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東京六大学野球リーグで22季連続最下位の東大に、頼もしい投手が現れた。鈴木優一投手(22)は昨秋のリーグ戦でシーズン2勝をマーク。期待の左腕は「(春は)赤門旋風を起こしたい」と目標を掲げた。鈴木は愛知県西尾市出身。西尾高から一浪して難関を突破、今春に農学部の4年生となる。183センチの長身から繰り出す130キロ台の速球とスライダーを織り交ぜる。明大の善波監督は「変化球でストライクが取れ、タイミングをずらす球もある。自滅する感じはしない」と評価する。リーグ初勝利は昨秋の慶大1回戦。緩急がさえた投球をみせ、1失点完投勝ち。チームの連敗を16で止めた。だが、周囲を驚かせたのは法大戦。1回戦で延長12回を投げ抜き、1失点で引き分け。3回戦は4失点ながら完投勝ちして、シーズン2勝目。4回戦も登板して3失点で惜敗したが、このカード4試合中3試合に完投し、計464球を投げた。このオフは、速球の球威と切れに磨きをかけるため、投球フォーム改造中。練習ではランニング量を増やすなど、スタミナ強化にも努めている。鈴木の好投と打線がかみ合えば、2002年秋の立大戦以来の勝ち点も期待できる。鈴木は「フォーム改造の手応えはある。(登板する)全試合安定して1、2点に抑えれば、2、3勝はできると思う」と自信を示す。「赤門旋風」が巻き起こるか楽しみだ。 (時事通信) 鈴木優一(愛知・西尾高)。通算成績は、防御率4・62、奪三振率3・2、与四死球率5・1。≪06年秋≫4試合、0勝1敗、打者40、10回、被安打5、与四死球4、奪三振5、自責点1≪07年春≫7試合、0勝4敗、打者162、33回2/3、被安打42、与四死球21、奪三振11、自責点25≪07年秋≫3試合、0勝0敗、打者7、2回、被安打7、与四死球0、奪三振0、自責点0≪08年春≫9試合、0勝7敗、打者283、60回、被安打67、与四死球38、奪三振25、自責点36≪08年秋≫12試合、2勝6敗、打者368、83回1/3、被安打85、与四死球43、奪三振27、自責点35--------------------------------------------------------------------35試合、2勝18敗、打者860、189回、被安打206、与四死球106、奪三振68、自責点97※鈴木優一投手の情報はこちら。 東京大野球部のホームページでは、鈴木優一とバッテリーを組んだ捕手・大坪誉博(芝高)が、卒業を控えてこんな気持ちを吐露していた。「早稲田戦のあと、(自分・大坪が)レギュラーを外されそうになった時、(鈴木と前田の)2人が『大坪さんがいいです』って言ってくれたのは本当に嬉しかったよ。自分も絶対にこの2人を勝たせたいって思って頑張りました。鈴木とバッテリーが組めて本当に良かった!経験のない自分の言うことをちゃんと聞いてくれてありがとう。神宮のホームからみた鈴木の姿は一生忘れないよ。後輩キャッチャーとうまくやってね。前田に勝ちを付けられなかったのが残念です。慶応戦で山口を内直で打ち取ったとき、大きな可能性を感じました。鈴木よりはるかにセンスあるから貪欲に頑張って」大坪捕手、打順がコロコロ変わった。たしか4番を打ったこともあると思うけど、昨年終盤は下位打線に定着し、守備専念といった感じだった。小柄でゴツイ身体つきが印象的。打席に立った時は、いつも何かを起こしそうな雰囲気を漂わせる選手だった。 前田とは、鈴木に次いで登板数の多かった前田善博(新3年、栄光学園高)のこと。エース・鈴木に、もう1枚この前田も加われば、東京大もそこそこに戦うことはできる。 1日1クリックお願いします
2009.01.31
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斎藤佑樹投手(20)に注目が集まる東京六大学野球の早大だが、斎藤佑と同期の大石達也投手(20)=右投げ左打ち=も忘れてはならない。昨年春と秋のリーグ戦で、主に救援として活躍し、計17試合を投げて無失点を続けている。連覇を目指す今春に向け「与えられたところは全部ゼロでいく」と意気込んでいる。昨秋、大石は救援で8試合に登板。打者54人と対戦し、許した安打はわずか4本、奪三振は34。規定回数には届かなかったが、防御率0.00を記録した。福岡県太宰府市出身。福岡大大濠高(福岡)から早大に進学。185センチの長身から繰り出す最速152キロの速球とスライダーを武器とする。1年生だった2007年秋の東大戦でリーグ戦初登板し白星。08年春は中継ぎ、救援で9試合に登板し、打者60人から32三振を奪い失点0。07年秋の明大3回戦でサヨナラ負けした後、足かけ3季、36回3分の2無失点を続けている。昨秋はけんしょう炎に苦しみ、本来の球速ではなかった。オフはけが防止に体の手入れや走り込みを重点に取り組んでいる。斎藤佑とは互いに刺激し合って成長。今夏の日米大学野球の代表入りも視野に入れ、さらなるレベルアップを目指す。リーグ戦の連続イニング無失点記録は、志村亮(慶大)が1988年春から同年秋に記録した53回。「狙える位置にいるので狙ってみたい」と語気を強めた。 (時事通信) 早稲田大・大石達也(新3年、福岡大大濠高)、無失点記録を更新中だ。2007年10月15日、対明治大3回戦に2番手で登板し、小林雄斗(新田高)からサヨナラ安打を浴びて以来、相手チームに得点を許していない。≪07年秋≫※対明治3回戦以降の記録対慶應1回戦:3回、打者10、被安打1、奪三振2、与四死球1、自責点0 ≪08年春≫9試合、17回2/3、打者60、被安打5、奪三振32、与四死球2、自責点0≪08年秋≫8試合、16回、打者54、被安打4、奪三振34、与四死球1、自責点0---------------------------------------------------------------------- 計 36回2/3、打者124、被安打10、奪三振68、与四死球4、自責点0※大石達也、08年秋シーズンの奪三振率は19・1。同年の年間(春・秋)奪三振率は17・6。またこれだけ三振率が高いのに、与四死球率(08年)が0・8とメチャメチャ低いのも大石の特徴だ。(数字は「あま野球日記」調べ)記録更新は順調に行けば、今年春の早慶戦あたりだろうか。 ※大石達也情報はこちら。最後に、現時点で記録をもつ志村亮氏(元・慶應義塾大)のこと。慶應大時代の成績。通算31勝17敗、防御率1.89の成績を残し、一斉にプロから誘いがあり、1988年のドラフトの目玉にもなった。しかし、「道楽でやる野球は大好きです。でも、金目儲けでやる野球は大嫌いです」という言葉を残し、プロ入りを拒否。ドラフトで指名されることはなかった。(wikipediaより) 1日1クリックお願いします
2009.01.31
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大学野球、新入部員情報。今日は東都大学リーグ・駒澤大学のこと。2部に降格したままなかなか1部に浮上できないでいる駒澤大。昨秋も優勝を狙っていたが、残念ながら2位にとどまってしまった。早く1部に戻り「名門・駒澤大」を復活させたいと願う関係者も多いだろう。駒澤大野球部の新入部員には、埼玉高校野球界で名を馳せた2人の選手が名を連ねていた。市立川越高・井口拓皓と埼玉栄高・ 白崎浩之。井口拓皓。身長174cm、76kg、右投げ右打ち、投手。市立川越高の臨時コーチを務める石山建一氏(元・早稲田大監督)から「カウントは必ず2-1に」と制球の大切さを叩き込まれた。その甲斐があってか、2年生夏(2007年)の県大会で強豪・春日部共栄高に勝利する金星を挙げたことで、一気に有名なった。昨年(2008年)春の県大会では、直前に行われていたセンバツ甲子園で準優勝した大塚椋司(新日本石油ENEOSに入社予定)のいる聖望学園高までも撃破して優勝。甲子園を期待された夏の大会では、ヒジの故障もあり、4回戦でエース・岡部賢也を擁する立教新座高にスコア0-1で惜敗した。ぜひ、甲子園に行けなった悔しさを神宮第二球場でなく、(1部が試合する)神宮球場でぶつけてほしいものだ。白崎浩之。身長183cm、体重79kg、右投げ右打ち、遊撃手。昨秋のドラフトではプロも注目した屈指の大型内野手。シュアなバッティングと強肩ぶりに、プロのスカウトも思わず唸ったという。ボクは、昨年の埼玉高校野球界に好きな遊撃手が2人いた。この白崎、そして浦和学院高の坂本一将。坂本はいったいどこの大学に行くのだろうか? 1日1クリックお願いします
2009.01.27
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先日発表になったセンバツの出場校に南陽工高(山口)の名前があった。この校名を見つけて思い出したのは「炎のストッパー」と呼ばれた故・津田恒実投手のこと。津田恒実(南陽工高-協和発酵-広島カープ)。1982年、広島に入団した年に先発として活躍。11勝6敗の成績を残し新人賞を獲得。しかし直後に手の指の血行障害で登板数が激減。数年間を棒に振ったが、4年後の86年にストッパーとして復活し22Sを挙げて、今度は「カムバック賞」に。88年に肩痛で不調にあえいだが、89年に再び蘇り12勝(5敗)28Sの成績をあげて最優秀救援投手に輝いた。何度でも甦る「不死鳥」のような、そして常に相手に向かっていく姿勢が持ち味の投手だった。だが脳腫瘍を患い、再び蘇ることがないまま92年、32歳の若さでこの世を去った。津田恒実、「生涯最後の登板」。動画はこちら(1991年4月14日)※体調がいっこうに回復せずこの試合では大乱調、たった9球で降板した。この登板が文字通り「生涯最後の登板」となった。翌日病院で検診したところ、悪性の脳腫瘍であると診断された。南陽工高時代。78年のセンバツと夏、エースとして2大会連続して甲子園に出場した。センバツは1回戦で刈谷高、2回戦で東海大四高を破ってベスト8入りしたが、準々決勝で福井商高に1-2で惜敗した。※この大会の優勝校は静岡・浜松商高。エースは後に法政大に進んだ樽井徹(現・浜松商高野球部コーチ)だった。そして夏の甲子園。1回戦に宇治山田商高に勝利したが、2回戦で天理高に1-2で敗退した。※この大会の優勝校は大阪・PL学園高。エースは西田真二(現・四国IL香川監督)、捕手は木戸克彦(現・阪神コーチ)、4番主砲は小早川毅彦(現・広島コーチ)の、後に法政大でクリーンアップを組むトリオだった。------------------------------------------------------------以下、津田さんにまつわるエピソードを3つ。(1)現ホークスのコーチ・森脇浩司、84年に近鉄から広島に移籍後、津田と親友になった。津田が脳腫瘍で病いに倒れた後は、本人はもちろん津田の奥さんの看護やサポートを、森脇は親身になって行なっていた。津田が他界した後、94年に森脇は結婚式を挙げるが、テーブルに津田の席とグラスをわざわざ用意した。そしてそのグラスにも森脇は夫婦でドリンクを注ぎ、同席した清川や金石らは涙が止まらなかったという。→ 「森脇監督代行、津田恒美との感動秘話」(2006.10.9)(2)津田の長男・大毅さんは、現在東京新大学リーグに所属する東京国際大の投手。東京国際大の監督は、広島カープの監督で津田(父)を間近に見てきた古葉竹識氏。→ 「古葉竹識氏と江夏の21球」(2007.12.1)(3)「炎のストッパー」とまで呼ばれた津田、だが弱点はメンタルだった。真っ向勝負のスタイルは、それを隠すための手段だったといわれている。闘病中、ファンから贈られた相田みつをの「道」という色紙を大事に持っていたという。「道」長い人生にはなあどんなに避けようとしてもどうしても通らなければならぬ道-てものがあるんだなそんなときはその道を黙って歩くことだな愚痴や弱音を吐かないでな黙って歩くんだよただ黙って-涙なんか見せちゃダメだぜ!!そしてなあ その時なんだよ人間としての いのちの根がふかくなるのは・・・・・ 1日1クリックお願いします
