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総括:シリーズ・食材汚染(5) まとめ編「tdyno.33-(12:39).mp3」をダウンロード食材の汚染を研究、測定している方との合作で、現時点と近未来の汚染についてまとめてみました。すでにこれまでこのシリーズで出したものとダブる場合もあります。簡単にまとめましたので、頭に入れておいて、少しでも避けるようにするのが良いと思います。【これまでと同じように地域も広範囲に気を付けるべきもの】・キノコ類今日のテレビで「キノコがダイエットに良い」という宣伝を見ました。良心的な食材メーカーならキノコの汚染が激しいのですから、それについても触れるのが適当と思いましたが、まったく触れていません。・太平洋側の魚介類 (マダラ・ヒラメ・カレイ・クロダイ・スズキ・アイナメ等)広い海を回遊するサカナにはあまり汚染が見られず、狭い地域で活動するサカナに汚染が見られる傾向が続いています。【長期間、産地がどこかに気をつけるもの】・山菜類(タケノコを含む) ハーブ類レンコン、里芋など木の実(栗、クルミなど)常緑樹の果樹(ミカン、柚子など)ブルーベリーやキウイフルーツなど・乾物類(切り干し大根など)・淡水魚(ワカサギ、鮎、イワナ、モツゴなど)ジビエ類(イノシシ・鹿肉・野鴨・馬肉・野鳥・野うさぎなどの野生の鳥獣類)・山菜類や土の中に根を張るものの汚染が続いています。これは森の土壌などの改善が遅くなるのと、落ち葉などが汚染されているためです。また樹木が汚染されてその結果、果実に移行しているものに常緑樹のミカン、ユズなどが汚染されています。事故直後にこのブログに書きましたが、チェルノブイリの状態から見ると、セシウムは土の成分と類似しているので、土との親和性が高く、1年に1センチぐらいしか沈みません。そのデータからいうと事故から1,2年ですから、1センチから2センチの浅いところにまだ「居る」と考えられます。淡水魚は川のイオン(元素)が少ないので、体の中にセシウムなどが蓄積しがちです。またイノシシなども山が汚染されていますので、やはり肉も汚染されます。これらのものはいずれも「地域性があり、長期的に汚染される可能性がある」ものです。【産地と生産した年の両方に気を付けるもの】穀類、大豆などの基幹的な農作物は、産地と、その産地が汚染されている時期のものが入り交じっています。それは野菜などに比較して貯蔵ができるので、2011年春以前のもの(完全に安全)、2012年と様々で、しかも偽装や出荷待ちなどがあり、「安全だけれど(全体としては安全だが)、極端に危険なもの(事故の年の福島の農作物)などが混合している」という状態です。これに該当するものは、・小麦粉 ・そば粉 ・大豆・小豆 ・玄米・林檎、柿などの果樹【原材料に気をつける加工品】・平成23年産の穀類を使用したもの(玄米・蕎麦・うどん・小麦胚芽入りシリアルやクッキー、ビスケットなど)・平成23年産の大豆を使用した製品(豆腐・豆乳・きな粉など)*流通品のベビーフードから3.4Bq/kg出たものがあり。材料に白身魚・キノコ・レンコンなどを使用しているものは要注意流通している食材とは違って、自家製や近所のものでも、【関東圏辺りでの自家栽培のものは流通品より汚染が高い可能性もある】全体として陸のものの汚染は減っています。「平均値の法則」を利用して、「偏らない。同じものを食べない。同じ所のものを避ける」ことをすれば平均値として1キロ40ベクレルを下回ると考えられます。またこれもこのブログでくり返していることですが、被曝による病気は「確率的」なものです。難しい表現ですが、交通事故と似ています。交通事故は1年に5000人が亡くなりますが、それと同じ危険な状態が1年1ミリです。もし1年10ミリですと、交通事故に遭うのに比較して10倍も危険で、年間5万人の死者になります。このように「どこまでが安全で、どこまでが危険」というものではなく、「車に注意しなさい」とお母さんが言うように、子どもが登校するときには誰でも危険なのですが、お母さんの言いつけを守って車に注意しながら登校する子どものほうが交通事故に遭いにくいということです。被曝と患者さんの出方が数年後にわかりますから、それが比較的安全なら、少し警戒を緩めるというのが正しいでしょう。今の段階であまり大きく油断するのは将来に禍根を残します。(平成24年12月29日) 武田邦彦
2012年12月31日
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ゴマすれば巨大瓦礫引き取りの魅力・・・何もしないのにな税金をもらえる「garekitdyno.41-(8:14).mp3」をダウンロード2012年12月22日、共同通信から次の趣旨の驚くべきニュースが流れた。東日本大震災の「瓦礫」を広域で処理するにあたり、もともと瓦礫の処理をする地域ではない7道府県の市町や環境衛生組合など計14団体に総額約340億円の税金の交付を決定していたことがわかったという。実は、環境省が「瓦礫の受け入れを検討さえすれば、結果として受け入れなくても税金をあげる」との通達を出したからだ。さらに悪質なのは神奈川県の4団体で、「検討」さえしていなかった。共同通信がこれを指摘したので、環境省は神奈川県の計約160億円の決定を取り消す方針をだしたという。共同通信の指摘がなければ、税金はただ取りだった。・・・・・・・・・納税者の怒りはともかく、まずはこの事件の解説をしておきたい.民主党政府党というのはムチャクチャだったから、最初からそう思っていないと解説も容易ではない.東日本大震災の瓦礫は全部で2300万トンぐらいあった。ほぼ阪神大震災と同じ規模で、「普通」に処理できた。事実、震災直後から宮城の海岸にはずらっと瓦礫処理施設が並んで稼働したし、福島県は放射性物質を含む樹木なども処理したいので、瓦礫処理施設の増設を望んでいた.ところが政府が瓦礫を外に出すという方針を示してからは、被災地で瓦礫処理施設の建設を申請すると「審査に入らない」というイジメをしだいた。それは「何が何でも震災関連予算を震災に関係ない地域に配る」という圧力があったからだ。総量2300万トンの内、たった400万トンを外に出すことになり、遠くは北九州、静岡などに運搬した.北九州は若干放射性物質に汚染された瓦礫がトン20万円というべらぼうな値段で引き取られた.もともと瓦礫のような廃棄物はトン2万円が相場だから、税金だからといって10倍の値段をつけたのだ.それだけではない。当時、多くの人が疑問に思ったのは、被災地の瓦礫を引きうける必要もないのに、自治体の長が住民の反対を押し切って瓦礫を引きうける姿勢を示し、それに反対すると「日本人かっ!」とか「黙れっ!」と市民を叱った(もともと市民から選出された首長が市民を叱ることはできないのだが)。マスコミも黙っていたし、知識人も尻馬に乗って「同じ日本人なのに助けないとは何だ!」と怒鳴った.でも「裏」があったのだが、だれも報道しなかった.その「裏」とは、「瓦礫を引きうけると法外なお金が来る」ということだ。北九州は相場の10倍の瓦礫を引きうけて潤った.共同通信が報じた県はもともと瓦礫の処理地域になっていないので、瓦礫の処理をする事は無かったのに、「検討します」と言っただけで180億円をもらい、神奈川県は「申し込んだだけで検討もしない」という状態で160億円をもらった.該当する県の知事はある意味で犯罪、少しおまけしても「倫理違反」だから、辞任が適当だろう.国民に情報を出さずに、環境省から夜店の客引きのように「旦那(知事)さん。良い姑(税金)がいますよ」と電話をもらったのは確実だ.それがバレるので「助けないのかっ!」と感情的に怒鳴ったりした.人間は心がやましいといらだって怒る.政府の尻馬に乗った知識人やマスコミも大いに反省して欲しい。このような汚いことを「絆」などのことで激しく攻撃するというのは誠意がある人とは思えない。ただで税金を取ろうとした県と団体の名前を公表すべきであるし、現在の民主党の議員は辞職するべきだと私は思う。普通の人なら詐欺罪とか、企業なら横領罪に相当することをこれほどハッキリ政府が実施してもよいということにはならない。増税案のこのような政府のもとのものは実施すべきではない。こんなことをして「税金が足りないから増税」というのはあまりにも国民をバカにしている。(平成24年12月26日) 武田邦彦
2012年12月29日
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エネルギー・電力問題(1) 電気代値上げトリック・・経産省は値上げを認めてはいけない「tdyno.39-(9:38).mp3」をダウンロード原発を再稼働しないと電気代が高くなると言い、事実、関西電力や九州電力は電気代の値上げを申請する構えです.でも、この話は大きなトリックが含まれています。電気代は企業にとっても家庭にとっても大切ですから、政治家や知識人、マスコミなどにダマされないように正しい知識をつけたいと思います.また値上げ申請を審査する経産省は「電力の株主」ではなく、「国民の税金で運営されているところ」ですから、値上げ申請を認めず、もし電力が倒産したら、それを機会に分割すれば良いと考えられます。電気の売り上げは日本全体で約15兆円。そのうち原発は約3兆円.そこで「原発を止めたら大変だ。年間3兆円の負担が増える.それに加えて石油などを輸入しなければならないので、その負担がある」と説明されます.まず、年間3兆円ということですが、原発に出している直接的な税金が年間5000億円.それに地元対策、自治体の負担、政治家への献金などが約2000億円.電力が原発などを維持するために負担している広告宣伝費が1000億円で、約8000億円ですから、原発を止める事によって発生する損害は、約2兆円ということになります。さらに原料の濃縮ウランを売れば(高く売れます)、電力費の30%程度ですから、さらに1兆円が浮きます.原発を止めても本当は1兆円程度の損害でしょう.もっとも費用がかかるのは「原発をある程度やって、ある程度は停止する」というもので、この場合は相変わらず「原発対策費」は必要となり、かつ原発の廃炉の経費もかかるということになります。これが現在の政策です.・・・・・・・・・次に、日本は1.8億キロワットの電気を生産していて、この電気は原発が無くなっても「すでに日本国内にある火力発電所を稼働すればOK」という状態ですであることを良く理解しなければなりません.つまり、とりあえずは施設を作らなくても良いので、損害は「原発を動かさない」と言うことだけです。火力発電所を稼働させれば、原発は要らないことはすでにIEA(国際エネルギー機関)やその他の方が指摘しています.このシリーズですでに解説し、さらに今後どこかでこの問題も取り上げますが、ここでは「休んでいる火力発電所を動かせば大丈夫」ということです。火力発電所を稼働させるためには「石油などの燃料」を輸入する必要がありますが、輸入のお金は国民が電気代として払いますので、「購入する石油が余計にかかる」というは論理のトリックです.たとえば、トヨタの自動車が好調に売れているので、10%増産をするとします.そうすると、トヨタは現在より、鉄鋼や石油を10%多く輸入しなければなりません.もしこれが「日本の負担」、つまり負の負担になるのでしたら、「トヨタの国内工場が好調で増産する」ことは「日本の負担を増やす」事になります。でもそんなことを知識人やマスコミが発言したことはありません.トヨタの車が増産されることは日本の工業を盛んにすることで日本が発展し、輸入分の「ドルの流出」は輸出などでカバーされ、おつりが来ます.また国民が豊かになり、その分だけ活動量が増えるので、それでも国は発展します.何でも増産すれば、石油も鉄鉱石も輸入量が増えるのですが、それが「損失になる」などということはこれまで政府、知識人、経済学者、マスコミが一度も言ったことはありません.くり返しますが、「火力発電所を動かせば石油を買わなければならない。その分だけ日本は赤字になる」という論理では「今後、どんな産業でも日本でやると赤字になる」ということと同じです.電気もそうで、電気を増産して値段が安くなると、生産が盛んになり輸出が伸び、国民の生活が快適になります.単に輸入量を減らすというのでは、日本は衰退します.狙いがよくわかりますね.もともと、アメリカは8億キロワットを生産し、原発比率は日本の2分の1、電気代は日本の2分の1、送電線は長く、燃料費は日本と同じです.まず電気代を2分の1にする必要があります。これは「鉄鋼業と電力業の類似性」ですでに証明されていますが、現在の電力の経営陣が交代しないと、あまりに甘い体質なので無理と思います。・・・・・・・・・つまり、戦時体制である電力会社の独占を元に戻して自由競争にして、加えて原発も「自分のお金とリスクでやりなさい」と言えば自然に原発をやる電力会社はなくなります。次に、火力発電所を増やし、1.8億キロワットの生産を3.6億キロワットにしますと、電気代は2分の1になり、日本は豊かになるという政策がもっとも適切でしょう。簡単に言うと次の通りです.1)日本人のことを考えれば、原発を止めて火力発電にする、2)発電量を1.8億キロワットから3。6億キロワットに上げる、3)電力GDP弾性率を1.0とすると、電力総売上は30兆円になり、GDPは15兆円あがるので、1兆円から2兆円の損害をけすことができる、4)原発の損失が15年ほどで消えるので、その時に電気代を2分の1にする、5)「原発を止めると電気代が上がる」というのは「原発の利権8000億円から1兆円をとり続けたいから電気代が上がるという」と言うこと、と考えられます。いわゆる「原子力村」と言われるグループの利権と権力はかなり強く、自民党も長く便宜を受けているので、「税金も使う、電気代も上がる」ということになりますが、企業も大きな負担を受けるので、企業(たとえば経団連や中小企業連合会)がどのような態度にでるのかが注目されます.(平成24年12月24日) 武田邦彦
2012年12月27日
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健康シリーズ: タバコと自殺「tdyno.36-(9:10).mp3」をダウンロード増え続ける肺がんを何とかして減らそうということを考えている人は、このグラフを見て考え込むはずです。なにしろこの40年間、喫煙率は2分の1になって、肺がんは約10倍になっているのですから.タバコを吸ってもすぐには肺がんにならないという期間をいろいろ考慮しても到底、説明できません.少なくとも科学や医学の訓練を受けた人で、「もしかすると、肺がんとタバコはあまり強い関係が無いかも知れない。なぜだろう?」ぐらいは疑問を持って欲しいものです。科学や医学はとても難しいもので、そこでは人間の知恵はわずかです。だから常に私たちは「わからない事」が多いことに対して謙虚でなければならないと思います。一般の人が政府やテレビに影響されて、「タバコを吸うのはケシカラン!」と思うのは無理のないことで、あれほど「タバコを吸うと肺がんになる」とか、病院に行くと「あなたはタバコを吸うのですか? それじゃ診断はできません(本当にあった話)」などと言われれば、洗脳されるのは当然だからです。でも科学や医学の専門家はデータに基づき、慎重に判断しなければなりません。私も呼吸器官系の論文を時々、読みますが、簡単なように思える相関関係も、詳しく勉強すると疑問がわいてきます。まして、マクロ的(社会全体)で逆の関係になっている「タバコと肺がん」についてはよほどの注意が必要です。・・・・・・・・・ところで、医療が「病気(故障)を直す」というところから「予防(設計)」に踏みこむと、新しいさまざまな問題が出てきます。故障の修理は緊急を要することがありますが、「考え方」は簡単です。死ぬのを防ぎ、苦痛を除き、健康体にするということです。でも予防となると一気に違います。また病気をしていないのですから、人の人生そのものに医師の判断が入ることを意味しています。一つ、タバコに関して「人生設計」という観点から整理をしてみますと、NK細胞の研究で有名な奥村先生は、その著書や取材で次のように話しておられます。「自殺者34000人の内、2000人を任意に抽出して調べたら、タバコを吸っている人は一人もいなかった。このことはもしかすると34000人の中にタバコを吸っていた人がいない可能性がある」このことが今後の研究で確定したら、もしかすると「禁煙運動が自殺者を増やしている」ということになり、極端に言うと殺人罪でもある可能性も考えられます。なにしろタバコを吸うという個人的なことを強制的に止めさせようとしている野ですから、何かの悪い影響はあり得ます。・・・・・・科学は「実績(相関関係、帰納的推論)」と「因果関係(演繹的推論)」の二つが一致しないと確実ではありません。だから「タバコを吸う人は自殺しない」としても、それが演繹的(原理的といっても良い)な面からも納得性がなければなりません。現在の「ニコチンの学問」ではこのことを次のように考える事ができます。タバコを止めると禁断症状がでますが、この理由は「頭脳が必要としているニコチンが供給されない」ことによります。もちろん人によるのですが、ドーパミン、セロトニンなどの脳内活性物質の状態をニコチンがコントロールすると考えられています。「禁断症状」というとなにか「悪いこと」のように思いますが、睡眠でも食欲、性欲でも、人体に必要なものは不足すると禁断症状を呈しますので、最初から「タバコは悪いもの」としなければ、タバコを吸うのを止めると禁断症状がでるのは、人体の反応として特別ではありません。タバコが頭脳活動に影響を与えることはよく知られていて、「頭の整理ができる」、「ストレスが解消される」などの経験が報告されています。また、アイヌ民族では戦争を回避するためにタバコを多用しましたが、戦争で殺される人のことを考えると、タバコがそれを防ぐなら結構なことです。その意味で、アメリカでも、タバコを好むインディアンは平和主義であり、タバコを嫌う白人は戦闘的という特徴があります。禁煙運動がかなり感情的だったこともあって、感覚的ですが、なんとなく禁煙主義者は怒りっぽく、喫煙者は図々しいところはあっても、憎めないところもあるような気がします。・・・・・・一人の人の人生を考えた場合、また上のグラフを見ても、本当に現在のようにタバコを追放して良いのか? 人間社会をさらに無味乾燥の方向に追いやるのではないかと心配です。お酒を飲んで人に絡んだり、電車の中で吐いたりするのはいけないことですが、それと同じで他人の顔にタバコの煙を吹きかけることや、所構わず吸い殻を捨てるのが悪いのは当然ですが、それは「何をするにも公衆道徳は守りましょう」という一般的な事に過ぎません。このブログでは、特に「自分の好き嫌い、利害などで、真理と正義に悖ることをしない」という方向なので、「本当はタバコの煙がイヤなのだけれど、それは言いたくないので肺がんにしておく」ということには賛成しかねます。この論理は「本当は核武装したいのだけれど、それは言いたくないので原発は安全にしておく」というのと同じで、かなり危険で野蛮な社会に向かう可能性があるからです。(平成24年12月25日) 武田邦彦
2012年12月26日
