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2022.09.26
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部にある中城村「津覇集落」の東側に「津覇ノ寺/津覇のテラ」という拝所があり、集落では昔から「テラヤマ」や「ヤマグヮー」と呼ばれています。1991年に改修されたコンクリート製の祠内部には霊石と8体の自然石が祀られており、さらに4基のウコール(香炉)も設置されています。この拝所は「津覇寺」とも称し今から約400年前に「竈勝連/カマドゥカッチン」という人の先祖が霊石を権現として祀る為、お宮を建立したのが始まりだと言われています。ここに祀られる御神は「水の神」「火の神」「海の幸の神」「子孫繁栄の神」の四体の神となっています。「津覇ノ寺」は平成26年3月26日に中城村指定文化財(有形民俗文化財)に登録されました。


(津覇ノ寺/テラヤマの祠内部)

(津覇ノ寺/テラヤマの祠内部)

1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』には『神社 俗ニ津覇ノ寺ト云 津覇村 ヨヤゲセジヨヤゲヅカサ スデル君ガナシ 押明キヤウ笑キヤウ スンキヤウ笑キヤウ』と記されており、更に『昔、津覇村竈勝連先祖、霊石ヲ権現ト崇、宮建立仕タル由、申伝也。為何由緒アリテ権現ト崇タルヤ、不可考。竈勝連無子故、養子ニ次渡シ、当時、ミチケ桃原、祭祀ヲ司ル也。』と記述されています。四体の神が戻ってくる旧正月2日の「初うくしい/ハチウクシー」、健康と長寿を祈願する旧9月9日の「菊酒/十二支廻り」、四体の神が一年の報告をする為に昇天する旧12月24日の「解き御願」の祭礼日に集落内外より参拝者が訪れて拝しています。


(トーチカ)

(トーチカの銃眼/南側)




(イクサヤマ)

(イクサヤマの墓)

(イクサヤマのウコール)

「トーチカ」の南側に「前原/メーバル」という小字があります。この土地に広がる畑の中に「イクサヤマ」と呼ばれる場所があり、この一箇所のみに木々が鬱蒼と生い茂っています。茂みの内部には二基の墓が東側の海に向けて安置されており、それぞれの墓に石造りのウコール(香炉)が設置されています。小屋の形をしたコンクリート製の墓内部には戦死者が祀られていると言われていますが、詳細は不明のままです。更に、この二基の墓の脇には別の石造りウコールが設置されています。沖縄の各地には内地(本土)から沖縄に出征した兵士が遠い沖縄の地で戦死し、戦地に埋葬された無名の墓が数多く存在します。その為「イクサヤマ」の二基の墓に葬られた死者も、故郷への帰還を果たせなかった兵士のものであると思われます。


(クシバルガー)

(クシバルガーの平場)

(富里のカミガー)

「津覇集落」の西側丘陵にある「上津覇ノ嶽」と「富里ノ嶽」との中間点にあたる場所に「クシバルガー」と呼ばれる古井戸が現在も残っています。山中に生い茂る深い木々の一画に平場があり、その中央に古い琉球石灰岩とブロックで囲まれた「クシバルガー」が在しています。また「富里ノ嶽」の南側には「富里のカミガー」と呼ばれる拝井戸があります。「津覇集落」では戦前まで「初水の御願」と呼ばれる行事が旧1月3日に行われ、水へ感謝して字内の井戸や拝所へ祈願が行われていました。「ウトゥーシ・上津覇ノ嶽・トゥングヮー・津覇ノ寺・屋号安里小隣の拝所・ウブガー・上津覇のカミガー・クシバルガー・富里のカミガー・ヤナジガー・クバニーガー・ウェーグンガー・チュンナガー・屋号安里小隣の井戸」が拝されていました。


(ヤナジガー)

(屋号安里小隣の井戸)

(ウブガー)

「津覇集落」の南西側に「ヤナジガー」があり、集落の中央部には「屋号安里小隣の井戸」が残されています。更に集落の北側の畑に囲まれた場所には「ウブガー」と呼ばれる井戸があり、産水や正月の若水を汲んでいたムラガー(村井戸)として使用されていました。旧5月15日の「グングヮチウマチー/五月ウマチー」で神に稲の初穂を供えて豊作を祈願し、旧6月15日の「ルクグヮチウマチー/六月ウマチー」では神に稲を供えて豊作を感謝しました。各「ウマチー」では「伊集ノロ」が「ウトゥーシ・上津覇ノ嶽・トゥングヮー・津覇ノ寺・屋号安里小隣の拝所・ウブガー・上津覇のカミガー・クシバルガー・富里のカミガー・ヤナジガー・クバニーガー・ウェーグンガー・チュンナガー・屋号安里小隣の井戸」を巡り祭祀を行なっていました。


(ウェーグンガー)

(クバニーガー)

(チュンナーガー)

「津覇集落」の「ナカミチ」と「メーミチ」の間に「ウェーグンガー」と「クバニーガー」が隣接しており、更に西側には「チュンナーガー」があります。この「チュンナーガー」に設置されたウコール(香炉)には、ウチナーウコー(沖縄線香)が「ヒジュルウコー」と呼ばれる火を灯さない作法で供えられていました。井戸はそれぞれ民家の道路沿いに構えており鉄柵が設けられています。集落に点在する井戸と拝所を巡り豊作を祈願して感謝する各「ウマチー」の際、3つのシマを管轄していた「伊集ノロ」は馬を利用して各拝所を移動し、初めに「伊集集落」次に「和宇慶集落」最後に「津覇集落」を廻ったと言われています。「イーツハヤマ」にある「上津覇ノ嶽」は祈願の最終の拝所として締め括りの祭祀が行われたと伝わります。


(スガチミチ/潮垣道)

(ンマイー)

(チーチーヤー/乳搾り屋跡)

「津覇集落」の主要道路であった旧県道が出来る以前に「スガチミチ/潮垣道」は集落の中心的な道路で、現在は「村道潮垣線」と名付けられています。かつては「スガチミチ」近くに海岸線があり、トロッコ軌道が敷設され西原町の製糖工場にサトウキビを運んでました。「津覇ノ寺」付近の「スガチミチ」は「ンマイー」と呼ばれていましたが、ンマスーブ(琉球競馬)が行われる事は無く子供達の遊び場として使われていました。集落北側の「スガチミチ」沿いに「チーチーヤー」という乳搾り屋の跡があります。屋号「呉屋門」は牛飼いで宜野湾村(現在の宜野湾市)から牛を2〜3頭購入し養っていました。戦前は身体が弱い生徒の給食用として学校に配達したり、時には西原町まで搾りたての温かい牛乳を配達していたと伝わります。


(ヤブーの住居跡)

「チーチーヤー」の北西側の屋号「西比嘉」に「ヤブー」と呼ばれる民間療法を行う人がかつて住んでいました。その人は「呉屋カメ」さんという名前で、通称「ダッチョーハーメー/ダッチョー婆さん」と呼ばれており針治療を行っていました。集落の人々は熱を出したり身体にアザを作った時に「ブーブー」と呼ばれる治療してもらいました。温めたコップを患部にあてて吸い上げ、吸い上げた部分に針を刺して体内の悪い血液を抜くという治療で、遠くは泡瀬からも患者が来ていたと言われています。「ダッチョーハーメー」は集落の子供達から恐れられており、子供達が悪さをした時に「ダッチョーハーメー呼んでくるよ!」と叱ると、皆が直ぐに言う事を聞いたと伝わっています。








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最終更新日  2022.11.05 00:15:33
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