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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
大慶寺から300m先、右手奥に『正定寺』山門が。
藤枝市指定天然記念物『本願のマツ』があると。
「昭和61年10月6日指定
所在地 藤枝市藤枝2丁目699
所有者(管理者) 正定寺
正定寺境内の本堂前にあるクロマツで、傘形に枝張りした美しい姿に整えられています。
この場所は江戸時代の東海道「藤枝宿」の宿場町の西木戸口(にしきどぐち)近くにあたり、
古図などに描かれています。マツは享保15年(1730年)に田中藩主であった土岐丹後守頼稔
(ときたんごのかみよりとし)が大阪城代となった時に寄進されてものであるという由来が
伝わっています。
根廻 約3m 目通 約3m 樹高 6.3m
枝張 東西11.5m 南北 14m (データは指定時の数値)」
『山門』。
境内の『弁天わらべ地蔵』。
ズームで。動物のように見えるが『わらべ』。
正定寺の『本願の松』、別名『延命の松』。
『本願の松』。
「藤枝市指定天然記念物
江戸時代の享保十五年(1730)に田中城主土岐丹後守頼稔が大阪城代に登用されたとき
(1730年・享保15)、報恩感謝に植えたと伝えられている。
丹後守は境内の弁天堂に祭られている弁財天の信仰が篤く、大阪城代に登用されるに当り
報恩謝徳のために植えたといわれ、別名を延命の松という。弁天堂は老朽のため
明治四十五年に解体され、昭和四十七年に再建された。
目 通 3m
樹 高 6.3m
枝張東西 11.5m 南北 14m」
傘形に枝張りした美しい姿。この辺りが西木戸跡であると。
見事な枝振りそして手入れ。
『本堂』。
浄土宗 鎮西派 智恩院末 本尊は阿弥陀如来
大徳山 称名院 正定寺(だいとくざん しょうみょういん しょうじょうじ)
浄土宗正志寺は寛正3年(1462)、鎌倉光明寺の僧であった信蓮社貞誉によって
開創された。法然上人によって広まった弥陀信仰の拠点としてこの地域の人々が集まり、
往時は専修院、正明院という塔頭寺院を有していたという。天正年間(1573~1591)
火災に遭ったが、10世生誉によって再建された。
『六道能化(ろくどうのうけ)の地蔵尊(じぞうそん)』。
衆生が生まれながらに備わった生活活動によって生死を繰り返す、迷いや苦しみの
世界を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)というが、それぞれの道に在って難儀する者を
教化し救済する意で、「六地蔵尊」と呼ばれ、六対並んで建立されるのも常である。
左から『地獄能化』、『餓鬼能化』。
『弁天堂』
そして瀬戸川に架かる勝草橋(かちくさばし)を渡る。
瀬戸川は静岡県焼津市・藤枝市を流れる本流の二級河川。
2003年に一里塚と勝草橋公園の整備とともに架け替えが行われたと。
瀬戸川の上流側。
「竪絵東海道」と「行書東海道」「隷書東海道」には、この瀬戸川が描かれているのだ。
藤枝宿は葉梨川を渡った東木戸口から始まり、約2キロメートルに渡る細長い宿場町で、
瀬戸川は西端にあたる西木戸口に位置していたことになる。
『歌川広重 五十三次名所図会(竪絵東海道)』の『瀬戸川 かち渡り』島田へ二里九丁。
かち渡り【徒渡り】とは歩いて川を渡ること。
志太村・南新屋村・瀬古村・水上村と稲川村の一部が連合し、志太郡志太村家地太(かじた)に創設。この時すでに廃寺となっていた攝取院の堂宇を校舎として利用しました。
現在碑の北側にある八百屋・本陣の裏あたりが校地だったとされています。
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