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1970年代の終盤から80年代にかけてアメリカは「スンニ派過激派」をアフガニスタンに集め、戦闘集団を編成してソ連軍と戦わせていた。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込んで武装集団と戦わせるというブレジンスキーの戦略で始まった戦争だ。資金を出し、戦闘員を送り込んだのがサウジアラビア、アメリカは対戦車ミサイルTOWや携帯型地対空ミサイルのスティンガーを含む武器を供給し、戦闘員を訓練した。イスラエルやパキスタンも工作に協力している。1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックが明らかにしたように、そうしたCIAの訓練を受けた戦闘員のコンピュータ・ファイルがアル・カイダだ。アラビア語でアル・カイダとは「ベース」を意味し、「データベース」の訳として使われる。 2003年にイラクを先制攻撃で破壊したアメリカ軍だが、その数年後には行き詰まり、1980年代に成功した戦略を使おうとしたのがハーシュの指摘した秘密工作だろう。そして2011年春にリビアやシリアは戦乱に巻き込まれる。「民主派に対する独裁者の弾圧」で始まったわけでないことは明確になっている。本ブログでも繰り返し書いてきたが、リビアではNATOがアル・カイダ系武装集団LIFGと連携、そこから戦闘員や武器をCIAがシリアへ運んだことも発覚している。 この連携に危機感を持ったロシアはシリアに対するNATOの軍事介入を阻止する。それでもアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルといった国々は戦闘員を送り込み、武器/弾薬を供給してバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指す。特殊部隊も送り込んだ。 しかし、アメリカ国内にもアル・カイダ系武装集団を使うことを懸念する人はいた。そのひとりがトランプ大統領が国家安全保障担当補佐官に選んだマイケル・フリン。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年8月にシリア情勢に関する文書を作成、オバマ政権へ提出しているが、その中でシリアにおける反乱の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)だと指摘、西側、湾岸諸国、そしてトルコからの支援を受けているともしている。DIAはアメリカ政府が方針を変えなければシリア東部にサラフ主義の支配地が作られると予測していたが、これはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。 アル・カイダ系武装集団、あるいはダーイッシュを危険な存在と考えるか、アサド体制を倒す手先と考えるかでフリンとオバマ周辺は対立、2014年8月7日にフリンはDIA長官を辞めることになる。 退役後、この文書についてアル・ジャジーラの番組で質問されたフリン中将は自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあるとした上で、そうした情報に基づいて政策を決定するのはオバマ大統領が行うことだと答えている。つまり、オバマ政権の決定がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだ。これは正しい。その流れを強化しようとしたのがヒラリーであり、それを支援してきたのが西側の有力メディアである。 軍隊の内部にはフリンと同じ考えの人物が存在、そのひとりがマーチン・デンプシー大将。2011年10月から統合参謀本部議長を務めていたが、ハーシュによると、デンプシーを含むグループはオバマ政権の政策を懸念、2013年秋からダーイッシュやアル・カイダ系武装集団に関する情報をホワイトハウスの許可を得ず、シリア政府へ伝え始めたという。 2013年2月から国防長官を務めたチャック・ヘーゲルも武力によるアサド政権転覆には消極的な姿勢を見せていたのだが、15年2月に好戦派のアシュトン・カーターと交代させられ、9月25日にはデンプシーも辞めさせらる。後任はロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言していたジョセフ・ダンフォードだ。 デンプシーが退任した3日後、9月28日に国連の一般討論演説でプーチン露大統領は西側の姿勢を批判する。北アフリカ/中東やウクライナを戦乱で破壊、死体の山を築くようなことをした人びと、つまりネオコンをはじめとする西側指導者やサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国、トルコ、イスラエルといった国々の政府に対し、プーチンは「自分がしでかしたことを理解しているのか?」という強い言葉を浴びせた。 そして9月30日にロシア軍はシリアでアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに対する空爆を開始する。ウォルフォウィッツが1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしたとき、アメリカが軍事行動に出てもソ連は出てこられないと言っていた。アメリカが単独で先制攻撃してもロシアは文句を言えないという認識だったのだが、この空爆でネオコンはショックを受ける。ロシアの空爆は本島にアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを攻撃するもので、戦況は一変した。世界を軍事力で制圧するというネオコンの戦略はロシアとの核戦争に発展してしまう。 それでもウォルフォウィッツ・ドクトリンを推進しようというのがヒラリーであり、当然、支配層の内部にもそれを懸念する人が増えただろう。そして2016年2月のキッシンジャーによるロシア訪問だ。 キッシンジャーは石油産業と関係が深い。1973年に石油価格が大幅に上昇、石油危機と呼ばれる事態になった。その直接的な原因は第4次中東戦争だが、この戦争を演出したのはキッシンジャーだと言われている。エジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げ、同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたというのだ。 サウジアラビアのファイサル国王の腹心で、その当時に石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニによると、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったとしている。その秘密会議がビルダーバーグ・グループの会合だったことは確認されている。値上げはキッシンジャーから提案されたのだという。 トランプ大統領は国務長官として巨大石油会社エクソンモービルの会長兼CEOだったレックス・ティラーソンを選んだ。ロシアのプーチン大統領と友好的な関係にあることが注目されているが、その前に石油産業の人間だということを忘れてはならない。現在、窮地に陥っているサウジアラビアだが、何らかの形で救済しようとするだろう。 それに対し、ヒラリーを担いでいたのは金融資本に近い人びと。歴史的にCIAはウォール街と近い。例えば、CIAの前進であるOSSの長官はウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバン、破壊工作を指揮、CIAのドンになるアレン・ダレスもウォール街の弁護士であり、極秘の破壊工作機関OPCを指揮したフランク・ウィズナーもウォール街の弁護士だ。ダレスの側近でCIA長官になるリチャード・ヘルムズの母方の祖父、ゲイツ・マクガラーは国際的な銀行家。CIA人脈が実行した報道統制プロジェクトのモッキンバードにはワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムの義理の父にあたるユージン・メーヤーは世界銀行の初代総裁だ。ヒラリーは金融資本にも近く、必然的にCIAと結びつき、有力メディアも仲間だ。
2017.01.31
ドナルド・トランプ米大統領は速攻を仕掛けているようだ。バラク・オバマ第44代大統領の「チェンジ」が口先だけだったのとは違って速いペースで「チェンジ」を実行、ヒラリー・クリントンを担いでいたネオコンなどの勢力は慌てているだろう。 ヒラリーの周辺にはマデリン・オルブライト(ズビグネフ・ブレジンスキーの弟子)、ビクトリア・ヌランド(ネオコンで、ロバート・ケイガンの妻)、フーマ・アベディン(サウジアラビアで育ち、母親はムスリム同胞団の幹部。元夫のアンソニー・ウェイナーはネオコン)がいる。オバマ政権で国家安全保障担当補佐官を務めたスーザン・ライスの母親はオルブライトの友人で、スーザン自身、オルブライトから学んでいる。ヒラリーは上院議員時代、巨大軍需企業ロッキード・マーチンの代理人とも呼ばれるほど戦争ビジネスと近い関係にあることでも有名だ。 外部に漏れ出たヒラリーの電子メールを見ると、リン・フォレスター・ド・ロスチャイルド(エベリン・ド・ロスチャイルドの妻)と頻繁に連絡を取り合っていることがわかる。国務長官時代にジョージ・ソロスの指示に従って政策を決めていたことも明らかにされた。 このソロスはナイル・トーベを介してジェイコブ・ロスチャイルドにつながり、そのジェイコブも所属する金融機関N・M・ロスチャイルドにリチャード・カッツを通じてつながる。このN・M・ロスチャイルドにはエベリン・ド・ロスチャイルドもいる。またジョージ・カールワイツによってソロスはエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループとつながっている。 こうした背景を持つヒラリーは遅くとも2015年6月の段階でオバマの次の大統領に内定していたと言われている。この年の5月26日の時点で民主党の幹部がヒラリー・クリントンを候補者にすると決めたことを示唆する電子メールが存在しているほか、6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加しているからだ。 その流れが変化したと言われたのは昨年2月。ヘンリー・キッシンジャーが2月10日にロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会談し、22日にはシリアで停戦の合意が成立した。そこで、アメリカ支配層の一部がロシアと協調する道を選んだ可能性があると考えられたのである。 キッシンジャーはネルソン・ロックフェラーと親しいことで知られているが、デイビッド・ロックフェラーと親しいズビグネフ・ブレジンスキーもアメリカが地球規模の帝国ではなくなったと認めるようになる。アメリカを唯一の超大国と位置づけ、潜在的なライバルを単独で先制攻撃するとした1992年2月のDPG(通称ウォルフォウィッツ・ドクトリン)を軌道修正しようとしているように見える。 このドクトリンは名前の通り、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になって作成され、その後もネオコンの基本戦略になってきた。このウォルフォウィッツが1991年の段階で、シリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしたという。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラークがそのように話している。 クラークによると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたてから10日後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国のリストが作成され、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。 2003年3月にジョージ・W・ブッシュ大統領は国防総省内の反対意見を押し切り、約1年遅れでイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した。その後も軍事作戦は続き、破壊と殺戮は今でも続いている。 そして2007年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌で、アメリカ(ネオコン)、イスラエル、サウジアラビアは手を組み、シリアやイランをターゲットにした秘密工作を開始、ヒズボラが拠点にしているレバノンを攻撃すると書いた。イランにもアメリカの特殊部隊JSOCが潜入して活動中だとしている。 そうした秘密工作は「スンニ派過激派」つまりアル・カイダ系武装集団の勢力拡大につながるとハーシュは指摘するが、サウジアラビアなどは「スンニ派過激派」をイランよりましだとしている。少なくともその後にネオコンも同じ考え方をするようになった。 ネオコンは1980年代からイラクのフセイン体制を倒すべきだと主張していたが、それはヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を築いてイランとシリアを分断、両国を倒す、あるいは弱体化するためだった。ジョージ・H・W・ブッシュなど石油資本に近いグループはフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と位置づけていたので、ロナルド・レーガン大統領の時代にはネオコンと対立している。
2017.01.31
アメリカはヨーロッパだけでなく、日本とも軍事同盟を結んでいる。その基盤には日米安全保障条約があるわけだが、この条約は1951年9月、アメリカのサンフランシスコにあるプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で署名されて成立した。 その1週間前、同じ場所でオーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、アメリカ(US)の3カ国がANZUS条約に調印している。その2年前にアメリカはNATO(北大西洋条約機構)を創設したが、前回指摘したように、その目的はソ連/ロシアを制圧し、ヨーロッパで米英巨大資本のカネ儲けに邪魔な人や団体(右とか左は関係ない)を殲滅することにあった。日米安保やANZUSの場合、ロシアだけでなく中国が強く意識されているはずだ。 安保条約が調印されたその日、対日平和条約も結ばれている。サンフランシスコのオペラハウスで開かれた講和会議には日本を含む52カ国が出席している。中国の代表は招請されず、インド、ビルマ(現在のミャンマー)、ユーゴスラビアの3カ国は出席せず、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアは調印式に欠席した。 対日平和条約の調印式には首相兼外相の吉田茂をはじめ蔵相の池田勇人、衆議院議員の苫米地義三、星島二郎、参議院議員の徳川宗敬、そして日銀総裁の一万田尚登が出席したが、安保条約の署名式には吉田ひとりが出席している。 全権団を率いていたのは吉田。彼は当初、アメリカ軍への基地提供に否定的な態度を示し、サンフランシスコ平和会議への出席を避けようとしていたのだが、7月19日に昭和天皇へ「拝謁」した後、全権団を率いることに同意したという。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年)当時の状況から考えると、安保条約の締結は天皇の意思で決まり、吉田は身代わりだった可能性が高い。天皇とつながっていたアメリカの支配層が操り人形として作り上げた人物が岸信介だ。 アメリカと緊密な関係にあったイギリスではドイツが降伏した直後、1945年5月にウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立案するように命令している。これは本ブログで何度も指摘してきた。 そして作成された「アンシンカブル作戦」では、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は参謀本部に拒否されて実行されず、チャーチルは7月26日に退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言した。 1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。こうしたチャーチルの動きと連動するかのように、アメリカ軍ではソ連を先制核攻撃するプランが練られ始めている。 この1947年3月にトルーマン大統領は世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出し、ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表している。統合参謀本部の研究報告にソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれたのはその2年後だ。 1953年になると沖縄で布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついている。 その間、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作成した。600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。 1955年から57年にかけて興味深い人物が琉球民政長官を務めている。キューバ軍を装ってアメリカに対する「テロ攻撃」を展開、それを口実にしてキューバへアメリカ軍を侵攻させようというノースウッズ作戦の中心メンバーになるライマン・レムニッツァーがその人だ。レムニッツァーはは大戦の終盤、アレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を大統領に無断で実施している。 ドワイト・アイゼンハワー政権(1953年から61年)でレムニッツァーは統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。 沖縄は勿論、こうした流れに日本全体が巻き込まれていた。NATOの秘密部隊を編成したOPC(1951年にCIAの内部に入り込んだ)は1949年に拠点を上海から日本(厚木基地が中心)へ移動させている。この年の1月に中国で人民解放軍(コミュニスト)が北京に無血入城、5月には上海を支配下におく事態になったからだ。 その年の夏、日本では国鉄を舞台とする「怪事件」が引き起こされる。7月に下山事件と三鷹事件、8月には松川事件だ。この3事件で国鉄の労働組合だけでなく、日本の労働運動、そして「左翼」と見なされている人びとは大きなダメージを受けた。 OPCが拠点を上海から日本へ移動させた3年後、日米安保が成立した翌年の6月に大分県直入郡菅生村(現竹田市菅生)で駐在所が爆破された。近くにいた共産党員2人が逮捕され、3人が別件逮捕されるのだが、後に当局が仕組んだ「偽旗作戦」だということが判明する。下山事件、三鷹事件、松川事件と同じ背景があるということだ。 菅生村での事件でカギを握っているのは、共産党に潜入していた戸高公徳(市木春秋という偽名を使っていた)。事件後に姿を消したが、共同通信の特捜班が東京に潜んでいた戸高を見つけ、その証言から彼が国家地方警察大分県本部警備課の警察官だということが判明、ダイナマイトを入手し、駐在所に運んだのも彼だと言うことがわかった。 本来なら戸高は厳罰に処せられ、その背景も調査されなければならないが、戸高の刑は免除され、有罪判決から3カ月後に警察庁は戸高を巡査部長から警部補に昇任させ、そのうえで復職させている。最終的に彼は警視長まで出世、警察大学の術科教養部長にもなっている。退職後も天下りで厚遇された。この「テロ」には大きな背景があることを示唆している。 この偽旗作戦は1952年7月4日に可決成立した破壊活動防止法との関係で語られることもあるが、国鉄の3事件、菅生事件、破壊活動防止法の成立、そして沖縄の軍事基地化は同じ大きな目的のために仕組まれた出来事にすぎないだろう。破壊活動防止法を持ち出すのは一種のダメージコントロールだ。ちなみに、事件当時、菅生村の周辺地域では米軍射爆場への接収計画などに反対する運動が高まっていたようだ。 OPCが東アジアにおける拠点を日本へ移動させた理由は中国のコミュニストによる制圧が不可避になったから。その後、日本はそうした状況になっていないわけで、破壊工作の拠点は残っているどころか増強されているだろう。対中国作戦だけでなく、東南アジアでのクーデターを準備する場所としても日本/沖縄は使われてきた。
2017.01.30