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ブログ執筆の基本的な姿勢・・・事実に従ってそのまま書く「tdyno.29-(7:05).mp3」をダウンロード【第一の事件】1年ほど前に名古屋のとあるテレビ局で朝のニュース番組の解説をしたことがあります。なにかエネルギーの話になり、アナウンサーが「石油などの化石資源はあとどのぐらいありますか?」と質問したので「8000年ぐらいは大丈夫でしょう」と答えました。アナウンサーは「ずいぶんありますね」という感じでしたが、隣の朝日新聞の論説委員は「いい加減なことを言うな」という趣旨の発言をしました。自分のことをいばる訳ではありませんが、私は資源の専門家で大学教授として活動してきたのですから、自分の専門分野のことで新聞社の人から「いい加減」呼ばわりされる筋合いはないと思いました。そこで番組がおわり控え室で「私の見方と違うなら、根拠を示してくれ」と求めましたら、単に「受け売り」に過ぎないのです。当然と言えば当然で、朝日新聞の人が専門の論文を読んだり、現地に調査に行ったりしていないのですから、日本の中で報道されていること(つまり私の言う「空気的事実」)を信じているだけなのです。でも、その朝日新聞の論説委員が特に悪辣ということでもありません。日本の学者や専門家ですら、「資源がなくなると言う空気ならなくなると言う」、「温暖化するという空気なら温暖化するという」というのが今のやり方なのですから。私はここ20年来、「自らが学問的に「事実だ」と思うこと、また「解析したらこうなった」ということは、たとえそれが「日本の空気的事実」と反してもそのまま言う」ことにしています。こんな事を学者が念を押すこと自体がおかしいのですが、自分が事実だと思うことをそのまま言うと、「異端児」、「独自の考え」、「他人の心を配慮しない」と批判されることがあります。【第二の事件】朝日新聞の論説委員もそうですが、なぜ批判するかというと「みんなと違う」というのがその論拠です。このような「空気的事実」を「正しい」とした極端な例が南極の氷で、IPCCが「温暖化すると南極の氷が増える」と英語の報告書で書いているのを、環境省が故意に誤訳し、NHKがIPCCの報告に反して「温暖化すると南極の氷が減る」と報道して、「空気的事実」を作り上げました。そうすると、日本中が右へならえして科学とは正反対のことを言うようになり、その結果、IPCCの通りに言っている私が異端児になるという実に奇妙なことが起こったのです。この場合は学説でもなんでもなくて、私もNHKも同じIPCCを根拠にしていているのですが、NHKは「IPCCといってもIPCCのまま報道するより、空気的事実としたいもの」を報道するのが適当だと考えたのでしょう。NHKが間違った報道をするはずがないということで空気的事実が確定しました。これは日本社会にも影響を与えましたが、学者としての私の立場から言えば、「大きく研究をするのが阻害された」という結果になりました。【私の立場】私たち学者は「真理と正義を愛する」職業についていて、教育でも子どもたちに「真理と正義を愛せよ」と教えているのですから、到底、「みんなが受け入れやすいから」という理由でウソを研究したり、教えたりはできないのです。少し長くなりましたが、このブログで書くことは、1)事実であり、2)それに基づいた考え方であり、3)もし違う考えがあれば必ずそれも併記する、ということに終始します。社会にどんな空気的事実があっても、個人を批判したりするのはできるだけ控え、自分の心をまっすぐにして、冷静に書いていきたいと思っています。(平成24年12月21日) 武田邦彦
2012年12月23日
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超政治の未解決問題・・・このブログがこれから取り組むこと「tdyno.31-(9:22).mp3」をダウンロード総選挙がおわり、多くの方が新しい政治に期待を抱いていると思います。しかし、私は日本の最重要の未解決問題は「政治」にあるのではなく、「政治が解決することができない超政治」にあると思います。第一に、古く学際と言われ、近年では文理融合といえる自然科学と文科系学問の融合です。原発事故が技術的要因と組織や人の問題が絡んでいることは多くの人が認識しています。また東北大震災は天然災害と受け止められていますが、イタリアの地震学者の有罪判決のように実はこれも文理融合問題で、もし文理融合が成功していたら、東北大震災の被害は数100人規模ですんだと考えられます。第二に、三種の泥棒をハッキリさせて追放しなければならないと思います。三種の泥棒とは、「お金泥棒」、「時間泥棒」、そして「心泥棒」です。「お金泥棒」はおそらく人間が誕生してからすぐ発生したと思いますが、お金が大切と言ってもお金がなくて命や魂を失うものではありません。それから言うとミヒャエルエンデが描いた「時間泥棒」は私たちの人生で回復することができない人生の時間を奪うものです。それは今でも続き、さらに被害は拡大しています。しかし、もっと悲惨なのは「心泥棒」です。憲法では思想信条の自由が保障されていますが、思想信条の自由を現実に持つためには「正しい情報」が提供されなければなりません。超政治課題の第三番目が、新しい時代の生きがい(人生)です。日本より所得の低いフランス人の年間休暇38日、日本人8日(約5分の1)、旅行はフランス人20日、日本人2日。昼休みは電気を消され、エアコンは高く設定されてフーフー言っているのが日本人です.「ちゃんとした会社に勤め、真面目に働き、生活も規則正しく、将来のために貯金しています.・・・・・・僕は何のために生きているのでしょうか?」夢を持てず、人のお金を当てにし、ウソをつく政府・・・何のために生きているのか?と思うのは若い人だけではありません.でもこれは政治だけの問題ではなく、私たち自身が考えなければならないものと思うのです.この3つを中心にしてブログや放送に望みたいと思っています.特にブログは「マスコミの伝えないこと」に軸をおいてやろうと思います.そして教育基本法の旧条文にあるように「真理と正義を愛し」、かつ「楽しく、笑いながら」進みたいと思います.少し不真面目に感じるところも試みなのでお許しください.(平成24年12月20日) 武田邦彦
2012年12月21日
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政党の名前がまともになるまでの議論 第一案(実業党と虚業党)「tdyno.30-(10:49).mp3」をダウンロードテレビなどでは政策論争などをしているが、2012年の衆議院議員選挙(今度の選挙)は戦後の政治の歴史の一コマとして長く伝えられるだろう。自民党が大勝したということではなく、「選挙の関心が高いのに、投票率が低かった」ということだと思う。多くの人が「投票したくない」という気分であり、余りに長く続いた民主党の最低の政治はイヤだし、かといってこのまま不景気が続くのも耐えられないという現実問題から「しかたなく投票した」からだ。その第一原因は公約と正反対の政治をしたという民主党にあるが、第二原因は「政党名に示された政策無き政党」にあったと考えられる。議論するべきは「一つ一つの政策」にあるのではなく、「骨組み」をいくつか示すことだと私は思う.国防軍、外交、原発、TPPのようなことを一つ一つ決めるのではない。未来、維新、太陽・・・などは党名からは政策を推定することすらできない。「未来」はどういう未来なのか、その未来に到達するのにどういう考え方をとるのかが問題であり、それが推定もできない党名では党名がないのと同じである。民主、みんな、公明、国民の生活が第一・・・これも党名とは言えない。民主主義を否定するなら別だが、今の所、政治家で民主主義を否定し、選挙をしなくて良いと言っている人はいないからだ。わずかに政策を推定できる政党は「共産党」だけだ。「未来を作り、維新を実現する方法として共産主義にする」としているように見える。しかし、共産党の議員は「共産党は共産主義ではない。昔の輝かしい歴史を尊重して党名を残しているのだ」と言っているので、これも政党名ではない。できるだけ自由を尊重して規制をせず小さい政府で民活で行くという「自由党」と、社会保障などを増やして規制をし、増税して大きな政府で行くという「社会党」ならわかるが、自民党は増税で、原発を国が進めるのだから自由党ではない。自由党なら減税し、規制を緩め、原発も電力会社のリスクでやり、電力の独占を止めるという政策になる。基本方針が決まれば、自動的に政策の方向が決まる.基本方針がハッキリせず、党名が曖昧で、政策だけが「合意できるか」ということは考えられない.すでに「自由党」と「社会党」の区別は古いかもしれない。そうなら新しい時代の基本的な対立軸があるはずである.現代の日本の政治家は「どういう方法で日本を発展させ、国民を幸福にするか」という方法が思いつかない。だから、大きな方向を示さず、一つ一つの問題についてマスコミが作った「空気」に従ってコロコロ変えるだけだ。いわゆる「ぶれる」というのは、方法が決まっていないからだ。1. 小さな政府の「自由党」と大きな政府の「社会党」はあり得る(少し古い。自由党と似た考えの「減税党」があったけれど国政では消えた)。2. 地方重視の「連邦党」と霞ヶ関集中の「東京党」はあり得る(2012年の選挙で「連邦党」ぐらいは出てくると思ったけれど、出てこなかった)。3. 現場重視の「現場党」と管理中心の「虚業党」はあり得る。私は、「現場党」がよいのではないかと思う。現在の日本は、食糧自給率1%の東京がもっとも所得が多いことでわかるように「現場で作って→作っていない人がピンハネする」という構造で、ピンハネ組がいばっている。あるものに対して所得の分配率が悪いのだろう。「税金を納めている人が苦しみ、税金をもらっている人が楽をしている」と言ってもよいと思う。これも「分配率」が悪い。このような社会は衰退すると私は考えている。実質的な発展は現場にあるので現場が優遇されるような社会でないと日本は衰退し、子どもたちの時代は悲惨な日本になるだろう。原発問題も「現場党」なら、安全が証明されず、土地が汚れるし、火力発電所を建てれば良いのだから、原発は再稼働しないことになる.上の1から3以外に日本を発展させる「対立軸」があると思う。政治家が「何をやれば日本は繁栄するのか」をハッキリすることが大切な時期と思う。また、原発は現実に爆発し、原因もハッキリせず、被曝も続いているのだから、これは政策以前(もちろん再開できない)だ。(平成24年12月19日) 武田邦彦
2012年12月20日