2009.01.26
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箕島(和歌山)は18年ぶり9度目のセンバツ切符をつかんだ。1979年の春夏連覇時は1年生で、81年に主将を務めた松下博紀監督(45)は「地元のお年寄りファンの方からは『甲子園は死ぬまでもうないと思ってたよ』と喜んでいただけました。新しい歴史を作りたい」と決意も新たにした。(日刊スポーツ)箕島高---、懐かしい名前だボクは箕島高の強かった時代(1970年代)、特に島本講平・啓次郎の兄弟がいた頃のことを思い出す。そして2人とも、後に近鉄バファローズと深い関わりをもつことになった。70年センバツの決勝、箕島高は延長12回の末、北陽高をサヨナラで降し優勝した。同時に端正なマスクの島本講平に女性ファンが殺到した。記憶が定かではないけど、サヨナラ打はライト線に飛んだ当たりだったし、打者はエースで4番打者の島本講平だったと思うが・・・。島本講平氏。南海から1位指名を受け、野村克也監督(現・楽天監督)から「チームに人気がないから、島本で人気アップを狙う。来てくれるかな?」と誘われ南海ホークスに入団。だがほとんど出場機会がなく、5年後に西本幸雄監督が率いる近鉄バファローズに移籍した。結果このことが幸いし、近鉄ではレギュラー獲りに成功した。wikipediaによると、近鉄時代の島本は南海に対して「見返してやりたい」といった強い意地を持っていたらしい。弟の島本啓次郎氏。73年夏、箕島高は甲子園に出場したが、この時は初戦で丸子実高に敗退した。大学は法政大に進学。江川卓氏や現・法政大監督の金光興二氏らととともに、「花の(昭和)49年組」と呼ばれた。77年秋、ドラフト6位で読売に入団したが、80年金銭トレードで、兄・講平のいる近鉄バファローズに移籍した。 1日1クリックお願いします
2009.01.25
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センバツの出場を決めた慶應高。ボクが思い出したのは元エースだった中林伸陽(慶應義塾大・新4年)。2005年のセンバツ、中林をはじめ現在慶應義塾大の主要メンバーの何人かが慶應高の選手として出場。初戦の岡山関西高戦にサヨナラ勝ちしたのを皮切りに、準々決勝まで勝ち進んだ。中林の安定したピッチングとともに、神宮がそのまま甲子園に持ち込まれたような慶應の応援スタンドが強く印象に残った。例え戦力が同じでも、応援で相手を圧倒してしまいそうな迫力がある。3月からはじまるセンバツ、もし早慶戦が実現したらスタンドの応援風景も面白そうだ。早稲田実「コンバットマーチ」、試聴はこちら。慶應高「ダッシュKEIO」、試聴できるサイトが不明?中林伸陽。身長179cm、体重78kg、左投げ左打ち、投手。一昨年は加藤幹典(現ヤクルト、川和高)と、昨年は相澤宏輔(今春卒業、熊本高)との二枚看板だったが、今年は押しも押されもせぬ慶應義塾大のエース。これまでに増して完成度の高い投球術が要求される。これまで通算12勝の実績があるし、昨秋の早慶戦ではこれまで一度も勝てなかった(5連敗)早稲田に初勝利を挙げたことで、大きな自信を得ることができたようだ。中林伸陽、動画はこちら(2008年9月、秋季リーグ・対法政大戦)昨秋は東京六大学リーグ投手十傑の7位の成績を残した。10試合、3勝1敗、54回1/3、被安打34、与四死球19、奪三振33、自責点11、防御率1.82。※また「あま野球日記」が計算した昨秋の奪三振率は「5.5」。 (決して高い数値ではない。規定回数以上の投手で奪三振率1位は、 明治大・野村祐輔の「10.7」、次いで法政大・加賀美希昇の「10.4」。 ちなみに早稲田大・斎藤佑樹は「7.5」) もちろん今秋のドラフト候補選手でもある。いま発売中の雑誌『野球小僧』(白夜書房刊)ではこう評している。「均整抜群の◎。軸足の折れる傾向が高めに浮く要因に」少なくとも直球主体でグイグイ押すタイプの投手ではない。もっと直球が速くなってほしい。■ボクが最も印象深かった試合は、昨春の早慶3回戦。延長10回をひとりで投げ抜いたものの、サヨナラ負けを喫した試合だ。敗戦が決まった瞬間、中林は一人で責任を負っているかのように涙を流してヒザに手をあてたまま動けないでいた。→ 「中林伸陽、延長で力尽きる」(2008.6.2)「あま野球日記」が相互リンクを張っている慶應義塾大学「野球部ブログ」では、ファンからのメッセージにひとつひとつ丁寧に返事を書いている中林。その姿勢は立派だし、見ていて応援したくなる選手の一人なのだ。 1日1クリックお願いします
2009.01.25
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昨日、センバツ出場の32校が決定した。見どころはたくさんある。例えば光星学院高・下沖勇樹や花巻東高・菊池雄星をはじめ、プロ注目の選手たちが大挙して登場すること。そして早実と慶應高が揃って出場し、甲子園で「早慶戦」が実現する可能性があること等々。※とりわけ昨年(2008年)11月に高野連会長に就任した奥島孝康氏にとっては、甲子園で早慶戦がもし実現すれば感激もひとしおだろう。なぜならこの奥島氏、以前は早稲田大の総長職にあり、スポーツの強化に尽力された方でもあるし。そもそも決勝で国士舘高に敗れた早実がセンバツ出場を決めたのは、慶應高が明治神宮大会が優勝し関東枠が新たに1つ増えたことによる。慶應が導いた早稲田の出場・・・、そう言えなくもない。昨年見た映画『ラストゲーム 早慶戦』をボクは思い出してしまった。あの時も慶應(小泉信三塾長)が早稲田(飛田穂洲)に最後の早慶戦開催を申し出て、早稲田を先導してあげていた。---------------------------------------------------------------ボクが慶應高を見たのは昨年の明治神宮大会(対光星学院高戦)。慶應の先発はエース・白村明弘ではなく、まだ1年生で背番号「11」をつけた明(みょう)大貴だった。中学生の頃は「130km台の速球、カーブ、スライダーを武器に昨年夏の北信越大会優勝を経験した」(北日本新聞)逸材。ボクが見た試合でも、相手投手の下沖勇樹ほどのハデさはなかったものの、安定感において下沖を上回っているようにボクには見えた。9回を投げ、被安打3、与四死球1の成績は立派の一言。 一方、エースの白村明弘はこの日、レフトの守備についていた。無難に守っていたもの、レフト線へのファールをシャカリキになって追いかけ、ブルペンのマウンドに足をとられてズッコケていたシーンがあった。(エースがあんなに打球に深追いして大丈夫だろうか?)なんてボクは思ったものだが、そんなプレーが高校野球の魅力でもあるんだろう。明大貴、動画はこちら(2008年11月16日、明治神宮大会・対光星学院高戦)白村明弘、動画はこちら(2008年11月21日、明治神宮大会・決勝戦)この「あま野球日記」、次回は元・慶應高エースだった中林伸陽(現・慶應義塾大)がテーマです。 1日1クリックお願いします
2009.01.24
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花巻東(岩手)が初のセンバツ出場を決めた。昨秋は東北大会で4強止まり。準優勝で同県のライバル一関学院を抑えて"逆転当選"となった。県大会で同校に快勝して優勝していたこともあったが、まさかの一報にナインは喜びを爆発させた。甲子園は07年夏以来5度目の挑戦。プロ注目の149キロ左腕エース、菊池雄星(2年)は「自分が日本で1番の投手だと証明したい」と意気込んだ。(日刊スポーツ)今日は花巻東高・菊池雄星(岩手・見前中)のこと。昨日書いた光星学院高・下沖勇樹(岩手・福岡中)と同じ岩手県出身のドラフト注目選手だ。つまり、この2人は(世代が違うものの)ボクと同郷の高校球児でもある。ボクは花巻出身だから特に菊池雄星に親近感を覚える。しかも実家は花巻東高の近くだから、帰省の際は早朝の散歩コースに花巻東高のグラウンド周辺を散策するのが常でもある。昨夏歩いていた時は、グラウンドのスコアボードに書かれた「秋は神宮へ!」という大きな文字を見つけた。もちろん「神宮」とは 明治神宮大会のこと。だが、結果はこの大会への出場は叶わなかった。東北地区大会の準決勝でエース・下沖を擁する光星学院高にスコア3-6で敗退してしまったのだ。同時に花巻東高のセンバツ出場も遠のいたとボクは思っていたが、一発大逆転のセンバツ出場権を得ることができた。選考理由を時事通信が伝えていた。「優勝した光星学院高に対し、準優勝した一関学院は完敗、花巻東は惜敗だったこと。加えて、県大会で花巻東が完勝しており、好投手の左腕菊池を軸にした総合力で花巻東に軍配が上がった」(以上、時事)菊池雄星。身長183cm、体重75kg、左投げ左打ち、投手。菊池雄星の動画。・調子の良い時?はこちら(2007年7月23日、岩手県大会決勝・専大北上高戦)・調子の悪い時?はこちら(2008年7月18日、岩手県大会・対盛岡中央高戦)最速149kmの速球に、カーブ・スライダー・カットボールがある。単純に高校生で149kmを投げるのもスゴイが、スリークオーターから右打者の膝もとに投げ込む直球には威力があるし、左打者に投げ込む外角低めに流れるスライダー(?)は絶対に打たれそうにない・・・少なくともボクにはそう見える。文句ナシの「実力派左腕」だ。唯一心配なのは、そういった左腕特有の「勝手に自滅」癖が菊地にあるのか、ないのか。ないことを願いたいが。とまれ、できるならば甲子園で菊池雄星(花巻東高)と下沖勇樹(光星学院高)の対決を見たい。そして深紅の優勝旗の「白河越え」を果たしてほしいものだ。 1日1クリックお願いします
2009.01.23
