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2022.11.11
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カテゴリ: 大宜味村



沖縄本島北部の西海岸にある大宜味村に「喜如嘉(きじょか)集落」があります。集落の最北西端を通る国道58号線沿いに大岩が鎮座しており「喜如嘉竜宮」の石碑が東側に向けられて建立されています。「御天竜宮神 一九八十年十二月十二日 旧十一月六日 申年末日」と彫られた石碑には三基の石造りウコール(香炉)が祀られており、それぞれ アマミキヨとシネリキヨの琉球開闢の世の中(ウサチユー/御先の世)・琉球王国時代の世の中(ナカガユー/中の世)・廃藩置県から現在の世の中(イマガユー/今の世)を意味しています。琉球神道に於ける主神は遥か東の海の彼方に存在する「ニライカナイ/理想郷」に住む神であり、この海の神こそが 「龍宮神」であると信じられています。昔から「龍宮神」の拝所では「ウンガミ/海神」を迎えて祀り、航海安全と豊漁を祈願して拝まれる聖域となっています。


(喜如嘉龍宮の大岩)

(喜如嘉板敷海岸の板干瀬の石柱)

(喜如嘉板敷海岸の板干瀬)

「喜如嘉龍宮」の大岩の東側に「 喜如嘉板敷海岸の板干瀬」の石柱が建立されています。「喜如嘉集落」の西側の海岸線沿いには板干瀬(いたびし)という珊瑚礁特有の板状岩石が広がっており、炭酸カルシウムのセメント作用により砂や礫等が固まって出来たと考えられています。板干瀬はビーチロックとも呼ばれ「喜如嘉板敷海岸の板干瀬」は砂浜に沿って厚さ約6〜30cm、幅約30m、長さ約1kmに渡り帯状に板を重ねたような形状をしています。これ程の規模の板干瀬は沖縄県内でも珍しく大変貴重なもので、県指定天然記念物に昭和49年2月22日に指定されました。また、板干瀬は大昔の砂粒が固まって形成されているため、当時の「喜如嘉」の海岸の痕跡を留めるものとして地質学上非常に重要な資料となっています。


(喜如嘉のフクギ・ミフクラギ/夫婦木)

(マジャウイ/真謝上)




(大山墓/喜如嘉墓のフクギ群)

(大山墓/喜如嘉墓のフクギ群)

(大山墓/喜如嘉墓のフクギ群)

(大山墓/喜如嘉墓のフクギ群)

「マジャウイ」の北側に「イシンザキバール/石崎バール」と呼ばれる丘陵地があり、その麓には共同墓や門中墓など40余の墓が集中する墓地となっています。墓地は後世(グソー)の世界だと言われ「イシンザキ」の山の麓にある石が突き出た場所が現世(サンカ)との境とされています。墓の四隅にはそれぞれ「ジーチの神/地の神」がいて、まずその神に祈願しなければならないとされています。四隅には線香を焚いてヤナムン(悪魂)が入ってこないように拝します。その後、墓に向かって左側に「ビザイの神/左の神」右側に「ニジリの神/右の神」が立っていて現世と後世との取り継ぎをします。更に、墓の入り口には「ウゾーバンヌ神/御門番の神」がいて墓の門番をしています。そこから中に入ると「アミダブトゥキ」という神がいて、その神は現世から取り継いだ事を「ウフヌシガナシ/大主加那志」と呼ばれる「後世の主」に伝えると言われています。


(眞和地墓の石碑)

(眞和地墓)

(ガンヤー/龕屋)

集落での葬式が行われる時に遺体を収めた棺を墓まで運ぶ輿を「ガン/龕」と呼び「喜如嘉海岸」沿いに「ガン」を保管する「ガンヤー/龕屋」があります。また「喜如嘉集落」には『墓作りの唄』があり、墓参りの際に御供物を供えて三線と共に歌われました。『チューヌユカルヒヤ(今日のめでたい日は) チチンヒーンマサティ(月日の日取りもよく) フンシマチガニヌ(立派なお墓の) ユエーサビラ(お祝い致しましょう) ナンザムイクサティ(銀の森を後にして) クガニムイクサティ(黄金の森を後にして)  フンシマチガニヌ(立派なお墓の) ンケーヌチュラサ(向き構えの美しさよ) チチンヒチヂュラサ(土もならされて美しい) イシンタチヂュラサ(石も立派に組まれて美しい) ユユヌユートゥツトゥミ(世々代々) シソンサカティ(子孫が栄えますよう) マカヤカヤブチャ(茅葺きの家屋は) カリヤドゥルヤユル(仮宿でしかない) フンシマチガニヤ(立派なお墓は) ユユトゥマデ(永久の住み家である)』


(喜如嘉貝塚跡)

(故寺内博之碑)

(浅野綾子の歌碑)

「喜如嘉集落」の北西側にある海岸線沿い一帯は「喜如嘉貝塚」と呼ばれ、標高3〜5mの海岸砂丘に形成された今から約1700年前の先史遺跡です。沖縄貝塚時代後期の土器・石器・生活道具・貝製品や、先人が食料にしていた貝類や獣魚骨などが出土しています。現在、この地は「大宜味村農村環境改善センター」の駐車場となっており「故寺内博之碑」と「浅野綾子の歌碑」が建立されています。1945年4月7日「喜如嘉」の浜辺に日本軍特攻隊の寺内博之少佐(当時20歳)の遺体が漂着しました。「喜如嘉」の人々が米軍機を避けながら日暮に遺体を引き上げて埋葬しました。浅野綾子さんは寺内少佐の妹で「喜如嘉」の人々に感謝して詠んだ次の歌が歌碑に刻まれています。『人篤き 人ら住めりと この岸に 導かれけむ 兄がからかも』


(山之口貘の歌碑)

(芭蕉布会館の芭蕉の木)



喜如嘉公民館の西側に「芭蕉布会館」があり、沖縄で最も古い織物である「芭蕉布」の後継者育成施設となっています。この施設には那覇区(現那覇市)東町大門前出身の詩人「山之口貘/やまのくちばく」の詩の一つである『芭蕉布』の歌碑があります。この歌碑は山之口貘の長女の山口泉さんの書により次のように刻まれています。『芭蕉布は 母の手織りで いざりばたの 母の姿をおもい出したり 暑いときには 芭蕉布に限ると云う 母の言葉を おもい出したりして 沖縄のにおいを なつかしんだものだ』また「喜如嘉集落」は昔から芭蕉布の産地として知られており「芭蕉布会館」周辺には多数の芭蕉(バナナ)の木々が生い茂っています。更に集落発祥の山と伝わる「マジャウイ」の東側麓に建てられた「芭蕉布会館」の裏には井戸があり香炉(ウコール)が設置され拝されています。


(喜如嘉小学校発祥の地の石碑)

(移転した喜如嘉小学校の校門)

(ウードゥーシ石敢當/北斗七星を刻んだ石敢當)

「喜如嘉公民館」の敷地に「喜如嘉小学校 発祥の地 創立明治二十一年四月一日」と彫られた石碑が建立しています。「喜如嘉小学校」は現在の「喜如嘉公民館」がある場所に設立され、時代と共に生徒の数が増えた事で昭和22年に集落の「ハサマ/波佐間」地区に移転しました。その後、村内小学校の合併により平成27年をもって閉校となりました。また、公民館の東側には北斗七星を意味する七つの漢字が刻まれた石敢當があります。この石敢當は沖縄県内では本部町に三基と「喜如嘉」に一基しか残されていない大変珍しく貴重な石敢當で、人間の「寿夭禍福(長寿/短命/災難/幸福)」を治める北斗七星を表す祓いの鬼偏漢字七文字が記されています。「生」を司る南斗六星に対して北斗七星は「死」を司ると言われ、北斗七星を信じて祈願すれば病気が治り、災難を回避し、幸運が授けられ、願いが叶うと信じられ、この北斗七星の石敢當は鬼門とされる丁字路の突き当たりに魔除けとして設置されています。




(テーラガー/平良川/ハブジョーガー)

北斗七星を刻んだ「ウードゥーシ石敢當」の東側に約50mの場所に「アミガー/浴川」と呼ばれる古井戸があります。半円状に積まれた石積みは現在も保存状態が良い形で残されています。この井戸の近くに住む古老によると「喜如嘉集落」には「アミガー」と呼ばれる川が実際に流れていますが、集落のムラガー(村井戸)の事を総じて「アミガー」と呼び、昔は農作業帰りの手洗いや水浴びの場、また洗濯場として使用されていたと伝わります。更に「アミガー」の井戸から東側に約80mの場所に「テーラガー/平良川」という古井戸があります。「平良家」の屋敷にある井戸で別名「ハブジョーガー」とも呼ばれ、戦前は水浴びや洗濯の場として重宝されていました。「テーラガー」は現在も水が湧き出ておりポンプで組み上げられています。






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最終更新日  2022.11.14 19:00:57
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