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おととい読んだ本。「マシューブック特別篇 現代社会のスピリチュアルな真相」 スザンヌ・ワード著 森田玄・きくちゆみ訳 ナチュラルスピリット社 1500円マシュー君は10代で事故で亡くなったのですが10年以上経った後スピリットの形でお母さんにメッセージを送ります。それを本にしたのが「マシューブック」といわれるシリーズなのですが上記の本は特別篇とあって今現在の地球の状態をエネルギー的によくわかるように解説してくれています。ゲリー・ボーネル著の「新・光の12日間」と同じように2012年に向かうにあたっておこっている様々な解釈を示してくれています。私は、情報は光だと思っています。ある情報を自分が受け取った時自分で取り入れるか、取り入れないか決めてよいのです。だから、私もこれが真実なのだ、と宣伝するつもりは全くありません。でも、今おこっている様々な出来事を大きなマインドでみることは私にとって、時にとても大事で、有用なのです。だから、私はマシューブックに書かれていることがすんなり入ってきましたがそうでない方もいるでしょう。興味を持たれた方がもしいれば読んでみて下さい。帯にはこうあります。「地球はアセンションに向かって着実にすすんでいます。」前向きなメッセージを受け取っていただけると思います。
2008年11月30日
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先日、研修会での昼休み、1人レストランでお昼を食べていたところ隣のテーブルの2人連れの会話が耳に入り興味深くてフンフンと聞いていました。女性がしきりに「前世」について話していました。自分が思いがけないシンクロによってある女性と知り合いになってそれが驚きの展開らしく(そのあたりは話が済んでいたようで聴こえてこなかった)「絶対前世からの縁だよ」と興奮状態で話しています。聞いている男性の方は、「前世とか信じられない。そんなのこの世の中では通らないよ。結局、最終的には信じる、信じない、の世界でしょう。」など言っていて興味はあるけど「前世はいただけない」といった感じでしょうか。延々とそのことで2人は話を繰り返していました。結構盛り上がっていました。笑輪廻転生という思想は仏教では説いていますしダライラマのお話や本にものっています。今では、テレビや雑誌で「前世が・・・」と言ったり書いたりしても流れていくし半数以上の人が生まれ変わりの思想を受け入れる、という報告データもあるそうです。自分で思い出しちゃえ、という人にはモンロー研究所「ヘミシンク」なんかもあるし過去生回帰のセラピーなどもありますね。前世って言葉がね~なんかもっとビンゴなネーミングはないものか?「源が同じ魂のもう一つの物語」・・・・・なんじゃそりゃ!信じる、信じない、は意見が分かれるのでしょうが興味深い話題ではあるようです。というのも、なぜかこれに関連した質問を最近いただくのです。「新しくなったクリニックでオーラがみれる器械?が入ったと聞きましたがそうなんですか?」ー?私もあるならみて欲しい・・・当院にはありません。「ホメオパシーで過去生がわかるってホントですか?」ー! あなたの過去生がわかる、とは言えないですねえ。「フラワーエッセンスってオーラをピカピカにしてくれますか?過去生のトラウマとか解消したいんですけど」ーこれもハイ、イイエともですね。 オーラというエネルギー体の中の感情体に主に働きかけます。 でも、いくらフラワーエッセンスを飲んでもスプレーしても 結局自分のあり方・思いグセ・考えグセが変わらなければ 現実で結果がでるのには時間が要るのです。 ファッションでフラワーエッセンスを使うこともできます。 でも、自分を変えるのは必ず自分自身だけです。 なんでもそうですが、薬もフラワーエッセンスもホメオパシーも どういう意図で自分が助けてももらうのか、ということです。 癒しや治癒は自分の中から始まる、というのは変わりません。「思いグセを変えるにはどうしたらいいですか?」ー好きな質問ですね。私も日々何がいいのかな、って思っています。 私のしらないこともあるでしょうから、何でもあなたの興味がわいてやってみたい、と思う ことを試したらいかが?と思います。 脳のシナプス結合は可塑性があり、変わりますので「変化することは可能です」、これは 声を大にしてお伝えしたいです。 私の試みた方法の数々 ・感謝ゲーム ・フラワーエッセンス ・ホメオパシー ・直傳霊氣(性癖) ・ホ・オポノポノ ・信頼できる透視者の透視を受ける ・読書 ・固い決意 ・宣言 ・瞑想 などなど どれも、いい、と自分で思ってその時々試みたものなのです。時間や経済的に負担がないように手始めは・ホ・オポノポノを読む・「感謝すること」もうひとのせいにはしない、を読む・もう少し何かないかしら~と思ったら「ハトホルの書」を読んでそこにのっている エネルギーのエクササイズを実践する・そして、それを固い決意でひたすら実践する今は私はおおむねこれでうまくいっています♪皆さんも自分のやりやすい方法で日々実践です!読むだけ、受けるだけ、聴くだけでは、不十分です。新しい情報を受けてなるほど、と思ったら実際の生活で試してうまくいくかどうかやってみるのです。そして、はじめて自分のオリジナルの経験になります。そうやって脳のシナプスは変化していくのです、素晴らしい!
2008年11月29日
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今日は大忙しでした。クリニックの標榜は「整形外科・リハビリテーション科」なので雨が降ると足もとが悪くて来院者数は減ることが多いのですが逆に急なお怪我や飛び込みリハビリの方も多く今さきほどようやく昼ごはん・・・って早夕飯みたい・・・・をつまみました。何か不具合がある中で、当院を選んでいらして下さるのですからこちらも気合が入ります!同級生で、大学病院の眼科医がいますが彼女が言うには、大学病院の眼科外来もトイレに行く間がないほど連日超多忙だとのこと。何回も膀胱炎になりかけた、と笑い話ですが言っていました。なんで病院がこんなに混雑してるのでしょう?病院にいけば何とかなる、という場合もありますが日本のホリステイック医代表選手、帯津先生のお言葉通リ「攻めの養生」がもっともっと浸透していったらいいな~と思わずにはいられません。「攻めの養生」とは病気になってからするものではなく、明日死ぬとわかっていてもするもの、明日あちらの世界に飛び込んでいくまで運動、食事、考え方、感じ方、生き方すべてを最高にもっていきどんな状態でも幸せでいる、という養生です♪病気は突然やってくるように思えてしまうけれど本当のところ、日頃の積み重ねの結果です。だから、私も今、コーヒータイム。ボーッとして先ほどの患者さんとの有意義なお話を反芻して1時間後に母業にもどります。夕飯、何にしようかな~♪いま食べたところだから、全然アイデアがわかない・・・・トホホ。
2008年11月28日
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昨日の「特大十字架」にひそかに共感してくださった方が多かったのかネーミングが「!」だったのかはわかりませんがすごくたくさんの方が私のブログにいらしてくださっていました。もしかしたら、私と同じような「罪意識」を身体意識(潜在意識)にお持ちの方が多いのかしら?と思い、今日も続編を。自分が罪悪感を隠し持っていると、頭で理解していて何とかしようと奮闘していた頃、ある出来事がありました。それほど親しくはない顔見知りから、子供に対するお叱りの連絡を受けました。私は、このことにすごく動揺して、不快な気持ち、怒り、がすぐ湧き上がってきました。内容は書きませんが、第3者からみれば、「ケンカ両成敗」のような出来事なのではないか、と思います。私:頭ではよーく理解してました。これが自分を攻撃しているわけじゃないこと、先方のコメントも本当のところ先方が感じたことをただ言っているだけなのに、私がそれを「攻撃されてる」「非難されてる」と思い込んでネガテイブに反応してる、と。でも、私は理解しているようには簡単に反応しませんでした。出来なかった。先方に対して怒りをすごく感じました。自分の心の中の感情で相手を攻撃していました。そのときは自分自身の中に平和はありませんでした。ずっとそうだった、というわけではありません、ときには相手が与えてくれたこのできごとからのレッスンを客観的にみて感謝することも少しはありました。でも、それはすぐ大きな激情にかき消されそうでした。そして、その状態の自分をも「イヤだな」と思っていました。私の無意識の中に「大きな罪意識など」があって、それに私が出来事をリンクさせてしまったわけです。それも、頭で理解できていました(!)エネルギーが先、でてきた表現・表象はその結果、であるのだから(これは絶対です)私自身の中の「種」がこの出来事を引き寄せたわけです。私は、相手に嫌な感情をいだいて自分自身の真の原因(怒りや自分の自尊心の低さ)をカモフラージュすることも、相手をただ中立に見る、そして自分自身の中の「種」をあらためてみせてくれてよいきっかけをくれたことへ心から感謝することも、どちらも選択できました。その中であっちに、こっちにゆれてゆれて~。自分の中心を保つことが大変難しかったのです。その上、さらにその件で子供を叱り飛ばしました。「あんたのせいで(!)こんな風になってるのよ」と言わんばかりに。いまでは、笑ってしまうのですが、子供の言動で自分の幸せ感が振り回されていました。子供や他人がいい子、いい人→私は幸せ→だからみんないい人でいてね子供や他人がよくない→私は気分が悪いです→だからそういうことやめてねこういう状況って実はすごくよくあります。渦中にいると気がつきにくいのです。私は、自分の隠し持っていた「罪意識など」に触れられ、それを表に出さないように怒りを相手や子供に投影する、という形で表現してコトをさらに大きくしてしまった、というわけです。一連の私の内部の葛藤と争いののち、「わかっていても、相手や子供を責めるという形で反応してしまった・・・・・」とさらに私の「罪意識など」は大きくなりひどく落ち込みました。心に平和を見い出すのに、いきつけの神社である日。内なる声がはっきりとこういいました。「ほんとうの許しというのは、何をしても何があっても何を言ってもそれでもあなたを心から愛して大きな価値ある存在としてみています、ということです。これは、今のあなた方の世界では善悪の価値判断がなくなる、と恐れられている考えであるとは理解しています。でも、これが真実なのです。あなたが何をしようがしまいが、何を考えようが何を言おうが、それに伴ない判断しているのは、いつだってあなた方自身です。自分で自分を許すことができないのです。自分で自分を素晴らしい存在だと思っていない、というだけの話です。私たちの見方はまったく違います。あなた方を何をしたか何をなしとげたか、何を話したかで見ることはありません。あなた自身の本来の素晴らしい姿しかみえないのです。そもそも、罪などはじめからないのですから。」泣けて泣けて仕方ありませんでした。確かに、そうなんです。私は自分が許せなかった、自分がイヤだった、自分が素晴らしいとはまったく思えなかった。この内なる声を聞き取った日、娘とお風呂に入ったのですが、娘が「アメージング・グレース」を歌いだしました。名探偵コナンの映画に出てきたのだそうです。そして、こう言いました。「ママ、アメージング・グレースって許しの歌なんだよ」!私は人間としてまだまだいろいろ経験するしいろいろ感じていくし子供にも教えてもらうし教えていくしあれこれと生きていくけど私が何をしたか、何を言ったか、どうなのかなんていうことで私の存在価値は変わることがないんだ、私は「罪意識など」を隠し持っていたけれど本当にこれは許しのレッスンだった、そう心から思えてはじめて自分を許せる、そう感じました。相手へも子供へも、こころから感謝することができました。私は特別なんかじゃない、だから、私と同じようにあなたも、ただここで存在して感じて生きているだけでも素晴らしい存在で価値があって無条件に愛されています。そして、それを内にこめていないで表現していく時代に生きています。他人にも、あなたのここが素晴らしい、あなたのあそこが輝いている、そう言ってください。そして、同じような素晴らしいものを自分ももっていることを認めていきましょう。
