JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.05.05
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昨日5月4日、我が家には、14時を過ぎると空が真っ暗になり、突然の雹(ひょう)が
降って来ました。我が家で前回雹を見たのは何時だったでしょうか?
5分程度で雹は止み、その後は雨が強く降って来たのでした。



拾って掌に載せてみると1cm以上の大きさ。
「雹(ひょう)とは、積乱雲から降る直径5mm以上の氷塊のことを指すのだと。
一方、霰(あられ)は雲から落下する白色不透明・半透明または透明な氷の粒で、
直径が5mm未満のものだと。」



そして雷も激しく。その時のスマホからのレーダー情報です。
そして我が地域は一時的な停電、そして14:52大雨・洪水警報も。




『旧東海道を歩く』ブログ 目次

長源寺を後にし、更に現国道1号線沿いの旧東海道をじわじわと上っていく。
ファミリーマートが左手に。



そして国道1号線に架かる歩道橋を渡り、反対側の旧東海道に進む。
歩道橋上から静岡方面を見る。
国道沿いに「名残の松」が。赤い貨物車の後ろの松が「名残の松」。



「丸子赤目ヶ谷」の歩道橋を歩き国道1号線を渡ると、「丸玄工芸」の黄金の観音像が
建っていた。



そして再び1号線沿いを進む。



『東海道ルネッサンス』と書かれたプレートが道路の縁石に埋め込まれていた。



1国の逆川交差点で再び旧東海道は1国を横断。
竹林の前に大きな石碑が。



この交通安全の石碑がある場所が『宇津ノ谷一里塚』



丸子川の橋を渡り進むと前方に『道の駅 宇津ノ谷峠』が。



『道の駅 宇津ノ谷峠』。



『静岡県へようこそ』が6ヵ国語で書かれていた。



道の駅でトイレ休憩。



『丸子路 広域マップ』。
安倍川から宇津の谷峠までの丸子路の広域マップ。



これから向かう『宇津ノ谷峠 周辺ガイド』。



この後に訪ねる『つたの細道』や『明治時代のトンネル』の案内も。



『東海道の難所 宇津の谷峠 国史蹟指定』
「  蔦の細道(平安の道)
   峠越えの古い東海道
     一つの峠に4本のトンネル
 ・明治のトンネル 標高115m  長さ203m
 ・大正のトンネル 標高107m  長さ227m
 ・昭和のトンネル 標高  70m  長さ844m
 ・平成のトンネル 標高  70m  長さ844m 」
宇津ノ谷峠には、明治時代のトンネル、昭和初期のトンネル、国道 1 号線 上りの昭和中期のトンネル、
1号線下りの平成七年完成の新トンネルの計4本のトンネルがあり、一つの峠に
4本も掘られているのは世界でも珍しいとのこと。



左の坂を登る道が『蔦(つた)の細道』。
蔦の細道は、宇津ノ谷峠越えの最も古い道で、天正十八年(1590)豊臣秀吉が小田原の
北条氏征伐のために旧東海道をひらくまでの、重要な道路であった。
そして在原業平の「伊勢物語」にも登場する古道であると。

「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に 逢わぬなりけり」



再び現1国の橋を渡る。下に見えたのが平成のトンネル『新宇津之谷隧道 下り線』。
奥が昭和中期のトンネル『新宇津之谷隧道 上り線』。



そして丸子川に架かる大黒橋(だいこくはし)を渡る。



旧東海道は左側。この先が宇津ノ谷の集落の入口



『ようこそ、宇津ノ谷へ』案内板。



宇津ノ谷峠へ向かう分岐。旧東海道は左の、小川沿いの道を進みます。



夢舞台東海道道標『宇津ノ谷』。



『安藤広重の東海道五拾三次之内・岡部「宇津之山」』
「難所といわれる宇津谷峠を越えると岡部宿である。薪を運ぶ木こり、菅笠をかぶる旅人。
奥に見える町へ出入りする様子である。
昼なお暗い山合いの川は段差で表現されるような急流で、左右の山の勾配も急である」







『交通の難所 宇津の谷峠』
「○蔦の細道 平安の道 
駿河なる 宇津の山辺の うつつにも  夢にも人に 会わぬなりけり  在原業平
○山越えの旧東海道 
江戸時代には参勤交代の諸大名も往来した重要な交通路で、明治維新には明治天皇も馬で

残されています。 
○明治のトンネル(明治九年開通) 
長さ六十八丈二尺(ニ三〇米) 
公費三萬五千円 人夫二十一万人(延べ) 
○慶竜寺 賽の河原の延命地蔵 
十団子の伝説 峠では旅人を捕まえて食べる鬼を小粒にして食べてしまった僧が現れたという 
句碑「十団子も小粒になりぬ 秋の空」許六 
○御羽織屋 
天正十八年(一、五九〇)豊臣秀吉が小田原征伐のため東上する途中休憩した時に
主人忠衛門が秀吉から紙子の陣羽織を賜ったという。 」



『​ 宇津ノ谷集落 ​』⬅リンク を上る。



『車屋』
各家に屋号が掛けられていて、古い風情を残していた。



『伊勢屋』。



『寿ゞ家』。



右上には『明治天皇御小休所跡』碑。



ここが『お羽織屋(おはおりや)』。



『秀吉公のお羽織の由来』。
「天正十八年 ( 1590 ) 秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、宇津谷に休息した。
その際、当家の祖先が馬の沓を献上し、また戦陣の勝利を示すような縁起のよい話しを
したので、帰りに立ち寄って与えたのが、当家所蔵のお羽織である。
表は紙、裏はカイキ、後に家康もこの羽織を見て記念に茶碗を与えたが、
これも当家に所蔵されている。東海道宇津谷 石川家 」

しかしながら『拝観中止』の張り紙が。



更に旧東海道を上っていく。



左に折れ『明治宇津ノ谷隧道(明治のトンネル)』に向かう。
すると一人で歩いているオバチャンが降りてきて私達に『明治のトンネルに行きますか?』と。
これから行くと返事をすると、一緒に連れて行ってくださいと。
直前にすれ違った人から猪が出るから注意せよと言われたとのことであった。



途中、ここにも常夜燈が。



5分ほど歩くと広場があり、東屋とトイレがあった。駐車場もあるので車で来ることも
できるのだろう。たぶん宇津ノ谷集落入口を右に行けば(慶龍寺のあるほう)、
ここまであがって来れるようであった。



『宇津ノ谷地区カントリートレイル案内図』。



『土木学会選奨土木遺産 2018 宇津ノ谷隧道群』のプレート。



そして『明治時代のトンネル』前に。
明治・大正時代(1876年~1930年)の東海道。
今見られる「レンガのトンネル」は、明治二十九年に照明用カンテラの失火によって
新たに造りかえたもので現在は、国の登録文化財に認定されていると。
最初のトンネルは日本ではじめて通行料を取ったので「銭取りトンネル」と言われていたと。
赤レンガに苔が生え、いかにも明治という感じだ。照明が付いているので怖くない。
最初のトンネルは明治9年に作られた有料トンネルだったが、カンテラ火災で焼失。
現在のトンネルは明治37年に作り替えられたものであると。



トンネル入口からズームで。
出口側の風景が解るのであった。



『登録有形文化財』のプレート。



中に入ってみると、白色系電球?の灯りがいい雰囲気。
話し声も反射してエコーがかかり。



『明治のトンネルの由来』



我々二人はこの明治時代のトンネルは途中で戻り、峠越えをするために来た道を戻る。
宇津ノ谷峠の全体を表す巨大な模型が展示されていた。
『​ 明治のトンネル ​』⬅リンク の詳細情報はリンクを参照下さい。



真っ赤な桜が開花。寒緋桜でしょうか。



宇津ノ谷集落を見下ろす。



『宇津ノ谷』道標。
岡部宿境まで二十六町(2.9km)。



そして『東海道宇津の谷峠越え』の木札を発見。
その奥には『旧東海道のぼり口』の案内板が。



『東海道宇津ノ谷峠道の御案内』
明治時代のトンネルの上部の山道をひたすら登る旧東海道山道。



山道入口の下には『水道造築記念碑』が。



                            ​ その2 ​ に戻る。

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 11:36:30
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