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専門家が立派な社会が良いのだけれど「tdyno.28-(7:51).mp3」をダウンロード 社会に専門家というのは数が多く、たとえばタクシーの運転手や寿司職人なども専門家です.また古くは大工の棟梁が典型的な専門家でした. そして、専門家とお客さんには他の仕事に見られない特徴があります。それは「お客さんは希望を述べるだけ」というものです。 たとえばタクシーに乗ると「行き先=希望」だけを言うのが正しかったのです.そうするとタクシーの運転手は「わかりました」と一言だけ言って、自分の専門知識の中でもっとも早く、安全に目的地に到達するようにお客さんを運びます. 最近ではお客さんが道を指定することもありますが、これはタクシーが専門性を失っていることを示しています.・・・・・・・・・ 寿司職人の場合もそうで、カウンターに座ったら「大将、握ってくれ」と言えばよく、職人は「へい!」と一言。客の好みと仕入れ状況からもっとも客が楽しむことができるものを握ります. 寿司はどこにも「お値段と食べた量」を示すものがありません.「あがり」を飲んで払うだけです。職人がどれをどう勘定しているのか、そんなことを聞くのなら寿司を食べにいかなければ良いということです。・・・・・・・・・ 日本の棟梁(つまり大工さんで一級建築士)はお客さんから注文を聞くときに「家の形、間取り」などは一切、聞きませんでした.「棟梁、わしの家は4人家族で、ちょっとゆっくりしたいのだが。仕事場は少し狭くても良いから、頼むよ」と希望を言います。 棟梁は「わかった」とこれも一言、言って、その人の希望に沿うように専門知識を駆使し、かつ街の景観を損なわないように外見を工夫するのです。だからかつての日本の町並みは綺麗で揃っていました. 今でもフランスのパリやアメリカの住宅地に行くと整然と並んだ建物が印象的ですが、これは顧客が「希望」を述べて「方法」を指定しないことによっています。そればかりではありません.棟梁は山にいって「建てて後にも生きている木」を探して、それを使います.だからとても快適な家だったのです. 今では「専門性」というのはヨーロッパ文化と考えられて居ますが、実は、日本文化は専門性を尊重したのです.建築関係では、明治になって「設計と施工」が分離し、先進国の中では日本の建築はダメになりました.日本の一級建築士は顧客の希望ばかりか、外観、間取りなどを聞いて、不揃いのレベルの低い建築物を作るので、なかなか世界で認めてくれません. 私は「技術者資格の国際承認」についての国家の委員をしていましたが、日本の一級建築士は「専門家」ではないということでなかなか海外で資格を有効に使うことができませんでした。・・・・・・・・・ 専門化されたこの社会で専門の人の力を活かすには依頼する人はできるだけ希望だけを言った方が良いのです.お医者さんが優れていれば「どうも風邪気味で熱っぽい。お願いします」ぐらいが良くて、それを聞いたお医者さんが適切な治療をしてくれる・・・決して「注射を打ってください」とか「抗生物質が欲しい」などと言わない方が治りが早いはずです. でもそれには前提条件があります。それは「双方に誠実である」と言うことで、特に専門家の方が「職業倫理に徹している」ことが求められます。 でも、現代社会ではお金儲けが大切になって、職業として守るべき事がおろそかになっています。タクシーは遠回りをし、いかがわしい寿司職人は高いネタをつかい、最近ではお医者さんまで疑われる時代です. 原発などはもっと酷く、実際に爆発しているのに「安全だ」という専門家がいたり、自分で1年1ミリの限度を決めておいて、事故が起こるとコロッと変わるのですからどうにもなりません.民主党の政治家はもちろん専門家以前でした. でも、もし社会の人が幸福になるためには、それぞれの専門家が誠実であることが良いに決まっています.そうしたら安心してタクシーに乗り、安心して寿司屋に行くことができるからですし、日本人は絶対にそうなることができると思います。 その意味で、日本の発展のために(子どもの未来のために)「専門家の誠実さ」は格別に大切なのです。せっかく天皇陛下(国民の幸福を毎日、祈っていただける人)がおられるのですから、日本だけでもそうしたいですね。(平成24年12月18日) 武田邦彦
2012年12月18日
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選挙と原発「tdyno.33-(8:26).mp3」をダウンロード総選挙で自民党が勝ったことで、原発の再開に反対の人の内、ガックリきている方もおられると思います。人の活動には「報われることを願って活動する」場合と、「報われないことを覚悟で活動する」場合があります。私は原発事故以来、「子どもの被曝をできるだけ減らす」ということを中心として活動してきました。それは「報われない方向に努力する」という奇妙な活動です。というのは、「被曝を減らす」という事に成功したら、子どもの病気が減り、その結果「被曝が危険だと言っていたけれど、たった**人しか病気にならなかったじゃないか」と言われるからです。その意味ではまさに「自分が非難されるために日夜、努力をしている」ということになります。特に、被曝と病気は「確率的」なので、表面化しません。だから、いっそう、この傾向が高いのです。・・・・・・・・しかし、この世のお母さんの毎日は、子どもの将来を思って叱り、偏食を直し、陰では子どもの希望に添ってやれないことに涙を流すのです。自分が報われることを期待して子どもを育てるのではありません。まさに「優しいお母さんの無償の愛」なのです。かつて、日本の男性も同じでした。「母上様、幸光の戦死の報を受けても決して泣いてはなりません。靖国で待っています。きっと来てくれるでせうね。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければお父様お母様が死んでしまふ。否、日本国が大変なことになる。幸光は誰にも負けずきっとやります。母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます。」 海軍少佐 富澤幸光は昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊第19金剛隊でフィリッピンに出撃、戦死した。彼は北海道江差町の出身で23歳だった。兵士も同じですが、特攻隊員は「使命を果たすことは死ぬこと」であり、それは祖国の人たちを救うことにはなりましが、自らは命を落とします。まさに「成功することが報われないこと」です。死後の名誉は得ることができますが、家族の悲しみ、働き手を失った嘆きはいかばかりでしょう。しかも彼は23才です。・・・・・・・・・10年後に日本の子どもの誰もが被曝で病気にならないように、これからは苦しい日が続くと思います。「大したことはないじゃないか」に始まるさまざまな攻撃も予想されます。でも、緩めることは病気になる「確率」を増やすことになります。私は日本人が自ら決めた法令をできるだけ守る事、これが原発を運転したという間違いを犯した私たち大人の責任と思います。1) 一般人の内部と外部の合計被曝 1年1ミリ以内2) 土壌の汚染:1平方メートルあたり4万ベクレルを超えたところは東電が除去する、3) 食品の安全は1キロ40ベクレル以内(内部被曝0.4ミリシーベルト)(平成24年12月17日) 武田邦彦
2012年12月17日
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「ダダ漏れ」と「不祥事を説明する誠意」「dadamoretdyno.31-(6:57).mp3」をダウンロード日本の閉塞を打破するには「不正」を直すのが最も良い。それには第一に「ダダ漏れ」、第二に「仮に不祥事が起こったら正直に説明する誠意」のこの二つだろう。この2つを守るように社会が断固として戦えば、私はそれだけで8割程度は良い日本を取り戻すことができると思う。「ダダ漏れ」というのは「ネット」と「監視カメラ」の時代になったから実際に行うことが可能になったもので、官庁の会議室や大学の講義室、市役所の事務室など原則といて「公共」の所にはすべてカメラがついていて、それがオンラインで配信される.たとえば、財務省の会議室や局長室はすべてダダ漏れ状態になっていて、そこに国会議員が来て横やりを入れたり、大学の同期の人がきて利権をむさぼろうとすると、それをいつでも見ることができるというものだ。もともと「企業秘密」と言うけれど、私たちの日常生活でそれほど秘密にしなければならないことはない。私もすべての講演などは録音、録画OKでやっている。お役人や大学の先生は常に知られても良いことしか言ったり、行動したりすれば良いので、私生活ではないのだから、それで全くストレスは感じない.「どう言ったら自分の得になるだろうか?」と考えるほど、人間の頭脳は複雑ではないように思う.それを考えるなら「どうしたら自分の力を発揮できるだろう.その力の範囲で良い」としたほうが得になると私は信じている.・・・・・・・・・第二に、常に身を綺麗にしておいて、突如として人生が終わりになる覚悟をつけておくことだ。かつて新聞記者が貧乏で、腰に手ぬぐいを差し込んで赤提灯で一杯やっているときには事実に基づく良い記事を書いていた.ところが、20万円もする背広を着込み、ブランドもののネクタイを締め、ワインを飲むようになって新聞は政府よりになり、記事は提灯になった。「提灯を忘れて提灯となる」原発は安全と言っていたのだから、原子力の学者、電力会社はまず謝罪し、辞職し、それから再スタートを切る必要がある。もともと日本の原子力は広島・長崎があったから「公開」が原則なので、こんな暗い原子力になるとは思っていなかったけれど、やはり「少しでも得」と考える人が多くなって秘密主義になった.その点、敦賀原発で日本原電が「敦賀の断層は大丈夫だ.危険というなら科学的根拠を示せ」という公開質問状を出したのは評価できる.常に公開の場で議論することが大切で、日本原電の茨城第二原発は、防潮堤に穴が空いていて東北大震災の時に、せっかく防潮堤の高さは十分だったのに、穴から海水が浸入して停電し、あわや爆発という所まで行ったと「噂」されている。この際、日本原電が敦賀の断層で公開質問状を出したのだから、私も日本原電に対して「茨城第二原発の東北大震災の被害状況」について、「爆発寸前ではなかったのか?」という公開質問状を出すので、お答えをお願いしたい.(平成24年12月12日) 武田邦彦
2012年12月16日
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再び「天寿」と50才以上の男性の人生について「tenju2tdyno.48-(10:15).mp3」をダウンロード女性は子どもを産み、子どもを育て、孫の世話をし、家庭を守ることによって天寿を全うすることができる。これに対して男性は結婚し、子どもを作り、家族を養い、子どもの教育を完成するまでに50年かかる。それ以後はどうするのか?それまで貢献したというけれど、それはすべての人だ。男なら自分で考えろとも言えるけれど、少し検討してみたい。人間は「社会に貢献してはじめて健康になり、生きることができる」ことをこのブログで解説をしてきた。体の健康よりまずは「貢献」が第一であり、それができれば始めて「体の健康や食事」に注意する意味が出てくる.50才から65才ぐらいまではまだ仕事がある。でも、私は50才代で常に「50才以上の男性は意味が無いから、若い人の発言を良く聞くこと」と言っていた.この15年は徐々に自らを後退させて、後進を育てることに力を注ごうとした。私が50才代の教授だった頃、助手の人に「私は先生のように全身全霊で学生を教育することはできません」と言われた.後進を育てなければいけない年齢という意識が強すぎて、若干、行きすぎていたような気がする.63才になって、マスコミに出るようになり私は全国を駆け回り忙しくなったけれど、秘書などは置かなかった。自分ですべての雑用、切符の手配などを行っている.それは「若い人に自分の世話をさせるような事はしない」と思っているからだ.まず「自分のことはすべて自分でやる」という覚悟が必要だ.これは社会に貢献するから元気が出るし、体や頭の老化を防ぐこともできる。引退して時間が出来るようになっても、努力して仕事を見つけ年金に期待しないのが第一目標。しかし、年金制度は今でもあるので年金でもらったお金はすぐ使って若い人の商売を助ける.でも、長い間、「揺りかごから墓場まで」と言われてえ社会保障があり、引退したら年金という話だったので、今の65才以上の人に急に人生計画を変更することを求めるのは酷だから、今、50才ぐらいの人からだろう.若い人の年金負担が増えると言われるが、私は若い人に迷惑を掛けるぐらいなら、65才以上の人だけで共和国を作り独立採算でお互いに助け合っていけると思う.問題は仕事が無く、体も不調の時にどうするかということだ。せめて、道路の掃除などはできるし、人がありがた迷惑をしない程度のことを探す事になる。決して、若い人や子どもに小言を言ったりしてはいけない.自分の方が価値がないのだから。そういう生活の中で、私は「田畑を残す」と言うこと、つまり若い人に職業を作ることだ。自ら実業の経験のある人は工場を作り、工場で仕事をしたことのある人は低賃金で働いて工場を維持し、次第に若い人に譲るのも良いのではないか。「若い頃、働いたのだから、老人になったら若い人が面倒を見るべき」というのはいささか自然に反するようだ.特に私たちの世代は年金などがあり、若い頃は、それほど老人を助けなかったのだから.(平成24年12月9日) 武田邦彦
2012年12月15日
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頭の回転が鈍いのか、それとも悪意があるのか?・・・空気的事実だけ報道「tdyno.30-(9:21).mp3」をダウンロード温暖化に関する国際会議が開催されて日本のマスコミは、再び「取り返しのできないことになるので、温暖化阻止を進めるべき」との論調を貼っている。日本経済新聞も経済界の人が参考にするのだから、「事実」が大切なのに、不思議なことに社説で激しく「取り返しがつかない」と主張している。日本経済新聞は「頭の回転が鈍いのか、それとも悪意なのか」と疑ってしまった。すでにNHKは温暖化について「ヤラセ番組(ウソとわかっているものを繰り返し報道したり、放送すること)」が多かったので「悪意」であることは間違いないが、日本経済新聞はこれまである程度は誠意のある新聞だったので、もしかしたら頭の回転が悪いのかも知れない。・・・・・・・・放送法はその第3条で厳しく中立的内容を求めているが、新聞はある程度、自由である。しかし、虚偽と考えられることを報道するのは倫理的に不適切だ。「CO2による温暖化は取り返しのつかない損害を与えるので、直ちに厳しい対策を講じなければならない」という主張について、強い疑問がすでに投げかけられている。その内容は科学的なものと、国際的なものがある。1) 温暖化の被害として、「南極の氷が融けて海水面が上がりツバルが沈む」を主力にしてきたが、それが今はすっかり影を潜めた。IPCC(国連の地球温暖化パネル)ですら、正反対の報告書を出しているので、この根拠は何か。また最近、言及しなくなった理由は何か?2) 京都議定書からすでに15年。アメリカ、中国、ロシアの三国がCO2を削減していないのに、なぜ「緊急の課題」なのか、国際社会の中でなぜ日本だけがCO2削減の経済的損失を受けなければならないのか解説がない、3) 諸外国と比較して日本の被害はほとんどなく(国連では報告もされていない)、北海道の冬だけが温度が上がるだけで、なぜ日本が頑張らなければならないのか?これまで新聞やNHKが温暖化について報道をしてこなかったのなら別だが、多くの報道をしてきて、それらの報道と1)から3)の事実が大きな矛盾を生じているのに、それについてまったく言及せずに同じ論を主張するのは実に誠実さに欠ける。加えて、今後の寒冷化が懸念されているのだから、「温暖化阻止」が「安全な方向」でもない。一般的に温暖化より寒冷化が経済にも生活にも厳しいのは歴史の示すことだ。温暖化に関する科学的意見が科学者の間で別れていることは確かだが、その中で誠実な報道をすることはできる。その意味では、未だに「温暖化の被害の使い捨て」を行い、「世界情勢に言及せず」、さらに「日本と外国の被害」の比較すらしない報道姿勢は、そろそろ「よほど頭の回転が鈍い」か「悪意か」のいずれかに分類しなければならないだろう。おそらくは、「政府の方針に無批判に従っている」のか、それとも「政府が作り出した空気的事実を蔓延させるのが新聞の役割と思っているのか」のどちらかだろう。またかつて、2006年4月29日にNHKはクローズアップ現代で、ヤラセ番組「沈み行くツバル」を報道した。この説明をNHKはしておく必要がある。それが「誠意ある報道機関」の倫理である。(平成24年12月12日) 武田邦彦
2012年12月14日
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司法の崩壊・・・「最高裁の罠」(書籍、本日発売)と下地先生の逮捕「tdyno.51-(6:47).mp3」をダウンロード三権分立のもとで司法の主たる役割は何か? どこに何が書いてあっても、その第一の任務が「権力から国民の権利を守る」ことであるのは間違いない。もともと司法が権力側にいるなら、簡易裁判所ぐらいがあれば良く、最高裁判所のように国の権力に対抗できる力を持つ司法は入らない。ところが、立て続けに2つのこと、一つは出版、一つは逮捕劇が起こった。小沢一郎という政治家は口べたなのか、自分のしていることがほとんど報道されない。だから「ダダ漏れ」を支持する私としては報道態度を含めて信頼していないが、それでも「小沢一郎を起訴した警察審査会は開かれていなかった。最高裁事務総局の陰謀だった」という内容の書籍「最高裁の罠」にはビックリした。私は科学者だが、この書籍は「科学的事実」が書かれていて、政治の本と言えば政治だが、科学書としても立派な内容で事実がしっかり整理されて示されている。日本のメディアがこの事実を取り上げないのは驚きだし、「小沢が好き、嫌い」を超えて最高裁が犯罪を犯すこと自体が日本を揺るがす。下地先生の逮捕も司法が権力よりであることを十分に計算した警察の動きである。下地先生は大学の教官で、大阪の瓦礫焼却に反対されて抗議文を正当な手続きで大阪府に届けようとし、その経過の中での駅の通行妨害で逮捕された。さまざまな動画の記録が残っていて、到底、下地先生を逮捕に至るような通行の妨害はない。むしろ行動は冷静で、尊敬すべき立派な先生であることがわかる。警察は、街頭、または駅頭のような公共のところにおける表現の自由についての制約(届け出でなど)を最大限に生かして逮捕に踏み切ったのだろう。しかし、すべてを超えて国民の表現の自由が大切なことは言うまでも無い。もし、日本社会がこれほど権力に弱い状態でなければ、我が子の健康を心配する人たちが表現の自由の元に自らの意思を示すことに対して、警察は届けを出したJR西日本より、国民を守るはずだからである。自由は戦わなければ獲得できないというが、それは精神が劣るヨーロッパのことであって、武士道のもとに誠実と恩を精神的支柱にしている日本でこんなことがあるのは許されることではない。私も何度か鑑定で裁判の実体を見ているが、日本の裁判に正義を期待することはすでに幻想である。(平成24年12月10日) 武田邦彦
2012年12月12日
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シリーズ・食材汚染(2) 農作物(主食を除く)「tdyno.43-(10:22).mp3」をダウンロードシリーズ食材汚染の第二回目は農作物ですが、お米、小麦、大豆などのやや主食のものは別にして、その他の農作物をまず整理してみます。今回も基礎編、経過編、そして現在編の三つで書いてみます。【基礎編】原発事故の最初はほうれん草などの葉物野菜が汚染されましたが、空から放射性物質が降ってくるので、当然でもあります。土の上に落ちた放射性物質はその後、徐々に土にしみこんでいきます.そうなると事態は複雑になり、土の表面から、田んぼのようにドロと一緒に移動するもの、いったん葉についてそれが落ち葉となり次第にしみこむ・・様々です。また事故当時「ひまわりは放射性物質を吸い込む」ということで大臣まで出場して田んぼにひまわりを植えたことがありましたが、この例でもわかるように「どの植物でも同じようにセシウムを吸う」というのではなく、吸いやすいものと吸いにくいものがあり、それが汚染の程度の違いになります。つまり個別の農作物でかなり違うので、あまり一般的な傾向を考えない方が良いと思います。ただ、「植物は肝心なところにセシウムやストロンチウムを必要とする」ということはあり、たとえば「お米の粒」ですと、実の部分より胚の方が高く、野菜の葉っぱより芽や実に貯まりがちです.果物が一般に高いのもそれが原因していると考えられます.つまり、単に糖分や炭水化物の場所は「栄養の蓄積場所」ですが、胚や種などはそこから発芽したりしますので、金属元素が必要だからです。【経過編】柑橘類やキノコなどが2011年の最初の頃からズッと汚染されています。柑橘類の樹木についたものは樹木自体が多くて何年も実をならしますし、多年生と同じで影響が長く続くと考えられます。またキノコなどは母体の樹木や育てるための糠などに放射性物質が含まれていて経済的な理由や味などからすぐには新しい物に変えないという事も汚染の原因になっているようです。お母さんの中には1年半になってやや疲れた人もおられますが、事故直後に被爆したお子さんが多く、3年が一区切りですからもう少し頑張ってください。注意を要するのは「最近、汚染が少なくなってきた」という情報です.もちろん事実、変化しているのですが、放射性物質は「消えない」ということです。あるものは野菜やトラックのタイヤなどに付着して日本中に運ばれたり、洗浄した水が川から海に流れたものもあります。そうすると、食材の汚染が減っても空気中に飛散しているとか、西日本の食材がわずかに汚れてきているなどが起こります。全体として子どもの摂取量が減ったかどうかは直ちにはわからないのです.今のところまだ被曝と健康の関係が不明ですから、あまり急いで結論を出さずに「緩く注意する」という状態が必要と思います。【現在編】1) ほうれん草などの葉物野菜の汚染は低下していますが、福島、茨城などの「再飛散」の問題を抱えています。2) 果樹は全体的に汚染されています.柑橘類がもっとも危険で、栗、ぎんなん、柿、桃、キューイフルーツなどです。樹木に実をならす果物は常緑樹が多く、樹木自体が汚染されたので、汚染は長く続きそうです.3) タケノコ、キノコ類(干しシイタケも)、ハーブ、山菜類などの汚染が続いています。キノコは工場で作られているのが普通ですが、それでも汚染が多く見られます.栽培に使っているものが汚染されているからです.来年ぐらいから少しずつ改善されるのではないかと思います。また多年生草は汚染が消えないようです。4) レンコンは泥状の土地に植えるので、その自らセシウムを吸収しているようで、サツマイモは酸性土壌なので、これもセシウムをある程度溶かしているようです。コメもレンコンに汚染の傾向は似ています.5) カボチャも野菜と言えば野菜ですが、実と種ですから汚染が残っているようです。先回の牛乳のところでもお話をしましたが、「その時に汚染されているものを避ける」ということで「平均値として安全な領域になる」ということを使うのがもっとも良いと思います.また、「余り周囲に気にしている人がいない」というのが心理的な負担になっている人も見られますが、放射線の影響がハッキリするまでは、注意をして生活をし、被害が少なければゆるめ、被害が大きくなるようならさらにいっそう注意する事になります。今のところ、甲状腺の異常の問題がもっとも大きいのですが、それもハッキリはしていません.また白血病が初期に出るのですが、統計的な結果はまだ出ていません.外部からの被曝は一段落していますし、水は綺麗になっていますから、今は食材だけに注目し、この機会に少し料理を考えてみたりすることによって「災いを転じて福となす」ことも少しはできます.(平成24年12月9日) 武田邦彦
2012年12月10日
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民主党は最後まで口先政治。外交の大失態と投票権の喪失。 「tdyno.40-(5:28).mp3」をダウンロード北朝鮮が2012年12月10日から22日までの期間にミサイル打ち上げると発表したことで、日本政府(民主党政権)は強く北朝鮮に抗議をした。 ところが数日後、その政権の官房長官が「さっさと月曜日に上げてくれるといいんですが」と言う。これを当の本人は内容の反省をせず「舌足らず」と弁明している。正直に「北朝鮮のミサイルなど大したことはない」と弁明するべきだ。つまり、これは単なる言い間違いの問題ではない。北朝鮮がミサイルを打ち上げるのはケシカランと心の底から思い、そんなことがあったら日本国民が危険にさらされると考えているのなら、その考えがあるからうっかりしても「さっさと上げて欲しい」などという言葉は思いつかないからだ。今度の発言は国内の不信感をさらに高めたばかりではなく、日本国という国は平気でウソを言うことを国際的に明らかにしたことを意味している。何しろ重要閣僚の発言だから国益の損失も甚だしい。「国外、最低でも県外」、「直ちに健康に影響はない」、「増税に政治生命を賭ける」、そして「ミサイルを打ち上げて欲しい」・・・どれもこれもまったく政治的な信念もなく、ただ口先だけ、その場限りで発言していた民主党、とうとう最後までそうだったかと思う。これだけ「考えていることと口に出すこと」が違う政党の政治家が一人でも選挙で当選したら、日本の民主主義はやり直しになるだろう。ところで心にもないことを言う政治家が多く立候補している現状を考えると、小選挙区だから、一つの選挙区に誠実な政治家を探すことができない場合が多い。この際、新聞やテレビは形式的に党首の議論など止めて、「過去の言動から、誠実な政治家のいる小選挙区」を明らかにして、国民は自分の選挙区ではなく、「誠実な政治家が立候補している選挙区」で投票できるようにしなければならないだろう。今のままでは日本国憲法に定められた国民の権利を行使できない。議員定数の最高裁判決より実質的に権利の喪失になる。(平成24年12月8日) 武田邦彦
2012年12月09日
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シリーズ・食材汚染(1)・・・今、牛乳をどう考えるのか?「shokuzaigyuunyuutdyno.19-(12:02).mp3」をダウンロードお子さんをお持ちの方は「牛乳の汚染」に頭を悩ましてこられたと思います。このことについて、基礎編、経過編、現在編に分けて解説をします。このシリーズには多くの方がご協力頂きました。その方々やブログのご紹介もシリーズの中で進めていきますので、さらに詳しくは参考資料やブログをご覧下さい。【牛乳汚染の基礎編】牛乳汚染に注意が必要なのは、チェルノブイリのときに牛乳の汚染から小児がんが6000人でたとされていることです。私たちの判断力はそれほど高いものではありませんから、まずは経験したことに注意をするというのが私の考え方です。次に、牛乳はどこからか運ばれてきた牧草を食べた牛のお乳が汚染されますので、意外な場所で甲状腺がんにかかる人が出てくることです。これもこれまでの経験でわかっています。第三に、原発事故後にわかったことですが、日本の大手の牛乳メーカーが実に不誠実だったことです。牛乳を出荷するときに汚染は容易に測定できますし、乳児が牛乳を飲んでくれるから牛乳メーカーが存在できるのですから、今までのご恩に報いるためにも、原発事故が起こったら積極的に汚染状態を出すと思っていたら、まったく隠したままでした。こんなことが日本の一流食品メーカーで起こるとは思ってもいませんでした。今まで中国の食品についてあれほど厳しいことを言っていたマスコミも政府やスポンサーに気兼ねして、日本の子供を裏切りました。【経過編】原発事故直後の牧草の汚染について、それほどはっきりとわかっているわけでもありませんが、たとえば2011年には岩手県南部などで最も危険なレベルになり、茨城県でも1キログラムで1000ベクレルを超える状態も見られました。福島県の原発付近でさらに危険な牧草があったと考えられます。当然ですが、原発事故直後はそらから広島原爆が186発分に相当する放射性物質が落下してくるのですから、土地の一面に広がっている牧草が汚染されるのは当然です。本来は直ちに政府や自治体が出動して、牧草の測定を行い、一定の汚染された牧草を放射性物質を取り扱うことができる施設で焼却し、放射性物質を補足すれば随分、酪農家は助かったでしょう。でも、政府は何もやらず、「安全だ」、「汚染されるはずはない」を繰り返し、酪農家はそれまで子供が買ってくれた恩を忘れて、なんとか汚染を隠そうとしました。日本の酪農家は魂も、職業に対する誇りもなかったのですね。それから1年を経て、多くのお母さんが苦しみましたが、ヨウ素はなくなり、セシウム134(137ではない)も半減期が近づいてきました。その結果、2011年には各自治体の検査でも10ベクレルを超えるものが連続していたのに、岩手県南部の原乳も1キログラムで2ベクレル程度になってきました。現在(2012年12月)では、牛乳の平均的な汚染度は1ベクレルを切っているものと思われます。【現在編:今はどうしたらよいか?】年齢や好みからお子さんに牛乳を飲ませる必要のある人は、できるだけ大手の牛乳メーカーを避けて地元の牛乳を選び、もし大手を選ばざるを得ない場合は、同じメーカーのものを買い続けずに、外国産や地元の牛乳などと並行して購入してください。たとえ大手の牛乳に放射性物質が入っていても「平均値」が問題ですから、それで安全になります。この際、牛乳や乳製品から少し離れることも大切でしょう。もともと日本人は牛乳など必要のない体をしていますし、牛乳の分解酵素を持たず、アレルギーがおこる場合もあります。日本人はカルシウムを魚などからとってきた民族でもあります。いずれにしても事故直後から不誠実な行為を繰り返してきた日本の農水省、酪農家と大手牛乳メーカーですから、これからもあまり信用はできません。国民が税金を収めているのですから、農水省は国民の味方かと思っていましたら、実は生産者の利益代表だったのです。子供を裏切る牛乳関係者って、いったいなんなのでしょうか?【豆乳もあまり飲むと・・・】牛乳がダメなら豆乳をということで豆乳を水がわりに飲んでいる人もいますが、豆乳も「過ぎては及ばざるがごとし」で、最近問題になっているフィチン酸などを含んでいるので、適度に飲むことが大切です。大豆を使った食材には納豆のように発酵させて食べるものが多いのですが、これは大豆のフィチン酸ががんを抑制する効果はありますが、同時に金属元素をとりこみます。このことが「玄米や豆乳は放射性物質をとる」といわれた原因で、正しいのですが、鉄分や亜鉛なども取れなくなるので、他の病気にかかります。フィチン酸というのはベンゼン環にリンが6つもついた複雑な化合物で、金属元素と錯体というのを作り、取り込んで離さないという性質があります。つまり、良い面もあれば悪い面もあり、食材としては功罪あい半ばするというものです。もちろん納豆などの発酵大豆も取りすぎてはダメです。かつてはお金がなかったので、食材をあふれるほど食べるということはなかったのですが、今ではいくらでも買えるので、過剰にとるひともおられます。なんでも「過ぎ」ることは「足りない」のと同じという精神で、あまり多く取らないことが大切です。(平成24年12月7日) 武田邦彦
