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2022.12.01
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カテゴリ: 大宜味村



沖縄本島北部に広がるヤンバル(山原)の森に大宜味村があります。この村の北部に「謝名城」という集落があり「根謝銘/ニジャミ・一名代/テンナス・城/グシク」の3つの小集落が合併して構成されています。「根謝銘グスク」の西側にある「根謝銘集落」に「ヌルドゥンチ/祝女殿内」があり「城祝女/グシクノロ」により祭祀が執り行われます。「城ノロ」は「謝名城・喜如嘉・饒波・大宜味・大兼久」の5つの集落を管轄しており「ヌルドゥンチ」には「ヌル元祖・城ヌル火の神・若ヌル火の神」が祀られています。大正3年に発行された『沖縄県史料』には『謝名城ノロクモイ所蔵 一、宝物 黄金簪一ツ(花ノ周囲六寸五分 竿長三寸五分)  一、水晶ノ玉(頚環)  大四十九個 小五十一個 一、絹衣 大一枚 小一枚』と記されています。


(ヌルドゥンチの石碑)

(ヌルドゥンチの内部)

1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』には「ヌルドゥンチ」に祀られる「火の神/ヒヌカン」について次のような記述があります。『城巫火神 城村 四度・四品・百人御物参之時、有祈願也。稲穂祭三日タカベノ時、仙香・五水2合宛・花米九合城・喜如嘉・大宜味・饒波四ヶ村百姓。同穂祭之時、五水五合・神酒壱按司、五水五合・神酒壱惣地頭、五水二合・神酒一喜如嘉地頭、五水二合宛南風掟・西掟・喜如嘉掟、同四合・魚三斤・神酒壱城村百姓。同大祭三日崇之時、仙香・五水二合宛・花米九合宛右四ヶ村百姓。同大祭之時、神酒壱宛按司・惣地頭・喜如嘉地頭、同壱・魚三斤城村百姓。六月、束取折目三日崇之時供物、稲穂祭崇ニ同。同束折目之時、神酒壱宛南風掟・西掟・喜如嘉掟、同二・魚三斤城村百姓。』


(ヌルドゥンチの神棚)

(ヌルドゥンチの火の神)

さらに『琉球国由来記』の記述は次のように続いています。『海神折目三日崇之時、供物、稲穂祭三日崇ニ同。同海神折目之時、神酒壱宛按司・惣地頭・福地掟、同一・餅一器城村百姓、餅一器福地掟、魚六斤城村百姓。柴指三日崇ノ時供物、稲穂祭三日崇ニ同。柴指之時、神酒一宛・魚壱斤宛大宜味・喜如嘉二ヶ村百姓、神酒一城村百姓。ミヤ種子並芋ナイ折目三日崇之時供物、稲穂祭三日崇ニ同。芋ナイ折目之時、神酒三・魚三斤・蕃薯拾四器城村百姓、供之。城巫祭祀也。』「ヌルドゥンチ」の神棚には「のろ御元祖」と「のろ御神」が祀られた二基の陶器製ウコール(香炉)と一基の鉄製ウコール、4個の湯呑、2本の花瓶が供えられています。また、火の神には「のろ御火の神」が祀られた二基の陶器製ウコールと一基の石造製ウコール、霊石が九個、湯呑三個、花瓶二本が供えられています。


(ヌルドゥンチ/祝女殿内)



「ヌルドゥンチ」での祭祀が執り行われる際に建物入り口の戸走りに十本のウチナーウコー(沖縄線香)が供えられます。この十本の線香は(1)天の神 (2)火の神 (3)十二支の神 (4)杣山の神 (5)川の神 (6)クガニマク/城村の神 (7)ユナハマク/根謝銘村の神 (8)ユダヌマク/一名代村の神 (9)ニライカナイの神 (10)喜如嘉七滝の神に捧げられています。因みに「マク」は「マキョ」とも呼ばれる古琉球時代の村の形を意味します。「ヌルドゥンチ」に向かって右側に「根謝銘グスク」に向けられて拝所が設けられています。霊石が祀られ石造製ウコールが二基設置されています。2017年10月に「ヌルドゥンチ」の遺品調査が行われ、ケー(長持ち)の箱には「漆器丸櫃(高さ約十九センチ)」「竹筒(大小二本)」「瓶子(錫製酒瓶)」「湯沸かしの蓋(鉄製)」「茶たく(四枚/黒漆塗り)」「酒柱(丸型)」「青磁の香炉と花瓶」が収められていました。


(根ガー/ナガー)

(根謝銘グスク北西側の拝所)

「ヌルドゥンチ」東側の森で「根謝銘グスク」西側丘陵の麓に「根ガー/ナガー」と呼ばれる井泉があります。アコウの木の根元にコンクリートで囲まれた井戸があり「根謝銘グスク」に向けてウコールが祀られています。「根ガー」の名称から古琉球時代に「城村」が発祥した場所に関わる井泉であると考えてられます。現在「根ガー」の水は枯れていますが、比較的に規模の大きな井戸で、昔は周辺住民の生活用水に使用された村ガーであったと推測されます。「村ガー」から「根謝銘グスク」の北西側の深い森を進むと拝所がありコンクリート製の祠が建てられています。現在この拝所を拝む人が絶えているようで祠内部の木材は朽ち落ち、かつて供えられていたウコール、湯呑、花瓶が破損して散乱しています。「城村」の根人や根神に関する拝所なのか、それとも門中拝所なのかは不明です。


