JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.28
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カテゴリ: JINさんの農園
7世紀前半 浅間様古墳(せんげんさまこふん)

石室内にお祀りされている、八幡様(大日如来の石像)は「御穴様」と呼ばれ信仰の対象と
なっている。古墳の名もこれに由来し「穴八幡」とも呼ばれる。  
横穴式石室は、良く整った切石積で、構築されたいへん美しく、古代人の技術の高さを
知らされる。
別名・・・穴八幡、西岡第34号古墳
墳形・・・円墳
埋葬施設・・・横穴式石室」 



更に展示ブースを観る。



4世紀末
田園調布4丁目4番
蓬莱山古墳
多摩川下流域で最大、最古の前方後円墳。
南武蔵でも後の荏原郡に当たる地域を治めた首長の墓ではないかと考えられている。
四獣鏡や紡錘車形碧玉製品の出土が、この首長の強い政治力を物語っている。



粘土層の復元図
上段、左から直刀、直刀、直刀
中段、上、左から管玉、管玉

中段、下、左から勾玉、勾玉、勾玉、小玉、丸玉、直刀

『武蔵国史跡めぐり/多摩川台公園古墳展示室(Ⅱ)』 mk-7_f0339895_11540525.jpg

上段:「四獣鏡」(左)と「紡錘車形碧玉製品」(右)
中段:「大刀」(左) と「槍」、「刀子」(右)  
下段:「勾玉」、「管玉」、「小玉」、「丸玉」 



四獣鏡
蓬莱山古墳
原資料所蔵 
慶応義塾大学民族学考古学研究室
中国製獣帯鏡をまねて作った倣製鏡(日本製の鏡)で「獣形鏡」とも呼ばれ、鏡面の裏に獣の姿が
簡略化され、描かれている。
4世紀代を中心に製作され、東日本では発生期の古墳から出土する。
副葬された鏡は、実用品的役割より宝器として重要な意味を持つと考えられている。」 

『武蔵国史跡めぐり/多摩川台公園古墳展示室(Ⅱ)』 mk-7_f0339895_12231250.jpg

紡錘車形碧玉製品
蓬莱山古墳

原資料所蔵 
大田区立郷土博物館
紡錘車は、糸を紡ぐために使われる道具だが、これは形が似ているだけで、宝器として扱われて
いたと考えられる。
その使用方法は、①玉杖(権威を誇示するために用いる杖状の道具)の部品、②単独で


『武蔵国史跡めぐり/多摩川台公園古墳展示室(Ⅱ)』 mk-7_f0339895_12254261.jpg

大刀
蓬莱山古墳
原資料所蔵 
大田区立郷土博物館」 



勾玉
蓬莱山古墳
原資料所蔵 
大田区立郷土博物館」



小玉
蓬莱山古墳
原資料所蔵 
大田区立郷土博物館」



丸玉
蓬莱山古墳
原資料所蔵 
大田区立郷土博物館」



指定書
蓬莱山古墳
指定面積 3,931平方メートル
右を東京都指定 史跡 に指定する
平成八年三月十八日
東京都教育委員会」 



4世紀末~5世紀初
所在地・・・田園調布一丁目、多摩川台公園内
亀甲山古墳(かめのこやまこふん)
横から見た墳形がカメの姿に似た山に見えたため古くは亀塚・亀塚山・亀ノ甲山・亀山と
よばれていた。
国史跡として保存され、その内容はよくわからないが、墳形の特徴や埴輪・葺石を持たない
ことなどから、蓬莱山古墳の次の世代の首長の墓と考えられている。
別名 西岡第46号古墳
墳形 前方後円墳
規模
全長径107.25m
後円部径66m、高さ約10m
前方部幅49.5m、高さ約7.5m」 



所在地・・・田園調布5丁目2番
5世紀前半
西岡第31・32号古墳
隣合って位置するこれらの円墳は、同一の古墳で前方後円墳になるという説もある。
第31号古墳から貝製の腕輪を模した石釧(いしくしろ)が、第32号古墳からは南武蔵最古の
円筒形埴輪が出土している。」 



円筒形埴輪 」。



円筒形埴輪
西岡第32号古墳

原資料所蔵 
大田区立郷土博物館
円筒形埴輪は2本出土しており、大きさや2条ある凸帯位置.に共通性かみられる。共に底部より
15cm程の間は器面の荒れが激しく、この部分を墳丘に埋めていたと想像される。
器形では、太さがほほ一定していること、ロ辺が大きく広がること、凸帯の突出度か強く太いと
いった特徴かある。また、器面には黒斑(煤痕)か残り、焼成は野焼きで行われたと考えられる。
これらの特徴は、この埴輸が5世紀前半に作られ、荏原(台)古墳群で最古の埴輪であることを
意味している。」 



6世紀前半
西岡第28号古墳
多摩川流域最古の横穴式石室を持つ古墳であったが戦前に宅地化され消滅してしまった。
しかし、ここから出土した六鈴鏡は、南武蔵国と上毛野国(現在の群馬県)との関係を
暗示する貴重な資料である。」 



六鈴鏡
西岡第28号古墳
原資料所蔵
慶応義塾大学民俗学考古学研究所
獣形鏡の系統の文様をもつ倣製鏡(日本製の鏡)のまわりに、鈴が6つ付いている。鈴鏡は関東・
中部地方に分布し、なかでも北関東地方に多いため、ここを製作地とする考えもある。
鈴鏡を持つ巫女の埴輪があるため、祭祀用具として使われたと考えられる。」 

20170516002209765.jpg

5世紀末~6世紀初
所在地・・・田園調布一丁目55番
浅間神社古墳
多摩川を見下ろす舌状大地の先瑞に位置する前方後円墳。
前方部は東向きとされていたが、平成2年の発堀調査て、反忖側の西向きに位置することが
わかった。
後円部上に多摩川浅間神社社殿が建立されており古墳の名の起こりもこれに由来する。
人物形埴輪・鹿形埴輪・馬形埴輪・円筒形埴輪が多摩川側斜面を中心に出土し、豊富な種類の
形象埴輪を伴う埴輪列の存在が考えられる。」 
墳形・・・前方後円墳
規模・・・全長約60m
     後円部径32m
出土品・・人物(男子)形埴輪1、馬形埴輪1、
     鹿形埴輪1、円筒形埴輪、朝顔形埴輪


馬形埴輪
浅間神社古墳
原資料所蔵
多摩川浅間神社
馬形埴輪は動物型埴輪の中でも最も出土例が多く、ほとんどが、飾馬として表現されている。
口の両側には鏡板が、頭から首にかけては、たてがみが表現されていたと想像される。
全長1.5m~2mほどに復元されるであろう。
鹿形埴輪
浅間神社古墳
原資料所蔵
多摩川浅間神社
鹿は、食料として狩猟され、角は道具や装身具を作る重要な材料となった。また、神聖な
動物として尊ばれ、人々にとって身近な動物でもあった。そのため、弥生土器や銅鐸にも描かれ、
埴輪にも多く見られる。」 



所在地・・・鵜の木一丁目17番
三島塚古墳
田園調布古墳群の東南に続く段丘上に位置していたと伝えられるが、宅地化され存在しない。
その内容についてはほとんど判らないが、優しい笑みを浮かべた女性の埴輪は古墳の存在を今も
語り伝えている。」 



人物(女子)形埴輪
三島塚古墳
原資料所蔵
増明院
円板状に表現された結髪は、古代の女子の「島田髷」で、髪中央にみえる四角い板は束ねた部分の
表現こあろう。額には髪を押さえ、装飾ともなる櫛がさしてある。


浅間神社古墳
原資料所蔵
多摩川浅間神社
一見坊主頭のようだが、額の両側に何かが剥がれた痕が見え、「美豆良」という古代では男子
だけがする結髪が表現されていたことがわかる。また、頭上に直径2cm程の孔があるが、冠などが
はめ込まれていたと想像される。」   



所在地・・・田園調布二丁目45・48番
田園調布埴輪製作址
埴輪の工房、土師器の工房、窯跡などからなり、埴輪生産を総合的に考えることのできる
全国的にも数少ない貴重な遺跡。
簡単な屋根を被せただけの竪穴の中で、家族的少人数によって、付近から採集した粘土を使い
一回に7・8個の埴輪を作り、登窯で焼いていたのではないかと考えられている。」 
遺跡は、
  1)随輪製作所 ( 埴輪製作の工房と考えられる竪穴 )
  2)土師器( はじき )製作所( 土師器製作の工房と
    考えられる竪穴 )
  3)購状遺構( 断面V字状の不明な溝 )
  4)窯祉( 上記遺構の西方の崖に沿って発見された
    埴輪焼成用容窯( 登窯 )
から構成されている と。
道路工事の際偶然発見されたこの遺跡を、大正15年( 1926 )発掘調査した「 森本六爾 」は、
埴輪製作の様子を、貧しい屋根を被せただけの貧弱単純な竪穴内で、家族的小人数によって、
付近から採掘された粘土で、一回に7、8個の埴輪を製作し、害窯で焼いたのではないかと
考えました  とネットから。