2008年11月27日
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以前にも何回かブログでふれていますが私の信念体系の中に強くあった「罪悪感」。その周囲にたくさんの似ている信念を伴なっていました。「無価値感」「生まれてきたことの罪意識」「低い自尊心」「重い重い罪」なんのこっちゃ、という感じですが自分で自分を深く見ていくと重い重い大きな十字架を背負ってただひたすらそれが当然とまわりをかきわけかきわけ、つらそうに歩いている私がみえるのです。そして、いろいろ試みてやっと罪悪感とおさらば、と思ったら十字架はまだ背負ったままで歩くのをやめて疲れて座り込んでいただけ、ということも。十字架はまだ背負ってるんだ・・・・と途方にくれました。なんでそうまでして罪意識があるのかよくわからないのです。子供時代のトラウマやら、別の生でのひどい行いの数々を悔いているのか理由はなんでも挙げられると思うのですが何とも非常にしつこくて(笑)本当におかしいくらいなんです。十字架を背負って(しかも特大!)歩くのは勝手だけど、もう時代遅れなんですよ~そういうの・・・・。特大の十字架を背負わなきゃ、と自分でどこかで固く決めてしまったのでしょうね・・・。今の自分とは関係ないような古いふるい過去(時間軸での)の記憶に今現在の私の行動が制限されていて、全部自分のまいた種だといわれても頭でそれが理解できたとしてもどうするんじゃ!もうそういう契約はただただ破棄する、ということです。自分で自分をそう仕立て上げているのですから。ほんとのところ、「十字架を背負うような罪」をおってはいなかった、それはただの舞台上の劇中の役割だった、本来の私は素晴らしい存在!そうこころから100%思えるようにまわりの人々へこころをひらいて感謝エネルギーをおくることを選んでいます。特大の十字架?そのうち手のひらサイズになって私のすばらしい思い出となることでしょう。笑
2008年11月26日
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同じ位の年代の女性、はたから見たらこころの中の漠然とした不安など感じることはないけれど、身体の不調というサインで私のところに相談に来てくださる方々。人は肉体以上の存在とお話してもすんなり受け止めて下さる方の多いこと。私のもつ同じような不安や心配(過去の経験談ふくめ)のお話をしたりフラワーエッセンスでは魂の転生という思想がある、とご紹介してもほとんど皆さん「当然」に近い受け止め方をされます。不安が病気を作ることもあります、と言うとその概念を頭ではよく理解できていても病気に対する不安という罠から抜けられない、とおっしゃる方もかなりいます。不安も一種のエネルギーなので長々不安を感じて感じているとエネルギー体の中で不安エネルギーがますます大きくなりしまいには不安なことを呼び込んでしまいます。だから、「不安」が忍び寄ってきたのに気がついたら「次いこう!」とか「キャンセル」とか「不安は破棄します」など宣言して気分のよくなることに行動を移し始めることが第一歩です。不安を中和してくれるフラワーエッセンスやその他さまざまな手法もあるけれど、不安を感じているのは自分自身であるのですから、そして、不安エネルギー自体は、中立なただの重いエネルギーなのですから不安に支配されるのではなく不安を手の中に包みこんであげればいいのです。私のもとにおいで~と引き込め引き受ければ、不安の支配下で堂々巡りをするのではなく新たな視点を得ることができます。引き受け氣功やホ・オポノポノなどみな同じことを伝えてくれています。
2008年11月25日
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今日は一日息子の野球の試合でした。2試合目は雨の中。寒かったです・・・・2試合とも勝ち、寒さも忘れ嬉しいそうな子供たち。ピシッと全員の息があってチームとしてしっかりした動きができていました。6年間、雨の日も風の日も寒い日も暑い日も練習してきた賜物かもしれません。夜ごはんはあったかくすき焼きANDおうどん。・・・・でも、疲れたのか息子はただいま爆睡中。起きたら皆でご飯にいたします~。
2008年11月24日
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「もし、有機体が実際には存在しないストレスを「知覚する」と、その誤った知覚が、その「信念」を受容するよう、遺伝子を変えることがある。」 細胞生物学者 ブルース・リプトン博士自分自身に否定的な信念を植え付けた出来事を探索するより、大事なことがあるのでは、と常々思っています。原因を細かく探求するより、それが自分の感じた本物の感情であり、その昔のエネルギーにいまでも大きく影響されている、ということに気がついてそれでも、そう感じた自分の気持ちは本当だった、他の誰かが共感してくれなくてもそのときの自分の気持ちはそうだったんだ、とじぶんで自分を許し、認めてあげることがいいんじゃないかな、と思っています。自己イメージを変えるのには何年もかかると思いこんでいたり変容は大変だ、と信じているならそうなるだけの話。自分じゃできない、そんなこと、そう信じていたらそうなります。私は普通に幸せに生きていましたがさまざまな自分を統合していく中で思いがけない自分を見つけてきました。でも、私に限らず、たいていの人は無条件に愛されながら育っていません、おそらく。ありのままではなく、何をしたか、何ができたか、で愛されて育ってきています。6歳、7歳くらいまでのこうした信念体系下での発育は本人の意識するしないに関わらずその後の人生ほとんどに大きな影響を与えます。そして、無意識の想念に自動操縦されていくわけです。そして、いい大人になり自分で子供をもったり家族をもったり親が老いたりしていく中でようやく自分の子供時代を振り返ることになるのです。私はごく普通の家庭に育ちましたが自分の中に「私が何を成し遂げたかで愛される」→「ありのままの私は必要とされていない」というコアな信念を持っていました。特別劣悪な環境で育ったわけじゃないのですから、私たちの誰でもが、こうした自分の思い込みでその後の人生を創造していっているのです。自分の心を深く深く掘り下げて潜んでいるものを見ていくと私の隠し持っていた信念に近いものをあなたもお持ちなのではないかと思います。自分が感じた気持ちは本当だったし、何も悪いものではなかったのだから、親や兄弟や環境を憎み、悲しくて怒っている自分をただただ許し受け止めその気持ちは本当だったと認めてあげましょう。他の誰かは同意していなくても、自分はそう感じたんだ、それでよかったと価値を認めてあげるのです。抑圧した真の感情にエネルギーを消費していると、表面上は幸せそうでいてもいつもなんだか疲れていたり不愉快であったり気分がふさぎこみがちであったりどこかがいつも痛かったりするのです。そうしているうちに、病気という低い波動の状態を引き寄せることになります。
