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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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78番札所:郷照寺
道隆寺から郷照寺へ向かう途中、左手の車窓にゴールドタワーが姿を現した。
ゴールドタワーは、香川県綾歌郡宇多津町にあるガラス張りのタワー。
高さ:158m(127m:展望台) 竣工・オープン:1988年3月18日
改装・リニューアルオープン:2004年8月1日
そして20分ほどで78番札所:郷照寺(ごうしょうじ)に到着。
郷照寺 案内板。
地元の人から「厄除うだつ大師」と呼ばれ親しまれる郷照寺。毎年正月には
厄除けを祈願して10万人もの参拝客が訪れると言う宇多津町内の高台にあり
瀬戸内海の眺めを楽しむことが出来る寺。
江戸時代、鐘が割れて鳴らなくなった時、大阪からお遍路に来ていた鋳物師が鏡を入れて
造りなおしたところとても良い音色で鳴り、その音色に誘われて龍神が現れたという伝説が
あると。
郷照寺 境内配置案内図。
山門をくぐり、左側の石段を上がると駐車スペースになっていて左側にある鐘楼と手水舎の前の
数段の石段を上がると左に納経所、右向こうに本堂がある。
本堂左の通路を通り石段を上がると正面に大師堂がある。
正面下に観世音菩薩像そして遠くに瀬戸大橋を望めるはずであったが・・・・。
郷照寺仁王門
鐘楼。
手水舎。
本堂。
寺伝によれば、行基が神亀2年(725年)に一尺八寸(55cmという説も)の阿弥陀如来を本尊として
開基、当初は道場寺と呼ばれていた。大同2年(807年)に空海(弘法大師)が伽藍を整備した。
その時に厄除の誓願を修し大師像を納め、それが「厄除うたづ大師」として信仰されていると
云われている。仁寿年間(851年から854年)には理源大師が阿弥陀三昧の行を修した。
寛和年間(985年から987年)には恵信僧都が釈迦如来の絵図を納め釈迦堂を建立した。
正応元年(1288年)には一遍上人が遊行の折に3か月逗留し踊り念仏の道場を開いた。
その後も栄えたが天正の兵火(1576年から1585年)で堂宇を焼失するも寛文4年(1664年)
高松藩主松平頼重により再興、その時の住持と徳川家の関係により、時宗に属し郷照寺と改称。
このため四国八十八箇所では珍しい異なる2つの宗派が共存する寺になっているのだと。
仏光山 広徳院 郷照寺(ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ)
宗派 真言宗&時宗
本尊 阿弥陀如来
創建 神亀2年(725年)
開祖 行基
所在 香川県綾歌郡宇多津町字山下1435番地
本尊真言 ”おん あみりた ていぜい からうん”
庚申堂。
庚申信仰を伝える堂で、ご本尊には6本の手をもつ青面金剛と、
三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)が祀られているのだと。
ポックリさま。
本堂の右に。
撫で仏。
庚申堂の左横に。
本堂の奥から石段を上ると「厄除うたづ大師」で知られるという大師堂。
「厄除大師」と書かれた赤い提灯がいくつも。
大子堂天井。
「厄払祈願殿」と書かれた木札が左に。
厄年は体調の変化も起こりやすい時期・・・
厄年は災難や不幸に遭遇することが多いとされる年齢のこと。
男女で厄年は異なるが、一般的にみて、体調の面でも社会的役割の面でも大きな変化が
起こりやすい年齢のため、現在でも厄年を意識する人が多いのだと。
【男性】25歳、42歳、61歳
男性の42歳は「死に」に通じる大厄とされていると。
【女性】19歳、33歳、37歳、61歳
女性の33歳は「散々」に通じる大厄とされていると。
古い石仏や新しい石仏がたくさん境内に点在していた。
淡島明神。
江戸時代初めの頃、讃岐国では様々な病気が流行し、お産の後に身体をこわす女性がたくさん
いた。そこで高野山の以空上人に相談したところ、以空上人が郷照寺を訪れ
「このお寺をお参りする女性たちが丈夫に健康で幸せな生活ができますように、
良い縁に恵まれ子供が授かり、安産で生まれますように」と誓願なされた。
そして淡島からご本尊を勧請して、この淡島明神堂を造られたと。
それから淡島大明神は多くの女性の守護神となったのだと。
常盤明神の朱の鳥居の前には多くの種類の仏像が並んでいた。
中央に修行大師像。その右側に浪切不動明王。
花瓶を逆さに持つ仏像は?
赤い手すりの階段を降りると万躰観音洞
これぞ万躰観音。
釈迦如来。
多くの墓石がある境内。
白壁が美しい境内。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
79番札所:天皇寺
鳥居には「崇徳天皇」と書かれた扁額が掲げられており、ここは保元の乱に敗れ讃岐で崩御された
崇徳上皇にゆかりのある場所。赤鳥居の奥にあるのが、崇徳上皇の霊を奉る白峰宮。
天皇寺の山門は白峰宮の「三輪鳥居(みわどりい) 」が兼ねていて、
鳥居から直進すると白峰宮、参道の左右は天皇寺という珍しい配置になっていた 。
「三輪鳥居」は明神鳥居と同じような建て方であるが、明神鳥居の左右に、
わき鳥居をつけたもの。4本の柱を並べ、入り口が3ヶ所あり。
「天皇寺」と刻まれた大きな石碑。
崇徳天皇社が創建されてからはその別当となり、天皇にゆかりの深い寺ということから
「天皇寺」と称するようになったと。
明治初年の神仏分離令によって摩尼珠院は廃寺となり、崇徳天皇社は白峰宮と改称し
初代神官には摩尼珠院主が赴任した。また、明治天皇の宣旨により崇徳院御霊は京都白峯神宮へ
戻られた。 その後、明治20年に近く(約2km北の林田町)にあった末寺の高照院が移転して
七十九番札所を引き継いだと。
「さぬき十五社 第九番 白峯宮」と刻まれた石碑。
天皇寺 境内配置案内図。
四脚の赤い鳥居をくぐり、正面奥は白峰宮であり、その手前を左に行くと天皇寺の本堂と
その左に大師堂がある。右の門を入って行くと本坊がありその右側に納経所がある。
白峰宮本殿の向って右を通り境内を通り抜け裏に通ずる車道を500mほと行くと八十蘇場の
清水と地蔵堂があると。
境内を進む。正面に白峰宮が。
菊の御紋が入った境内の馬の像。
白峰宮の手水舎。
白峰宮。
「白峰宮」と書かれた扁額。
白峰宮内部。
地蔵堂か?
茶堂?
天皇寺の手水舎。
大子堂。
本堂。
2016年2月17日より1年間、本尊と脇仏日光月光菩薩は本坊にて御開帳された。
本尊の中には伝弘法大師作の十一面観音が胎内仏として納められていると云われている。
金華山 高照院 天皇寺 (きんかざん こうしょういん てんのうじ)
宗派 真言宗御室派
本尊 十一面観音
創建 天平年間
開祖 行基
所在 香川県坂出市西庄町字八十場1713番地2
本尊真言 ”おん まか きゃろにきゃ そわか”
境内から本坊への門。
見事な境内の植栽。
納経所。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
「三輪鳥居」を境内から。
最後に80番札所:國分寺を目指し門前に17時直前に到着。
しかし仁王門は17時に閉まってしまうとの事でこの日の遍路は諦め高松市内のビジネスホテルへ。
ホテルに着くと、発熱を感じたのでこの夜の外での夕食は諦め、旅友のSさんから
解熱剤を頂き、おとなしく早めにベッドに潜り込んだのであった。
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