テレサ・メイ英首相はアメリカを訪問、ドナルド・トランプ米大統領と会談した。その中でトランプはイギリスに対する永久的支援を約束、両首脳はNATOに対する責務を再確認したという。メイによると、トラップはNATOを100%支持しているという。この流れに乗って安倍晋三首相も「日米同盟」への支持を取り付けたいところだろう。何しろ、それが自分たちの地位とカネを保証する。 NATOは1949年4月に創設された軍事同盟で、当初の加盟国はアメリカとカナダの北米2カ国、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国だった。その後、1952年にギリシャとトルコ、55年に西ドイツが加わり、現在は東へ拡大して26カ国になっている。 ソ連軍の侵略に対抗することが目的だとされたが、その当時のソ連には西ヨーロッパに攻め込む能力はなかった。ドイツとの戦闘で2000万人以上のソ連国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だったのである。軍にも西ヨーロッパへ侵攻する余力は残されていなかった。 第2次世界大戦でドイツと最も激しく戦ったのはソ連。両国軍が激闘を繰り広げている様子をアメリカやイギリスは傍観していた。ドイツ軍はスターリングラードまで攻め込んだものの、そこでソ連軍の反撃にあって壊滅、1943年1月にドイツ軍は降伏した。その4カ月後にアメリカとイギリスはワシントンDCで会議を開き、7月にアメリカ軍を中心とする部隊がシチリア島へ上陸した。その際、アメリカはマフィアの協力を受けている。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸(オーバーロード)作戦は1944年6月のことだ。 この頃にはアレン・ダレスなどアメリカ側の一部はナチスの幹部と秘密裏に会い、善後策を協議している。そして1945年4月にフランクリン・ルーズベルト大統領が執務中に急死、5月にドイツは降伏する。 その直後、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は参謀本部に拒否されて実行されず、チャーチルは7月26日に退陣するすることになった。その10日前、7月16日にアメリカのニューメキシコ州ではプルトニウム原爆の爆発実験(トリニティ実験)が行われ、8月6日に広島、そして9日に長崎へ原爆が投下される。 下野したチャーチルは翌年の3月にアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言、1947年にはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようトルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。 米英支配層はソ連の殲滅だけでなく、ヨーロッパのコミュニズムを潰す準備も進めている。大戦の末期にゲリラ戦部隊のジェドバラを設置したのはコミュニストの影響を強く受けているレジスタンス対策だったが、そのジェドバラ人脈は戦争が終わってからも消えずに残り、ジョージタウン・セットと呼ばれている。その人脈で創設された秘密工作部隊がOPC。 この秘密機関は1951年にCIAに入り込んで計画局になる。秘密工作が外部に漏れたこともあって1973年に名称を作戦局に変更、現在はNCS(国家秘密局)だ。この部署はヨーロッパで秘密部隊を編成、1948年頃にはCCWU(西側連合秘密委員会)が統括していた。 1949年にNATOが創設されるとその内部へ入り込み、CPC(秘密計画委員会)の下で活動、その下部機関としてACC(連合軍秘密委員会)が1957年に作られた。NATO加盟国はこのACCを通じて情報を交換していると言われている。NATOへ加盟する国は秘密の反共議定書にも署名する必要があるという。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)スイスの研究者ダニエレ・ガンサーによると、「右翼過激派を守る」ことを秘密の議定書は義務づけているとNATOの元情報将校は語っている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)この「右翼過激派」はファシストとも言い換えられるだろう。 NATOの秘密部隊はアメリカ支配層が作り上げた秘密工作ネットワークの一部ということになる。1947年6月に社会党系政権の内務大臣に就任したエドアル・ドプによると、政府を不安定化するために右翼の秘密部隊が創設されたとしている。 しかも、その年の7月末か8月6日には米英両国の情報機関、つまりCIAとMI6が手を組んで「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行、シャルル・ド・ゴールを暗殺する予定になっていたという。ド・ゴールはフランスを自立した国にしようと考えていたため、米英支配層には嫌われていた。 この計画は事前に発覚、フランス北部に彼の城で重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されている。シナリオでは、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って『テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出するという流れだった。イタリアの「緊張戦略」と基本的に同じで、フランスの情報機関SDECEが関与していたと疑われたが、調査を行ったのはそのSDECEの長官だった。 この事件のほとぼりが冷めた頃、新たな秘密部隊「ローズ・ド・ベン(羅針図)」が創設され、この部隊が1961年に組織されたOAS(秘密軍事機構)につながるとも考えられている。このOASはOPC人脈と関係が深い。 1961年4月にOASはスペインで秘密会議を開いてアルジェリアでのクーデター計画について話し合っている。その計画では、まずアルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧することになっていた。その中心にいた人物はモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍。 クーデターが動き始めるとアメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。つまり、パリが攻撃された場合、アメリカ軍を投入するということ。CIAは驚愕したという。ケネディの決断もあり、クーデターは4日間で崩壊した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE長官を解任するが、この人物はOPCの局長でアレン・ダレスの側近だったフランク・ウィズナーと親しかったことで知られている。(前掲書) そして1962年8月、OASのジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐が率いるグループがパリでド・ゴールの暗殺を試み、失敗している。その暗殺未遂から4年後の1966年、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出され、ベルギーのモンス近郊へ移動している。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年。完全復帰は2009年になってからだ。 ド・ゴール暗殺未遂の翌年、ケネディ大統領が暗殺された。両者の運命を変えたのは情報機関の状況にあったとも言われている。グロッシンSDECE長官を解任した後、フランスの情報機関は自国の大統領を守るために働いたが、アメリカは違ったということだ。ただ、ド・ゴールが退任した後、フランスの情報機関はCIAの指揮下に入ったとも言われている。 NATOの秘密部隊として最も知られているのはイタリアのグラディオだろう。1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、「左翼」と呼ばれている人びとの信頼度を下げ、社会不安を利用して治安体制を強化、つまりファシズム化を推進したのである。いわゆる「緊張戦略」だ。グラディオの存在は1990年8月にジュリオ・アンドレオッチ内閣が公式に確認、10月には報告書を出してNATOの秘密部隊が存在することを明らかにした。 NATOにはふたつの大きな目的がある。ソ連/ロシアを制圧し、ヨーロッパで米英巨大資本のカネ儲けに邪魔な人や団体(右とか左は関係ない)を殲滅することだ。それがアメリカ支配層にとっての「防衛」にほかならない。 ちなみに、1991年にフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相がWEU(西ヨーロッパ連合)の実現を訴え、外交と軍事政策を統合し、「ユーロ軍」を創設しようとしたが、これは潰された。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt, 2009)
2017.01.29
フランスでは選挙結果を尊重するとマリーヌ・ル・ペンは語り、アメリカで展開されているドナルド・トランプ攻撃を皮肉った。もっとも、アメリカが選挙結果を受け入れないのは一種の伝統で、今回が初めてだというわけではない。 例えば、1953年のイラン、54年のグアテマラ、60年のコンゴ、73年のチリは悪名高い。2003年にジョージア(グルジア)で実行されたバラ革命、2004年から05年にかけてウクライナで行われたオレンジ革命もそうだと言える。最近では2013年から14年にかけてネオ・ナチを使って成功させたウクライナのクーデター、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ったリビアやシリアに対する軍事侵略も選挙結果の否定にほかならない。民主主義の破壊とも言える。アメリカの支配層は反民主主義なのだ。 アメリカでは支配層が望む選挙結果以外は受け入れられない。例えば、1932年の大統領選挙でニューディール派でウォール街と対立関係にあったフランクリン・ルーズベルトが当選すると、ウォール街はクーデターを計画している。これは失敗に終わったが、その頃はまだ支配層の力が足りなかったということだ。 ジョン・F・ケネディもそうして一例だろう。選挙戦ではタカ派的な言動をしていたケネディだが、大統領に就任してから巨大企業の行動を規制、通貨発行権を政府の手に取り戻そうと計画、キューバに対する軍事侵攻に反対、ソ連との平和共存を訴えていた。イスラエルのパレスチナ弾圧にも批判的だった。支配層にとって好ましくないこの大統領は暗殺によって排除されている。 被支配者である庶民が自分たちの計画に同意させる仕組みも重要。有力メディアやハリウッド映画を使ったプロパガンダ、教育という名の洗脳で庶民の意思をコントロールしようとしている。「安全保障」を口実にした情報の統制も人びとを操るために行っている。支配層による情報統制は1970年代から世界的な問題になっていたが、日本人は鈍感で、そうした話を「リベラル派」や「活動家」なども興味を持とうとしなかった。 第2次世界大戦の前からアメリカの支配層は有力メディアをプロパガンダ機関と見なしていた。ルーズベルトを大統領の座から引きずり下ろし、ファシズム政権を樹立しようというクーデターを計画した際、新聞で偽情報を流すことも計画に含まれていた。 大戦後、ウォール街は組織的な情報統制に乗り出す。そこで始められたプロジェクトがモッキンバードで、アレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムが中核グループを形成している。ダレスは破壊工作のドン的な存在で、ウィズナーやヘルムズはその側近。グラハムも大戦中、情報活動に従事していた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ヘルムズがCIA長官だった時期にウォーターゲート事件が起こり、ワシントン・ポスト紙が「大統領の犯罪」を追及、デタント(緊張緩和)を打ち出していたリチャード・ニクソンを排除することに成功した。その時の社主はフィリップと結婚していたキャサリン・グラハム。世界銀行の初代総裁だったユージン・メイアーの娘だ。 同紙でこのスキャンダルを追いかけたのは若手記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインだが、バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) しかし、アメリカで報道統制が強化されるのはその後。ベトナム戦争でアメリカが敗北したのは国内で反戦運動のためだと好戦派は考え、運動を激しくした責任は戦場の実態を伝えるメディアにあると評価した。自立したジャーナリストは邪魔な存在だと支配層は考え、統制を強化していく。 先日、心臓発作で急死したウド・ウルフコテはドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者だが、彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に嘘を教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないこと。多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。その結果、ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっていると考え、2014年2月にこの問題に関する本を出したという。 西側、特にアメリカの有力メディアを有り難がる「リベラル派」や「革新勢力」がいたとするなら、一種の「トロイの木馬」だと思った方が良いだろう。ラベルで騙すのはアメリカ支配層の得意技だ。 TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)も巨大資本が国を支配する仕組みで、被支配階級、つまり大多数の人間から基本的な権利は奪われてしまう。フランクリン・ルーズベルトの定義によると、この仕組みはファシズムにほかならない。
2017.01.28
アメリカの場合、大統領を含む要人の警護はシークレット・サービスの役割になっている。1865年に偽造通貨の取り締まりなどを目的として財務省の機関として創設され、大統領の警護が任務として定められたのは1951年のこと。現在は国土安全保障省(DHS)の指揮下にある。 その機関に23年近く所属しているというエージェントのケリー・オグラディが公務員の政治活動を規制するハッチ法を愚弄して大統領選挙の期間中にヒラリー・クリントン支持を表明、ドナルド・トランプが大統領になった場合、警護の責任を全うしないことを示唆していたとして問題になっている。 ジョン・F・ケネディ第35代大統領が1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された際、シークレット・サービスが大統領警護の任務を放棄していた疑いが持たれている。シークレット・サービスで最初のアフリカ系エージェントで、1961年にケネディの指名で大統領警護の任務に就いたアブラハム・ボールデンによると、機関の内部でもケネディ大統領を嫌う人物は多く、大統領が銃撃されたら道を空けるという「ジョーク」が雑談の中で口にされていたという。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008)実際、暗殺当日の映像を見るとシークレット・サービスの動きに疑問点がある。 大統領が暗殺された翌年、ボールデンは内部文書を関係者に売ろうとしたとして逮捕され、6年間を刑務所で暮らすことになった。ボールデン自身はこの疑惑を否定、でっち上げだとしている。ケネディ警護を担当していた一部エージェントによる過度の飲酒などの不品行をウォーレン委員会で証言しようとしていたという。 オグラディはトランプがアメリカやそこに住む女性や少数派にとって大きな災難をもたらすと主張しているが、人類を死滅させかねない核戦争については触れられていない。第2期目のビル・クリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権は露骨な軍事侵略を継続、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどを戦乱に巻き込み、破壊と殺戮の限りを尽くしてきた。その口実が人権、民主化、自由などだが、勿論、それは看板だけの話で中身は逆だ。別に「民主主義の押し売り」をしようとしているわけでもない。 政府機関の動きに疑惑が持たれているのはケネディ大統領の暗殺だけではない。公民権運動の指導者として知られているマーチン・ルーサー・キング牧師やケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディにも言える。 ベトナム戦争に関する国防総省の秘密文書、いわゆるペンタゴン・ペーパーズを明らかにしたことで知られているダニエル・エルズバーグは宣誓供述書の中で、キング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBIの捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだとする話を聞いたと語っている。この話は下院暗殺特別委員会のウォルター・ファウントロイ議員から話を聞いたブラディ・タイソンが話していたという。タイソンは国連大使だったアンドリュー・ヤングの側近だった人物だ。ただ、ファウントロイ議員は後にこの話を否定している。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016) なお、エルズバーグはウィリアム・コルビーCIA長官の指示でペンタゴン・ペーパーズを公表したと言われ、この公表自体に裏の事情があるのだが、今回はそこへ足は踏み入れない。 キング牧師は1968年4月4日にテネシー州メンフィスで暗殺された。この時、軍の部隊も動いていたと言われている。1956年にバス内で引き起こされた人種差別に抗議して始めたバス・ボイコット運動から公民権運動を率いることになったキング牧師はその後、労働/貧困問題、そして反戦運動に取り組んでいく。 そのキングが1968年に殺された理由として指摘されている演説がある。1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会で行ったもので、ベトナム戦争に反対する声を上げようと訴えるものだった。 ちなみに、ケネディ大統領は暗殺される5カ月前の1963年6月10日、アメリカン大学の学位授与式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行っている。アメリカの軍部や情報機関の好戦派を押さえ込み、ソ連との核戦争を回避することに成功したケネディはパクス・アメリカーナ(超大国アメリカによる世界支配)を否定し、ソ連との平和共存を訴えたのである。 1968年3月にはロバート・ケネディ上院議員が大統領選に出馬すると表明、当選する可能性は高いと見られていた。キング牧師の弁護士だったウィリアム・ペッパーによると、ケネディ議員はキング牧師側に対し、彼が民主党の大統領候補になった場合に牧師を副大統領にしたいと打診してきたという。(John L. Potash, “Drugs as Weapons Against Us,” Trine Day, 2015)そのロバート議員は1968年6月5日に暗殺された。大統領に就任したなら兄の暗殺を再調査する意向を示していたとも言われている。 女性や少数派の差別に取り組むことは許されるが、労働問題に取り組んだり戦争に反対すると命が危うくなるように見える。それが支配のルールなのだろうか。そうした意味で、ロシアとの関係改善を公言しているトランプは危険な立場にいると言える。
2017.01.27
ドナルド・トランプは大統領に就任した直後にTPP(環太平洋連携協定)からの離脱を決めた。「チェンジ」を掲げて当選したにもかかわらず、庶民にとって良い方向へ「チェンジ」できなかった前任者のバラク・オバマとの違いを見せつけた形だ。 当然、TPP、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットで巨大資本に国を上回る力を与えようとしていた勢力は激怒しているだろう。そうした勢力はロシアや中国を恫喝して屈服させようともしている。こうした恫喝にロシアや中国が屈するはずはなく、必然的に恫喝はエスカレート、最近では核戦争の脅しになっていた。 TPPからの離脱は大統領に就任する前からトランプは宣言、投票日の前からシリアでの戦争を終結させるために動いている。例えば、10月11日にパリのリッツ・ホテルで約30名の政治家、実業家、外交官が集まって開かれたシリア情勢に関する話し合いにドナルド・トランプの長男、ドナルド・トランプ・ジュニアが出席している。 またイスラエルの情報機関と緊密な関係にあると言われているDEBKAfileによると、トランプ政権で安全保障担当補佐官に就任することが内定していたマイケル・フリン中将はロシア安全保障会議の議長、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、ヨルダンのアブドラ国王などと秘密会談を行ったという。すでにトルコはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)つまりネオコンたち好戦派の手先になってきた武装勢力に対する攻撃でロシアと行動を共にしている。 反トランプ勢力のうち、公然グループの中心には投機家のジョージ・ソロスがいて、民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンもその影響下にある。選挙直後の昨年11月13日、ソロスは息子のジョナサン・ソロスやトム・ステイアーを含む富豪たちとワシントンのマンダリン・オリエンタル・ホテルでトランプ対策を練る秘密会談を開いた。ヒラリー・クリントンとビル・クリントンには紫色をあしらった服で集会に登場させ、「パープル革命」の開始を宣言した。 この「革命」の拠点になると見られているのがカナダ。ジャスティン・トルドー首相は筋金入りのネオコン、つまりロシアを憎悪しているクリスティア・フリーランドを外務大臣に据えた。この女性はウクライナ系で、バラク・オバマ政権内の好戦派だったビクトリア・ヌランド、サマンサ・パワー、スーザン・ライスの分身だと表現する人もいる。作家のデイビッド・ホロウィッツによると、オバマとヒラリーは「亡命政権」の準備をしているそうだが、その拠点はカナダになるのだろう。 トルドー政権はTPPを復活させ、ロシア敵視政策を推進しようとしている。つまり、安倍晋三首相とは親和性が強い。その安倍首相と会談するため、ソロスは今年1月6日、アデアー・ターナー元英国工業連合会長を伴って来日している。ソロスが安倍に「お伺い」を立てることはありえず、何らかの指示を与えるために来た可能性が高いだろう。今後、カナダと日本がネオコンの拠点になるかもしれない。日本が非常に難しい立場に陥る可能性が高いということだ。
2017.01.26
安倍晋三政権が国際情勢の変化に対応できていないと言われている。彼らは最初から国際情勢など見ていないわけで、当然だろう。見ているのは自分を操っている人びと、つまりポール・ウォルフォウィッツ、I・ルイス・リビー、その下にいるジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、パトリック・クローニン、あるいはこうした人びとの仲間であるヒラリー・クリントンなど、いわゆるネオコン/好戦派だ。 ネオコンが1992年2月に作成した世界制覇ドクトリンが揺らぎ、アメリカ大統領はドナルド・トランプになってしまった。勿論、トランプの背後にもアメリカの支配層は存在しているが、安倍政権をはじめとする日本の「エリート」が追随してきた勢力ではない。この勢力はあくまでもロシアや中国を力で屈服させようとしているが、そうしたことは不可能。これまでバラク・オバマ政権は恫喝をエスカレートさせ、ヒラリーはさらに恫喝を強めようとしていた。つまり、核戦争の脅しである。 日本は第2次世界大戦の前からウォール街やシティに従属していた。ウォール街の代理人、例えばハーバート・フーバーのような人物なら日米主従関係は安泰だったのだろうが、1932年11月の大統領選挙でウォール街と対立関係にあったニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選してしまった。 投票から3カ月後、大統領就任式が17日後に迫った1933年2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミの集会で銃撃事件に巻き込まれている。レンガ職人のジュゼッペ・ザンガラが撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡している。動機は何なのか、本当は誰を狙ったのか、背後関係はあるのかなど調べることはあったはずだが、銃撃犯から何も聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。 1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちがルーズベルトの排除を狙ったクーデターを計画していたことはスメドリー・バトラー退役少将の議会証言で明らかにされている。バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で語っている。 この後、日本は迷走の度合いを強めていく。現在と似たような状況だったと言えるだろう。いや、今回は前回よりひどいことになるかもしれない。
2017.01.25
中国はロシアからの石油輸入量を増やしていたが、昨年、そのロシアがサウジアラビアを抜いて石油供給国ランキングのトップになったと伝えられている。 中東からタンカーで石油や天然ガスを運ぶ場合、現地の戦乱だけでなく、マラッカ海峡、そして南シナ海の軍事的な緊張は問題。マラッカ海峡や南シナ海を回避する意味もあり、ミャンマーにパイプラインが建設されていたのだが、これはアメリカの「ミャンマー民主化」が成功して難しくなった。現在、ミャンマーでは米英両国の影響下にあるアウンサンスーチーが最高実力者として君臨している。 ミャンマーの前政権はパイプラインのほか、銅山開発やミッソン・ダムの建設で中国と手を組んでいたが、2011年3月の「レジーム・チェンジ」し、こうした流れは止まった。ダム建設の中断ではNGOが大きな役割を果たしているが、そのスポンサーとして名前が挙がっているのは、アメリカのフォード財団、タイズ基金、イギリスのシグリド・ラウシング・トラスト、あるいはジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ基金など。CIAの別働隊とも言えるNED(ナショナル民主主義基金)からも資金が流れ込んでいる。 パイプラインが建設されていた山岳地帯ににはロヒンギャと呼ばれるイスラム教の少数民族が生活しているが、「ビルマのビン・ラディン」とも言われているウィラトゥに率いられた仏教徒に襲撃され、多くの人が犠牲になっている。 中東情勢も中国の政策に少なからぬ影響を及ぼしただろう。例えば、2011年の春にアメリカがイギリス、フランス、サウジアラビア、カタール、イスラエル、トルコなどの国々と手を組んで始めた侵略戦争。アル・カイダ系武装集団を使い、リビアやシリアを攻撃している。 リビアのムアンマル・アル・カダフィは金貨を基軸通貨とする経済圏をアフリカに作ろうとし、そのアフリカには中国が食い込んでいた。アフリカの自立を阻止し、中国を追い出すことがリビア侵略の重要な目的だったと見られている。 シリアは昔から欧米諸国に狙われている。例えば、本ブログでは何度も書いているように、1991年からネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラク、イランを殲滅すると口にしていた。翌年の2月にはウォルフォウィッツを中心とするチームが国防総省でDGPの草案を作成したが、これはアメリカを唯一の超大国と位置づけ、潜在的なライバルを潰すという覇権主義丸出しの計画だった。 イギリスやフランスは1916年5月に締結されたサイクス・ピコ協定を夢見、ペルシャ湾岸産油国はシリアを通過するパイプラインの建設を実現しようと目論み、トルコはオスマン帝国の復活を妄想、ネオコンはイラク、シリア、イランを潰すという計画を進めようとしていた。要するに同床異夢だが、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すということでは意見が一致していた。シリアの体制を倒そうとしている勢力の前にロシアが立ちはだかり、侵略は失敗に終わりそうだが、そのロシアに中国も協力している。 ネオコンをはじめとするアメリカの支配層はロシアや中国を攻めているようで、実際はロシアと中国を接近させ、強力なライバルを生み出すことになった。現在、欧米の支配層はロシアと中国を分断しようとしているというが、かなり難しいだろう。分断どころか両国の関係が強まっていることを石油輸入の動向が示している。
2017.01.25
ベルリンで昨年12月19日、トラックがクリスマス・マーケットへ突っ込んで12名が死亡、56名が負傷するという出来事があった。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が犯行声明を出している。 実行犯とされるアニス・アムリはチュニジアから2011年に「難民」としてシチリアへ渡り、その年に放火などの犯罪で逮捕され、4年間を刑務所で過ごすことになる。ドイツへ渡ったのは2015年のことだ。そこで今回の事件を起こし、23日にイタリアのミラノで警官に射殺されたという。 ここにきて話題になっているのは、事前にアムリが危険人物だと認識されていた可能性が高いということ。2015年11月に彼は相手が何者かを知らず、警察の情報屋に「ドイツで何かをしたい」と漏らし、AK-47を使った襲撃もできると口にしていたという。昨年9月にはモロッコの情報機関がドイツの情報機関BNDへアムリに関して警告、10月にも同じ相手へ警告していると伝えられている。モロッコの情報機関が警告する前、3月からアムリは当局の監視下にあったが、興味深いことに、警告があった9月に監視を中止したという。 こうした報道を見て、2015年にフランスで引き起こされた事件を思い出した人も少なくないだろう。つまり、1月7日にイスラム教徒を愚弄する「風刺画」を載せていた雑誌シャルリー・エブドの編集部が襲われ、11名がビルの中、また1名が外で殺されたという事件と11月13日にパリの施設が襲撃され、約130名が殺され、数百人が負傷したとされている事件だ。 シャルリー・エブドを襲撃したのはふたりで、AK-47、ショットガン、RPG(対戦車ロケット弾発射器)で武装し、マスクをしていたという。歩道上に倒れていた警官が頭部をAK-47で撃たれて殺されたことになっているが、映像を見る限り、その痕跡はない。つまり、骨や脳が飛び散ったり、血が吹き出たりしていないのだ。地面に当たって破片が致命傷を負わせたとしても大量の出血があるはず。事件の捜査を担当したエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したことも疑惑を深める一因になっている。 11月の襲撃では、その痕跡が見あたらない。映像をチェックしても「血の海」と言える光景はなく、遺体がどこにあるのかといぶかる人もいる。こうした事件の場合、「治療の甲斐なく死亡」という人がいるはずで、死者数は増えていきそうなもの。ところがそうしたことはなかった。犠牲者の氏名も明確でない。とにかく不自然なのだ。 フランスでは2012年3月にトゥールーズでユダヤ人学校が襲撃され、ユダヤ教のラビひとりと3名の子どもが殺される事件があった。この事件の容疑者、モハメド・メラを逮捕するために警察の特殊部隊は彼の立てこもるアパートへ突入、銃撃戦の末に射殺したという。このメラはパキスタンで「アル・カイダ」の訓練を受けたと話していたとされているが、その一方、DCRI(中央対内情報局)の情報提供者だという話も伝えられている。 2011年7月にはノルウェーでも多くの犠牲者を出す事件があった。オスロの政府庁舎が爆破されて8名が死亡、その1時間半後にウトヤ島のサマーキャンプが襲われて69名が射殺されたのである。犯人は「湯翌過激派」のアンネシュ・ブレイビクだとされているのだが、複数の目撃者が別の銃撃者がいたと証言している。 こうした事件以外にも不可解な出来事が続発、少なからぬ人が「NATOの秘密部隊」を思い出しているようだ。そうした「秘密部隊」が存在することを認める報告書をイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年10月に公表している。イタリアでは1960年代から80年代にかけて「極左」を装った爆弾攻撃が繰り返されていたのだ。イタリアの部隊は「グラディオ」と呼ばれている。 アメリカとイギリスは1944年、ドイツの敗北が決定的な状況になった後、ゲリラ戦のために「ジェドバラ」という部隊を編成した。コミュニストの影響力が強いレジスタンスに対抗することが目的だったと見られている。 そのジェドバラはドイツが降伏、第2次世界大戦が終わってから解体されたことになっているが、その人脈は「ジョージタウン・セット」として残り、活動は続けられた。組織として復活したものがOPC。1951年にCIAへ潜り込み、破壊活動(テロ)を担当する計画局の核になる。NATOの秘密部隊を編成する際にもOPCは重要な役割を果たした。(日本であまり語られないのは、それだけ重要な組織だということを意味しているのだろう。) NATOが創設される前、ヨーロッパで秘密部隊を管理していたのはCCWU(西側連合秘密委員会)。創設後はCPC(秘密計画委員会)の下で活動するようになる。その下部組織として1957年にはACC(連合軍秘密委員会)が創設された。ACCはSHAPE(欧州連合軍総司令部)と各国の情報機関を結ぶパイプ役で、またここを通じてアメリカの支配層は秘密部隊のネットワークを操るとも言われている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) この種の組織は一端できたなら、たとえ組織を解体したとしても人脈は生き残り、活動は続く。NATOの秘密部隊が消滅した可能性は限りなくゼロに近い。ドイツもNATO加盟国である以上、秘密部隊は存在する。
2017.01.24
TBSがシリアのバシャール・アル・アサド大統領にインタビューしたようだ。シリアでは今でも戦闘が続いているが、勿論、これを「内戦」と呼ぶことはできない。この戦乱に「大統領退陣を求める反体制派のデモ」など事実上、無関係である。本ブログでも再三にわたって指摘しているように、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)がイラク、イラン、そしてシリアを殲滅すると口にしたのは1991年、26年前のことだ。 サダム・フセイン体制を倒すため、アメリカがイラクを先制攻撃したのは2003年3月。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後の好戦的な雰囲気を利用、大量破壊兵器という偽情報を広めながらのイラク侵略だった。 2007年になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌にアメリカ、サウジアラビア、イスラエルが中東で秘密工作を始めていると書いている。シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラがターゲットで、その手先はサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団。アル・カイダ系武装集団の主力でもあるが、「アル・カイダ」が9/11を実行したとジョージ・W・ブッシュ政権は宣伝していた。 そして2011年春にリビアとシリアで戦乱が始まる。ハーシュが書いたように、その黒幕はアメリカ、サウジアラビア、イスラエルで、そこにフランス、イギリス、トルコ、カタールなどが加わった。 NATOとアル・カイダ系武装集団が連携していることはリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒される過程で明確になった。2011年10月にアメリカなどがリビアの「レジーム・チェンジ」に成功した後、アメリカが武器/兵器と戦闘員をシリアへ移動させたことも明らかになっている。カダフィ体制が倒された直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その実態を少なからぬ人が理解した。(YouTube、デイリー・メイル紙) この段階で9/11は「アル・カイダによるアメリカに対する攻撃」というストーリーは破綻しているのだが、勿論、西側の政府、有力メディア、リベラル派などはそうした事実を認めたがらない。 リビアでカダフィ体制が倒されると、戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入る。その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたとされている。ということは、スティーブンスの上司にあたるクリントン長官も承知していた可能性が高い。2012年11月にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリー・クリントンと緊密な関係にある人物で、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。 アル・カイダ系武装集団から派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はアメリカが監督する中で編成されたことをアサド大統領はTBSのインタビューで指摘し、デリゾールを攻撃しているダーイッシュをアメリカが止めようとしていないと語った。 デリゾールでは昨年9月17日、攻勢の準備を進めていたシリア政府軍をアメリカ軍が主導する連合軍は2機のF-16戦闘機と2機のA-10対地攻撃機で攻撃、90名とも100名以上とも言われるの政府軍の兵士を殺し、28日には2つの橋を、30日にも別の橋2つをそれぞれ爆撃して破壊、政府軍の進撃を止めようとした。17日のケースでは、空爆の7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始していることから、アメリカ軍はダーイッシュと連携していたと見られている。 TBS側は西側の政府や有力メディアが繰り返してきた根拠のない話をシリア大統領にぶつけていただけで、中身のあるインタビューだったようには思えない。アサド大統領からは日本が侵略勢力側だと指摘され、主権国家であるシリアの内政に介入する権利はないと釘を刺されている。なお、シリアで消息を絶った安田純平については、拘束したアル・ヌスラ(アル・カイダ系武装集団)はトルコ政府の指揮下にあり、トルコに尋ねるべきだと答えている。
2017.01.23
ドナルド・トランプ米大統領はTPP(環太平洋連携協定)から撤退すると表明した。以前から主張していたことなので驚きではない。「自由貿易」を旗印に推進されてきたTPPはTTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)とセットになった協定で、多くの人が指摘しているようにアメリカを拠点とする巨大資本が世界を支配するための仕組みにすぎない。つまりフランクリン・ルーズベルト第32代米大統領が定義したファシズムに基づく体制を作り上げるための協定である。 TPPを推進使用としてきた西側の有力メディアは選挙期間中からトランプがロシアとの関係改善を目指していることに憎悪を剝き出しにしていた。ウラジミル・プーチンの下でロシアは曲がりなりにも再独立に成功したが、その前のボリス・エリツィン時代は西側巨大資本の植民地と化していた。その巨大資本の手先としてロシア国民の富を略奪、自らも巨万の富を手にした人びとが「オリガルヒ」だ。全世界をエリツィン時代のロシアと同じようにすることがTPP、TTIP、TiSAの目的だ。 昨年の大統領選挙でトランプやバーニー・サンダースを支持した人々の相当部分はそうした支配層の目論見を理解していた、あるいは感じていたのだろう。民主党内の怪しげなルールもあってサンダースは途中で離脱、残されたトランプが勝利した。敗北したのは巨大資本の代理人、ヒラリー・クリントンだ。 ヒラリーは巨大軍需企業ロッキード・マーチンと緊密な関係にあり、上院議員の時代にはその代理人と言われていた。夫のビル・クリントンが大統領だった1990年代、その政権にはヒラリーと親しい関係にある好戦派が引き入れられていた。ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子だったマデリーン・オルブライト(1993年から97年まで国連大使、97年から国務長官)やネオコンのビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)だ。 現在、ヒラリーの側近中の側近と言われるフーマ・アベディンがヒラリーと結びついたのもこの時期。1996年にジョージ・ワシントン大学の学生だったアベディンはインターンとしてホワイトハウスに入っている。サウジアラビアでヒューマは育ったが、彼女の母親であるサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導する立場にあり、父親のシードとアル・カイダとの関係を指摘する人もいる。また夫のアンソニー・ウィーナー元下院議員はネオコンだ。 こうしたヒラリーが次期大統領に内定したのは遅くとも2015年6月だと見られている。その月の11日から14日にかけてオーストリアでビルダーバーグ・グループの会合が開かれているのだが、そこにヒラリー・クリントンの旧友、ジム・メッシナが招待されていたのだ。 ビルダーバーグ・グループは欧米支配層の利害調整機関と位置づけられ、ACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)の下部機関と見なされている。ACUEの目的はヨーロッパの統合で、資金源はロックフェラー財団やフォード財団だった。こうした中から非民主的な組織であるEUも生まれた。 ヒラリーを次期大統領にするという流れに変化が見られたのは昨年2月10日のことだった。ヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談し、22日にはシリアで停戦の合意が成立したのだ。停戦はアメリカが配下の武装集団の体勢を立て直すときに使われる常套手段だが、キッシンジャーがモスクワへ行ったことは無視できない。 デイビッド・ロックフェラーと親しいズビグネフ・ブレジンスキーもアメリカが地球規模の帝国ではなくなったと認めているのが現状だ。1992年2月に国防総省で作成されたDPG草稿(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)の前提は91年12月のソ連消滅でアメリカが「唯一の超大国」になったということだが、21世紀に入ってプーチンがロシアを再独立させて状況は変化、ロシアや中国との核戦争も辞さないというネオコンの姿勢は正気でないと考える人が支配層の内部でも増えたのだろう。 昨年11月13日に放送された番組の中でロシア外務省の広報担当者、マリア・ザハロバはアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した理由をユダヤ人の資金だと語っている。9月にニューヨークで会ったユダヤ系の人物から、自分たちはヒラリー・クリントンに寄付しているが、その倍をトランプに提供していることを明らかにしたとしているのだ。ヒラリー離れはユダヤ系富豪の中にも広がっていたと言えるだろう。 こうした流れを考えれば、トランプの背後にキッシンジャーの影が見えるのは当然のことである。ネオコンの妄想ではなく、現実に基づいて戦略を立て直そうというアメリカ支配層の意思がトランプ政権の誕生を実現したとも言えるだろう。勿論、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」などとトランプたちは考えていないだろう。それでもヒラリーを大統領に就任させなかった意味は小さくない。