「埴輪製作所復元模型」。



そして、ここで製作された埴輪の供給先である古墳は、築造に多大な労力、時間、経済力を
必要とし、又豊富な金属器も副葬されているのに対し、鉄器すら出土しなかった埴輪製作祉との
間には、階級の違いがあったことを否定できないと述べ、埴輪は、古墳を築造するような
特権階級社会に一つの商品として支持され、古墳の外部施設のほんの一部として用いられたのだ
としました。全国的にみても、埴輪生産を総合的に復元できる遺跡が少ない中で、貴重な遺跡
ですが、現在 遺跡は宅地化され、又 出土遺物も所在不明になっているとのこと。
「田園調布埴輪製作」場所の想像図。



次々と古墳紹介が続いていた。



所在地・・・田園調布四丁目9番
観音塚古墳
観音塚という名は、江戸時代にここから出土した人物(男子)形埴輪を観音様として、古墳上に
御堂を建てお祀りしたことに由来する。
頭に帯状の飾りのある帽子らしいもの被り、衣は左前にあわせられ胸紐で結ばれている。
首には、玉を連ねたネックレスが回っていたようてある。
耳の脇から胸の上にかけて美豆良(男子の髮形)が表現されていた。文人を表現した埴輪てあろう。
この埴輪以外にも、馬形埴輪(鈴が出土している。)・大刀形埴輪・円筒形埴輪が出土しており、
墳丘上に豪華な埴輪列が並んでいたことが想像される。」 
名称 :西岡第36号古墳
墳形 :前方後円墳
規模 :全長41m、高さ2.7m
    後円部・前方部幅13m
石室 :横穴式石室
出土物:大刀形埴輪1、鈴形埴輪(馬形埴輪の一部? ) 1、
    人物形埴輪、2 ?、円筒形埴輪3、
    馬具(雲珠・轡他) 24、大刀4、刀子3、
    鉄鏃97、鉄環2、管玉8、切子玉6、小玉73」 



様々な出土品。



観音塚古墳から出土した遺物のレプリカとともに説明板が設置されており、照善寺所蔵の
人物型埴輪の写真と解説が記されていた。
正面に「大刀形埴輪」と「大刀」。



大刀形埴輪
観音塚古墳
原資料所蔵
元東京都武蔵野郷土館
祭祀儀礼に用いられた「玉縄大刀」と考えられる。 把(つか)の部分に勾金(弓形に湾曲した付属品)を取り付け、その外側に装飾として三輪玉が
4個付けられていた。鍔の位置に低い凸帯がみられるが、喰出鍔(はみだしつば・
太さより
わずかにはみ出す大きさの )を表現したものかもしれない。鞘には逆ハート形に見える紐も
着けられている。
かっては、その姿から「消化器形埴輪」とも呼ばれた。」 



大刀
この大刀は人骨(被葬者)の右側に並行して、切先を奥壁に向けて置かれていた。
生前から用いていた大刀なのであろうか?あるいは、悪霊から身を守るために副葬され
たのであろうか?」


年代詳細不明
所在地・・・雪谷大塚町14番
鵜木大塚(うのきおおつか)古墳
元気な子どもたちの声が聞こえる調布大塚小学佼の北側、対照的に物静かな稲荷社の烏居の奥に、
比較的残りの良い円墳がある。
「大塚」と俗称され、付近の地名「雪谷大塚町」の名の起こりとなっている。」 
別名:大塚
墳形:円墳
規模:径約27m、高さ約6m



6世紀末~7世紀前半
所在地・・・田園調布五丁目29番
西岡第22号古墳
昭和6~7年、墳丘の約半分が道路工事て削られた際、発掘調査が行われ横穴式石室が登見された。
その玄室には、床一面に玉石が敷かれ、その上に多くの副葬品が置かれていた。
6mの小さな空間にも、首長を弔う古代人の心が詰まっている。」 



「刀子」、「鉄鏃」、「雲珠」。 



そして、展示室の壁面の展示につづき、中央に置かれた箱の中を覗いてみる。
木棺に埋葬された様子を再現したものであった。
木棺に埋葬された首長 」。



棺の中には美しく盛装した先代の首長と共に武器や装身具、首長のシンボルである鏡などが
副葬品として納められていた。

『武蔵国史跡めぐり/多摩川台公園古墳展示室(Ⅱ)』 mk-7_a0289546_08453172.jpg


木棺に埋葬された首長
棺の中には、美しく盛装した先代の首長と共に、首長が生前愛用していた武器や装身具、首長の
シンボルとしての鏡などが副葬品としておさめられている。
周辺ケース内に展示せれている出土品も、昔はこのように美しい姿をしていた。
この副葬品の種類や量を調べることによって、首長が埋葬された年代、武人として活躍したのか、
もしくは文人として優れていたのかなど、首長といての性格・権力、他地域の首長との関係、
古墳時代の生産技術や生活など、いろいろなことが考えられる。」 




                                  ・・・もどる・・・



                    ・・・つづく・・・








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Last updated  2024.02.28 06:23:20
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