JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.05.20
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​​ 『旧東海道を歩く』ブログ 目次

草津宿の京口に平成14年(2002)に天井川の旧草津川から川筋を変えて付替えられた
草津川があり、ここに『矢倉橋』が架かっていた。



新草津川に架かる『矢倉橋』の位置図。
が「旧草津川」、これをほぼ真っすぐな の「新草津川」に流路変更。

現在は「草津川放水路」とも呼ばれている。



『矢倉橋(やぐらはし)』橋標。



『草津川上流域』。住宅の建っていた場所を移転してもらい掘削してこの「草津川放水路」を
造ったのだと。



『矢倉橋』を渡った直ぐ左手に、浄土宗の『法照山 光伝寺』があった。



奥に『光伝寺 山門』と『光伝寺 本堂』の屋根が見えた。



『浄土宗 法照山 光傅寺』寺標。



『光伝寺 本堂』
『光伝寺』は、承平年間(931-38)の開基であり、本堂は応仁の乱で焼失したが、
明暦年間(1655-57)に再興された。本尊の木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)は、
国の重要文化財に登録されている。



本堂に掛かる『法照山』の扁額。



『子育地蔵尊』。



『水子地蔵和諧』
「産みなす父母のまよいより 水子のうちに この世去り
 母の乳房をさがしつつ ひとり闇路の幼霊(おさなご)や
 哀れ愛しと抱きたもう 大慈大悲の地蔵尊
 あみだ如来の すがたかえ
 育て導く 最尊(ほとけ)なり」」



『鐘楼』。



『本堂 新築 記念』。
「ありがたや まことの心で 願いなば 法のみ寺の 建つぞうれし」。



旧東海道に戻ると、直ぐ右手に『武甕槌(たけみかづち)神社』があった。



『武甕槌(たけみかづち)』。
『武甕槌神社』の由緒等は不詳であが、武甕槌神は、日本神話にある神の名で、
建御雷神などとも記される。



右手の矢倉集会所の前に、色付けされた『地蔵尊』が祀られていた。



『小さなパン屋さん』。中2階には『虫籠窓』が。



そして『地蔵尊』の直ぐ先、右手に明治以前から創業する『古川酒造』があった。



『古川酒造』入口。
無料で酒蔵見学ができたようだが、「天井川」は『古川酒造』の代表的な銘柄のようであった。







『◯◯地蔵尊』



右手に『姥が餅屋旧跡』がありその前に道標が。
その名の通り「姥が餅」が名物の店でしたが、昭和13年に廃業してしまったらしく、
現在、同地には瓢箪(ひょうたん)専門店『瓢泉堂』が営業していた。



『道標』には『右やばせ道 是より廿五丁 大津へ船渡し』」と書かれていた。
ここから二十五丁(2.7Km)入ると 「矢橋舟着場」で、大津まで湖上一里の近道だが、
「もののふの 矢ばせの船は 早くとも急がばまはれ 瀬田の長橋」と詠まれた通り、
近道であっても西風が吹いて湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをするよりも回り道でも
瀬田橋回りが確実だったと。「急がば廻れ」の語源となっているのだと。



『矢倉立場』



「矢倉立場
東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿南に続く矢倉村。 立場とは、宿場と宿場の間に
茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、矢倉村には草津名物の
「うばがもち」を売る店があった。 この地に、そのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や
「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」などに、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する
光景が描かれている。 また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の
渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。 浮世絵などにも描かれた道標が、
今も軒先に建っている。 旅人は、俗謡に「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と
詠まれ、 旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で
大津へ渡るかを思案した。 そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言で
「急がば回れ」の語源になったところでもある。
武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(「醒睡笑」)と詠まれ、
近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用する
より、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることから、成果を急ぐなら、 遠回りでも
着実な方法をとる方が良いことを指南したのである。 



安藤広重『東海道五十三次』(保永堂版)より草津「名物立場」
この茶店は下図で正面を横切る東海道と、画面右奥に進む矢橋道(やばせみち)との
分岐点でもありました。
上の絵の茶店の端、矢橋道の入り口にある道標は現存していて、『瓢泉堂』の玄関先に
立っていた。
浮世絵の中に「うばがもちや」と建物右手に道標が描かれていた。
浮世絵に描かれている道標が、今も軒先に立っているのであった。



