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ブラッシュ・ブールソール OLD.R、1848年以前作出、作出国は?。 美しい ソフトピンクの八重カップ咲き、中輪、繰り返し咲性、微 香。 ブールソール系なのでトゲが少ない。 ブラッシュ・ブールソール・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(21) マルクト広場からロイヤルデルフト工房へはすぐ近くで、10分もしない うちに着いた。 窓越しに大きな壺が見える。 入り口を入ると正面に、大きな四角い陶板がある。 1653年創立時の ブランド印であろうか。 中世期の面影が残っている中庭の回廊を通って工房に向かう。 工房内は 新しい陶磁器工場といった感じである。 工場の一角で、白生地に昔なが らの手法で絵付け作業を行っている。 気が遠くなるような根気のいる作 業のようだ。 ロイヤルデルフト工房 12世紀ごろスペインのマジョリカ島を経由してイタリアに持ち込まれた 陶器は、まぎれもなくラスタ-彩を中心にしたイスラム陶器そのものであ った。やがて彼らはそのラスタ-彩陶器に改良を加え、さらに独自に完成 した錫釉陶に、ラスタ-技法で学んだカラフルな鳥や草花文を器形に配す ることによって「マジョリカ陶」を誕生させることに成功した。(ラスタ ー彩=金彩に似た輝きを持つ9~14世紀のペルシャ陶器、錫釉=白色不 透明なうわぐすり。) 16世紀になるとマジョリカ陶はルネッサンスの影響を受け、一層写実的 要素を深め、芸術の一分野としてヨ-ロッパの人々に愛好され、東洋陶磁 がヨ-ロッパに普及するまでの期間ヨ-ロッパを代表する焼物として君臨 していた。 オランダは、17世紀初頭には、盛んにマジョリカ陶器の模造をおこなって いが、東インド会社の活躍が活発になるに従いマジョリカ風の陶器から東 洋陶磁器の模造へと変化していった。そのきっかけを作ったのが1602 年である。 ポルトガル船サンジャゴ号がオランダ船に奪われた。サンジャゴ号には、 万暦窯(1563-1620)の磁器皿28包・小皿14包が積み込まれていた。その2 年後に同じポルトガル船のカテリ-ナ号が拿捕され、アムステルダムに連 行された。この船には、約60トンの万暦窯の染付磁器が積まれていた。 この磁器を求めてヨ-ロッパ各国からバイヤ-たちがオランダに集まった といわれる。このことがあって、中国磁器はヨ-ロッパにおける王侯貴族 のあいだで、極めて珍重され、重要な輸入品として求めるようになった。 輸入に満足でなくなったオランダでは、17世紀のなかごろビ-ル工場を改 造し、1653年陶磁器を専門に焼くロイヤルデルフト工房を設立した。 設立当初錫釉陶器を中心に焼造していたが、中国が明から清へ移行する混 乱期となり、生産が減少し輸入が困難になると、自から磁器の研究にかか り、他の国々に先駆け、いち早く中国風の染付磁器や、伊万里焼を写した 磁器の模造をおこない盛んに焼かれるようになった。 デフルトで焼造された磁器は、ぼってりと厚く軟質の素材に白色の錫釉を 掛けた斬新な作品が多く、彩画を施したマジョリカ陶器に慣れ親しんでい たヨ-ロッパの人々に大きなインパクトを与え、すごく新鮮に写った。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(21)へジャンプ
2013年05月31日
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ブラスバンド ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1995年作出、アメリカ・Christensen。 中央部が濃い オレンジ色で、周辺が淡くなりツートンの感じ。 丸弁高芯咲き、中輪、四季 咲き性、微香。 樹高0.8~1.3m、直立性、強健種。 1995年AARS(オール・ア メリカ・ローズ・セレクションズ)受賞。 ブラスバンド・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(20) 07:00 部屋の外にスーツケースを出して、朝食へ。 オランダ 4日目である。 09:00、バスはハーグを出発して、フェルメー ルの故郷・デルフトに向かう。 デルフトには青い陶器で有名なロイヤルデルフト工房があるが、工房 見学に先だって、「デルフト市庁舎前のマルクト広場朝市」に立ち寄 る。 まだ09:30頃なので、客足はぱらぱらという感じであるが、衣料 品を含んで何でもありである。 観光客にとってはチーズが一番人気である。 キロ単位で売っており、 1キロ800円位からある。 1キロの物を10個買うと10kgに なり、スーツケースの重量が心配になるので、0.5kgのものが主 になる。 朝市での買い物は30分でうち切り、ロイヤルデルフト工房に向かう。 途中フェルメールの『デフルトの眺望』が描かれたと推定される双塔 の東門を撮影することが出来、満足する。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(20)へジャンプ
2013年05月30日
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ブラザー・カドファイル ブラザー・カドファイル画像へジャンプ画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には参加していません。 En.R、1990年作出、イギリス・オースチン。 花色は淡い ピンクで、花弁裏が多少濃いのでツートンの感じ。 丸弁高芯咲き から開ききるとロゼット咲きとなる。 花径約12cmで大輪、弱 い返り咲き、強香。 樹高1.2~1.4mで、枝には棘が少なく、手入れの楽な品種。 エリス・ピータースによる、12世紀のイングランドを舞台にした 小説「ブラザー・カドファイル」シリーズにちなんで命名。 ブラザー・カドファイル・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(19) マウリッツハウス美術館を後にして、ホフフェイファ池を迂回する形で バスが待機している所まで歩く。 バスに乗るとき、変わった形の新建 築物を見つけた。 ハーグの旧市街地は古都としての風格を保っている が、新市街地には新しい建物が多い。 今夜宿泊するGホテルも新しい。 昨夜はアムステルダム郊外のシック なホテルであったが、Gホテルは普通の都市ホテルである。16:30 ホテルに入る。 夕食はホテル内レストランで19:00からなので、 部屋でスーツケース受け取るや、直ちに近くのショッピング・センター に殆どの人達が出かけたらしい。 さすが若い人達は元気がいい。 何しろ、午前中はチューリップ公園を2時間も歩き回り、午後は移動と 感動の美術館巡りで、すっかり疲れてしまった。 ということで、私達 は2時間仮眠をとる。 小さな池を取り囲む形で、ホテルやショッピング・センターがあるが、 レストランから池を眺めながらの夕食は素敵であった。 ただ、メイン・ ディッシュのターキーのボリュームがあり過ぎて、完食出来なかったの は残念だった。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(19)へジャンプ
2013年05月29日
