JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
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2020.03.28
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





『山門』。



『本堂』。
超泉寺の創建年代等は不詳であると。



本堂に掛かる扁額は『超泉寺』。



本堂屋根の龍。



鬼瓦。



『沓掛』バス停。
『沓掛』は近畿以東の各地に見られる地名。
特に中山道碓氷峠の西側にあった沓掛宿は有名である。
沓とは旅人や馬の草鞋を指し、旅の道中で履き替えた草鞋を神社や寺の枝木等に掛け、
旅の安全を祈願する風習があったと。



更に沓掛地区の旧東海道を上って行く。



ここにも連子格子の旧家が。



道路横には広くはないが田園が拡がっていた。
正面の山は鈴鹿峠の東側にそびえる三子山(最高点が568m)で、その左側に鈴鹿峠があるのだ。



鈴鹿川沿いの旧東海道に面した民家。



『坂下簡易郵便局』。



人の姿はほとんど見かけない旧東海道。
正面に『 三子山 』。
左から三子山南峰(Ⅲ峰)540m、三子山中峰(Ⅱ峰)556m、三子山北峰(Ⅰ峰)568m。



坂下簡易郵便局から50mほど先の右手段上に 『庚申堂』があった。



堂は新しくなっていたが、中には宝珠のような石が祀られている。
これが『庚申様』なのであろう。







道路整備はこれぞ日本!!。
そして正面に三子山が再び。
東海道における峠越えの二大難所、西の鈴鹿に三子山、東の箱根には二子山があるのであった。



しかし民家の屋根が朽ちて今にも・・・。



『坂下簡易郵便局』から500m程行くと道は三叉路になり、東海道は右側の狭い急な坂を
登って行った。
先に進むと比較的大きな近代的な建物が姿を現した。



右手筋に東海道五十三次の宿場名が書かれた木柱が並んだ坂道が。
旧東海道はこの道を進む。



道路の左側に宿場名を記した木柱が。「日本橋」「品川」・・・。



バス停『鈴鹿馬子唄会館前』。



左手には『鈴鹿峠自然の家』駐車場があった。



石垣の上に建つ『鈴鹿馬子唄会館』。



見にくい『道標』。



『鈴鹿馬子唄会館』の玉石塀に沿って進むと
『坂下地区コミュニティーセンター 鈴鹿馬子唄会館』案内板が。



『鈴鹿馬子唄発祥之地』碑。



『鈴鹿馬子唄会館』の敷地内を探索。



『歌川広重 東海道五十三次 坂之下 筆捨嶺』
「坂下宿 上り下りの旅人で賑わっていた。江戸時代は大きな旅籠が軒を並べ本陣、
脇本陣の規模は街道一とも言われた。往時戸数三百余りと栄えた。」



「昔、狩野元信があまりの美しさに絵も描けないといって、筆を捨てたという岩根山。
鈴鹿川を隔て、見晴らしのよい峠にある「藤の茶屋」からの風景は、さぞ絶景であったのでしょう。
茶を飲みながら景観を楽しむ旅人が描かれています。
山の下にある白い空間は川のもやを表現したのでしょうか。距離感を生み、自然の雄大さを
見せています。」



『鈴鹿馬子唄会館』の建物。



亀山市乗合タクシーもここまで来るようであった。



サッカーボールのような建物・『鈴鹿馬子唄会館』。
「鈴鹿馬子唄の発祥の地として、末永く後世に伝えるため資料展示を行い、又生涯学習、
地域文化創造の場として活用できる施設である。ホール150名収容(舞台昇降式)、
会議室24名、和室8・12帖、調理室、ロビー展示コーナー(映像、グラフィックで紹介)、
芝生広場(観覧席有)。市外の方にも貸し出しを行っています。
東海道53次のマップをそろえ、京、江戸に旅する方の休息の場となっています。」
「鈴鹿馬子唄」は旅人を乗せた駄賃馬を引く馬子(まご)が、鈴の音に合わせて
「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と口ずさんだ民謡で、伊勢湾側の
「鈴鹿(坂下宿)」は晴れていても、峠を越えた近江側の「土山宿」では雨が降っている、
という気象の違いを謡ったものであると。



そしてその向かいにあったのが『鈴鹿峠自然の家(旧坂下尋常高等小学校)』。



「鈴鹿峠自然の家(旧坂下尋常高等小学校)
鈴鹿峠自然の家は、「坂下尋常高等小学校」 校舎として昭和13年(1938)に建てられた。
同小学校は、昭和54年3月に廃校となったが、その後は坂下公民館等として坂下地区の人々を
中心に活用され、現在は青少年のための宿泊研修施設 「鈴鹿峠自然の家」として
活用されている。

校地は、山の西側斜面を整地して造られており、南側に校庭をとり、校舎は北側に寄せて
建てられている。外観は、切妻平入形式の瓦葺で、正面玄関に切妻妻入形式で洋風の意匠を
施した車寄せが突き出ている。外観はペンキ塗りの洋風下見板張りである。校舎は南北の2棟に
分かれ、中央に中庭をとし、東西に廊下を設けて両棟をつないだロの字形の平面である。
校庭に面した南棟は、中央に玄関をとり、西側には教室一室と職員室・校長室を、
東側には教室一室と和室を設け、北側に廊下をとっている。また、北棟は、講堂と教室二室を
設け、北側に廊下をとっている。

平成11年、国土の歴史的景観に寄与しているとして、国の登録有形文化財(建造物)に
登録された。」




懐かしい校舎の姿。
この校舎は松下奈緒主演のテレビドラマ「二十四の瞳」の撮影に使われたとか。
そして敷地内にあるのが天文台『童夢(どーむ)』。定期的に星空観察会を開くなど、
天文ファンの間では、密かな人気スポットになっているとのこと。



「鈴鹿峠自然の家」の使用について。



東海道53次の宿場名を記した木柱が沿道に並ぶ。
「丸子」、「岡部」、「藤枝」、・・・



これから向かう「坂下」、「土山」、「水口」・・・。



現在地は「坂下」手前。



最終ゴールの「三条大橋」も残り4日か?



杉林の中の旧東海道を花粉対策用マスクをしながら進む。



『下乃橋(河原谷橋)』を渡る。
この川が沓掛と坂下の境にあたり、橋を渡ると48番目の坂下宿(さかのしたしゅく)に入った。
坂下宿は鈴鹿峠の登り口にある宿場町で、天保十四年の東海道宿村大概帳によると、
宿内軒数は153軒、人口は564人、本陣が3軒、脇本陣は1軒、旅籠は48軒の規模を
持っていたと。



坂下宿東側の町並みを進む。
人口の割に本陣、脇本陣が多いこと、そして全戸数から割り出すと3軒に1軒が旅籠だった
ことになる。旅籠の数の多さはこれから鈴鹿峠を越えようとする旅人の多くがここ坂下宿に
泊まることを想定してのことなのであろう。
今ではひっそり佇む山あいの集落の一つ。現在残る街道の道幅が二車線となっているが、
この道幅は当時からのものであると。
ここ坂下宿は当寺物産の集積地だったので、他の東海道より広かったのだと。
正面に見える山が『三子山』の一番左の山・南峰(Ⅲ峰)か。



特別養護老人ホーム『華旺寿(かおす)』案内板。
カオス(  Chaos) とは  「混沌(こんとん)・無秩序」 という意味であるが
特別養護老人ホームの名前としては・・・??漢字の文字面は良いが・・・・??



そしていよいと『坂下宿』の中心部へと。

                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.05.02 16:47:15
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