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光星学院高・下沖勇樹は、今秋のドラフトで注目を浴びるらしい。昨秋の明治神宮大会で慶應高を相手に好投し、max146mを記録したことがキッカケのようだ。ボクが下沖を見たのは、そのキッカケとなった昨秋の明治神宮大会だった。11月16日に行われた対慶應高戦。神宮球場の3塁側内野席の中段から、下沖について何の予備知識もなく、ただボッ~と見ていた。朝から小雨が降り続ける肌寒い日だった。その日のブログにはこんなことを書いた。■好投しつつも敗戦投手となった光星学院高・下沖勇樹■max 146キロの直球とスライダー、カーブを駆使して好投。118球、被安打5、奪三振6、与四死球2。内野の相次ぐエラーさえなければ勝ってもおかしくない試合だった。正直言って、その時は「すぐにプロから注目される投手」になるとは思ってもいなかった。東北地方の強豪校(光星学院高)が全国の強豪校(慶應高)に大健闘した試合であり、その中で下沖という投手が何とか好投をした・・・そんな印象しかボクにはなかった。だからドラフト注目選手という最近の扱いには多少驚いている。まだまだ荒削りな感じがして、大学でもっと技術を磨いてからプロ入りした方がいいように思ったが。下沖勇樹、動画はこちら(2008年11月16日、明治神宮大会・対慶應高戦)下沖勇樹。身長178cm、体重75kg、右投げ右打ち、投手。岩手県・福岡中の出身。福岡中時代は全国中学野球(軟式)でエース・4番として全国制覇を果たした。その後、チームメイトたちは地元の古豪・福岡高や福岡工高に進む中で、下沖はお隣りの青森県にある光星学院高に進学した。ボクは岩手県・花巻の出身だから、(世代は違うけど)同郷の高校球児だ。岩手出身の選手にドラフト注目選手が他にもいる。花巻東高・菊池雄星(「星飛雄馬」からとった名前だろうか?)もそう。その昔、岩手は野球後進県だった。甲子園で勝つことなんてほとんどなかった。軟式中学野球だって同じで、岩手の中学野球のレベルを上げようと、ある試みが行われていた。-----------------------------------------------------------------それは以前、雑誌『野球小僧』(白夜書房刊)で知ったこと。それは、岩手県の中学軟式野球のレベルが他県と比較して低いことに、一計を案じた中学軟式野球協会?(Kボール?)の会長さんの話。会長さん、レベルが低い原因は「岩手県民の消極的な性格」にあると分析した。打者が積極的に打つことが少なく、「待ち」になっているのでは勝つわけがない、と。そこで、数年前に始めたのが岩手県内特別ルール。内容は「ストライクゾーンを広げる」こと。理由は簡単、多くの球がストライクとコールされるなら、打者はバットを振らざるを得ない。結果、積極性を誘発する効果が得られるというものだ。------------------------------------------------------------------いまドラフト界で話題の下沖勇樹、菊池雄星。どちらも、岩手県内特別ルールで積極性を得た申し子たちかもしれない。☆1日1クリックお願いします。☆
2009.01.22
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ロッテが今秋ドラフトの上位指名候補として、NTT東日本の清田育宏外野手をリストアップしていることが18日、わかった。昨年のドラフトでは2位指名したホンダの長野久義外野手が入団を拒否。右打者の外野手が補強ポイントの1つだけに、早くも"ポスト・長野"として白羽の矢を立てた。(サンスポ)清田育宏(市立柏高-東洋大-NTT東日本)。身長179cm、体重78kg、右投げ右打ち、外野手。長打力と50メートル5秒9の俊足が持ち味の逸材。「右打者で一発がある。右の大砲はぜひほしい。肩が強いし、足の速さもある」 とロッテの球団幹部も話している。市立柏高3年の夏、エースとして千葉県大会準決勝にコマを進めたが、惜しくも木更津総合高にスコア2-4で逆転負けした。東洋大に進学後も投手だったが1年秋にイップスにかかり、3年秋から打者に転向。翌春(07年)はベストナインを獲得し、同年秋の明治神宮大会では大場翔太らとともに優勝した。------------------------------------------------------------------03年夏の千葉県大会。市立柏高のエースとして出場した。準々決勝で対戦したのは松本啓二朗(当時2年、早稲田大-08年横浜1位指名)を擁する千葉経大付高。清田は松本との投げ合い、スコア4-2で完投勝利した。東洋大進学後も投手として活躍を期待されたが、1年秋イップス(※)に。3年秋に打者に転向。結果、この判断が清田にとって功を奏した。いきなり頭角を現し4年時(07年)には「東洋大の4番」を張った。同年秋に行われた明治神宮大会、決勝は斎藤佑樹(当時1年、早稲田実)や高校時代に戦った松本啓二朗らのいる早稲田大と戦い、スコア2-0で勝利し全国を制した。この時、東洋大の4番はもちろん清田。エースは大場翔太(現・ホークス、八千代松陰高)で、3連投で決勝に臨み見事に勝利した。捕手は、昨秋のドラフトで日ハムから1位指名を受けた大野奨太(岐阜総合学園高)だった。余談だけど。清田が高校3年の時のこと。千葉県大会では大場のいる八千代松陰も順調に勝ち進んでいたが、準々決勝で志学館高にスコア1-2で敗退した。もしもう少し勝っていたら、清田のいた市立柏高と対戦し、2人の投げ合いが実現していたかもしれない。(※)イップスとは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のこと。野球の場合には「送球恐怖症」とも呼ばれる。技術的な理由ではない。投手が打者に立ち向かう時、また内野手が一塁に送球する時、なぜか全くあらぬ方向に投げてしまうなどの事象。イップスにかかった選手としては、二塁を守る時に限ってイップスが発症するといわれた横浜・内川聖一(大分工高)や、広島の緒方孝市に与えた頭部死球をキッカケにして発症した西武・三浦貴(現在は野手に転向、浦和学院高-東洋大)らが有名。 ☆1日1クリックお願いします。☆
2009.01.21
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東京新大学・昨年(08年)の秋季リーグ戦。2季連続30回目の優勝を果たした創価大。個人賞も創価大からエース・大塚豊(新4年、創価高)が「最優秀投手」「最多勝利投手」「ベストナイン」に。花山貴志(新4年、愛工大名電高)が「ベストナイン」。そして脇山渉選手(新2年、愛工大名電高)が「新人王」と「ベストナイン」に選出された。ボクが東京新大学リーグを見る頻度は多くない。ただ創価大には、高い能力をもった選手が多いように思える。※もともと流通経済大の神戸拓光(現・ロッテ、土浦日大高)を見に行き、ついでに東京新大学リーグを観ることになったのだけど(失礼!)さほど直球は速くないけど、変化球(フォーク)を駆使して安定した投球をみせ、3年間で30勝を挙げた大塚。甲子園で優勝を経験し、シュアなバッティングの花山。いずれも今秋のドラフト候補選手の名を連ねる(かもしれない)選手たちだ。そして今日取り上げる脇山渉。ボクが初めて見たのは昨年(08年)の春季リーグ戦、4月12日の対共栄大戦だった。1番・指名打者で登場していた脇山を見て、巧みなバットコントロールと俊足ぶりに目を奪われてしまった。しかも出身校が愛工大名電高と聞き、「将来のイチロー!」とボクは心の中で叫んでいた 以降、脇山を見ることを楽しみに球場に足を運ぶことが多くなった。いつも指名打者のため守備を見る機会が少ないが、あの身のこなしから推察するときっと上手いに違いない。気が早いけど、2011年のドラフトは「野球センスが溢れてコボレ落ちそうな」脇山渉に注目なのだ。≪脇山のプロフィール≫身長170cm、67kg。右投左打。昨年の夏、2番・二塁手として甲子園に出場。1回戦の相手は奇しくも創価高(西東京)。残念ながら愛工大名電高は創価高に敗れ初戦敗退した。雑誌『大学野球2008秋季リーグ戦展望号』(9・13増刊号、ベースボールマガジン社)では、こう評していた。「今春(08年)は全11試合出場。3割3分3厘の高打率を残し、優勝に大きく貢献した。俊足で、チャンスメイクの能力に長ける」 「あま野球日記」が脇山のこれまでを勝手に振り返る!■攻撃面で目立っていたのは、1番打者だった脇山渉(1年)と3番打者だった花山貴志(3年)。いずれも左打ちの「愛工大名電高」コンビだ。特に脇山渉は高校の大先輩でもあるイチローを彷彿とさせるほどにバットコントロールが巧みな選手に見えた。これからが楽しみな選手だ。→ 「 創価大・脇山渉の活躍で勝利」(2008.4.12) ■対東京国際大戦。ボクが勝手に注目する創価大・脇山渉は、今日も1番・指名打者で出場。4打数2安打、しかも盗塁をひとつ決めて、シブく「仕事」を全うしていた。 → 「東京国際大、創価大に連敗」(2008.4.27)■雑誌『大学野球 秋季リーグ展望号』(ベースボールマガジン社)に脇山渉が紹介されていて、ボクは嬉しくなった。「俊足で、チャンスメーク能力に長ける」との記事。→ 「早大・松下建太、復活へ!」(2008.9.24)■対東京国際大戦。コールド勝ちを収めたが、脇山の打順は6番(指名打者)だった。→ 「古葉竹識監督、胃痛の敗戦」(2008.9.27)■明治神宮大会の展望。ボクの注目選手に創価大、1番・DHの脇山渉がいる。小柄ではあるが俊足とシュアな打撃術が魅力だ。→ 「明治神宮大会(超私的)展望」(2008.10.26)■残念ながら、ボクは球場に到着するのが遅れて4回からの観戦だったが、3打数0安打で出塁する姿を見ることはできなかった。6回のライトライナーはいい当たりだったけど。→ 「大石達也、泉尚徳、脇山渉、村松伸哉」(2008.10.20)1日1クリックお願いします
2009.01.19
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各大学野球部のホームページでは、いま新入部員の発表が始まっている。見ていて目に留まったのが法政大。なんと、『九州のドクターK』と呼ばれた福岡工高の右腕・三嶋一輝が入部するらしい 三嶋、一気に有名になったのは昨春の九州大会だった。4試合(34回)を投げ奪三振数50K、奪三振率13.24の好成績を残した。しかも直前のセンバツで全国制覇した沖縄尚学高からも14三振を奪い、勝利まで収めたのだ。 三嶋一輝。昨春(08年)の九州大会初優勝の立役者、福岡工の147キロ右腕・三嶋一輝。大会では174センチの小さな右腕がフル回転した。最速147キロに2種類の切れ味鋭いスライダーで計4試合すべて2ケタ奪三振、34回を50K、奪三振率13.24。初戦の清峰(長崎)からの15Kを皮切りに、選抜覇者の沖縄尚学には14K。決勝では昨夏の甲子園4強の浦添商(同)から6回を除く毎回の11K完封。(西日本スポーツより)日刊スポーツでは、以前三嶋のことを「身長174cmのドクターK」と書いていた。九州大会、沖縄尚学高戦の最速は143km。そしてキレのいいスライダーに相手打者のバットが空を切った。昨秋までは最速139kmが最速だったが、冬休みには百道浜を走る砂浜トレーニングを1日も欠かさなかった。その効果もあって体重が60kgから68kgに増。三振を取ることに人一倍こだわりがある。「三振を取ると、おれの勝ちだ! という気持ちになるでしょ」(三嶋)だが周囲の期待を背負い、甲子園を目指した夏の福岡県大会ではあっけなく敗退。 (※「SACHIYANの気まぐれ日記」の4コマ漫画が面白いです)強いプロへの希望は、4年後に叶えるつもりらしい。三嶋一輝、動画はこちら(2007年、NHK旗福岡大会決勝)上記の動画(You Tube)で初めて三嶋を見た。小柄な体格にあどけない表情。淡々と投げる投球フォームに、(正直言って)どこがスゴイ投手なのか、ボクにはよくわからなかったがとまれ、加賀美希昇(新3年、桐蔭学園高)、武内久士(新4年、徳島城東高)、二神一人(新4年、高知高)ら実力派揃いの投手陣に、また新たに貴重な一枚(=三嶋)が加わることになる。法政大、課題は「打つ」ことだ。 1日1クリックお願いします
2009.01.18
