JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

【恵光院の菩提樹 ・… New! Gママさん

舞子公園でニューサ… New! 隠居人はせじぃさん

東海道まち歩き (2)… New! オジン0523さん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2020.04.02
XML

『旧東海道を歩く』ブログ 目次





先に進むと右手に旧道口があり、入ると直ぐ小公園があった。
『東海道土山宿 散策図』。



『鈴鹿馬子唄碑』。
「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山 雨が降る」。



『鈴鹿馬子唄』。
「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土 山雨が降る 
近江・伊勢の国は鈴鹿山脈で隔てられ、二つの国を行き来するには必ず峠を
越えなければならない。江戸時代の東海道は鈴鹿峠を越えていたが、
「東の箱根、西の鈴鹿」と言われるように
旅人には非常に難所であった。その為にこの峠を人や荷が越えるのには、馬の背を
借りることが多くなり、馬の手綱を引いて駄賃を取る馬子たちも多く存在した。
彼らの間で自然発生的に唄われたのが鈴鹿馬子唄で、日本各地に伝わる馬子唄や追分節と
よく似ており、ゆっくりした長子で哀愁を帯びた節で唄われる。
歌詞は七・七・七・五の甚句形式で、主に関宿や坂下宿のことが唄われている。
冒頭に掲げたのは一番の歌詞であるが、「あいの土山」の解釈には諸説があり判然と
しないものの、その中の一つには「あいのう雨が降る」即ち「間もなく雨が降る」と
解釈する説もある。
しかし今日では意味を問うことなく「あいの土山」として三音節ながら土山の枕詞のように
使われ多くの人々に親しまれている。」



この石碑には何が?



『東海道道標』
「京大坂 ← 土山宿 → 江戸」。



『あいの土山観光案内図』



『常夜燈』。



公園脇を流れる『山中川』。



『新名神高速道路高架橋』を前方に見ながら旧東海道を進む。



右手には『地蔵堂』が。



見事な彫刻。



『地蔵堂』の内部には『地蔵大菩薩』。



『新名神高速道路』は、三重県四日市市から滋賀県、京都府、大阪府を経由し
兵庫県神戸市北区へ至る高速道路(高速自動車国道)である。
略称は第ニ名神(だいにめいしん)、新名神高速(しんめいしんこうそく)、
新名神(しんめいしん)など。



かなりの高架、名称は『土山橋』。所在地 : 滋賀県甲賀市土山町山中-甲賀市土山町猪鼻
路面までの高さは約35mか?長さは507m(上り線)あると。



『土山橋』を潜る。



7径間連続PCラーメン橋のこの柱は何回打ちしたのであろうか?



そして国道1号線にこの先で合流。



中央に『竣功記念碑』。



『山中一里塚公園』碑。



山中一里塚公園には、櫟野観音道(大原道)道標・鈴鹿馬子唄之碑・馬と馬子の石像などが。
ここは江戸日本橋から数えて109番目(約428km)、京三条大橋からは16番目(約66km)と
なる一里塚跡である。



『櫟野(いちの)観音道(大原道)道標』。



『櫟野観音道(大原道)道標』
「山中地区の旧東海道沿い、現在は第二名神高速道路土山橋の橋脚が建てられている
この附近から南西に伸びる道がある。 この山道は、古くから東海道と神村(甲賀町大字神)
櫟野村(甲賀町大字檪野)方面をつなぐ生活の道として利用され、大原道とも呼ばれていた。
当時、道標は東海道との分岐点に建てられていたが、幾度の道路整備により、現在はここ
一里塚緑地に移転されている。 この道標には 「いちゐのくわんおん道」、側面には
櫟野寺本尊の十一面観音の慈悲を詠んだ、虚白の 「盡十方世にはえぬきや大悲心」 
という句が刻まれており、櫟野の檪野寺への参詣道でもあったことを伝えている。
自動車交通の発達にともなう道路の整備が進み、山づたいに広がっていた生活の道はほとんど
使用されなくなったが、わずかに残る道標は、道を通しての人々の交流を物語っている。」



『鈴鹿馬子唄之碑』。



『馬と馬子の石像』。
駄馬を惹く馬子を表していると思われる石像だが、風雨に晒されたためか




『一里塚緑地碑』と『第二名神起工の地モニュメント』。



『第二名神」滋賀県起工の地』
「平成七年十二月十八日に当地滋賀県土山町山中地先の土山橋下り線の下部工工事が第二名神の
滋賀県での最初の工事として着工されました。 当地が第二名神の起工の地であることを記念し、
また、古より東海道の宿場町として道と共に栄えてきた “あいの土山” の未来永劫の発展を願い、
ここに記念碑を建立します。」



『土山橋』を振り返る。



『山中一里塚公園
』を見る。



そして再び国道1号線を進む。
江戸時代の東海道の道筋は山中一里塚あたりから土山宿までは右に左にくねくねと曲がり
ながら続いていたが、国道1号線が旧街道の道筋を突っ切るように一直線に敷かれ、
旧街道はずたずたに分断されてしまったのだと。
その結果、旧街道の筋道は跡形もなく失われてしまっていると。
山中一里塚公園の国道1号線を挟んだ向かい側に、山手に入る旧道跡があるようであったが。
この道は、直ぐ先で草竹コンクリート工業株式会社に突当り、消滅しているのだと。



土山の名所案内標識。



『東京より437km』あたりから左へカーブし下って行った。



国道1号線を進み、『猪鼻交差点』が見えて来た。
ここは江戸時代は猪鼻村だったところ。



『若宮神社』社標のところから右折し、山中川方向に下って旧東海道に道筋に
復帰するのであった。



裏には『昭和一十七年 三河講中』と。



『あいの土山』。
あいの土山の「あい」はどういう意味か ​👈リンク を参照願います。



『四季彩とやまびこの郷  やまうち』



『猪鼻村碑』
左手に東海道猪鼻村碑が建っていた。ここが猪鼻集落の江戸方(東側)出入口。
猪鼻村は、土山宿から坂下宿間の立場 (休憩所) があり、草餅や強飯が名物であったと。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.04.26 06:42:37
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: