が良いか、禁煙運動かのトリック(解説編) タバコも長い旅になりましたが、なにか終着駅がみえてきたような気もします。というのは「タバコを吸うと肺がんになりにくい」という統計的データと、「肺がんの原因はタバコ」という臨床医師のデータが矛盾しているように感じられたからです(ここで言う肺がんとは喉頭ガンなどの関連のガンも若干含みます)。 このように科学の世界で、相反するデータがある場合、自分の価値観などでどちらが正しいかを決めることはできません。あくまでも、事実→解析→意見→感情、と進まなければならないからです。タバコの煙が嫌いでも、自分がタバコを吸わなくても、感情→事実、と進むのは魔女狩りと同じだからです。 タバコは肺がん以外に、脳疾患、心臓疾患の原因にもなるので、よくお考えの上、お読みください。この記事はタバコと肺がんに絞っています。 ・・・・・・・・・ 【わかってきたこと】おおざっぱにまずは事実をつかむ(およそ1990年ぐらいの男性に焦点を当てる) 1) タバコを吸う人は3000万人を超えるが、健康な人の調査はほとんどない、 2) 臨床医師の印象は病院に訪れる肺がんの患者のものである、 3) タバコを吸う3000万人に対して、肺がん死の数は5万人にも満たず(1990年、)、その結果、肺がんではタバコを吸う人の0.1%程度の集団を問題にしている、 4) タバコ以外に肺がんの原因は、ディーゼルエンジン排ガス、レントゲン検診、核実験フォールアウトなどがあり、それらは個別には「肺がん発生率」が明らかにされているが、禁煙運動の陰に隠れている、5) 煙に対する人間の嫌悪感、タバコのにおい、就業時間中に堂々とタバコを吸う人への反感、火災の危険性に対するいらだち、人の顔にタバコの煙を吹きかける人への憎しみ・・・などの感情が科学的解析を難しくしている、 6) 自分の好き嫌いで他人の行動を制約して良いという文化や、人間は楽しみが要らないという利権が働いている、 7) 禁煙活動で名誉を得たり、利権を取ることができる人がいる、 などです。 どうも、タバコの問題は次のようにまとめられると思います(最終結論ではない)。 1)20世紀の後半、戦争が終わって世界が落ち着いてくると、健康への関心があつまり、その中でWHOの事務局長が特別な人でもあり、またアングロサクソン・北方系の国(アメリカ、イギリス、ノルウェーなど)を中心に肺がんが多かったので、注目を浴びた。 2)肺がんの原因の多くがタバコであることもあり、またアングロサクソン・北方系の人は「煙」に対する文化的嫌悪感が強く(歴史的にはタバコが有色人種の好むものであることが原因している)、「肺がんの原因がタバコ」ということと「タバコを吸うと肺がんになる」という論理的には関係のないことが社会的に結びつけられた。 3)タバコを吸うと肺がんになる可能性は民族(もしくは生活環境や生活様式)によって大きく異なる。一般的に北方の白人に肺がんが多く、ヨーロッパでもフランスを始めラテン系・南方系の民族は肺がんがすくない。黄色人種は煙に強い。 4)「肺がんの原因がタバコ」ということと「タバコを吸うと肺がんになる」ということとは、論理的にまったく関係がないので、この2つが関係しているというためにはもう一つか二つのデータが必要となる。また、「肺がんになる人は必ずタバコを吸っているとしても、それだけでは直ちにタバコが肺がんの原因とは特定できない」、 5) 数字を入れて考えると、「肺がんの原因が100%タバコだけとしても肺がんになる人が1万人で、タバコを吸っている人が1億人であれば、タバコを吸って肺がんになる人は1万人に1人ということになる」、「何かをして1万人に1人が病気や被害を受けるとすると、この社会は行動が難しい」ということになる。 (たとえば、交通事故は1万人に1人ぐらいの確率なので、「外を歩くと交通事故に遭うので、外を歩くのを止めましょう(外出禁止令と禁煙が同じ)」というような奇妙なことになる。) 6)現実は、3000万人がタバコを吸い、5万人以下の肺がん死が認められるので、「タバコを吸うと肺がんになる」というのは間違いである。 7)喫煙率が下がると肺がんが増えるという統計から、タバコが肺がんの防止になる。毒物がどの毒物によって起こる障害を防止するものとしてワクチン(免疫)、インドに行った日本人の下痢、被曝のホルミシス効果などがあり、特に不思議なことではない、 6)肺がんの原因が複数である可能性も否定できない(タバコ+排気ガスなど)、 7)禁煙運動が、排ガス規制反対、レントゲン検診の批判をかわすこと、民族差別などと関係している可能性も否定できない。 8)厚労省やがんセンター、および関連団体がだしている「タバコと健康」に関する平山論文はじめとしたデータはほとんど信頼できない。データ自身が科学的に処理されていないし、元データの公表を拒否するというおよそ科学的ではない行動が見られる、 9)その結果、喫煙と肺がんばかりではなく、「副流煙」などは全く不明。副流煙の場合も、対象者が数千万人なのに、肺がんの例が200例ぐらいで因果関係は特定できない。 以上のように「できるだけ冷静に」解析していくと、タバコの排斥運動や禁煙運動は、次のような理由で社会に害をもたらし、倫理にもとると思われます(喫煙がダメではなく、禁煙運動がいけないという意味)。 1. 「タバコを吸うと肺がんになる」ということは間違っている、 2. 「副流煙で肺がんになる」というのは間違っている、 3. 禁煙運動は日本国憲法が定める基本的人権に反する。私たちは日本国憲法を守ると誓った人で国を作っているのだから、自分の思想信条で基本的人権を守っている人を排斥してはいけない、 4. 医師が「患者が喫煙している」という理由で診療を拒否したり、あるいはベストを尽くして治療しないのは間違っている(公言している医師もいる)、5. 国や自治体、公共団体が禁煙を呼びかけたり、規制をするのは日本国憲法に反する、 6. 法を守って善良や人を非難してはいけない(適切な場所でマナーを守ってタバコを吸い、人生を豊かにしている人は「法を守って善良に生活している人」である)。 喫煙している人と、禁煙運動をしている人を見比べると、喫煙している人は善良に見えるし、禁煙運動の人は善良には見えません。日本国憲法の下、日本列島に住んでいる人は他人の人生、健康、思想、信条を認め、尊敬する必要があると思います。 是非、この機会に「肺がんの原因はタバコだが、タバコを吸うと肺がんになるというのは間違っている。まして副流煙を吸うと肺がんになる可能性はきわめて低い」という科学的事実を認め、より明るく正しい日本、善良な人が住む日本に一緒に変えていきたいと思います。 「tobaccofinaltdyno.63-(11:59).mp3」をダウンロード (平成24年4月22日) (タバコについては、個別のデータなどで少しずつ説明をしていきたいと思います。ただし、私はタバコを吸いませんし、タバコの業界などからの便宜ももらっていません。「得になるからやる」のでもありません。ただ、正しいことが通らない社会はあまり気分は良くないし、被害者をだすと思っています。) 武田邦彦
2012年04月25日
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三井化学岩国大竹工場爆発事故について(速報) 2012年4月22日、三井化学の爆発事故については工場内にウランがあったということで、近くに住んでいる人に不安を与えている。新聞やネットを中心にして報道されていることから推定してみた。 工場内にウランがあったとすると、ウランは呼吸で肺に入ると危険だが、胃に入る分にはほとんど影響がない。だからハッキリわかるまで数日、マスクをしておいた方が良い。まだその点の発表はない。だから少し気をつけた方が良い。 爆発の状態から直ちに逃げる必要はないと思われるが、風下(当時の動画から見ると、海から垂直に近い形で煙が内陸に向かっている。距離は3キロぐらいまでの注意と考えられる。 もともと、化学工場にあるウランは触媒として使われていたか、使っているもので、おそらく形はシリカゲルのようなものに付着(担持という)したもので微粒子である。マスクで止まる。 大切なことは、ウランの拡散状況を一刻も早く発表することで、工場の原因追及より住民の安全の方を優先し、報道もそちらに重点を置く方が良い。会社の発表と報道を見ると、毒物の拡散より、事故原因、被害状況に重点が置かれている。 自衛策としては、風下3キロぐらいの範囲で、あまり粉を吸わないことが大切と思う。 「tdyno.67-(3:34).mp3」をダウンロード (平成24年4月23日)追記: ウランが飛散して人体に影響があるレベルであっても、放射線を測定しても出てきません。ウランの放射線は弱いし、アルファ線なので測定はなかなか困難です。ただし、微量でも肺に入ると問題が起きます。だから「線量率は低かった」というのは「安全」とは無関係です。外部被曝はありません。だからマスクさえすれば大丈夫といえます。 武田邦彦
2012年04月24日
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食材の不安(どうなっているか?)・・・農水省の反撃に備える 福島のほうれん草、宮城・蔵王のお茶と立て続けに「2回目の暫定基準値」を超えた食材が出ているさなかに、農水省が「民間が独自に基準を設けるのはけしからん。国に従え」という通達をだして顰蹙を買っています。まるでお殿様ですね。 この農水省通達は大きな問題を抱えているので別の機会にして、ここでは最近の食材事情を少し整理してみたいと思います。行政上の問題や生活の注意をします。 まず、福島のほうれん草ですが、これは予想されたことです。なにしろ、セシウムの再飛散が昨年の12月半ばからはじまり、その対策は全く取られていません。一度、土、ゴミ、瓦礫などに付着したセシウムが何らかの原因で福島の空に舞い上がっているのですから、それがほうれん草を汚染するのはいわば当然のことです。 これに対して「再飛散は焼却が原因ではない」、「瓦礫は大丈夫」と否定ばかりして、汚染の拡大を防止しようとする自治体はほとんどないようです。誰の税金で運営しているのかと訝るばかりです。 再飛散関係で少し注意を要するのは、福島の葉物野菜は当然ですが、関東北部、東北南部は一応、注意が必要でしょう。農水省が呼びかけるとしたら、このような野菜に対する十分な情報と注意、および監視でしょう。 再飛散は相変わらず続いています。これは葉物野菜を汚染するばかりではなく、マスクをしないと内部被曝にもなります。しかし、危険な地域は福島の1時間1マイクロ以上の地域に今のところ限定されているようです。 葉物野菜以外の大根などは現在は汚染が見られません。また、関東東北の椎茸、川魚、それに太平洋側の北海道から神奈川までの魚、特に「底魚、海藻、貝類」など特定の食品は危険です。 海への潮干狩り、行楽、学校行事は、神奈川から北海道までは危険です。主たる理由はストロンチウムが測定されていないことで、放射線防護の原則は「測定値がなければ危険と見なす」ということで、これは放射性物質が見えないことによります。 ・・・・・・・・・ 宮城の蔵王町のお茶は1キロ2万ベクレルというものすごい量ですが、これも「理屈通り」です。2011年4月、静岡県のお茶を取り扱っていた方は汚染でひどい目に遭いました。この原因は「人間が大丈夫なら植物も大丈夫だろう」という知識不足だったのです。 放射性物質と言っても、ヨウ素、セシウム、ストロンチウムといろいろな元素があります。よく「**を食べると**がとれる」という理由で食材を選んだり、「**にはカルシウムが多く含まれている」などと言われますが、このことは「特定の植物には特定の元素が多く吸収される」ということです。 だから、「人間」という動物より「お茶」という植物が「セシウム」という元素を多く含んでも、別に驚くことはないのです。そして今の汚染の基準は「人間は大丈夫か」と言うことだけで決まっています。つまり農業や漁業は切り捨て規制なのです。 もう一つ、自治体の「油断」があります。かつて静岡はやややむを得なかったのですが、最初の段階で油断しました。第二に横浜市の市長は「大したことはない」を繰り返し、パンフレットで市民に「油断」を勧めた結果、市内の給食で数回、暫定基準値すら大きく上回る食材を使いました。 岩手県一関市も「一関に放射性物質が降ったなどと言ってもらっては困る」と市長や議会が言った直後に、セシウムで汚染されたウシをだし、さらに農作物が被害を受けました。事実を正面から見つめ、それを認める勇気が必要です。元素は元素ですから。 そして事実を認める勇気は「子供を守る、国土を守る、コメを守る」という「心」から出てくるものです。決して「お金」からは未来の日本は開くことができません。 生活上は、岩手から神奈川までの農作物、山形、新潟のものは要注意です。本当は農業関係者、自治体がしっかりしていればすでに安全な時期なのですが、残念です。私たちは「食べる食材の種類を多くして、平均的な汚染濃度を減らす」のが一番でしょう。 ・・・・・・・・・ このほかに静岡県焼津の「鰹節を作るときにでる灰」の中に1万3000ベクレルのセシウムを検出していたのに発表しなかったという事件がありました。隠匿したのは2段階で、最初が組合(センターという名前らしいのですが、ともかく当事者)、次が市の水産課です。 2011年8月にわかったらしく、事実が広がるのをいやがって(お客さんの健康より自分たちの儲け)、公表せず2012年3月になって市に報告、市の方は「発表を促したが、センターが発表を遅らせた」とまるでセンターの責任にしています。 センターが隠したのも問題ですが、市が「発表を促す」のではなく「知ったらすぐ発表する」のが筋です。なんと言っても1キロ100ベクレル以上が原発の「低レベル廃棄物」ですから、その130倍の灰を無許可で取り扱っていた事実をつかんだら、役所としてはすぐ発表し必要な措置を執る必要があります。 でも、もう一つは、これまでこのようなこと(基準を超えた放射性物質で汚染されたものを隠していた)が起こったら、大騒ぎしてくれるNHK、マスコミがほとんど伝えないことです。台風情報がその一つですがNHK、マスコミ報道部の社会的責任の一つは「危険を知らせる」ということで、その「危険」とは「マスコミが決める基準」ではなく、法律、規則、学会などが決めるものです。 低レベル廃棄物の130倍という灰を出しながら隠していても、NHKが大々的に報道しないと言うことになると「法律はどうでもよい」ということですから、NHKには順法精神がないということになりNHKの受信料を払わなくてもよいことをみずから認めているのでしょう。 かなり「汚染が隠されている」と考えて警戒をした方が良いと思います。悲しいことですが、政府や自治体、農業団体・漁業団体が日本人の子供の健康を考えず、自分たちのことだけを考えている状態ではこちらも警戒をせざるを得ません。 市議会も活動しているところもあるのですが、全体としては「利益団体」となり、本当に選挙民、その中でも弱い人に目を向けていないようです。 この3つのことは、食材が相変わらず危険であるということで、その中での農水省の通達は本当に国民を向いていないという情けない事件でした(通達については次に書きます)。 「foodtdyno.62-(11:14).mp3」をダウンロード (平成24年4月22日)(宮城の蔵王と山形の蔵王を間違えていました。修正しました) 武田邦彦
2012年04月24日
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二酸化炭素(CO2)だして温暖化するのはとても大切 最近、ようやく地球の気温は長期的には「上がっている」のではなく、「下がっている」という科学的事実が報道されるようになってきました。また500年周期、11年周期の太陽活動もそろそろ下降期に入りつつあることも知られてきました。 多くの日本人(世界でも日本人だけ)が「CO2で急激に温暖化して大変だ」と錯覚していますので、この記事はあるいは唐突かも知れませんが、常に「正しいこと」に接していないと思わぬ被害を受けますので、先入観をとりあえずちょっと横において読んでください。 まずは岩上さんのユーチューブを見ていただけると若干、楽しい気分になります。 http://www.youtube.com/watch?v=rMniMcY2la8 【温暖化騒動の幻】 1988年にアメリカ農業の補助金獲得を狙って始まった「気候変動騒動」は、その後、ヨーロッパに飛び火して「地球温暖化騒動」になり、先進国が発展途上国の発展をいかに押さえるか、ロンドン市場の排出権取引でどのぐらい儲けるかに発展していきました。 最初は「農作物に被害を与える気候変動」で、それをネタに補助金を農業に回そうというアメリカ一カ国の政治問題でした。それが少しずつ拡大していったのが「地球温暖化問題」でした。 もちろん、このような動きは政治的、金銭的な動きであり、気候や環境とは関係がありませんし、私も長くこのインチキ話についてテレビなどで発信し、書籍をだしてきました。いくら何でもこのような非科学的なことが大手をふるうような社会は正常ではありません。 火種になったアメリカはその後、農業が好調になったので地球温暖化問題から脱離、ヨーロッパは排出権取引などで儲けて、今は徐々に手を引いています。その点で、この科学的ではない話にだまされたのは日本人(主として庶民)でした。 なにしろ、地球の気温は現在の温暖期が来て以来、一貫して低下しており、それはこのグラフに示すように南極の観測でハッキリと示されています。 つまり、ネアンデルタール人が絶滅した前のイリノイ氷期から現代の温暖期が来たのですが、それがそろそろ気温が下がり始め、あと数1000年でまた氷期が訪れる傾向がでてきたのです。そうなると、日本列島は夏でも厚い氷に閉ざされますから、日本という国自体がなくなってしまいます。 数1000年後の日本の風景を一応、この写真で推定してみます。一面、氷に覆われて人間はもとより小さな地下生物以外はほとんど日本にはすめません。原発の事故で「1年1ミリを1年5ミリまであげられるのは10万年に1回の事故に限る」という基準が原子量安全委員会の指導にありますが、10万年という時間はこのような状態を含んでいるのです。 CO2は温暖化ガスですから、CO2をだすと温暖化しますが、100年ぐらいの単位では効果がなく、1000年ぐらい経つと海の水も少し温度が上がって、温暖化させることができます。ここで頭を切り換えて「温暖化は悪」からとりあえず「温暖化は良いこと」と思って読んでください。 つまり100年ぐらいですと、せっかくCO2を増やしても海の水温があまり上がらないから、温暖化の効果が上がらないのですが、1000年ぐらいですと少し上がってくるからです。 今のペース、つまり100年で100PPMぐらいのCO2が増えるのがちょうど良いので、積極的に石油は石炭を使うのが望ましいとおもいます。そしてもし、CO2をだして上の写真のような氷期が来るのを少しでも遅らすことができれば、本当に良いと思います。 でも、最近の研究では、2007年頃から太陽が17世紀に起こったマンウンダー極小期と同じような不活発な状態になったようでもあり、CO2をだすのを急がなければならないでしょう。まして「低炭素社会」、「CO2排出削減」などの活動は環境を破壊する何物でもないと言われるようになるでしょう。 「tdyno.61-(6:24).mp3」をダウンロード (平成24年4月21日) 武田邦彦
2012年04月23日
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原発再開の最低条件(3)・・・非常時の備え 原発を再開するためには、第一に原発自体が安全でなくてはならず、もっとも重要なのは今まで「多重防御」と言っていたことを本当に実現することだということを示しました。 第二には、政府が国民を守るという姿勢を持つことで、今回の福島原発事故の時のように、 1) 法律で1年1ミリ、事故時は10万年規模で5ミリまでと決まっているのに、都合の良いように20ミリとか、食材の17ミリ(セシウムだけで5ミリ)などと変えてしまう、2) 土壌など1平方メートル4万ベクレル以上は移動と除染と決まっているのに、福島県の3分の1になるから知らん顔をする、 などをしたら、安全は守れません。 これは大変なことで事故の前に「事故が起こったらこうする」と決めておいて国民に「だから安全」と言っておきながら、いざ事故が起こると自分たちの都合の良いように決めると言うことですから、「安全だ」というそのものが意味が無いということを意味します。 そして第三に「非常時の備え」が必要です。もちろん豪華客船が救命ボートを備えているように人間が行うものはなんでも「非常時の備え」が必要です。原発にはそれが全くありません。今までの東大教授と官僚の論理は「非常時の備え」をすると原発が不安全と言うことになるのでやらないという不健全なものでした。 今回の大飯原発の再開問題でも、まだ「非常時の備え」はしないということですが、これでは「原発は安全」などととてもいえない状態です。非常時の備えは、 1) 原発がどのような状態になったら「危険」と判断して、地元消防に連絡するか、 2) そのときに風向きを気象庁が発表するか、 3) 地元消防に住民に正確に事態を知らせ、避難させる実力があるか、 4) 避難先、食料、水などはどこに設置しておくのか、特に乳児用のミルクの水など、5) 30ミリシーベルト程度の被曝の段階になればヨウ素剤の配布、6) 病人の移動(福島のように「自動車で逃げてください」ではダメ)、7) その他(書き切れないから) などです。原発の非常時に何を準備するのかということ自体をあまり考えていない節も見られ、電力会社がいかにいい加減な考えで原発をやっているのかがわかります。 これらのことは必ず再開までは解決しておく必要があります。福島原発の時に本当にかわいそうに思ったのは、水が汚染されて赤ちゃんに粉ミルクを溶いてあげることができず、泣く泣く、汚染された水道を使ったお母さんがおられました。 心中察するにかわいそうでなりません。お母さんは粉ミルクを溶く水が放射性物質で汚染されていること、それがどのぐらい汚染されているかもよくわからず、でも赤ちゃんはおなかをすかして泣く・・・どんなに辛かったかと思います。 こうして苦しんでいるお母さんに対して、データを公表するのを渋り、テレビは報道せず、そして「ヒステリー!」と非難するのですから、私には鬼畜生の行状に見えます。 船が沈み、溺れかかっている母子を救わない人がいるでしょうか? そんな日本と日本人だったのですが、それを教訓にして2度と再び、日本の母子を見捨てない社会を作りたいものです。 「tdyno.58-(7:36).mp3」をダウンロード (平成24年4月19日) 武田邦彦
2012年04月22日
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集団自殺を回避する方法(1)・・・誰が節電すると効果的か? 仙谷議員によると、日本が原発を止めるのは「集団自殺のようなもの」らしい。集団自殺というとかなりの人が死ぬことを意味しているが、集団自殺を回避する方法はあるのだろうか? 原発を止めると関西電力管内では夏場に10%程度の電力不足が予想されている。関西電力はこれまで原子力が40%と言っていたので、この数字の意味を少し吟味する必要があるが、ここでは「2012年の夏に関西の方で10%の電力が不足し、集団自殺に相当するような被害が出る」と仮定して、どのような対策を取れば良いかについて前向きの検討した。 まず、このグラフを見ると、夏場の電気消費量が上がり始めたのは1985年ぐらいだが、そのときの電力消費量は現在の半分ぐらいだから、1985年の生活に戻ればまったく問題が無い。それがまず電力消費を考えるときの基本だ。 10%不足という今から10年ほど前の状態だから、自分の歳が今から10年若かったとき、どんな生活をしていたかを思い出せば、その辛さもおおよそ理解できる。私の場合はすでに東京から現在、すんでいる名古屋に移っていた。たしかに今と比較するとクーラーのないところもあったし、37℃、38℃という日が続いていたが、「集団自殺しよう」と思うぐらい辛いことは無かった。 でも、仙谷議員は「個人のことを言っているのじゃない。物作りの工場が困るんだっ!」と恫喝するだろう。それではデータを見てみたい。 このグラフは夏場の電気をどのような産業が使っているかを示したものだが、なんと言ってもオフィスがダントツで、次が小売業というところだ。つまり、巨大なビルを作り、そこに本社があって社長がいることもあり、ガンガン冷やしているというのが現状である。 それでも政府やマスコミは「家庭で節電」と呼びかけるだろう。なにかやるときには「弱いものを標的に」というのがここ20年の日本の政治家、NHKのやり方だった。日本人は誠実で日本を愛しているので、協力を惜しまない。でも、それは隠された意図がある。 この場合でも家庭の節電はほとんど意味が無いことがわかるし、ものづくりの産業もあまり問題ではない。巨大なオフィスが問題なのだ。だから、オフィスのスペースを今からまとめておいて、夏場はフロアーを1階か2階を閉じれば、それだけでも大丈夫と考えられる。 もともと、日本の電力のひずみは「アメリカに比べ電気消費量が2分の1、電気代が2倍」という電力会社の放漫経営と国民犠牲にある。まずは電力消費をアメリカ並み(2倍)にして電気代を2分の1にするように政府は電力に要請するのが筋である。 ただ、電力に要請すると政治資金は来なくなるし、自分の子供を電力会社に就職させることもできなくなり、天下りしようとしている役人からもにらまれる。だから、政府もNHKも電力に言わずに国民に節電を呼びかけてきたのだ。 節約、もったいない、節電・・・個人の人生や家庭生活には大切なことだが、それを良いことに「国民は言うことを聞く」という作戦に乗るのは次世代の子供たちにツケを回すことになる。 そういえば家電リサイクルを始めようと言うときに、ある通産省の幹部が「日本人は素直だし、官が強く、業界がまとまっているから、家電リサイクルは世界で日本しかできない」と言ったことが思い出される。 今でも、家電リサイクルで回収し、国民からリサイクル代金をとってリサイクルしないで、資源もほとんど回収していない。それでもうけている割合が50%を超える。それでも国民は「良いことをしている」と思ってお金を出す。 こんなことを続けていたら日本は本当に二等国になり、子供たちは苦しむだろう。ダーウィンが言ったように「事実を見るには勇気がいる」という言葉を今こそ、大人は思い出す時期だ。 (平成24年4月19日) 武田邦彦
2012年04月22日
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原発再開の最低条件(2)・・・政府・自治体と電力の意思 北朝鮮のミサイル発射の時に、7時40分ごろ発射して爆発し、墜落した約40分後に「発射した」との発表がありましたが、すでにミサイルは落下しており、これではまったく報道の意味はありません。 一方、当然のことですが、パック3で迎撃態勢を取っていた自衛隊の部隊は、ミサイルが発射されたとともに「壕」に待避して迎撃態勢をとりました。それでこそ軍隊です。相手のミサイルが飛んでくるのに迎撃する部隊が無防備でいたら、迎撃ミサイルも撃てなくなります。 でも、自衛隊の情報を国民に伝えず、見殺しというのが政府の方針でした。「早く確認しろっ!」、「間違ったらどうするのだっ!」という自分の責任逃れの怒号が飛び交う中、自衛隊員は淡々と命令にそって行動したのです。 再開する原発が安全なこと・・・その第一条件は「政府が国民の命を守ろうとする意思があること」です。私は「日本の子供、土地、コメ」を守るのが第一と考えていますが、政府はまったくその気が無いようです。 2012年4月18日の記事によると、文科省は事故後「学校の校庭の線量率を毎時3.8マイクロシーベルトにする」としましたが、これは、1)日本の法律に1年1ミリ(内部被曝、自然放射線を考えておおよそ毎時0.08マイクロシーベルトですから、約50倍。それを外国のNPOであるICRPの基準と言うことで政府の判断をせず(日本の子供に対する影響を考えず)におこなったこと、 2)誤差を考えて3.0と通達したのに、後に3.0の場合、該当する学校が100校を超え、3.8なら40校ほどなので、3.8に戻す、という非人間的判断をしています。つまり、児童の健康より自分たちの仕事が増える方を重視したということです。 また東電は事故が起こる可能性が高まった3月11日の午後7時に地元消防に連絡していません。危険なものを扱う会社のもっとも基本的な社会的責任を放棄し、自治体も応じる体制やその義務を感じていないことは明らかです。 また、東電は事故後に法律に基づいた1平方メートル4万ベクレルの土地の除染、放射性物質で汚染されたものの引き取りなどまったくやっていません。事故が起こってもその措置をする意思のない電力会社は原発を運転することができないのは当然です。 自治体も、福島県を始め、柏市、練馬区など、法律(1年1ミリ)を大きく違反し、「1年100ミリまでOK」ということで被曝を認めてきました。 ということは、原発再開に当たっても、政府、電力、自治体は「事故が起こらない時には1年1ミリを守ると言って法律を作り、安全をアピールして、事故が起こると1年100ミリに変える」ということですから、ダブルスタンダードですから、安全を守ることはできません。 原発事故が起こると食品や小学校の庭の被曝など、多くの「暫定基準」がでました。でも「事故が起こるとなぜ日本人が被曝に対して強くなるのか」が全く説明されていません。事故の大きさに応じて被曝基準を変えるということになると、どんな原発も「安全」と言うことになります。 あれもこれも、政府や東電、自治体、東大教授など関係者が「原発はやる。でも日本人の健康は法律を守り、誠意を尽くす」としないと、何をやっても危険でしょう。 「tdyno.53-(7:15).mp3」をダウンロード(平成24年4月18日) 武田邦彦
2012年04月21日
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4大原因を考える・・・ディーゼル、核実験、レントゲン検診、そしてタバコ タバコが肺がんの原因の一つであることはまちがいありません。それは統計的なものというより、臨床的に明らかといった方が良いでしょう。だからといって、社会的に直ちにタバコを排斥しなければならないのか、そこをよく考えたいと思います。 このグラフはこの前にもだしたものですが、全体としてみればタバコを吸う人が減れば、肺がんが増えるのですから、肺がんの原因がタバコとすると、タバコをすえば肺がんにならないということになります。 科学の訓練を受けた人なら、グラフからこのような結論を出すこともそれほどおかしくないと思われるでしょう。たとえば、肺がんの原因がタバコだとしても、タバコを吸えば肺がんになるということではありません。 たとえば、交通の激しい道路に近くすんでいたり、運転手など自動車、特にディーゼルエンジンの排気ガスを多く吸う人がタバコを吸うと、「タバコだけなら問題は無いが、ディーゼルエンジンの排気ガスをある一定以上、吸い込む人はそれとの組み合わせで発症する」ということは大いにあるからです。 一方、タバコだけなら肺にある影響を与え、それが免疫的になって肺がんを防ぐが、そのような人は肺がんにならないので、病院に行かず、また肺がんでもないので肺がんの研究対象にもならないから、本当は「タバコが肺がんを防ぐ」ということが事実でもそれは表面に出ないということです。 つまり、臨床的に「肺がんになる人はタバコを吸っているが多い」ということと、タバコは禁止するべきだとは全く違うのです。少なくとも統計的に逆の関係になっていること、タバコを吸う人が5000万人もいた頃から、ずっと最近までタバコを吸って10年から30年経っても、タバコをす人の2000人に1人、あるいはタバコをすってその年に死ぬ人の20人に1人しか肺がんにならないのですから、「タバコを吸うと肺がんになる」というのは少なくとも間違っています。 ・・・・・・・・・ そこで、タバコ以外の肺がんの主要な原因について整理をしてみました。 まず、ディーゼルエンジンの規制のグラフを見ると、ものすごい速度で規制が行われて来たことがわかります。今から12年ほど前までは、kWh(エンジンがだす力)あたり0.7グラムものPM(小さい炭化してネバネバした粒)が排気ガスに含まれていたのに、今ではその70分の1の0.01グラムまで下がっているのです。 これほどの早さでディーゼルエンジンの排ガス規制が行われたのは「PMが肺がんのもとになる」とされたからです。タバコが肺がんのもとになると言う話と、ディーゼル排気ガスの話は別々に進んでいますが、もちろん統一して整理をしなければなりません。 ディーゼル排気ガスによる肺がんの発生はタバコが注目されているので、なかなか難しいのですが、肺がんの約10%と見られます。 次に、このグラフは核実験とレントゲン検診による肺がんの発生に関する論文(真鍋医師)から引用したもので、統計的にはよく整理され、わかりやすい論文です。タバコと肺がんに関する平山論文や津金報告などと違い、データを公開しているので、信用もできます。 黒い●のピークなどから、この論文では1960年代に盛んに行われた核実験で肺にプルトニウムが入った時期、結核予防法でレントゲン検診が全児童生徒に行われた時期と符合し、核実験の影響が強かった中緯度の国の動きやレントゲン検診の回数が減った時期とも符合し、白血病との相互関係も合理的に認められます。 また被曝と肺がんの関係では、2004年のランセット(世界一有名な医学雑誌)の論文で、医療被曝で日本人の発がんが3倍にも上ると報告されています。この推定もそれほどシッカリしていませんが、肺がんの平山論文などよりはずっと学術的です。 つまり、タバコが肺がんの一つの原因になるのは確かですが、これらのデータを見ると、統計的にもはっきりとした傾向の見られるものの方が肺がんへの影響は強いと考えるのが科学的には普通です。 つまり、肺がんの原因は、第一に被曝(核実験と検診)、第二にディーゼル排ガス、そして第三にタバコと考えられます。タバコの副流煙などほとんど無関係と考えられます。 福島原発以来、放射線と健康の関係に関心が集まっていますが、被曝が肺がんに強い影響があるとすると、肺がんの致死率が高いのは、肺がんになった治療段階でレントゲンの被曝をすることもあり得ますし、医療の基本からいって疑問があります。 いずれにしても「空気的事実」に重きを置かず、データを公表しないなどの誠実みのないやり方を止めて、被曝、排ガス、タバコなどの問題をよく議論する必要があると思います。 「tdyno.55-(10:08).mp3」をダウンロード (平成24年4月19日(木)) 武田邦彦
2012年04月21日
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福島原発の現状と危険性・・・4号機も冷えて大丈夫 福島原発の爆発事故から1年1ヶ月が経ったが、今でも「また爆発するのではないか」と心配している方が多い。その原因は、「4号機の燃料プールが崩落すると東京を含めた関東地方の人はすべて逃げなければならない」と警告する人がいることにもよる。 事故直後、原子力委員会が関東全域の待避が必要になる可能性もあるという報告を出していて、それが隠されていたり、今でもみんなが心配しているにに保安院の原発データは4号機のプールだけ公開されていなかったり、政府側の不親切が目立つからでもある。 原子力の専門家にはある特徴があり、「俺たちが安全だといっているのに、不安に思う連中は相手にしない」という心を持っている。でも、現実に安全だと言っていた軽水炉が爆発したのだから、「自分の知っていることは一部だ」という謙虚な気持ちが必要で、相手が不安に思っていることを丁寧に答える方がよい。 ・・・・・・・・・ 福島原発1号機は最初に水素爆発をしたが、これは原子炉の中にある燃料棒を冷やすことができなくなったので、金属が腐食(酸化)して水素が発生し、それが爆発したものだ。燃料棒は2800℃になっているので融けて、「下」に落ちている。「下」というのが原子炉内、格納容器内、もしくは床だが、どこにあってもあまり変わりは無い。 原子炉内にあれば原子炉の上から注水していて、1号機の原子炉内温度は26℃だから爆発もしないし、臨界にも達しない。原子炉の下が抜けている場合、2800℃の燃料が16センチの鉄板を抜けたのだから、そこでかなりの熱を失う。 格納容器の下にある場合、原子炉の床が抜けているのだから、原子炉に注入している水は原子炉から格納容器に抜けているので、やはりここも冷やされている。もし、格納容器の下で大きな発熱があれば、その熱は上部に上るので、原子炉内が26℃ということはない。 さらに格納容器を突き破って床(地下)に落ちていた場合、1万4000トンの水があり、沸騰していないから、その中に潜ってるだろう。すなわち1号機は問題がない。また爆発で無くなった屋根はすでに修復されている。 ・・・・・・・・・ 2号機は事故時、窓が破れたなどで水素が建物内にたまらず(ということは大気中に放射性物質がでたということだが)、建物は残っている。でも燃料は溶融して1号機と同じ状態と考えられる。 2号機の特徴は、1号機、3号機の室内の線量率が毎時数シーベルトなのに比べて、60シーベルトと格段に高く、人間が10分もいれば死んでしまう。だから、原子炉と格納容器の破壊は進んでいて、燃料が格納容器の外に出ていると考えられる。 このような状態は10万年に1度(原子力安全委員会指針では、格納容器の外に大量の放射性物質が出るのは10万年に1回という設計になっている)という設計基準になっているので、その意味では原子炉の設計をまったく間違えたと言うことができる。これだけでも原子力技術者は大きなことはいえない。原子炉内の温度は温度計があまりの高い線量で故障しているが、おおよそ60℃ぐらいと思われる。 3号機はすべてにおいて1号機と似ていて、屋根がないぐらいの違いである。クレーンで中の破壊されたものを順次、取り除いていると考えられる。炉内温度は40℃ぐらい、燃料プールは1から3号機と同じく20℃近辺である。 ・・・・・・・・・ さて4号機だが、ここには原子炉内に燃料がなく、水素爆発はしたけれど使用中に取り出した燃料と使用済み核燃料が1500本ばかりはいった燃料プールがあるだけだ。だから爆発してもそれほどの放射性物質は飛ばなかったとみえ、毎時0.5ミリシーベルトと、1号機や3号機に比べれば1000分の1、2号機とは1万分の1ほどである。 つまり4号機は原子炉内に燃料がないか、あっても静かな状態にあることは間違いない。4号機で水素が発生した形跡もないので、現在の線量率などから考えて、3号機からの水素で爆発したものと考えられる。 また、燃料プールの崩壊を防ぐために燃料プールの下につっかえ棒を設置する補強工事が終わっていて、震度4から5の地震では倒壊することはないと考えられる。最近、プールの循環冷却が不調だったが、現在(3月15日には温度が30℃以下に下がっているので、問題は無い。 プールは外部の循環によって冷却しているし、1500本という数は質が違うほどの数ではない。 ・・・・・・・・・ このように一つ一つ慎重に状態を見ていくと、普通に考えて福島原発が危険な状態にあるとは考えられない。4号機のプールが干上がっても、それで直ちに放射性物質が大量に噴出することはない。現在でも燃料棒は水の中に入っていて、原子炉容器のような圧力容器の中にあるわけではないので、いわば「むき出し」の状態だ。 だから、もし燃料棒から大量の放射性物質が漏れていたら、最初は水に溶け、それが空気中に出てくるから、0.5ミリシーベルトのような低い線量率にはならないと考えられる。また、水を失って露出したからと言ってすぐセシウムが蒸発する訳でもない。 もし大規模に崩落したら、建物の下には2万トンの汚染水があるので、それに接触するか、新たに投入される水で冷却される。もしプールに穴が空いたら、水を追加すると考えられる(現在の1号機から3号機と同じ状態になる。 もともと、日本の原発は燃料棒を抱えていてそれがプールに入っているので、どの原発も4号機と同じ危険性を持っている。4号機は建物が一部破壊されているが、他の原発も震度6以上の地震に見舞われたら同じ状態になる。 ・・・・・・・・・ 以上のことから、福島原発の危険性は低い。それにこのブログで再々、指摘しているが、核燃料の崩壊熱は500分の1程度になっているので、爆発直後から見ると注水量も100分の1以下ですむ。 むしろ、私は福島のセシウムの再飛散、連続する食材の汚染、福島の3分の1の土壌の汚染とそこに住む人たちの健康、それに瓦礫やそのほかのものの搬出、福島県から他の地方に移動した人のケアーなど、報道が伝えるべきことが多いのに、それをカモフラージュするために国民の関心を福島原発に引きつけているように感じられる。 まずは「安心してください」。それより今でも危険なのは東京の新宿以東の外部線量と、続いている食材汚染で、特に危険なのは「生活圏内の線量」や「食品汚染」をほとんど報道しないことである。 北朝鮮のミサイルの時もそうだが、ミサイルが降ってくる可能性のある「危険」な時間には報道せず、ミサイルの破片が落ちてから報道するのでは、何のためのNHKなのだろうか? (平成24年4月16日) 武田邦彦
2012年04月20日
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エネルギーはどうしたらよいの?(3) 教科書の危険な筋道 学校の先生は「誠実」でなければなりません。それは先生という職業は「他人の心、それも子供の心を左右する」仕事ですから、尊敬され、誠実でなければならないのです。医師が他人の体を傷つけ、裁判官が他人の自由を奪うように、これらの職業は「聖職」なのです。 その「誠意」とは、「みんなが言っているから」とか「常識だから」というだけでは不十分で、自分自身の魂に聞いて見なければならないからです。 今度の原発の事故がそうですが、影響の大きいことに携わる人は「まじめ」でなければなりません。この「まじめ」とは「間違っていることはわかっていても、社会がそう言っているから」とか「空気の通りしておけば無難だ」というのではなく、「自分の専門性から考えて何が正しいか」という魂が必要です。 ・・・・・・・・・ 今の教科書を見ると、エネルギーや電力のことは、「石油・石炭は近いうちになくなる」→「それに石油石炭を焚くとCO2がでて地球が温暖化する」→「温暖化すると南極の氷がとけてツバルが沈む」→「だから節約して、原発か自然エネルギーにしなければならない」→「もともと節約は大切なことだ」という筋道で仕上がっています。 この説明の中で、「アメリカや中国は脱石油も脱石炭もしていない」、「CO2の削減(1997年の京都会議の時を基準にしてマイナス)をしているのは世界で日本だけ」、「温暖化すると南極の氷は増える」、「ツバルの海水面は9センチ下がっている」、「アメリカ人一人あたりの消費電力は日本人の2倍で、電気料金は2分の1」、「節約は個人生活での道徳であり、科学とは違う」というような重要なことは一切、触れられていません。 「お上はそう考えている。君たちもお上に従え」と言っているのが教科書です。戦前、戦争を賛美した教科書を批判した人たち、今の政府の要人になっている日教組の人たちは何が信念なのでしょうか? 社会が利権にまみれていても、子供たちは未来の日本を作る人たちです。その人たちが自分でデータを検討せず、自分で考えず、お上の言うことをそのまま子供たちに伝える現状はきわめて危険です。 私は教育を担当している人が、もう一度、自分が子供たちに伝えているのは、世界でも特異な空気的合意をしている日本社会だけの「空気的事実」ではないか? まずは「世界の動き」、そして第二に「科学的事実」を子供たちに伝えるという魂を持ってもらいたいと思います。 「節約」は大切ですが、それは「事実」や「科学」とは違い、普通の女性を「魔女」として火あぶりにした時代の考えです。節約は人生を豊かにし、幸福にしてくれますが、それと石油が足りないとか、CO2で温暖化すると言うこととは違うのです。 また、アメリカ人が2倍の電気を使っているという事実は、節約とは関係がありません。日本の電力会社が地方独占で放漫経営を続け、その結果、福島原発を爆発させ、電気代を2倍にしていたと言うことだけなのです。 「節電は良いことだ」と子供に教え、その基本は「東電を手助けする」のではどうにもなりません。なぜ、日本人だけはCO2を削減して、節電しなければならないのか、節電は良いことでも、なぜ自分の自由意思ではなく、強制されるのか、それを考えてもらいたいと思います。 もしこのブログをお読みの方の中に学校の先生がおられたら、「思想」を重んじるばかりに子供たちに「間違った科学」や「間違った事実」をお教えていないかをもう一度、振り返ってもらいたいと思います。 かつて「北極の氷が融けて海水面があがる」という報道があり、それをそのまま教えていた先生がおられました。環境省は後に「北極というのは北極圏のことであり、北極圏にはシベリアも含む」という意味の無いいいわけをしていましたが、テレビでは北極海の氷が融けてシロクマが右往左往している映像が出ていました。 もちろん、アルキメデスの原理があるのですから、海に浮かんだ氷が融けても海水面は上がりません。もし北極の氷のことを社会科で教えていたら、理科と社会科で異なることを教えていたことになり、大きな問題です。 「紙のリサイクルをすると森林を守ることができる」とか「森はCO2を吸収する」でも理科と社会で違うことを教えていました。理科では光合成の原理を教えるので、森はCO2を吸収しませんが、社会では大人の間違いをそのまま子供に教えていたと言うことです。 エネルギー問題ついて国民の選択が大切なのに、教科書で事実と異なることをこれほど長い間教え続けていると言うことに対し、教科書を執筆したり審査したりする先生、それを使って教える先生は「国が正しいのだから」というのを捨てて、新しい憲法の下、教育の自主性を発揮してもらいたいと思います。「educationtdyno.39-(10:16).mp3」をダウンロード (平成24年4月13日(金)) 武田邦彦
2012年04月20日
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政治家は原発の安全性を判断できない・・・技術系の誰が安全性を確認したのか? 経産大臣に「原発の安全性」を聞いても無意味です。経産大臣は高度な原発の安全性の知識がないので、その人に聞いてもだめです。微分方程式が解けない人に微分方程式を聞いたり、経産大臣が設計した原発など危なくて運転できないからです。 4月13日、経産大臣が「大飯原発の安全性を確認した」と言ったことについて、日本の原発の技術者、報道機関、識者が「論理的におかしい。お殿様ではないのだから、そんな判断は経産大臣はできない」という人が現れないのが不思議です。 安全性: 原発を熟知している技術者が判断し、その判断の書類に署名する 政府 : 判断された安全性、危険性が日本社会に要因されるかを政治判断する ということです。これほど簡単な論理が通らないのでは、とうてい、原発のような危険な装置を動かす能力が日本社会にないと考えざるを得ません。またここで言う技術者は保安院や電力会社の人はダメです。「推進機関の人は安全性を判断してはいけない」と決まっているからです。 よくわかる話ではないかと思いますが、開発した航空機がどのぐらいの確率で墜落するのかは、設計者かその程度の知識が無いとわかりません。わからないものはわからないので、それで政治家の素質がどうのということではないのは当然です。 どうも、今の民主党の人は知事さんの中には当選したら殿様気分になる人が多かったり、当選するまでに言っていたことをすぐ捨てる人がおられるようです。私たち選挙民に人を見る力が無かったような気もします。 「tdyno.25-(4:59).mp3」をダウンロード (平成24年4月13日) 武田邦彦
2012年04月19日
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原発再開の最低条件(1)・・・「多重防御」を守ること 枝野経産大臣が「100メートルの津波がきたら、日本中の原発はすべて爆発する」ということを記者会見で言いましたが、これはこれまでの原発の安全性を保証する考えかとはまったく違うものです。 原子力安全委員会は直ちにステートメントを発して、経産大臣の発言の撤回を求めなければなりません。原子力安全委員会は内閣府に所属し他の省庁の干渉を受けないようになっています。それはこのような時(経産大臣が日本の原発の安全について無知、あるいは政治的に虚偽を言ったとき)に、対抗することができるためです。 日本の原発の安全性を保証するための主力の思想は、1)固有安全性、2)多重防御、3)事故確率と被曝限度、の3つでした。事故が起こってみると、4)救命ボートのシステム、など足りなかったこともわかってきましたが、少なくとも1)から3)は日本の原発の安全性を保つ最も大切な考え方です。 この3つの中で福島原発の事故の直接的な原因となったのは2)、つまり「多重防護で原発の安全を守る」というのはウソだったことがわかったのです。 原発を運転すればいろいろなことが起こります。地震や津波ばかりではなく、洪水からテロまであらゆる自然災害、人間が行うことを考えなければなりません。でも、人間が推定できることには限りがあるので、「これがだめなら、あれ」ということです。 つまり、日本をおそった津波は最高で40メートルとします。でもこれからも40メートルが最高かどうかはわかりません。そこで、「津波が防潮堤を越えてきたら、どうするか」というのが2重防護です。 また、多重防護を専門的に言うと、「原子力発電所の安全確保の考え方は、「多重防護」を基本としている。「多重防護」とは、「異常の発生の防止」、「異常の拡大及び事故への発展の防止」及び「周辺環境への放射性物質の放出防止」を図ることにより周辺住民の放射線被ばくを防止することである。」ということで、「原子力基礎用語辞典」に書かれているぐらい初歩的なことです。 たとえば津波については、まず「異常の発生の防止」・・・防潮堤を高くする、もし防潮堤を越えてきてもモーターや非常用発電機などは高いところにある・・・などです。 次に「異常の拡大および事故への発展の防止」ですから、津波で原子炉や電気系統が打撃を受けても、それが爆発につながらない防止の装置が必要です。それも大飯原発にありません。 最後に「周辺環境への放射性物質の放出防止」ですから、原発自身を大きなドームで囲ったり、爆発の時に素早く放射性物質の微粒子を吸い取るなどです。 ・・・・・・・・・ このようなことからわかるのは、現在の日本の原発は、「多重防護」であると言いながら、実はそれは国民を欺くトリックで、実際には「防潮堤だけ」という状態であることがわかります。そして、それを経産大臣が口にしたということを意味しています。 経産大臣の「100メートルの津波が来たら日本の原発は全部、爆発する」という発言は、「多重防護になっていないから、日本の原発を全部止める」という意味かも知れません。実に不見識な会見でした。 ここで、原子力技術者の方に呼びかけたいと思います。私たちは国民から多くの税金をもらい、原発の技術の開発をさせてもらいました。しかし、福島原発が爆発してみると技術的に大きな欠陥が複数あることがわかりました。 この時点で、技術者として「多重防護」をあきらめるのか、それで安全システムを作ることができるのか、災害の推定の誤差はどの程度か、技術的にじっくり考えていただき、自らの見解を整理して発表してもらいたいと思います。 安全は「政治」の問題ではありません。原子力技術者はこれまで2つのことを国民に約束してきました。一つが「原発は安全だ」ということ、二つ目は「1年1ミリシーベルト以上の被曝はしない」ということです。 この約束は間違っていたのです。原子力技術者はもっと声を上げてください。 (平成24年4月11日)「tdyno.24-(8:54).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年04月18日
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公開の意欲を報道機関が・・・NHKの平均賃金:1670万円?! マスコミの人が集まったパーティーにかつて出たことがある。その席で挨拶に立ったNHKの部長が「報道車を6台、入れ替えることになったので、もし欲しい人がいたら・・」と発言した。横にいた民放の部長が「いい気なもんだな」とボソッと言っていた。 なにしろ、NHKは何を放送しても、誰も見ていなくても受信料だけは取り立てることができるという奇妙な会社がこの世にあること自体、不思議なのだから、このぐらいの無駄はあるだろう。 ところで、最近、NHKの職員の平均給与が1670万円というデータが出てきた。真偽のほどはわからないが、誰も見ていなくても受信料を取るというシステムなのだから、このような疑い(NHKが日本社会の平均と比べて法外の給料をもらっているという疑い)がでた時に、個人別でなくてもよいから「平均給与」ぐらいは公開しなければならない。 ・・・・・・・・・ ところで「悪法も法なり」だから、NHKの受信料を支払わない方法はないと思っていたら、先日、よく知った人に聞いたら、NHKの受信料は「受信できる設備を設置した人とNHKが契約する」ということなので、合法的には払いたくない人から受信料をとることはできないということだった。 まず、受信できる設備を設置しているかどうかは家の中に入らないとわからない。NHKの人は家の中に入る権限がない(入れば家宅侵入罪)ので、設備(テレビ)を確認できない。 第二に、「契約」は双方の同意が必要だから、庶民がいやだと言っているのを強制できないということだ。つまり、NHKの受信料を払わないことができるように法律ができていて、それを勝手にNHKが「払わなければいけない」と言っているに過ぎない。 それにしても、「NHKが映らないテレビ」が販売されていないのが不思議だ。NHKの受信料は割引も入れて1年に15000円だから、NHKを見ない人は「NHKが映らないテレビ」を買うと、毎年15000円のお金を払わなくてもよい。 つまり、たとえば6万円のテレビを買っても、4年で元が取れてタダ(ゼロ円)のテレビになるということだ。 こんなに良いのに、どの電気会社もNHKが映らないテレビを販売しないのは、「闇」があるからだろう。日本は自由な意思で人生を送れるはずなのに、闇だらけだ。 ・・・・・・・・・ ところで「視聴者が減るとNHKが維持できない」というのは完全なウソである。実はかつてラジオ、またテレビが普及していない頃、受信料は30%ぐらいの家庭からしか徴収できなかった。 テレビ放送というのは、「受信者が増えたから設備が必要だ」ということがない特殊な商売である。普通、たとえばパン屋さんは、パンが30ヶが売れるときと100ヶ売れるときとでは、原料も設備も3倍必要だ。 ところが「電波を出す商売」は相手(受信者)がテレビの電気代を払うので、「出しっ放し」である。本当は普及率が30%から100%になった時に受信料を3分の1にするのが正しかったが、事実はインマイポケットしてしまったということである。 NHKは受信者が減っても同じだけの電波を出しているので、お客さんの数にはよらないという特徴がある。だから、「NHKの受信者が減ったらNHKがつぶれるのでNHKが映らないテレビ」は作らなかったというのもウソだろう。 ところで、NHKのように「何を放送しても収益に関係がない」、「つまらなくても見ていることにする」などという不健全なシステムを長く続けて、NHKという組織が健全であるはずはない。私は地球温暖化の虚偽報道(北極の氷、南極の氷、ツバルなど)のあと、NHKのニュースや解説は「ドラマ」だとして見ている。 今日の北朝鮮のミサイル情報もNHKにはいつ情報が入り、いつ最初の報道をしたのか明らかにして欲しい。つまりNHKは特に危険を知らせる報道について民放ができない早い報道をしうるのか、それでもなければNHKの受信料の意味が無いからだ。 (平成24年4月10日(火))「tdyno.23-(9:00).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年04月17日
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北朝鮮のミサイル・・・国民の安全より誤報の責任を怖がる 北朝鮮が2012年4月13日7時42分頃、北朝鮮からミサイル(人工衛星用)の発射があり、1分程度飛行して洋上に落下したとの情報が得られた。 しかし、この情報が国民に提供されたのは、実に1時間ほど経った後だった。防衛大臣の記者会見は「日本には影響がない」というもので、事実の報道はほとんど無かった。 その直後にNHKは解説者は「発表は国民がパニックにならないように」という注釈をつけた。さらに発射後、初めての記者会見で藤村官房長官が「国民におかれましては」という言葉を使ったことが虚言に聞こえた。国民が主人なら情報が入った直後、つまり7時45分頃には第一報を出せたと考えられるからだ。 7時40分頃、SEW(早期警戒衛星)で発射の熱源を認め、発射方向は南、発射後、数ヶに分かれたということがわかっていた。イージス艦などのレーダーもとらえていた。 後に報じられた宮古島からの報道では、J-ARART(早期警戒通報)はなにも伝えず、宮古島の人は結局30分ぐらい後のテレビで落下を知ったという。ここでも政府かどこかの機関が、福島原発と同じ細工をして国民の危険を知らせなかったのだろう。 ・・・・・・・・・ 「政府、報道」とはいったい何だろうか? 「パニックに陥る」というのは何だろうか? すでに日本国民は阪神淡路大震災、東北大震災を経験しパニックにならない民族として世界的な評価を受けている。パニックになるのは政府の方だ。 かつて大東亜戦争の時、アメリカ軍のB29がサイパンを出撃したら、「できるだけ早く出撃を感知し、できるだけ早く国民に知らせる」ことが空襲の損害を減らす第一の方法だった。 当然である。空襲で被害を受けるのは国民であり、その国民に一刻も早く情報を伝えるのが政府や報道の役割で、B29が空襲を終わったことを「確認して」から伝えても何の役にも立たない。 その意味で、今回の北朝鮮のミサイルに対する「防衛」はパック3の迎撃ミサイルだけが報道されていたが、ミサイルを撃って何分後にその情報を流せたのか、もし途中で墜落するのだったら発射後、何分後なのか、それに対して沖縄の人は「何に」注意をしなければならないのか? このことはあまり報道されていなかった。 このことは原発再開とも深く関係している。まず第一に原発事故や迎撃することが大切だが、もしそれが起こったときにどのようにして被害を最小限にできるかが問題である。今回のミサイルでも、何秒後に感知し、何秒後に国民に知らせ、破片が宮古島に落ちるのは何分後、もし弾道が外れたらどの範囲が警戒しなければならないのか、ほとんど広報や報道はなかった。 何のための報道か?と今回もまた思い知らされた。特に受信料を払っていて他の民放とは違う報道が必要(だからこそ受信料を払っている)なNHKは情報がなぜ入手できなかったのか、詳細に報道する必要がある。「tdyno.22-(7:17).mp3」をダウンロード (平成24年4月13日) 武田邦彦
2012年04月17日
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速報 福島4号機の冷却不能について(16時回復、19時地震あり) この記事を書いた後、4月13日16時に冷却は復旧しましたが、その後、すぐ地震がありました。気をつけてウオッチします。福島原発4号機の冷却が不能になっています。読者の方が電話でお聞きになったデータを知ることができました。それによると、 4月12日11時 プールの温度28℃ 4月13日11時 プールの温度40℃ 発熱量と水の量は変わっていないと考えられますので、温度の上昇は24時間で12℃のペースで進むと思います。100℃を超えると沸騰し始め、数時間から数10時間以内に燃料棒の頭部が空気中に出ると考えられます。 私は4号機の燃料は使用済み燃料で、すでに崩壊熱が運転中に対して500分の1ぐらいになっていると思いますが、あまり正確な報道がないのでご心配の方のために避難のタイミングを示します。 4月14日11時 予想されるプールの温度 52℃ 4月15日11時 予想されるプールの温度 64℃ 4月16日11時 76℃ 4月17日11時 88℃ 4月18日11時 96℃ 従って、4月17日まで様子を見て、そのときの温度が90℃付近に達していたら、4号機が危ないと考えている方は逃げる準備も必要となります。 私は第一に「データと情報、考え方を提供し、個人個人が具体的にどうするかは、個人が考える」としています。私自身は4号機のプールが沸騰し初めても直ちに危険は来ないと思っています。 しかし、危険を感じている人については、データの提供をします。また、逃げるかどうか迷っている人や判断が難しい人は、「4月17日頃、再度、ブログをだして、私の見解を示します。それに注意してください」と言うことしか今はわかりません。 (平成24年4月13日) 武田邦彦
2012年04月16日
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なぜ、年金は崩壊するのか(3)・・・インフレが来たら終わり(2) 現在の制度のように、20歳から国民が年金を納め、国や企業がその一部を負担し(結局、これも国民)、65歳から受け取るという制度では、二つの大きな「だまし」とも言うべき欠陥があります。 第一に、この45年間に一回でもインフレが来たら、それまで貯めてきた年金が無に帰するということです。現実に、これまで40年間、積み立ててきた年金がどうなったかを10年ほど前に計算した例を示します。 この例では1965年の時に20歳だった人が2005年に60歳まで年金積み立ての指示に従って積み立てた場合、合計で303万円の原資(積立総額)になることを示しています。20歳から30歳までの積立額が4万円。次の30歳代の10年で43万円・・・となっています。 そして50歳になったときの総積立額が約150万円で、最終的にその2倍の約300万円になっています。なぜ、40年間も積み立てているのに、最後の10年で半分(150万円)を積み立てるようになってしまったか?それは「じわじわ進むインフレ」が原因しています。 戦後の日本では、戦後すぐに大きなインフレがあり、さらに高度成長の時にインフレに見舞われましたが、そのほかでも「景気の良いとき」はインフレになっていました。デフレ傾向になったのは1995年から後で、そのときには景気が悪く金利も小さく、今度は「運用益」がマイナスになったりしています。 人の一生は一度しかありません。その間に、インフレが一度来るとそれまでため続けてきた苦労は水の泡になります。それも貧乏な20歳代、結婚して少しでもお金が必要な30歳代に積み立てた分は「無いも等しい」と言うことになるのです。 ・・・・・・・・・ ところでここに大きなトリックがあります。1960年代にやっとの思いで10万円ぐらいの年金を積み立てた人は大変な思いをしました。私が1966年に会社に入ったのですが、そのときの初任給はおおよそ2万円ほどでした。だから10年で10万円といっても1ヶ月1千円ですからかなりの金額です。 ところがこれでも困らない人がいます。それは「社保庁のお役人」でした。社保庁のお役人は「他人が40年後にもらうお金」を「その年ごとに給料として受け取る」ということができます。つまり40年前にみんなの給料が2万円の時に、「先に40年後の年金をもらってしまう」ということです。 お金の価値は時代とともに変わるので、その年、その年で受け取った方が得になります。それを社保庁のお役人が取ったのです。これが第一のトリックでした。 当時、まだ日本経済は成長していましたので、運用益5.5%だから年金は時代とともに増やすことができると言っていましたが、これにもトリックがあります。確かに単純な物価上昇は1年あたり4.3%でしたから、5.5%の運用益なら、そこから社保庁のお役人の給料などを差し引いても物価上昇分だけは確保できそうです。 でも、そうではないのです。たとえば40年前はテレビが珍しく、それも白黒でした。自動車も1000CCぐらいが普通で、とうてい2000ccの車など買えませんでした。つまり「生活は向上する」という比率が1年に3.2%だけあるので、これを合計すると、7.6% の利回りがないと「目減り」していくのです。 さらに、人間は若い頃は寒いのも我慢できますし、脚も丈夫なので坂も歩けます。だから年をとっても若い頃と同じというとかなり辛い人生になります。そこで、「歳なりに同じような生活」ということを考えると、それが1年に2.3%になります。つまり「人間は歳を取る」ということを考えるとそうなるのです。 これらをすべて考えると.9.9%になる。単純な計算をすると、40年間9.9%と、40年間5.5%を比較すると、1.099の40乗と、1.055の40乗の比率だから、0.20、つまり年金は40年間で5分の1になってしまうということを示している。 社保庁のお役人はこの物価上昇、社会環境の変化、自分の年齢変化の3つの被害を受けずに、その年、その年で精算して給料をもらっているのに、年金を拠出した人は5分の1に減った年金を受け取るということになるのだ。 これが私が「その年型」しか解決策がなく、かつ誰がお金を出しているのかが見えるので、日本文化を踏襲する意味でも唯一の年金解決策と考える理由である。 (平成24年4月10日)「pension2shahotdyno.20-(7:18).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年04月15日
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簡単で深刻: 1年にレントゲン400回・・・よく納得できますね 瓦礫の議論も同じですし、福島の子供たちに「1年20ミリまでOK」と文科省が言ったときに日本の大人はほぼ納得しました。心配したのはお母さんぐらいで、心配するお母さんを「ヒステリー」と読んだ「大丈夫おじさん」も多かったようです。 普通の人は1年20ミリと言われても、すぐにどのぐらいかわからないものです。最近、スピーディが千葉の線量から福島原発では1日に10兆ベクレルの放射性物質が漏洩しているという予想があったことが公開され、びっくりしたのですが、そのときにある人が私に「10兆でも、10億と言われても、わからないので、どっちもびっくりする」と言われました。 2ミリでも20ミリでも、また10兆でも10億でもこれまで放射線を扱っていなかった人が正確に理解することができないのは当然です。だから専門家は数字だけを言うのではなく、「茨城から千葉までの地域は強制移住に相当する汚染だという意味です。1平方メートルあたり4万ベクレル以上では除染が必要ですが、10兆ベクレルというのはおおよそその2倍です。」とその意味を付け加えておかなければなりません。 ところで、1年20ミリの場合は、私なら「1年20ミリというのは、現在、1回の胸のレントゲンが約0.05ミリですから、1年に胸のレントゲンを400回も撮ることに相当します。また、胸のレントゲンの時には胸だけX線が当たるようにして、腹部は保護しますから、実質的には400回以上になります。また女児はおなかに卵子を持っていて、それは一生変わらないので、より厳しいといえます」と言ったでしょう。 もし文科省が正直に誠実にこのように言ったら、1年20ミリを支持する国民はそれほど多かったとは思いません。また「20ミリなど大丈夫だ。母親はヒステリーだ」という大丈夫おじさんは登場したでしょうか? 今では「国が国民の健康を守るはずもない」と考えている人が多いのですが、本来は国は国民の健康や安全を守るのがその第一の仕事です。 【納得性の問題】 私が今度の原発の事故での被曝問題、それは今でも続いているのですが、あまりにこれまで言ってきたことと違うので、科学的には正しいか間違っているかは別にして、多くの人に納得性が無いと思うのです。それをなぜあれほど早く大人、特に男性の大人が納得してしまったのか、今度何かの機会があったら聞きたいと思います。 つまり、1年に400回のレントゲンを「大丈夫だ」という人はなかなかいないと思います。もしかすると1年100ミリでも大丈夫という医師のように、学問的には大丈夫としても(私はそうは思っていませんが)、一気に1年に2000回のレントゲンでも大丈夫といわれても、毎日6回ずつこどもにレントゲンを撮らせる親がいるでしょうか? 病院で医師がレントゲンを撮るときに、患者をセットすると別の部屋に行って、被爆を避けながらスイッチを押しています。そのぐらい気をつけているのを日常的に見ているのですから、1年400回の旨のレントゲンをすんなりと受け入れてしまった日本の父親がどうしても理解できないのです。 私にはむしろ1年に400回の胸のレントゲンというのにびっくりして、心配になる母親の方が日本のお母さんらしく、それでこそ日本の乳児死亡率が世界一低いということになっている理由と思います。もっとも、「減税すると言っては増税」というような正反対のことも受け入れそうな国民ですから、そのぐらいは納得するのかも知れません。 10年ぐらい前「安全・安心」という言葉が流行し、この研究に多くの補助金が出た頃、知識人の多くが「安全か科学的なものだが、人間は心の動物だから安心が大切だ」といって多くの研究費を取っていきました。その人たちは今度の1年400回のレントゲンをどのように聞いたのでしょうか? こんな状態で「瓦礫を引き受けないのは人の心を知らない」とか「絆の歌」などよく言ったり、やったりできると感心してしまいます。少しは心が痛まないのでしょうか? (平成24年4月8日)「20mmtdyno.14-(6:14).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年04月15日
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軽い話題:「素直に納得できること」の危険性・・・親が子供にできる教育 科学、それも基礎科学を長くやっていると、自分の判断力や自分が正しいと思っていることがいかにいい加減なものか、たたき込まれます。そんなことは当たり前と言えば当たり前で、科学の研究は「今、正しいと考えられていることを覆す」のが主たる仕事ですから、自分が判断したり正しいと思ったことが間違っている方がむしろ研究の意味があるので、良いのです。 でも、このようなことは科学ばかりではなく、日常的な生活の中にも多く見られます。その一つが家庭の教育です。「家庭の教育が子供の人格に影響を及ぼす」と言うことはかなり頻繁に言われていて、多くの人がそれを信じています。 特に小さい子供を育てているお母さんは、一所懸命、子供を立派にしようとして怒りすぎたり、褒めすぎたりして失敗し、悔やむことが多いようです。確かに「親の教育が子供に大きな影響を与える」というのはわかりやすい話ですが、最近の研究ではどうもそうでもないようなのです。 犯罪などの社会的な問題を起こした人や、反対に社会的に尊敬されるようになった人の小さい頃の家庭教育との関係を調べた研究を見ると、最近の研究になるに従って、子供の正確に及ぼす親の教育の影響がかなり小さいと指摘されています。その子供の人格を決めるのは、一にも二にも遺伝的影響が強く、それも小さいときばかりではなく、その人の全人生に大きな影響を与えるようです。 どうやら、親の責任は「良い環境を作ること」、「何か習慣として身につくことをさせること」ぐらいしかなく、「良い人柄にする」などの人格に影響のあることは、親の教育と言うより遺伝的素質や、その子供を取り巻く全体の環境によるもののようです。 つまり小さい頃、よく本を読んであげたとか、スポーツする習慣をつけさせたというような具体的なことは身につくのですが、性格自体はなかなか家庭環境や学校の教育では変えられないということです。 「子供の性質は親の責任」というような誤解が蔓延するのは、それがわかりやすい話であることと、教育関係者にとっては「教育は意味がある」と言うことはとても聞きやすいことであり、その方向の話を多くの人が同意しやすいと言うことのようです。教育関係者がどのぐらい「損得勘定」を旨に持っているかは別にして、自分の職業の影響を大きく見積もりたいというのは自然の勢いです。 つまりここでも「空気的事実」がいつの間にか常識になっている傾向があります。 また、「遺伝的気質が多くの正確を支配する」という結論はあまりにも夢がなく、がっかりしてしまいます。つまり「教育で改善される」というのは多くの人の希望であり、「遺伝だけ」とすると夢も希望もなくなると言うことでも空気的事実が形成されやすいのでしょう。 最近の研究によると、遺伝的影響は歳を取るとともにむしろ強くなっているという報告もあります。「考えやすい方」は「小さい頃は遺伝的気質が強く影響し、経験を積むとともに大脳の影響が増え、遺伝的影響は小さくなる」と考えがちですが、そうではない、反対だ。むしろ80歳ぐらいになってもまだ遺伝的影響が増えているというのです。 一度、そういう結論が得られると、「その通りだ。遺伝子の活動は、遺伝子にどのように指令があると言うだけではなく、その遺伝的影響が出るためにはスイッチが入らなければならない。だから歳を取ってスイッチが入るものが多ければ、不思議では無い」などという解説をつけられると、今度はそっちが本当になってしまいます。 人間は直感的に「これだ!」と思うことがありますが、私のような科学者で長い間自分の直感が間違っていて痛い目に遭っている人から見ると、人間の直感ほど当てにならないものは無いと思ってもいます。 (平成24年4月8日(日))「educationtdyno.13-(5:11).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年04月14日
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愛知県、交通違反の検挙を全廃か?・・・園児1400ベクレル・瓦礫搬入と続く 愛知県の幼稚園の給食に、1キロ1400ベクレルの椎茸を使っていたことがわかった。これは、政府が決めたいい加減な規制値の14倍、本来、幼児に食べさせて良い法律で決まっている濃度の32倍である。 まもなく担当者が逮捕されると思ったら、愛知県は「1月しか食べていない。食べた量がわずかなので、健康に影響はない」という趣旨で取り締まらないことを発表した。例によって愛知県も「足し算」ができないから、園児は、空気もすわず、お米も食べず、遊びもせず、鉛の服を着て外部線量もゼロ、として計算している。 愛知県は園児(私たちの宝)に放射性物質を食べさせても、規制値や法律に反しても「実質的に悪いことが起こらなければ良い」という基本方針を出した。瓦礫引き受けに次ぐ、「法治県の放棄」を宣言したものと考えられる。 どんな規制値を破っても「そのたびに実質的に被害がでなければ取り締まらない」と決めたのだから、これは現代日本の規制行政に大きな影響を与えるだろう。 ・・・・・・・・・ 愛知県警は直ちに「交通取り締まりの中止」を決めるか、または知事が命令するだろう。これまでは、交通違反の取り締まりは「事故が起こる前」に「道路交通法」に基づいて行われていた。制限速度50キロの道路を80キロで走って事故を起こさなくても白バイに捕まった。 でも、2012年4月からは違う方針が出たらしい。制限速度をいくら超えていても、「たまに80キロで走っても危険ではない。事実、私も歩行者も損害を受けていない。」といえばもちろん無罪放免だ。 愛知県は規則で取り締まることをやめて、実質的に事故が起こったときに取り締まる方針に変えたのだし、憲法の法の下の平等を守るのだから、取り締まることはできない。 速度違反だけではない。家宅侵入罪で逮捕されそうになったら、「家に入ってもたまたま家人がいなかったので、何も問題はなかった。靴を脱いで入ったので汚してもいない。愛知県は法律や規則を破っても、実質的に損害を与えていないなら取り締まらないとしたではないか」と言えば良い。 これまでなら「規制値」というのはそれを超えて「何かが起こった」ときに問題ではなく、「規制値を超えること自体で罪になる」というのが日本社会の常識だった。愛知県はそれにくさびを打ったのだから、すごい!! ・・・・・・・・・ それにしてもかわいそうなのは愛知県の園児だ。おそらく園児自身は新聞も読めないし、知事に文句も言えないだろう。ひたすら大人を信じてセシウム入りの椎茸を頬張ったに相違ない。かわいそうに・・・ 東電や政府は強いから文句も言わず、弱いものならどこまでもいじめる・・・そんな愛知県に住みたくない。おそらく責任者は「すみません」と言い、規制担当者(生活衛生課)は「違反しても大丈夫」と言うだろう。大丈夫なら何で規制があるのか! いくら大人が頭を下げても、食べたものを子供がはき戻すことはできない。 東京都の医師からの情報によると、原発事故前はほとんど見られなかった徐脈性不整脈や内科的に異常所見が無く全身倦怠感を感じている子供が増えているという。愛知県の職員がなぜ「法律に違反している放射性物質を食べて」、自分の判断で「安全だ」といえるのか? それも子供は椎茸だけを食べているのではない。 大人は私たちを信じている子供をもっと真剣になって考えてあげなければ大人ではない。 「aichitdyno.19-(5:51).mp3」をダウンロード (平成24年4月9日) 武田邦彦
2012年04月13日
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北朝鮮のミサイルと人工衛星 北朝鮮が人工衛星を打ち上げるためにミサイルを発射する。テレビではそれに備えて東京の市ヶ谷を始めとした自衛隊のパック3邀撃ミサイルの配備を報じていた。そして誰もが「北朝鮮はけしからん。でも万が一のことを考えてしっかり防衛して欲しい」という論調だった。 この重要なときに防衛大臣は姿が見えない。大臣に就任して以来、国会での答弁などを見た多くの人がびっくりしてしまった。こんな人が国会議員?!こんな人が大臣?!こんな人が有事の時には直ちに判断を求められる防衛大臣?!と思っただろう。 ・・・・・・・・・いろいろなことが頭を巡る・・・・・・・・・ 今から15年ほど前のことだったが、機械学会で学会発表の範囲に関する「倫理委員会」があった。その頃、私は機械学会に所属していて倫理委員の一人だった。社会は「倫理」に目覚め、企業ではCSRなどという言葉が聞かれるようになった時代だ。私は科学や工学の倫理を研究していたので、倫理委員になっていた。 話題は福岡で数年前に行われた機械学会で自衛隊で機会学会員の研究者が機関銃の部品についての発表の申し込みをして、発表を断られたと言うことについて、機械学会の倫理規定に「機械学会での発表は平和目的に限定する」という項目を入れるかどうかの審議だった。 座長は東大の教授、そこにいる10名ほどの委員のほとんど全部が「平和目的に限る」という条項を入れることに賛成だった。私は一人反対で「もし北朝鮮が先週はミサイルを仙台に撃ち込んで2000人が死に、今週は宇都宮が標的になって200人が亡くなり、来週は東京に落下させると発表しても、防衛も攻撃もしませんか? 平和の時の平和主義では意味がありません。また武器はアメリカから買えば良いというのは倫理的には日本で作るのと同じだ。私は「軍」というのは「平和」のために存在するのだから、機関銃が軍事目的というのは平和目的と同じだ」と論陣を張った。 場の雰囲気は逆転し、機械学会では倫理規定に軍事研究の禁止を入れなかった。今はどうなっているかわからない。でもその頃(平和だった頃)日本社会には「軍隊は要らない」という人が多く、特に知識人と言われる人は「再軍備反対、軍隊反対」であった。 でも、今朝のニュースを見ていると、また無責任な話だと15年前のことを思い出したものである。日本社会が平和といている間はミサイルの研究を禁止しようとし、北朝鮮がミサイルを飛ばそうとするとパック3を配備することを喜ぶ。アメリカが迎撃ミサイルを供与してくれなかったら、日本が自分で作るだろう。 社会に向かって自分の意見を言ったり、委員会で指導的な立場に立つと言うことはその人に見識があり、一定の考え方に基づいて、しっかりとその論拠を述べられなければならない。機械学会の倫理委員会の委員だから社会的には立派な人だけだったが、それでも「社会の空気の通りにやれば無難だ。事情が変われば変わったで変身すれば良い」と言うのでは情けない。 ・・・・・・・・・ もう一つは防衛大臣のことである。彼は新人議員ではない。国会議員になってかなりの年限を経ている。彼は選挙で選ばれてきていて、選挙民は日本国民である。また選挙民はその議員が大臣になってはいけない人だとは考えていない。つまり、彼が大臣としてふさわしくないというのを選挙民に聞かなければわからないと私は思う。 選挙民は数10年のつきあい、よく彼を知っていて、国会議員に選出している。それがわずか数週間の国会の答弁で「大臣の資格がない」と言うことはいくら何でも選挙を馬鹿にしている。議員は選挙民の代表であって、議員が議員だけで独立しているのではない。 防衛大臣がこの重要なときに姿を見せないことについて、現在の報道レベルのことでかたづけず、選挙民は積極的に前に出て、防衛大臣が立派な人であることを強調すべきだ。そうでなければ選挙自体、民主主義自体が損なわれ、都知事の「黙れっ!」や、宮城県知事の「宮城の人は数字がわからない」などと選挙民より知事が偉いという封建時代に戻ってしまう。 国会論戦の場では防衛大臣は、失礼だが猿回しの猿のような感じがした。でもこれは良いことではない。防衛大臣の愚かさを国民がテレビを見て笑っている状態は、その時点で即座に任命した首相が退陣しなければならないほど、民主主義の危機である。 ・・・・・・・・・ もう一つは憲法改正である。パック3の配備を歓迎するなら憲法を改正しなければならない。かなり前に社会党が「自衛隊違憲合法論」などと言うムチャクチャな論を立て、日本が憲法や法律を守らずに野蛮な国家に戻ることに力を貸した。現在の司法の堕落にはこのような公党の無責任な態度も問題になっているが、ここは日本国民が「パック3を配備しなければならないのだから、日本には軍隊がいる」と明確に決心しなければならない。 さらに「アメリカはミサイルも原爆ももって良い。アメリカは平和を愛する国だから他国に戦争を仕掛けたりはしない。でも北朝鮮は危険な国だから、だめだ」という論理をそのまま日本が自分の考えのように言うのは問題だ。日本という国は元々他国を侵略する意図が少ない国で、明治維新からしばらくの間、欧米との対抗もあって他国に出たことがあるが、元々の思想はそうではない。それもこの際はっきり「pactdyno.16-(8:50).mp3」をダウンロードさせたい。 (平成24年4月9日) 武田邦彦
2012年04月13日
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生活の鱗002 日本は家庭、フランスは男女・・・夫婦事情 2005年に「家庭や夫婦」に関する国際的な調査が行われています。質問は「夫婦生活の中でなにがもっとも大切ですか?」というものです。これに対して、国と第一位、第二位、第三位と並べると次の通りになります。 日本 1.誠実、2.収入、3.子供の健康と成長 フランス 1.誠実、2.性的魅力、3.共通の趣味 第一位の「誠実」だけは同じですが、第二位からはずいぶん違いますね。日本人は愛して結婚するのですが、結婚しておよそ3年経つと、「お互いの愛より、家庭」に切り替わります。「3年目の浮気」というのは、日本では3年間はお互いの愛情で生活ができますが、3年のうちに「愛する夫婦」から「家庭の連れ合い」に変わる必要があるのに、それに気づかない人がいるからだそうです。 つまり3年間のつきあいのあと結婚したとすると、3年(恋人)、3年(愛する夫婦)、そしてそれから後の50年は「家庭を一緒に営む連れ合い」になるのです。それがわかっているペアーはうまくいっているようです。 これに対してフランス(概してヨーロッパ、アメリカではその傾向が強いのですが)は、「個人の独立」を重んじますので、いつまでも「愛する夫婦」の関係で家庭を維持することができます。そのためには、「性的魅力」や「共通の趣味」が大切ですし、ちょっと言いにくいのですが、セックスの回数も日本とはかなり違います(フランスは世界平均より少し多く、日本は世界平均より2分の1程度とされています)。 先日のブログにも書きましたが、このことは日本では「結婚すると家庭人となる」と表現するのが適切で、かつては「結婚して所帯を持つ」と言いました。それに対して個人を一つの単位とするヨーロッパでは「結婚して夫婦になる」ということで、あくまでも2人が単位になっています。 これは子供の養育にも違いを及ぼし、日本では子供が所帯を持つまでは親が面倒を見るというのに対して、ヨーロッパやアメリカでは「18歳になったら子供は家庭から出て行かなければならない。家庭は夫婦のものだから」というのとの違いとなります。 どちらが良いかというのは多くの人の希望で決まりますが、日本人は日本文化の中で生きているので、どちらかというと「自分の生まれ育った家庭は、結婚するまではその一員である。さらに、結婚して年老いて両親がいなくなっても精神的な実家として残っている」という感じを持っています。 男女が互いに独立していて、2人が同居するというヨーロッパ型では「男女平等」が問題となりますが、男女が一心同体で家庭の一員となるという日本型では「男女平等」という概念はなく「お互いに幸福か」という子供を含めたその家庭の構成員の「幸福平等」ということではないかと思います。 卑弥呼の時代は女性の幸福の方が上、戦国時代(奈良時代から1945年まで)は男性の幸福の方が上、そして今は新しい時代に向かっていると言うことができるかも知れませんが、それもあまりに単純な区分のように感じられます。 戦国時代は「戦争で死ぬのは男」と決まっていましたが、「死ぬ方が幸福」というのもかなり乱暴な議論です。また「戦争は男がするもの」と役割分担を固定するのもやや疑問です。「男だから戦争で死ぬのは当然だ」とか「女だから家事をするのは当たり前」というのではなく、またお互いに自分が得をすればというのでもなく、さらに「こういう人もいる」という特殊な例を出すことなく、平均的な男女が、それぞれの人生の目標を達して幸福に生きることができる無理のない社会を考えたいと思っています。 たとえば、男女の雇用が均等化し、賃金の同じになったとしても、子供を保育所にあずけ、その子供が病気をしたらお母さんが仕事をほうり出して迎えに行かなければならないというのでは、不満がたまり、とうてい幸福な人生を送ることはできません。 建前論ではなく、真に日本の男女、日本の家庭、そして人生の幸福を親身になって考えて、よりよい男女関係、夫婦関係を、とげとげしい議論をせずに、世界に先駆けて日本人の夫婦、家庭が幸福に笑い声が絶えないように作っていきたいものだと思います。 このような記事をこの頃書いているのは、女性の方で「新しい夫婦」、「新しい家庭生活」、「仕事と家庭の両立」、「子供が保育園で熱を出したときにどちらが連れてくるか」などの日常的なことで苦しんでいる方が多いからです。 私の感想では、それは「ヨーロッパのやり方を、日本と違うのにあまり議論せずに輸入し、そのシステムの中で苦しんでいる」というように見えます。これは「年金問題」や「原発の爆発」とも類似していまして、日本の「地形、風土、文化」などを考えずに、議論せずに直輸入してくることに問題があると思うからです。 天下り先を作るとか、税金をばらまけるというような動機で、不完全な制度を持ち込み、その中で「子供を持つお母さん」や「これから就職しようとしている若者」が被害を受けていると思うのです。 「wifehometdyno.11-(9:11).mp3」をダウンロード (平成24年4月8日(日)) 武田邦彦
2012年04月12日