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法政大・加賀美希昇(新3年、桐蔭学園高)。身長185cm、体重83kgの大型右腕。max150kmの直球とスライダー、そして緩急差のあるカーブが持ち味。加えて、昨秋の対早稲田大4回戦(08年10月12日)で13回2/3、215球を投げて見せつけた「スタミナ」。感情をストレートに表す「負けず嫌い」の性格も、この投手の魅力だ。桐蔭学園高時代から、大型右腕として神奈川県下では有名な投手だったらしい。だが加賀美が一躍有名になったのは昨秋のリーグ戦だった。東京六大学リーグ、このシーズンは「打高投低」が顕著だった。だから、どうしても打者陣よりも投手たちの方が目立った。中でも明治大・野村祐輔(新2年、広陵高)、早稲田大・大石達也(新3年、福岡大大濠高)、そしてこの加賀美の3人が群を抜いていた(少なくともボクにはそう見えた)。≪加賀美、08年秋季リーグの成績≫9試合、3勝2敗、投球回数67回1/3、被安打52、与四死球22、奪三振78、自責点9、防御率1.20。防御率は投手十傑の堂々3位。また「あま野球日記」が読者の方たちに教えられながら計算したところ、奪三振率が「10.4」で2位(※)、与四死球率は「2.9」で3位(※)だった。(※)規定投球回数に投手に限定した順位。したがって早稲田大・大石達也の記録「19.1」を除外している。大ブレークした昨秋。その実力が本物であることを証明するには、まずは今年一年、勝ち星を積み重ねるより他にない。春季リーグの開幕投手は加賀美で間違いないだろう。確実に勝利に結びつけて、対早稲田大戦では昨秋の「無念」をぜひ晴らしてほしい。 加賀美希昇。「あま野球日記」が加賀美のこれまでを勝手に振り返る!■春季リーグは不本意な5位だった法政大。今季はここまで大健闘。今日の試合も加賀美が最後まで粘りに粘った。負けはしたものの健闘を讃えたい。特に加賀美に!→ 「法政・加賀美希昇、粘投報われず早稲田に敗退」(2008.10.15)■法政・加賀美希昇は、スゴイ投手になるかもしれない!法政大vs早稲田大4回戦の録画中継をネットで見ていて、ボクはそう思った。スコア0-0で迎えた延長14回、失点を喫してベンチに下がる時に悔し涙を流す加賀美の表情が、ボクをしてそう思わせたのだ。加賀美が悔し涙を流すシーンは、こんな場面で訪れた。→ 「法政・加賀美希昇は、スゴイ投手になるかもしれない!」(2008.10.16)■今日行われた法政大vs東京大1回戦。延長12回、スコア1-1で引き分けた。東京大、大健闘!というべきか。もしくは法政大が情けないというべきか?いずれにせよ法政大、東大相手に負けなくてよかったぁ~→ 「加賀美希昇、今日も熱闘報われず 」(2008.10.25)■今日の法政大vs東京大4回戦。法政大がスコア3-2で東京大に辛勝した。法政の投手・加賀美希昇は完投勝利したものの、今季は「悲運」という言葉がつきまとう。どんなに好投しても、打線の援護に恵まれない。来年こそ、今季の頑張りを糧に大きな花を咲かせて欲しいものだ。→ 「東大・鈴木優一投手への詫び状」(2008.10.28)■法政大vs早稲田大4回戦(10月12日)。早稲田大の4番・原寛信に真っ向勝負を挑み続けた姿が印象的だった。この2人は桐蔭学園高時代のチームメイトだったこともあり、ライバル意識も強くあったのだろう。加賀美の投球は素晴らしかった。→ 「加賀美希昇、早大・原寛信との対決は面白かった」(2008.11.5)■東京六大学リーグの各投手の「奪三振率」と「与四死球率」を「あま野球日記」が勝手に計算してみた。→ 「斎藤佑樹の与四死球率!?」(2008.11.8)■グラウンドでの「悔し涙」は高校野球だけのものであって、大学野球とは無縁なものだと、ボクは思っていた。せいぜいボクが記憶していたのは、07年の全日本大学選手権で早稲田大に敗れ号泣する九州国際大・松山竜平(現・広島カープ)ぐらい。でも、秋のリーグ戦を観戦していたら、大学野球にも悔し涙がいくつもあることを知った。→ 「早稲田大・須田幸太の悔し涙」(2008.11.29) 1日1クリックお願いします
2009.01.18
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※戸村健次投手に関する最新情報は「戸村健次、上位でプロ指名へ」で紹介しています。ぜひ、どうぞ!-------------------------------------------------------------------立教大・戸村健次(新4年、立教新座高)。いま発売中の雑誌『野球小僧-ドラフトスカウティングレポート2009』(白夜書房刊)では、戸村をこう評していた。「身長185cm、76kg、右投げ右打ち。体重移動が実感できるようになれば球質がガラッと変わるはず。潜在力は底知れず」もっと活躍してもよさそうな素材なのに、いまひとつパッとしないまま。今年は最上級生となりエースと呼ばれても不思議じゃないのに、下の学年の仁平昌人(新3年、日大鶴ケ丘高)や増田健太(新3年、静岡市立高)らの陰に隠れてしまった感もある。以前、ある雑誌では「ハートに問題がある」と戸村のことを書いていた。本当のところはどうなのか、ボクにはよくわからないが・・・。昨秋のリーグ戦。戸村は2勝(3敗)を挙げ、防御率2.23、投手十傑8位、まずまずの成績でシーズンを終えた。あとは、この成績に弾みをつけて今年こそは大きく飛躍するのみだ。※戸村の通算成績。25試合、3勝6敗、投球回数78回1/3、防御率3.68。戸村健次、動画はこちら(2008年9月、秋季リーグ戦)戸村健次。ボクが彼のことで一番印象に残っているのは今から3年前、05年のことだ。当時から相当に有名な投手で、地元紙(埼玉新聞)にはこんな評が掲載されていた。--------------------------------------------------------------「まだあどけなさの残る17歳。色白で優しげな印象を受けるその顔からリーチの長い右腕をしならせて、県内最速145キロの直球を投げ込む。 「普段は80パーセントの力で低めに抑えた投球を心掛けている。それでも接戦や終盤になると、絶対に打たれないという気持ちで気合が入る」中学時代に大きな実績があったわけではない。入部当初の目標も、「3年間やめないで頑張ろう」という平凡なものだった。だが、素質あふれる原石だったことは確かだ。石森一輝監督は「腕の振りはよかったし、切れのあるボールを投げていた。3年間けがをさせないように大事に育てた」と話す。「とにかく一戦一戦勝つだけ」(戸村)。メジャーリーグからも注目される原石が、甲子園を懸けた最後の戦いでさらに磨かれ、光り輝こうとしている。(以上、埼玉新聞)--------------------------------------------------------------05年夏季埼玉県大会。7月10日、ボクは戸村を見るために川越初雁球場に行っていた。一回戦、相手は埼玉平成高。決して相手をナメたわけではないだろうが立教新座高、エース・戸村は先発しなかった。試合中、肩を作るため、一塁側のベンチとブルペンを何度も行ったり来たりしているうち、ただ時間が過ぎていた。試合は立教新座高がリード。「戸村の出番はナシか、あ~ぁ」そんなことを思っていた時、いきなり試合が動いた。そして甲子園どころか、県大会を勝ち進むこともなく、初戦であっという間に消えてしまった。以下、当時の「あま野球日記」から抜粋して紹介します。「立教新座高、まさかの初戦敗退!」(2005.7.10)戸村投手は登板せずにずっとベンチを温めていた。ところがスコア2-1で立教新座高がリードしていた9回、埼玉平成高校が代打攻勢をかけて同点になってしまう。なおも一死走者一・二塁のピンチに、堪らず立教ベンチはエース・戸村をマウンドに送った。二度・三度とヒザを大きく曲げてジャンプを繰り返してマウンドに向かう戸村。9回裏、埼玉平成高の攻撃。ゲーム中、肩を作っていたものの、登板が急だったためかストレートが高めに浮く。制球が定まらない。どうにか後続の打者を投ゴロと三振で打ち取りピンチを乗り切るものの、不安な滑り出し・・・。ゲームは延長戦へ。立教新座高、10回に一死二塁のチャンスを作るが後続なし。同点のまま試合は13回に突入する。延長13回、埼玉平成高が戸村を捕まえる。しかも二死走者なしから。死球の走者を一塁において、次打者は右翼線へ二塁打を放つ。一塁走者が一気に生還し、スコア2-3に。その後も左前打、中前打と3連打でスコアは2-4。事実上、この時点で勝敗は決まった。同時に、戸村と立教新座高の夏があまりにもあっけなく終わってしまった。1日1クリックお願いします
2009.01.17
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今日は大学野球選手に関する記事はお休みにして、13日に「野球殿堂入り」が決まった故・青田昇さんのこと。今日の日経新聞。野球評論家・豊田泰光さんが週一回掲載のコラムに青田さんのことを書いていた。曰く、「実力者だったが、晩年はプロ野球界から疎(うと)まれた存在になっていた。だから本来は生前に可能だった殿堂入りが遅く(亡くなってから)なってしまった。その理由は、野球界と暴力団の癒着を公言してしまったから」そして、青田さんと長嶋茂雄さんのエピソードをコラムの中で紹介していた。身長170cmと小柄ながらポンポンと本塁打をかっ飛ばす青田さんに、ある時不振に悩む若手選手が相談に訪れたことがあったという。場所は球場、相談者は若き日の「ミスター・ジャイアンツ」こと長嶋さん。「どうやったら、もっと打てるようになるでしょうか?」長嶋さんが怖々、先輩・青田さんに尋ねた。すると青田さん、何を思ったか何も答えずスタスタとゲージに入り、打撃投手の投げる球を次々にスタンドに打ち返してみせたという。その意図はわからないが、青田さんの打球に度肝を抜かれた長嶋さん。ますます落ち込んでしまったという あの陽気な長嶋さんが「落ち込んだ」というオチも面白いが、「じゃじゃ馬」というニックネームを冠した青田さんらしい逸話なのかもしれない。 もちろんボクは青田さんの現役時代など知らない。ただ野球好きになってからわりと早い時期に、青田さんの名前と顔を覚えることができた。きっかけはテレビだ。当時日本テレビで「ミユキ野球教室」(提供・御幸毛織)という番組(毎日曜、朝9時~)があって、青田さんがしょっちゅう解説者として出演していた。その番組が好きだったボクは、毎週欠かさず見ていて青田さんを知った。番組の司会は、たしか越智正典さん(日本テレビ・アナ、当時)。先週、豊田さんが同じコラムで「近年のプロ野球選手は個性が失われてきた」と嘆いていた。「野球を面白くするのは監督でも管理された組織でもなく、選手一人ひとりの個性のぶつかり合いだ」とも。青田さん、そういった「個性のぶつかり合った」野球をずっと体現しつづけた人だったかも※記載した豊田さんのコラム。内容は私の記憶を辿って書いたので、表現が若干異なりますがご了承ください。 1日1クリックお願いします ◇今日の時事ニュース◇・国際野球連盟(IBAF)、世界ランキング発表。1位キューバ、2位米国、3位韓国、4位日本・上原浩治、オリオールズ入団会見「興奮しています。ずっと挑戦したい気持ちが強かった、嬉しい」・ホークス、昨年11月の納会で18歳選手が飲酒。救急車を呼ぶ騒ぎに
2009.01.15
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“東都のおかわり君”こと亜大・中田亮二内野手が8日、亜大グラウンドで始動した。プロ入りを目指す今秋のドラフト上位候補は、あと25本に迫った史上13人目のリーグ通算100安打達成を目標に掲げた。171センチ、115キロ。昨年は年末年始に食べ過ぎて体重が10キロオーバーしたが、今年は実家の大阪で1日4時間、バットを振った。その結果、好物の空揚げを30個食べたにもかかわらずベスト体重をキープした。100安打はこれまで阪神・今岡ら12人が達成し、うち11人がプロ入りした。「100安打はプロ入りするために、目標としてきた数字」と中田。体に似合わぬ?安打製造機の中田は、イチローの打撃理論を参考に進化への努力を惜しまない。この日は、ソフトバンク、オリックスのスカウトが視察。今季は神宮でも“おかわり君”に注目だ。(デイリースポーツ)ボクが亜細亜大・中田亮二(新4年、明徳義塾高)を初めて見たのは、たしか06年11月の東都・秋季リーグでのことだった。1年生ながら名門・亜細亜大の3番にドッカリと座り、快打を見せていた。中田の特徴は打撃だけではない。171cm、115kgの体格からは、足が遅くて動きも緩慢そうに見えるけど50m走は6秒5。見た目ほど遅くないし動きも俊敏の部類に入る。中田が一塁へ疾走するさまに、神宮の観客席からは「ホッ~!」と感嘆の声があがったものだった。いま発売中の雑誌『野球小僧』(白夜書房刊)では、この中田亮二へのインタビュー記事を掲載している。その記事中では、「目標とする選手はイチローであり、目指すのは長距離ヒッターではなくアベレージヒッター」と中田が応えていた。小学生の頃からバットの芯で球を捕らえる練習をしていて、バットコントロールには最も本人が自信をもっているらしい。昨秋までの通算安打数は「75」。東都史上13人目の100安打達成も見えてきた。昨年の世界大学野球では、並いる先輩たちを押し退けて3年生ながら4番を張った逸材。一塁手以外のポジションをアピールできれば、さらに上位でのドラフト指名は間違いない。中田亮二、動画はこちら(08年7月世界大学野球選手権)。中田亮二。「あま野球日記」が中田のこれまでを勝手に振り返る!■06年秋季リーグ、中田のいる亜細亜大が対日本大戦で勝ち点を奪取。このゲームには、3人の明徳義塾高OBの選手達がいた。亜細亜大・先発の鶴川将吾(2年)、同じく3番打者の中田亮二(1年)。日本大・2番打者の森岡佑紀(2年)。高校時代のチームメイトたちが時を経て、「戦国東都」での戦いとなった。→ 「亜大・日大戦の明徳義塾高OBトリオ」(2006.10.11)※学年は当時。現在、鶴川は松下電器へ、森岡はワイテックへ入社を決めている。■06年の明治神宮大会は亜細亜大が5-3で早稲田大を降して優勝した。たしかこの試合で初めてボクは中田をナマ観戦した。光った亜大3番・中田のキャラクター。でも実は見た目ほど遅くないし動きも俊敏。西武の「おかわり君」こと中村剛也(大阪桐蔭高)に雰囲気が似ていた。→ 「亜細亜大優勝!三澤が決めた!」(2006.11.15)■亜細亜大の本間篤史(駒大苫小牧高)、春季リーグでベンチ入りを目指しているそう。だが慌てることはない。じっくり身体を作って中田亮二とのクリーンアップを見せてほしい。高校時代に部員の不祥事で「地獄」を見た本間だが、中田もまったく同じような経験をしていた。甲子園出場を決めて甲子園に乗り込んだものの、不祥事が発覚して急きょ出場辞退をしたことがある。→ 「駒大苫小牧高OB・本間篤史が亜細亜大で日本一を!」((2007.3.14)■東都大学リーグ、亜細亜大は日本大に勝ち、1勝1敗のタイに持ち込んだ。亜大の勝ち投手は鶴川将吾。亜大×明徳義塾高といえば、忘れちゃいけないのは中田亮二のこと。今日も適時打を放つなど、もっか東都大学1部リーグでは打撃十傑で堂々のNo1打者(打率.450)なのだ。再来年のプロ野球、日本ハム・中田翔(大阪桐蔭高)だけでなく、もう一人の中田が話題を集めるかもしれない。→ 「今日の東都大学1部リーグ」(2008.5.7) ■チェコで行われている世界大学野球選手権。日本は3戦3勝と好発進した。オーダーは次のとおり。ここまで1番から4番は固定化されているようだ。特に中田が4番に固定されているのが、ボクは嬉しい。1(8)柴田 講平 (国際武道大4年、福岡工大城東高 → 08年阪神2位指名)2(4)上本 博紀(早稲田大4年、広陵高 → 08年阪神3位指名)3(9)松本啓二朗 (早稲田大4年、千葉経大付高 → 08年横浜1位指名)4(3)中田 亮二 (亜細亜大3年、明徳義塾高)→ 「世界大学野球、日本3連勝!」(2008.7.22)■世界大学野球第5戦、対米国戦。強い雨と強風の中、選手にとっては可哀想なコンディションだった。結局スコア3-9で敗れるが、スイングが特に鋭い打者がいた。この大会、ずっと4番に座っている中田亮二がそれ。スイングを見ていて、中田の過去の逸話を思い出してしまった。それは・・・亜細亜大に入学後、さっそく1年生ながらクリーンアップを打っていた中田。だが、ある日突然に3番打者から下位打者に降格されてしまった。その時、監督に文句を言ったその言葉が面白い。「下位打者じゃ、やる気が出ない」。もちろん(?)監督はさっそく次の試合から、中田を3番に復帰させたという。→ 「桐生一、明徳、中田亮二」(2008.8.2)1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.13
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ヤクルトは早大・斎藤佑獲りの前に来秋ドラフトで、大学の先輩となる松下建太投手、楠田裕介投手(ともに3年)をリストアップしている。松下はリーグ戦通算7勝を挙げ、斎藤とともに早大を支える主力の1人。楠田はリーグ戦未勝利ながら、1メートル91の長身から149キロ直球を投げ込み"ダルビッシュ2世"の異名をとる。宮本スカウトは「2人とも素材は素晴らしい」と評価。将来的には斎藤と"早大出身3本柱"となるかもしれない。(スポニチ)早稲田大・松下建太(新4年、明徳義塾高)。新聞記事にはリーグ戦通算7勝とあった。ボクが想像していたよりも少ない星の数。松下ほどの好投手であっても3年間で7勝しかできないとは・・・、早稲田・投手陣の充実ぶりがうかがえるというものだ。飛び跳ねるように、テンポよくサイドから放る松下独特の投球フォームは、「絶対に打者を打ち取るぞ!」といった自信の表れのように見える。※そのフォームといい、自信がみなぎるように見える姿といい、ボクには一昨年まで明治大にいた久米勇紀(現・ホークス、桐生一高)と被って見えるのだ。ま、これは余談だけど。松下建太、動画はこちら(07年10月秋季リーグ戦)。「みなぎる自信」。でも松下、この自信を木端微塵に打ち砕かれたことがある。それは08年5月17日、対明治大1回戦のことだった。ボクはこの試合を神宮でナマ観戦していたので、松下を襲った「ドラマ」を今も鮮明に憶えている。---------------------------------------------------------------------この試合、優勝候補の早稲田大が斎藤佑樹(2年、早稲田実)-大石達也(2年、福岡大大濠高)の必勝リレーで有利に進めていた。試合は9回裏、明治大最後の攻撃。スコアは3-1。早稲田大ベンチはクローザーとして、この回から松下建太をマウンドへ送った。簡単に一死を奪った後、「ドラマ」の幕が開いた。4番・小道順平(3年、二松学舎大付高)が低めに入った球をうまくすくい上げ、左中間を越える二塁打を放ち出塁した。続く5番・千田隆之(4年、日大三高)がレフト前に痛烈なライナーの適時打を放ち、スコア3-2。なおも一死一塁で6番・荒木郁也(3年、日大三高)がフルカウントから打った打球は、大きな放物線を描いてライトスタンドに突き刺さった。逆転サヨナラ本塁打!松下のコントロールミスだったろうか、ど真ん中のストライクだった・・・。茫然自失。マウンドから本塁打を見届けた松下、帽子を剥ぎ取って、だれにともなくベコリと頭を下げた。そして、うつろな視線で頭をかきむしる姿は「こういった最悪の事態に自分がとるべき態度」を懸命に思いめぐらせているように見えた。いつもイキイキと強気で投球している印象しかボクにはなく、その松下の姿はあまりに対照的に見えた。----------------------------------------------------------------------少しずつ復活の兆しを見せているが、まだ本調子ではないようだ。ぜひ最後の一年で結果を残し、プロのステージにステップアップしてほしいものだ。松下建太。 ■明徳義塾高2年の頃、メンバーは凄かった。甲子園出場は当たり前になっていたし、森岡佑紀(日本大)、鶴川将吾(亜細亜大)らそうそうたる先輩たちもいた。また同級生には中田亮二(亜細亜大)がいた。→ 「2004年夏、明徳義塾高」(2008.5.8)■翌05年も明徳義塾高が高知大会を制し、甲子園出場を決めた。だが、その後に事件が起きた。野球部員の不祥事が発覚し、明徳は出場辞退を余儀なくされた。松下や中田らナインたちは、涙を流しながら甲子園近くの宿舎を後にしたことがあった。ちなみに代わりに高知代表として出場したのは高知高。エースは現・法政大の二神一人だった。 → 「法政のエースへ、二神一人」(2009.1.10)■このシーズン、初めてナマ観戦した東京六大学リーグ。試合は完全に早稲田大のペースで進んでいた。9回表が終了時点した時点で、早稲田の勝利は9分9厘確定しているように思え、ボクは帰り支度にとりかかっていた。明治大・佐々木大輔(4年、日大三高)の復帰した姿と、野村祐輔(1年、広陵高)を観ることができたのが、せめてもの収穫と思いつつ・・・。でもその直後、とんでもないドラマが待っていた。→ 「早大、明大に逆点サヨナラ負け」(2008.5.17)■08年秋季リーグ。対東京大2回戦に2番手投手として松下建太が登板した。春季リーグ・明治大戦で逆転サヨナラ本塁打を浴びた。その敗戦のきっかけを作った松下が早稲田大が優勝を逃したA級戦犯のように言うムキもあった。サヨナラ負けが決まった瞬間、茫然自失の体で、どこにともなく帽子をとってペコリと頭を下げていた松下。以来オフは、寮の自室にこもりひとり涙を流す日もあったという。そんな月日を経ての今季初登板だった。→ 「早大・松下建太、復活へ!」(2008.9.24) ■松下、対明治大戦で完投勝利を決めた瞬間、その表情が引きつって見えた。春季リーグで明治大にサヨナラ本塁打を浴び、「落ちるところまで落ちた。後は這い上がるしかない」(早大・應武篤良監督)と言われていた松下。試合終了後にベンチ前でダウンしていると、(第2試合のため)入れ替わりにグラウンドに現れた明治大の選手たちに祝福の声をかけられ、初めて笑顔に変わった→ 「早大・松下建太、完全復活だ!」(2008.9.28) 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.12
