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ベネディクト派の修道士ドン・ペリニョンが、本職を忘れて、ビン内二次発酵を考え付くなんて、どういうこっちゃー。お前は、沢庵おしょうかー。
欽ちゃんと一緒にやってみたのかー。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」かー。
でも、発酵だから、
「菌ちゃんのドンとやってみよう!」
じゃないのかー。
ピン子とやったら、
「ピンちゃんのドンとやってみよう!」
で、
略して、
「ピン・ドン」
なのかー。
飲みすぎて、
「ドンちゃん騒ぎ」
したのかー。
魔法使いチャッピーのパンダかー。
ひっくりかえって、
「ちゃんドン」ゴンかー。
「アーナーターガー、スッキダッカラァー」
なのかー。
キムチつくるのかー。
お前は、沢庵おしょうかー。

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2011年03月15日
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カテゴリ: ワイン

酔っ払いのコミュニケーション(Drunk Communication)

アルコールを摂取することによって、コミュニケーションが潤滑になる場合もあるが、飲酒量の度を越すと徐々に困難になってくるのは周知の通りであろう。

しかし、初期酩酊期に入ると、それを自覚しているいないにかかわらず他人とのコミュニケーションを欲するようになる。

意思疎通の能力が落ちているのに要求するという矛盾が生じるのだ。

今回のテーマはそういう場合にコミュニケーションを選択あるいは継続するかどうかがテーマではなく、酔っ払いのコミュニケーションを理解することに主眼を置いている。

酔っ払いの意思疎通における、大きな障害が言語の障害であろう。

これには様々な要因が考えられるが整理してみる。

アルコールが体内に入ると胃と小腸で吸収され血液に溶けて肝臓に運ばれる。

血液中のアルコールによって脳が麻痺する。血中あるいは脳中のアルコール濃度が酔っ払いの程度の指標となる。

まず、器質性要因としては、知的障害、その他、中枢神経系などの障害による発音、イントネーション、文法的問題があげられる。

俗に言う「ろれつが回らない」もそうである。言語の理解もそうである。また、自閉症、躁鬱(そううつ)、分裂症など精神的傾向が過大になる傾向も器質性要因にふくまれる。

理性や判断といったものが失われる傾向になる。自制機能の低下により感情的になる。

非器質性要因としては、心理・情緒的、対人関係上の問題などがある。

俗に言う「仕事」「恋愛」などの環境上の問題(ほとんどは人間関係による:ポジティブに現れることもある)によるものである。

俗に「忘れたいから飲む」という飲酒動機とも密接な結びつきがある。

この場合も器質性要因としての精神的傾向による要因と似た症状が現れるが、要因は複合的である場合が多く厳密に分析することはできない。

言語とは「発音」つまり「音を発する」運動機能はもちろん重要であるが、言語理解、構文力などの言語能力が必要である。

会話を継続するには、認知、理解、分析などの言語機能なしでは成り立たない。

言葉を話すことには左半球の下前頭回後部にある運動中枢がかかわり、言葉を理解することには左半球の上側頭回後部にある言語中枢かかわるとされる。

ただし現在では脳の言語機能に関する部分はもっと広い範囲にわたっているとされている。 

要因について知ることは重要だが、飲酒量が増すと要因はさらに複合化し、さらに新たな要因が現れたり、状態(症状)が進行する。

自閉気味な場合は状態の進行に気づきにくいが内面では進んでいる。

ここで言いたいのは、確かに、酔っ払いの飲酒による障害の「一般的な」特質は考慮しなければならないが、一人ひとりの酔っ払いの持つ認知や認識の特性やスタイル、知的レベル、興味、関心、性格等といったものを把握することも不可欠だということである。

酔っ払いとの付き合いは、聞き取り、ささいな行動の観察などを通じて情報を収集することからはじまる。    

また、そもそも言語とは特定地域社会の中で慣習的に共用される象徴的なものであり、規則の体系として表されるものであり、代表的なものは音声言語ではあるが、ゼスチャーなどのサイン言語、はては、表情などをふくめた表現類も重要な言語の一形式であると考えられる。

酔っ払いのコミュニケーション能力の欠如の進行とは、表現力の衰えと、認知力の衰えの両方について考えられるべきであり、ほとんどの場合において同時に進行する。

たとえば、言葉の中の「象徴機能」とは、そこにない物事を説明し呼び起こす働きをする機能であるが、説明する能力に欠ければ、相手には何の話をしているのか分からない。

つまり、相手を観察しなければ、相手が理解しているのかも分からない。

会話というのは、お互いが言葉の意味する物事を「知覚」によって、ある程度、共通に認識理解し、思い浮かべることによって、反応しあうということである。

酔っ払うと本人は他者とコミュニケーションをとっているつもりが、実際は経験的に獲得したコミュニケーションのマスター○ーション様を行っているだけで「会話の核」どころか「会話の目的」、果ては「相手の存在」も認識しなくなる。

酔っ払いが意味不明なことをしゃべっているようにみえるのも、質問しても正確に答えてくれないのも、話の内容が急に「とぶ」のも、同じ内容を繰り返すのも、話す相手が間違ってんじゃないかと思うのも、自分のことばっかりしゃべるのも、説教始めるのも、必死に訴えるのも、けんか売ってくるのも、「知覚」の損失あるいは麻痺によると考えられる。

酔っ払いのたわ言を「酒義酒張」という。

つまり、度をこした酔っ払いはコミュニケーションがとれないと考えればよい。

こっちもとる必要はない。あほらしい。話を聞いてやる必要はない。ただし、聞いてやってるフリをしなければならない。

自慰を手伝う必要はないが、自慰を見届けてやらねばならない。酔っ払いは露出狂なのだ。

飲めば飲むほど心の中はスッポンポンなのだ。チンコポを見せ付けたいのだ。チンコポ見てやらないと、ますます見せつけてくるのだ。

気持ち悪いのだ。






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最終更新日  2011年08月27日 13時57分29秒
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