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食材情報 春野菜に注意 福島の定時降下物(セシウムがそらから降ってくる量)が減りません。減らないどころか少し増えてきています。このデータは文科省の月別集計をしたデータですが、毎日の積算値と少し違うので、その点、心配ですが、論旨には影響がないので、公開されているデータのまま掲載しました。 この表でわかるように、3月の事故以来、セシウムの降下物は徐々に減ってきて、2011年の10月、11月ごろにはこのまま無くなっていくと思われましたが、意外にも12月から急増し、今では昨年の6月より降下量が多いという異常な状態が続いています。 これについて、政府も県も「大丈夫」を繰り返していますし、マスコミも報道していませんが、これはなかなか危険な状態です。まず第一に、その値が結構大きいということです。もし、この文部省の集計通り(少し多めのように思う)とすると、一日で数100ベクレルが降下してますので、葉物野菜はかなり汚れて、新基準の1キロ100ベクレルを上回る野菜がでますし、すでに実質的な法律基準である1キロ40ベクレルを超えているでしょう。春野菜は要注意です。 また、この図は2度目ですが、今の時期(1年も経って)にこのぐらいのセシウムが降ってくるということになると、「繰り返し被曝」になるということです。2011年4月5月の被曝もかなりでしたが、もしこのデータが正しいと、約30年間、この降下物で被曝することになります。 そうすると、福島はもちろんのこと、東京(データは新宿)でも事故直後の福島の被曝より多い被曝を受けることになります。将来の問題ですから、私たちの子供が被害を受けることになりますから、原発を運転した私たちの世代でけりをつけておく必要があります。 それなのに、瓦礫、花火、薪ストーブ、中古車・・・なんでもそうですが、汚染されたもの、あるいは長期的に汚染原因となるものが国内に拡散しています。瓦礫の運搬に反対している人を「非国民!」と呼ぶ人がいますが、それは自由としてもせめてこのような再飛散が起こらないことを「科学的」に証明して欲しいものです。一度限り、10年ぐらいのスパンで「私たちだけは大丈夫。子供は知らない」というのでは、私にとってはそちらの方が日本人ではないような気がします。 これまで私が「政府は30年から100年にわたる日本人の被曝量を推定し、それを元に基本政策を立てないと、日本に住めなくなる可能性もある」と言ってきたことがこれに相当します。 12月から始まった再飛散が何を原因としているのか、真剣に検討しなければなりません。環境省は(もとから国民の健康など考えていませんが)、相変わらず日本国土を汚染させるのに熱心ですが、今こそ識者が立ち上がり、環境省に被曝を止めるように言うべきでしょう。 それにしても、このようなブログを書くたびに、「どうしてだろう?」とつい思ってしまいます。福島原発事故が起こる前まで、NHKはどうかわかりませんが、日本のマスコミの報道関係者の多くが「被曝は怖い。放射性物質をまき散らすなどとんでもない」と糾弾していました。それも1年や2年ではなく、ここ30年はそうでした。 被曝の限度が1年1ミリでも、その100分の1でも「100分の1だから大丈夫だなどととんでもない。被曝は少しでも避けるべきだ!」と言っていたのに、なぜ、今、このようにセシウムが再飛散しているのに、それを報道しないのか、本当に不思議です。 1945年8月15日、終戦を迎えた瞬間、日本人は「鬼畜米英」から一日にして「親米」に変わったと言われます。そのときの日本人の心境はどんなものだったのでしょうか? でも、そのときには戦争中と戦争が終わったという変化がありましたが、今回は「被曝は危険か」という普遍的なことなので、私は本当にわからなくなります。どなたか、変身した方が心の内を吐露してくれると良いのですが。 「vegitdyno.10-(5:11).mp3」をダウンロード (平成24年4月8日) 武田邦彦
2012年04月12日
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白日夢・・・次の「人類」は? 生命が誕生したのは今から37億年ほど前ですが、「形を持った生物」、つまり足や目を持った生物が誕生したのは今から5億5千万年ほど前です。でも最初はなかなかよい形が見つからなかったので、下の図のように長方形の生物もいたようです(バージェス動物群など)。 いや、実に奇妙な格好をした生物ですね。でも、体をどんな風に作ったらよいかわからなかったのですから、こんなものかも知れません。その後、「自分だけが生き残る、自分の種族だけが繁栄する」という原理原則をもとにDNAが複雑になり、ついに人間という生物が誕生しました。 生物の基本は「自分と自分の子孫が生き残る」と言うことですから、「力の強い方が残る」と言うことでDNAが変化してきました。だから、「人格が高い生物」などは「進化のドライビングフォースにはならない」というのが今の科学の結論になっています。 そんな中でなぜ、今地球上で人間が繁栄し、威張っているかというと、DNAの情報量が10の11乗ほどに対して脳情報が2桁程度大きいからで、これが他の哺乳動物より10倍ぐらい多いからです。つまり「知識は力」ということで結局人間も他の動物を力で押さえつけている、その力は筋肉とか牙ではなく知識だと言うことです。 でも、今度の地震(人災としての地震の被害)、原発事故、公約破棄、減税から増税へ、賄賂などをみると、初めて脳が支配する人間を作ってみたけれど、どうも未完成だったという感じがします。戦争はするし残酷な振る舞いも多く見られます。 だから、私は程なく「地球上で初めての脳支配の生物=人間」は絶滅し、それに変わって脳情報が10の14乗ぐらいの生物が登場すると思っていました。人間の頭脳は骨が外側を覆っていますから、体のように「食べれば太る=脳容積が大きくなる」ということはなく、母親の骨盤の穴の大きさによっています。 チンパンジーは骨盤より生まれてくる子供の頭が小さいので、お産は楽ですが、現代人は頭脳が大きくなりお産は辛いものになりました。だからかつて私は「骨盤の大きな女性が突然変異か何かで生まれたら、人類は変わる」と思っていました。または、子供の頃、頭蓋骨を取り去って人工頭蓋骨にして、それをときどき大きなものに入れ替えるというのも出るのではないかと予想したのです。 でも最近、もう一つ、次世代の人間を作る方法があることに気がつきました。生物がDNAという書き換えのできない情報と、脳情報のように書き換え可能な情報を持っていたのですが、それはDNAの方が情報量が多かったので、それを捨てても新しい子供の成長には問題が無かったからです。 でも、人間ぐらい情報量が多く、それで生存が決まると言うことになると、子供が生まれるたびに小学校から勉強し直すのは不効率です。そこで、親の知識を引き継ぐような脳(記憶が消えない脳)をもつ生物が誕生すれば、さらにその上に知識を重ねていくので、現在の人間はとうてい太刀打ちできないでしょう。 ・・・・・・・・・ このような進化が起こる時に、そのドライビング・フォース(駆動力)となるのが「力」なら、新しい人類も「人格高潔」と言うことにはならないことになります。つまり、より優れた生物を作ってきたDNAは単なる化学反応ですから、子供がより多い繁殖の機会を持つ生物が生き残ることになります。その点では「一人一人はずるく、かといって現在の人間を滅ぼすほどには集団性がある」という性質を持っていると考えられます。 「現在の人間が絶滅するのは良くないことだ」などと言っていたら進化というものがなくなるからです。私が人間だからかも知れませんが、そう考えると欠点だらけの今の人間の方が何となく可愛げがあるようにも見えてきます。そしてコンピュータがさらに発達すれば親が持っていた知識はチップのようなものに入れてそれを頭に埋め込み、そこから親が持っていた知識を必要に応じて出すようになるかも知れません。 ちなみに現代人というのは約3万年前にネアンデルタール人が入りのイリノイ氷期を乗り切れずに絶滅した結果、誕生したものです。その当時は黒人や白人の区別もなく、同じ肌の色をしていたはずです・・・いやはや人種差別というのもつまらないものです。 「tdyno.14-(10:24).mp3」をダウンロード (平成24年4月6日(金)) 武田邦彦
2012年04月10日
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原発再開問題はもっとまじめに 政界も産業界も「欲しい」だけでは子供 福島原発が爆発した後、ほどなくして「電力はどうするの?」という話になり、「原発は危険かどうかは別にして、電気が欲しいから運転しなければならない」というかなり乱暴な議論が出てきました。2011年の5月ぐらいの時期で、菅首相の時代です。 これまでの審査を通ってきた福島原発が爆発したのですから、安全審査に問題があったことは間違いなく、従って、「人も方法も同じ」では再開はできません。そこで「ストレステスト」というヨーロッパを中心として行われている方法をつかって政府は乗り切ろうとしました。 でも、もともと今回の事故は、地震と津波で破壊されており、ヨーロッパやアメリカのほとんどの原発のように地震も津波もないところで作られたストレステストでは全く役に立たないことは当然です。 何か政治的な問題が起きたとき、日本の政府や役人は国民が英語が弱いのを利用して、わかりにくい英語を使うのが普通です。たとえばインフォームド・コンセント、メタボリック・シンドロームなどはそうで、「親身の相談」とか「ダイエット」と言えばそれですむのですが、このような小細工をしてくることが最近の傾向でもあります。 ストレステストというと何か特別なことをするように思いますが、「このぐらいの地震が来たらどうなるか?」というのを個別に検討するというだけですから、今までと変わりません。またストレステストという概念はもともと金融の健全化を調べるために出てきたもので、これはすでにアメリカとヨーロッパの金融危機を防ぐことができなかったのですから、あまり感心したものではないのです。 ・・・・・・・・・ ストレステストが通らないとなると、政府は「暫定的な新基準」というのを持ち出しましたが、原子力安全委員長は「我々は原発の安全を審査するのではない」という発言をして、さらに信頼を失いました。安全委員会の設立の時の規則の表現のことを言っているのですが、国民が安全委員会に期待していることはまさに「原発の安全性の是非」なのですから、これは実に奇妙な発言なのです。これで国民は「推進側の経産省組織」しか安全を守ることができないと言うことになりました。 このようなごたごたを続けている中、今度の原発事故の最も重要な問題は、1)これまで「固有安全性がある」としてきたのに、それが無かったが、それに対してどうするのか? 2)これまで「多重防御」をしていると言ってきたのに、それがウソだったことがわかったのだが、それをどうするか? 3)事故時の対応策(危機管理:大型客船の救命ボート)がないことがわかったが、それをどうするのか? などが再開にあたって直接的に明らかにしなければならないものです。 さらに、1)廃棄物貯蔵所も作れない状態で、今後も原発を続けるのか、2)地震や津波、テロなどの危険性の見方が間違っていたのではないか、などの根本問題もあります。せめて、再開するなら廃棄物貯蔵所を作ることを国会で合意をする必要があります。核廃棄物貯蔵所は「危険だから先送り」ということでは、これも事故の遠因となります。さらに、仮に将来、原発を作るとしたら東京の電気は多摩川、荒川などの河畔に作り、東京に廃棄物貯蔵所を置くこと、名古屋は木曽川、大阪京都は琵琶湖などと決めておく必要があります。 「日本のシステムとしてお金は東京が吸い上げ、危険なものは吸い上げたお金を地方に出して、地方に危険を背負わせる」という基本的な政策を変えて、「日本人は皆同じ国民(それこそ思いやり)」(絆=家畜の自由を奪うことという意味だから使いたくない)であることを確認しないと、また同じことが起こるでしょう。 危険もいやだ、ゴミを片付けるのもいやだ、ただできだけ欲しいというのだったら、政府も経済界も子供同様ですから、もっとしっかりした魂を持ってください。本日、これからガリレオ放談「原発緊急報告」を収録に行きます。そこでこの問題を詳しく解説します。 (平成24年4月6日) 武田邦彦
2012年04月09日
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(原発)責任ある人たちの法律的・倫理的問題点(2) 被曝を勧めた医師の進退 「1年1ミリ以上の被曝をしてもよい」という意味のことを発言したり、書いたりした医師は、ご本人が自主的に医師免許を返納するか、もしくは医師会がその医師の返還を勧告する必要があります。これはごく簡単なことですので、すぐにでもお願いします。 被曝に関する日本の法律と医師の普遍的な倫理によるもので、このようなことを曖昧にすると日本の医療の信頼は得られません。医師は社会的に指導的な立場にあって、6年間に及ぶ医学教育と国家試験の合格者でありますし、かつその後も医師としての教育を継続的に受けてきているのですから、このような簡単なことを知らないとか自分独自などと言うのは許されません。 なぜ、1年1ミリを超える被曝を許したり、勧めたりすると医師をやめる必要があるかというと、発言をすれば患者さんを治療することができないからです。その理由を明確にしておきますので、医師会なども体裁などにとらわれず、この際、日本の医療のためにはっきりした態度を示してもらいたいと思います。 ・・・・・・・・・ 1) 国際的にも国内的にも、被曝は1)自然放射線による被曝、2)原発などからの人工源からの被曝、3)医療被曝、の3つからなっており、原発などからの被曝に対して医師の発言の権利は及ばない。医師は殿様でも神様でもなく、被曝に関する権限は「医療用」に限定される。医師は時に患者の両足を切断することがある。このように他人の体を傷つけても罰せられないのは、それが医療行為だからである。医師が医療行為で何ミリシーベルとを患者に施してもそれが正当な医療行為であるときだけ認められる。 また、医師が「自分は両足を切断しても罰せられないから、東電もお客さんの両足を切断することは許される」旨の発言は犯罪である。「自分の医療の学問や経験から、1年1ミリ以上の被曝は問題ないから、従って原発からの被曝は許される」との発言は医師として著しくその権利を逸脱している。 2) 医師が患者の両足を切断しても罪に問われないのは、日本社会が医師の専門性とその権限を医療に関して認めているからである。最高裁判所の裁判官が、「自分は社会的に尊敬される存在であるにもかかわらず、被告を殺す(死刑)にしてもよいことから考えて、人を傷つけることぐらい許される」などと発言することができないことと同じである。 現代社会はその社会の発展と維持のため、特に国家的に認めた人たちに特別の権限を付与することがある。しかし、それは患者、被告などに対して、一定の手続きを経て行えるものであり、その他に敷衍することは許されない。 ・・・・・・・・・ 首相や都知事は日本国憲法の前文で定められている通り、国民の信託を受けてその代理業務をやっているのですから、法律に基づき、選挙してくれた国民を尊敬してその業務にあたることは当然です。もちろん、民主主義ですから全権を持った殿様ではありません。 これと同じように医療を行うことができる人たちも、国民の信託を受けて、特別な行為が許されているだけであり、その行為は医療行為に限定されます。それを管理している厚労省は、国民の代わりに監督の責任がありますし、専門家のギルドとして機能する医師会は不良な言動に対して必要な勧告を行うことが求められます。 もちろん、私がここに書いたことは普通の日本では行うようなことではありませんが、今回の原発事故における福島医大や東大に所属する医師の言動は、今後の日本の医療のためにどうしても処分、あるいはなぜこのようなことが許されるのかについての説明をする必要があります。 被曝に関して医師が発言しうる最大限の範囲は、「医療においては1年1ミリシーベルト以上の被曝を患者にさせることがあるが、医療以外の分野で人工的な被曝は1年1ミリシーベルトに限定されている。これらの被曝を将来合理的・学問的根拠を持って統一する必要がある」ということでしょう。 日本の医療の将来と、日本の専門家の倫理を保つために、厚労省、医師会、そして医師本人の誠意に期待します。言うまでも無いことですが、厚労省は国民のため、医師会は患者のために存在し、医師の利益代表でも無いと思いますし、さらに医療の正常化はこの二つの機関の最も大切なことと思います。「村の掟」ではなく、近代国家の「法律と倫理」のもとづいた行動を望みます。 繰り返しますが、「健康」に関することだからと言って医師は万能ではありません。患者さんを相手にした治療以外に、医師がどの範囲で発言しうるのか(医師として)、まだ社会的な合意は進んでいません。そのこともよくお考えになり、前向きな議論を展開することを期待します。 「medicaltdyno.15-(8:11).mp3」をダウンロード (平成24年4月2日(月)) 武田邦彦
2012年04月09日
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10兆ベクレル、岩手米、セシウム再飛散、瓦礫・・・混乱する日本列島 千葉で10兆ベクレルが予想されたというスピーディのデータが隠されていたことが明らかになったり、「兵庫米」と表示された米袋の80%が岩手米だったり、福島でセシウムが相変わらず100ベクレル(1平方メートル)が再飛散したり、瓦礫の搬出に反対する人を非国民と呼んだり・・・マスコミは暗黙の協定で「政府が沈静化に懸命なのだから、国民が知りたくても報道しない方が無難だ」という態度に終始しています。 どれもこれも東電の原発事故以来、日本が大切にしてきたものが破壊されています。「環境無視」、「安全無視」、「東電擁護」、「バッシング」、「見ザル聞かザル言わザル」を決め込んでいるようです。やや暗かった日本が真っ暗闇になりそうな気配です。でも、それには負けてはいけません。考えてみれば、あまりにも楽な社会だったかも知れませんし、一条の光でもあれば社会はなんとか突破口を見いだせるものです。 ・・・・・・・・・まず、10兆ベクレルから・・・・・・・・・ 一部マスコミが10兆ベクレルを報道しましたが、これが10億ベクレルでも、100億ベクレルでも「えっ!」と思うでしょう。つまり、10兆ベクレルということだけでは、普通の人はそれが危険なのかどうかわからないからです。そこで計算をしてみます。 千葉県の状態から計算してスピーディーは、「福島原発から1時間あたり10兆ベクレルの放射性物質が放出されている」と推定しました。1時間だけ漏れることもないので、一応10時間漏れて100兆ベクレルとします。この放射性物質が福島原発から南に向かって流れ、茨城県に落下したとします。 茨城県は全部で6000平方キロメートルですから、その6分の1に放射性物質が降下したとすると、1000平方キロメートルになります。100兆ベクレル(10の14乗ベクレル)を1000平方キロメートル(10の9乗平方メートル)で割ると、10の5乗ベクレル、つまり1平方メートルあたり10万ベクレルになります 一方、土壌汚染の限界は1平方メートルあたり4万ベクレルで、直ちに汚した人が片付けなければならないと法律で定められています(いつもの電離放射線障害防止規則第28条)。スピーディーの結果を公表すると茨城県から千葉県の土地を東電にいって除染させなければならないので、それをビビッたのでしょう。 でも、隠すのは問題です。だいたいスピーディーは税金で開発したもので、政府の高官が私費を出したものではありません。それを政府高官だけ見て、国民には見せないのだったら、スピーディーと関連ソフトの開発費約400億円を現政府が出して弁済しなければなりません。 ・・・・・・・・・ ところで、もう一つやっかいな問題があります。これは瓦礫に関係するのですが、福島原発から漏れた量は政府発表で80京ベクレル、およそ100京は漏れているでしょう。そうすると、今度発表された100兆ベクレルというのは、膨大な漏れ量ですが、それでも「全体の1万分の1」と言うことです。 残りの99京9900兆ベクレルはどこに行ったの??これがはっきりしないと瓦礫ばかりではなく、何も搬出はできないのです。99京9900兆ベクレルの行方が問題で、これがこれからの子供たちを守るのにもっとも重要な情報です。それがわからないのに、「瓦礫を搬出しても大丈夫」という「大丈夫」とはなにを言っているのでしょうか? 一回だけならとか、風が吹かなければとか、国民を危険にさらす仮定を置かないとだめなのは、今度の千葉の10兆ベクレルでよくわかります。 ・・・・・・・・・ ところで、岩手産の米を兵庫米として(袋の表紙だけ。裏には「岩手産の米とブレンド」と書いてあり、実際には80%が岩手産)販売した問題は、岩手の人がかわいそうです。米というのは日本人の魂ですから、魂を偽るのは実に悲しいことです。岩手米は岩手米で、ベクレルを測定し、1キロ40ベクレル以下のお米を堂々と販売するのが良いと思います。 人間はお金より魂です。特にお米を作っている農家の方の守るべきものは、神棚に飾るほどのお米ですから、ウソ偽りなく、堂々と、もしそれが不当な取り扱いで売れなければそれはそれで仕方が無いことです。 「農家」という定義は「農家で作ったものが安心して食べることができる」ということであり、産地を偽装、あるいはわかりにくくして販売するのなら、それを出荷する家は農家とはいえないでしょう。私もベクレルが測定されている岩手米をおいしく食べています。安全なものは安全ですが、偽って販売するものはたとえそれが安全でも危険と見なされます。 風評で売れなければ私たちがカンパします。日本の米、日本の土地、日本の子供は私たちの宝です。安全な岩手米が売れないなら、私たちが買います。危険な岩手米なら売るのは農家ではありません。 「10iwtetdyno.10-(8:32).mp3」をダウンロード (平成24年4月4日) 武田邦彦
2012年04月08日
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あの明るかった日本に戻るために(3) 芸術・学術が爆発する社会を! 暗い日本に明るいこともあるということを今日、読者の方のメールで気がつきました!! うれしい!! 私の記事を読まれたある読者の方が、「ロシア革命の時に、ロシア・アバンギャルド(芸術革命)が起こり、すばらしい芸術が生まれた」ということです。 そういえば、私もこれが当時の造形か?と思うような新鮮なものを見た記憶がありますし、世界的なものとしてはヨーロッパのルネッサンスがあります。人間は未来が明るく開け、希望に満ちあふれること、それまでの抑圧的社会が消える期待・・・それで芸術のように人間の魂による活動が一気に爆発することがわかります。 つまり、人間が人間らしく生きること、それは現在の日本のように暗く、未来がない社会ではなく、未来に希望のある社会であることがわかります。芸術や学問が盛んになること、それはその社会が健全であることを示しているのです。 簡単ではないですか!! 芸術家が次々と新しい芸術を生み出し、学問がどんどん進歩する、子供たちは夢を持ち、希望の中で成長していく・・・単にそういうことです。 それには、「正直」、「誠実」、「純粋」・・・などのキーワードでよいのです。反対に、隠し事、利権、拝金、権力、バッシング・・・などはすべてNO!です。原発、増税、保安院、電力独占、利権体質、情報統制、霞ヶ関、東京一極集中・・・全部だめですね。 【芸術と学術が飛躍的に発展するための具体的提案】 第一原則: 改革を提案する人をバッシングしたら、バッシングした人がバッシングされる。 直接対策: 東大・NHKの解散、霞ヶ関の全国分散と人員漸減、司法組織の改革、減税。 抜本対策: 教育における正直、誠実の実施の合意と実施。 第2次世界大戦で勝ったイギリスが衰退し、負けた日本とドイツが栄えた基本的な原因は「古い組織が戦争のあと残っていたか、無くなったか」によります。東大の牧島先生がかつて「自らを否定して要らないものとした」という見識が今の東大にあれば次の総長選挙までに東大は自ら解散するでしょう。 NHKは自己を否定するほど覚悟がないでしょうし、不払い運動は規則違反のような気がしますので、NHKを廃止するという候補者に投票することでしょう。報道の力をもった機関を作るとそれが終わりになる方法は難しいですね。 霞ヶ関は、東京から分散し、札幌に農水省、仙台に国交省、東京に内閣府、名古屋に経産省、大阪に財務省、高松に外務省、広島に厚労省、福岡に防衛省などが分散し、文科省と環境省は解散。そのほか、すぐに思い出さないような省庁も廃止。みんなが分散を望めば地方の活性化も間違いないでしょう。 ・・・・・・・・・ この提案を実現するには至難の業です。というのは、最近の日本の文化は「本当のことを言うと、それで終わり」と言うことだからです。そこに芸術の停滞があるようです。 本当のことを言うと、それで一切の社会的な活動を封じられ、直接的にその役割を果たすのはNHKですが、その背景には「本当のことを言うと角が立つから、ウソで当面を過ごす方がよい」という日本社会に真の原因があるからです。 でも、若い人が未来を明るく感じ、社会に透明感が満ち、最後の砦である司法が信頼感を取り戻し、芸術と学術を愛する薫り高き日本文化が花開くようにしたいものです。そのためにまずは芸術と学術に携わる人が小異を捨てて大同につき、日本のよい文化の上にさらよい伝統を作り出していきたいものです。 「avantgardetdyno.11-(8:17).mp3」をダウンロード (平成24年4月2日) 武田邦彦
2012年04月07日
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エネルギーはどうしたらよいの?(1) 電力会社が自由競争なら 原発がなければ電力が足りない? シェールガスがいくらでもある? メタンハイドレードがよい? 天然ガスだけが有望? ・・・エネルギーや電気についてさまざまな意見が飛び交っています。 この中で普通の人が何が将来のエネルギーとして適当かを判断することはまず無理と思います。それは学問的なものだけではなく、利権や思想などが複雑に絡み合っているからで、またエネルギー問題というのは多くの環境問題の中でも飛び抜けて複雑でもあるからです。 でも、簡単な方法があります。それは「電力を自由競争にする」と言うことです。現在は電力事業が国の統制下にあり、火力発電はほぼ自由ですが、原子力発電は国が原爆(爆弾)が欲しいので、1年に約1兆円の補助をしています。 電力の総売上は約15兆円で、利益率は3.5%ほどです。その中で原発が30%程度を占めています。利益率は原発の方がよいので原発の総売上は5兆円、利益率を5%とすると、2500億円の利益になります。 つまり、電力会社の表面上の利益は原発が2500億円と大きいのですが、国が1兆円を支出しているので、結局原発は実質7500億円の損失になります。もう少し辛く考えても、直接的な国の援助だけ(研究開発費、地元交付金など)で5000億円ほどを出していますから、実質2500億円の赤字になります。 電力会社の経営者に取ってみれば、国が原発にお金を出してくれるので、実質赤字でも原発の方が儲かるという奇妙なことになっているのです。これは個人が太陽電池をつけるときと同じで、「乞食根性」、つまり自分だけでは赤字になるが、他人のお金を当てにすれば商売になると言うことです。 だから、もし国家が「原発推進政策」をやめて電力の自由にすれば、電力はリスクが高く、収益性がない原子力をやめて、火力発電所を主力にしてやっていくと思います。 (電力会社は東電ばかりではなく、九州電力、北海道電力などがやらせメールなど間でして、原発をやろうとしています。電力は公益事業ですが、「国が税金を出してくれるから、原発はお金になる」という理由だけで原発を強行しようとしているので、全く支持することはできません。しかし、長期的には(1000年後)原発などの電源も必要になるかも知れませんが、1000年後のことは今、考えても無駄です。・・・1000年前は紫式部の世界ですから・・・) ・・・・・・・・・ 第二の問題としては、これほど社会では「太陽光発電などの再生可能エネルギー」が有望だと言っているのに、電力は電力中央研究所など長期的な電源確保の体制も持っているにもかかわらず、なぜ「再生可能エネルギー(科学的にはあり得ないが)」を開発しないのでしょうか? 「税金をもらう」というのは不健全なことですから、電力会社のような資金豊富な会社が将来を見て開発し、かついわゆる再生可能エネルギーが有望なら、研究をやるはずです。でも、太陽光発電にしても他の方法にしても、火力発電より2倍から3倍のコストがかかるので、健全な民間企業ならやらないでしょう。 科学的な発展は、原理原則や基本的技術ができてから30年ほどで実用化され、もしその時期に実用化されないようなものは、仕切り直しになるのが普通です。蒸気機関と蒸気機関車、電気と電灯、半導体とトランジスタなどいずれもこのような経過をたどっています。「超伝導」のように発見から80年ほど経って、注目され、膨大な補助金が投入されたような礼は実用化が難しいのが普通です。 つまり、もし国がいらぬちょっかいを出さずに原子力の補助金も含めて、民間企業として自由競争の中に電力を位置づければ、コストの安い火力発電だけになり、その中でも自然に天然ガスとか石炭などになり、我々が何が有望かなど考える必要もなくなります。 電力会社が悪徳でも、近いうちに石油や石炭がなくなるか高騰するとわかっていれば、それに対する原料の代換えを考えるのは、ごく普通の企業活動だからです。 つまり日本の電気代をアメリカ並みにして、エネルギーの選択を正しくするには電力を自由競争にすればよく、そうすると税金も格段に安くなると言うことがわかります。消費税の増税をやめて電力の自由化をするべきでしょう。 今のエネルギー論争のほとんどは、自分の研究にお金を呼び寄せたいというような不純な動機のものが多いようです。一人一人の専門家が空気を事実としたり、自らのお金や名誉を優先するのではなく、明治天皇がご誓文で言われたように「万機公論に決し」て、日本の将来、日本の子供たちのために魂を呼び戻して欲しいと思います。 「energytdyno.09-(6:45).mp3」をダウンロード (平成24年4月1日(日)) 武田邦彦
2012年04月06日
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原発事故を混乱させたもの(2) 危険の確率と約束事 原発事故の直後、福島に入った山下医師が「1年100ミリまで被曝しても1000人に5人しかがんで死なないから心配はない。むしろ病気になるのではないかというストレスの方が問題だ」と発言しました。 この発言は医師という社会的な影響の大きな人であること、後に福島県の役職に就くことなどを考慮すると医師としての倫理を大きく逸脱しているので、山下医師は早く医師の免許を返還しなければならないと思いますが、そのことはまた別の機会に整理をします。 ここでは、「危険の確率」と「社会的な約束」について整理をして、原発事故以来、混乱を招いていることをはっきりさせて、これ以上の被曝を避けるための武器にしたいと思います。 ・・・・・・・・・ 被曝と病気の関係ばかりではなく、この世のもので多くの人やものが関係していると「統計的に起こる」ということがあります。道路で制限速度が時速50キロの場所でも100キロで走っても「必ず事故が起こる」という訳ではありません。 2回に1回、つまり確率50%で起こると言うことも普通にはなく、1%か2%ぐらいが普通です。でも、それは現代の日本では「あまりに交通事故が多い」と言うことになるので、時速が50キロに制限されていると言うことです。 つまり、少し数学的なグラフになりますが、多くのものはこのグラフのように何かが起こる確率が山のようになっています。山の形を「正規分布」とかいろいろな名前がついていて、それが起こることの性質に関係しています。でも原理は変わりませんから、まずは「物事は確率的に起こることが多いのだな」と理解しておいてください。 ところで人が「危険」と感じるのはどのぐらいの確率の時でしょうか? これは時代、場所、またそのときの社会の状態によって変わります。昔は寿命が短かったので、危険と隣り合わせの生活でした。また戦争が起こると急に「普段の危険が安全に感じられる」と言うこともあります。 また人間は「自分で好んでする」と言うときや「自分の得になる」という場合には危険を危険と感じないという自己中心的なところがあり、それでもかなりの差があります。 現代の日本では交通事故が標準的で、「自動車が走ることは自分の得になるが、自分は運転しない」という状態の時に交通事故死が1万人を超えると「大変だ!交通戦争だ」と社会では大騒ぎになり、何とか交通事故を減らそうとします。 原発の場合、「原発から電気をもらうけれど、自分は原発から給料をもらっている訳ではない」ということが普通ですし、自動車がなければ社会はかなり困りますが、原発がなくても石油や石炭を燃やせば電気ができるので、代換えがあります。 このような時に原発によってどのぐらいの被害までは「大したことはない」と感じるかですが、おおよそ交通事故の10分の1ぐらいでしょう。というのは、これまでの研究で、意思のありなし、得の大きさで最大1000倍ぐらいの差があると言う結果が得られているからです。 そうすると原発による被曝がもとでがんで死ぬ人は、交通事故(1万人に1人)の10分の1とすると年間1000人ということになります。人によってはそれでも多いように感じるでしょう。確かに、福島原発事故の前には原子力安全委員会は「1年に150人まで」としていました。 ・・・・・・・・・ これらのことと、山下医師が言った1000人に5人だから大したことはないとの発言と比較すると、日本社会が認める危険性は1億人で150人から1000人ぐらい、山下医師はそれを1億人で50万人までOKと言ったのです。現在でも福島県は1億人に50万人までOKと言うことを元にしていますから、日本の社会が全く認めないような状態のところに人が生活しているのです。 ちなみに日本の法律(1年1ミリ)はその100分の1ですから、1億人で5000人まで認めているということになリます。これが少し大きめの数字になっているのは、交通事故は日本人にとって一生同じような状態が続くのですが、原発事故ではある時期に限定されるなどの条件が少し違うからです。 ・・・・・・・・・ マスコミもこの「統計的な現象」をよく理解せずに報道しています。たとえば東京でかなり高い線量の場所が見つかったとき、そこに住んでいた人が元気だったので「かなり高い被曝を受けても元気だ」と報道しました。 しかし、時速50キロ制限の道路を高速で走っても「事故を起こさない人が大半」であることからもわかるように、「1年100ミリ浴びても1000人で995人は無事」なのですから、「被曝しても大丈夫な人がいた」と言うことと「1年100ミリの被曝を受けても大丈夫」と言うこととは全く違うのです。 さらに、「被曝よりストレスの方が危険」という比較は許されていません。というのは、「高速道路を制限速度で走ると、いらいらしてその方が体に悪いから、スピード違反してもよい」とか、「たまにはお酒を飲んで運転するぐらいの方が健康によい」などという論理はないからです。 いずれにしても、原発事故が起こってから多くの人が東電をかばい(強いものに応援する)、大したことはないを連発しましたが、確率的におこることをよく理解して、感情的・衝動的に記事を書いたり、報道したり、まして社会の指導者が安全な日本の伝統を崩さないようにしてほしいと思います。 「statisticstdyno.12-(10:05).mp3」をダウンロード (平成24年4月1日) 武田邦彦
2012年04月05日
