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昨日は夫と2人でご飯を食べて帰った。(水入らず)仕事の帰りに遅くなったのもあり、お腹も空いていた。ふと思いついたのか、夫が美味しいものでも食べようか…と言った。行ったのは嵐山のはずれにあるお気に入りのお店ホタルイカの酢味噌和え、お刺身の盛り合わせ、森嘉さんのひろうす旬の野菜の天麩羅、天然うなぎの蒲焼、からすみ茶漬け…どれもこれも「う~ん…」と思わず唸る絶品。そして、ココのご主人のお話も楽しみの一つなの。今回のお話は…どこまで行っても、どこの国でも男と女しかいないこの世の中で、お互いの違いを踏まえたうえで助け合ったり、補い合ったりすることが本当の意味の平等なんじゃないかって、ご主人は力説。身体のつくりも違う、力も違う、当然役割も違う。だから、助け合い、補いあわないと上手くいかへんやろって。なのに、権利だとか地位だとか分担だとかで表面上の平等をやかましく言い過ぎてるのと違いますか?って。このお話が私たち夫婦にとってはタイムリーだったの。たまたま、前夜からちょっとした行き違いから何とな~く・何とな~く、不穏な空気が漂っていたから。取り立てて話し合わなくちゃいけないってほどでもなく、だけど、ナニかひっかかってるでしょって感じ。この微妙さが性質が悪いのよね。私たちは、基本的には感情を未完了のまま、先送りにすることは避けている。けれど、こんな微妙な空気のときはどちらが口火を切るか?!みたいなところで、探り合っているところもある。そこへこのお話。あ~、必然なんだわ。ココにご飯食べにきたのも。そう思えた内容のお話だった。ふと、思いついて足を向けたことから、もう必然。お互いに傷つけあうつもりなんてサラサラない。お互いに相手を非難するつもりもない。だけど、良かれと思って言ったこと、良かれと思ってしたことこれが伝わらなくて、言葉だけが独り歩きしてしまうことがある。言葉の意味の取り違え。意図は別にあった。それを言い訳がましく言うのもなぁ~って。美味しいご飯を食べて、いいお話を聞いて、満足♪夫婦二人で顔を見合わせて笑った。へへへ…、補い合うってこと忘れてた。「ご馳走様、おやすみなさい」と暖簾をくぐって外に出たら綺麗な月が嵐山の静かな夜空に煌々と輝いていた。あ~~、イイ夜だぁ~ふと、思いついたことはしてみる、行ってみるに限る!と改めて思った。
March 22, 2006
早朝から起こされて駅まで夫を送って行った。「日曜日なのに~~ ブー」と思いつつ。。。駅からの帰り道…ふと、霧雨の降る空を見上げたら、寝ぼけ眼に飛び込んできたものがーーわぉッ虹が出ていた 朝から何だかハッピー♪ 朝からハッピー♪カンタンにご機嫌になるワタシ。思わず空に向かって微笑み返し♪(さっきの不機嫌はどこへやら・・)ちなみに虹はレインボー《Rainbow》でしょ。英和辞典で調べてみたら、コレって、Rain《雨》bow《弓》けど、bowにはお辞儀と言うのも出てきた。英語の得意な方ならご存知なんだろうけれど、私は知らなかった。雨のお辞儀って、ちょっと可愛くて素敵じゃないですか?私は思う。生活の中にちょっと意識を向ければ、《ふふッ》と微笑むコト《ウッシッシ》と笑いがこみ上げるコト《ハッハッハ》と声を上げて笑うコトけっこう、あるんじゃないかって。あれもしなきゃ、これもやらなきゃ、あぁ~あれも、これも…と日々を時間に追われていたら気づかないこともふと立ち止まったら、見えてくることがある。《ふふッ》、《ウッシッシ》、《ハッハッハ》と笑うとからだが内側からプルプルと震えて、日々のしがらみで固まったからだが一気に弛む。ココロも弛む。だから、笑うこと意識したい。笑うことなんて、そうないよッておっしゃる方。探せばありますよ。それでもなければ、作ればいいんですからッ私流の簡単に笑え方法は・・《イタズラ》するコト。ある日はお風呂から「お~い、シャンプーないよぉ~」と夫の声。私はスタコラと買い置きのシャンプーをお風呂場へすでに頭をシャワーでザーザーやってる夫に「ハイ、シャンプー。手を出して…」と優しく手の平に出してあげるのです。と同時に判らないように濡れた髪にシャンプーをパコパコとプッシュ。結果は・・・流しても流しても、なくならない泡に悪戦苦闘の夫「クックックッ」声を殺して笑うワタシ。声を殺して笑うと、腹筋も鍛えられるかも。。(タダシ、何度もするとブチ切れる恐れはありますのでご注意を)笑って過ごせる毎日でココロも和みます。からだも元気になります。そして、何よりも何よりも笑顔は伝染するのが素敵♪笑顔でハッピー
March 19, 2006
夢をかなえるには、まず自分がこうなりたいッ!と望むことから始まる。逆を言えば、自分が望まないことは叶わない…言い尽くされた言葉だけど、まさにそう思う。けれど、自分が望むと言う事が出来なくなっているとき…。望む状態、なりたい姿、そこにまっすぐに意識が向かないとき…。ソコに何が起こっているのかを見る必要があると思う。もちろん、口では何とでも言えるんですよね。ビジネス場面でも、プライベートであっても。こうなれたらいいなとか、こんな風にしていきたいとか。けれど、変わらない…のは何故なんだろう。それは、本心からそなりたいと望んでいないからとも言えるし、本心からそうなりたいと思えないからとも言えると思う。そう思えなくなってしまっているのは何故なのか?そのときこそ、自分と対話するチャンスだと思うどうなりたいかを口で言えるのに、言葉を知っているのにソレをさせない自分がいることを知り、そのさせない自分の言い分を聴くチャンスだと思う。もしかしたら、どこかで無理だと思っている自分がいるのかもしれない。では、その限界を作ってしまったのは何からなのかを聴くこと。何かを怖がっている自分がいるのかもしれない。何かに対して、傷ついた自分がいるのかもしれない。ソコに気づいたときに、その恐れから解放され、その傷が癒える第一歩となる気がする。自分の中にあるネガティブな部分だと思っているところも必ず何らかの意味を持っている。ソレを見ずして、ポジティブシンキングだとか、望めば叶うとか…いくら言葉にしても効力を発しないと思う。その思考を邪魔している何かがあるうちは。上滑りするだけだから。ある方とのセッションから、ソレを痛感している。彼は言葉では、笑顔で、穏やかに、素晴らしいことを言える。その時の彼の表情は自分の言葉に酔っているかの雰囲気すら感じる。しかし・・・周囲からの彼への期待を裏切り続け、成果を出せていない現実がある。空回りしている。そして、もっと素晴らしい言葉を口にする。また、空回りする。周囲の視線が突き刺さる。彼はそれを感じないように、笑顔で明るく振舞う。またまた、空回り…。笑顔に護られた彼の瞳の奥に哀しさを感じた。次回のセッションは今月末。私は「あなたの瞳の奥に哀しみの色を感じます」と伝えようと思っている。
March 17, 2006
季節はずれの雪が舞う京都を早朝に出発して一昨日、昨日と東京でした。冬装束のコート姿が目立つ東京駅ブルブルと震えながら、仕事の打ち合わせのため待ち合わせ場所に向かった。今回の上京は、娘のお部屋探しとお仕事の打ち合わせ。お仕事の打ち合わせでは、また新しいご縁が♪そして、無事に娘のお部屋も見つかりました。娘の希望は○小洒落た町○オートロック付○ガスコンロ2口○バス・トイレは別○7畳以上○駅から徒歩最低10分以内できれば5分以内○会社の最寄り駅からできれば30分圏内この希望から優先順位は?と聞くと…「全部はずせない!」と答えが返ってくる。その上、できれば新しくて…と。こんなんあるねんやろか…?東京事情に疎い私でも中々難しい条件だわ・・ってことはわかる。けど、妥協しないんですよね、うちの娘は。帰りたくなるお部屋に住みたい!だからどれも外せないと。何せ、はじめて娘を出す我が家としてはハラハラしどおし。今回のお部屋探しも参加しているSNSを通して、東京在住の方にお願いして、物件探しのお世話をいただいたり。しかし、このお願いした方とのご縁がサプライズ!お部屋探しに来たのも忘れてしまうほどに素敵なご縁。それに、無理難題と思っていた娘の希望通り、いや、それ以上のお部屋がほぼ予算通りで見つけていただけた!!!わらにもすがるキモチで、突撃隊の如くメールで厚かましくも今回のことをお願いしたのが先週。そして、今週には親子で押しかけて、ご挨拶も「はじめまして…」からはじまり、「お世話かけてしまいますが、よろしくお願いします。」と厚顔無恥ぶりですもん。ダレノコトッテ?わたし、わたし。このご縁が本当に嬉しくて♪何よりも何よりも、困り果てていた私たち親子に「お役に立てることでしたら…」と手を差し伸べてくださった彼女のお人柄に惚れた。今回のことがなければ出逢えなかったかもしれないんだけど、お出逢いできたご縁に心から感謝している。華奢なからだのクールビューティな彼女の腰元に思いっきりタックルした私。それをガッチリ受け止めてくださった器量の大きな方。その上、その方のお父様ともお目にかかれ、逢ったばかりの見ず知らずの私たち親子に本当に親身になってくださった。お部屋を見つけていただいたこと。これは当初の目的だったけれどこの出逢いは、それ以上に嬉しくありがたい出来事だった。人としての生きる姿勢を教えていただいたような気がしている。冬が戻ったかのような東京で、桜が咲いたようなサプライズの2日間だった!