2012年12月08日
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勇気が足りない我が世代(1) 避難―除染―復帰「tdyno.06-(6:17).mp3」をダウンロードソ連のチェルノブイリ原発事故の時に、ソ連政府は翌日にキエフから大型バス1100台を出して、子どもを避難させた。チェルノブイリの被曝被害が少なかったのはソ連政府が素早く子どもを避難させたからだ。動物ですらヘリコプターで吊り上げて移動した。それに対して日本政府がなにもしなかったのはなぜだろうか? 「直ちに健康に影響がない」と政府は繰り返し、NHKや大新聞は自分たちの記者を福島から総引き上げをしたのに、「安全です」と放送したり伝えたりした。・・・・・・・・・・なぜ、こんなことが起こったのだろうか? 実は現在の日本の政治家は「虫の勇気」ほどの勇気を持っていないからではないか? 人生が始まってからこれまで家庭や自分の会社の中ぐらいは何とか新しいことができても、日本というような大きさを前にして、何かをするよりも、何もせず後は口でごまかす事だけをしてきたのではないか?原発周辺の住民に避難用のバスを出す決断すらできなかった精神構造を考えてみなければならない。事故の時の鉄則は、まず「避難」、そして「除染」、それからよくよく考えて「復帰」しうる時期に復帰ということ以外にする方法がないことは明らかである。あのときは寒かった。バスで住民を移動し、状態を見て次の判断をすることは十分にできた。でも、家庭的なことの範囲でしか判断ができなければ、このぐらいのことでも決断ができない可能性がある。その人たちを代議士に選んだのが間違いだった。そして、「被曝は大したことはない」と言う世界的にも独自の考えを持っている「法令違反の医師」を素早く呼んだり、NHKを利用して東大教授に虚偽の説明をさせることなどに奔走する狡さはあったようだ。けれど、自分たちを代表に選んだ国民を被曝から救う勇気はなかった。(このブログは講演会で多くの人が「なぜ、政府はバス一台も出さなかったのか?」という質問をされるので、その答えでもあります。)(平成24年12月6日)武田邦彦
2012年12月08日
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「物」が豊かになると「芸術」は衰えるか?「tdyno.338-(10:58).mp3」をダウンロード芸術は心の叫びであり、人間そのものであり、私たちが長く尊敬してきた活動でもある。「芸術家」というのは一見、世離れしているけれど、音楽にしても映画や絵画にしても私たちの心を強く打ち、感動をもたらすものである。今、音楽に親しもうとすると、クラシックは遙か昔に消え去り、ジャズ、シャンソン、タンゴ、歌謡曲も聴かなくなった。ルノアール、ゴッホから横山大観まで絵画も死に、トルストイや夏目漱石も遠い昔になった。オーケストラもマニア向けになり、ピアノの音がうるさいという苦情も聞かなくなった。バイオリンもフルートもさっぱり忘れた。藤間流、西川流、勅使河原、裏千家はどうなったのだろうか? 聞くと言えば一流の建築家と女優の結婚などの世話話だけである。長谷川一夫、岸恵子、そして外国にはリチャード・ウィドマークやクリスチーネ・カウフマン・・・銀幕を飾る多くのスタート、心から感動させる映画が日常生活の友人との話に出てきたし、年齢を超えて共通の話題になった。・・・・・・・・・日本人の生活から芸術が消え去った理由は「豊かになったから」と言われる。でも、芸術は「心の叫び」であり、それがなぜ「豊かになった」と言うことと関係しているのだろうか? ショパンは貴族のサロンで即興曲を弾いてご婦人を喜ばせ、あの絢爛豪華な安土城や大阪城のふすまを飾ったのは狩野永徳だった。芸術は生活の苦しさからも生まれるが、贅沢からさらに精神的に解放されたものが誕生するのが常である。もし、日本人がわずかな豊かさを手に入れたから芸術が生活から消え去ったのなら、もともと日本人には「魂の叫び」がなかったのではないかと思う。単に生活が苦しいから、人生が辛いからひとときの安らぎを求めて芸術に走ったというならそれは現実逃避のためのものであり、決して「人間の崇高な精神活動」とは呼べない。・・・・・・・・・豊かになったから日本人の人生から芸術が消え去ったのではない。私たちはお金の亡者となり、心を失い、ウソをつき、家畜のように生活をしているからにほかならない。かつて平安時代、貴族とて現代の人より貧しかったかもしれないが、桜、あじさい、そして秋の花の時期に長谷寺を訪れて親しい人の治癒を祈った。テレビを見ると目的も何も持たない政党が、ほぼ同じことを叫び、完璧にウソをついた政党の党首がまだしゃべっている。新幹線に乗ると「我が社は地球に優しい」という愚劣な宣伝を強制的に見させられる・・・なんということだろう。明るい生活を送ろうと電灯をつけると叱られる。その理由を聞くと経団連と電力会社を儲けさせなければならないらしい。昼休みに電気をつけて本を読もうとすると課長が来てスイッチを切り、真っ暗になる。「お前はただ黙って働けば良い。本など読む必要は無い」と言う。暖炉で小説を読み、ピアノを楽しみ、時に美術館に行く。踊りを見ながら食事をし、ゴルフ場の紅葉のすばらしさに感嘆したいけれど、どれもこれも今では人目を忍ばなければならない。タバコは追放されて生気に満ちた顔は見られなくなり、少しでも甘いものを食べようとすると「メタボ!」と注意される。織田作之助はどこにいったのか?今から20年前から、「節約」によって日本国は2分の1に縮小し、所得は460万円から410万円に下がり、今や国民平均の旅行は1年でわずか1泊二日。「国と国民の生活を悪くするための政治」が続くぐらいなら、国会と霞ヶ関を10年ほど閉鎖して、制約のない自由な人生を送ってみたいものである。・・・・・・・・・芸術は心の叫びである。その叫びは金亡者、イジメ体質、ウソつきから生まれることはない。豊かであるか人生が苦しいかではなく、現在の日本に芸術はおろか、精神活動すらなくなってしまったのは、「日本社会自体を喪失した」ことによって芸術は滅びたのだろう。今日も、私の心はバッシングを恐れて自由に筆も運べない。(平成24年11月30日) 武田邦彦
2012年12月05日
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巧妙なトリック政治・・・高校無料化と自然エネルギー「tdyno.02-(6:02).mp3」をダウンロード(被曝関係はもう少し待ってください)民主党の人には松下政経塾のご出身者が多いけれど、なぜ、あれほどのウソをついたり、トリック政治をしたかは、まだよくわからない。でもトリック政治を露骨に始めた事は間違いない。その一つが「高校授業料無料化」である。高校授業料無料化は2010年から「高校授業料無償化・就学支援金支給制度」が実施され、実質的に無料になっている。だから「トリック政治」では「公約を実行した」とされている.でもトリックである.実際には「公約」は実施されていない.政策には前提がある。「高校無料化のために増税をして無料化します」というのも政策と言えば政策だが、まずは支持されない.「増税をせずに無料化します」は支持される.「増税して無料化」が通るなら、何でもできるようなものだ。政策とは「選択」だから「何かを止めて高校無料化をする」ということだ。民主党は「無駄を無くせば財源がでて、増税しなくても高校無料化、高速道路無料化、子育て資金などが出せる」と言った.これは選択の問題だから政策になる.民主党は「増税に先立って高校無料化」をやった。その時は増税していない。その後「税収が足りないから増税」という順序を踏んだ.これがトリックである。・・・・・・・・・今回の選挙でも民主党はトリックを使ってくるので民主党の言っていることを吟味しても始まらない.ウソをつく人は一回では直らないからだ。一度、民主党を解体して出直す必要がある。今回の選挙でもっとも「トリック的」なのは「自然エネルギー」とか「再生可能エネルギー」である。簡単な原理だ。もし化石燃料で火力発電を動かせば、個人が負担する設備費は入らず、電気代はキロワットあたり約20円である.これに対して太陽光発電は、個人が100万円、税金で100万円という負担になり、電気代はキロワットあたり約40円になる.国民が電気代で払うか、税金で払うかは別にして、負担するのは国民で、利益は太陽光発電メーカー、住宅メーカー、天下り官僚、政策実施政党が取る.国民からすると実に馬鹿らしい.世界に豊富にある石炭や天然ガスなどの資源を使わずに、わざわざ太陽光発電をする。そして倍する負担は国民だ。しかし、高校無料化と同じで、「どこから金を取るか」を言わない.もし自然エネルギーなどを政策にしている政党が政権を握ると、既成事実として太陽光発電が増える。そして「負担が増えてきたから電気代を上げる.税金を上げる」というのが後から来る。これが今度の選挙の一つの大きなトリックである.テレビなどでは議論は中途半端に終わるから、その時間だけは切り抜けられるトリックが使われる.(平成24年12月3日) 武田邦彦
2012年12月04日
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政党名と欺瞞性・・・なぜ我々は「民主党」にダマされたか?「no001_00017131713.mp3」をダウンロード私たちが2009年の総選挙で民主党にダマされた原因をハッキリしておくことは、今度の総選挙でも同じ事をくり返すことがないためにも大切なことでしょう。かなりハッキリした公約、たとえば「脱原発」なども当てになりません。当選して政権を取ると正反対のことをする可能性が高いからです。今の政治家はそれほど誠実な人は多くありません。多くの政治家は「政治に誠意を尽くす」のではなく、「議員になって儲ける。もしくは名誉を得る」ことに目的があるからです。そうでないと、多の職業から見て日本に「自分が損しても、国のため」などという人が500人もいるはずもないからです。・・・・・・・・・第一の見分け方は「政党名」です。政党というのは「民主・公開のもとで国民が参加し、国を発展させ、国民の生活を良くして、幸福にするかについて現状を革新し未来に向かう」ことを目標にしています。この目的とは違う政党は今のところありません。だから、この文章の中に入っている言葉は「目的」であって「方法」ではありません。誰もが「独裁的、国民が参加しない、国を衰退させる、国民の生活を犠牲にする、不幸にする、現状のままで良い、未来を見ない」という目標では賛成しないことは明らかです。問題はその目標に至るのに採るべき「方法」が異なり、かつてなら「資本主義」で目標に到達しようとする西側諸国と、「共産主義」の方が良いという勢力がいましたが、これはまともで「どういう目標か」ではなく、「何をするか」の違いがハッキリしています。資本主義ではお金を中心として自由な競争をすることで人の活性を引き出し、最終的には国を発展させるということですし、共産主義はみんなが平等でみんなが努力するということでした。ちょっと聞くと、共産主義の方が良いように見えたのですが、「人間はエゴ、政治家はお金と権力」ということを忘れていましたので、みんなが平等でみんなで努力ということで始めたら、国民はサボり、政治家は私費を肥やすことになって崩壊しました。「理想」や「美しい言葉」ではなく、現実に「人間はエゴがある」、「政治家はお金や権力が欲しくて頭を下げている」という現実も直視しないと大変な事になることを示しています。つまり、「民主党」というのは、日本の政党の中で全部が「民主的手続き」と言っているのですから、「無名党」と同じだったのです。だから、「その日限りの政策」とか「耳障りの良い政策」だけで勝負ができます。全体のつじつまを合わせる必要は無く、「子ども手当を支給」と言えば良く、「その財源は?」と何回聞いても返事をせず、当選したら忘れるということになります。だから、民主、公明、国民、みんな、国土、発展、生活、幸福、新しい、革新、維新、未来、太陽・・・などは政党の名前になり得ないものです。このような党は心の中では「何をすれば良いかわからないから、目標だけを書いておこう」ということで政権を取ったら何をし始めるかまったくわかりません。だから、多くの国民が「どの党に入れようか?」と迷うのです。その中で本来の政党の名前を持っているのは、共産党と減税党だけで、共産党は共産主義ですし、減税党は減税をするという「国民が幸福になる革新的手段」が示されています。そのほかの党の場合、「本来の党名をつけることができないぐらい場当たり的」であるか、あるいは「頭が整理できず、まだ基本的な方法がついていない」ということでしょう。個別の政党を批判するのがこのブログの目的ではないので、代表的な「自由民主党」、「民主党」、「維新の会」だけについて、若干の解説をしますと、自由民主党は最初は「自由資本党」でした。つまりできるだけ個人の自由を尊重して企業を盛んにし、お金を中心とするという考えで、1980年代まではそうだったのですが、次第に変化して「利権、軍事」に傾いています。それが良いかどうかではなく、今では「特定利権・再軍備党」と命名するのが良いでしょう。民主党はもともと党名がないのと同じで、政権について主要公約の真逆をしましたから、「虚偽党」が良いでしょう。また「維新の会」は幕末から明治維新を念頭においていますが、幕末は「武家政治から絶対主義へ」という方向が決まっていて、それが「維新」だったのですから、「方法」はハッキリしていますが、今回の場合、「維新」とは「改革」と同じですから、方法ではありません。東京と大阪が連合したのですから、「大都市党」か「ピンハネ党」が良いのではないかと思います。2009年の選挙で私たちがダマされたのは、「優しく親切に聞こえ、お金がもらえるのではないか」とつまらないことを考えたからです。今でも「何もないところから自然エネルギーで電気を作ることができる」とか、民主党と同じで「財源がないのに***手当」などとしているところもあり、警戒が必要です。今度の選挙で、私たちが再び、非科学的、自分の利益だけを考えると、本当に私たちの子どもの時代はダメになってしまうでしょう.毎日、子どもによかれと思って育てた努力も無になってしまいます。「原発をやらない」という点では口先だけではなく、一貫して主張している所はほとんどありません。さらに「原発の代わりに再生可能エネルギー、自然エネルギー」と言っているところは口先だけということです。勇気を持って「原発の代わりは化石燃料」というところでないと政権を取ったらクルッと変わるでしょう。10年ぐらい国会を休止し、霞ヶ関の活動をやめたら日本は良い国になりそうです。(平成24年12月3日) 武田邦彦
2012年12月03日
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「理性」は「自己防御」を超えられるか?「tdyno.336-(10:40).mp3」をダウンロード「哲学」は愚劣で醜い学問であり、「物理」は美しい学問である、というと哲学の人はカッときて怒り出す.そこで「あれ、そんなことで腹が立つなら、あなたの哲学って大したことはないですね」と冷やかす.ちょっと批判されたぐらいで、相手の言うことも十分に聞かないで腹を立てるというのは「学問を学んでない人」だと哲学者は言っているのだから。実は、この問いには深い意味がある。人間は「生物」の一種であり、生物のDNAは「自己保存、種族保存」が完璧に行われるようにできている.それは実に巧みで、一見して自己犠牲に見えたり、矛盾しているように感じられても、人間の思考が及ばぬ所に「種族保存、自己保存」の狙いが潜んでいる.「哲学」は「理性」で論理を構築し、結論を出す.だから、科学的には「自分の頭が正しいと考える事は、種族防御・自己防御の範囲内を出ることができない」という原理原則を克服することができないからだ。そしてこの自己撞着を哲学が克服しうるかについては若干の研究はあるものの、真剣な考察はわずかしかない。多くの哲学者はうっかり哲学(政治学、法学、倫理学など)の道に入ったので、自己を防御したいという自己保存の殻に閉じこもっている。・・・・・・・・・たとえば、野田首相が「増税は絶対にしない」と公約して当選し(当選したかったから)、首相になったら「増税に命をかける」(財務省に言い顔をしたいから)というほどハッキリと矛盾していても、「哲学的にはいいわけができる」ということになるが、それはこの二つの相反する言動が「自己を守る」という点で、合理的だからである。また、「国民が良いと思うような公約(減税、ムダを減らす、子ども手当、高校無料化、高速道路無料化、コンクリートから人へ、CO2削減、普天間基地の県外移転)を掲げ、その結果(増税、予算100兆円超え、子ども手当支給せず扶養控除を無くす、ごく一部の高速道路をある時期に無料化、コンクリートも人も無し、CO2増加、普天間基地はそのまま)という状態」でも政権に留まることができ、かつ日本の哲学的な論壇(政治学、倫理学など)は異議を申し立てず、かえって報道も参加して、「単純な正しさ」を批判する人たちに攻撃の矛先を向けたりしている。・・・・・・・・・もう一つは、「現代文明は悪だ」という哲学的考え方もある。でも「現代文明」というのは、地球上の人が「少しでも良かれ」と考えて作り出した結果であり、それが「悪」ということになると、「地球上の人の全員が選択してきた結果より、哲学者一人が「良い」と思うことの方が上位にある」ということになる。もし、仮に現代文明が悪ならそれは「情報が正しく伝わって居ない」などの特殊な状態を仮定しなければならない。アメリカの正義、サンデルの正義は詭弁の中で成立する。1988年6月23日にアメリカ上院で始めて「地球温暖化は恐ろしい。直ちに世界各国は協調してCO2の削減をしなければならない」と訴えたアメリカは、一度もCO2を削減せず、日本のように「詭弁の哲学」をもっていない国がその犠牲になる。また最近、アメリカが支配する世界銀行が「温暖化が怖い」というレポートを出し、本人がCO2を削減しているのを知っている日本の知識人は、これを哲学的に処理して「さらにCO2の削減が必要である」と言い出した。日本が品性が高く、政治家が誠実みをもち、専門家が自らの名誉やお金より職業としての倫理を重んじるようになれば、アメリカ的詭弁、哲学的八百代言が影を潜め、自然や現実に根ざした日本的で上品な社会を取り戻すことができるように思う。そうするといとも簡単に野田首相、地球温暖化、サンデルの正義などに潜む欺瞞性をすべての人が感じることができるだろう。それを妨げているのは、何もしない(農業、工業)でピンハネで巨万の富と権力を手にしてきた東京であり、これを解体するのが日本の繁栄と幸福で充実した人生の実現に必須のことだろう。(平成24年11月29日) 武田邦彦
2012年12月01日
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