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あの明るかった日本に戻るために(2)・・・空気を事実としないで、事実を事実とする とても重要なことがわかったような気がします。そして、あるいは私の長年の苦闘は意味が無かったのかも知れません。リサイクル、ダイオキシン、温暖化、そして国債や年金問題・・・こんなに簡単なことをなぜ知識も頭の回転も良い評論家が判らないのだろうか?と訝った(いぶかった)ものです。 ところが最近、あるテレビに出ているときに、その理由がよく判ったのです。テレビに出ているときには気が張っていますから、集中力もあり、普段気がつかないことを気がつくものですが、これもその一つでした。 明らかに事実がはっきりわかっているのに、目の前の評論家がそれを否定するのです。私は思わず声を荒げました。「これほど事実がはっきりしているのに、否定するのですか?」というわけです.その人はそれでも頑(ガン)として否定しました。その時、私ははっきりと判ったのです。その人の目は「わかっている」と言っていたからです。 私は「事実を事実として認める」のは誰でも否定できないと思ったのですが、その評論家は「事実より、空気(みんながそう思っていること)が事実である」という確信があるのです。みんなが「地球は平らである」と言えば平らであり、事実は地球が丸くてもそんなことは関係がないという考え方です. 「みんながそう思っていることが事実」というのは昔からあることです。たとえば中世のヨーロッパでは何か悪いことが起こると「魔女のせい」と言うことで、みんなで相談して普通のおばさんを魔女にして火あぶりにするということが長く行われてきました。これなども「空気を事実とする」という典型的なものです。 それの少し変形バージョンが「政府が言ったことをそのまま信じてはいけないのですか?」という問いです.2012年3月にある地方の人が質問したのにはビックリしました。なにしろ民主党が政権を取った選挙以来、今の政権が何回ウソをついたか数え切れないぐらいなのに、その事実を認めずに「政府は信用できるものである」という前提を崩さないのですから、日本人は本来、空気の中に生きているのではないかと思ったりしました。 ・・・・・・・・・ 「事実を事実とするのではなく、空気を事実とする」ということと「東京の評論家や官僚、東大教授」というのが密接に関係していることも納得できます。私は実験系の科学者でしたし、農業、建築業、工業、学校、医師・・・などは「事実は事実」としないと失敗します。目の前にある事実、科学的事実に基づかないと、すぐダメになるからです。 ところが、東京の人は食糧自給率1%、原発の電気は使うけれど核廃棄物もイヤだという架空の世界に住んでいます。だから、現実にCO2で温暖化してようとしていなくても、原発を動かせば廃棄物がでることも知っていますが、そんなことは関係なく、みんなが「CO2で温暖化している」、「核廃棄物はないも同然」と言えば、それを事実にしてもまったく困らないのです。 東京の人は力(政治、学問(東大)、報道(NHK))を持ち、お金が豊富ですから、「原発の電気はいるが、原発の運転の危険性は貧乏な福島と新潟がやり、廃棄物は青森がやれ!」と言っても、それで通る(つまり本当に事実になる)のです。 私が接している評論家も、「事実」を懇切丁寧に話してもほとんど興味がありません。「空気を事実とする」という強力なグループ(環境省、東大、NHK)がいて、それでしっかりとバインドをしているので、「事実」など認めなくてもちっとも困らない体制ができています。 科学的、合理的なことが認められない社会、それこそがかつての憲兵の社会であり、ソ連が崩壊した独裁の社会だったのです。ソ連の崩壊の最後に起こった「グラスノスチ」、これは情報公開と訳されていますが、「空気(ソ連政府)による事実」から「事実を事実として見る」ということであり、それによってソ連の国民がなにが起こっているかを知ったのです。 2011年3月11日まで「被曝は危険」と言って来たのに、12日から「被曝は大丈夫」に代わったのは、被曝と健康に関する「事実」が代わったのではなく、事故があまりに大きいので被曝の法律を守ることができないと考えた人が作りだした「空気」が代わったからです。 日本にもグラスノスチが必要です。それには、多くの日本人が「何か変だ」、「政府は信用できない」と思っているその原因が「東京の評論家や学者による「空気を事実とする」という報道」にあることが判れば、また明るい日本に戻ることができるでしょう。 「tdyno.08-(11:30).mp3」をダウンロード (音声でペレストロイカといっているところがあるかもしれませんが、グラスノスチの間違いです。うっかりしました。) (平成24年3月28日) 武田邦彦
2012年04月04日
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自民党時代が懐かしい・・・ 最近の日本は暗い。この暗さは不景気とかそういうものではなく、ソ連時代の共産主義や憲兵に監視されているようなナチス時代の暗さに似ている。なにしろ、今まではまともだった「被曝は怖い」と普通のお母さんが言うと、子供の健康を心配しているお母さんが周囲から叩かれたr意地悪されたりする。一方で、被曝させた東電をみんなで守る時代になった。 私もいろいろな方から多くのメールをいただいているけれど、ほとんど「秘密にしてください」、「私が言ったことが判ると大変なことになりますから」という心配が書いてある。いつの間に、日本は監視社会になったのだろう? ・・・・・・・・・ でも、ある地方に行ったときに、「まるで恐怖政治だから、早く民主党政権が終わりになって欲しいですね。」と言ったら、長く自民党を支持していた土建屋さんが「ええ、でもあの自民党に戻るのも・・・」と言われる。 わけを聞いてみると、利権政治というのも大変なようだ。なにしろ自分のところに仕事を割り振ってもらうには、選挙に協力し、パーティーに度々、顔を出しときめ細かくやらないと仕事が来なかったという。「行くのも怖い、戻るのも怖いですか」と二人でため息をついた。 自民党時代、怪しげなことが多くあった。なにかいつも裏で工作している感じはあったが、それでも「政策に反対したらしょっ引かれる」という感じはなかった。お金中心の世界だったが、それでも明るいところやおっちょこちょいでもあり、なにか抜けている感じがした。明るい日本だった。 でも、普天間問題、海上保安庁と中国との間の漁船問題等から、現政府が強圧的になり、官僚が威圧的になり、裁判所がすっかり国側について、なにをされるか判らないという不安に国民はおびえている。 現政府には日教組の人、市民団体の人など「市民とともに」とか「言論の自由」などを重んじて来た人が多いのに、なんでこんなに強圧的なのだろう? 現在の日本の状態が民主党政権の手に負えないのだろう。なにしろ、「減税する」と言って選挙をやった政党が「増税は絶対に必要」と言うのだから、まったく信頼性はない。これまで10ヶのウソをついたが、今度だけは正直だと言って、またウソをつくというのが続いている。 もともと、公約をすべて廃棄し、さらに逆に進んでいるのに選挙をしない。本来なら早く選挙をしなければならないけれど、自民党もほぼ同じだから、選挙は無意味なのだ。 原発を再開したいという人は、せめて「これまで原発の電気は欲しい、核廃棄物は子供たちに任せる」という図々しい政策は止めて、再開に関して同時に廃棄物の問題もケリをつけるぐらいの信念を持って欲しい。それでなければ責任ある大人とは言えないだろう 「takeda_20120329no.468-(4:35).mp3」をダウンロード (平成24年3月28日) 武田邦彦
2012年04月03日
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あの明るかった日本に戻るために(1)・・・現代日本の病根と治療 東北大震災と福島原発事故を起こしたもの、それは現代日本に巣喰うかなり深い病根です。そしてそれを治療することが私たち大人の役割と思います. 病根の第一は「拝金主義」、第二が「空気を事実とすること」、第三に「ウソの容認」、そして第四は「黙れ!じいさん」です。いずれも傷はかなり深いので、一つ一つ考え、日本社会から変えていく必要があるでしょう. ・・・・・・・・・ 第一の拝金主義: 日本の文化はお金を蔑みました(さげすむ)。特に社会の指導者として精神的な高貴さを大切にした日本の武士は、金銭に近づくことをいやがり、このことは新渡戸稲造の武士道に詳しく書いてあります。 明治生まれで京都大学の数学をでて大学の数学の先生になった私の父も、まだ武士の面影を持っていて、お金を嫌っていました。「京都大学」という大学は世俗のこととは離れた一風、変人が多いのですが、学問の府としてはとても立派なところだったと思います.湯川秀樹や朝永振一郎という日本で最初にノーベル賞を受賞した立派な学者が京都大学だったと言うことも偶然ではありません。 最近は「お金(研究費、会議費)をとれば優れた学者」ということになり、官僚と癒着し、ワインの種類に精通し、派手な背広をきる東大の教授が出現しています.私が会社の技術者から大学に移り、東大の先生などと頻繁に会合を持つようになって、最初に驚いたことは「東大の先生は勉強が嫌いなのだな」と言うことでした。 東大ばかりではなく、多くの大学の学長など本来なら人格高潔、学問一筋のはずが、出世することが目的で学長になった人が多いのにもビックリしました。 このような傾向は大学の先生ばかりではなく、官僚や政治家でも同じです.本来なら、大学教授、官僚、政治家などの職業は「お金」が目的ではなく、その社会的使命に没頭できる人でなければつとまりません。それが全く違うのです。 その意味では、私はプロ野球南海ホークスの鶴岡監督が「球場に銭が落ちている」と言われたのが日本の職業意識が大きく変わったキッカケになったと思っています.鶴岡監督自身は「プロ意識」を育てようとしたのです、それまでのスポーツ選手は「お金のためではなく、野球のために野球をする。俺は野球ができれば幸福だ」と言うことだったのですが、鶴岡監督の一言があまりに強烈で、またその時期に日本社会が「魂からお金」に代わるときだったので、彼の言葉は人口にも膾炙し、「お金まみれのスポーツ界」に変身しました。 契約金などが話題になり始めると最初は違和感をもっていた私たちも、いつの間にかプロスポーツの選手はお金で評価すると言うことになり、さらに高等学校までお金の影がちらつくようになったのです。 「好きで学問をする」、「日本のために政治や行政をする」、「野球がしたいから野球をする」という人はほとんど絶滅しました。このような行動パターンは「貧乏になる」と言うことではありません。私の言う「お布施方式」です。 「お金のために学問をしたり、本を書いたりするのではないが、たまたまが研究が評価されてノーベル賞をいただき賞金を手にするとか、良い書籍を書いたのでベストセラーになり、結果的に印税が入る」というのが私の言うのがお布施方式です. お坊さん、先生、お役人、政治家というのは基本的には貧乏が似合っています.移動するのも車などは使わず、古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いてくる偉い先生というのではなくてはいけないと思います.でも、時としてお礼の金子をいただき、ちょっと豊かになるという職業なのです。これが逆になっては社会がダメになるのです。 「古い時代を懐かしむ」というのではなく、それが「お金で人を判断しない日本文化」だからです。このような感覚の差は江戸時代の終わりに多くのヨーロッパ人やアメリカ人が日本を訪れ、日本人がお金に執着心のないことにビックリしています.むしろ、「お金を蔑む」という風潮は殿様にも庶民にもあって、殿様は質素を旨として板張りの部屋にゴザを敷いて生活し、江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うことをホコリにしていました。 日本はキリスト教的な契約社会ではありません。精神構造も契約的ではなく、あうんの呼吸で全体を把握し、それに従って生きるという民族的特徴があります。だから「お金でものを測る」ということ自体がそぐわないと思います. ・・・・・・・・・一例を挙げます・・・・・・・・ 40年前から「明日にも来る」と言われ続けてきた東海地震はまだ来ていません.その代わり、阪神淡路大震災、2回の新潟地震、北海道太平洋側の地震、それに今回の東北大震災などの巨大地震が連発しました。 なぜでしょうか? これもまた拝金主義の結果です.もともと地震予知ができないから「地震予知の研究を開始しよう」というのが東海地震の研究ですから、論理的に言って「東海地震型の地震に先立って起こる」ということはあり得ないのです. 東海地震が先に来ることが学問的に判っていたのではなく、東大地震研に税金(地震予知の研究費)が行ったから東海地震が先に来ることになった、その結果、他の地域の研究がおろそかになって、阪神淡路大震災の6000人、東北大震災の2万人が亡くなったということですから、拝金主義の罪は深いのです. 今回の原発再開問題でも、福井県の原子力安全委員の多くの人(大学教授)が審査の相手になる関西電力などからお金をもらって審査をしていたと言うこと、九州の玄海原発を受け入れた町長の兄弟が原発関係の仕事の9割近くを受注していた、瓦礫を引き受けるのに熱心な市長とその受注者が瓦礫引き受けに反対する一般市民を恫喝する・・・などなど拝金主義のために私たちは安全な生活が何かも判らなくなってきています. 原子力安全委員が2011年3月に福島原発が爆発した後、責任をとって辞任しなかったのは1650万円の年俸と関係があると考えて良いでしょう.事故を起こした当時に社長だった東電の社長は2億円から5億円の退職金を受け取ったと言われます.本当に武士としては恥ずかしい限りです. ・・・・・・・・・ まずは学校で「人生はお金ではなく、仕事に命をかけることが大切」と言うことを教えることです。日本には宗教があまり強い影響を発揮していないので、このような日本文化の基本の基本は日本人が合意して教育に入れていく必要があります. 第二に、新聞やマスメディアが拝金主義の報道を止めることです。例えばプロ野球選手やその他のスポーツ選手の契約金などの報道を止めるか、もしサッカーなどでお金が目的の場合「スポーツ」に分類しないことが大切と思います. 社会は色々な楽しみが必要ですから、「エンターテイメントなったスポーツ」も存在価値がありますが、それはあくまでもエンターテイメントであって、スポーツではないと思います。その点で、今のプロサッカーは全くスポーツではなく、ラグビーの方はスポーツと分類できると思います。 拝金主義を変えて行くには、庶民のお酒の席の話から、NHKのニュースの「今日の円ドル相場」の放送の中止など、あらゆるところでお金の話をせず、お金をバカにすることからでしょう。それによって、「お金を蔑み、学問、文化、魂を尊重する」という社会に少しずつ戻していく必要があると思います。 まず我々ができることは「お金持ちを軽蔑し、お金を軽蔑すること」で、朝起きたら「今日も朝が来たか」ということを神様に感謝し、その日を精一杯生きる、そういう昔ながらの日本文化を取り戻せば、日本は再び良い国になると期待されます。 「takeda_20120328no.466-(13:00).mp3」をダウンロード (平成24年3月27日) 武田邦彦
2012年04月03日
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瓦礫と農業・・・静岡のお茶に学ぶ 私の価値観のベスト3は、「日本の子供、日本の土地、日本のコメ」です。コメというのは農作物・サカナなどのことですが、この3つを守らないで何を言っても意味が無いと私は思います。 ・・・・・・・・・ 福島原発事故の直後、人間にはまったく問題にならないぐらいの放射性物質しか流れていかなかった静岡でお茶がまったく出荷できなくなりました。まだはっきりした原因はわかっていませんが、時期や濃度から、おそらくお茶の葉にセシウムが選択的に付着したのでしょう。 わかりやすく言えば、「生物濃縮」です。まさかということが起こったのですから、静岡の農業の人はびっくりし、哀しみ、そして対策に追われました。 私がもっとも可哀想だと思ったのは、1年ぐらい前、静岡に行ったら地元の人がお茶を出さないのです。「セシウムの入ったお茶を出すと失礼だ」というのです。地元にとってなにが一番、自慢かというとその地元の名産です。そのお茶をお客さんに出せないというのですから、経済を通り越して哀しいことと思いました。 この静岡のお茶の教訓は「人間が大丈夫なレベルでも、農作物はダメになることがある」ということです。その後、牛肉、牛乳、キノコなどで「人間が住んでいるところから、高濃度に汚染された農作物がでる」というのを何回も経験したのです。 ・・・・・・・・・ 今、政府は「8000ベクレル(灰)なら人間が大丈夫だから、瓦礫を出してもよい」ということを言っていますが、農作物はどうなのか、どの農作物は汚染される危険性があるのか?についてまったく触れていません。 食糧自給率1%の東京が考えたことらしく、日本の農業、日本のコメが目に入っていないものと思います。その点で、政府は「農作物ごとの生物濃縮係数を発表し、そのもっとも低いものに合わせた基準を明らかにしてから」、瓦礫の搬出を行うべきです。 いつも同じことですが、政府が国民を家族の一人として本当の愛情をもって何かをしたことはここ数年、ほとんどないように思います。本当に血の通った政治を期待します。 「takeda_20120328no.465-(4:58).mp3」をダウンロード (平成24年3月28日) 武田邦彦
2012年04月01日
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