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ここでちょっと5月29日にさかのぼります。午後電車を乗り継ぎ最寄りの駅で降り、ノートパソコン、カメラ、3日分の必需品が入った2つのバッグを肩に担いで約30分の道を歩きました。約12年前から5年間ぐらい毎日通った道ですが、坂を上って下りてもう一度上って下りるのが今回は辛いなと思えたのでした。娘が入院したのは5月29日ですが、個室にいたのはものの15分ぐらいで12時過ぎから午後1時半までと午後4時から7時までは会議、会議の連続で前日もその前日も夜遅くまで仕事、仕事の連続でした。とにかく睡眠時間2,3時間という超ハードスケジュールもこなしてきた仕事人間だった娘ですが、ここへきて入院、手術となりました。それも娘に言わせると私の神通力で、私と話をしていて、なんとなく自分で検査を受けようという気になり検査をしてもらい、即手術となりました。そして翌30日手術のため部屋を出たのが午前8時50分、そして部屋に戻ってきたのが12時50分。しかも麻酔がかかっている間もずーっと仕事をしている夢を見ていたとか。術後3時間で上司や仲間がやってきてもう仕事の話を始める始末。腕に点滴の針やら身体に管を挿しながら自分もスマホであちこちに連絡を取り打ち合わせ。回復が速いのはいいけれど、私はただただ心配するばかりでした。昨夜から食事が出ました。今日からリハビリが始まりました。私たち二人は気を落ち着けるためアフタヌーンコーヒーとスイーツのおやつ。そして同じ病棟に入院中の武下さんに会いに行ってきました。武下さんは半年に一度入院されるのです。娘に渡してほしいと手渡された絵手紙を早速病床に飾りました。「山あり谷あり これも人生しっかり受け止めて」という言葉がルピナスの絵に添えられていました。
2019年05月31日
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昨日から愛知に滞在中です。ポコ君&ペコちゃんのママが入院したので相方と二人で孫たちの世話に来ています。夕食を4人で食べてから病院へ二人を連れてきたけれど、面会時間が既に終わっていたので病院の正面玄関へ出てきてもらってまもなく開催される運動会の歌を二人で肩を組んで身体を左右に動かしながらママに歌って見せた後、ハグをして帰りました。今朝は午前6時に車で送ってもらって病院へ。誰もいない静かな院内を娘の個室を探して歩き回り、やっと娘の個室へ到着。部屋には早速お見舞いの花が。ということで現在娘の入院に付き添っています。
2019年05月30日
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昨日は1日中雨が降っていました。また薔薇の蕾が咲き始めました。我が家は薔薇の木が少ないので貴重な薔薇の花です。そしてそろそろ紫陽花の咲く季節になりますね。朝一番で月1回受診する呼吸器科を受診しました。久しぶりに胸のレントゲンと血液検査、肺活量の検査をしてきました。その結果、1秒量による肺年齢・COPD評価で「あなたの肺年齢は87歳です。」という結果が出ました。 2017年5月31日の検査結果を見ると 「あなたの肺年齢は95歳以上です。」 という結果が出ていましたので、少しは改善されたかもしれませんね。医師の話では95歳以上というのは目安としての上限であってそれ以上悪くても95歳以上と出るそうですから少しだけ改善されたかもしれません。呼気NOは喘息における好酸球性気道炎症マーカーですが、まだ成人健常者の正常値の7倍は高かったです。2年前は12倍ぐらい高かったのでこちらも少しは改善されたんでしょうね。しかしCOPD(閉塞性換気障害)であることは間違いないので朝晩の吸入をしっかりとやって薬は飲み続けて下さいと言われてきました。自分としてはかなり楽になったと感じていただけに検査結果にはやはりショックでした。それ以上にショックだったのは体重は増加傾向なのに(汗)身長が若い頃に比べて3cmも縮んでしまったことです。より縮むことはあってもこれ以上伸びるという事はありませんからね。2年前にイタリア人が来日した折に、娘(愛知のポコ君&ペコちゃんのママ)と相方のスリーショットです。とっても楽しそうでしょ。そしてみんな若い!これから愛知まで出かけます。しばらくの間、皆様方へのコメントの書き込みが不規則になるかもしれません。よろしくお願いいたします。
2019年05月29日
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朝食のためダイニングに来たイタリアン人が「プレゼントです。」と手渡してくれた胡蝶蘭です。気を使ってもらったようです。ありがたい事ですね。早速玄関に飾りました。今朝から雨が降っています。時折激しく降り出すことがあるものの、しとしと小雨が降り続いています。先日来の真夏日の気温はどこへやら今日は気温も低くなっています。こちらは真夏日に撮った庭の木々です。木々の間から吹いてくる風は気持ちよく避暑地に行かなくても結構涼しく感じました。今日は雨で肌寒いくらいですのであまり実感がわきませんが。木々の勢いというのはものすごいですね。あっという間に若葉が茂り緑が濃くなってきました。昨日母の書を記録として紹介し、皆さんに見ていただき、温かいお言葉を頂戴しました。母もきっと喜んでいる事と思います。どうもありがとうございます。昔取った杵柄は93歳になってもまだ活かされているようです。私もダンスだけは生涯続けようと改めて思いました。帰る途中、SAで食べた遅めの昼食、カツカレーとナポリタンランチがおいしかったです。また幼い子供が犠牲になるという痛ましい事件が起こりましたね。予期せぬ出来事に遭遇した犠牲者のことを考えるとやるせない気持ちでいっぱいです。こちらは最近読んだ警察小説。余りの面白さに一気読みしてしまいました。こんな警察小説もありなんですね。
