(承前)
松岳寺から少し南へ下った処に神社があった。立ち寄ってみると入山瀬浅間神社。富士浅間五社の一つとある。
(入山瀬浅間神社)
本殿の隣に風情のある塔があったが、これは殉国者慰霊塔でありました。本殿の傍らで休憩されている男性が居られたので、尋ねてみると、明治時代に建造されたものであるとのこと。
(鷹岡殉国者慰霊塔)
国道139号に戻るべく東へ道を取ると曽我寺があった。「
曽我兄弟の仇討ち
」で知られる曽我兄弟の墓所がある寺である。
<参考>
吾妻鏡
曽我物語
(曽我寺)
(本堂)
狭い境内であるが、曽我兄弟の墓、同兄弟の像や可愛い仏像(?)もあるほか、山門前には身代わり地蔵もあって盛沢山の寺である。
(曽我兄弟墓所)
「曽我兄弟の仇討ち」は、「赤穂浪士の討ち入り」、「伊賀越えの仇討ち」(荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘)と並ぶ日本三大仇討ちの一つであるそうな。事件は、源頼朝が行った富士の裾野での狩の際に、これに参加していた仇の工藤佑経を兄弟が襲って、討ち果たし、その後に殺されたというものであるから、兄弟の死亡場所も富士の裾野。この辺りに墓があってもおかしくはないのだろうが、曽我兄弟の墓は関東から九州にかけて全国に14か所もあるらしい。仇役の工藤佑経の墓もこの曽我寺の近くと富士宮市・白糸の滝の近くにあるようだが、今回は回っていない。
(曽我兄弟像)
(左から、「親を思う心」、「兄弟愛」、「一念」)
(身代わり地蔵尊)
このお地蔵さんは皮膚疾患専門医のようにて、お願いをして振り返らずに帰ると皮膚疾患を治して下さるそうな。
(たまご)
国道139号に戻って走っていると大きな卵が道脇に。ちょっと気分転換に掲載して置きます。
国道が西富士道路とぶつかる地点で左折、西富士道路に沿って北方向へ2kmほど行くと広見公園がある。下調べではここに万葉歌碑がある筈。
(広見公園入口)
万葉歌碑は、この階段を上って正面にある像の処を右に入るとある。歌碑から下って行くと歴史民俗資料館で、周辺の木立の中に古民家などの重要文化財建築物が移設保存されている。
(万葉歌碑)
天の原 富士の柴山
木
の
暗
の
時
移
りなば 逢はずかもあらむ(巻14-3355)
万葉集巻14には238首の東歌が収録されている。遠江、駿河、伊豆、相模、武蔵、上総、下総、常陸、信濃、上野、下野、陸奥の国々の民衆の歌である。この歌碑の歌もその一つである。
赤人の富士は旅人の見た感動的な雄大荘厳な山であったが、この地に暮らす民衆にとっては富士山も焚き柴を採る山であり、その木陰は男女がデートする場であったのですな。
この歌の後にも同様の富士山の歌が3首続いているので、それも掲載して置きましょう。
富士の
嶺
の いや遠長き 山路をも
妹がりとへば けによばず
来
ぬ (巻14-3356)
霞ゐる 富士の
山傍
に わが
来
なば
いづち向きてか 妹が嘆かむ (巻14-3357)
さ
寝
らくは 玉の緒ばかり 恋ふらくは
富士の高嶺の
鳴澤
のごと (巻14-3358)
以下は公園内の展示保存建物のうちのいくつかです。
(旧稲垣邸)
(旧杉浦医院)
(眺峰館)
(樋屋代官長屋門)
<参考> 富士山と山部赤人万葉歌碑
富士山本宮浅間大社へ
富士銀輪散歩余録
<追記・注>
縦長写真(「たまご」と「眺峰館」の2枚)
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月5日これらを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
2020.10.12.
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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