(ウドゥンガー/御殿泉の石碑)

(ウドゥンガー/御殿泉)

(ウドゥンガー/御殿泉)

「ヌルドゥンチ」から東側のグスク丘陵麓に「ウドゥンガー/御殿泉」と呼ばれる井戸があります。「ウドゥンガー」は大正時代に整備された二対の湧水で「根謝銘グスク」がある「城原/グシクバル」の住民にとって大変貴重な水源地でした。昔は生活用水のみならず、洗濯用水や収穫した野菜を洗う井戸として二つの井戸を使い分けていたと考えられます。現在も懇々と水が湧き出ており、水源は神アサギや御嶽がある「根謝銘グスク」である事から「御殿泉」と名付けられたと推測出来ます。「ウドゥンガー」の向かって右側の井戸には石碑が建てられ、大きな石造り製ウコールが設置されています。また、向かって左側の井戸は水が枯れていますが、こちらも大きな石造り製ウコールが祀られています。現在でも農業用水として利用されている「ウドゥンガー」は神井戸として拝されています。


(ハラガー)

(ナハガー/中川)

(ナハガー/中川の左側に脱がれ込む水)

「ウドゥンガー」から南西側に数十メートル離れた場所に「ハラガー」がありウコールが設置されており、井戸に向かって右側には霊石が祀られています。現在「ハラガー」の水は枯れていますが、昔は周辺住民の貴重な水資源として重宝されていたと考えられます。また、旧暦8月10日頃に2年に1度の隔年に行われる豊年踊りが行われ、先祖供養の為にエイサーと共に集落を練り歩く「道ズネー/道ジュネー」の際には水の神に感謝して「ハラガー」が拝されます。さらに「ハラガー」の南側には「ナハガー/中川」と呼ばれる井戸があり、現在もコンクリートで囲まれた井戸には水が湧き出ています。「中川」と刻まれた石碑があるこの井戸に向かって左側には樋を通って水が勢い良く流れており、丸型に開いた地面の穴に水が注ぎ込まれています。


(サンハー/下川)



(クランマー/蔵庭)

「ナハガー」から道を挟んだ南側に広場があり、民家の脇に「サンハー/下川」という井戸があります。現在コンクリートで仕切られた井戸の湧き水は枯れており、クワズイモをはじめとする亜熱帯植物で井戸は覆われています。「サンハー」の東側には「フシキンチジ森」と呼ばれる森があります。この森は背後にそびえる広大な「根謝銘グスク」に宿る山の神への御通し森であると考えられています。更に「フシキンチジ森」の西側には「クランマー/蔵庭」があり、昭和20年代までここで豊年踊りが行なわれたと伝わります。現在はその名残りとして「クランマー」まで「道ズネー/道ジュネー」を行い、三節(長者の大主・ながらた・上り口説)の嘉例(カリー)踊りが奉納されます。因みに「長者の大主/ちょうじゃのうふしゅ」は翁と媼を中心に子や孫等が登場し、感謝と喜びを込めて踊りつぐ華やかで明るい祝義舞踊として沖縄各地で受け継がれています。


(根差部親方/ネサシップウェーカタの神屋)

(根差部親方/ネサシップウェーカタの神屋の内部)

(根神屋/ニガミヤー)

「根謝銘グスク」の西側に「根謝銘集落」があり、根謝銘公民館の西側に「根差部親方/ネサシップウェーカタ」の神屋があります。「根差部親方」は首里王府の三司官の役職に就く役人でしたが、大島征伐の功績を妬む者達の策略により首里から根謝銘に都落ちしたと言われています。現在「根差部親方」の神屋は集落の守り神として祀られており「春の彼岸」「旧暦5月4日のユッカヌヒ」「秋の彼岸」に「根謝銘バール/インジャミ」で御願されます。神屋の内部にある仏壇には「根差部親方」を描いた古い掛け軸、ウコール、湯呑、花瓶が供えられています。さらに「根差部親方」の神屋の南西側には「根神屋/ニガミヤー」があり「根謝銘集落」発祥に関わる「根人/ニッチェ」が祀られています。もともとは「根謝銘グスク」にありましたが、現在地に移設され仏壇と火の神が祀られています。


(大石の前/ウフイシヌメー)

(潮崎/ウスザキ/根謝銘門丘/ネジャメジョウヂカサ)

根謝銘公民館の東側に「 大石の前/ウフイシヌメー」と呼ばれる大石が鎮座しており、その昔は大石の前に豚などの動物の姿をした化け物が出たという伝承があります。また、傍に建つ屋敷に火事があったため、火玉を防ぐために火山(ピーザン)に相対して大石(ウフイシ)を火返しのたみ祀ったとも言われています。さらに根謝銘公民館の南西側には「潮崎/ウスザキ」と呼ばれる小高い森があり、隣接する「喜如嘉集落」のターブクと呼ばれる畑はその昔は海であったと伝わり、潮が「潮崎」の森まで押し寄せていたと言われています。「潮崎」は「根謝銘集落」の入り口であり「根謝銘門丘/ネジャメジョウヂカサ」とも呼ばれています。その昔、葬式の際に故人を墓まで送る「野辺送り」の際には死者の髪の毛と爪を藁に包んで「潮崎」の森に投げ入れて集落との別れをしたと伝わっています。






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最終更新日  2023.06.01 13:18:23
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