2019年05月28日
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今朝車で三重県に向かいサ・高・住に住む母に会いに行ってきました。事前に知らせず、サプライズ訪問でした。玄関で季節のお花が出迎えてくれました。応接室には見慣れた習字がたくさん貼ってありました。母の書を職員さんが貼って下さったようです。以前よりもにぎやかになっていました。ロビーにも工夫を凝らした母の書がたくさんそしてサプライズ訪問に喜んだ93歳の母とその娘です。そして母の個室にもたくさん掛かってました。これはポコ君&ペコちゃんのママ(長女)とトコちゃんのパパ(長男)が私が次男(モコちゃん、ノア&ミラ君のパパ)の出産で三重県の病院に入院していた時に姉弟喧嘩をして泣いてお祖母ちゃん(母)に抱き着いているところです。下は私の両親とポコ君&ペコちゃんのママです。娘はこの写真が大好きなんです。そして帰りにお土産としてもらってきました。清少納言の枕草子のようには書けないけれど、(すごい言葉が出てきたのでこちらがびっくり )文章を考えるのが大変なのよと言ってましたが、考える事は頭の刺激になって良いのでこれからも楽しんでねと言ってきました。握手をして別れてきました。いつまでも元気でいてほしいです。
2019年05月27日
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2日前に薔薇の花が咲きました。我が家の一番花です。昨朝の花姿です。枇杷の実も日ごとに大きくなってきました。摘果しないのでたくさん生っています。このところ真夏日が続きますので枇杷が黄色く色づくのも早いのではないでしょうか。毎朝一緒に朝食を食べるイタリア人が昨日ポツンと言いました。「あと残り1カ月になりました。」と。4月初めに来日して以来我が家にホームステイしていますが、早いもので約2カ月がたちました。6月25日にはもう帰国します。ほぼ毎日剣道の練習をしてきたので今年の11月にイタリアで5段の試験を受けるつもりだそうです。合格することを祈っています。GWは一緒に高山と下呂を旅しましたが、普段は一緒に食事をするぐらいですのでたくさん思い出作りをしたいと思います。このところお肉を食べる機会が多いのでコレステロール値がちょっと増えています。お酒の相手もお肉の相手も我が家では私がすることになってますので。6月下旬から節制することにしますね。その日その時の楽しい思い出はきっとお互いの心にいつまでも残ることでしょう。
2019年05月26日
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6月2日(日)にM先生のダンスパーティーでワルツを踊る予定になっていますので連日スタジオへレッスンに出かけています。一昨日合鴨が2羽カップルで泳いでいた向かって右側の水田なんですが、昨日は合鴨の姿が見当たりませんでした。その代わりと言ってはなんですが、スタジオの壁に今年もツバメが巣をかけて親ツバメがせわしなく餌を運んでいました。スマホで撮ったのでちょっとわかりにくいかもしれません。こんなのどかな風景の中、ちょうど私のレッスンが始まろうとしていたその矢先、交通事故が起こりました。ダンススタジオの横には田んぼ道と言いましょうか、車1台がやっと通れる細い道が南北に走っています。そして東西には車2台がやっとすれ違う事ができる道が大きな道路に出る脇道となっています。最近舗装され、この道路は車の往来が激しくなり近くに大きな回転寿司屋ができたこともあってスピードを出して荒っぽい運転をする車が増えスタジオの大きな駐車場(私有地)を平気で斜めに突っ走って行く車が増えました。突然「パッカーン」という衝撃音がして外を見ると、視界の悪い田んぼ道から数年前に付いたカーブミラーをよく見ていなかったんでしょうか、車体の3分の1ほど出た車に直進の車がスピードを出して前方にぶつかりながら通り過ぎた瞬間でした。あわや大事故になる所でした。田んぼ道から幅の広い脇道へ出るのに左側の角に個人の家が建っているのでミラーを見ないと左から来る車は全く見えません。脇道には後続車や対向車がどんどん来るので2台ともダンススタジオの駐車場に入って話を始めました。ぶつけられた車は前の部分が壊れてました。ぶつかった方の車がけたたましい音でバックしてきたので私は自分の車にぶつけられるのではないかと心配でした。案の定、2台の車から降りてきたのは高齢の女性(運転手)と足の不自由な高齢の男性、前方をよく見ずに飛び出してきたのも高齢女性。見たところ3人とも多分80代半ばぐらいでしょうか。パトカーを早く呼べばいいのに両者でのらりくらりと話を続けること30分。男先生も女先生も生徒さんの車が出入りしますから車をどかしてくださいとお願いしても全く聞く耳をもたず、車に入ったり出たり携帯で何やら検索してばかり。私はレッスンもあまりできず、ただ成り行きを見守るだけでした。やっと車をどかして警察官が調べに来たのが1時間後でした。私のレッスンはそこで終わりでした。だれもが年齢とともに運転技術も衰えるので今後の運転を考えさせられた瞬間でした。昨日1日で読み切った本です。547ページありましたが、先の展開が気になってやめられないほど面白かったです。