2017.01.22
トルコ軍の戦闘機8機がロシア軍の戦闘機9機と共同してダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊を1月18日に空爆したと伝えられている。NATO加盟国の軍隊がロシア軍と手を組んだわけで、存在意義が問われているNATOにとって衝撃的な出来事だと言えそうだ。 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は2016年6月下旬にイスラエルとの和解を発表、ロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機の撃墜を謝罪した。ネオコンが1992年2月に国防総省のDPG草案として作成した世界制覇計画、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンに両国政府は見切りをつけたと言えそうだ。 1991年12月にソ連は消滅したが、それによってアメリカは唯一の超大国になったと認識、その超大国に君臨している自分たちは世界の覇者になろうとしていると考えた。そこで、2度とソ連のようなライバルが出現しないように、彼らは旧ソ連圏のほか西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ごうとする。そのためにも、力の基盤になるエネルギー源が地下に存在する西南アジアを支配しようと考えた。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、DPGが作成される前の年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていている。イラクはアメリカ軍が主導する連合軍の先制攻撃で、シリアはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを使った侵略でアメリカ政府は破壊と殺戮を実行してきた。 石油を支配すれば国家を支配でき、食糧を支配すれば人びとを支配でき、カネを支配すれば全世界を支配できるとヘンリー・キッシンジャーは1970年代に語ったと言われている。カネは基軸通貨として扱われているドルを巨大金融機関が支配、食糧は遺伝子操作作物を蔓延させることで支配を狙っている。 こうした支配の及んでいない数少ない国のひとつがロシアだ。石油/天然ガスの輸出国であり、食糧も自給でき、ドル決済からの離脱を進めている。そのロシアを支配するためなら核戦争も厭わないとう姿勢を見せていたのがジョージ・W・ブッシュやバラク・オバマといった大統領であり、ヒラリー・クリントンがその後継者になるはずだった。 ヨーロッパは勿論、中東や北アフリカを軍事的に制圧する道具としてNATOは機能してきた。そうした軍事行動を進める上でトルコの果たした役割は大きかったのだが、NATOを動かしてきたネオコンの戦略がトルコを経済的に破綻させ、ロシアへ接近させることになったのが現在の状況だ。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権にも同じことが言える。 ネオコンの戦略で苦境に陥ったもうひとつの国がサウジアラビア。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの雇い主だが、石油価格の下落で財政赤字が深刻化している。アメリカの対ダーイッシュ攻撃に参加する姿勢を見せている背景にはそうした状況がある。アメリカの対ダーイッシュ攻撃は見せかけにすぎないということもあるが、そうした姿勢を見せねばならなくなっていることは確かだ。ドナルド・トランプ政権の国務長官、エクソンモービルの会長兼CEOだったレックス・ティラーソンはサウジアラビアにとって頼みの綱だろう。
2017.01.22
デリゾールでシリア政府軍が優勢になっているようだ。アメリカ大統領選の終盤、昨年9月17日にアメリカ主導の連合軍はデリゾールのシリア政府軍をF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機で攻撃、アメリカが手先に使っているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は大統領就任式の直前に同じ場所へ大規模な攻撃を実行していた。 9月の場合、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部をロシア軍の艦船が3発の超音速巡航ミサイルで攻撃、アメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関員を含む約30名を殺害したと伝えられているが、今回はマッハ6.2で飛行し、命中精度は5〜7メートルという地対地ミサイルのイスカンダルも使われたと言われている。こうした最新鋭ミサイルと航空兵力の投入で反シリア政府軍は大きなダメージを受けているようで、ダーイッシュのデリゾール制圧という展開にはなりそうもない。
2017.01.21
ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任した。その最中、街中では反トランプの抗議活動が展開され、暴力的な光景も見られた。投機家のジョージ・ソロスやその影響下にあるヒラリー・クリントンたちは「パープル革命」を仕掛けると見られていたので、驚きではない。昨年11月に実施された大統領を選ぶ投票でトランプの勝利が決まった直後、ヒラリーは夫のビルと紫をあしらった衣装で集会に登場している。 いわゆる「カラー革命」をアメリカ支配層は体制を自分たちにとって都合良く作り替える(レジーム・チェンジ)ために使ってきた。そのスポンサーと言われているのがソロスにほかならない。 2004年から05年にかけてのオレンジ革命でウクライナの政権乗取りに成功した西側支配層は、2013年11月から14年2月にかけてもクーデターを実行している。この時はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が前面に出て来た。 勿論、このクーデターは憲法の規定を無視したもので、新政権に合法性はない。国民の支持を受けていたならまだしも、排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の支持基盤である東部や南部では反発が強まり、ウクライナから離脱する意思を示した。ところが、西側では政府や有力メディアだけでなく、リベラル派や革新勢力を名乗っている人びとも民意を否定した違憲の政権を支持している。 このクーデターはウクライナで事前に警告されていた。2013年11月、オレグ・ツァロフ議員が議会で同国を内戦状態にするプロジェクトについて演説しているのだ。それによると、プロジェクトの中心はジェオフリー・パイアット米大使で、計画は11月14日と15日に話し合われ、NGOがその手先として動くことになっていたという。議員が演説した翌日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議活動は始まる。クーデターの際、デモを演出するのはアメリカ支配層の常套手段である。 イランでナショナリストのムハマド・モサデク政権を倒した1953年のクーデターの場合、アメリカとイギリスのクーデター計画を知った国民が抗議デモを始めるとアメリカ大使だったロイ・ヘンダーソンが抗議して止めさせ(William Blum, "The CIA," Zed Books, 1986)、その一方でツデー党員(コミュニスト)を装ったデモを開始、モサデクの勝利はコミュニストの勝利を意味すると宣伝し始める。その2日後にはCIAが手配した反モサデクのデモが始まり、その日の午後にモサデクの自宅が国王派の将校が指揮する戦車部隊に包囲され、モサデクは内戦を避けたことからクーデターは成功裏に終わった。 1973年9月11日にオーグスト・ピノチェトが率いる部隊のクーデターで合法政権が倒されたチリの場合、その前年9月にアメリカ政府は労働組合にストライキを実行させて経済混乱や社会不安の深刻化を図った。労働組合は革新勢力だと思われがちだが、CIAは組合に浸食、組合幹部の中にはCIAのネットワークが作られていることが少なくない。このクーデターから2年後、CIAはオーストラリアの労働党政権を崩壊させたが、この時も労働組合を使って政権を揺さぶっている。1990年代からCIAはNGOを盛んに使うようになるが、NGOがCIAとつながる組織だということではなく、CIAがNGOを利用するようになったということだ。 アメリカ支配層は労働組合やNGOだけでなく、メディアを自分たちの道具として使ってきた。CIAと有力メディアとの関係がいかに強いかは本ブログで何度も書いてきた通りである。そうした傾向は巨大資本によるメディア支配が強まった1980年代からひどくなっている。 有力メディアが支配層に取って都合の良い幻影を見せているだけだということは多くの人が気づいているだろうが、気づかぬふりをしている人は少なくない。映画『マトリックス」的に言うなら、痛みを伴う真実を知ることのできる「赤いピル」ではなく、支配層が提供する幻影の中に浸ることができる「青いピル」を選ぶ人が多いということだが、ここにきて世界的に「赤いピル」を選ぶ人が増えてきたことも確かだ。そうした傾向が日本では弱いが、それでもそうした方向へ動いていくだろう。
2017.01.21
ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の大規模な攻撃を受けていたデリゾールでロシア軍やシリア軍の航空兵力から支援を受けた政府軍の地上部隊が反撃に出ているようだ。 アメリカ主導の連合軍はパルミラやイラクのモスルからダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力の戦闘員がデリゾールやパルミラへ移動するのを黙認しているようだが、それだけでなく、偵察衛星からの情報が反政府軍へ渡されている可能性が高いとシリア政府側は分析している。そのため、政府軍の位置を正確に把握した上で攻撃しているという。 昨年9月17日、デリゾールで攻勢の準備を進めていたシリア政府軍をアメリカ主導の連合軍がF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機で攻撃、80名以上の政府軍兵士を殺し、28日には2つの橋を、30日にも別の橋2つをそれぞれ爆撃して破壊している。17日のケースでは、空爆の7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始していることから、両者は連携していると見られている。その作戦が今回の攻撃を実現させたと言えるだろう。 ロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)によると、その後、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部をシリア沖にいるロシア軍の艦船から発射された3発の超音速巡航ミサイルが9月20日に攻撃、約30名が殺したというが、その中にはアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間が含まれていたという。この司令部がデリゾールででの空爆を指揮したとも言われている。 イランのメディアFARSによると、バラク・オバマ政権は特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だとされている。言うまでもなく、こうした派兵はシリア政府軍が承諾したものでなく、侵略行為にほかならない。 アメリカが侵略軍にすぎないことをジョン・ケリー国務長官が認めたことは本ブログでもすでに書いた。シリア政府軍を攻撃している武装勢力をアメリカが訓練、その武装勢力がダーイッシュだということも長官は認めている。ダーイッシュを利用してアサド政権を脅し、アメリカとの交渉に応じさせようとしたことも隠していない。 元々、アル・カイダは1980年代にアメリカ政府が作り上げた傭兵の登録リスト。その傭兵を中心に編成されるのがアル・カイダ系武装集団であり、そこからダーイッシュも派生した。その最大の資金源はサウジアラビアだ。 2009年12月30日にアメリカの国務省が出した通信文でも、サウジアラビアの資金提供者が全世界に展開する「スンニ派テロリスト」への最も重要な資金源を構成していると指摘している。その当時に国務長官だったヒラリー・クリントンもこの事実を彼女も知っていたはずだ。 トランプ政権で安全保障担当補佐官に就任する予定のマイケル・フリン中将がDIA局長だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。 つまり、アメリカの政府やメディアが言うところの「穏健派」などは存在しないということ。「穏健派」の支援とはサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力を支援することを意味し、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげるとDIAは予測していた。 実際、ダーイッシュという形で現実になっている。退役後、この問題をアル・ジャジーラの番組で問われたフリン中将は、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。フリンは事実を語っただけだが、その事実を受け入れようとしない人が西側には少なくない。 何しろその事実を受け入れた瞬間、アメリカはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュと敵対関係にあるというストーリーは崩れ、2001年9月11日の攻撃に関する公式見解も崩壊してしまい、自分たちが体制内に留まりながらリベラルや革新勢力を装うことはできなくなる。こうした人びとはネオコンの影響力が弱まることを内心では恐怖しているだろう。
2017.01.20
シリアでは約1万4000名のダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)部隊がシリアのデリゾールに対する大規模な攻撃を展開しているようだ。パルミラやイラクのモスルから多くの戦闘員が攻撃に参加しているとも伝えられている。以前にも書いたが、アメリカやサウジアラビアは、戦闘員がモスルからシリアのデリゾールやパルミラへ安全に移動できるようにすることで合意していたとされている。 シリア政府軍に投降した戦闘員の話として伝えられているところによると、ヨルダンのキャンプではアメリカ、イギリス、フランスの将校が反政府軍の戦闘員を訓練しているという。以前からヨルダンではそうした訓練が実施されていると言われていたが、それが続いているということのようだ。アメリカ主導の連合軍によるアル・カイダ系武装集団やダーイッシュへの攻撃は見せかけだという状況に変化はないと言える。訓練を受けた戦闘員もバシャール・アル・アサド体制を倒すため、投入されていくのだろう。こうした工作を続けているアメリカの好戦派はドナルド・トランプ政権の誕生を好ましく思っていないとも言える。 アル・カイダ系武装集団やダーイッシュをアメリカやその同盟国が支援してきた。こうしたことはアメリカの副大統領が軍人も認めている。例えば、2014年9月に空軍のトーマス・マッキナニー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで発言、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語り、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べている。 そうした発言より前、2012年8月にアメリカ軍の情報機関であるDIA(国防情報局)が作成した文書によると、サラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)がシリアにおける反乱の主力であり、西側、湾岸諸国、そしてトルコが支援していると指摘、シリア東部にサラフ主義者の国ができる可能性があると警告していた。ダーイッシュの出現を予測していたわけだ。 その報告書が作成された当時にDIA局長を務めていたマイケル・フリンは2015年8月、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力拡大を防げなかった責任を問われ、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、情報に基づく政策の決定はバラク・オバマ大統領が行うと発言した。オバマ政権の決定がダーイッシュを生み出して支配圏を拡大させたということだ。 また、2016年8月16日にアメリカ軍の広報担当者、クリストファー・ガーバー大佐は自分たちが戦っている相手はダーイッシュだけであり、アル・ヌスラではないと明言している。2001年9月11日以降、「テロの象徴」として扱われ、侵略の口実に使われてきたアル・カイダ系武装集団は「穏健派」だというわけだ。 オバマ大統領がシリアに対する軍事侵略を続ける中、ロシア政府と交渉を続けていたのがジョン・ケリー国務長官。そのケリーは昨年9月22日に反シリア政府派のメンバーと会談、その音声が明らかになった。会談の8日後にニューヨーク・タイムズ紙が伝えた内容はオバマ政権にとって都合の良い内容に編集されていたが、今年早々にはケリーの全発言が外に漏れ、アメリカ政府がダーイッシュを支援していることを認めていることも音声で確認できるようになった。 ケリーはロシアがシリア政府の要請で軍事介入したのに対し、アメリカは勝手にシリア国内で戦闘行為を始めたことを認めている。シリア政府軍を攻撃している武装勢力をアメリカが訓練、その武装勢力がダーイッシュだということも認めている。ダーイッシュを利用してアサド政権を脅し、アメリカとの交渉に応じさせようとしたことも隠していない。 「われわれは多額の資金を費やし、そうした支援をしようと大変な努力をした。そこには反対派がいる。反対派は大変よくやっていたが、ロシアが介入した。それが問題だ。」つまり、「ロシア人が方程式を変えてしまった」というわけだ。 自身の国のために戦うシリア人を助けることが目的だったとケリーは語るが、そうしたシリア人がほとんど存在しないことはDIAも2012年の段階で認識、オバマ政権へ報告している。 アメリカが中東/北アフリカを軍事侵略、破壊と殺戮の限りを尽くす切っ掛けを作ったのは2001年9月11の攻撃。ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)がターゲットで、ジョージ・W・ブッシュ政権は即座に「アル・カイダ」が実行したと宣伝しはじめた。 それ以降、「アル・カイダ」はテロリストの象徴となり、軍事侵略を正当化する口実として使われるが、その「アル・カイダ」系武装集団やそこから派生したダーイッシュをアメリカ政府が支援していることをケリーも認めたわけだ。9/11に関する公式ストーリーが崩れ始めた。