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プラウド・メアリー ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ GR(修景バラ)、1991年作出、アメリカ・DeVor Nursery。 花色は赤で、ロゼット咲き、中輪。 プラウド・メアリー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(18) ビネンホフを出ると、隣接した感じで待望のマウリッツハウス美術館 がある。 マウリッツハウス美術館 正式名称はMauritshuis(マウリッツ邸)で「美術館」という文言は 入らないが、日本では通常、「マウリッツハウス美術館」と表記さ れている。 マウリッツハウスの建物は、17世紀半ば、ヤーコプ・ファン・カン ペンの設計で建てられたもので、オランダ古典様式建築の代表作と される。館名はここに住んだナッサウ‐ジーゲン伯ヨーハン・マウ リッツ(1604年‐1679年)にちなむ。マウリッツは代々オランダ総 督を務めたオラニエ=ナッサウ家の血縁で、当時植民地であったブ ラジルの総督を務めた人物である。1704年の火災で内装を焼失した が、外観はほぼ建設当時の面影を残しているといわれる。 美術館内は残念ながら撮影禁止である。 幸いにして、正面に大きな 垂れ幕があり、「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」がほ ほえんでいる。 彼女が描かれたフェルメールの繪画を見ることが、 今回のツアーのメイン・テーマなので、いささかエキサイトしてくる。 「青いターバンの少女」(1665)・フェルメール 世の中には、言葉ではとうてい表現することのできないものが存在 するのだということを、改めて認識させられてしまう、そんな作品 である。 この年にもなって「一目惚れ」もないが、心ここにあらず、完全に 気持ちを奪われてしまった。 45x39cmの小さな繪であるが、本物を目の前にすると、画家 の思い入れがとても強く伝わってくる。魂が籠められていることが、 ひしひしと伝わってくる。 小さな展示室にこの絵(彼女)と私だけになれた時間があった。僅か 数分であったが、まさしく至福の時で、絵の中の彼女と向かい合い、 しばし目をそらさずに観ていると、彼女の口元から言葉が聞こえたよ うに思え、ぎくっとした。 この繪の反対側に「デルフトの眺望」は掲げられていた。縦96.5cm ×横115.7cmで、フェルメール作品中4番目の大きさである。と言 ってもルーベンスやレンブラントらの大作には比ぶべくもないが、それ でも思ったよりもずっと大きく感じた。 モチーフは、大空が広がるの びのびとした市街風景で、デルフトはフェルメールの故郷である。 もう一作、「ディアナとニンフたち」があるが、この繪は真贋に疑問が 残るとされている。 他の作品はほどほどにして館外へ出る。 ホフフェイファ池越しに見る マウリッツハウス美術館とビネンホフの建物の風景は、何とも素晴らし い。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(18)へジャンプ
2013年05月28日
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ブライダル・ホワイト ブライダル・ホワイト画像へジャンプ画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には参加していません。 FL(フロリバンダ)、1970年作出、アメリカ・Willia。 花は白色であるが、開花が進むにつれ、芯のあたりにかすかに淡い ピンクが入る。 半剣弁高芯咲き、四季咲き性、中輪、中香。 ブライダル・ピンクの枝変わり品種で、同様の特性を持っている。 樹高1.0m、半直立性で、株立ちが良い、強健種。 名前からだ ろうか、花嫁のブーケとして人気がある。 ブライダル・ホワイト・庄内緑地公園・名古屋へジャンプ ※4月11日 オランダ・ベルギー旅行(17) 国際司法裁判所からビネンホフ(内庭という意味)に向かう。 ビネンホフ入り口の前の広場に、オランダの建国者オラニエ 公ウィリアム一世(1533-1584)の銅像が建っている。 オランダの政治の中核を担うのが、このビネンホフ。13世紀 ~17世紀の建物が建ち並び、その中でも最も古いのが広場の 中心に立つ「騎士の館Ridderzaalと呼ばれる国会議事堂。教 会の様相を感じるこのレンガ造りの建物は、1280年にフロー リス5世によって建てられたものである。 議会は二院制で、上院75議席、下院150議席。毎年9月の第3 火曜日に行われる国会の開会式が有名。ベアトリックス女王 と衛兵のパレードを見ようと大勢の人が訪れる。 ハーグは商業都市のアムステルダムに比べると、ずいぶんと 落ち着いた雰囲気が漂っている。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(17)へジャンプ
2013年05月27日
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ブライダル・ブッシュブライダル・ブッシュ画像へジャンプ画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には参加していません。 HT、作出年?、アメリカ・Devor Nursery。 花色は中央部が クリームで、周辺が淡いクリーム、花弁縁がほんのりピンクとう、何とも云え ない素敵な色合いである。 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 ブライダル・ブッシュ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ ※オランダ・ベルギー旅行(16) キューケンホフ公園を後にして、バスはチューリップ畑を横切る形で、 10分後にはレストランに着く。 前菜はローストビーフで、メイン はピラフであったが、結構ボリュームがあり美味しかった。 レスト ランを出たところにチューリップ畑があり、その向こうはキューケン ホフ公園である。 13:30 再びバスに乗車して、ハーグに向かう。 オランダの首 都はアムステルダムであるが、政治の中心は王宮や国会の所在地であ るハーグである。 50分後に「国際司法裁判所」前で下車する。 国際司法裁判所・ハーグ アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの寄付により1913年に 建てられた。 現在は国連の管轄下として、国際紛争の解決に役立 っている。 平和宮と呼ばれているが、本当に宮殿のような素晴ら しい建物で、内部の調度品や建材などはすべて世界各国が寄贈した ものである。 日本からは西陣織の壁掛けが贈られ、飾られている という。 平和宮の塔の時計が、14:23を示していた。 ゲートの前に小広 場があり、チューリップの植え込みが目を楽しませてくれる。 その 近くに、何とツバキが可憐な花を咲かせていた。 バックは赤いレン ガ壁であるが、ツバキだけを見ていると、日本にいるように錯覚する。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(16)へジャンプ
2013年05月26日
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ブライダル・ピンク ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1967年、作出国アメリカ・Boerner。 名が示す とおり、花嫁をイメージした、美しいピンク色である。 半剣弁高 芯咲き、中輪系で、花径は10~12cm、花付きが良く、花が次 から次へと咲き、花保ちが良いのも特徴で、切り花としても有名で ある。 四季咲き性、微香。 ブライダル・ピンク・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※ オランダ・ベルギー旅行(15) 引き続き、キューケンホフ公園・大温室内で撮影を続ける。何しろ、 多品種なので大変である。 MON AMOUR(月曜日の恋) 晩生種、フリンジ咲き系。 濃いオレンジ色の花弁の縁がギザギザ なのが特徴、矮生種。 普通の系統の品種からもフリンジ化するこ ともある。 フレーミング・パーロット 晩生種、パーロット系、花弁の縁に荒い切れ込みが入る。 花色は 赤と黄の複色で、何とも素敵な色合いである。 パーロット系は古くからある品種群で、一説では花の分化不良が原 因という。 古い品種は茎が弱いものが多いが、新品種の茎は丈夫 である。 パロットとは「オウム」である。 大温室内は昼間は開放されているが、それでも暑い感じである。もっ と撮影を続けたかったが集合予定時刻が近づいたので、室外へ出る。 入り口近くの池畔で、「サツキ」が咲いていた。 オランダでサツキ を目に出来、何だか嬉しくなる。 11:50 入り口近くに集合しバスに乗車、近くのレストランに向 かう。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(15)へジャンプ
2013年05月25日
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ブライス・スピリット ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ En.R、1999年作出、イギリス・オースチン。 花色はソフト イエローで、カップ咲き、小~中輪、四季咲き性。 非常に可愛らし い印象のバラである。 シーズンの間は、連続して開花し、耐病性に 優れている。 軽いムスク・ローズの香り。 ブライス(Blythe)は人名で、1972年にアメリカ・ケナー 社から発売された人形の名でもある。 ブライス・スピリット・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(14) オランダといえば、チューリップと同時に風車は欠かせない。「オラ ンダの国はオランダ人が作った」、その担い手が風車であり、排水・ 灌漑が役割である。一方で、英国と同じく動力源としての風車があり、 オランダでは水車は動力源にはならないので、風車は多くの仕事をし た。製材、マスタード練り、岩石の粉砕、染料の製造、菜種油・落花 生油絞りなどがある。 9000台もあった風車は、現在では1000台に減った。オランダ の優美な風車は、フランスから来た画家がデザインしたものであると いう。多くは、ファンテイルはなく、羽根を風向きに合わせるのは、 ポールを人力で移動するタイプである。タワーミルであるがバルコニ ーがついているものが多い。 キューケンホフ公園の一隅で、風車が廻っている。 観光客用に移築 されたものであろう。 中に入り、バルコニーに上がれる。 バルコ ニーからチューリップ畑が望める。 花が咲くと、球根を太らせるた め摘花するようだ。 この公園は今年は3月22日にオープンし、5月20日まで開園して いる。 つまり、季節限定である。 例年3月下旬ではチューリップ の開花に早過ぎるが、それでも大丈夫である。 大温室があり、十分 楽しめる。 さて、大温室に入って行くと、まさに百花繚乱、目を奪われる素晴ら しさである。 あまりにも、多品種が咲き乱れており、どこから撮影 しようか迷う。 ポール・シェラー(品種名) 中生種・トライアンフ系、花色は黒っぽい紫色。草丈は約40cm と、そんなに高くはないが目立つ存在である。 ZWANENDRIFT(品種名) 早生種・フォステリアナ系、ユリ咲きに近い咲き方をする。 花色 は濃い黄色であるが、花弁裏に一部朱色が入る複色。草丈は約30 cmで矮生種に近い。 -つづく-※画像は下記をクリックして下さい。オランダ・ベルギー旅行(14)へジャンプ
2013年05月24日
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フライジンゲル モルゲンローテ フライジンゲル モルゲンローテ画像へジャンプ(画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には現在参加していません) S(シュラブ・ローズ)、1988年作出、ドイツ・コルデス。 花色は淡いピンクで、八重平咲き、中輪。 開花しきると、 中央の黄色い蕊が大きいので目立つ。 フライジンゲル モルゲンローテ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ ※オランダ・ベルギー旅行(13)-2007.4.11-キューケンホフ公園は広大なので、歩き回ると結構疲れる。 名古屋の3月初旬の気候と聞いていたので、厚着をしており汗をかいてくる。30分毎に噴水のそばで休憩する。 雲一つない青空をバックに高く上がる噴水は涼感をそそる。公園内は整備されており、どこで撮影しても繪になるが、すべてのチューリップに名札が付いているのが、何と云っても有り難い。ダブル・ダッチ(品種名) 早生種・八重のVROEGE系。 ダブル・ダッチとは、八重のオラ ンダ・チューリップということであろうか。 VROEGEは人名で ある。 花は朱赤色で、花弁の縁が黄色でツートンの感じ。 矮性種ではある が、ボリューム感があって何とも目立つ存在である。ロザンナ(品種名) 中生種・クレイギー系。 花弁数は6枚で、内側の3枚の弁縁は丸く、 外側の3枚は弁縁が尖っており3角形で、全体として「ダビデの星」 の感じなのが面白い。 花色はピンクと淡いピンクのぼかしで、開花時中央の大きな黄色い蕊 が目立つ。 ロザンナ(女性名)の名にふさわしい可愛らしさである。キューケンホフ公園内の噴水球形の噴水公園内追加画像は下記をクリックして下さいダブル・ダッチ・キューケンホフ公園へジャンプ
2013年05月23日
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プティ・マルキ プティ・マルキ画像へジャンプ画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には参加していません。 FL、1987年作出、ドイツ・コルデス。 花色は紅色で、 丸弁高芯咲きから開ききると八重平咲きの感じとなり、中央の 蕊が目立つ。 中輪、四季咲き性、多花性。 プティ・マルキはワインの銘柄として有名であるが、赤ワイン の色が花名の由来だろうか。 プティ・マルキ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(12)-2007.4.11-キューケンホフ公園のメインはチューリップであることは、云うまでもないが、園内を廻っていて、サクラの木が至るところに植えられているのに気付く。古木はないが、シーボルト(1796-1866)がアジサイを日本から持ち帰って、品種改良したことは有名なので、多分その頃オランダへ渡来したものと思われる。名古屋出発時(4月9日)にはソメイヨシノは殆ど散っていたが、オランダで花見が出来るとは思ってもいなかった。 聞くところによると、日本人在住者が多いアムステルフェーン市では、3月末に桜まつりが行われたとか。日本では、チューリップは早生種が多いのでソメイヨシノより早く開花するが、品種は違うがオランダのサクラはチューリップの開花より早いようだ。サクラの花を眺めていると、オランダが日本の友好国であることを実感でき嬉しくなる。 チューリップとサクラ・キューケンホフ公園八重ザクラ追加画像は下記をクリックして下さいシダレザクラ・キューケンホフ公園へジャンプ
2013年05月22日
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フォン・シャルンホルスト ※画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブ・ローズ)、1921年作出、ドイツ・ランバート。 花色は白地にクリームがかった感じで、八重カップ咲き、中輪、 中央の大きな黄色い蕊が目だつ。 ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト(1755-1813)は、プロイ セン王国の軍人で、参謀本部の初代総長としてナポレオン戦争中 のプロイセン軍を指導した。 フォン・シャルンホルスト・可児花フェスタ記念公園へジャンプ ※オランダ・ベルギー旅行(11)-2007.4.11-キューケンホフ公園内のチューリップは、何とも素晴らしく、まさに世界一のチューリップ公園であるが、学術的研究も併せて行っているようで、各グループ毎に品種名が英語で明記されているのが嬉しい。チューリップの園芸品種群は多様であるが、大別すると「早生種」、「中世種」そして「晩生種」であるが、それぞれ各系列別に分類されている。中生種のものは、まだ蕾状態であるが、品種名別に紹介しょう。STABILITY(安定) 中生種・トライアンフ系、紫色のオーソドックなチューリップである。トラ イアンフ系は最も品種数が多い。 「ネグリタ」が有名である。CHEERS(乾杯) 中生種・トライアンフ系、淡い黄色で、まさに日本人好みのチューリップで ある。UNITED STATES(アメリカ合衆国) 中生種・クレイギー系、濃いオレンジ色に黄色が入る覆輪。 葉に紫の斑が 入るものが多い。 グレイグ氏の名にちなむ。UNICUM(ユニカム) 早生種・プラエスタンス系、枝咲きの代表的な存在で、歴史ある原種のチューリップ。 花色は朱赤色で1花茎に1~4花咲き、ボリューム感もある。 葉は5~6枚以上で、茎にV字形に付き、美しい白斑が入る。STABILITY(安定)CHEERS(乾杯)UNITED STATES(アメリカ合衆国)追加画像は下記をクリックして下さいチューリップ・UNICUM・キューケンホフ公園へジャンプ
2013年05月21日
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フェローシップ FL、1980年作出・オランダ・フォルシューレン(?)。 花色は、中央部が黄色味がかったオレンジ色で、周辺は 朱色がかったオレンジ色という複色。 盃状咲き、中輪、 多花性、四季咲き性。 香りは殆ど無いが、花付きがとても良く、色が褪せにくい のが特徴である。 病害虫に強い強健種。 フェローシップへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(10)-2007.4.11-07:00 起床。 オランダ3日目である。 移動日なので、スーツケースを部屋の外に出して朝食に行く。09:00 ホテルに別れを告げ、バスはアムステルダム郊外のキューケンホフ公園に向かう。 途中朝市に立ち寄る。 土産品店の前の広場に屋台が並んでおり、まさに何でもありである。 一番人気は、やはりチーズである。 10:00 待望のキューケンホフ公園駐車場に到着する。 徒歩5分位で公園入り口へ。 例年4月初旬では、チューリップの開花には早過ぎるとのことであるが、今年は世界的な温暖化現象で、今まさに見頃で、ラッキーとしか云いようがない。キューケンホフ公園 約40haの敷地は15世紀のころ、森とまっさらな砂丘で覆われてい た。 ヤコバ・ファン・バイエルン伯爵夫人の領地だったころのこと である。 当時の人々は狩りをしたり、公園の名前の由来となったお 城の台所のためにハーブ摘みに勤しんだりしていた。「キューケンホフ」とはオランダ語で「台所の庭」という意味で、1830 年頃、ゾッハーというランドスケープ・デザイナーが庭園の設計を任 された。 英国風のランドスケープに着目したゾッハーは現在のキュ ーケンホフ公園の原型を作ったという。 春ともなると、園内には、チューリップ、ヒヤシンス、水仙などの球 根花が咲き乱れ、息を呑む色彩の饗宴を繰り広げる夢の庭園となる。公園内に入ると、先ず池が目に入り、その周囲にカラフルなチューリップが目を楽しませてくれる。 夢中になってデジカメのシャッターを切る。アムステルダム郊外の市場キューケンホフ公園入り口公園内追加画像は下記をクリックして下さいチューリップ・キューケンホフ公園へジャンプ
2013年05月20日
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フーラ・ガール MINI、1975年作出、アメリカ・Williams。 花色はサーモンピンクで、八重カップ咲き、小輪。 花名は「フラ・ガール」の意。 フーラ・ガールへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(9)-2007.4.10-ご婦人達がダイアモンド製品に夢中の間、男性群は1階に下りて休憩所で待機する。 ここはジュースや、ドリップ・コーヒーが無料で飲み放題なのは有り難い。15:00過ぎ、観光バスに再び乗り込み、アムステルダム郊外に向かう。「木靴工場」の見学らしい。 バスから眺める運河も素敵である。 30分も走行しただろうか、とある倉庫風の建物に着く。 建物の前に大きな木靴が置いてあるので、中に工場があると想像出来る程度で、何の看板もない。建物の中は薄暗く、材木のにおいが鼻をつく。 木靴の本来の材料はヤナギらしいが、ポプラもよく利用するとか。 木靴の登場は18世紀のことで、17世紀には存在していない。しかし、それはオランダ農業の早い発達をよく表している。 低地のオランダでは,湿地が多く,木靴は,ぬかるんだ土地を歩き農耕するために生まれた。 足を冷えから守る効果もある。職人さんが、昔ながらの木工機で、次から次へと白木をくり抜いてシンプルな木靴の原型が出来上がっていく。 無垢木の靴は、そのままガーデニング用に使えそうだ。 色を塗って飾り物にしたり、特別な模様をあしらって花嫁衣裳や伝統的な民族衣装に合わせたりと、用途に合わせて数十種類あるとか。つまり、この建物は木靴のお土産屋さんであり、同時にそぐ傍で酪農も行っているので、大量のチーズ製品が置いてあり試食出来る。 それに鄙びてはいるが、オランダの特産品もあるので、市街地より可成りお買い得の感じである。 ダイヤモンド製品との価格差もあり、次々と買い物袋がふくらんで行ったようだ。船とトラムとアムステルダム中央駅・車窓より車窓より運河を望む・アムステルダムアムステルダム郊外の土産品店木靴追加画像は下記をクリックして下さいアムステルダム郊外の土産品店のすぐそばに牛舎がへジャンプ
2013年05月19日
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フィンブリアータ ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ OLD.R(オールド・ローズ)、1891年作出、フランス・ Morlet。 花色は薄いピンクで、八重平咲き、花径は約 5cmで小輪、香は強い。 日本に野性するハマナシ(R.rugosa)との交雑によっ てうまれた系統(ハイブリッド・ルゴサ)である。 耐寒性、 土壌への適応力、果実の美しさなどが受け継がれている。 花色は白く見えるが、うっすらとピンクがかっている。 フィンブリアータ・京成バラ園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(8)-2007.4.10-観光船はアムステルダム中央駅の方に進んで行く。 海側から見えるのは、カマボコ型の屋根だけである。 アムステルダム中央駅 オランダ国鉄(NS)最大の駅。駅舎は、赤レンガの立派な建物で、 東京駅のモデルになったとも言われている。ホームは日本によくあ る島式ホームが並ぶが、全てのホームを大きなドームが覆っておる。 1889年完成の中央駅は、当時のオランダの夢を乗せた建物であ る。19世紀後半、落ち込んでいた経済の復興を願って建てられた。 港を埋め立てる人工島構想に、海運業者は当初大反対したが、興隆 する鉄路による輸送力との調和に国運を賭けたという。さて、上陸したところはガッサン・ダイアモンド工場の桟橋である。観光バスの場合は、正面入り口から入って行くが、裏口からというのは、何だか変な感じである。アムステルダムはアントワープと並ぶ世界のダイヤモンド取引の中心地である。 ガッサンダイアモンド工場では、ダイヤモンドの研磨作業を見ることができ、その後、小部屋に連れていかれ、ダイアモンドの説明と販売会が始まる。 数カラットのダイヤを目の前の説明は迫力があるが、販売会ともなると男性群は後ろに下がって女性達が熱心に選んでいた。運河沿いの建物(クルージング船より)・アムステルダムアムステルダム中央駅(海上より望む)同上正面(上陸後車窓より)追加画像は下記をクリックして下さい行き交う観光船・アムステルダムへジャンプ
2013年05月18日
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ファンタン・ラトール ファンタン・ラトール画像へジャンプ画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には参加していません。 OLD.R、作出年・国共に? 花色はピンクで、ロ ゼット咲き、中輪、多花性、一季咲き性、やや強香。 花名は19世紀のフランスのバラの画家として名高い アンリ・ファンタン・ラトールに因んでいるので、作 出国は多分フランスであろう。 ファンタン・ラトール・可児花フェスタ記念公園へジャンプ ※オランダ・ベルギー旅行(7)-2007.4.10-観光船に乗船する。 乗客は50人くらいだろうか。 全員乗り終わったところで、直ちに出航する。真っ先に目に入ったのが、「ハイネケン・ビール博物館」である。う~ん、クルージングより博物館へ入りたかったが、ツアーなので仕方がない。 この博物館は2001年6月にハイネケン・エクスピリエンスとして生まれ変り、オランダを代表するビール・「ハイネケン」の世界を紹介しているという。前身は勿論ビール工場であった。運河の両岸の街路樹の新緑が目を楽しませてくれる。 たしか、「スズカケの木(プラタナス)」と云っていたと思うが、はっきり分からない。 街路樹の向こうの街並みは、まさにオランダに来ていることを実感させる。 白い縁取り開口部と黒い壁が特徴である。アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河であるが、中央駅に向かって進んで行く。 両岸にボートハウスが連なっているのが面白い。 単なる物置ではなくて、実際に生活しているようだ。跳ね橋も運河には欠かせない。 観光船は問題ないが、荷物を積んだ船が通行する場合、跳ね上がるようだ。 当然車の交通渋滞の原因になるが、船を優先している感じである。 なんと、ロッテルダムでは、高速道路に跳ね橋があるとか。クルージング船に乗船・アムステルダムハイネケン・ビール博物館運河の両岸の街路樹運河沿いの街並み追加画像は下記をクリックして下さいボートハウス・アムステルダムへジャンプ
2013年05月17日
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ファブビエ ファブビエ画像へジャンプ(画像のみ参照して下さい。日本ブログ村には現在参加していません) Old.R(チャイナローズ系)、1832年作出、フランス・ Laffay。 花色は輝緋色で、八重平咲き、花径は6~ 10cmと中輪、四季咲き性、低性、甘い香りがする。 交配により、多くの品種を四季咲きに導いたバラであ る。 チャイナローズ系は、中国原産で、16世紀にはイタリ アへ導入され、18世紀にはイギリスで栽培され、園芸 バラに四季咲き性という重要な性質をもたらした。 ファブビエ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(6)アムステルダム国立博物館を後にして、徒歩でゴッホ美術館に向かう。ゴッホ美術館 常設展が行われている本館は、ヘリット・リートフェルト(1888-1964)の設計で、直線を基本とした、前衛的な建築である。 近接するアム ステルダム国立博物館と対照的な印象を与える。 ゴッホ美術館は1973年、ゴッホ財団およびアムステルダム市の協力を 得て、国立美術館として開館した。 美術館の基となったコレクション は、ゴッホの弟であり、経済的・精神的な後援者であったテオことテ オドール・ファン・ゴッホ(1857-1891)と妻ヨハナ・ファン・ゴッホ= ボンゲル(1862-1925)夫妻の所有だったものである。 内訳は、ゴッホの油絵約200点、素描約500点、書簡約700点、それに ゴッホとテオが収集した浮世絵約500点などである。残念ながら館内では、撮影禁止のため下記「ゴッホ美術館」を参照して下さい。 午前中2ヶ所の美術館巡りは、感動の連続であったが、いささか疲れた。近くのレストランで軽い昼食をすませ、午後は運河・クルージングを楽しむ。乗船場のゲートの近くで、鉢植えの西洋アジサイが美しく咲いているのには驚いた。 アジサイは、大きく分けて日本原産のアジサイと、ヨーロッパで改良されたハイドランジア(西洋アジサイ)がある。ハイドランジアの方は、鉢花として改良されたものが多く、花のボリュームがある割には背丈は低くおさえられてる。ゴッホ美術館へ向かう近代的なゴッホ美術館・アムステルダムチケット売場は長蛇の列運河クルージング・アムステルダム乗船場ゲートのそばに西洋アジサイの鉢植え画像は以上のみ
2013年05月16日
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ファネリー・リボイル ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT(ハイブリッド・ティーローズ)、1962年作出・フラ ンス・Orard。 花色はローズ・ピンクで、ロゼット咲き、 花径は12~15cmと大輪。 イングリッシュ・ローズ の雰囲気がある。 ファネリー・リボイルはオペラ歌手。 ファネリー・リボイルへジャンプ ※オランダ・ベルギー旅行(5)-2007.4.10-フェルメール・コーナーに、もう1点彼の作品が展示されている。「小路」である。「小路」(1657-58年)フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は「デル フトの眺望」)。デルフト市内のどこで描かれたかについては諸説あり、特定の場所を描いたものではないとする説も有力である。他の展示室へ移動する。 殆どがルーベンスの作品である。ルーベンス( Peter Paul Rubens・1577~1640年)バロック時代を代表する画家であり、外交使節や美術コレクターとしても活躍したルーベンス。1577年、両親の亡命先であるドイツで生まれた。アントワープで修行を積んだ後イタリアで学び、マントバ公の宮廷画家として、古典的な画法を基礎とした現実感覚溢れる手法を習得。母の死をきっかけに1608年にアントワープヘ帰郷してからは、アルブレヒト大公夫妻の宮廷画家となった。隆々とした筋肉や豊満な女性、君主の堂々たる姿など、 ルーベンスの特徴ともいえる豊かな色彩を用いた力強い表現方法はこの頃 確立された。また、外交使節としても活躍していたルーベンスは各国の王 侯からの信頼も厚く、ロンドンのホワイトホール宮殿の天井画や、スペイ ンにあるフェリペ4世の狩猟館トレ・デ・ラ・パラダの装飾画も手がけるこ ととなる。一方、助手との分業により多くの作品を描き、絵画のみならず挿絵や自身の作品の版画化にも熱心に取り組んだことでも知られる。晩年 は妻子の肖像画や風景画、風俗画を中心に、伸びやかで生気溢れる作品を 残した。 「アリア・トリップの肖像」(1639年) 1931年にアムステルダムに居を定めたレンブラントは、多くの注文を こなして弟子をとるようになり、結婚後には邸宅を構えた。 20歳にな る商人の娘を描いたこの肖像画は、邸宅購入の年に制作された作品である。 光りを浴びて浮かび上がる女性は、女神のように高貴に描かれている。アムステルダム国立博物館内のレンブラント作品で、一番有名な絵画は「夜警」であるが、残念ながら撮影出来なかった。 壁面の一角を占める大作で、美術書で目にする機会が多いが、やはり実物を目の前にして、その迫力に圧倒される。『小路』・フェルメール『マリア・トリップの肖像』・レンブラント『Johanne Uitenbogaertの肖像』・レンブラント夜警・レンブラントへジャンプ国立アムステルダム美術館出口出口に向かって左側に、八重桜が咲いていた再度表に周り、国立アムステルダム美術館を正面より撮影『青い服の娘』(1641)・ヨハネス・コルネリス・フェルスブロンク(原画は82x66.5cm)画像は上記のみ
2013年05月15日
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ファウンテン ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1970年作出、ドイツ・タンタウ。 花色は深紅で、 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花色が、ひとき わ赤いので、人目を惹きつけている。 ファウンテンへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(4)-2007.4.10-展示室内を更に進んで行くと、待望のフェルメール作品が展示されていた。ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 17世紀にオランダで活躍した画家である。レンブラントと並び17世紀 のオランダ美術を代表する画家とされる。 生涯の殆どを故郷デルフトで 過ごした。 彼の作品は、完璧な静けさと平和な空気が満ち、優しい光が全体を覆って いる。 精神的な癒しを求める、多くの現代人に訴えかけるためか、近年 フェルメール人気が日本を含め世界中に広まっている。「牛乳を注ぐ女」(1658-60) オランダの伝統的な風俗画では、この絵のように身繕い(牛乳を注ぐ、手 や顔を洗ったり、身繕いする)の構図は、女性の清さを象徴するための伝 統的な構図である。 フェルメールのもっとも著名な作品の一つで、壁、パン、籠、陶器などの 質感描写が高く評価されている。画面右下の箱状のものは足温器。フェル メールの作品には女性像が多いが、働く女中を単独で表したものはこれ1 点のみである。 この絵でフェルメールが表現しようとしたのは光と色の バランスや調和であろうか。 衣服の鮮やかなブルーは、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる。この 青はラピスラズリという非常に高価な鉱石を原材料とした絵の具を使用し ている。 フェルメールが亡くなった時、多額の借金があったといわれて いるが、このような高価な画材を躊躇なく使ったのが、その一因かもしれ ない。 「青衣の女」(1663-64)1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープが 市に寄贈したもの。 フェルメールの画業の最盛期である1660年代半ばに何点か描かれた、室内 の女性単独像の1つである。画面向かって左から光が差す点は他の作品と共 通しているが、他の作品と異なり、窓そのものは画面に描かれていない。 女性は妊娠しているように見えるが、この当時の女性のファッションはふ くよかなシルエットが好まれ、厚手の綿の入ったスカートをはいているた めに妊娠しているように見えるのだという説もある。※この絵とは、つい先日(2011.9.22)京都市美術館で再会している。アム ステルダムで見た絵を、再び京都で見られるとは感激である。 ただし、この絵 は気が遠くなるような技法で、青衣の部分が修復されていて、日本で修復後 初の公開である。 詳細は下記を参照して下さい。青衣の女・修復へジャンプ 『牛乳を注ぐ女』・フェルメール他の絵を見る『青衣の女』・フェルメール※参考 2011年9月22日、同上の絵を京都市美術館で再び見る。 ただし、 青衣の部分を修復後、日本で初公開されたものである。 残念ながら撮影 禁止のためパンフレットを複写したものを掲載する。画像は上記のみ
2013年05月14日
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ファーディー ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1984年作出、日本・鈴木省三。 花色は ピンクで、中央部が白っぽいのでツートンの感じ。 八重平咲き、小 輪、一季咲き性、中央の黄色い蕊が目立つ。 ファーディーへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(3)-2007.4.10-09:00 ホテルを出て、バスはアムステルダム市街地へ向かう。 30分後にアムステルダム国立博物館に着く。大きな垂れ幕の、「青い服の娘」が人目を惹いている。1885年完成のこの博物館は、東京駅のモデルにもなったアムステルダム中央駅の設計者、カイペルスによるものだそうだ。現在大改装中のため大部分が閉館中であるが、幸いフィリップス棟で、有名なレンブラント、フェルメール、フランス・ハルス、ヤン・ステーンの絵画など、オランダ黄金時代のハイライト作品が鑑賞できる。博物館のそばで下車し、小さいが素敵な門をくぐって中へ入る。 館の入り口頭上に、「RIJKSMUSEUM」とあるが、地元では、「レイクス」と親しまれているようだ。館内の最初の展示室で、まずチューリップの繪が目に入る。流石オランダ、ここでもチューリップの出迎えを受け、嬉しくなる。『チューリップの花束』(1639年) ハンス・ボロンヒール(1600~1660年)の作品。ここに 描かれている花(チューリップ・バラ・アネモネ・カー ネーション)は同時に咲く花ではないので、画家の想像 で描かれたものだろう。 チューリップがもてはやされ、球根の値段がつり上がる 「チューリップバブル」がはじけた後に描かれたものだ けに、画家の思いを想像せざるを得ない。 チューリップ・バブル(チューリップ狂時代とも)とは、 オランダで1637年に起こった世界最初のバブル経済事件 である。オスマン・トルコから輸入されたチューリップ の球根に人気が集中し、異常な高値がついた。その後価 格は100分の1以下にまで下がり、オランダ諸都市は混乱 に陥った。アムステルダム国立博物館門を入るレイクス入り口『チューリップの花束』(1639)・ハンス・ボロンヒール画像は以上のみ
2013年05月13日
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ファースト・レディ ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、詳細は不明。 蕾は薄いピンクだが、開花する と中央部が濃いピンクで周辺が淡いピンクのツートン となる。 半剣弁高芯咲き、中輪、四季咲き性。 花名が示す通り、素敵な色合いの花を咲かせる。 ファースト・レディへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(2)-2007.4.9~10-迎えのバスが遅れ、約20分待たされた。 発車後、間もなくハイウェイへ入って行く。 良く整備され、しかも通行料は無料というのが有り難い。何分オランダは、道路・橋梁に関しては古くから日本の指導者である。長崎に日本最古のアーチ式石橋がある。 寛永11年(1634)に架設された眼鏡橋で、オランダの指導によるものである。さて、バスはアムステルダム市街地を通り過ぎて、郊外へと入って行く。だだっ広いところに、ぽつんと1軒だけこぢんまりとしたホテルが建っていた。 Mホテルである。 市街地へはタクシーを利用するしかなさそうだ。 ということは、今夜はホテル内でのんびり過ごすしかない。ホテル内に入って見ると、「薪の暖炉」が何ともいえない、いい雰囲気を醸し出している。 暖かく迎えてくれた感じが嬉しい。翌朝06:30モーニング・コール、07:00朝食へ。 連泊のため、スーツケースを部屋の外に出す必要はない。 バイキング方式で、ついいつもの2倍も持って来てしまった。 コーヒーを3杯も飲んで、何とか平らげる。ハイウエイ(無料)アムステルダム郊外Mホテル同上、ロビー薪の暖炉翌朝の朝食はバイキング(2007.4.10)画像は以上のみ
2013年05月12日
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ピンタ ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1973年作出、イギリス・Beales。 花色は 淡いクリーム色で、中央部が多少濃い。 半剣弁高芯咲き、 中輪、四季咲き性。 ピンタへジャンプ※オランダ・ベルギー旅行(1)-2007.4.9-早朝5時半過ぎ家を出る。 JR及び名鉄電車を利用して、中部国際空港へ7時前に着く。 早速チェックインする。成田経由なので、富士山が見える側の席を頼む。 08:50 定刻を少し遅れ離陸する。 20分を少し経過した時分に、辛うじて富士山を見つける。 山頂の雪が雲と紛らわしくて、見過ごすところであった。10:00 成田到着。 乗り継ぎをし、12:45離陸。アムステルダムまで約11時間のフライトであるが、目の前のTV画面で、映画を見たり適当に寝たりしている内にアムステルダム・スキポール空港に着いた。 現地時間17:45(サマー・タイム)であった。 アムステルダムはオランダの首都で、13 世紀にアムステル川河口をダムでせき止めて、家屋を築いたことがこの街の起源である。空港入り口前で、大きな鉢植えの花達(チューリップ・ヒヤシンス・水仙等)が歓迎してくれる感じで嬉しくなる。オランダの気候は、名古屋の1ヶ月前の気温と聞いていたので、コートを持参したが、全く不要な暖かさであった。中部国際空港離陸直後上空から中部国際空港を望むやっと富士山を見つけた機内食(成田-アムステルダム間)追加画像は下記をクリックして下さいアムステルダム上空へジャンプ
2013年05月11日
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ピンク・ファイヤー FL、作出年、国ともに?。 花色は淡いピンクで、中央部が 多少濃いピンクなのでツートンの感じ。 丸弁高芯咲き、花弁 縁が縮れているのでボタンに似ている。 中輪、房咲き性、四 季咲き性。 ピンク・ファイヤーへジャンプ※明日から「オランダ・ベルギー旅行」を掲載いたします。 ※スペイン旅行(30)-2004.4.10- <完>プラド美術館を外に出ると、何とすぐ隣接地が王立植物園であった。 海外旅行の時も、常々各地の植物園を見学したいと思っていたが、普通市街地には無くて、ツアーに組んでないと行くことが出来なかった。これ幸いと、早速入場する。 この植物園はカルロス3世の命により、1755年に設立された。 世界各国の木々を集めている。 3万種にもおよぶ植物が植えられている。 数度の大戦のために、度々破壊されたが、1981年に全面改修されて、市民に公開された。草花もあり、温室も備えているが、殆どは樹木である。取りあえず、花が咲いている感じの所に足を運ぶ。アザリアというより、日本のサツキそっくりの花が咲いているので嬉しくなる。 この一角が、ぱっと華やかな感じで、遠目にもよく見える。 少し離れた場所に、「中国ジャスミン」が高木から垂れ下がった感じで咲いている。 なんとも、ボリューム感があり圧倒される。 名前から考えると、芳香がしてもよさそうだが、開花して日時が経過しているのか、あまり匂わなかった。 次いで、バラのコーナーに行くが、残念ながらまだ殆ど咲いていない。 僅か数輪だったが、「八重咲きのバラ」が面白い形で咲いていた。 50品種位植えられているので、後1ヶ月もすれば素晴らしいバラの花園が見られる事だろう。「中国バラの一種」が、高いところからぶら下がって咲いている。 恐らく、バラとしては最も高木ではなかろうか。少し、異様な感じである。12:30までには、ホテルに戻らねばならないので、広い園内を足早に見て回る。 トレドでも見たサクラに期待していたが、やはり、若木が花を咲かせていた。 10数年後には立派な木になることだろう。なんと、日本から苗木が送られたのだろう、ツバキやシャクナゲが綺麗に咲いていた。 スペインとの親善に一役かっているようで嬉しくなる。正午過ぎ、王立植物園を出て、タクシーを拾う。 12:20 ホテル帰着。 バールで簡単な昼食をとる。13:00 ホテルを出発する。16:20 マドリッド空港を離陸し、アムステルダム経由で帰国の途につく。 スペイン旅行 <完>王立植物園・マドリッド同上入り口を入った所アザリア(つつじ)中国ジャスミン、別名ウンナンオウバイ(中国南西部原産)追加画像は下記をクリックして下さいCalifornia buckeyeへジャンプ