2019年05月25日
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長らくGWの旅行記にお付き合い頂きましたが、その間にも社交ダンスは続けておりました。スタジオの受付に咲いていたお花です。スタジオ横の田んぼはいつの間にか田植えが始まりました。隣の水の張ってある田んぼには今日も合鴨が2羽泳いでいました。男先生が言われるには毎年どこからかやって来るんだそうです。合鴨が害虫を食べてくれるのはもちろんですが、泳いで田んぼの泥をかき混ぜてくれると稲の周りに雑草が生えてこないんだそうです。合鴨農法というのがあるそうですが、ここの田んぼの持ち主さんは自然に合鴨農法をしてもらっているようですね。さて、いつもの社交ダンス仲間のネイルアートです。今回はミッキー、ミニー、プルート、デイジー、ドナルドの上や下にアルファベットで令和元年と書いてあるそうです。祝令和元年のネイルアートでした。そして私は本を3冊読み切りました。誉田哲也氏の「ノワール・硝子の太陽」堂場瞬一氏の「割れた誇り」山邑圭氏の「刑事に向かない女」です。説明は帯に書いてあるので省きます。3冊とも警察小説と言ってもよいと思います。とにかくやめられない止まらないで一気に読破しました。
2019年05月24日
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合掌村からバスに乗り途中下車、歩いて加恵瑠(かえる)神社へ。私がお賽銭を入れてお参りすると、「あなたはますます若くなるでしょう。ケロケロ」と女性の声が聞こえてきたので笑ってしまいました。次にお参りした人には「あなたはますますお金がたまるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。その次の人には「あなたはますます健康になるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。そこへ関西弁を話す若いグループがやって来てお賽銭を入れずにお参りしたら何も言ってくれなかったと言いながら笑い転げていました。多分コンピューター仕掛けになっているんでしょうね。そしてフレーズは3つだけ。たまたま私は「あなたはますます若くなるでしょう」というフレーズになっただけだとわかりました。よく歩いて疲れたのでホテルの喫茶室で一休み。許可を取って撮影させてもらいました。大好きな小物がたくさん飾ってあったからなんです。ロビーにもたくさん飾ってありました。ホテルの売店で買い物をしてから駅まで歩きました。しらさぎは下呂のトレードマークです。一羽の傷ついた白鷺が温泉に入って脚の傷を癒しているのを見たというのが下呂温泉の始まりだと言われています。しらさぎ橋の上にある像は室町時代の臨済宗の僧、万里集九(ばんりしゅうく)です。江戸時代の儒学者、林羅山と共に下呂温泉を日本三名泉の一つとして全国に広めたとされています。GW後半もイタリア人と3人で本当に足が棒のようになるほど歩いて歩いて、充分運動ができました。あわて者の私達は特急の予約時間まで待てず電車を一つ早くして帰宅しました。これでGWの旅をすべて終わります。(終)
2019年05月23日
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合掌村では藤と八重桜とモミジが同時に鑑賞できました。料理の神様にしっかりお参りしておいたらと促されました。令和元年5月5日の記念に5月5日で鯉のぼりが元気よく泳いでいました。しらさぎ座で呼び込みをしていました。以前は一人で百本の糸を操って文楽人形の物語を見せて下さったしらさぎ座で下呂温泉の芸妓さんの踊りを見せてもらいました。先ずは「ようこそいらっしゃいました」の挨拶があり踊りが終わって挨拶がありました。外で皆さんと記念撮影をしましょうとおっしゃったので、真っ先にお願いしてイタリア人と記念撮影をさせていただきました。彼の鼻の下が長~く伸びた瞬間でした。(続く)
2019年05月22日
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朝一番に宿を出てWi-Fiの繋がる喫茶店で電車の時間までPCをやり、電車で下呂にやってきました。下呂駅前で男性二人にモデルになってもらい記念撮影。バスに乗って合掌村へやってきました。土人形のお雛様です。イタリア人が大好きな甲冑です。合掌造りの2階へ上がりました。おじいさんが炬燵に入って草履づくりをしていました。ゲロゲーロとカエルが迎えてくれました。↑自然に生えているアジュガ草むらで相方は犬の像を見つけ撫でてました。川魚が串にさして炭火で焼いてありました。イタリア人は魚が食べたいと言ったので二人は川魚料理を食べ相方はラーメンと茗荷寿司でした。お腹が膨れた後はまた合掌村内をよく歩きました。(続く)
2019年05月21日