2017.01.19
政治闘争がアメリカ支配層の内部で続き、ワシントンでドナルド・トランプの大統領就任を阻止するための「マイダン」、つまりウクライナで実行されたようなクーデターがあるかもしれないとウラジミル・プーチン露大統領は語ったという。 2013年11月、ウクライナではオレグ・ツァロフ議員が議会で同国を内戦状態にするプロジェクトについて演説している。プロジェクトの中心はジェオフリー・パイアット米大使で、計画は11月14日と15日に話し合われ、NGOがその手先として動くことになっていたという。ソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、組織的な政権打倒運動を展開しようと目論んでいると同議員は主張していた。ツァロフ議員が議会で演説した翌日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議活動は始まる。 当初、抗議活動は「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。この混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、そうした方針に怒ったのがパイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。ヌランドはEUの遣り方が手ぬるいと不満で、「EUなんかくそくらえ」と口にしたわけだ。そして、パイアット大使やヌランド次官補を中心にするグループ、抗議活動を暴力的な方向へ誘導していく。 パイアットとヌランドが電話で次期政権の人事について話し合っている音声が2014年2月4日、インターネット上にアップロードされている。その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。 その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心にいた集団はNATOから訓練を受けたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)。2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたとも言われている。 当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。同年9月にはヤツェニュクたちと新たな政党「人民戦線」を組織して議員になっている。 広場では無差別の狙撃があり、少なからぬ犠牲者が出ているが、スナイパーはパルビーの管理下にあったビルにいた。西側の政府やメディアは狙撃をヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。 その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいると報告する。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。 ネオ・ナチが暴力をエスカレートする中、EUとビクトル・ヤヌコビッチ大統領は話し合いでの解決を模索、2月21日に平和協定の調印にこぎ着けたが、ネオ・ナチを主力とする勢力は22日に大統領の排除に成功する。 大統領が最後まで戦わなかったことを非難する人もいるが、アメリカ側はイラクのサダム・フセイン、あるいはリビアのムアンマル・アル・カダフィと同じような目に遭わせるつもりだったのではないかと推測する人もいる。ともかく、そうした展開にはならなかった。 西側支配層の手でヤヌコビッチが大統領の座から引きずり下ろされたのは、これで2度目である。最初は2004年から05年にかけてのオレンジ革命だ。その前年、2003年にはジョージア(グルジア)で同じような政権転覆プロジェクトが実行され、バラ革命と呼ばれている。 こうしたプロジェクトは「カラー革命」と呼ばれ、その背後では投機家のジョージ・ソロスが蠢いていた。そのソロスが推していた大統領候補がヒラリー・クリントン。国防長官時代にヒラリーがソロスの指示で動いていたことは本ブログでも紹介した。そして、新たなカラー革命がアメリカで仕掛けられている。パープル革命だ。 昨年11月、大統領選挙でトランプの勝利が決まった直後、民主党の候補者だったヒラリー・クリントンは夫のビルと紫をあしらった衣装で集会に登場、民主党の青と共和党の赤を混ぜた色だと説明した。ソロスが目論むパープル革命を宣伝することが目的だったのだろう。
2017.01.18
ドナルド・トランプは大統領選でロシアとの関係修復やTPPの拒絶を訴えていた。ネオコン/シオニスト、戦争ビジネス、金融資本などに担がれ、ムスリム同胞団と緊密な関係にある人物を側近中の側近として抱え、有力メディアから圧倒的な支援を受けていたヒラリー・クリントンとは正反対の主張だった。 クリントンの世界戦略は1992年2月に国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツが中心になり、国防総省で作成されたDPGの草案(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)に基づいている。アメリカの支配層は1991年12月にソ連を消滅させ、ロシアを属国化することに成功した。中国にはウォール街やシティのネットワークが張り巡らされ、ライバルは消滅したかのように見えたことから、彼らはアメリカを「唯一の超大国」だと位置づけ、そのアメリカに君臨している自分たちが世界の覇者になることは確定的だと考えたのだろう。アメリカという国ではなく、私的な権力が世界を支配するファシズム体制だ。 残るは雑魚。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するだけだとネオコンは考え、ウォルフォウィッツ・ドクトリンは作成されたわけだ。 つまり、ネオコンの戦略はロシアや中国がEUや日本と同じようにアメリカの属国だという前提で成り立っている。自立した国が残されていたとしても、脅せば屈するような弱小国ばかりのはずだった。 その前提を崩したのがロシアのウラジミル・プーチンを中心とするグループだ。ロシアを再独立させることに成功、米英の巨大資本と結びつき、法律を無視して国の富を略奪していた腐敗勢力、いわゆるオリガルヒはそうした犯罪行為を理由にして逮捕されていく。逮捕を免れるため、ロンドンやイスラエルに逃れたオリガルヒも少なくない。 前提が崩れたウォルフォウィッツ・ドクトリンは機能しない。シリアでは手先に使ってきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記する)はロシア軍の空爆で大きなダメージを受け、崩壊寸前だ。今でもアメリカやサウジアラビアなどから武器/兵器など物資の支援はあるようだが、トルコ政府がネオコンの戦略から離脱したこともあり、兵站線も細っている。 ネオコンの戦略が機能しなくなった原因はプーチン露大統領にあるとも言える。西側の政府や有力メディアが彼を悪魔化して描き、激しく攻撃している理由はそこにある。プーチンを排除し、ロシアを再属国化しなければ世界制覇の野望は実現しない。 生産手段を放棄したアメリカは基軸通貨を発行する権利だけで生きながらえている国になっている。カネを発行し、回収、あるいは吸収するという作業を続けているのだが、この流れが止まれば終わりだ。国が潰れるだけでなく、その背後にいる巨大資本が崩壊してしまう。いかなる手段を使ってもロシアや中国を「レジーム・チェンジ」し、属国にしなければならないのだ。だからこそ、ヒラリーはロシアや中国と核戦争も厭わない姿勢を見せていた。 アメリカの歴史に登場する大統領の大多数は、こうした支配層のために尽くしてきた。0.01%にすぎない富豪の権力を強化するため、カネと情報がそこへ集中する仕組みを作ってきたのだ。そのためにアメリカの巨大金融資本は連邦準備制度を作って通貨の発行権を政府から盗み、「安全保障」を口実にして大多数の国民から情報を知る権利を奪った。 ごく一部ではあるが、こうした仕組みを変えようとした大統領もいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディだ。ルーズベルト大統領の時代に作られたルールを変えるために支配層は数十年を要している。タカ派的な言動で大統領に当選したケネディはソ連に対する先制核攻撃のプランを潰し、巨大産業の横暴と戦い、パレスチナ人を弾圧するイスラエルを批判、1963年6月にはアメリカン大学の学位授与式でソ連との平和共存を訴えた。いわゆる「平和の戦略」演説だ。 ルーズベルトの当選を決めた投票が行われたのは1932年11月8日。その3カ月後、大統領就任式が17日後に迫った1933年2月15日にフロリダ州マイアミの集会で銃撃事件に巻き込まれている。 銃撃した人物はレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラ。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡している。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。組織的な背景があるのかどうかも調べる必要があるはずだが、銃撃犯から何も聞き出せず、徹底した調査が行われないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。 1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちがルーズベルトの排除を狙ったクーデターを計画していたと言われている。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかにされている。バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で語った。 ケネディーの場合、アメリカン大学の演説から5カ月後の11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。公式見解はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行。オズワルドはソ連へ「亡命」していた人物だが、アメリカへ戻っていた。 すんなりアメリカへ戻れたのも奇妙な話なのだが、そのオズワルドをFBIは1963年10月9日に監視リストから外している。11月2日にケネディ大統領はシカゴを訪問する予定だったが、これはキャンセルされた。シカゴで大統領を暗殺する計画があるとする警告を警備当局が受け取ったからだ。 警告してきたのはふたり。ひとつはFBIの情報源だった「リー」。もうひとりはシカゴ警察のバークレー・モイランド警部補だった。FBIが入手した情報は、パレードの途中で4名のスナイパーが高性能ライフルで大統領を狙うという内容で、シークレット・サービスにも伝えられている。シークレット・サービスのシカゴ支部は容疑者を監視、11月1日に2名を逮捕したが、残りの2名には逃げられたという。 ケネディ大統領に関して不穏当な話をする常連客がいることをカフェテリアの経営者から聞いたモイランド警部補はその人物がトーマス・ベイリーだと確認、シークレット・サービスに連絡している。ベイリーは元海兵隊員で、人種差別主義者の団体として知られているジョン・バーチ協会に所属していた。この人物はシカゴで「オズワルド」的な役割を演じさせられる予定だったのではないかと推測する人もいる。 こうした出来事があったとなれば、ダラスにおける警備は通常より強化されていなければおかしい。が、そうしたことはなかったようだ。ちなみに、当時のダラス市長アール・キャベルの兄はケネディにCIA副長官の職を解かれたチャールズ・キャベル。CIA長官だったアレン・ダレスもケネディから解任されている。 はたしてトランプはフランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディのように、命をかけて支配層と対決する度胸はあるだろうか?
2017.01.17
ロシアではS-400防空システムをモスクワ周辺に配備するという。この地域ではすでに8大隊(1大隊には少なくとも8ランチャー/32ミサイル)が任務についているようので、増強ということになるだあろう。S-400には4種類、つまり射程距離が400キロメートルの40N6、250キロメートルの48N6、120キロメートルの9M96E2、そして40キロメートルの9M96Eがあるのだが、どのような組み合わせになるかは不明。 このS-400に関する情報は3000名以上のアメリカ軍部隊がヨーロッパへ送り込まれた直後に流れた。1月6日にアメリカ軍はエイブラムズM1A1戦車87輌などの戦闘車両を1月6日にドイツへ陸揚げし、戦闘ヘリのブラック・ホーク50機、CH-47チヌークを10機、アパッチ・ヘリコプターを24機を将兵と一緒にドイツ、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニアへ送り込んでいる。 ロシアに対する一種の威嚇だろうが、この部隊を増強しただけでロシア軍に立ち向かえるわけはない。ロシア政府が防衛体制を強化している理由は、ドナルド・トランプ次期政権が好戦派に引きずられ始めていると判断しているからかもしれない。 内部対立の一例は国防総省の人事。次期長官に内定しているジェームズ・マティス退役海兵隊大将は周囲を自分に忠誠を誓う人物で固めようと考え、移行チームが提示する人事案をことごとく拒否していると言われている。 ロシア政府の動きを見ると、次期政権に対する好戦派、つまりヒラリー・クリントンを担いでいた勢力の影響力が強まっているように見える。中国とロシアを放置しておくとドルは基軸通貨の地位から陥落、シティやウォール街の住人たちは支配力だけでなく、全てを失いかねない。そうした事態を避けるため、中国やロシアを制圧しなければならないのだろう。ちなみに、アメリカのCIAやイギリスのMI6は巨大金融資本が作った政府機関である。
2017.01.16
ドイツのジャーナリスト、ウド・ウルフコテが1月13日に心臓発作で死亡した。享年56歳。この人物はフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者で、ドイツを含むメディアの記者や編集者がCIAに買収されている実態を告発したことでも知られている。ウルフコテによると、彼がジャーナリストとして過ごした25年の間に学んだことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことだ。ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっていると危惧した彼は2014年2月、この問題に関する本を出している。西側の偽報道は根が深い。 西側の有力メディアとCIAとの関係は1970年代から指摘されている。例えば、ウォーターゲート事件を追及してリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込む記事を書いたことで知られているカール・バーンスタインは1977年、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、そうした関係を明らかにしている。 その記事によると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いているだけではなく、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 400名以上のジャーナリストをCIAが雇っていることは、1975年に設置された上院の情報活動に関する政府工作を調査する特別委員会(フランク・チャーチ委員長)や下院の情報特別委員会(ルシアン・ネッツィ委員長/後にオーティス・パイクへ変更)による調査で判明していた。ワシントン・ポスト紙のウォルター・ピンカスは1967年に自分自身でCIAとの関係を明らかにしている。 記事を書く直前、バーンスタインはワシントン・ポスト紙を辞めている。同紙ではこうした問題を採りあげることができなかったということだが、それは当然。第2次世界大戦後、アメリカの支配層は情報操作プロジェクト、いわゆる「モッキンバード」を始めているのだが、その中心にいたひとりがワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムなのだ。 そのほかの3名はウォール街の大物弁護士で秘密工作の黒幕とも言うべきアレン・ダレス、彼の側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ。ウィズナーは同じ時期に破壊活動を目的とした秘密機関OPCを指揮、ヘルムズは1966年から73年までCIA長官を務めている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ウォーターゲート事件でニクソンを追及していた当時、ワシントン・ポスト紙の社主はフィリップ・グラハムの妻だったキャサリン。世界銀行の初代総裁だったユージン・メイアーの娘でもある。また彼女の親友、ポリーはウィズナーの妻だった。 日本ではワシントン・ポスト紙と並ぶ「言論の象徴」的な新聞と見なされているニューヨーク・タイムズ紙の場合も実態は同じ。例えば、1953年にアメリカ政府がイギリス政府と組んでイランの民族主義政権を倒そうとしていた際、ニューヨーク・タイムズ紙のケネット・ラブ記者は報告書をCIAのアレン・ダレスに提出していた。(Jonathan Kwitny, “Endless Enemies”, Congdon & Weed, 1984) モッキンバードにはCBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなども協力している。 ちなみに、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影したいわゆる「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのはこのC・D・ジャクソンだ。この人物はドワイト・アイゼンハワー政権で大統領特別補佐官を務めているが、第2次世界大戦では心理戦に加わっていた。つまり、メディアの人間がCIAに協力したのではなく、情報機関の人間がメディアを操っていたのだ。 その後、ロナルド・レーガンが大統領になるとプロパガンダを目的とする計画が始動する。アメリカ国内における「プロジェクト・トゥルース」と国際的な「プロジェクト・デモクラシー」だ。後にふたつは合体、1983年にレーガン大統領がNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名してからプロジェクトは新しい段階に入った。プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)がNSC(国家安全保障局)に設置され、偽情報を流して相手を混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けようとする。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004) 勿論、プロジェクト・デモクラシーは本来の民主主義と無関係。民主主義を口実としてアメリカ支配層が気に入らない国の体制を破壊、自分たちに都合良く作り替えようというのである。軍事侵略やクーデターを正当化する口実を人びとに信じ込ませることが重要な目的のひとつだと言えるが、逆に事実を伝える記者は邪魔になる。 例えば、1982年1月にエルサルバドル軍による虐殺事件を記事にしたニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナー記者。その事件は前年12月に同国の北部で引き起こされ、女性や子供を含む村民約800名が殺害されている。当時、この地域で生活していたのは約1000名がいたとされているので、約8割が殺されたことになる。殺戮は大人の男性から始まり、若い女性は殺害の前にレイプされ、子供はナタやライフルで頭蓋骨を割られたという。 こうした記事やアメリカ大使館からの報告書をワシントンは無視、国務次官補のトーマス・エンダースとエイリオット・エイブラムスは虐殺に関する記事を誤報だと非難、「民間」のメディア監視団体AIM、あるいはウォール・ストリート・ジャーナルの論説欄がボンナーたちを激しく攻撃、ニューヨーク・タイムズの幹部編集者エイブ・ローゼンタールはボンナーを1983年にアメリカへ呼び戻している。(前掲書) 日本のマスコミが単なる権力者の走狗に過ぎないことは言うまでもないが、こうしたアメリカの有力メディアで支局長を務めていた人物が日本のマスコミを批判する本を書くのもお笑い種。その前に自分が所属している新聞社の実態を問題にする必要があるだろう。それともアメリカの有力メディアが行っている偽報道はかまわないと考えているのだろうか?
2017.01.16
アメリカの大統領就任式は1月20日に予定されている。式の警備はワシントンDCの州兵が担当、その司令官はエロル・シュワルツ少将が務めることになっていたのだが、就任式の途中、シュワルツは司令官の任を解かれるという。異例のことだ。 昨年の大統領選挙でヒラリー・クリントンを担ぎ、ジョン・マケイン上院議員のような血まみれの人びとが属している勢力は就任式で大規模な抗議活動を計画しているとも言われている。「パープル革命」でドナルド・トランプを葬り去ろうということだが、そうした事態が予想されているにもかかわらず、就任式の最中に司令官が辞めるというのは尋常でない。 1991年12月にソ連が消滅して以来、アメリカの支配層は世界制覇を実現するため、少なからぬ国の体制を「カラー革命」で倒してきた。例えば、2003年にジョージア(グルジア)で行われた「バラ革命」や2004年から05年にかけてウクライナで行われた「オレンジ革命」。 イギリスのガーディアン紙によると、ユーゴスラビアの体制崩壊とグルジアでの「バラ革命」で黒幕的な役割を果たしたのはリチャード・マイルズなる人物。ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した際にマイルズはベルグラードのアメリカ大使館で総責任者を務め、ジョージア駐在大使に就任したのは2003年だ。着任すると、西側支配層が手先として使っていたミヘイル・サーカシビリの陣営をコーチしている。 選挙でサーカシビリは大統領に選ばれるが、彼はロビイストとしてネオコン/シオニストのランドール・シューネマンを雇っていた。この人物は後にジョン・マケインの顧問になり、NATOの拡大、つまりロシアに対する軍事的な圧力を強めることにも積極的だ。 ウクライナはナチズムへの親近感を持つ人の多い西部とロシアに親近感を持つ東部や南部に分かれる。政治的な思惑から人工的に作られた国のため、統一感は薄い。2004年の大統領選挙では東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチが当選したのだが、西側支配層はビクトル・ユシチェンコを大統領を支援していた。 そこで西側はメディアを使ってヤヌコビッチ陣営が選挙で不正を働いたとする主張を展開、デモや政府施設への包囲も行われてキエフは大混乱になった。これは西側が仕掛けたことで、結局、東部や南部の住民の意思は無視され、ヤヌコビッチが大統領になる。 ヤヌコビッチ政権は新自由主義を推進、政府と癒着した一部の集団が国の富を盗んで富豪になり、オリガルヒと呼ばれるようになった。それに対する反発で新自由主義派の人気は急落、再びヤヌコビッチが2010年の選挙で大統領に選ばれる。 そのヤヌコビッチ政権を西側はネオ・ナチを使って倒した。このクーデターは2013年11月に始まる。キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集まり、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 そのクーデターを指揮していたグループに属すひとりのビクトリア・ヌランド国務次官補は2013年12月13日、米国ウクライナ基金の大会で、アメリカ政府は1991年からウクライナへ50億ドルを投入してきたと話している。 翌年の2月4日にはヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っている音声が何者かによってインターネット上にアップロードされた。会話の中でヌランドは話し合いで解決しようとするEUに不快感を露骨に示し、「EUなんかくそくらえ」と口にしている。 リークされた音声によると、ヌランドはジェフリー・フェルトマン国連事務次長とも連絡を取り合っていたようだが、このフェルトマンの評判も良くない。1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビア解体に関与したと言われている。 2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めたが、その間、2005年2月にラフィク・ハリリ元レバノン首相が殺害されている。この暗殺事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴された。 この法廷は2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノン。 2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めたが、その間、2005年2月にラフィク・ハリリ元レバノン首相が殺害されている。この暗殺事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴された。 この法廷は2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノン。 この事件では当初、「シリア黒幕説」が流され、2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出している。イスラエルやアメリカの情報機関が殺害計画を知らなかったと想像しなかったようだ。 アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、ドイツのシュピーゲル誌は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。 しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサドだという。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。 もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。 メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。 2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴された。ウクライナでクーデターを仕掛けた人脈とシリアの体制転覆を目論んでいる人脈は同じだと考えて良いだろう。 ところで、ウクライナでは2014年2月18日頃からネオ・ナチは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始め、広場では狙撃も行われる。この狙撃は西側支配層が操るネオ・ナチだった可能性が高い。 例えば、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告しているが、それによると、パエト外相は次のように語っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体(反政府側)の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして「新連合はもはや信用できない。」としている。この音声は3月5日にYouTubeへアップロードされた。 パエトがウクライナ入りする3日前、ヤヌコビッチは暴力的に排除されている。憲法の規定を無視したクーデターだったことは間違いない。そのクーデターに反発、ウクライナからの離脱を住民投票で決めた「民意」を西側は非難し続けている。
2017.01.15
シリアの首都ダマスカスに近いメゼー軍事空港が1月13日に攻撃された。イスラエル北部にあるティベリアス湖の上空からイスラエルの戦闘機がミサイルを発射したという。戦闘機がシリア上空へ侵入した場合、シリア側の防空システムに捕まって撃墜される可能性があり、そうした攻撃をしたのだろう。先月にイスラエルは同じ空港を地対地ミサイルで攻撃したとも伝えられている。 この基地はシリア軍がダマスカスの水源地を奪還するための拠点に使い、作戦は12日に目的を達成したとされている。それに対する報復、つまりシリア政府軍を攻撃しているアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援しているとも言えるだろう。 こうした反政府軍は水源地にディーゼル燃料などを投入し、12月22日から使用できない状態になっていた。政府軍が水源地の奪還作戦を始めると、27日に給水施設が爆破している。水源地周辺はアル・カイダ系武装集団が制圧していたので、政府側は修理ができないでいた。そこで、軍隊を投入して奪還を図っていたわけだ。 奇妙なことに、そうした状況の中、「白ヘル」を含む「民間団体」が政府軍の攻撃中止を条件に、給水施設を直すとする声明を出していた。アル・カイダ系武装集団と友好的な関係にあることを示している。 シリア政府軍兵士の処刑に立ち会って死体を処理したりしている映像がインターネット上を流れているほか、「白ヘル」の責任者ラエド・サレーはアメリカへの入国を拒否されている。アメリカ政府も「白ヘル」の責任者が「テロリスト」と結びついている疑いがあると判断しているわけだ。 白ヘルは2013年に創設され、人道的な援助活動をしている非武装で中立な団体だと自称している。CIAの資金を流しているUSAIDを通じ、アメリカの国務省は彼らに2300万ドル(総額か年額か不明)提供していることを認めている。創設者であるジェームズ・ル・メジャーの出身国イギリスだけでなく、日本のJICA、デンマークやオランダの政府も資金を提供しているとされている。 ところで、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は2016年5月、ロシアとパイプを持っているアビグドル・リーバーマンを国防大臣に据え、ネタニヤフ自身も盛んにモスクワを訪問するようになり、6月7日にはプーチン大統領と会談している。 イスラエルとトルコで何らかの話し合いがあったと見られ、6月下旬にはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がトルコ軍機によるロシア軍機撃墜をウラジミル・プーチン露大統領に謝罪、7月13日にはトルコ首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。エルドアン政権の打倒を目指す武装蜂起はその2日後に起こった。 クーデターを仕掛けたのはフェトフッラー・ギュレンを黒幕だとエルドアン政権は主張している。ギュレン派は国家警察の内部に食い込んでいると言われ、1月10日にはエルドアン大統領の元警護スタッフが逮捕されている。このギュレンは1999年にアメリカへ渡り、アメリカ支配層の保護下に入ったとされている。 ネタニヤフ政権はシリア政府を支援しているロシアに接近、エルドアン政権もロシアへ近づいている。そうした動きがあるにもかかわらず、イスラエルはシリアの軍事空港を攻撃したわけだ。ここにきてイスラエルは国連などの場でアメリカ政府から強い圧力を受けているが、今回の攻撃にはそうした背景があるかもしれない。 ここでシリア軍がイスラエル領内を報復攻撃すれば戦火は拡大、ロシアの和平構想はダメージを受け、バラク・オバマやヒラリー・クリントンを担ぐ好戦派の思う壺だ。
2017.01.14
バラク・オバマ米大統領は1月10日、シカゴで退任演説を行った。「チェンジ」という標語を掲げて当選したのだが、アメリカ庶民にとって良い方向へチェンジさせることなくホワイトハウスを去って行く。 1980年代に始まった国内のファシズム化プロジェクトは2001年9月11日の攻撃で加速したが、その流れは継続、労働分野ではパートタイム労働を拡大させて貧困は深刻化、医療保険制度の改革、いわゆる「オバマケア」は保険会社や製薬業界を儲けさせただけ。国民の6人に1人が医療保険に入れないという惨状を改善するどころか悪化させている。 国外では軍事侵略を継続した。ジョージ・W・ブッシュ政権はアメリカ軍を直接投入したが、戦乱は今でも続いている。ネオコンなどはヨルダン、イラク、トルコの親米/イスラエル国帯を作ってシリアとイランを分断して両国を弱体化、あるいは潰す予定だったようだが、これは成功していない。 ブッシュ・ジュニア政権の終盤、2007年にジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いている。その秘密工作はオバマ政権下の2011年春に顕在化した。アル・カイダ系武装集団を使ってシリアやリビアを侵略、破壊と殺戮を始めたのである。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はアル・カイダ系武装集団から派生した。ウクライナではネオ・ナチを使ってクーデターを実行、やはり多くのウクライナ国民を殺害、国土を荒廃させ、破綻国家にしてしまった。 ネオコンは1992年2月、国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成している。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。アメリカを唯一の超大国と位置づけ、アメリカの支配層を頂点とする支配システムを築こうといたわけである。そこには寛容さも多様性も存在しない。オバマはアメリカ支配層に従わない国々を恐怖で屈服させるためにアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ、あるいはネオ・ナチを使ってきたわけだ。アメリカは民主主義の破壊者だとも言える。 こうした足跡を残したオバマだが、2008年の大統領選挙で彼が勝利した意味はある。その時の相手はジョン・マケイン。この人物は2013年にトルコからシリアへ密入国して反シリア政府勢力のリーダーと会談したが、その中にはアブ・バクル・アル・バグダディも含まれていた。後にダーイッシュを率いることになる人物だ。ウクライナではネオ・ナチの幹部に会い、クーデターを扇動している。このマケインが大統領になっていた場合、オバマよりひどい状況を作り出した可能性は小さくない。オバマを批判するだけでは問題を解決できない。それほどアメリカは腐敗しているということでもある。
2017.01.13
ドナルド・トランプにとって好ましくない情報をロシア政府が持ち、トランプの法律顧問がロシア政府と接触していたとする怪しげな「秘密文書」を作成したのはイギリスの情報機関MI6の元オフィサーで現在はロンドンを拠点とするオービス情報なる会社を経営するクリストファー・スティールで、その文書をFBIへ渡したのはネオコンで戦争の伝道師のようなジョン・マケイン上院議員だということが明らかにされた。
2017.01.12
バラク・オバマ大統領とドナルド・トランプ次期大統領に対して説明された秘密文書なるものについてCNNが報道した。情報はイギリスの元情報機関員だという。説明は先週の1月6日で、ロシア政府はトランプの個人的、そして資金面の不名誉な情報を持っているとしている。ロシア政府から脅迫され、操り人形になると言いたいのだろう。 しかし、いつものように証拠は提示されていない。報告書の中にはクレムリン内部からの情報として、ドナルド・トランプの弁護士マイケル・コーエンが2016年8月、チェコのプラハでクレムリンの代表と会ったとしているが、すぐにコーエンはそれを否定した。彼はチェコにもロシアにも行ったことがなく、偽報道だとしている。公表された報告書の形式もインテリジェンス・レポートではないという。確かに、このような程度の「情報」が大統領や次期大統領に示されているとするなら、アメリカの情報力はお粗末。もう少しまともな「報告」ができる中学生もいるだろう。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、アメリカでは国内のファシズム化が進み、国外では侵略戦争を始めた。その攻撃から10日後、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官はペンタゴンで、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺がイラク、シリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンを攻撃するプランを立てていると聞いたと語っている。こうした国々は9/11と無関係だ。そしてイラクが攻撃される。 2003年3月にアメリカ主導の連合軍がイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒しただけでなく、社会基盤を破壊し、100万人とも推計されている人びとを虐殺している。例えば、2006年10月に出されたイギリスのランセット誌によると、2003年3月から06年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)、またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 この侵略戦争は2002年に始められる予定だったと言われている。当時の統合参謀本部で反対意見が多く、約1年間遅くなったという。大量破壊兵器の話が嘘だということは軍の内部でも常識、つまり戦争に大義はなく、作戦も無謀だったからだ。 そうした状況の中、戦争を始めるために重要な役割を果たしたのがイギリスのトニー・ブレア政権。2002年9月に「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成したのだ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 コリン・パウエル国務長官が絶賛したこの報告書は大学院生の論文を無断引用した代物だとされているが、別に執筆者がいる可能性もある。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄したことも明らかになった。 ブレア政権はイラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張していたが、開戦から2カ月後にこの主張をBBCのアンドリュー・ギリガンがラジオ番組で否定する。さらに、彼はサンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したとも主張している。2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣のジャック・ストローも認めた。 トニー・ブレア英首相は2002年3月の時点でアメリカによるイラク侵攻に参加することを決めていたことが今ではわかっている。パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていたのだ。このメモが書かれた1週間後、米英両国の首脳は会談している。イギリスはアメリカの好戦派にとって便利な同盟国だ。 9/11の2年前、アメリカはNATOを使い、ユーゴスラビアを先制攻撃して破壊した。ユーゴスラビアに関しては1990年代の前半から攻撃を正当化するために偽報道が繰り返されていた。その時のキーワードは「人道」だ。 ユーゴスラビアが攻撃された1999年、アメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員が2週間ほどCNN本部で活動している。アメリカ軍のトーマス・コリンズ少佐(当時)によると、派遣された隊員は放送局のスタッフと同じように働き、ニュースにも携わったという。(Trouw, 21 February 2000)この時からCNNは「戦意高揚」のための宣伝機関としての色彩を強めていく。 今回の報道はひどい代物だが、これは追い詰められたアメリカの好戦派が形振り構わずトランプを攻撃しているのか、あるいは何か大きな出来事を引き起こすための時間か正義なのかもしれない。
