小生がそらんじている万葉の長歌は巻頭第一首の「籠もよ み籠もち・・」を始め何首かあるが、その一つが山部赤人の「不盡山を望む歌」である。その反歌である「田兒の浦ゆうち出でて見れば・・」は余りにも有名であるが、この赤人の歌碑があるというので、富士市方面まで銀輪散歩に出掛けてまいりました。生憎の雨で富士山の雄姿を眺めながら銀輪を颯爽と走らせるという目論見は雨によって打ち砕かれましたが、最終日の本日(13日)になって晴れ間も覗き、漸く富士山が姿を現してくれました。
という訳で先ず赤人の万葉歌碑から記事を始めることとします。
この歌碑は新幹線新富士駅から1.6km東へ行った、田子の浦港の一角にある。潤井川が田子の浦港の湾に注ぐ場所に架かる田子の浦橋の西詰めを20mほど南に下った道脇にそれはあった。とても立派な堂々たる歌碑で万葉集中の代表歌に相応しい佇まいである。
(山部赤人万葉歌碑)
山部宿禰赤人望不盡山歌一首并短哥
天地之 分時従 神佐備手 高貴寸
駿河有 布士能高嶺乎
天原 振放見者 渡日之 ?毛隠比
照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利
時自久曽 雪者落家留 語告
言継将往 不盡能高嶺者
田兒之浦従打出而見者真白衣
不盡高嶺尓雪波零家留
山部宿禰 赤人、不盡山を望める歌一首并に短歌
天地 の 分 れし時ゆ 神 さびて 高く貴き 駿河なる 布士 の 高 嶺 を 天 の原 ふり 放 け見れば 渡る日の 影も 隠 らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不盡の高嶺は (巻3-317)
反歌
田兒
の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ
不盡
の高嶺に 雪はふりける (巻3-318)
(富士山と赤人歌碑)
この歌碑の右手後方に富士山が見える。最初は雨で富士山はいづこでありましたが、2回目の訪問で漸く富士山とセットで撮影することができました。この歌碑はやはり富士山を背にしなくては画龍点晴を欠くというものである。
赤人歌碑への再訪のため、国道1号を走っている時のこと。信号待ちをしていると、ママチャリに乗った男性と視線が合った。会釈されたので、小生も会釈を返す。同じ方向を目指して走っているうちに何となく会話が始まり、赤人の歌碑があることをお話すると、写真では見たが実物を未だ見ていないので是非見てみたい、と仰る。それで、小生が案内する形となる。この方はご実家が吉原辺りとかで、最近ご実家の方へ帰って来られたらしい。JR吉原駅は田子の浦の東側にあるから、長らく他の土地で暮らして居られたとは言え、言わば地元の方である。その方を大阪から来た人間が案内するという妙な構図が、いつぞやの高岡でと同様に、ここでも亦生じました(笑)。
「富士と港の見える公園」というのが「都市地図・富士市」を見て記憶していたので(もっとも地図は自宅に置き忘れたので、今回は記憶にある地図と方角を頼りの心もとない銀輪行となった。)、そのことをお話すると、今度はその男性が案内すると言う。で、その公園まで一緒に走る。公園入口に着いたら11時になっていたようで、「もう直ぐお昼なので私はここで失礼します。」と言って帰って行かれました。おそらくご自宅までは自転車で1時間程度はかかるのでしょう。
富士山と田子の浦港を写真に撮るべく、公園の展望台に上ると、予想通り見事な眺望である。
(富士と港の見える公園)
では、公園の展望台からの富士山の写真などをご覧下さいませ。
(田子の浦港)
赤いクレーンの左手に写っている緑の木立の辺りに赤人万葉歌碑が立っているのですが、上の写真ではよく分りませんね。高架になっているのが国道1号。その手前の一段低い橋が潤井川に架かる「田子の浦橋」である。
万葉の頃、田子の浦とはどの辺りの海であったかは議論のある処であるが、続日本紀天平勝宝2年3月条の記事から、田子の浦は当時の廬原郡にあり、それは富士川の西であったから、今日の田子の浦よりも西方、蒲原から興津川河口付近にかけての海浜を言うとされている。
(田子の浦港と富士山)
(少しアップで)
(さらにアップで、富士山だけ。)
ついでに、新幹線の新富士駅ホームから撮影した富士山も。
(新富士駅ホームから富士山を望む。)
雨中の富士宮への12日の銀輪行やその他のあれこれは次回以降にし、今夜はもう夜も遅くなりましたので、ここまでとします。おやすみなさいませ。
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