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今朝、神奈川新聞を広げて一人歓喜
これは、数年後、横浜の時代がやってくるぞ!
と、毎年思っているのですが…
白井さんのブログ
より
指導者らしさといえば、
指示命令恫喝型をイメージする方が多くいますが、
これでは選手のためにはなりません。
指導者は指導者らしくすることが大切なのではなく、
選手のためになれるのかどうかが大切なのです。
怒ったり、教えたり、猛練習を課したりすることは、
ある意味指導者としては、
厳しい、理論家、情熱的と評価されます。
また指導者としては心地いいことも確かです。
結果に対して叱責すれば、選手は萎縮してミスを重ねます。
また問題点に対して教えれば教えるほど選手が受身になり、
自分で考えたり創意工夫する事がなくなります。
そして猛練習を課せば課すほど、やらされる意識が強くなり、
猛練習に耐えたり、消化することが目的となります。
結果を受け入れ、常に選手を励まし、
前向きな声がけをすることは、
選手が積極的にプレーすることにつながります。
問題点に対して教えるのではなく、
選手が自らが考え、気づきを与えるには、
見守ることや、一緒に考えたり質問をしてみることも大切です。
そして選手は上達するために練習が必要なことは、
選手自身が一番よく知っています。
猛練習を課すことではなく、
自らが猛練習に取り組むようになることが、
上達という練習の本来の目的達成につながります。
向上心に溢れる選手は、
自らが考え、行動を起こすものです。
指導者は選手の向上心、
やる気を引き出し、育てることに意識を持つべきだと思います。
励まし、見守り、サポートすることは、
指導者の動きとしては物足りないと考える方もいるかもしれません。
しかし選手の立場に立てば、
このような指導者のほうがありがいのではないでしょうか?
指導者が従来のような指示命令型の指導者らしさを目指すのではなく、
指導者は指導者としてあるべき姿、
選手にとってどうあるべきかが大切です。
その中には毅然とした厳しさも必要ですし、
溢れ出る愛情も必要です。
結果ではなく、「全力を尽くしたかどうか」、
「意識すれば出来ることに対して惜しみなく労力を払えるかどうか」
に対して毅然とした厳しさを持ち続けることのできる指導者。
選手の成長をサポートできる、
そして選手の成功を何より喜べる指導者。
これが目指すべき私の指導者像です。
これで強い集団ができないことがあろうか!
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