2017.01.12
イスラエルの偵察衛星がシリアへロシアが提供したミサイルの施設を発見、その中にはマッハ6から7で飛行する地対地ミサイル「イスカンダル」が含まれているという。射程距離は280から500キロメートルで、Mタイプの場合、その命中精度は5から7メートルだと言われている。 このミサイルは移動式で、衛星、航空機、地上基地などから目標を指示できるだけでなく、搭載されたコンピュータにターゲットの映像を記憶させて目標の位置を特定させることもでき、しかも電磁パルスを使って敵のレーダーを攪乱させたり、オトリを放出することもできる。西側の防空システムは対応できないと考えられている。シリアに配備されているということは、イスラエル全域が射程圏内に入っていると考えて良いだろう。すでにロシアはシリア政府軍を守るため、防空システムのS-300やS-400をシリアへも配備しているが、状況によっては攻撃国を直接叩くことも可能になった。 核弾頭も搭載できるというイスカンダルの存在はイスラエルの動きを拘束するとも見られている。シリアだけでなくイランを攻撃することも難しくなった。こうした状況がイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権をロシアへ接近させ、ネオコンとの間に亀裂を入れた可能性もある。 アメリカとイギリスの電子情報機関、つまりNSAとGCHQが組織しているUKUSAはイスラエルの電子情報機関8200部隊に協力する一方、ネタニヤフ首相の電話を盗聴するなど政府の動向を監視していると言われ、その関係には微妙なものがある。その微妙な部分の隙間が開いてきたのではないか、ということだ。 ロシア政府はシリアの防衛体制を強化する一方、シリア沖からアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を攻撃していた重航空巡洋艦(空母)クズネツォフ提督を他の艦船とともに引き揚げさせるつつある。ロシア軍を長期にわたって貼り付けないようにしているのだろう。 そうした引き揚げがあっても、ロシア軍はカスピ海から巡航ミサイルを発射してシリアのターゲットへ正確に命中させることができる。これは実証済みであり、潜行中の潜水艦から発射されたミサイルによる攻撃も行われてきた。とりあえず、空母を引き揚げても大丈夫だとロシア政府は判断したのだろう。
2017.01.11
ジョージ・ソロスがアデアー・ターナー元CBI(英国産業連盟)会長を伴って来日、1月6日に安倍晋三首相と30分ほど「アベノミクス」について話し合ったと報道されている。その席には元朝日新聞主筆の舟橋洋一もいたようだ。さらに麻生太郎財務相や黒田東彦日銀総裁とソロスの一行は会ったという。日本からカネを巻き上げるための話し合いと言えるだろう。 長年、ソロスはソ連/ロシアを不安定化させて浸食、あるいは侵略して富を奪おうとしてきたが、ウラジミル・プーチンによって押し返されている。しかも昨年の大統領選挙ではソロスがコントロールしていたヒラリー・クリントンが敗北、ロシアとの関係修復を主張していたドナルド・トランプが勝利してしまった。 クリントンとソロスとの関係を示す電子メールが昨年8月、インターネット上に公開されている。ハッキングされたもので、その中にはソロスが国務長官時代のクリントンにアルバニア情勢の対処法をアドバイスしている2011年1月24日付けのメールもある。実際、クリントンはその通りに動いたようだ。 その頃、アメリカではソロスが親イスラエル派を弱体化させようとしているとする報道もあったが、イスラエル系富豪がトランプへ資金を大量に提供していた可能性がある。例えば、選挙後の昨年11月13日に放送された番組の中でロシア外務省の広報担当者、マリア・ザハロバは、アメリカの大統領選挙でトランプが勝利した理由をユダヤ人の資金だと語っている。9月にニューヨークで会ったユダヤ系の人物から、自分たちはヒラリー・クリントンに寄付しているが、その倍をトランプに提供していることを明らかにしたというのだ。トランプに対する最大の寄付者はカジノを経営、日本でもカジノを経営しようとしているシェルドン・アデルソンだ。 しかし、ソロスもユダヤ系であり、人脈はユダヤ系のロスチャイルド系のネットワークに続き、イギリスのN M ロスチャイルド・アンド・サンやフランスのエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループとつながっている。ユダヤ系富豪の内部で対立が生じていたのかもしれない。 選挙後もソロスはトランプを攻撃しようとしている。例えば、昨年11月13日から3日間の予定で彼は息子のジョナサン・ソロス、あるいはトム・ステイアーを含む富豪たちと一緒にトランプ対策を練る秘密会談をワシントンのマンダリン・オリエンタル・ホテルで開いている。やはり13日にベルギーのブリュッセルではイギリスとフランスを除くEUの外務大臣がトランプに関して話し合っている。 こうした会議以上に興味深いのはロシアで新自由主義者、つまりアメリカ巨大資本の傀儡グループに属すと見られているアレクセイ・ウルカエフ経済開発相が逮捕された事実だろう。現在でもロシア支配層の内部には西側資本の傀儡勢力が小さからぬ影響力を維持している。ウルカエフはそのひとりだが、この逮捕によって彼の仲間は背筋が寒くなるのを感じたことだろう。ロシアでソロスの手先は締め上げられつつある。 ソロスはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを成功させたグループのひとりだが、そのウクライナは破綻状態。トランプが大統領に就任した場合、さらに状況は厳しくなるかもしれない。そうした中、「アメリカの関東軍」とも言えるNATOはエイブラムズM1A1戦車87輌を含む戦闘車両を1月6日にドイツへ陸揚げした。戦闘ヘリのブラック・ホーク50機、CH-47チヌークを10機、アパッチ・ヘリコプターを24機などと共にドイツ、ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニアへ配備するようだ。武力でロシアを挑発しているのだろうが、トランプが大統領に就任する前、何らかの行動に出る可能性も否定できない。 そうした状況下でソロスは日本へ乗り込んできた。平和的なビジネスの話をすることが目的ではないだろう。
2017.01.10
次期政権の国防総省人事をどうするかで揉めているようだ。内定している長官はジェームズ・マティス退役海兵隊大将だが、移行チームが提示する人事案をことごとく拒否しているという。マティスが同省の要職を自分に忠誠を誓っている人間で固めたがっているのに対し、移行チームはトランプに近い人物を配置しようとしているとされている。 移行チームに上級顧問として参加していたネオコンのジェームズ・ウールジー元CIA長官がすでに離脱しているが、これに続く内紛の発覚(ネオコンによるリーク)。ドナルド・トランプのそばにはバラク・オバマ政権の反シリア政府軍支援策を批判してDIA局長を2014年8月に解任されたマイケル・フリン退役陸軍中将がいて、その意向と対立しているとも考えられる。 繰り返し書いてきたように、フリンはDIA長官としてホワイトハウスに対し、シリア政府軍と戦っている主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・ヌスラ)であり、西側、湾岸諸国、そしてトルコが支援していると指摘していた。オバマ大統領が言うような「穏健派」は事実上存在しないと報告していたのだ。 その報告書が提出されたのは2012年の8月。その中で、アメリカ政府が方針を変えなければ、シリア東部にサラフ主義の支配地が作られるとも予測していた。この予測は2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言されて現実の問題になる。6月にはモスルを制圧するが、その際にトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねてパレード、その様子が撮影されて世界に配信されて広く知られるようになった。 このパレードに少なからぬ人が疑問を抱いたことは言うまでもない。アメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などで各国政府軍の動きや武装勢力の動きを把握していたはず。「イスラム首長国」の建国を宣言したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の動きもわかっていて爆撃には絶好の目標だっただろうが、アメリカ軍は動かなかった。フリンDIA局長がジェームズ・クラッパー国家情報長官に解任されたのはモスル制圧の2カ月後である。 クラッパーはトランプを攻撃するため、根拠や証拠を示さずにロシア政府がヒラリー・クリントンや民主党などの電子メールをハッキングしたと主張、報告書を出している人物でもある。勿論、この報告書にも根拠や証拠は示されていない。偽情報を平然と流せる神経の持ち主だということだ。 トランプはフリンと同じようにアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを危険な存在だと認識している。2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長を務めたマーティン・デンプシー陸軍大将と同じ考え方だ。デンプシーもアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関し、オバマ大統領と意見を異にしていた。 オバマはヒラリー・クリントンを含む好戦派と同じで、サラフ主義者/ワッハーブ派を主体とする戦闘集団を使ってシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしてきた人物。この戦術は1970年代の終盤、ジミー・カーター大統領の安全保障担当補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーがはじめたもの。 ブレジンスキーの教え子のひとり、マデリーン・オルブライトはヒラリーと親しい人物で、1997年に国務長官になるとビル・クリントン政権をユーゴスラビア攻撃へと導いている。偽情報で好戦的な雰囲気を作り上げた上で侵略するという手口はこの時からシステム化された。オバマもブレジンスキーの弟子だと言われている。 ネオコンをはじめとする好戦派、つまりロシアや中国と核戦争も辞さずに世界制覇を目指そうとしてきた勢力はトランプに対する攻勢を今後も弱めそうにない。有力メディアだけでなく、議会は民主党も共和党もネオコンの強い影響下にあるが、それでもトランプ側は強気のようだ。何か「隠し球」を持っている可能性もある。
2017.01.09
アメリカのジョン・マケイン上院議員がリンゼイ・グラハム上院議員とアミー・クロバカーを伴い、バルト諸国、ウクライナ、そしてジョージア(グルジア)を訪問、アメリカはウラジミル・プーチンに対して立ち上がらなければならないとおだを上げた。ロシアとの関係修復を主張している次期アメリカ大統領、ドナルド・トランプに不安を抱いているネオコンの手下たちを落ち着かせようと考えたのかもしれない。 これまでマケインは侵略戦争を推進するひとりとして活動してきた。ウクライナのクーデターを指揮していたチームに属していたビクトリア・ヌランドと並ぶ有名人だ。例えば2013年5月にはシリアへ密入国し、アブ・バクル・アル・バグダディを含む反政府軍の幹部と会談している。言うまでもなく、アル・バグダディは後にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)のトップと言われるようになる。 その年の12月にはウクライナへ乗り込み、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すために反政府運動を鼓舞していた。2004年の大統領選挙で当選した際、新自由主義的な政策をウクライナに押しつけ、富を略奪しようと考えていた西側の支配層はデモや政府施設の包囲などでヤヌコビッチを排除することに成功していた。「オレンジ革命」だ。 しかし、新自由主義の実態を知った国民は2010年の選挙でもヤヌコビッチを当選させた。そこで西側支配層はNGOを使って抗議活動を演出、2013年11月にはキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集めることに成功していた。その翌月、マケインはウクライナで扇動活動を行ったわけだ。 ウクライナでは反ヤヌコビッチ派と会談しているが、その際にマケインの横にいたジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使はビクトリア・ヌランド国務次官補と同じようにネオ・ナチを使ったクーデターを指揮していたチームの一員。パイアットとヌランドがクーデター後の閣僚について話し合い、外交的な解決を模索していたEUに対して「くそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたことは、その音声がYouTubeにアップロードされて広く知られている。 昨年6月には台湾の蔡英文総統と会い、今回のバルト諸国、ウクライナ、ジョージアの歴訪だ。ウクライナやジョージアは中東や北アフリカの武装勢力、つまりアル・カイダ系の集団やそこから派生したダーイッシュへの武器密輸ルートだとも言われ、生物化学兵器に関係した秘密施設も存在していると疑われている。そうしたことが今回の歴訪と関係している可能性も否定はできない。
2017.01.08
ドナルド・トランプの周辺からネオコン色が薄くなりつつある。これまで上級顧問としてネオコンのジェームズ・ウールジー元CIA長官が参加していたのだが、トランプのチームから追い出されたのだ。 ウールジーがCIA長官だったのはビル・クリントン時代の1993年2月から95年1月までだが、退任後にはネオコン系シンクタンクPNACのメンバーになる。PNACは1997年にロバート・ケーガンとウィリアム・クリストルによって創設されたが、ケーガンが結婚したビクトリア・ヌランドはウクライナのクーデターを指揮したひとりで、ヒラリー・クリントンと親しいことで知られている。 このヒラリーと親しいマデリーン・オルブライトが1997年1月から国務長官を務めているが、それと同時に政権は好戦的になり、1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃している。同年5月には中国大使館が破壊されたが、これは意図的な攻撃だった可能性がきわめて高い。 1998年1月にPNACは中東に危機が迫っているとしたうえで、イラクが大量破壊兵器を実際に使用するか脅迫の道具に使う可能性を排除するべきだと主張、サダム・フセインの排除を求める手紙をクリントン大統領に出している。その手紙にウールジーも署名していた。また、ウールジーはウクライナのクーデターやシリアへの侵略で積極的に動いて来たネオコンのジョン・マケイン上院議員とも近い関係にある。 こうした背景を持つ人物を上級顧問として抱えていたことからトランプもネオコンの強い影響下にあると見る人もいたが、閣僚人事を見ても、次期政権はネオコンと一線を画そうとしているように見える。 トランプを攻撃するため、ヒラリー・クリントンやバラク・オバマ大統領の周辺はトランプをロシア政府の傀儡だと宣伝している。そうした宣伝の一環としてヒラリーや民主党にとって都合の悪い電子メールをハッキングしたのはロシア政府だと言い続けているのだが、その根拠や証拠は示されていない。 前回も指摘したように、2016年にWikiLeaksが公表したDNC(民主党全国委員会)やヒラリー・クリントンの選挙キャンペーンに関する電子メールはロシア政府から提供されたものでないとジュリアン・アッサンジが語ると、間に第三者が挟まっている、つまりロシア政府はWikiLeaksの情報源の情報源だと言い出すなど足下がおぼつかない。 ジェームズ・クラッパー国家情報長官はクリントンやオバマ側に立ち、「証拠」を示すようなことを言っているが、本当に持っているなら、遥か前に提示しているだろう。ここにきてワシントン・ポスト紙では、ロシア政府の高官がトランプの勝利を祝う会話を傍受したと報じているが、これが事実だったとしても意味はない。ヒラリーはロシアを露骨に敵視、核戦争の可能性を高める政策を推進するとしていた。ロシアとの関係修復を口にしていたトランプの勝利をロシア側が喜ぶのは当然で、もし逆なら大きな問題になる。 これまでにも指摘されてきたが、アメリカの情報機関NSAは通信を地球規模で傍受、記録、分析している。つまり、ヒラリー・クリントンの電子メールも全て持っているはず。ロシアがハッキングすれば、その証拠を提示できるだろう。 こうした通信傍受は1970年代に衛星通信が広がるにともなって盛んになった。イギリスのジャーナリスト、ダンカン・キャンベルなどはその頃からアメリカやイギリスの情報機関による情報支配を暴いている。エドワード・スノーデンが明らかにしたことは、その延長線上にある最新事情だ。 1970年代の終盤には不特定多数の対象を追跡し、情報を収集、分析できるシステムも開発されている。そうした中で特に注目されていたのがINSLAW社のPROMIS。このシステムには日本の法務省も注目、1979年と80年に法務総合研究所の『研究部資料』に概説資料と研究報告の翻訳を掲載している。 INSLAW社と接触していたのは後の名古屋高検検事長、敷田稔。その当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫だ。言うまでもなく、原田は後に法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任した人物。1980年代どころか90年代を過ぎても日本のマスコミ、「市民活動家」、「リベラル派」、「革新勢力」はこうした監視システムから目を背け、取り上げることを拒否していた。スノーデンの内部告発でこうした問題を始めて知ったわけでない人は日本にも少なくないはずだ。 ともかく、通信傍受を含むさまざまな手段で情報を収集して分析するだけでなく、コンピュータ・ウィルスを感染させて攻撃するということをアメリカはイギリスやイスラエルと手を組んで行ってきた。また、第2次世界大戦後、アメリカ政府が他国の選挙への介入した最初のケースは1948年のイタリアにおける総選挙。この時の工作資金は戦争中にドイツ軍が略奪した「ナチ・ゴールド」だったと言われている。こうしたことは広く知られているわけで、ロシア政府がプロパガンダを行った、ハッキングした、選挙に介入したとアメリカ政府が騒ぐのは滑稽だ。
2017.01.06
WikiLeaksのジュリアン・アッサンジはFoxニューズの番組で、彼らが2016年に公表したDNC(民主党全国委員会)やヒラリー・クリントンの選挙キャンペーンに関する電子メールはロシア政府から提供されたものでないと語った。 それまでアメリカの政府や有力メディアはロシア政府がハッキングで入手した電子メールをWikiLeaksへ渡したと宣伝、ロシア外交官35名とその家族、合計96名をバラク・オバマ政権は国外追放している。 通常、こうしたことをすると相手国も同じように外交官を追放するのだが、ウラジミル・プーチン露大統領は無視した。任期を終える直前のオバマ大統領が「置き土産」としてロシアとアメリカとの関係を悪化させようとしていることが明白なため、挑発に乗らなかったのだ。 これまでもWikiLeaks側はロシア政府が情報源だとする主張を否定してきた(例えばココ)が、それでもアメリカ政府や西側の有力メディアは根拠、証拠を示すことなく同じ主張を繰り返してきた。ところが今回は違い、間に第三者が入ったと修正してきた。ロシア政府はWikiLeaksの「情報源の情報源」だというわけだ。嘘をつき始めると際限がなくなる。 オバマ政権のロシア政府を攻撃している間にハッキングされた電子メールの中身について語られなくなったが、「改竄された」ことを示す根拠や証拠は示されていないわけで、その問題は片付いていない。 昨年7月5日にジェームズ・コミーFBI長官が発表した声明の中で、ヒラリー・クリントンは機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性があり、そうした情報を軽率に扱っていたことを認めているのだが、その上で司法省に対して彼女の不起訴を勧告している。 FBIが彼女を起訴しないと決めた一因として、証拠となる万2000件近い電子メールが削除されていたことが挙げられている。その中には記録として残すことが義務づけられているメールも含まれていたが、大きな問題とはとらえられていない。サウス・カロライナ州選出の下院議員トレイ・ゴウディによると、クリントンは削除のためにブリーチビットというソフトウェアを利用しているようだ。 このソフトウェアを使うと削除した文書を回復させられないだけでなく、削除した痕跡を消すこともできるというが、FBIがその気になれば入手できる。NSAの内部告発者であるウィリアム・ビニーも指摘しているように、NSAは地球規模で全ての電子メールを記録している。ヒラリーが何をしたかに関係なく、FBI長官は彼女を起訴する意思がなかったということだ。 投機家で体制転覆の仕掛け人としても知られているジョージ・ソロスの電子メールも外部に漏れている。その中でソロスは国務長官時代のヒラリー・クリントンに対してアルバニア情勢に対する対処の仕方をアドバイス、それに沿ってヒラリーは行動した。 ソロスはロスチャイルドとの関係が深いが、ヒラリーが頻繁にメールを遣り取りしていた相手のひとりがリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドだ。この女性は1998年に開かれたビルダーバーグ・グループの会合で知り合ったエベリン・ド・ロスチャイルドと2000年に結婚している。ふたりを結びつけた人物はヘンリー・キッシンジャーだ。 ハッキングされた電子メールの中には、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃された出来事も含まれている。その襲撃でクリストファー・スティーブンス大使が殺されたが、ベンガジを含む襲撃に資金を出したのはサウジアラビアのスンニ派(ワッハーブ派)だということを示す証拠をフランスとリビアの情報機関が持っているとしている。
2017.01.06
シリアの首都ダマスカスへの給水が止まっている。貯水池にディーゼル燃料などが混ぜられて12月22日から使用できない状態になり、その翌日から水源地を奪還する作戦をシリア政府軍は始めたが、27日に給水施設が爆破されたようだ。 施設を修理するためのチームを政府は編成しているものの、水源地は依然としてアル・カイダ系武装集団に制圧されているために派遣できない状態。そうした中、「白ヘル」を含む「民間団体」が政府軍の攻撃中止を条件に、給水施設を直すとする声明を出した。 白ヘルは2013年に創設された。人道的な援助活動をしている非武装で中立な団体だと自称しているが、CIAが資金を供給するために利用しているUSAIDを通じ、アメリカの国務省は彼らに2300万ドル(総額か年額か不明)提供していることを認めている。創設者であるジェームズ・ル・メジャーの出身国イギリスだけでなく、日本のJICA、デンマークやオランダの政府も資金を提供しているようだ。 その一方、白ヘルはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と緊密な関係にあり、シリア政府軍兵士の処刑に立ち会って死体を処理したりしている。しかも、シリアで活動している「白ヘル」の責任者ラエド・サレーはアメリカへの入国を拒否されている。「テロリスト」と結びついている疑いがあると判断されているわけだ。
2017.01.04
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が汚職容疑で事情聴取されていると伝えられている。2009年にフランスの詐欺師アルノー・ミムランから100万ユーロを受け取った、あるいは著名な実業家から高価な贈り物を貰った疑いが持たれているようだ。 ネタニヤフは2014年5月に来日した際、日本政府高官に対し、カジノのライセンスを速やかにシェルドン・アデルソンへ出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が15年2月5日付け紙面で伝えた。この記事はすぐ削除されたようだが、コピーがインターネット上にアップデートされている。この口利きが事実なら、違法行為になるが、この時は問題にならなかったようだ。 アデルソンはラスベガス・サンズの所有者で、ラスベガスだけでなくペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでもカジノを経営している。ネオコンのスポンサーとしても知られていたが、昨年の大統領選挙では共和党のドナルド・トランプへ多額の寄付をしていた。 1999年にアメリカのビル・クリントン政権はNATOを使ってユーゴスラビアを先制攻撃し、2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃を利用してジョージ・W・ブッシュ政権はアフガニスタンやイラクを先制攻撃した。いずれも西側の有力メディアに偽情報を広めさせての侵略だった。 本ブログでは何度も書いてきたが、クリントン大統領は軍事介入に消極的。そのクリントンを攻撃するキャンペーンをネオコンや情報機関と関係の深い富豪は展開した。ホワイトハウスでの影響力が弱まったネオコンは「民間人」としてネタニヤフに対して強硬策を求める。1996年にリチャード・パールを中心とするネオコンのグループは1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリン(DPGの草稿)をベースとする提言「決別」をネタニヤフ首相に対して送っている。その中にはイラクのサダム・フセイン大統領排除も含まれていた。この提言が送られた一因は、ネオコンがネタニヤフの政策に不満を抱いていたからだろう。 そして1997年1月に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代した時から政権が好戦的になる。ちなみに、オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、その当時からヒラリー・クリントンと親しい。国務長官の交代はヒラリーが夫であるビルに求めたと言われている。そして1999年のユーゴスラビア攻撃につながった。 ブッシュ・ジュニアの後、アメリカ大統領に就任したバラク・オバマはアメリカ軍の直接的な軍事介入は行わなかったが、2011年春からアル・カイダ系武装集団を使った侵略を始める。彼の師もオルブライトと同じようにブレジンスキー。そのブレジンスキーがジミー・カーター大統領の国家安全保障担当補佐官として1970年代の終盤に始めた手口をまねたとも言えそうだ。 2016年6月にネタニヤフ政権は国防大臣にロシアとつながりのあるアビグドル・リーバーマンを据え、ネタイヤフ本人も盛んにモスクワを訪問、6月7日にプーチン大統領と会談している。 2016年月下旬にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はイスラエルとの和解を発表、イスラエルからトルコへエイタン・ナエーが大使として赴任した。そしてエルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機の撃墜を謝罪、ロシアに接近していく。7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆した。武装蜂起はその2日後だ。 この武装蜂起をエルドアン政権は鎮圧、ロシアとロシアとシリアの停戦について合意している。イスタンブールでナイトクラブが襲われるなどトルコでは破壊工作が続いているが、素直に考えると、戦乱の継続を願っている勢力の仕業だ。 ブッシュ・ジュニアやオバマは中東/北アフリカやウクライナを戦乱で破壊してきた。その後継者がヒラリー・クリントンだったのだが、昨年の大統領選挙で選ばれたのはトランプ。その選挙にロシアが介入したとアメリカの有力メディアは叫んでいるが、証拠は示されていない。トランプ陣営も証拠は存在しないと言明している。 トランプが大統領に就任した後、安全保障担当補佐官に就任すると見られているマイケル・フリンは軍の情報機関であるDIAを統括していた人物で、今でも情報力は高いと考えられる。 これまで「冷戦」時代にソ連の脅威を捏造、あるいは誇張して宣伝する目的でCIA内に作られた「チームB」やイラクへの軍事侵攻を正当化するために偽情報を流していたOSPが存在するが、いずれもネオコン人脈が関係していた。その実態に関する情報もフリンは持っている可能性が高い。そうした情報に基づき、大統領就任後にトランプがネオコンに対する反撃を始めることもありえる。
2017.01.03
トルコのイスタンブールにあるナイトクラブが新年を迎えた直後に襲われて39名以上が殺され、69名以上が負傷したと伝えられている。詳細は不明だが、アラビア語を話す数名がクラブに入り、そのひとりがAK-47ライフルを700名から800名いたという客へ向かって発射したようだ。襲撃されたクラブの経営者によると、何日か前にアメリカの情報機関から攻撃の警告があり、7日から10日前から警戒を強めていたという。アンカラでは12月19日にトルコ駐在のアンドレイ・カルロフ露大使が射殺されているが、警告はその直後だったのだろう。 現在、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権はロシアとシリアの停戦について合意、アル・カイダ系武装集団(AQI、アル・ヌスラ、ファテー・アル・シャム/レバント征服戦線と名称を変更したが、その実態は同じ)やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と敵対していると見られているが、2011年春にシリアへの侵略戦争が始まってからつい最近までは同盟関係にあった。 アメリカのネオコン/シオニストなど侵略勢力からトルコが離脱する動きが顕在化したのは2016年月下旬。エルドアン大統領はイスラエルとの和解を発表、イスラエルからトルコへエイタン・ナエーが大使として赴任し、エルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機の撃墜を謝罪した。7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。 それ以前のトルコはシリアへ侵略している勢力の拠点で、アメリカやサウジアラビアが侵略の手先として使っているアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュなどへ物資を輸送する出発点だった。兵站線はトルコからシリアの前線まで延び、同じルートで戦闘員も入っていた。 そうした状況だったこともあり、2014年当時には、イスタンブールの郊外でダーイッシュをイメージさせるTシャツ、帽子、カーゴパンツ、バンダナなどが売られていた。そうした服装で街を自由に歩ける雰囲気がトルコにあったわけだが、それだけでなく、そうした「テロ組織」の拠点が設置され、幹部たちが自由に外を歩いていたと言われている。 当然、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュのネットワークがトルコには張り巡らされていたはずで、エルドアン政権の方針転換があっても、そうしたネットワークがすぐに消えるわけではない。勿論、トルコはNATOの一員であり、イタリアのグラディオと同じような秘密部隊が存在してアメリカやイギリスの情報機関が作成する作戦によって動いているだろう。 7月15日にトルコで武装蜂起があった直後、エルドアン大統領はフェトフッラー・ギュレンを黒幕だとして批判した。一時期エルドアンと手を組んでいたギュレンだが、1999年からアメリカでCIAに守られながら生活している。 ペンシルベニア州からトルコにある彼の「フェトフッラー・ギュレン運動」は動かされている。この運動は1990年代にネオコンがCIAと共同で彼らのプロジェクトのために作り上げたと言われているが、そのプロジェクトはオスマン帝国的な新たなカリフ国を建設することを目的にしているという。こうしたネットワークが今回のナイトクラブ襲撃に関係しているかどうかは不明だが、注目する必要はある。
2017.01.02
ロシアとトルコは12月29日にシリアにおける停戦で合意した。イランも合意文書の作成に参加、シリア政府や反シリア政府の7組織(戦闘員総数約6万人)も署名、国連もこの合意を認めたようだ。12月に入り、カタールはシリアへの侵略戦争から離脱、平和交渉にはエジプトも加わると見られている。 しかし、アル・カイダ系武装集団(AQI、アル・ヌスラ、ファテー・アル・シャム/レバント征服戦線と名称を変更したが、その実態は同じ)やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は参加していないようだ。アメリカ、フランス、イギリス、サウジアラビアも停戦には参加していないが、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュはそうした勢力に雇われてきた。トルコやカタールと関係の深かった武装勢力はサウジアラビアに集約される可能性があるだろう。 停戦の話し合いが進んでいた12月19日にアンカラでトルコ駐在のアンドレイ・カルロフ露大使が射殺され、28日と29日にはダマスカスのロシア大使館が攻撃された。話し合いを妨害するつもりだったのだろうが、成功していない。その間、23日にオバマ大統領はシリアの「反対者」への武器供給を認める法律に署名した。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュに対する支援を次期政権に押しつけるということだろう。 ロシア系のメディアRTによると、ダマスカスに給水している貯水池にディーゼル燃料や毒が混ぜられ、24日から使用できない状態になっているという。一方、アレッポではダーイッシュが水を止めた。この地域ではダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を支援するためにアメリカを含むNATO諸国やイスラエルの情報機関員が活動してきたと言われている。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すために侵略戦争を始めた国々の一部は離脱したが、残った勢力は形振り構わず、和平への道を破壊しようとしているようだ。 これまで戦争を煽ってきたアメリカなど西側の有力メディアにとっても状況は厳しい。シリアに平和が訪れて調査が進めば、自分たちがアメリカ政府の宣伝を垂れ流してきたことも発覚してしまう。「本当のこと」を伝えず、「権力者の代弁」を繰り返すメディアを無批判に信じてきた、あるいは信じた振りをしてきた人びとも責任を免れない。 自戒を込めて書くのだが、多くの人は自分が望む心地よい情報を信じたがる。目先の個人的な利益を考えれば、どのような体制であろうと体制派である方が得であり、体制派であることを正当化する情報を欲しがることになる。有力メディアの重要な仕事は、そうした情報を流すことにある。 ところで、アメリカが中東に破壊と殺戮を広めたのは2003年にイラクを先制攻撃してから。その際、大量破壊兵器が口実に使われ、今にもアメリカが核攻撃されるかのような話が流された。当時からそうした情報が嘘だと指摘されていたが、今では決定的。嘘を発信していた人びとも嘘を認めている。が、アメリカ人の53%は発見されなかった大量破壊兵器がイラクにあったと今でも信じているらしい。有力メディアの偽報道はバカにできないようだ。
2017.01.01
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