JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.13
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カテゴリ: JINさんの農園
山門に向かって境内を進むと左手にあったのが「手水舎」。
鬼瓦や欄間に彫られた龍が見事であった。



桂谷霊泉 大師の湯 」と呼ばれ、 龍の口から流れ出るのは、なんと温泉 なのであった。
桂谷山寺 」と呼ばれていたと。



桂谷霊泉 大師の湯 」。



源泉かけ流しで、約60度とちょっと熱め。手と口を清めるための御手水ですが、
修禅寺の場合、その場で 飲むことも可能 と。



龍の口から出る温泉!!
温度は熱すぎずぬるすぎずの適温。冬でも楽しく手、口を清めることができておすすめ。
観光客からも人気がありペットボトルに入れて持ち帰る方もいたのであった。



洗浄偈
以水滌穢、当願衆生、具足浄忍、畢竟無垢 」と。
【水を以て穢(けがれ)を滌(あら)わば、当に願うべし、衆生の、浄忍を具足し、
畢竟無垢ならんことを】
『水で汚れを流すにあたって、すべての生あるもののために願わん。忍耐の身心をもち、
どこまても清浄ならんことを』 と。



「手水舎」の奥にあったのが「 温泉分析書 」。



ズームして。
泉温  60.1℃
知覚的試験  殆ど無色、透明、無味、無臭
水素イオン第度(pH値) 8.6
電気伝導度(EC値)         86.1mS/m
蒸発残留物                  0.512g/kg(110℃)



そしてさらに山門に向かって境内側から進む。



百度石 」。
「お百度参り」による願掛けは、ここをくぐっては本堂に参拝することを百回繰り返して
行ったのだと。



「百度石」前から「山門」を見る。



「山門修復寄付芳名碑」。



山門の内側にある切り株上に祀られている石像、「双体道祖神」であろうか。
その手前に奉納?されているものは?



平成26年9月に修復された修禅寺「山門」を潜って、振り返る。



「山門」の扁額は「 降魔場(ごうまじょう) 」 
西有穆山(にしあり ぼくざん)禅師書。
西有穆山禅師は、江戸時代文政4年八戸湊町に生まれ、江戸後期から明治時代に
活躍された名僧。
永平寺西堂、可睡斎住職、大本山能登の総持寺独住三世、曹洞宗管長など、数々の要職を
歴任され、明治天皇より勅持賜直心浄国禅師の号を賜っている高僧。
小田原海蔵寺の月譚老和尚のもとに12年間修学し『正法眼蔵』を参究、
明治33年横浜に西有寺を開き、同34年に能登総持寺に晋住、同43年、90歳で示寂された と。
「降魔場」とは護摩を焚いて祈願する場所 とのこと。
多くの「 千社札(せんじゃふだ) 」が扁額の周囲に貼られていた。



「金剛力士像」(阿形像)

この金剛力士像は全国でもまれな藤原時代の作。一木彫りで像高は183cm、作者は不明。
夜にはライトアップされるため、より迫力ある金剛力士像が見られるのだ と。
昔の修禅寺は広大で総門まで約2km。金剛力士像はそこで寺を守護していたが、明治初め頃に
総門が無くなり指月殿に安置されることになりました。その後、2014年に山門を改修した際、
仁王堂が新設され、また山門で守護できるようになったという歴史があるのだ と。



下半身を。



横から。



木造 金剛力士像 阿形 平安時代後期作 」。



「金剛力士像」(吽形像)



下半身を。



横から。



木造 金剛力士像 吽形 平安時代後期作 」。



「山門」前から「桂川」方向を望む。



左手に 開基の「弘法大師」碑



右手に 「献燈」碑



そして通常とは逆方向に「修禅寺」境内を散策し、石段を下りて山門を振り返る。



再び「 虎渓橋(あこがれ橋) 」を渡りながら、「 独鈷の湯 」を見る。



土産物屋「 湯川修善寺屋 」を訪ねた。



店内には木材や竹、木彫りで出来た民芸品が 所狭しと並んでいた。



木製の面や木造物が。



修禅寺宝物館の「 頼家の仮面(死相の面) 」に似て。



木彫「文殊菩薩」。



つるし雛が店頭・海鼠壁の前に。



そして修善寺の最後に訪ねたのが「 仰空楼(ぎょうくうろう)(筥湯横無料展望台) 」。
名前は文豪・夏目漱石の漢詩にちなむとのこと。



文字の書かれた多くの竹筒があったが・・・???



「仰空楼・筥湯横無料展望台」から、先程渡った桂川に架かる「 渡月橋(みそめ橋) 」を見る。



桂川に沿って走る「修善寺戸田線」を見る。



その先・写真左に「 新井旅館 」。
明治5年創業、数多くの文人墨客に愛され多くの名作を生んだ純和風旅館。
温泉は全て源泉掛け流し。荘厳な趣の大浴場「天平大浴堂」、渡りの橋、文人墨客に
ゆかりのある客室など15棟が国の登録有形文化財。



「仰空楼(ぎょうくうろう)(筥湯横無料展望台)」の隣りにあったのが「 筥湯(はこゆ) 」。



筥湯の由来
伊豆最古の温泉場として栄えてきた修善寺には、かつて川原沿いに九つの外湯がありそれぞれ
浴客で賑わっておりました。
しかし昭和二十年代には「獨鈷の湯」だけが残って往時を偲ばせるのみとなってしまい、再び
外湯巡りを楽しんでいただくため、平成十二年二月に再建したのが筥湯です。
鎌倉幕府の公的な史書である「吾妻鏡」などによりますと、元久元年七月十八日のこと、修禅寺へ
幽閉中の源氏二代将軍頼家は北条氏の刺客に襲われますが、記述内容から入浴中であったとの
定説になっておりますかつてこの付近にあった旧「筥湯」跡を旅館新築の基礎工事のため掘った
ところ、古い湯殿跡が発見され頼家入浴の温泉ではないかといわれております。
筥湯の語源はわかっておりませんが、筥とは竹などで編んだ丸い米盛り器のことで「箱湯」との
記載例もあります。
また修禅寺宝物館所蔵の江戸時代の古絵図によりますと、虎渓橋のたもとに「中の湯」があり
「此處頼家公御入浴之地也」と書かれてあるところから、筥湯の旧名であり先に発掘された湯殿で
ある可能性もあります。」




                                 ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・









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Last updated  2024.02.13 06:53:46
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