パワースポット@神の島「Okinawa」

パワースポット@神の島「Okinawa」

PR

プロフィール

kasurichan1010

kasurichan1010

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

gomagoma0610 @ 恩納ナビーの墓について 佐野哲寛さんへ コメントを下さり誠に有…
佐野哲寛@ Re:恩納ナビーの琉歌の里@恩納村「恩納ナビーの歌碑/恩納集落」(10/05) 恩納ナビーのこの写真のお墓はどの辺りに…
地域の人@ Re:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17) 初めまして、松川樋川は「松川ミーハガー…
まるぴ@ Re:集落発祥の秘話と四方神の恵み@沖縄市「登川/ニィブンジャー集落」(01/25) 母方の名前が登川です。 今人生の折り返し…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.11.06
XML
カテゴリ: 大宜味村



沖縄本島北部のヤンバル(山原)の森が広がる西海岸線沿の「大宜味村(おおぎみそん)」に「喜如嘉(きじょか)」という集落があります。この集落の中央部に位置する「ヒンバームイ/ヒンバー森」と呼ばれる小高い森は、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のロケ地になった場所でも知られる丘陵です。「ちむどんどん」の第9話では青柳和彦宛に出すはずだった手紙を小学生の比嘉暢子が「ヒンバームイ」の中庭ベンチで読み返し、東京に行きたくない本音の気持ちとお母ちゃんに難儀させたくない心の葛藤を描いています。更に、第15話では卒業を控えた高校3年生の暢子が眞境名商事への就職を断った後に「ヒンバームイ」に来て、何か心を燃やせるような打ち込める一生懸命になれる物が見つからない、モヤモヤした気持ちをお母ちゃんに打ち明けるシーンが描かれています。


(ヒンバームイ麓の鳥居)

(ヒンバームイの御通し拝所)

(ヒンバームイ頂上への石段)

「メームイバール/前森バール」と呼ばれる「ヒンバームイ」の北西側の麓にある喜如嘉地区農産物集荷施設・販売施設「喜如嘉共同店」の脇に鳥居があり、頂上への長い石段が続いています。この鳥居の下には高齢者や足が不自由な方が森の頂上にある拝所へ遥拝する「御通し拝所」の祠がありウコール(香炉)が祀られています。「喜如嘉集落」が一望できる絶景が広がる「ヒンバームイ」の頂上にある広場は集落の様々な年中行事が行われる場所で、旧七月のお盆が終わってから最初の亥の日には「ウンガミ祭り/海神祭」と呼ばれる行事が「喜如嘉集落」の各門中の守り神である「アジ神」により行われます。この「ウンガミ祭り」は北東側に隣接する「謝名城(じゃなぐすく)集落」から伝わった祭祀で、農作物の豊作と漁獲物の大漁祈願と同時に、山の神と海の神へ感謝する祭で戦前まで盛大に催されていたと伝わります。


(ヒンバームイの広場)

(ヒンバームイのカミヤー/神屋)

(カミヤー/神屋のヒヌカン/火の神)




(ヒンバームイの手水鉢)

(ヒンバームイの灯籠跡)

「ウンガミ祭り」の儀式に参加する「ウンバール根神」は屋号「ナハダ」の門中から「サンバール根神」は屋号「真謝」の門中から出ており、更に「アジ神」として集落の各門中から18人の神女が祭祀に出席しました。かつて「喜如嘉五人神」と呼ばれたカミンチュ(神人)が存在し「仲田/ナハダ・入ん桃/イリントー・泉屋/イジミヤー・新屋敷/ミーヤシキ・尻屋/シリヤー」の五箇所の屋号の門中から出る神役を指していました。戦前の「ウンガミ祭り」には沖縄本島の各地から「喜如嘉五人神」と関係した人達が拝みに来たと伝わっています。現在では「喜如嘉五人神」についての由来や詳細が残されていないため伝説の五人神として語り継がれています。「ヒンバームイ」の広場には古くから残る手水鉢が現存し、近くにはかつて灯籠として使用されていたと考えられる石造りの土台が残っています。


(ヒンバームイ頂上の鳥居)

(ヒンバームイ西側丘陵の石碑)

(ヒンバームイの池宮城積宝の歌碑)

「ヒンバームイ」の頂上広場の東側には鳥居があり神域への出入口となっています。また、この鳥居と反対側にある広場西側の丘陵上部には三体の石碑が建立されています。この石碑の詳細は謎のままですが、古くから「喜如嘉集落」のカミンチュと集落民により「ヒンバームイ」で執り行われていた祭祀と深い関わりがあると考えられます。更に「ヒンバームイ」の広場西側には「池宮城積宝の歌碑」が鎮座しています。「池宮城積宝(1893-1951年)」は那覇市久米村出身の歌人/小説家で「放浪詩人」と呼ばれた各地を短歌行脚した人物で、小説「奥間巡査」や「琉球歴史物語」などで知られています。この歌碑には次のような詩が彫られています。『ああ喜如嘉 かの山村に 生れなば 少しこの世が 楽しくありけむ』


(ニーヤー/根屋)

(ニーヤー/根屋の拝所)

「ヒンバームイ」の東側に「ニーヤー/根屋」の建物があり「上世・中世・今世」「ヒヌカン/火の神」「女神・男神」が祀られています。「上世」は「ウサチユー/御先の世」でアマミキヨ・シネリキヨの琉球開闢の世の中、「中世」は「ナカガユー/中の世」で琉球王国時代の世の中、「今世」は「イマガユー/今の世」で廃藩置県から現在の世の中をそれぞれ意味しています。「女神」は「イナグ神」と呼ばれ「男神」は「イキガ神」と言われ、一対として結びつき存在する神を示します。1986年(昭和61)には明治末期までノロが祭祀を行う「神アサギ」が建っていた場所に「ニーヤー」が建立されました。この周辺地域には蔵が多数あった事から「クランバール/蔵バール」と呼ばれると同時に「アサギバール」とも言われており、当時の公民館である「ムラヤー/村屋」もこの地にありました。


(ニーヤー/根屋のヒヌカン/火神)



「喜如嘉集落」の「神アサギ」は1713年に琉球王府に編纂された『琉球国由来記』に次のように記されています。『神アシアゲ 喜如嘉村 稲穂祭之時、五水3合・神酒一自按司、五水六合・神酒壱惣地頭、神酒一喜如嘉地頭、同二五水三沸・魚四斤同村百姓。同大祭之時、五水三合・魚一斤・神酒一按司、五水六合・魚一斤・神酒一惣地頭、同三・魚三斤同村百姓。 束取折目之時、神酒三・魚四斤同村百姓。海神折目之時、五水五合按司、同五合・魚一斤惣地頭、神酒二・五水二合・魚四斤同村百姓。同折目晩、神酒一宛惣地頭並喜如嘉・大宜味百姓、餅一器宛・魚六斤同二ヶ村百姓。芋ナイ折目之時、神酒二・五水二沸七合・蕃薯十四器・魚四斤喜如嘉村百姓、供之。城巫祭祀也。』


(キザハグシク/喜如嘉グスクの北側入口)

(キザハグシク/喜如嘉グスクの森)

(キザハグシク/喜如嘉グスクの森)

「ヒンバームイ」の東側に「キザハグシク/喜如嘉グスク」の北側入口があります。「喜如嘉集落」がある沖縄本島北部の山原地域は歴史上「今帰仁グスク/北山グスク」と深い関係があります。集落では「鎮守の森」と呼ばれている丘陵にある「キザハグシク」は今帰仁の勢力が北部を統一する古い按司時代、もしくは「中山」が三山(北山・中山・南山)を統一する琉球三国時代の頃に築城が開始されたと考えられており、戦乱が終わった事により途中で「キザハグシク」の築城が中止になったと伝わります。その昔、グスク丘陵の森には当時の戦の頃と思われる人骨や武具類が多数散乱しており「喜如嘉集落」の古老の言い伝えによると、そこで発見された当時の刀は戦前まで竹細工用に使用されていました。また「キザハグシク」の裏山の斜面には洞窟が洞られ、子孫の各門中が戦で亡くなった先祖の墓を設け供養をしていたとの伝承が残っています。




(サンホーチ/下幸地門中の拝所/祠内部)

「キザハグシク」の北側丘陵に「サンホーチ/下幸地門中」の拝所があり、コンクリート製の祠内部は3つに仕切られた仏壇にウコール(香炉)・花瓶・湯呑が3組づつ祀られています。「喜如嘉集落」の祭祀は「城ノロ」の管轄ですが、集落にはニーガン(根神)やカミンチュ(神人)が存在しており『根神御送りが節』と呼ばれる唄が祭祀行事の際に歌われていました。『勢頭神の 御許し拝がて(勢頭神の 御許拝んで) 島根神 越い召しょうち(島根神 越え給いて) しまやじく 御許拝で(島ヤジク〈神女〉御許拝んで) 大勢頭御許拝で(大勢頭の御許拝み) つーふー あふね御許拝で(つーふー 神の御許拝み) 赤ちゃ 黒ちゃ(赤馬 黒馬) 御乗込み召しょうりば(御乗り込み召し給えば) いちゃぞうに かんさぞうに(板門 金門に) くみられて(籠められて) ぐくらくに 召しょうりは(極楽に 参り給え)』






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.06.01 13:20:58
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: