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2022.10.16
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部に「中城村/なかぐすくそん」があり、この村の東海岸沿いに「浜集落」があります。1879年の廃藩置県の後に屋号「大謝名堂/ウフジャナドウ」が現在の「浜集落」の土地に移住したことが集落の始まりである伝承があります。その後、首里から「屋良/ヤラ」字北上原から「仲本/ナカモト」が移り住んだと言われています。戦前は「謝名堂」姓が多かったため「謝名堂屋取/ジャナドウヤードゥイ」または西側にある「奥間集落」の外れに位置している事から「奥間ヌ下/ウクマヌシチャ」と呼ばれていました。1919年(大正8年)に作成された「沖縄県中頭郡中城村註記調書」や1925年(大正14)の「沖縄県下各町村字並屋取調」には「奥間集落」に所属する「屋取/ヤードゥイ」として「謝名堂屋取」と記載されています。


(濱龍宮神の祠内部)

(浜漁港)

(メーヌハマ/前ヌ浜)

「浜集落」の東海岸沿いにある「浜漁港」の敷地に航海の安全と豊漁を祈願する「濱龍宮神」の祠が建立されており、コンクリート製の祠内部には石碑とウコール(香炉)が祀られています。「浜漁港」は昔は砂浜で「メーヌハマ/前ヌ浜」と同様に「サバニ」と呼ばれる沖縄の伝統的な木製の小形舟を陸上げする場所でした。「サバニ」はとても重く干潮で海が遠くなると「海人/ウミンチュ」は舟を押し出せないため、干潮と満潮の時間を計算して舟を出していました。「浜集落」では主に素潜が盛んに行われており「海人」は明け方から昼過ぎまで海に潜り「イヨグン」と呼ばれる銛を使ってイカ、タコ、貝、魚、フカ(鮫)などを獲っていました。普段は水深3〜5メートル、深いところでは約20メートル近くまで潜ることもあったそうです。


(屋号大謝名堂/謝名堂門中)

(屋号仲謝名堂)




( 屋号サンラー屋良/屋良門中)



(ハシグヮー/コンクリート橋跡)

(ハシグヮー/コンクリート橋跡)

士族帰農で「浜集落」に移住してきた「屋良門中」は『首里系士族 向氏 元祖尚龍徳越来王子朝福 名乗頭 朝』で、本家は那覇市首里の嘉味田家です。「 尚龍徳越来王子朝福」の支流六世朝長の三男、七世朝眞が首里から「浜集落」に移住したと伝わります。その後、屋号「サンラー屋良・下屋良」と分家し、現在の「屋良門中」を形成しています。集落の西側から東海岸に流れる「カーラ/川」は仲通りに沿っており、この小川にはかつて「ハシグヮー」と呼ばれるコンクリート製の橋が架かっていました。「カーラ」は子供達の格好の遊び場で橋の下にはセークグヮー(エビ)、魚、カニなどがいる釣り場でした。旧正月にはこの川から子供達がワカミジ(若水)を汲みウフヤー(大屋)に持って行き、お年玉をもらったという古老の話が残っています。


(屋号松尾/与那嶺鰹節店)

(屋号松尾/与那嶺鰹節店の井戸)

(屋号松尾/与那嶺鰹節店)

「屋号大謝名堂」の屋敷から南西側に隣接する「与那嶺鰹節店」の土地にはかつて屋号「松尾」があり、屋敷には「カチューウヤー/鰹売り」が住んでいました。この家のお婆さんがカチュー(鰹節)を売り歩いており、昔からカチューは味噌と一緒にお湯でときカチュー湯にしてにして飲むと風邪に効いたと伝わります。鰹節は那覇から自転車で配達され、それをお婆さんが籠に入れて頭に乗せ、字新垣や宜野湾の野嵩や普天間に売りに行きました。籠は重さ約20キロありましたが、お婆さんはそれを頭に乗せて小走りする事も出来たそうです。屋号「松尾」のお婆さんが鰹節を売りに来るのを楽しみに待っていたお客さんが大勢いたと言われています。また、この屋敷には「ウミンチュ/海人」も暮らしており、沖縄戦の時には5〜6名の日本兵が寝泊まりしており、獲った魚を提供していたと伝わります。


(屋号謝名堂小)

(チンジュウガー/鎮守井戸)

(チンジュウガー/鎮守井戸の拝所)

「与那嶺鰹節店」がある屋号「松尾」の西側に隣接して屋号「謝名堂小」の屋敷がありました。現在、この家の敷地には「チンジュウガー/鎮守井戸」と呼ばれるコンクリート製の古井戸があります。蓋が施された井戸には石造りのウコール(香炉)が設置されています。この井戸に向かって左隣には「チンジュウガー」の拝所があります。この祠内部には「御守神」と彫られた石碑が設置されており、この拝所にも石造りのウコールが祀られています。戦前まで「チンジュウガー」の井戸は屋号「謝名堂小」近くにあった畑の中にあり、旧暦の9月9日に家族の健康祈願を行う「チクザキ/菊酒」の御願行事で拝されていました。更に、旧正月の若水や子供が産まれた時の産水も、この「チンジュウガー」から汲まれていたと考えられます。


(屋号仲本小の屋敷跡)

(メーベーのサーターヤー跡)

(クシベーのサーターヤー跡)

浜漁港沿いで「浜集落」の最も北東側の場所には、かつて屋号「仲本小」の屋敷がありました。「仲本門中」は『首里系士族 夏氏 大宗 諱居数越来親方俗叫鬼大城賢雄 名乗頭 賢』で姓は「仲本」です。本家は首里にあり中元は字北上原の「石嶺仲本小」で、字北上原から「浜集落」に移住してきたと伝わります。「浜集落」には3つの「サーターヤー/砂糖小屋」があり、屋号「仲本小」の南側には集落の「メーベー/前方」に所属する家と「クシベー/後方」に所属する家が使用した2つの「サーターヤー」がありました。収穫したサトウキビは「サーターヤー」に運ばれ、サトウキビを圧搾するサーターグルマと呼ばれる機械に差し込まれます。このサーターグルマに木製の棒を取り付けて馬に繋げ、馬を歩かせてサトウキビを搾りました。「サーターヤー」には作業をする馬の水浴びをさせる「ウマアミシグムイ」という溜池が常設されていました。


(スガチミチ/潮垣道)

(スガチミチ沿いのサーターヤー跡)

(洗濯場跡)

サトウキビを運搬するトロッコ軌道が敷設されていた「スガチミチ/潮垣道」沿いの「カジマヤー/十字路」にはかつて「サーターヤー」があり、屋号「知念小・松尾・新屋謝名堂・三男知念小・新知念小・謝名堂小」などが使用していました。サトウキビは貴重な換金作物であったため、集落の多くの家で栽培されていました。そのため「サーターヤー」では冬から春にかけて黒糖作りが盛んに行われていました。更に、戦前までこの十字路には川が流れており、川沿いには約2メートル幅の土手があり所々に石が積まれていました。この場所では川に降りられるようになっていて、女性達が集まって洗濯物を洗っていたと伝わっています。現在の川はコンクリートで塞がれていますが、かつての面影を感じ取る事ができます。







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最終更新日  2022.11.05 00:09:58
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