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さきほどフジテレビ系『すぽると』を見ていた。番組中、「アスリートたちの成人式」というコーナーがあり、成人式を迎えたアスリートたちの人気ランキングが報じられていた。1位 田中将大(現・楽天、駒大苫小牧高)2位 斎藤佑樹(現・早稲田大、早稲田実)3位 坂本勇人(現・読売、光星学院高)「3位・坂本」の名を聞いて、ボクは光星学院高時代のチームメイトだった現・國學院大の村松伸哉のことを思い出した。07年、村松は大学入学早々に東都・春季リーグ戦では開幕投手を務め華々しいデビューを飾った。しかも同年行われた日米大学野球では斎藤佑樹と2人、1年生ながら日本代表チームに選出され、斎藤佑樹を押し退けてMVPを獲得するほどの逸材だった。ところが2年目(08年)に突然つまずいた。春季は「投げれば負け」が定着し、秋季はわずか3試合だけリリーフでマウンドに立っただけだった。「2年目のジンクス」と言ってしまえば簡単だけど、なぜそうなってしまったのか今をもってボクはその理由を知らない。何らかの理由があるのだろうけれど、長身から投げおろす速球やスライダーで、ビシバシ相手打者を打ち取る雄姿を再び見せてほしいものだ。村松伸哉、動画は2種類あります。(1)2007年7月「日米大学野球」はこちら。(2)2005年7月「夏季青森県大会・決勝、対青森山田高戦」はこちら。村松伸哉。高校2年生の時に甲子園を賭けて、青森山田高と決勝戦を戦った(上記2)。背番号「18」をつけた村松は3番手で登板したが、結局甲子園へのキップを手に入れることはできなかった。チームメイトには4番の主砲・坂本勇人や、エース・桑鶴雄太(現・東北福祉大)がいたし、相手の青森山田高にはエース・柳田将利(元・ロッテ)や主将だった加守田隆介(現・青山学院大)がいた。そして翌06年、高校3年生の時、センバツ甲子園に背番号「10」をつけて出場が叶ったが、一回戦でダース・ローマシュ・匡(現・日本ハム)を擁する岡山・関西高と対戦し4-6で敗退した。■ボクが村松の名を知ったのは07年6月のこと。翌7月に開催される日米大学野球の日本代表メンバーに村松の名前を見つけた。だけど國學院大・村松とはいったいどんな選手なのか、その時は全く知らなかった。→ 「日本代表エースへ、村松伸哉」(2007.6.25)■日米大学野球ではMVPを獲得した。「斎藤はスライダーなど変化球を主体にボールゾーンで勝負するのに対し、村松は直球の角度とキレがあるため、ストライクゾーンで勝負ができる」との評価も受けた。斎藤佑樹に強烈なライバル心を持つ村松にとっては最高に嬉しい言葉ではなかったろうか。 → 「MVP獲ったぞ、村松伸哉」(2007.7.10)■187センチ、77キロ。最大の武器は、長身から繰り出す剛速球。今春の東都大学リーグ戦では同リーグ史上最速となる153キロをマークした。竹田利秋監督は「(宮城・東北高での教え子だった元マリナーズの)佐々木主浩に通じる思考力を持っている。順調に育てば大きな花を咲かせてくれると思う」と、村松に期待した。→ 「斎藤佑樹、村松伸哉。開幕!」(2007.8.30)■07年秋季、対東洋大3回戦の9回に事件が起きた。村松の投球を東洋大の打者が空振りした後に、(打者の足に)球が当たった。当然ストライクをコールされるはずが、なぜか「デッドボール」の判定。それを聞いた村松、マウンド上で激高した。グラブを叩きつけて主審に歩み寄ったのだ。慌ててベンチを飛び出した國學院大・竹田利秋監督は、村松を後ろから抱きついて抑え、どうにか事態は収束した。(その後に審判団が協議し、「ストライク」に判定が変更された)大学野球では珍しい「退場処分」に発展しそうな雲行きだった。→ 「大場翔太10連勝、村松伸哉は激高!」(2007.9.4)■青山学院大第3戦。村松は2回からのロングリリーフを見事に果たし、チームを勝利に導いた。面白かったのは、高校時代のライバル・加守田隆介との対戦。フィニッシュではスライダーで空振り三振に斬って取ったものの、途中肩に力が入り過ぎて、直球が大きく外れるシーンがあった。見てくれは冷静そうに見えるけど、心の内には相当に熱いものがあるようだ。 → 「村松伸哉、青学大・加守田へのライバル心?」(2007.9.21)■07年の秋季リーグ戦。事実上の最下位決定戦となった対立正大戦で、 痛恨のサヨナラ暴投をした村松、その場に突っ伏して泣きじゃくった。竹田利秋監督は「勝っては泣き、負けても泣く。感情をそのままむき出しにするのは、最近の選手では珍しい」と語った。もちろん最大の称賛の言葉である。→ 「見どころ満載、東都大学リーグ」(2007.10.13)■華々しい活躍が目立った昨年。だが08年に入り、村松は不調を極めた。「投げれば負け、投げれば負け」が続き、まさにボロボロの状態だった。→ 「國學院大・村松伸哉の不調」(2008.4.23)■ま、焦ることはないよね。こういった「負のスパイラル」に陥ることは誰にでもある。大事なのは、この時期にエネルギーと技術をどれだけ蓄えることができるか、なのだ→ 「武内久士と村松伸哉に幸運を!」(2008.7.2) ■村松が在籍する國學院大が10日、入替戦で日本大と戦い1部昇格を決めた。今年2008年、春は何度か登板したものの、ガンガン打たれてK・Oが続き、秋のリーグ戦では実力を発揮することはなかった。國學院大に注目しつつも、村松が本調子ではなかった優勝にボクはイマイチ喜べなかった。→ 「岸孝之、坂本勇人、村松伸哉」(2008.11.12) 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.11
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昨年、ボクが最も注目した選手のひとりは早稲田大・大石達也(新3年、福岡大大濠高)だった。遠慮なくバンバン速球を投げ込むスタイルは、見ていて痛快。チームでは先発ではなく救援投手として、十分に存在感を示している。チームメイトの斎藤佑樹(新3年、早稲田実)がメディアに露出する機会が多いが、プロでのノビシロを考えたら大石の方が上じゃなかろうか。ボクは最近そんなことを思っている。そう思っえる理由は、大石の奪三振率にある。max151kmの速球を駆使して奪う三振数は、いまの大学野球界において圧倒的に多い。昨秋(08年)のリーグ戦では、大石の奪三振率は19.1とダントツ。一試合(9イニング)あたり19.1個の三振を奪うというのだから凄すぎる。<大石、08年秋季リーグの成績>※8試合、1勝0敗、16回、被安打4、与四死球1、奪三振34、防御率0.00。規定回数は28回のため、投手十傑入りはしていない。これから2年間、どこまで成長するかとても楽しみな選手だ大石達也、動画はこちら(07年10月秋季リーグ戦)。大石達也。■ボクが大石達也の名を初めて聞いたのは07年8月、オール早慶戦2戦目のこと。調べてみると、高校時代から「145km右腕」と呼ばれたプロ注目の投手だったらしい。 → 「斎藤佑樹、直球に力強さ増す」(2007.8.26)※後から知った話だが、早稲田に入学後は投手ではなく「遊撃手」の登録だった。■初めて大石の姿をテレビで見たのは2カ月後の9月。軽~く140km台後半の直球をビシビシ投げ込む姿に、ボクは驚いてしまった。→ 「また早大に凄い投手、大石達也」(2007.9.7)・・・その後、断片的に大石のことを書いたけど、ここでは省略・・・そして昨秋(08年)のリーグ戦のこと。■今季4試合目の登板となった10月18日の対明治大1回戦。斎藤を9回から救援した大石は直球にキレのあるスライダーやカーブを交え明治大打線を無失点に抑えた。 → 「早大・大石達也、奪三振率52.9%」(2008.10.18)※ボクは奪三振率の定義を間違えて、奪三振数/打者数で算出していた。■「打高投低」が顕著だった今季の東京六大学リーグ。優勝した早稲田大も例外ではなく、斎藤とともにマウンドを守った大石の活躍があってこそ。→ 「東京六大学を勝手に総括する(1)」(2008.11.3)※タイトルは(1)だったが、いまだ続編(2)を書いていない■東京六大学・秋季リーグが終了し、早稲田大が優勝した。大石の奪三振率は19.1。また「あま野球日記」が勝手に調べた「指数」も凄い結果だった。(1)対戦した全打者から三振を奪った比率は⇒(奪三振数)34÷(打者数)54=63.0% (2)アウトを獲った打者中、三振を奪った比率は⇒(奪三振数)34÷(奪アウト数)48=70.8%→ 「大石達也の数字、19.1?63%?70.8%?」(2008.11.6)※いったいこの奪三振率の記録が東京六大学史上、どういった位置づけになるのかボクには皆目わからないけれど・・・1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング ◇今日の時事ニュース◇・中国、新華社。23億人が旧正月に向けて大移動始まる。政府は社会不安の高まりを警戒・MLB。上原はオリオールズ、川上(憲)はブレーブス、斎藤隆はレッドソックスへ・ラグビー大学選手権、対抗戦の雪辱!早稲田大が帝京大を破り連覇
2009.01.11
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気は早いけれど、今秋のドラフトに向けた大学選手の記事をTOPページに記載しています。今後もどんどん追加していきますね。今日は法政大・二神一人(新4年、高知高)のこと。ボクは二神がドラフト候補だという記事を目にしたことはない。ただ、法政のエースナンバー「18」を背負い、昨年(08年)秋の開幕投手を務めたのは、この二神だった。開幕戦で1勝を挙げた後はパッとせず、一年下の加賀美希昇(新3年、桐蔭学園高)に後れを取った感もあるが、今年の活躍次第で指名の可能性は十分あるだろう。二神一人、動画はこちら(08年9月秋季リーグ戦)。<二神、昨秋の成績>6試合、1勝1敗、23回2/3、被安打24、与四死球11、奪三振23、自責点12、防御率4・56。※ちなみに昨春(08年)の成績は次のとおり。6試合、1勝3敗、26回、被安打30、与四死球10、奪三振30、自責点11、防御率3・81。二神一人。高知高時代、とんでもない事件に巻き込まれた経験の持ち主である。名門・高知高のエースだった二神。決勝(05年7月24日)にチームを導き、甲子園にもう一歩まで迫ったものの、延長12回をひとりで投げ抜いた末、スコア1-3で敗退した。相手は8連覇を目指していた明徳義塾高。エースは松下建太(現・早稲田大、新4年)。主力打者には中田亮二(現・亜細亜大、新4年)がいた。明徳義塾高が高知大会を制し、颯爽と甲子園に向かったのだが、その時に事件が起きた。野球部員の不祥事が発覚し、明徳は出場辞退を発表。ナインたちは涙ながらに甲子園近くの宿舎を後にした。05年8月4日のことだ。急きょ、高知代表として甲子園出場が決まったのが二神のいた高知高。慌ててメンバーを招集し甲子園に乗り込み、8月10日には一回戦・日大三高と対戦した。だが結果はスコア2-6で敗退。一度はあきらめた甲子園出場の夢が突然叶い、あっという間に消えていった・・・。要した時間は8月4日から10日までのたった一週間だけだった。その日大三高、エースは大越遼介(現・明治大、新4年)だったし、二塁には中山怜大(現・立教大、新4年)がいた。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.10
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恋人は"球児二世"や! 阪神が来秋のドラフト上位候補として、法大・武内久士投手(21)をリストアップしたことが28日、わかった。MAX154キロを誇る国際経験豊富な右腕。将来のストッパー候補として、年明けから密着マークする。 「彼の1番の魅力は何と言っても速球。しっかり力を入れて投げれば、150キロはまず超える。球児のような投手? そうですね。もちろん注目候補です」と球団関係者は未完の大器を高く評価する。藤川と同じ1メートル84の長身から投げおろす直球の威力は申し分ない。最速154キロの"火の玉ストレート"が最大の魅力。スライダーとのコンビネーションで三振の山を築く。制球面に課題は残るが、同時に「フォームが荒っぽいし、力が入りすぎているように見える。まだまだこれからの選手」と同関係者は今後の成長に期待する。球児がプロ入り後、トレーニングとフォームの改良で不動のストッパーに成長したように、武内も大化けする可能性がある。だかこそ触手が伸びるわけだ。(サンスポ)法政大・武内久士(新4年、徳島城東高)を狙うのは阪神らしい。間違いなくプロが注目するとは思っていたけど、直球主体で勝負を挑む「本格右腕」には難点もあり、プロがどう評価しているのか、ボクはぜひ知りたいことだった。彼の魅力は言うまでもなく速球、普通に150kmは投げられる。ただ制球がイマイチで、突然自滅する雰囲気を漂わす弱点もある。期待された昨年は、法政大で一学年下の加賀美希昇(新3年、桐蔭学園高)が大ブレークして陰が薄くなった感もある。武器である直球に磨きをかけ、制球を安定させることが、武内の今年の課題なんだろう。ぜひ、来年の今頃はプロの世界に身を投じていることを祈りたい。武内久士、動画はこちら(08年7月世界大学野球選手権)。武内久士。■ボクが武内を初めて見たのは、07年4月の春季リーグ戦・対早稲田大戦だった。小松剛(現・広島、室戸高)を継いで二番手としてマウンドに立ち、150km台の速球をガンガン投げていた。 → 「法政敗退も大器・武内久士」(2007.4.28)■高校時代からプロのスカウトたちに注目された速球派の投手。またの名を「未完の大器」とも呼ばれている(らしい)。08年の春季リーグ戦・対明治大戦では先発で登場。制球を意識してか直球が以前より遅く見えたけど、それでも常時150km弱は出ていた。この投手のいいところはヘタな小細工をしないこと。いずれドラフトで指名されるんだろうけど、小さくまとまってほしくない投手だとボクは思った。→ 「明治、法政と引分けV持越し」(2008.5.26)■「大学入学後は少しでも速い球を投げようと力んでいた」ことから制球に苦しんだが、「テークバックのときリラックスするよう心がけた」ところ、先の春季リーグは荒れ球が落ち着いた。そう語る武内の言葉を継ぐように、世界大学野球選手権に出場する日本代表の監督・河原井正雄氏は言った。「不安材料がひとつ消えた。武内はストッパーを任せたい」 → 「武内久士と村松伸哉に幸運を!」(2008.7.2)■世界大学野球選手権、予選リーグの対米国戦で先発したのが武内だった。でも結果は散々、2回4失点で敗戦投手となった。試合後、河原井正雄監督がコメントした。「でもなぁ、武内がもう少しやってくれると思ったのに」。→ 「世界大学野球、日本が敗退!」(2008.7.24) ■武内。球はめちゃめちゃ早いが制球に難がある武内。この夏、テイクバックの際に手の力を抜くことで、それを克服したという話を聞いたことがある。それを実証するかのように、初回から見事な投球を披露する。1番・五十嵐大典(3年、新潟明訓高)から5番・田中宗一郎(2年・佐賀西高)まで5者連続三振を奪ったのだ。この時の直球の最速は152km。連続三振を奪う姿は、まさに怪物のよう。この時、ボクは武内が江川卓氏に見えた! → 「武内久士が江川に見えたぞ」(2008.9.23) ■NPBは、来年セ・パ両リーグ分立60周年を迎える。その記念事業として、12球団がそれぞれ26の大学野球連盟と対戦するらしい。時期は7月、球宴期間中に行われる予定だ。対戦カードもすでにいくつか決まっており、東京六大学連盟は同じ神宮に本拠を置くヤクルトと対戦する。ぜひ武内も代表選手としてマウンドに立って欲しい投手の一人なのだ。 → 「来夏、斎藤佑樹がプロ相手に投げる」(2008.12.24) 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング ◇今日の時事ニュース◇・米国労働省、昨年は就業者258万人減少。戦後最悪の水準・トヨタ自動車、創業家出身の豊田章男副社長が社長昇格へ・安達祐実とスピードワゴン・井戸田が離婚、3年3カ月の結婚生活にピリオド
2009.01.09
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落合竜が今秋ドラフトの隠し玉として東大の鈴木優一投手(22)をリストアップした。昨秋の東京六大学リーグで2勝を挙げた"赤門左腕"は、130キロ台後半の直球と多彩な変化球、さらに無尽蔵のスタミナが魅力で、中日は下位での指名を検討。東大史上6人目のプロ選手誕生なるか、今春リーグ戦は鈴木に注目が集まる。(スポニチ) ◇今日の時事ニュース◇・オバマ次期米大統領、4月までに金融規制改革のたたき台を示す考えを示す・帝国データバンク、国内企業の4社に1社は非正社員を含む従業員の削減を実施・国民年金保険料、「減免」される対象の8割が未申請。無年金の恐れも 鈴木優一(新4年、愛知・西尾高)。■昨秋は東京大を相手に投げることのできない不運な面があるのに、防御率は堂々の3・78。(ちなみに、防御率1位は明治大・野村祐輔の0.00)「あま野球日記」の調べでは、「東京大を相手に投げると、防御率は約1点下がる(※)」というデータがある。鈴木がもし東京大に投げると防御率が一気に2.78前後に下がる可能性があり、5位・立教大の増田健太(2年、静岡市立高)や、6位・慶應義塾大の相澤宏輔(4年、熊本高)とほぼ同格の投手といえる。(※)増田健太<全5大学>1・75→<東大戦を除くと>2・71 (差異+0.96) 相澤宏輔<全5大学>1・76→<東大戦を除くと>2・67 (差異+0.91)■昨年10月4日、ボクはたまたま神宮球場にいて鈴木のリーグ戦初勝利を見ることができた(対慶應義塾大戦)。ポーカーフェイスで淡々とした表情の鈴木、さすがに最終回は強張っていたのがボクの記憶に残っている。そして東京大が勝利を決めた瞬間、初めて鈴木の表情が笑顔に変わったこと、グラウンドにも観客席にも歓喜の涙が溢れていたことをボクははっきり憶えている。■鈴木の投球の特徴は、何といっても「スタミナ」だ。秋季リーグ戦では、12試合、2勝6敗、打者数368、イニング数83回1/3、被安打85、与四死球43、奪三振27、自責点35、防御率3.78。12試合に登板し83回1/3を投げた実績は、他の上位投手中「イニング数」が断トツの第1位だった(早稲田大・斉藤佑樹は65回)。言いかえれば、鈴木ほど酷使された投手は他チームいないということ。■まさかプロから注目されるほどの投手とは思わなかったが、投手としては「酷使」を要求され、「味方打線の援護」がさほど期待できないW(ダブル)不運を抱えつつ、大学生活最後の年が始まった。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.08
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◇今日の時事ニュース◇・「ワークシェアリングも選択肢」御手洗経団連会長が言及、深刻化する雇用問題で・日本中央競馬会(JRA)、「2008年度JRA賞」は天皇賞・秋、安田記念で2勝したウオッカを選出・4日スタートしたNHK大河「天地人」の初回視聴率が、昨年の「篤姫」(20・3%)を上回る24・7% 中国北京市衛生局は6日、鳥インフルエンザに感染した同市朝陽区の女性(19)が5日に死亡したと発表した。検査の結果、毒性の強いH5N1型ウイルスの陽性反応が出た。中国で鳥インフルエンザ感染が確認された人は2003年以降の累計で30人、うち20人(昨年は3人)が死亡しているが、北京で死者が出たのは初めて。(時事)中国ではこの時期、春節(旧正月)を迎えるらしい。帰省ラッシュが始まる中、H5N1型インフルエンザはこのタイミングに乗って拡大したら大変だ。世界規模で拡がりを見せた金融危機と合わせ、ダブルパンチの衝撃になる。3月、東京ドームで行われるWBCアジア大会に出場する中国選手たちの健康は大丈夫だろうか? さてWBC。台湾の様子を日刊スポーツが伝えている。台湾棒球協会はこの日、29日から始まる代表合宿に参加する第1次候補48人を発表した。だが自らも初出場に意欲を燃やしていたが、07年まで2年連続19勝を挙げた王建民(ヤンキース)の名前はなかった。 主な候補選手は、メジャー組では郭泓志投手、胡金龍遊撃手(ともにドジャース)。日本球界からは中日チェン投手、阪神林外野手と蕭投手、日本ハムの陽内野手、ソフトバンク李内野手、ロッテと残留交渉中の呉投手など。次いで日本。サンスポが報じた。WBCの最重要課題は"投球数の制限"を逆手にとって、投手のローテーションを"投球数ごと"にすることだ。先手を打ってWBC監督就任を辞退表明した落合監督は、一昨年のオールスターゲーム第1戦で、「投手1人、1イニング」作戦を取り、パ・リーグの打者を完封して投手のすごさを満天下に見せつけた。 世界に日本の投手の"すごさ"を見せるには、「投手1人、20球以内」にして投手が投球数を満了したら躊躇(ちゅうちょ)なく交代させる(方法もありそうだ)。もうひとつ。以下は夕刊フジから。巨人・渡辺恒雄球団会長(読売新聞グループ本社会長=82)は仕事始めの5日、都内のホテルで読売No.2の内山斉グループ本社社長と会食。新春一番、"WBC連覇"でも聞きたいところだったが、「おれは今、野球には関心がないんだよ。世界恐慌! 恐慌のことならいつでもしゃべるけど、野球まで頭が回らんよ」とかわし車に乗り込んだ。100年に一度と言われる大不況の中、ナベツネさんが「野球に関心がない」のは、最近の数少ない朗報のひとつではあるまいか? 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.06
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◇今日の時事ニュース◇・自民執行部、離党が不可避になった渡辺喜美元行政改革担当相への同調者出現を警戒・イスラエル軍、ガザに地上侵攻。ハマスと激戦、死者500人超・中国外交部の秦剛報道官、「油田(天外天)を開発するのは中国固有の主権の権利行使」と表明 一流メジャーリーガーを揃えた米国、ドミニカ共和国を撃破するには、メジャーリーガーに頼るしかないのか。WBC日本代表・篠塚和典打撃コーチは「大リーガーには、来てもらうからには控えというわけにいかない。基本的にはスタメンで使うことになる」 「大リーガーにはメンツもある。控えに回すくらいなら呼ばない。来てもらうからには基本的にはスタメンで使うことになる」と明言した。(ZAKZAK)そうか、メジャーの選手を積極活用するのか・・・。連覇するためには当然そういった考えもあるのだろうけど、仮に連覇を達成しても、それでNPBが盛り上がるんだろうか。そんな素朴な疑問をボクはもってしまうのだ。 以下、日刊ゲンダイより。 見出しは「今季中にも10球団1リーグの球界再編騒動が再燃する」。記事を要約すると次のようになる。■「頭打ち」「地盤沈下」とも言われる日本プロ野球。球団の経営はどこも四苦八苦。■昨年プロ野球の平均視聴率は9.7%。一昨年より▲0.1%(関東地区、VR調べ)。 この数字を受けてテレビ各局は、今年さらに地上波の中継が減少する模様。■予想されるのは放映権料減だけではない。もうひとつの収入源の観客動員も 回復する気配はない。特にセ・リーグは深刻で、昨年は読売・阪神・ヤクルト・横浜 の4球団が軒並み前年比ダウン。 ■近鉄とオリックスの合併問題が起きた2003年、「12球団を連結すると150億円 の赤字」との報道があった。読売を中心とした球団経営の事業モデルは崩壊した。■水面下では、10球団1リーグ制の導入を模索する動きがある。それが近い内、 表面化するかもしれない。(以上、日刊ゲンダイ)--------------------------------------------------------------------NPB、球団数の圧縮を考えていても能がない。どうせなら、MLBのように海外に広く市場を求める発想があったほうが面白いと思う。さしずめNPBなら近隣の中国と提携し、チーム数を増やしてリーグを再編したらどうか。その手段として、WBC・アジア予選で中国に勝利をプレゼントし、中国の人々に野球に興味をもってもらうきっかけを作るとか。WBCで優勝することは、NPBにとって「目標」であっても「目的」ではないだろう。ならば、「名(=WBC優勝)」よりも「実(=NPBの発展)」を取る戦略があってもいいんじゃないの?以上、戯言でした・・・ 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.05
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今日の朝日新聞から。▼『共感したくて「キラキラ」、生きづらさの中を生きる』というタイトルでキラキラファッション満載で異色の女性誌『小悪魔ageha』(月刊・インフォレスト社)のことが取り上げられていた。▼出版不況の中、発行部数は当初の5万部から昨年(08年)には30万部に伸ばし、大成功の部類に入る雑誌に成長した。もともとは「キャバクラ嬢」向けに作られた雑誌だろうと嘲笑っていた関係者が多かったし、別に関係者ではないがボクもそう思っていた一人だった。▼なぜこの雑誌がフリーターやOLに受け入れられ部数を伸ばすことができたか? その理由を学者さんたちが分析していたが、ボクにはよくわからなかった。ただひとつだけ、なんとか理解できそうだと思えたのは、女性編集長氏の言葉。▼「高校中退とか色々あって、生き方が分からずに夜働き始めた子とかが普通にいます。働いて生活して、やっと欲しいものを買ったり。でも、苦しくて悲しいのは、人間だから仕方ない。私たちこれでいいんだって思える雑誌を作りたかった」▼女性誌界の保守本流に位置する「Can Cam(キャンキャン)」(小学館)と決定的に異なる点は、人生のリアルな暗さを共有する「みんなの中にアタシがいる」という感覚。なんだか現在の(よろしくない)世情が生んだヒット雑誌に思えてくるのだ。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.04
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◇今日の時事ニュース◇・麻生首相、年頭会見。「安心、活力」、悲観主義は気分によるもの、楽観主義は意志によるもの・東シナ海ガス田開発問題、継続協議の「樫(かし)」。中国が単独で開発を継続していたことが判明・初売り商戦、ブランドより実用。「野菜詰め放題」がヒット。ニンジン、ジャガイモ、タマネギが山盛り この正月に行われた箱根駅伝。昨年末、部員の不祥事で監督が辞任、出場さえ危ぶまれた東洋大が早稲田大と接戦の末に優勝した。様々な聞きたくない外野の声があっただろうに、きっちり結果を残すとは、なんて立派なんだ! 「東洋の魔神に続け、楽天永井母校で始動」楽天・永井怜投手が3日、母校の東洋大で始動し、今季の目標に1年通しての先発ローテーション確保を掲げた。この日、箱根駅伝では母校が前日の往路に続き初の総合優勝を果たした。「家で見てましたよ。刺激になりますね」。昨季は5月までに5勝を挙げたが、その後黒星続きで結局6勝どまり。最後まで快走を続け優勝した後輩たちに負けじと、年間フル稼働を目指す。(日刊スポーツ) そういえば、永井怜(東農大二高)は東洋大OBだった。このところ毎年、東洋大からプロ野球選手が生まれている。永井がドラフトで指名されたのは06年だった。翌07年は大場翔太(八千代松陰高)がホークスへ、そして08年は大野奨太(岐阜総合学園高)が日本ハムから、上野大樹(帝京高)がロッテから指名を受け、それぞれ入団を決めた。この4人はバッテリーだけど、今年は打撃陣だってプロへ志望届を提出していた好選手が多かった。残念ながら今回はプロ入りを果たせなかった選手たちの進路が気になっていたのだけど、いくつかのサイトやブログでそれを知ることができた。■十九浦拓哉(八千代松陰高) → セガサミー■中倉裕人(PL学園高) → 住友金属鹿島■福田清将(浦和学院高) → 日本通運■松永隆太(九州学院高) → 東芝-----------------------------------------------------------------駅伝同様、野球でも東洋大と全国制覇をかけて戦った早稲田大。ここにも進路が気になる選手がいた。■須田幸太(土浦湖北高) → JFE東日本 3年生になって以降、斎藤佑樹(早稲田実)の入学で一番ワリを喰った感があるが、 2年後のプロ入りを目指してほしいものだ。■泉尚徳(国士舘高) → 新日本石油ENEOS スターぞろいの早稲田大にあっては地味だったが、「野球通(ツウ)」が好みそうな 泉は、田澤純一のメジャー挑戦で昨年話題をさらったENEOSへ入社するらしい。尚、新日本石油ENEOSには、08年センバツで準優勝投手になった聖望学園高の大塚椋司も入社する。埼玉県大会で見た堂々とした彼のピッチングがとても印象的だった。彼ら選手たちのお陰で、ボクも社会人野球に興味をもてそうだ。そして、こんな不況下であっても社会人チームがずっと存続することを祈りたい!1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.04
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◇今日の時事ニュース◇・偽メール事件で辞職の永田元議員が自殺、遺書残り飛び降り・日比谷公園に31日開設された「年越し派遣村」、入村した元派遣社員が253人に・<箱根駅伝>東洋大が初の総合V、2位早大、3位日体大。駒澤大はシード権を逃す 巨人・内海哲也投手が地元の京都・京田辺市内のグラウンドで元日に始動し「WBCでキューバ戦登板、開幕投手、15勝」という09年3つの誓いを立てた。社会人東京ガス時代の02年、インターコンチ杯でキューバ相手に先発しKOされた。「コテンパンにやられた。やり返したい気持ちがある。社会人で積み上げた、自信と誇りを崩されてしまったので」とリベンジに燃える。 (日刊スポーツ)日本vsキューバというと、真っ先に思い出すのは06年に行われたWBC決勝。内海哲也(現・読売、敦賀気比高-東京ガス)がコテンパンにやられたというインターコンチネンタルのことをまるで知らなかったので、さっそく調べてみた。内海が出場したのは東京ガス在籍時のこと。02年11月、キューバ・ハバナで行われた第15回大会。予選リーグの第1戦(11月10日)はドミニカを相手にサヨナラ勝ちしたものの、翌11日の第2戦をキューバと対戦し、この試合で先発した内海は「コテンパンにやられた」らしい。成績を調べてみると、「1回1/3を投げ、3安打6四死球6失点」となっていた。・・・この成績を見る限り、コテンパンにやられたというより、勝手に自滅したというほうが正しい気もするが・・・結局この試合は7-8でキューバに敗退した。その後、予選リーグを3位で通過し、準々決勝リーグに進出。だが再びキューバに敗れ、最終順位が5位という不本意な結果でこの大会を終えた。-------------------------------------------------------------------この大会のメンバーはプロ(若手中心)16人、社会人は内海をはじめ4人、大学生4人の計24人が出場していた。プロからの主な出場選手は下記のとおり。・井端弘和(中日、堀越高-亜細亜大)・二岡智宏(現・日本ハム、広陵高-近畿大)・川崎宗則(ホークス、鹿児島工高)・古木克明(現・オリックス、豊田大谷高)大学生では次の4人が参加していた。・長田秀一郎(慶應義塾大、現・西武)・加藤大輔(神奈川大、現・オリックス)・大野隆治(日本大、元・ホークス)・岩舘学(東洋大、現・読売)1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.03
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◇元旦の時事ニュース◇・麻生首相、年頭所感。世界で最も早く不況から脱出する、底力に自信をもて、私は絶対逃げない・日経新聞「危機がひらく未来へ」。革新は混沌の世から。トヨタ、太陽電池車で挑む・岩手日報「農林水産業に就業誘導」。雇用危機受け県が構造改革、10年で1万人 今年もよろしくお願いします!ただいま、実家のある岩手に家族とともに帰省中です。陽が沈むと、さすがに寒さがキツイのですが、日中は埼玉や東京と体感温度はあまり変わらないように思います。さて、麻生首相の年頭所感。「私は絶対逃げない」と言わなければいけない所に思わずボクは笑ってしまうのですが。----------------------------------------------------------スポニチ、「松坂、ダブル世界一へ攻める」より。レッドソックス・松坂大輔(横浜高)への新春インタビューがトップ記事。「ダブル」のうち、ひとつは当然WBCの優勝を指す。「前回優勝した時、本当に日本の力を示すことができたかといえば、そうではない。 周りがそう見てくれたかといえば、そうではない。そういう意味では自分としては、日本の野球の強さを示す重要な大会だと考えている」「(連覇へ一番必要なのは)短期間ですからチームがまとまろうというか、一緒に戦おうという気持ち。それをみんなが持つことが必要。ハングリー精神でも負けない、強い気持ちを持って戦いに挑むべきだと思う」(以上、スポニチ)松坂の言葉は気合が入っていて頼もしい限りだ。ただ記事を読んでるうちに、ボクはなぜ松坂や他の選手たちがそんなにWBCに対し気合を入れているのか、だんだんわからなくなってきた。世界優勝することで得られることは何なのか? 日本の強さを世界に見せ付けることで用意される次のステージは、いっそう進む選手の海外流出だけじゃなかろうか。いまNPBの最大の問題点は「国内におけるプロ野球の人気低迷」であるはずだし、WBCで必死になって優勝を狙うことは、その課題を克服するどころか、問題を逆に拡大することになりはしまいか。もちろん連覇することで、NPBの興行に有利に働く側面があるという理屈も承知はしているが。ま、3月までWBCのことを中心に書かせていただきますので、よろしくお願いします。------------------------------------------------------最後に、日刊スポーツより。「大リーグも就職難、FA越年150人突破」 「就職難」が大リーグを直撃-。移籍先未定で越年したFA選手が12月31日、150人を突破することが分かった。世界的な景気後退の影響で、総年俸の削減に動く球団が続出。争奪戦になっているのは一部だけで、大量越年者を出す異常事態になっている。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2009.01.01
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