2008年11月24日
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昨日土曜日の朝日新聞beに取り上げられていた「大地を守る会」というおいしい有機野菜の宅配事業の代表、藤田和芳さんの言葉。「農薬の危険性を100万回叫ぶより、1本の無農薬のダイコンを作り、運び、食べることから始めよう。」マザーテレサの「反戦運動ではなく、平和運動を」というあの姿勢に通じるな~と思い読みました。宇宙にあまねく存在する生命エネルギーの活用方法を実践しているこうした先人達の言葉は共通していますね。この姿勢は私の大好きな姿勢です。こうありたい、といつも思っています。
2008年11月23日
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下の子を出産してもうすぐ7年になるので妊娠、出産はだいぶ前の出来事になりました。でも、なぜか出産の不安をもつ方からの質問や相談がある私。2回しか経験していないし、普通の大学病院での出産だからあまりよきアドバイスができるとも思えません。よくある質問、「陣痛はどういう痛みなんですか?」とか、「いきむ、ってどうするんですか?」「なんだか怖いんです」などなど。自分の出産の時も、なぜか周囲の妊婦さんママたちに質問されることが多かったのです。知識があるから、落ち着いていられる、ということは少しあるのかな?医学部での勉強でよかったことは、わたしの場合、人体の中がどうなっているのか、解剖的にある臓器や血管、神経系、内分泌系などなどを詳細にイメージできること、それから、出産の時の胎児の様子が思い描けること。せまい産道をどうやって回旋しながらうまくでてくるか、よーくイメージできたし、母体の呼吸がいかに大事かも理解できたしだから、陣痛のさなかでも胎児に酸素を送るイメージや、産道をいまどんな状態で胎児が回旋しているかかなりはっきり見えていました(イメージできました)。だから、出産に関して不安のご相談をいただくと、私は産道をおりてくる胎児のリアルな絵ののった本や産科の教科書をおすすめします。繰り返し読んでいると、実際の場面でも、今何がおこっていてどうなっているのか、頭でよく理解できるので痛みや突然の出来事にも冷静でいられます。そして、自分のすること(呼吸法やリラックスなど)に集中できるのです。これと同じようなことが今の時代にも当てはまるのかな、って思っています。なにがおこっているのか、宇宙規模でどういう状態にあるのか、詳細を知らなくても、ある程度の知識を得ておくことは大きな視点で物事をみるうえで、一つの判断材料になると思うからです。おいていかれる恐怖から自動的に反応するのではなく、この大イベントを必ず乗り切るし、できればさらに楽しむ余裕があったら、と願うとき少々の知識を本から得るのはいいものです。私の何冊かの教科書の1つ→「新・光の12日間」 ゲリー・ボーネル著 徳間書店 724円ただ読むだけでも面白いですよ。
2008年11月22日
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要領のよい方法、とか、エネルギー効率のよいように、などというと、あたかもすごく合理的という印象を与えてしまうこともありますね。また、マジックテープの片側がなくなると今までそこでだけ接点をもっていた人や物事はくっつけなくなるということもあります。それでも、進化の川で流される潔さが好きな私。エネルギーワーカー脇坂りんさんの訳した「ライトボデイの目覚め」改訂新版の訳者あとがきから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私たちが自分の進化する方向性の自由を重んじるなら、おなじようにまわりの中の人々の自由も尊重するべきです。だから人を傷つける意図でないかぎり、ある意味では「なんでもあり」だし、土俵の違う人にいつまでも「ああだ、こうだ」言っていても、それはたいへん要領が悪い方法だといえます。受け入れること、受け流すことを学びましょう。そして、思い出してください。中心ではみなひとりひとりつながっていても、細かい部分ではいろんなズレがあり、細分化して異なっているからこそ、一緒にいても切磋琢磨できるし、飽きのこない人生が送れるし、大量の情報を根源に提供できるし、つまりはそれだけ超高速のお楽しみが増えるということでもあるのでした。私たち全員が「不完全」そうに見えてじつは「完全」なのです。そして、無駄はどこにもありません。他人を指さして、あの人はここが悪いなどと言っているひまがあったら、その人のここが素晴らしいと思うよ、というポジテイブな面を見つけて、そういう話をしましょう。そして、それを当人に言ってあげてください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうそう!この姿勢大好き♪ということで、いつもスッキリしています。他人からみると、ちょっとサッパリすぎ?笑あ、でもこれが私です♪フフフ
2008年11月21日
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繰り返し読む本の1つ、「ビューイック・ドライバー」 ゲリー・ボーネル著 (ゲリー氏はアカシックレコードリーダーです)の中の一節。幼いときのゲリー少年が意識的体外離脱によって高次の存在イーライとコミュニケーションをして様々な学びを得ていくのですが、その中の一場面。ゲリー少年「僕は自分のハートを見つけられるかな?」イーライ「もちろん」ゲリー少年「どうやって?」イーライ「一瞬一瞬を充分に生きることと、善悪の固定観念を捨て去ることによって。そのときから君は、君自身の真の目的に従って生きはじめる。これは、あらゆる人間の真の使命でもある。」・・・・・・・・・・・・・・・イーライのように子供に接して導いていく大人がたくさんいたら世界は大きくかわっていく。いま、その過程にあるのかな?イーライの伝えていることは、すごく難しいことでしょうか?変なことでしょうか?皆、自分の気持ちと意思で、できることじゃないかな、と思います。まわりの誰かがしていなくても、私はそうあります、ということはそんなに孤独でさみしい状態ではありません。私も!と思い切って挙手してみると、先を歩いて道をひらいていた先人達の残した道が見えてきています。頭で考えていたより、ずっと容易で自由で気分がいいです。今まで習ってきたこと、いま習っていることと違うことをほんとうの自分が感じているのに気がついたら、イーライの言葉を読んでみてください。子供たちに接する私たち大人たちが、まず、イーライの教えを実際に生活に、取り入れるのはいかがでしょう?「善悪の固定観念を捨て去ることによって自分のハートを生きられる」ならそれが私たちの生まれてきた本当の大きな意味であるなら今から、すぐ、そうあろうではありませんか?!
2008年11月20日
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丁度素晴らしい記事がきましたので・・・・おのころ心平のカラダマネジメントもお読み下さい。
2008年11月19日
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以前に私が教えをいただいた直観医療の先生の言葉。「風邪がうつると思っていますか?」私がうすうす感じていたことを当たり前のようにさらっというのでスッキリしたと同時にこれが一体どれだけの人に受け入れられるのかな、とも正直思ってしまった言葉。風邪、に限らず、インフルエンザ症状でも人から人へうつる(飛沫感染)、というのが今のパラダイムでしょうか。でも、すべては振動する情報(波動といってもいいし、バイブレーションといってもいいけれどね)という観点からすると、近くて大きな振動数でなければ影響はない、わけですね。先生もそうおっしゃってこんな話をされていました。その先生は英語圏の先生ですが、各国を飛び歩いていて国々で毎回ほぼ同じ通訳さんがつくそうです。話の内容もすべて通訳するのだから、当然先生の話(すべては振動するエネルギーの表れ)も通訳して耳に入っているはずなのに(!)あるとき、到着した空港で通訳さんが「先生、ごめんなさい。私大変な風邪をひいてしまって、先生にうつさないように、離れて歩きますね。」と言ってきたそうです。先生は、「あら、あなたが風邪だからといって、どうして近くにいるというだけで私が同じ風邪にうつらなくてはならないの?」と笑って答えたけど、通訳さんには理解されないようだったわ、とこれまた笑っていました。そして、昨日知人からインフルエンザの予防注射をうけようか悩んでる、という相談があったのですが、基本的に自分の意識のありようがどうか、に大きく関わってくるのです。予防接種を受けて、自分自身が「これで大丈夫!」と安心大ならうけたらいかが?副作用が心配とか、本当に効果あるの?とか、受けてもかかることあるよね、とか新型インフルが心配だから、とか様々な理由が交錯するなら、その中で一番強く長々と考えることが自分におこる可能性が高くなります。集合意識の中には、インフルエンザは怖い、というのがあるのかもしれないですね。でも、インフルエンザは漢方薬も効くしね~結局のところ、自分のよい、という考えに従うのがいいわけです。私は、去年は自分には接種していません。今年もしないと思います。でも、それがいい、と皆にふれまわる気持ちもありません。自己責任です。もし私がインフレエンザにかかったら、漢方薬をのんで安静にして家族には少しごめんね、だけど少し休養させてもらい、身体の浄化ととらえて感謝の気持ちでいようとは思っています。つまり、私の習った先生のように、今までのパラダイムを客観的に見る、という選択をしつつその上で、自分におきることは自分で受け入れて素敵でない状況でも、ポジテイブでいられる自由を実践する、ということです。ネガテイブだと思っていることも大きな目線では必ずしもそうではありません。今はその仕組みがよく理解できなくてもそういう考えを受け入れて、自分のこととして、その考えの下、生きていたいと思うのです。それが、天を地に下ろす、ということだと思うのです。多分、アイデアだけでなくて、自分でそれを体現していく、というあり方が私のプロジェクトなのかも。
2008年11月19日
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子供地球基金ってご存知ですか?私は昨日知りました。娘といった二子玉川高島屋のロビーでクリスマスデコレーションがなされたツリーのまわりに世界の子供たちの絵が展示されていました。様々な境遇の世界の子供たちの描いた絵が子供たちを助ける、という循環が子供地球基金のあり方だそうです。何点か展示されていた実物の絵のまえで、私はそのエネルギーの美しさにこころが踊りました。私からは想像しかできないような困難や危険を経て、人間であれば誰でももつ深い悲しみ、絶望、怒り、などの感情を情熱に変換していく力強さに、涙のうえに強い優しさや生き抜く力を感じたのです。先ほど、毎朝の簡単な内観の時間にふと、あるアイデアが。子供地球基金のHPには、寄付の様々な方法が載っていました。あの、子供たちの描いた絵がリース、という形でレンタルできるようです。クリニックにお借りしたい!あの絵たちにこめられた様々な思いを直接見ることで自由に感じることができるしお借りする賃料を払うことで子供たちへの基金にあてられる。受け取ったアイデアを理性部分がチェックしはじめ・・・・近いうちに子供地球基金の絵の展示されているというギャラリーにいこう、そう決心しました。子供たちの描いた絵たちは、子供たちのエネルギーであふれています。その絵を目にすることで皆それぞれ思うことや感じることは異なるでしょうが、それでも、アートの発するメッセージは潜在意識に浸透していきます。さきほど降ってきたこのアイデア、まだ先方には何もコンタクトはとっていないけれど(笑)お祈りに加えたし♪是非皆さんもうまく展開するようにお祈りしてください!今後の進展を、またご報告できると思います。あ~なんだか楽しみでワクワクしてきました。ありがとう、世界の子供たち!
2008年11月18日
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「実践 引き寄せの法則 感情に従って幸せの川を下ろう」 エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス ソフトバンククリエイテイブ社 1700円普通は見えない世界の教師の集合体、エイブラハムの本の1冊。実践、とついているだけあって事例が33個のっているのだけどうんうん、とうなずくものばかり。特に私はピンチ!の時、読み返すのは事例3「子供たちが年中ケンカしていて気が狂いそうです」の単元。患者さんにすすめるのは、事例1「深刻な診断を下されました。あと、どれだけたてば解決策がみつかるでしょうか?」事例28「夫の病気が大変に重いのですが」エイブラハムの教えで私が「うん!」と明るくうなずけるのは、すべては自分次第だっていう自由を再確認させてくれるところ。他人の経験は、たとえ、それが愛する家族であっても創造できない、と言い切るところが潔くて。(あ、創造の触媒になることや影響を及ぼすことはできます)自分におこることは、目を背けたいことでも、自分がその信号を発信したから、そういう、まことの智慧をどんどん人生に応用、実践していくと生きることが楽に楽しくなり環境や相手のせいにすることはなくなり(だって、どんなイヤだと思っている相手や環境も自分の体験をかわりに創造できないから)こころも身体も健康に♪目の前に未知があるけど何でもつくっていいし、どんな食材を使ってもいいし、材料や食材は足りないことは決してなくて豊かにある、ということを皆が思い出せば人生はすべて自分のためにあると皆が思い出せば争いは減り、自分をも、同じように他者をも尊重して調和して皆が明るくいられるでしょう。まずは本で読んで理解して、それを自分の実際に生きた智慧として活用する、ということがポイントだと思います。自分の生活のなかで、エイブラハムの教えに限らず多くの智慧を実際に生きること、それが緊急課題です。
2008年11月17日
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関東大震災の頃、医療が充分でないころに助けになったといわれる直傳靈氣;(正式名:正式名称は、心身改善臼井靈氣療法です。1922(大正11)年肇祖臼井甕男によって開発された、手当てによる癒しの技術です。心身改善を目的とした手技です。肉体、精神の改善はもとより、悪癖の修正、遠隔による活用も可能です。戦前には100万人以上の実践者がいました(宗教ではありません)。 宇宙(太陽)からの靈氣(エネルギー)を取り次ぐ宇宙(太陽)からの靈氣療法(ヒーリング)を簡単に言いますと、宇宙(太陽)からの靈氣(エネルギー)を受け取り、施術者(ヒーラー)が自分の身体を通して増幅し患者に与える作業です。)誰でも霊授を受けて施術することができます。私もお身体のトリートメントをする中でどうしてもゆるみがもう1歩、というときに使っています。自分が受けて靈氣エネルギーを実感しているのでこれに限らずもっと広まればいいな、と思います。大正時代には、結核や火傷などにとても効果があったそうです。また、「神道のこころ」という本の著者、医師免許を持ち、春日大社の宮司でもある葉室 頼昭さんが若い頃自分の結核がほぼ一瞬で自然治癒したという経験を医師としての目線から書かれています。この本の中で、自分の患者さんで脳卒中の後遺症で半身が不自由な方が自身の鍼治療で一瞬で回復したという話も載っています。こういう、治癒の実話がもっともっと情報として広まればいいな、とも思います。後天的な病気は一時的な状態で、本人がどうありたいかで、必ず方法があるんだ、ということを質の高い伝え手が、質の高い情報を発信していくことを望みます。もし、自分に、家族に、不具合が生じたら、よくなった人の話を聞きましょう。よくなった人の書いた本を読み、気分がよくなる考えを探し、気持ちがよくなる方法をを知っている人に相談しましょう。また、医療者は、自分が発する言葉や態度すべてが病気に悩み不安や心配でいっぱいの相手をどれだけ圧倒するかを知っている必要があります。こころをひらいて、あらゆる可能性を探索してその人のためになる情報をできるだけ探すようにしたいです。環境や考えが一人一人異なる人間ですが皆に共通する「つながり」の部分に火をともすのに今のところ、医療者はとてもよいポジションにいると思うからです。一緒に進んでいきましょう!多くの人で歩んでいけば、その道は少しずつ太く歩きやすい道になると思います。
2008年11月16日
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ヒューレン博士の本、「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」 徳間書店をふと読み返していて「やっぱり!」と大いにうなずく文章がありました。「なぜなのか、どうしてか、などというのはどうでもいいことです。どうやって手放してゼロになるか、自由になるかということが問題なのです。そして、次に大切なのは、問題がどこからきているかということです。まだほとんどの人が、問題が潜在意識の中の記憶の再生によって引き起こされていることに気がついていません。そこまでわかったら次に大切になるのは、その記憶をどうやって消去するかということです。例えば、心臓に問題を抱えているとしましょう。このようなときは、まず心臓に問題を起こしている潜在意識の中の記憶に対して「見せてくれてありがとう」と感謝することです。心臓病だったりすると、それを引き起こしている記憶に抵抗したり、嫌悪したりしてしまいがちですが、そうすると問題が拡大していきます。ですから、「病気として見せてくれてありがとう」「いま、表れてくれてありがとう」と感謝するのです。すると、心臓に問題をおこしていた記憶が消去されます。」潜在意識をクリーニングするのに子供でもわかる簡単な言葉でクリーニングするのですが(本を読んでくださいね)この方法のように、誰でもいつでも、簡単にできること、これが大事です。どこかにいったり、何かしてもらう、ということではなくて自分でできる、そういうことが大事だと思うのです。私もクリーニング続けていますよ♪し続けるんです。だって、簡単だもん。こういうシンプルなの大好き!実践が大事ですから、皆さんも本を読んでなるほど、と思ったら是非実践をおすすめします。
2008年11月15日
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夜寝る時間を言うと、「そんな時間にねちゃうの?」と驚かれることしばしば。・・・・夜10時半には眠くなります。1年生の娘も、しっかり睡眠をとらないと朝がきついタイプのようなので一緒に寝ています。朝は5時すぎに起きるので7時間睡眠♪バッチリ。夜中12時をまわっておきている事なんて、ここ数年ほとんどないです。病院勤務の頃の当直は私には大変きつかったです。卒業したてで元気勇気たくさんのときは仲間とワイワイ、夜中働きまくったのもなつかしい思い出。河田町の大学病院で内科ローテーションを2年したのですがそこでの当直がなんだか特によい思い出です。女医さんが多くていごこちがよかった・・・・朝普通に勤務して入院患者さんを診て検査したり雑務をせっせとこなして夕方当直仲間みんなで出前を頼んでおくのだけどあっという間に患者さんがたくさんでご飯にありつけるのが夜11時すぎなんてこともよくありました。夜中も1,2時間まとまって睡眠がとれれば御の字。ひっきりなしに動き回っていました。朝になってもシャワーも浴びずに洗面だけして翌日の業務にそのまま入ります。今も毎日がんばっている先生方、応援しています♪今となっては微笑ましいけど、もう私はできないなー。身体がついていかないと思います。逆に患者さんになっちゃいそう。笑ここ最近は、睡眠時間はエネルギー体の調整時間。見えない美しい(光の)存在に調整を依頼して眠ります。このところの私の教科書は「プレアデス覚醒への道」アモラ・クアン・イン著 太陽出版本から、自分で取り組むことができるいろいろな方法を教えてもらうことができます。朝起きてスッキリ!ということもなんか昨日までと違うなあ、と感じることもあって寝ている間でもきちんと願えばコトは成されるのね、、、と実感。これからの時代は誰かに何かをしてもらう、というのではなくて自分で自分の中にある「恵み、本当のしなやかさや優しさ、強さ」に積極的に活躍してもらいありたい自分を自分で創造していくのです。時にプロやに専門家に手助けをおねがいするのもいいでしょうし第3者の目線は貴重ですが自分が何を感じて、どうしたいのか、どこかのすごい誰かに何かを言われたからとかじゃなくて自分の中の美や調和に自分で光をあてていく作業をもっともっとしていくことになると思っています。私もそれの真っ最中♪ツールは何でも自分にあったものを自由に選択すればいいのだしすばらしい時代です。
2008年11月15日