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酒蔵巡りをしてお酒を試飲した後、少し休憩してから歩いて向かった先は櫻山八幡宮境内にある高山祭屋台会館でした。山、鉾、屋台行事がユネスコ無形文化遺産に登録されています。春の山王祭は上一之町、上二之町、上三之町などから12の屋台が登場し、からくり屋台3台が競演します。秋の八幡祭りは下一之町、下二之町、下三之町、大新町などから11の屋台が登場し、布袋台によるからくり奉納があります。私は春も秋も見たことがあります。屋台会館内はフラッシュ撮影は禁止でしたが写真を撮ることはできました。神輿(みこし)金鳳台(きんぽうたい)大八台(だいはちたい)鳩峯車(きゅうほうしゃ)布袋台(ほていたい)2階では春の山王祭と夜祭、秋の八幡祭りと宵祭りの様子を映像で見ることができました。外国からの旅行者たちは写真を撮ったり感嘆の声を上げていました。こちらは御朱印を求める人たちでしょうか。皆さん並んでじっと待ってらっしゃいました。こちらが桜山八幡宮です。外国の人たちが和服姿の女性二人と記念撮影をしていました。川縁にはまだ桜も咲いてのどかな風景でした。お昼時はどこのお店も満席で入れませんでしたが、少し待って有名な高山ラーメンを食べました。美味しかったですよ。しかし相方はお酒の後、食が進まずざる蕎麦ではなくざるラーメンを食べました。相方は夜になっても食欲が戻らず、腰が痛いのでベッドで休むと言うので私とイタリア人は薬局を捜して駅まで戻り駅裏から夜道をどんどん歩いて探し回り買い物帰りのついでににぎやかな居酒屋で食べて飲んで帰りました。剣道4段のボディーガードがお伴しているので慣れない夜道も怖くはなかったです。結局道に迷って遠回りをすることになりこの夜も相当歩きました。暗い通りのあちらこちらでは提灯に明かりがついてとても幻想的な光景でした。ちょうどこの地区がお祭りの最中だったんです。何とか宿に戻ることができてほっとしました。(続く)
2019年05月20日
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高山陣屋を後にして街中に出てきました。カラフルな下水の蓋です。中橋を渡りこういう物につい目が行ってしまいます。至る所に提灯が飾ってありました。飛騨高山まちの博物館を見学しました。展示物は撮影禁止でした。高山祭の展示、高山の基礎を作った金森氏六代の足跡の展示、大火から学んだ町家保存の知恵と防災の歴史、飛騨春慶、一位一刀彫などの伝統工芸や美術、円空仏などを紹介していました。翌朝Wi-Fiの繋がる喫茶店でブログのコメントを書きました。その後、また街歩きをしました。高山2日目は酒蔵巡りです。この酒造店に入り、許可をとって撮影しました。日本酒を1杯ずつ試飲しました。盃1杯に付き150円から300円でした。イタリアの友人はますます陽気になりました。3人とも飲み切りました。この通りは酒蔵が多かったです。今度はこちらを見学しましょう。飛騨高山まちの体験館では親子で組紐の体験や折り紙を使った作品作りをしていました。相方は酔いを醒ますため横になっていました。古い町並みでは人力車が町の案内をしていました。重要文化財の建物も数軒ありました。それぞれに入館料がいりました。まだまだ先へ歩いて次の目的地へ向かいました。(続く)
2019年05月19日
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次に歩いて向かったのは高山陣屋。江戸時代に幕府の出先機関として政務を執り行った役所で全国で唯一現存する郡代・代官所跡です。では表門から入りましょう。幕府の使者や郡代(代官)はこちらから入りました。玄関の間は大床や床の壁一面に青海波模様が描かれています。表門の真正面には役人たちの執務室がありました。御役所(おんやくしょ)は江戸幕府から派遣された郡代(代官)直属の役人の執務室と御用場(ごようば)という地元で採用された地役人の執務室があり部屋は厳格に区分されていました。風呂場や湯呑所(ゆのみじょ)もありました。土人形雛が飾ってありました。高山陣屋の大広間で羽生名人が行方八段と名人戦の対局をしたそうです。茶室です。女中部屋には雨戸が付いていません。自然の灯かりで時間を知ったようです。屋根のくれ板を作っている所蹲(つくばい)に目が行きました。大広間は3室に分かれていますが、襖を外すと49畳もあるそうです。とがった石の責め台、40キロもある抱き石、たたき棒が置かれています。この後、代官が家族と過ごした郡代の役宅(ぐんだいのやくたく)を通り郡代が生活した嵐山の間から庭園を眺め、年貢米を貯蔵する御倉(おんくら)などを見学して回りました。イタリア人は剣道を習っているので昔の甲冑と刀に興味を示しじっくり見学していました。天正14年(1585年)金森長近が飛騨国主になり高山城を築城し城下町ができました。しかし元禄5年(1692年)徳川幕府は飛騨を幕府の直轄地としました。それ以来、明治維新に至るまで177年間江戸から代官・郡代が派遣され金森氏の下屋敷を代官所として幕府直轄領の行政、財政、警察などの政務を行いました。安永3年(1774年)増税に苦しんだ農民が蜂起し幕府に直訴し18年間騒動が起こりました。大原騒動という大事件です。連日連夜御白洲で取り調べが行われ総勢9000人が処罰されたそうです。(続く)
2019年05月18日
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3カ月間我が家にホームステイ中のイタリア人とGW後半に出かけた高山・下呂の旅行記を始めます。JR高山駅は今でも自動改札ではありません。コンコースに飾られている高山の祭屋台です。飾りが施された豪華な御所車と彫刻を間近で見ることができます。時々小さな子供さんが近づいてセンサーが反応してました。高山駅から歩いて5分の所にある飛騨国分寺三重の塔を訪れました。天平時代、聖務天皇の詔によって全国に作られた国分寺の一つです。本堂は室町時代の建造ですが、三重塔は江戸時代に作られました。鐘楼門は高山城から移築されたものです。お地蔵様が幹の中に祀ってあります。樹齢数百年のこの木は数年前の台風で枝が折れて幹の一部がぱっくり穴をあけているので一部立ち入り禁止になっていました。さて、先ずは昼食にしましょう。本まぐろの漬け丼と大トロちらし丼を頂きました。デザートは小豆入りアイスクリームお腹も膨れたことだしさて、次はどこへ行きましょうか。(続く)
2019年05月17日
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京都に住むトコちゃんはGWに両親と京丹後市へ一泊旅行に出かけました。トコちゃんは毎日仕事で忙しいパパと充分スキンシップができたようです。京丹後市の花扇に到着しました。早速部屋で寛ぐトコちゃん広い廊下を探検しました。浴衣に着替えて冷蔵庫が気になります。無邪気に遊ぶ姿です。トコちゃんの食事です。大きな蟹さんですね。日本海に沈む夕陽が部屋から見えました。花扇の前で記念撮影です。砂浜で遊びました。トコちゃんの決めポーズです。愛知に住む娘家族と京都に住む息子家族から送ってもらったGWの様子でした。
2019年05月16日
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ポコ君&ペコちゃん一家はGWにパパの実家がある埼玉県へ帰省し東松山市の化石と自然の体験館へ行ったようです。二人ともオオワニザメやアオザメ、ウニのとげ、緑色凝灰岩をゲットしました。二人がそれぞれの袋に名前を書いて持ち帰りました。綺麗に手入れされているお庭でみんなでバーベキューをして早々におままごとをしました。そして翌朝はクッキーづくりをしました。可愛い顔をしたクッキーがたくさん出来上がりましたね。滞在中いとこちゃんと楽しく遊びました。とても楽しかったようでペコちゃんは初めて帰りたくないと言ったそうです。ポコ君&ペコちゃんのママも小さい頃、やはり私の実家から帰りたくないと駄々をこねたことがあります。やっぱりみんな同じですね。
2019年05月15日
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GW前半の鎌倉、北鎌倉、小田原の旅も今日で終了です。戦国時代、小田原城を本拠に戦国大名の北条氏が関東一円を支配していましたが、北条氏の5代目の頃に豊臣秀吉によって滅ぼされました。迫りくる豊臣秀吉の軍勢から小田原城を守るため北条氏に仕えた忍者が「風魔」と呼ばれました。小田原城の天守閣を遠くから眺めた後は江戸時代に本丸の正面に当たる常盤木門(ときわぎもん)の方へと歩きました。(みんなとは逆方向かもしれません)常盤木門を出て江戸時代に二の丸正面にあった銅門(あかがねもん)の外へ出てきました。天守閣が向こうの方に見えました。常盤木門、銅門、馬出門、馬出門土橋を渡ってお城の外に出てきました。お堀の向こうにお城を眺めながらお堀端通りを駅に向かいました。下水の蓋も面白いでしょ。鎌倉と北鎌倉で充分歩きましたが、小田原でも結構いい運動ができました。これでGW前半に出かけた鎌倉、北鎌倉、小田原の旅を終わります。(終)
2019年05月14日
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再びGW前半の旅日記を始めます。5月1日(水)のことです。鎌倉で3泊して翌朝10時過ぎにホテルを出て買い物をした後、鎌倉も充分観光できたので帰ろうかとJR横須賀線の大船で乗り換えJR東海道線で小田原へやってきました。当初の予定ではもう少し鎌倉でゆっくり観光するつもりでしたが、あわて者の二人は朝からそわそわ。小田原で新幹線の切符を早い時間に変更してもらおうとしましたが、GW中なのでどの時間帯も満席で変更できず、結局少しだけ早いこだまが確保できました。その時間まで小田原城へ行くことにしました。駅前にあったカリヨンの鐘と綺麗なお花二宮尊徳像もありました。3日間充分歩いたので足取りも重く道路案内を見て気力を奮い立たせました。お堀の周りをぐるっと歩いて山門まで行くのは遠いですよと教えられ近道を通って小田原城に到着。天守閣が見えてきました。この混雑ぶりを見たら天守閣まで上がる気がせず眺めるだけで十分という気持ちになりました。小田原城址公園から見えた島お昼に公園内のお店で買ったさつまいもが美味しくて数本胃袋へ消えた後です。令和元年5月1日の記念に看板の写真には扮装をするモデルさんたちが写っていました。公園内にはこういう扮装をした小さな子供さんたちが大勢いました。(続く)
2019年05月13日
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旅行記はここでちょっと休憩です。いつの間にか庭のサクランボが赤く色づいてきました。ここ数日、野鳥が飛んできてついばんでいます。ヒヨドリとスズメが朝から夕方までやって来て騒がしいです。ヒヨドリはすばしっこいのでうまく撮れません。雀がついばんでいるところを撮ってみました。夕方撮ったので少し暗いです。雀さんは可愛いものですが、数羽のヒヨドリがあっという間にすべて綺麗に食べ尽くしてしまいました。聞き耳頭巾があったならどんなことをおしゃべりしながら食べているのか一度聞いてみたいものです。そして今日は母の日。愛知の娘家族が贈ってくれたお花です。パンダが可愛いでしょ。すべてお花で作られています。角度を変えてみて下さい。どこから見ても可愛いでしょ。先ほど長男から本場土佐の鰹が届きました。そして次男からは越前の無添加一夜干しが届きました。塩だけで作る昔ながらの手作り製法です。いくつになっても忘れずに母の日のプレゼントが届くと嬉しいものですね。今朝は朝食が終わってからノア君とミラ君がイタリア人とオセロをやって遊びました。ミラ君はオセロよりも剣道で鍛えた上腕の筋肉の方に興味があるようでずーっと上腕を触っていました。たくましくて触りがいがあるようです。3人で記念撮影ノア君は現在、日本が午前8時過ぎだからイタリアは今、夜中の午前1時頃だと教えてもらいましたが、それがまだよくわからないようでした。地球の周りを飛行機で11時間ぐるっと飛んでくるとと話したら、リビングにある小さな地球儀を見て不思議そうな顔をしました。そのうちわかるようになるよね。