名物の『​ 姥が餅(うばがもち) ​👈リンク』。


    【 https://ameblo.jp/matasichi/entry-12454315828.html 】より


安藤広重『東海道五十三次』(隷書版)より「矢橋の渡し口 琵琶湖風景」



右手に『愛宕神社』。



『愛宕神社』社殿とその隣に色付けされた地蔵尊が祀られた小社があった。。



街道に戻ると、右手の民家前に目鼻を色付けされた『地蔵尊』が。



前方左手に朱の鳥居が見えた。



『稲荷神社』。
このあたりが「矢倉城遺構」となっていたが、全くの詳細不明。
奥まで探索したが、石碑や案内は一切なかった。本当にここに城があったのだろうか?
築城年代や城主なども一切不明と。



参道には朱の鳥居が続く。



漸く左手に折れた場所に社殿が。



社殿が二つ。



『朝日大明神 伊吹大明神』の幟が並んでいた。



右手に『草津市立矢倉小学校』。



電柱に『東海道 ここは矢倉2丁目』と。



『ようこそ南草津』案内板。



前方に『一里塚』の赤い文字が。
「上北池公園」内に一里塚があったのだった。




『東海道五十三次之内 草津 』。



『野路一里塚跡』碑。
本来は北東20m程度の民有地にあったとのこと。



「野路一里塚は、この石碑より北西に約三十米の所と道路(旧東海道)を挟んだ北東約二十米の
所の二ヶ所あった。 明治十四年頃に官地が私有地に払い下げられ、消滅するにいたった。
ここに野路一里塚の旧地を証するため、この石碑を建立する。」



「野路の一里塚
関ヶ原の合戦で天下を手中にした徳川家康は、慶長6年に東海道、慶長7年には中山道に対する
伝馬徴発令を発布するなど、いち早く江戸を中心とする交通、運輸網の整備を進めた。
慶長9年(1604)には引き続き東海道、中山道、北陸道の街道沿いに一里塚を設置した。
一里塚は江戸日本橋を起点とした一里ごとに旅の里程の目安として設けられた塚で、
その中央に榎などの樹木を植えたために、旅人の疲れを癒す格好の場ともなった。
東海道分間延絵図(文化3年作成)には、ここ野路の北川の北方の街道の両側にも長い
松並木とともに一里塚が描かれているが、 その木立は天保14年作成の東海道宿村大概帳や
元禄3年刊行の東海道分間絵図によれば、双方とも松であったことが明らかである。」



公園の西出口から真直ぐ方面が旧東海道であったが、ここでは道路を注意して横断すると
左手に『東海道道標』が建っていた。
矢倉南交差点前に有った東海道道標と同様、国道1号線とかがやき通りで分断された旧道の
迂回路が示されていた。



旧東海道に再び入り更に進み、小さな川を渡ると左手にあったのが浄土宗の
『本誓山 来迎院 教善寺』。



『教善寺 山門』。



『教善寺 本堂』。
教善寺は、承応2年(1653)隋誉による開基であり、
境内には聖観音菩薩・十一面観音菩薩立像・勢至丸像などがあると。



本堂に掛かる『本誓山』の扁額。



『勢至丸像』は法然上人の幼名。



『聖観音菩薩』。



後ろに『鐘楼』。



『鐘楼』前の『草津歴史街道 東海道』案内板。



「東海道
東海道は、中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中を加えた五街道の中でも江戸と京を結ぶ
江戸時代随一の幹線路であった。その里程は、江戸日本橋から相模小田原宿を経由、
箱根の関・大井川を越え、遠州灘沿いに西進し、伊勢桑名宿を経て、鈴鹿峠から近江に至り、
土山。水口・石部・草津の各宿を経由、勢田橋を渡り、大津宿を経て京三条大橋に至るもので、
東海道五十三次と称された。草津では、小柿から大路井に入ると、すぐ砂川(旧草津川)を渡り、
11町53間半(約1.3km)の草津宿を経て、矢倉・野路・南笠を通過し、勢田に至った。
草津宿には、本陣・脇本陣などが設けられ、常善寺・立木大明神(立木神社)ほかの
多数の社寺が立ち並び、70軒を越える旅籠をはじめ500軒以上の町家があった。
また、矢倉には光伝寺・姥ヶ餅屋・矢倉道標・野路には一里塚・教善寺・新宮大明神(新宮神社)
野路の玉川跡など社寺名所が在り、 矢倉野路間、野路南笠間の街道沿いには松並木が続いていた。」



『教善寺』の隣に『地蔵堂』があり、全体を白く塗り、目を黒く塗った
『地蔵尊』が祀られていた。




                                                                                        ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・​​






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Last updated  2020.05.24 20:18:21
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