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秋は紅葉狩りや旅にふさわしい季節ですね。どこか自然がたくさんのところにでかけたいなあ・・・森の色と香、川の水音、雲や空の景色、都会で日々忙殺されているのでゆったりしたところへプチ旅行でもいいのででかけたいです。
2008年11月14日
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自分のかかえる葛藤に気がついてもはじめのうちはどうしたものかわからないので途方にくれてしまって結局古いあり方に甘んじてしまう、ということありませんか?葛藤に気がついたらそれがどこから来たのかとかいつのものなのかとか理性は知りたがるでしょうが、その情報は正しいものであってもそれを知ったところで葛藤に参加していては全く意味がないと思いませんか?原因がいつとか、どうとか、そんなことより、自分のかかえる葛藤に参加しないでいる、という強い決意が必要なんだと思うのです。生き延びて、自分を守るため、周囲のせいにして私たちは生きてきました。でも、そのあり方は舞台上の演劇でした。もう、幕は閉じます。俳優や女優として演じるのは終りです。衣装をぬいで、本来のじぶんに戻る時間なのにあまりに長い間演じていたのでその役がらのクセがしみこんでいることがあります。そこで生じる葛藤。葛藤に参加しないこと、古いパターンは確かに私の中にあるけれどもう、その役柄には参加しません!と言い切っていいのです。新しい舞台は、本来の美しい自分自身で、参加しようではありませんか!私は、そうしたいと思っています。
2008年11月13日
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「多くの人がこう聞きます。私にとって何がベストな選択ですか?でも、ベストな選択などないのです。ただ、何かおこったときにあなたがどう反応するのかそれによって未来といわれることが決まってくるのです。だから、ベストな選択はどれかと悩まないで下さい。あなたが選択したものがベストでありそこで最善の反応をするまでです。」ハワイ島在住の過去生回帰セラピストのウイリアム・レーネンさんの本によくでてくるフレーズです。私は、頭で考えすぎて踏み出せない、ということが多々あるので、このレーネンさんのフレーズは折にふれ読み返しています。イヤだと感じることも人生ではおこるのです、とレーネンさんは言います。そして、それにどう反応するのかそれを毎瞬毎瞬選択しているわけですね。自分の状態を幸状態に保つには相手を責めたり環境のせいにしたり家族のせいにしたりする今までのお決まりの古いやり方ではなくすべては自分から始まりだからじっくりと自分の中をみつめる、という作業がいります。慣れないうちはとまどうこともありますがこの作業は自由を実感できるし何より慣れてくると楽しい♪です。「お、こんなひねりが!」とわれながら思うこともしばしば。古い信念や幻想が浮上した時はギョッとすることもあるけどでもやっぱり嬉しい!見えないところにためておくなんて今まで氣の遠くなるくらいずーーーーーーーーーーーーーーっとやってきたことだからもう卒業。ベストな選択などない、ただ、より気持ちがよい方法を選ぶことのできる自由を行使していきます。
2008年11月12日
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昨日の私の中での大きなシフトとは、何かすごいことがおこったわけじゃないんです。いまだに私のなかに隠されていた古い幻想である想念体や信念体系を発見してしまったのです。嬉しい!・・・・と思える自分がいます。だからナマステなんです。笑この信念体系はなんどもなんども私が感じていたものでもう破棄したつもりだったのですがまだ残っていました。というより、同じような状況になると先に身体が収縮パターンをだして古い幻想に基ついた体験(エネルギー)を引き寄せるのです。破棄、破棄、破棄!何回も呼吸と共に破棄→焼却を繰り返しました。(あ、イメージワークです。)尾てい骨の違和感はおそらくこれだ!背骨にそって古い信念体系からできた想念体を燃やす、燃やす。そして「私は美しい光の存在です。私はすべての面で完全に満たされた人生を受け取る権利があります」そう強く宣言しています。ナマステの精神で昨日からこのワークを続けていきます。私は進化向上するためにここにいるので古い幻想の浮上は大歓迎です。クリーニングして身体に許してもらい愛と感謝をおくります。ほんとうの自分へ戻る1歩です♪ナマステ
2008年11月11日
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ヒンズー語のこの古代の挨拶は「私はあなたの中の神をたたえます」という素敵な意味があるそうですね。今日は、私の中に大きなシフトがありましたので「ナマステ」を自分にも他人にも伝えたい気分です。手の平を合わせてあごの下で合掌する挨拶はポーズも好きです♪ナマステの状態をずっとキープしていたい・・・・
2008年11月10日
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私たちは、すべての面で成長進化するためいまここで生きています。すっかりそんなコトを忘れて、パワーゲームの勝利者が勝者だと認識されるこの世界で日々自動操縦だけで反応しているのです。目を開けて、注意して集中して自分で反応を選択することを思い出すことが大事ですね。そこに自由があるのです。病気になったり仕事をかわったりそんな大変な目にあわなくても今、ここから、この場所からはじめることができます。自分の感じていること、それはあなたの本当の感情ですか?それとも、親や家系から無意識に引き継いだものですか?自動的な反応を客観的にみつめること、それは貴重で大事な視点です。
2008年11月09日
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昨日の私のブログでのお願いに快くアドバイスやご意見やお気持ちをいただいて本当に本当にありがたいと思います。コメントしてくださった方も、私書箱にメールを下さった方も無言で応援をいただいたあなたへも本当に感謝します。さて、私は落ち込んではいません。内なる声は「方法は必ずある」といっています。また、「あせっていそいで違う電車にのらないように」とも。笑うーん、行き先を間違えて遠回り・・・・にはならないようにします。100年後、私は生きていないと思うけど(!)そのときには、同志の足台になるようなものを、と思っています。動き出して修正修正していく、ということですね。皆様、本当にありがとうございます。ひき続き、ご意見募集します、どうぞよろしくおねがいします。
2008年11月08日
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皆様のご意見・アドバイスを頂戴してよく考えたいので是非、コメントいただければありがたいです。今、ちょっと考え事があります。やりたい方向はかなりはっきりものができているのですが、法や制度のしばりがあって(主に医療面)自分の考えが100%そのままで出せません。一方、既存の制度に反旗をあげるのではなく、よりよいものへ形成していくうえで、とても大事なことって何でしょうか?「反対」運動は逆効果とわかっております。また、既存の制度の長所も短所も認めています。その是非を問うのではなく、また、何か目新しいものを一から作るのではなく今あるものから変容させてよりよくする、という中で一番大事なありようって何でしょうか?皆さんのアドバイスを伺いたい思います。是非、教えてください!宜しくお願いします。
2008年11月07日
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今日は先ほどまでばたばたとお仕事。今から夕飯の支度です。寒くなってきましたね。今日は、お野菜がたくさん入った豚汁にします。時間もせまっているのでいざ、下ごしらえに取り掛かります!温かい豚汁、いいですよね~。
2008年11月06日
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今日はフラワーエッセンスを使ったトリートメントを数人の方にさせていただきました。ありがたいです♪皆さん、初めての方でした。フラワーエッセンスとはなに?ということから私という存在が皮膚でおわりじゃなくてその外まで拡がっている、ということまでいや、本当は、精妙なエネルギー体の中に私と思っている肉体が入っている、ということまでお話しすると皆さん、「へ?」という反応がまずきて、でもその後、神妙な顔をされたり、涙が出てきたり・・・。ただマッサージ、トリートメント、ボデイワークをします、ということだけじゃない、私は「人は肉体以上の存在なんだ」これをとっても伝えたいんですね。私たちは、五感、特に視覚からの情報が大きいから「見えないから気がつかない」というように考えてしまいます。でも、本当の本当は私たちは皆、肉体だけの存在ではありません。医学部の授業でもそんなこと習わないけどでも、本当です。だから、そういうアイデアの種をまく、という今の手法が好きなんです。また、明日も精進します。ありがとうございます。
2008年11月05日
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集合意識の制限はまだ残るこの世界で新しいアイデアを行動におとしこんで颯爽と生きている人たちがいます。とても素晴らしいお手本のよう。私はまだとてもそこまではいってないな・・・何かあると、ぐらつく。ぐらつかないために、自分の本質としっかり抱き合っていたいけど不安や心配が顔を出すとあまりに波長が異なるから本質はとどまっていられなくなるのです。ハッと気がついてまた眼を開く、これを繰りかえす毎瞬。でも、以前よりだいぶいいぞー。気がつくだけ進化してる、と自分をほめてやる気を出す。ぐらつかないためには、私の場合、毎朝やっているエネルギー体操がポイントです。尾てい骨のあたりからきれいな色のコードがまっすぐ下に伸びて伸びて地球の中心に。そして、丹田呼吸も。最近は伸びるコードの色はなぜかすみれ色がお気に入り♪心がぐらついたら、さっとこの体操をしています。大きな深い呼吸も大事です。
2008年11月04日
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最近考えていること・・・・「人の意識はどこまで進化できるのか?」昨日、ふと思ったんです。大きな手術をして、痛みがだいぶおさまったけど、しびれや鈍痛がまだね~という同じような体調の男性2名と立ち話をしました。お一人は、「でもお陰さまで、大好きなボーリングができるし、まあ、こうやって楽しくやっていけてます」と笑顔も。もうお一人は「手術はうまくいって大感謝しているけど、まだしびれや鈍痛があるんですよね~」と表情もすこしさえない感じ。で、私は思ったんですよ。似たような状況でも反応が違うのはそれまでの思考習慣が大きいけどどうしたらいいのかしら??普段の心の持ちようは大事、特に大きな病気や不具合ではそうでしょう。でも、いくら前向きになろうと思っても堂々巡りってこと、私にもたくさん経験があります。逆に、しびれててもそれはそれとしてしびれにまきこまれないで客観的にいる、というあり方はどうしたら体得できるのでしょうか?まして、そういうあり方をどうしたら提案できるのでしょうか?病気であっても、不具合があっても、経済状況が不安でも、人間関係が不調でも、世界が平和でなくても、飢餓に苦しんでいる人がいても、自分と異なる思想にふれても、それでも、それらのことをただあると認めているとき、その対象に振り回されていないとき、自分の選択はまったくの自由だと思えるのでしょうか。チベットの高僧が、西洋の医師が驚くほど病床で穏やかであったという話を読んだことがあります。そういうあり方ができるんだ、というお手本が身近にないですね~。でも、人はどこまでいけるのでしょうか?ゴールはないのかもしれないけどいま、私たちは、まさに進化の最中なのかもしれないです。
2008年11月03日
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本日はリニューアルしたクリニックの内覧会でした。お天気に恵まれて、多くの方に見ていただくことができました。個々にいろいろなニーズがあるんだな、と勉強になりました。病気になるといくクリニックではなくて、健康を保つため、生き生きと生きるためのクリニックであることも病気を治癒に向けるのと同じくらいに大事です。「なにかありましたらいらしてください」ではなくてなにかおこらないように、症状にならないように、病気にならないように共に進むクリニックとしてお役立てください~。一日、どうもありがとうございました。
2008年11月02日
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自分がこうしたい、こうしよう、そう決断してやったことがかんばしくないと結果的に感じた場合。どんな反応があるのでしょうか?「あーすれはよかったのか」「こうしたらよかったな」と反芻し反省。または、くよくよ悩んで自分に自信がなくなるとか。割と楽観的にとらえられることも。おきた出来事や結果がどの程度のものなのかもかかわってきますね。でも、何より注目したいのは「どうしてその行動に至ったのか?」という意図かもしれません。何をめざしてその選択をしたのかその意図が本質なんだろうな、と思ってます。おきた結果は私たちにはいろいろに思えますが大いなる目線でみるとまた違った見方ができることがあるからです。人生におこるすべてのパートを肯定する、という姿勢は意図がはっきりしていれば比較的たやすいのではないでしょう?自分がなぜその選択をしたのかしっかり意識的になりましょう。無意識を整理しないままに、いつまでもハンドルを預けていると自分が思ったことと異なることが人生に現れてきてしまいます。自動的に習慣から反応しないで常に気を配って眼をあけてあけてあけ続けます。意識して意識的に♪そうすれば意図することが現実に現れるようになります。習慣や未整理の無意識から自動反応するだけの人生じゃなくて自分で創造していく生き方へ。私からはじめます!「人生はすべて私のために」、だから「日々感謝です」
2008年11月01日
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