JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) 根府川山は根府川に関係あるのですかね

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2019.05.12
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

島田市立博物館を後にし、大井川の左岸堤防に上がる。
この道は河原大井川港線・県道342号線。



階段を下り、堤防を降りる。
階段からの大井川下流方面を見る。
そして河川敷にある道路を上流に向かって歩く。



遠方にこれから渡る大井川橋が見えた。



河川敷を通って大井川橋の麓まで行きたかったが道路が駐車場までで終わっていたので
やむなく再び堤防上へ。



右手にあった石碑には『永仲景述』と刻まれていた。
『永仲景述』とはどのような意味なのであろうか??



石碑の前には『島田宿』道標が。



そして大井川橋の麓に到着。



脇には人道橋が設けられていた。



静岡県道381号島田岡部線(旧国道1号)の道路橋梁。全長1,026m(トラスは17連)。
対面通行。南側に歩行者・自転車用の橋が並行している。日本百名橋(私選)のひとつ。
この大井川橋の歴史は下記のごとし。

1870 年(明治 4 年) 1 - 川越人足廃止に伴い、渡船が運行開始。

1875 年(明治 9 年) - 木製の仮橋を架設するが、しばしば増水で流された。

1883 年(明治 16 年) 4 - 本設の木橋が完成。

1895 年(明治 29 年) 10 - 増水で流失し、渡船が復活。

1928 年(昭和 3 年) 3 - 鉄橋(トラス橋)が完成。

2006 年(平成 18 年) 3 - 橋東側の右折対策として回転道路を設置。



人道橋を進む。



大井川の上流側を見る。



こちらが下流側。遠くに見えるのが東海道線の鉄橋。



大井川は『箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川』と言われた難所であった。
そしてこの大井川の川越の様子が​ 様々な浮世絵 ​👈リンクに描かれているのだ。
まずは
再び『東海道五拾三次之内 島田 大井川 駿岸』
「五月雨の雲吹きおとせ大井川」と芭蕉も詠っているが、大井川の川越しは東海道最大の難所で、

実際にはありえないような、かなり高い視点から俯瞰して描いている。
大井川駿岸とは駿州、嶋田宿側の岸という意味。大名行列の一行であろうか。大勢の旅人が
描かれ、かなり賑やかな光景。
上の写真の中央辺りが、大井川の川越しの場所であったのであろう。



『東海道五十三次之内(行書東海道)島田 大井川駿岸』
この絵では川の中州には小さな木の仮橋がかかりそこを渡っている。
ところで、幕府が大井川に橋を架けようとしなかったのは、江戸初期はともかく、幕府権力が
確立し平和が続くようになってからは、江戸の安全を守るためではない。
地元の島田・金谷両宿の猛反対のせいだった。両宿場で、幕末には1200人以上いた川越し
人足の失業を防ぐため、宿場の衰微を防ぐためだった。
それが理由なら、旅人も少しでも楽に安く渡ろうと考えるのは当然。それが「廻り越し」。

それだけではない。天保9年(1838)には、川原の洲と瀬を結ぶ仮橋が河口部と島田の間の
20キロメートル足らずの間に6か所も架かっており、24文から40文という安い通行料で
旅人を渡していた。こういったことも、江戸の旅ブームを支えていたのだと。 



『東海道五十三次(隷書東海道)』より「東海道 廿四 五十三次 嶋田 大井川」
嘉永四年(1851)。





「大井川  渡りいそげば  宿の名の  がしまだの 目にはとまらず 森泉亭広規」



『歌川広重 五十三次 嶋田 嘉永五年(1852)閏二月』。



『北斎「東海道五十三次絵尽」「島田」』



『国貞「大井川歩渡之図」』



『島田 東海道 (御上洛東海道・行列)』
14代将軍家茂御上洛版画 金谷宿が見える。



大井川橋の中央付近まで進むがかなりの強風であった。



人道橋の路面には旅人の姿が。



そして大井川橋を渡り終わる。所要時間約15分強であった。
金谷側の『大井川』モニュメント。



こちらは『東海道五拾三次之内 金谷 大井川遠岸』。
同じ大井川の川越しを描いた北斎、『冨嶽三十六景』「東海道金谷の不二」と比べると、
川の水量の違いはあるにせよ、難所とは思えない、
穏やかな広重独特の空気が画面に流れているのも面白い。
金谷も嶋田と同じく、川留めになると賑わう町であった。
金谷側から見た大井川の川渡りの様子であるが、ここでは河を渡り切ろうとする様子が
描かれている。画中右の人足たちは、疲れ果てて横になっている者もいる。
河の大きさがわかるとともに、背景の山々を立体感を出して表現し、また背後の黒い平面的な
山々は、これからさらに続く旅の厳しさを暗示しているようである。



『東海道五拾三次 金谷(狂歌入り東海道)』。
「関口俊吉 大井川 渡る金谷に 旅ごろも 雲と水とに 身をまかせけり」
大井川の金谷側の渡し場が描かれています。画面右には荷物や人を乗せる
平(ひら)輦台(れんだい)が立てかけられています。
人足から受け取る荷物から、「島田」の場面と同じく大名行列の川越えであることがわかります。



金谷側の『大井川橋概要』銘板。
橋長:1026.4m 。



この後、左折し川岸の旧東海道が再び始まる場所に合流し右折するのであったが
我々は左折せずに直進し次の「金谷東1丁目交差点」先まで進んでしまったのであった。
本来の旧東海道沿いには『水神公園』があり、銅像や絵図が展示されていたようであった。


そして、5月22日(水)にこの『旧東海道を歩く』の為に浜松へ車で移動した際に
前回訪ね損なっていたこの『水神公園』を、この日に訪ねたのでこの内容を追加記入する。

『大井川橋』を渡り、直ぐに左折し堤防上を進み更に右折すると正面にあったのが『水神公園』。



『水神公園』内には銅像や石碑が。



蓮台での金谷宿側からの川越しの絵図。



『福寿稲荷大明神』。



真っ赤な小さな社殿。



『仲田源蔵銅像』



向坂弥平次(焼津)と共に大井川木橋の架橋に貢献した人物であると。



『義人 仲田源蔵経歴』。
「仲田源蔵は天保十二年(一八四一)醤油屋三代目として金谷宿八軒屋に生まれ、
二十六歳で家督を継ぐ。 
明治三年五月(一八七〇)に新政府から大井川川越制度廃止が発令され、島田、金谷合わせて
一二〇〇名の川越人足が失業し困窮を極め、見かねた源蔵は私財を投じて援助しますが
限りがありました。 
その後、求められて大井川金谷方川越人足総代を引き受け、島田郡政役所等に人足窮状を
嘆願するが却下される。この上は政府に訴える他ないと上京し、十一月伊達民部郷に直訴に及ぶ、
捕らえられ拷問を受けるが訴状事実が判明し釈放される。 
源蔵の熱意が政府を動かし、一戸あたり金拾両と東西萩間村原に三〇〇haの開墾が許可され、
明治四年六月金谷方人足百人を率いて入植し、牧之原大茶園の基礎となった。 
その後、向坂弥平次(焼津)と大井川木橋の架橋に専念し、明治十六年四月、全長七二〇間
(一三〇〇m)幅二間(三・六m)の木橋を開通させた。 
明治二十二年二月、享年四十八歳没し、丸尾原霊園に永眠する。」



『水神公園』前から「八軒屋橋」方面を見る。



『金谷宿川越し場跡』絵図。
対岸の「島田宿川越し場」と同じように、「川会所」「札場」人足の詰所「一番宿」から
「拾番宿」などの施設が置かれていたとのこと。



夢舞台東海道道標「金谷宿」。



東関紀行の大井川和歌の石碑。作者は不詳と。
「日かずふる 旅のあはれは大井川 わたらぬ水も 深き色かな」



和歌は、常葉大学の日比野教授が東関紀行(鎌倉時代 前期の紀行文)から選出されたもので、
石碑の裏にも 紀行文が彫り込んであり、 二軒家あたりから東町の方 向を見て、
広大な大井川に感動して詠まれたとされています。



道路の先、南側にあった『水神社』をズームで。
大井川の水害で亡くなった犠牲者を弔うために建立されたと言われる。 ここには観音堂があり、
文政11年(1828)の洪水で八軒屋橋近くに住んでいた修行僧が犠牲となり七番出堤で発見され、
近くの住民が水神社脇に観音堂を建てたもので、 「七番の観音さま」 と呼ばれていると。



『常夜燈と八軒屋橋』



案内板によれば昔は板橋だったようだ。
かつて、この橋のたもとに蕪村の句碑が立っていたと。 



下を流れる川は「新堀川」。



旧東海道を進むと右手に『旧家 加藤家』の案内板。
「ここに旧家 加藤家がありました 
ここに平成十六年まで江戸時代に建てられた加藤家が残っていました。 
地元ではしとみ戸などを含め昔の姿の復元をめざしています。 」



右手に『秋葉神社』。





そしてここからは、再び3月27日の旧東海道を歩く(藤枝~金谷)の内容です。
「金谷東1丁目交差点」。



交差点角にあった、10年以上道端で交通安全を唱えている「茶子ちゃん」。



「金谷東1丁目交差点」を直進しコンビニの手前を左折。



大井川線沿いを進む。



右手にあったのが『北向地蔵尊』。



『宅円庵』。



『宅円庵 由来』。
「慶安四年の開創 
宅円大徳上人の御名を記念せんがため、宅円庵と号す。 
後、火災に遭い、記録等、知る由もなく、伝記によれば、上人この附近を巡錫のみぎり、
某家の旅宿にて、自身の負わし薬師如来の夢に現れて『大井川は、水難多く、通行の旅人等の
悩めるを救わんがために一宇を建立せよ』との霊告あり。
附近の庄屋と相はかりて勧化せられしに浄賊集りて堂宇の建立をはたしたり。
本尊は薬師瑠璃光如来を奉祀したり。」



『六地蔵』。
左から檀陀地蔵、宝印地蔵、宝珠地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵。



隣にあったのが『日本左衛門首塚』。



「日本左衛門 は本名を浜島庄兵衛 といい生まれは定かではないが、遠州浜松在ではないかと
いわれています。
歌舞伎の青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)(白波五人男)日本駄右衛門の
モデルにもなりました。
義賊といわれ盗みはするが非道はしないというのが身上で、金持ちの蔵を破り生活困窮者に
盗んだ金をばらまいたという説もあります。詮議の手が廻り、もはや逃げられないことを
知った日本左衛門は京都で自首しました。そして、江戸に送られて処刑され、根城としていた
見付宿(現在の熱田市)でさらし首になりました。
辞世 「押取の 人の思い羽 かさなりて 身に青網の かかる悲しさ」
と詠んでおります。
金谷宿の「おまん」という愛人がひそかに見付宿から首を持ち帰り、
この宅円庵に葬ったものです。」



『無縁供養塔』。



そして墓地こしに真っ白な蒸気がモウモウと。



右手奥の新金谷駅の『大井川鉄道の転車台』にC5644蒸気機関車が当に転車・回転中であった。



180度回転し方向を変えたC5644蒸気機関車。
「1936(昭和11)年三菱重工業製で、札幌近郊や千歳線等で使用されていましたが、
太平洋戦争の開戦と同時にタイ・ビルマ方面の軍隊に供出され、戦時輸送のためタイへ
送られました。太平洋戦争激化により大破した車両が多い中、とても運の強いSLといえます。
1979(昭和54)年6月、タイから31号機と44号機が日本に帰国。
31号機は東京・靖国神社に、44号機は同年6月29日に大井川鉄道 へ入線しました。
2007(平成19)年の「日本とタイの修好120周年」を記念して、同年10月7日より
“タイ国鉄仕様”の姿(外観・塗装)で運転していましたが、2010(平成22)年9月に
“日本国鉄仕様”のカラーリングに戻し、2011(平成23)年1月29日に運転を再開しました。」



そして蒸気を吐き出し移動開始。



新金谷駅・格納庫脇にはこれも歴史を感じさせてくれる車両が。



C56蒸気機関車に別れを告げ、大井川鉄道の跨線橋を渡りながら転車台方面を
見ると再び勢いよく白煙が。



前方には橋が現れた。



大代川に架かる『ふれあい橋』を渡る。
大代川の上流方向を見る。大代川はこの先、大井川に合流する川。



橋を渡った先の交差点を左折し、東海道本線方面に向かう。
突き当りにあったのが、『宇布賣(うぶめ)神社』への階段。



石垣の丘の途中に鳥居が。
玉石を積んだ参道を更に進む。



この小さな社が『宇布賣神社』。
「宇布賣神社」は調べてみると、安産と子供の健やかな成長を叶えてくれる神様で、
毎年、4月4日の桜の季節にお祭りがあり、これから生まれる家と、無事生まれた家から、
それぞれ紅白の餅のお供えがあって、祭典が終ると、町内全家庭にお餅とお札を配るという。




                             ​ その7 ​  に戻る。

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 11:46:55コメント(0) | コメントを書く


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