March 15, 2006
明日、娘のお部屋探しに東京に行ってきます。1泊して、ホテルで娘と水入らずで・・・。戻りましたらまた・・・。
March 12, 2006
愛のほころびは愛で繕うほかなくて(サンケイ新聞 朝の詩より)ある朝、2年前にご主人を亡くした叔母からはがきが届いた。そこに書かれていた言葉がこれだった。叔母夫婦は子どもがなく、ご主人が亡くなってから、一人で生きることを受け入れきれずに過ごしていた人だった。淋しくて、哀しくて、辛くて・・・先に逝ったご主人の墓前で恨み言を言うことさえ度々だった。うつ症状で入退院を繰り返した時期もあった。叔母は幼い頃の私の憧れで、それは美しい人だった。その叔母にただただ、元の笑顔を取り戻して欲しいと願っていた。黒い服ばかり着ている叔母にオレンジのストールを贈ったこともある。心が落ち着くCDを贈ったこともある。折に触れて、電話で話した。けれども、そのときは大きな変化はなかった。このはがきを受け取ったとき、叔母の笑顔が添えられている気がした。お礼の電話を入れたら・・・ただ、今生きていることを大切にしようと思ったそう。そう思えたことに感謝している。そう思えたことが嬉しい。感謝して生きることにこの年になってやっと気づいたんだわ。叔母はそう言った。私は電話を切った後も何度もはがきを読み直していた。愛で繕うほかなくて・・叔母のご主人への愛の深さを知るとともに愛の炎を再び灯し始めたことにこころを熱くしていた。
March 8, 2006
仕事を終えて帰る京阪電車の中3歳くらいのとっても可愛い女の子とママの親子連れに出逢った。その子は買ってもらったばかりのポテトフライをママにねだった。ママは「おうちに帰ってからね」と首を横に振った。女の子は上目遣いに手を合わせてお願い1個だけ頂戴のポーズ。愛くるしい笑顔にママに負けた・・。飛び切りの笑顔で嬉しそうに両手を挙げて喜んだ女の子。その嬉しそうな笑顔につられてママも微笑む。ほのぼのとした光景だった。そのポテトを電車の中で食べさせたことについてもし意見を求めたとすれば、賛否両論であろうと思う。しかし、女の子のあの愛くるしい笑顔に出逢えたのはポテトの効力。何が言いたいのか…。つまりは、お行儀がいいとか悪いとかの話ではなく、小さい頃にちょっとした欲望をどう叶えてもらうかってことが自己肯定感につながっているような気がするってコト。大人が判断する正しいことは子供には理解できないことも多い。それをお行儀が悪いからとだけでシャットアウトしてしまったら哀しい顔してうつむいて、もうママにはおねだりしちゃいけないんだ…と思ってしまうかもしれない。それがしつけであり、教育だといってしまう?あるページに「躾」とは、「礼儀作法」のことで、その内容は,美しい「立ち居振る舞い」と敬語表現を含む「言葉遣い」です。とあった。美しい立ち振る舞いも、敬語表現を含む言葉遣いも、対象が自分以外の人に向けてだと思う。つまり、幼い時期の自分自身が確立できていないときに他人に向けて…は、理解するのは難しい。だから、叱られた経験や否定・拒否された経験の中で体得していくのかもしれない。そのとき…幼い子の心は…。その小さな心は…傷ついているのかもしれない。大人の何気ない言葉、態度、視線などなどすべてを受け取り一生懸命にママやパパに愛されようとする。当然、親としては「この子のために良かれ」と思って、学校や社会に入っても困らないようにと躾をし、叱るんだけどね。子どもにそれがどこまで通じるか、通じる信頼関係を作っているか?そんなことを考えた。ニートが社会問題として取り上げられるが、働かないのではなく、働きたいけど働けない人も多い。社会に出て行くトレーニングができていないから。人と関わるには、人を信頼できないとコワイ。ある人は言う。(彼はニートと呼ばれる)「友達って何ですか?友達って支えあうものって本で読みましたが…」友達はいない・・と言うか、友達関係を知らない。したいことはわからない・・と言うか、したいことって何?と彼は言う。けれど、働くことをしなければと思っている。親が年老いてくるし、自分で生きていくために・・と。自己肯定感を育めないままに大人と呼ばれる年になった。その環境を作ってしまったのも大人。私はいつから大人になったのだろう…。成人式を迎えた20歳?それとも、結婚したとき?はたまた、娘が生まれて親になったときからか…?いずれにしても、たいした経験もなく、知識もないのに大人の顔してた?何ができるんだろう・・・何かあるんじゃないか・・・。からだの奥から突き上げてくる想いを感じている。
March 7, 2006
今日は《ワタシを魅せる自己表現力アップセミナー》の最終日でした。今日で計12時間の講義とワークを交えたセミナーが終了。2月20日のスタート時に初めてお目にかかった方がほとんどで、最初はかたい空気が流れていた。しかし、この回を重ねるごとに場を包む空気がしっとりとしていった。背景も年齢も幅広く参加していただいている中で共有するナニかが生まれていったのかもしれない。私にとってもこの共有した時間の意味は大きい。それぞれの方の取り組まれる姿勢に感動した。言い尽くされた言葉だけど改めて思うのは「自分の問題は自分で解決できる」→自分を信じること「答えは自分の中にある」→自分と向き合う「山より大きないのししは出ない」→視点を変える(距離を置いてみる)どんな問題も捕らわの身になると、先が見えないように感じる。けれども、少し距離を置いてその問題を見たらその問題が起こっている意図に意識を向けることができたら違う視点が見えてきたりする。どんなに辛くても、苦しくても、朝の来ない夜はない。可哀想な自分に止まらないでほしいと心から願う。イキイキと生きる力をみんなもっているのだから!自分で自分をディスカウントしないで欲しい…。そんな想いを自己表現セミナーに裏メッセージで込めていた。どこまでお伝えできただろうか。。しかし、反省はするけれど、後悔はしない。今できること、それが今日の最大。それがまだまだと感じるならば、「もちょっと、がんばれ~」と天からのメッセージか。セミナーの度に自分に向き合うことになる。自分を突きつけられる。そして、自分を知っていくことになる。そんな学びをいただけたことに感謝。お出逢いできた方々に感謝。12時間ご参加いただき、ありがとうございました。また、ぜひお目にかかりましょう♪最後にひとつ。自分を魅せるために・・・自分に手間も暇もかけてあげてください。そして、お金も。(自分の望むことをするという意味で)あなたには、それだけの価値があるのだから。
March 6, 2006
この春から社会人になる娘の配属先が決まった。東京…。娘にとっては望んでいた場所。なので、「おめでとう~」なのだが…初めて娘を手元から手放す母としては寂しさや心配や諸々の感情が湧き上がってくる。もちろん、その感情の中には娘の第一歩が希望に満ち溢れたものであることを願う想いもある。思えば、24歳でママと呼ばれてから、手探りの子育てだった。冬のある日、微熱があるのに遊びに連れ出して高熱を出させてしまったこと予防接種をしたのにお風呂に入れしまったこと幼稚園の入学式や発表会の日の満面の笑顔。歯の矯正がつらくてメソメソしていた泣き顔。小学校の先生の誤解からの心ない言葉に傷ついて帰ってきたあの日。中学受験が終わった日に呟いた言葉。希望の中学へ入学が決まったときのはしゃぎよう。高校のクラブからの海外遠征行きたい学部に入れた大学真っ黒になって、選抜チームにも選ばれた体育会での活動。大学最後の一年をクラブ活動以外のことに費やしたいと退部して学生生活を満喫したこの一年。どのときも、どれも、私たちに相談してきた娘。親として、母として、ひとりの人間として立ち向かわざる得なかった。そう、娘によって、私は親になっていった。「ママ~」と思い切りの勢いで何の躊躇もなく私の胸に飛び込んできた頃あの味噌っ歯の笑顔が懐かしい。娘は私のことを理不尽な母という。泣き虫の母だという。イタイところに塩をすり込んでくる母だという。そうかもしれない。いや、そうだと思う。決して優しい母ではないもんね。娘がツライ思いをしているとき「かわいそうな自分に酔ってる場合じゃないでしょ。そんなところで止まっていたいのなら、一生そうしてなさい!」と言ったことも数知れず。何度も、何度も、大粒の涙を見てきた。自分の力で生きていける人になって欲しい。自分の意思で人生を切り開く人になって欲しい。たくさんの人に出逢い、自分の道を自分で選択して欲しい。そんな思いで厳しくもし、楽しいことも、面白いことも一緒にしてきた。