2019年05月12日
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長谷寺を後に向かった先は鎌倉大仏がある高徳院でした。山号である大異山の扁額のある山門をくぐると左右に一対の仁王像が立っていました。高さ11.312mの鎌倉大仏が見えてきましたが、大仏さんの前は混雑しているので近づけません。昭和33年(1958年)に国宝となった銅造阿弥陀如来坐像、通称「鎌倉大仏」が本尊です。もともとは大仏殿の中に鎮座していましたが、天災による倒壊と再建を繰り返し室町時代には現在のような姿になったようです。ちょうどオレンジ色の法衣を着た(チベット、タイ、ミャンマー、カンボジアでしょうか)東南アジアのお坊さんたち一行が大勢いました。お坊さんたちは記念撮影をした後、みんなで読経を始めました。大仏様の胎内に入って階段を背中の途中まで上がることができる胎内拝観もできますが、これまた長蛇の列ができていましたので諦めて遠くからしばらく眺めておりました。鎌倉大仏と対面した後は江ノ電に乗って鎌倉駅に戻りました。カフェでサーモン&アボガドライス等のランチとコーヒーで一服。昼食後は裏通りを結構長い距離歩いて川喜多映画記念館へ行ってきました。日本映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に建設されました。緑豊かな庭園内に川喜多夫妻が海外からの映画人をもてなした旧川喜多邸別邸があります。記念館には映画資料の展示室、映画関連の情報資料室などがあり映像資料室では映画の上映がされています。小雨の中、また裏通りをとぼとぼ歩いて鎌倉駅まで戻りソフトクリーム店で休憩。夕食は大仏ビールやハイボールを飲みながらしらすと海鮮丼やしらすと鰻丼を食べました。鎌倉最後の夜もしらすを充分食べながら夜が更けていったのでした。(続く)
2019年05月11日
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4月30日(火)の午前のことです。雨の中、江ノ電長谷駅を降りて向かった先は昨日少し紹介した長谷寺です。天平8年(736年)に開かれたお寺でこちらは観音堂です。上境内にあります。観音堂には十一面観音菩薩立像が安置されています。観音菩薩をテーマにした博物館もありましたが、観音堂内は全面撮影禁止でした。(るるぶ情報版 鎌倉 ’20の画像を拝借しました)養老5年(721年)に徳道上人が造らせたとされる本尊です。高さは9.18mもあるそうです。日本最大級の木造仏で長谷の観音様として親しまれています。こちらは阿弥陀堂で阿弥陀如来座像があります。見晴台からは鎌倉の街並みと由比ヶ浜海岸、三浦半島を一望できました。近くに高浜虚子の句碑もありました。下境内の奥にある弁天窟に入ってきました。弘法大師がこもったと伝えられています。壁面に弁財天が彫られていました。薄暗い洞窟内には十六童子なども彫られていました。神秘的な洞窟から出ると石楠花や野の花が美しく感じられたのでした。全部で何体あるのかわかりませんが、石仏が並んでいました。では次の目的地に向かいましょう。(続く)
2019年05月10日
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建長寺から徒歩数分で円応寺へ到着。案内板の説明をご覧ください。(これから先の写真は横浜トリップのHPから拝借しました)と言いますのも、円応寺は写真撮影禁止だったからです。急な階段を上り本堂前には撮影禁止の札が本堂には閻魔大王坐像を本尊として十王が鎮座しているのを拝観できました。鎌倉時代の仏師、運慶の作だと言われています。人間の死後、冥界でこの十王に罪を裁かれるようなことが書いてありました。こんな怖い顔をした閻魔大王を始め十王ににらまれるよりは生前に善行を積んだ方が良さそうですね。この後、北鎌倉から鎌倉に向けて歩いて帰りました。途中スペイン料理店で休憩し、アフタヌーンティーでした。充分歩いたので足指に豆ができました。夜は情報誌に載っていたお店へ出かけて夕食。先ずはビールで乾杯をしてビーフカレーと海老ときのこのカレーシーフードマリネを食べました。翌朝は和食でした。4月30日は雨でした。江ノ電に乗って長谷駅で下りました。歩いて向かった先は長谷寺です。新緑が一層綺麗でした。お地蔵様も雨に濡れて手を合わせておられました。さあこれから長谷寺を散策しましょう。(続く)
2019年05月09日
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鎌倉五山第一位の建長寺まで歩いてきました。総門前では記念撮影をする人が絶えないので遠くから写しました。総門(巨福門)は天明3年(1783年)に建立された門を京都から移築したそうです。額の文字は建長寺の山号。建長寺も牡丹の花が綺麗でした。(前回長寿寺の牡丹を紹介しましたので)今回は全体像だけ紹介しますね。三門です。安永4年(1775年)に建立されました。銅板葺きの二重門ですが、壁や門扉がありません。上層部には五百羅漢像が安置されていますが非公開です。牡丹がこういう風に植えられています。仏殿です。建長5年(1253年)北条時頼により創建されました。日本初の禅宗道場でけんちん汁(建長汁)がうまれた寺として知られています。本尊は地蔵菩薩坐像で室町時代に作られました。仏殿内の格子天井の絵や欄間の華麗な彫刻は当時の職人の素晴らしい技術を見ることができとても綺麗で見事でした。境内は国の史跡に指定されています。(残念ながら内部の写真はありません)小方丈までの径には牡丹の花が咲いていました。建長寺も境内が広くすべて回ることはできませんでした。東京芝の増上寺から移築した唐門や大迫力の法堂天井画雲龍図は見ておくべきだったかもしれませんが、国宝梵鐘を左に見て建長寺を後にしたのでした。(続く)
2019年05月08日
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次に訪れたのは長寿寺。足利尊氏公ゆかりの寺です。足利尊氏公の開基となっていますが、尊氏公の子、初代関東管領の足利基氏が尊氏公の供養の為に創建したようです。紫陽花の季節や紅葉の季節、曜日(週末)限定の寺でしたが、GWという事もあって特別拝観できました。仏殿にはご本尊の左右に開山像と尊氏像が安置されていました。ご本尊を拝んだ後、新緑で綺麗な庭を写しているとご住職がもっと中に入って写してくださいと言われたのでお言葉に甘えて写してきました。奥の書院へ進みました。庭の牡丹がとても綺麗でした。この後、庭に下りて境内をぐるりと回ってきました。境内奥には足利尊氏公の遺髪が納められた供養塔が建っていました。そしてもう一度牡丹が咲く庭に出ました。ほんの一部ですが、ご覧ください。皐月やツツジも綺麗でした。北鎌倉はちょうど牡丹の季節でした。清々しい気分になって次に参りましょう。(続く)
2019年05月07日
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明月院の次に訪れたのは鎌倉五山 第四位 金宝山臨済宗円覚寺派 浄智寺です。若くして(29歳)亡くなった北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、弘安四年(1281年)に創建されました。最盛期には七堂伽藍を備え十一の塔頭を持つほど栄えていました。境内は国の史跡に指定されています。山門です。鎌倉で唯一の中国式鐘楼門です。花頭窓のある上層部に梵鐘が吊るされています。鐘は県の文化財です。枝垂れ桜の花びらが一面に散ってピンクの絨毯のようでした。仏殿(曇華殿・どんげでん)です。過去(阿弥陀如来)、現在(釈迦如来)、未来(弥勒菩薩)を象徴する木造三世仏座像が安置されています。屋根の瓦の形が興味深かったです。筍が天に向かって伸びてました。この岩山をくぐって入りました。境内裏手の洞窟に安置されていた布袋尊像。福徳円満の神として知られ、鎌倉七福神巡りの一つです。お腹を撫でると運気上昇の御利益があるとかで二人してお腹を撫でてきました。仏殿の裏には書院が建っていました。庭園には綺麗な花が咲いていました。戸に描かれていた紋そろそろお昼時だったので天蕎麦を食べました。お腹が膨れたら次に参りましょう。(続く)
2019年05月06日
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円覚寺から歩いて明月院へ。永暦元年(1160年)に創建された明月庵が起源とされます。その後、康元元年(1256年)鎌倉幕府第五代執権北条時頼公が創建した最明寺、後に北条時宗(時頼の子)の時代、禅僧・蘭渓道竜隆が再興した禅興寺を経て、康暦2年(1380年)に武将・上杉憲方が寺院を拡大しました。明月庵は明月院と改め禅興寺の子院の首位に置かれましたが、明治初年廃寺になり明月院のみ残りました。シャガの花が咲くなだらかな山道を歩きました。門をくぐって右手にウサギ小屋がありました。沙羅双樹の木です。綺麗なお庭を一周してきました。牡丹が満開でした。明月院は枝垂桜の季節、花菖蒲や紫陽花の咲く頃はとても綺麗だそうです。この時期も色とりどりのお花がとても綺麗でした。(続く)
2019年05月05日
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4月29日(月)は鎌倉駅から北鎌倉駅まで電車で移動。(帰りは北鎌倉から鎌倉まで歩きましたが)先ず訪れたのが円覚寺。階段の上に総門があります。紅葉の季節は綺麗なことでしょう。弘安5年(1282年)創建の臨済宗円覚寺派の大本山で鎌倉幕府8代執権・北条時宗が元・高麗の対日侵攻、元寇での戦没者を弔うために開山しました。韓国の民族衣装の人もいました。山門が見えてきました。天明5年(1785年)再建されました。楼上には十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られていますが非公開です。仏殿(仏殿)には本尊の宝冠釈迦如来像が安置されています。ご本尊様は写しませんでしたが、天井画の白龍図を写してきました。白龍図は大和絵の画家、前田青邨氏とその弟子、守屋多々志氏によって描かれました。奥の方には開基廟(かいきびょう)があります。開基の8代執権、北条時宗や9代貞時など北条氏を祀ってあります。北条時宗はこの場所で禅の修行と精神鍛錬に励んだそうです。そして舎利殿もあります。国宝・舎利殿は通常は非公開ですが、お釈迦様の歯が祀ってあるそうです。訪れずに解説だけ写してきました。しかし、あまりにも広くて私達は左に妙香池を見てから引き返してきました。これから先は解説を読んでくださいね。居士林(こじりん)木の扉に付いていた紋です。岩をくりぬいて仏様が鎮座してました。石楠花が綺麗でした。大きな筍も所々で顔を出していました。円覚寺は総門、山門、仏殿、居士林、唐門(勅使門)、百観音、開基廟、舎利殿と奥の方に続きます。夏目漱石の「門」や川端康成の「千羽鶴」など多くの文学作品の舞台にもなっているそうです。(続く)
2019年05月04日
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本来は食べ物のカテゴリに入れるべきなんですが、鎌倉の思い出として旅行記に入れたいと思います。鎌倉の食事にはしらすがたくさん入っていました。鎌倉・小町通りは駅のすぐ近くなので大勢の観光客で前に進めないほどの混雑ぶり。特にお昼時なのでどの店も長い行列ができ、皆さん辛抱強く待ってらっしゃいました。私達はすぐに2階に上がりしらす丼を頂きました。鶴岡八幡宮では源氏池の向こうにある休憩所でソフトクリームを食べました。鎌倉駅周辺では人力車がたくさん走っていました。3時のおやつは駅前で夕方比較的すいていたイタリアンのお店へ先ずは赤ワインで乾杯!湘南しらすのアヒージョ(オリーブオイル&ニンニク)にパンをつけて頂きました。これが意外とおいしかったです。どの料理もしらすが入っていました。ペスカトーレパスタ(ペスカトーレとは魚介類が入ったトマト味ベースの料理の事)ペスカトーレピッツァ赤ワインをグラス1杯飲んでゆっくり食事をする間にすっかり酔ってしまった相方。今回の旅行では今まで飲まなかったアルコールを結構飲んだのでびっくりしました。ビールもワインもウィスキーも何でも飲みホテルに帰ったらベッドへ横になってすぐにぐっすり寝込んでしまいました。翌朝のホテルの朝食です。五月人形になったアンパンマンを見ながらさあ2日目の旅に出かけましょう。(続く)PS) 5月3,4,5日とイタリア人と3人で2泊3日の旅に出かけていますのでまたもや予約投稿です。
2019年05月03日
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新天皇が即位された5月1日に鎌倉から自宅へ戻りました。旅先で天皇陛下(上皇様)の「退位礼正殿の儀」などをテレビで拝見しておりました。さて、4月28日(日)に鎌倉に到着した事は以前にも少し触れましたが、今回の旅行記をこれから紹介したいと思います。先ずは小町通りで昼食にしらす丼を頂きました。次に向かったのは鶴岡八幡宮。建久3年(1192年)鎌倉幕府を開いた源頼朝公が信奉した鎌倉幕府の宗社です。一族の守護神としました。境内には重要文化財の本宮、源頼朝公と実朝公を祀る白幡神社など歴史的建造物が点在しています。表参道から舞殿、本宮(上宮)を望みます。GWも2日目に入り表参道はもの凄い人数の観光客でした。どこで写真をとっても人が写ってしまうので三ノ鳥居から源氏池の方へ行ってみました。すると全く動かない鳥がいました。剥製にしてはおかしいなとしばらく観察していると動きました。この後、大きな羽を広げて飛んでいきました。源氏池に浮かぶ島に立つ旗上弁財天社の社殿裏手には政子石という霊石があります。頼朝と政子の夫婦仲の良さから夫婦円満の御利益があるそうです。源氏池から向こうの藤棚を眺めます。藤が綺麗でした。この日は友引で結婚式を挙げたばかりの花嫁、花婿のカップルに会えました。舞殿では今まさに式を挙げているところでした。静御前が舞を披露したと伝わる若宮廻廊跡に立ち、毎年4月の鎌倉まつりで「静の舞」を再現した舞を奉納する所です。大石段を上がり本宮(上宮)の入り口の門の両側ににらみを利かしていた像です。(ガラス張りでうまく写りませんでした)横から見た像です。平家池の方に桐の花が咲いてました。将軍家が参宮の際はここで輿を降りたとされる太鼓橋。勾配が30度もある弓上の橋です。創建当時は朱塗りだったので赤橋と呼ばれていたそうです。記念撮影する人があまりにも多くて行きは撮れなかったんですが、やっと帰り際に人のいない瞬間を狙いました。(続く)
2019年05月02日
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5月になりました。令和の時代の始まりです。武下さんのカレンダー、5月は「いい夢を見て 頑張ろう」です。実は4月28日(日)から鎌倉に来ています。新幹線とJRを乗り継いで3時間半かかりました。こんなに綺麗な富士山を見るのは初めてでした。小田原でJR東海道本線に乗り換え大船へ。JR横須賀線で大船から鎌倉へ着きました。あまりの人の多さにびっくりしました。詳細は後程掲載しますが、まず鶴岡八幡宮に参拝しました。日ごとに観光客の数も増えてきました。鎌倉駅から徒歩数分のところに私たちが4日間滞在するホテルがありますのでとても便利です。相方はタブレット、一眼ミラーレスカメラ2台が入った重いバッグを肩にかけ、PC2台を入れたキャリーバッグも引いてきましたので疲れてしばらくベッドに横になっていました。その間、私はブログを書いていましたけどね。4月28,29,30日、5月1日まで鎌倉に滞在して、今夜自宅に帰ります。帰りましたら、またぼつぼつと旅行記を書きたいと思っています。
2019年05月01日
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