その娘が傍を離れる日が来た。あれも、これもまだまだ教えていない…と言い出したらキリがないね。今の娘には離れることが必要な時期なのよってことだと思う。親の口から、あれこれと教えることよりも、社会に出て人様から教えていただくことが必要な時期なのでしょう。「がんばれ、がんばれ」と心の中で呟く。今までの21年間の人生であの子が望んだものはちゃんと手に入れた来た。だから、これからも自分の望むことに努力するあの子がいる限り大丈夫。そう言って、私の中にある不安や心配を打ち消そうとしています。みんな揃って過ごせる日は残り少ない。けど、相変わらずの日々を送っている娘。あ~卒業旅行だ、関わっている学生団体の合宿だ、内定者合宿だとちぃーとも、いないんだから。それもあんたらしいよ。私もやっぱり優しいママにはならないよ。だって、気持ち悪いって言うだろうし。ただね、食が細いんだからご飯はちゃんと意識して食べなさい。すぐにお腹がイタイって言い出すんだから、無茶なことはしなさんな。どんなことも、どんなときも一人で我慢しなくていいからね。あなたの笑顔は確かにイイけどね、誰にでもいい顔しないのよ。あぁ~、「わかってるって!」と言われそうだわ。また、母として親として、成長させてもらうときだね・・・。だから、泣かないからねッ。(多分…でもムリかなぁ…)
March 5, 2006
梅一輪ほどのあたたかさ…日に日に春めいていくとはいえ、まだ風は冷たい今日の朝。昨年から今年にかけてどうもエンジンのかかりがわるい。かからないわけじゃないけど、全開じゃないの。何が?って。ワタシのことです。その理由を探せばいくらでも書ける。例えば…六星占星術で言えば、大殺界0学占いは、清算で運気の低迷による厳しい苦境の最後の年。なんてね。占いをどこまで信じるとかではなく、そんな風にとれるってことで。それに娘の受験もあった。家族以外の親族の病気や悲しいお別れも相次いだ。どれもそれなりに理由となりそうなのだ。しかし、実はそれだけじゃないんですよね。私が動けなくなっている。言い換えれば、私が動くことを選択してしない。それなんですよね。何がそうさせるのか…。そこに何があるのか…。そんなときにアレコレ考えるのも悪くはないけれどとにかく動こうとしてみるのもひとつ。気持ちが惹かれるセミナーや講座に参加するのもひとつ。逢いたい人に逢いにいくのもひとつ。今のままがいいと思うのならそれを続ければいい。けれども、何か違和感や疑問を感じるなら、何かを変えてみるとき。周囲に目を向ければ何かきっと気を惹かれるモノに出逢う。そして、ふと目が留まったもの、気になったことに近づいてみる。そんなことが今必要な時のように思える。いつも素敵なセミナーを開催してくださる方、ぶーちゃんこんなセミナーが…→ココおススメです♪
March 3, 2006
2月27日・ワタシを魅せる自己表現力アップセミナーの2回目毎回、毎回、参加いただく皆さんの熱いパワーに触発されてワタシのココロもからだも自然に熱くなる。年齢層も生活環境も参加動機も幅広くご参加いただいている中ですべての方に何かもって帰っていただきたい!そんな想いで毎回内容を考えている。そして、自己表現とは自分が感じていること、考えていることを表現することという視点から言えばお一人お一人の感じていることを特に大切にしたいと思う。だから、今回のセミナーは特に場の流れを大切することを意識している。それを名づけて「ライブセミナー」とAKOさん。人のココロに関わる以上、「そのとき、その場面」で何が起こるかわからない。けど、言い換えれば何が起こってもOKの中で参加していただきたい。セッションもセミナーも生モノであり、水モノだと思っている。丁寧に、「そのとき、その場面」を大切にしたい。後から・・・はないから。回を、時間を追う毎に皆さんのお顔が変化していく。場の雰囲気が盛り上がっていく。皆さんお一人お一人のパワーが輝いていくのを感じる。そのエネルギーに触れることができたことに感謝。それにしても、すごいですよ。5時間のセミナーが済んだ後なのに元気いただいてますからね。ライブセミナー、次回が最終回です。
March 2, 2006
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