2013年05月10日
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ピンク・パンサー ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1981年作出、フランス・メイアン。 花色はピンク であるが、花弁裏が淡いピンクなので、ツートンの感じ。丸弁 高芯咲き、花径12~14cmの大輪、四季咲き性、強香。 樹高1.8m、直立性。 1981年、ハーグ国際コンクール 金賞を受賞。 パンサーは豹(ヒョウ)である。 命名の由来はよく分からないが、映画「ピンクパンサー」に出 てくる、高価なピンク・ダイヤモンドをイメージしたものだろ うか。 ピンク・パンサーへジャンプ※スペイン旅行(29)-2004.4.10-07:00 起床、久しぶりに熟睡出来た。 今日がスペイン旅行の最終日である。 13:00までフリーなので、有効に時を過ごさねばならない。 09:10 ホテルを出て、タクシーに乗車する。目的地はプラド美術館である。 昨日は、鑑賞時間が、僅か1時間しかなかったので、今日は再度じっくりと鑑賞する積もりである。 10分後に到着する。 開館時間前であったが、日曜日とあってか、そんなに行列は出来ていない。しかも、今日は入場料は無料のようで有り難い。昨日鑑賞済みの所も、もう一度観て、2Fに上がる。ゴヤの晩年、1819~1823年に(74歳頃)、病気に倒れ耳が聞こえなくなってから、「黒い絵」と呼ばれる一連の絵画ばかりを描くようになっていた。そのうちの一点、『我が子を喰らうサトゥルヌス』を観る。 何とも暗い絵であるが、彼の内面的・精神的なものが伝わって来る。 恋人・夫婦のいがみあいなら、別かれれば解決するが、親子の憎愛は逃げられないというのがテーマらしい。場所を移動して、ルーベンスの『三美神』を観る。三美神(1636~37年、221x181cm) 三美神は古代神話の時代から、優雅さや美の擬 人像として知られている。 ローマの哲学者は、三 美神は恩恵を与えるもの、受け取るもの、返礼す るものを意味し、手をつなぎあった3人の姉妹で 表されると述べている。 しかし、ここでは、深遠 な思想よりも、輝かしく官能的な裸婦を描く口実 として、三美神が登場している。その近くに、ティツィアーノの『アダムとイブ』があった。アダムとイブ(1560年頃、240x186cm) イブはアダムの制止もきかず、禁断のリンゴの実 を蛇から受け取ろうとしている。 溌剌とした色彩 表現や、生気に満ちた人物像の描写は、70歳代 になってなお衰えない、ティツィアーノの創作欲が うかがえる。1点1点丁寧に観たいが、何分あまりにも膨大な数なので、どうしても、有名な絵が中心となる。 再度、折を見て絵画鑑賞だけのためにマドリッドに来たいものだ。プラド美術館入り口同上、館内同上、ドーム天井素晴らしい絵の数々追加画像は下記をクリックして下さい『黒い絵』・ゴヤへジャンプ
2013年05月09日
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ピンク・チャーム ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、オランダ・De Ruiter作出。 花色は 淡いピンクと濃いピンクのツートンで、丸弁平咲き、花径 は約3cm、四季咲き性、微香。 花弁が多く、名前の通りチャーミングな花形である。 ピンク・チャームへジャンプ※スペイン旅行(28)-2004.4.9-タホ川沿いに帰途につくが、途中近くの「ダマスキーノ工房」に立ち寄る。ダマスキーノ(彫金の象嵌(がん)細工) トレドは彫金細工が有名である。 16世紀の初め、 カルロス5世がトレドをスペインの首都として定めて 以来、幾世紀もの間、トレドは宝飾細工の分野にお いて、その比類のない精巧さでヨーロッパ中の羨望 の地として、名声を欲しいままにしてきた。 16世紀のスペインで、武器や鎧の装飾に好んで 使われた芸術である金銀象嵌細工をダマスキーノ と呼ぶ。 これは、遠くシリアのダマスカスにその起 源を持つところから生まれた名称と思われる。 アラブの文化に起源を持つ芸術が、半分ヨーロッパ であり、半分アラブと言う複雑な文化圏であったスペ インに於いて、更に繊細な芸術として磨き上げられ たのが「ドレド象嵌」であろう。象嵌細工の実演を見るが、マイスター(細工職人)の腕は素晴らしく、見ていてエキサイトする。 銅板に細かい柄を彫刻して、そこに細い金の糸を埋め込んでいく。 デザインが細かくて精巧な程、金の純度・含有量により、1~4級に分かれており、値段は当然の事ながら全く異なる。 記念にネクタイピンを購入した。家内は、お気に入りのペンダントが高価過ぎて、買うのを断念した。 さて、再びバスに乗り込みマドリッドに向かう。マドリッド近郊では、雨上がり直後なのか、珍しく虹を見た。 市内のレストランに到着したのは20:00頃である。食事は、ポタージュスープ、野菜の煮物、肉料理と簡単なものであったが、なにしろ歩き回ったせいで、腹が減っており、誠に美味しかった。21:30 ホテルに帰着する。 連泊なのは有り難い。タホ川・トレドダマスキーノ(彫金の象嵌(がん)細工)の工房マイスター(細工職人)の技術は見事土産品に買ったネクタイピン追加画像は下記をクリックして下さいマドリッド近郊の虹(車窓より)へジャンプ
2013年05月08日
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ピンク・スタリナ ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、1975年作出、日本。 花色は淡いピンクで 花弁縁が多少濃いピンクなのでツートン。 剣弁高芯咲き、 花径は3~4cm、四季咲き性、無香。 ピンク・スタリナへジャンプ ※スペイン旅行(27)-2004.4.9-スペインを宗教的に区分すると、12の大司教区に分かれるが、ドレドはこの12区の首位で、古い記録によれば、アルフォンソ6世がこの街を征服して間もない1088年に、ローマ教皇からこの地位を獲得したという。大聖堂・トレドは1226年、聖王フェルナンド3世の時代に建立が始められた。 完成は、何と250年以上経った1493年である。 ヨーロッパの大聖堂は、何れも何百年という、気の遠くなるような歳月をかけて建立されており、一方では、それより大きな城が30年足らずで出来上がることもある。 これは、聖堂建築が、主として信者の寄付金によるためだろう。1493年に建物が完成されてから19世紀に至るまでのほぼ400年間に、無数の増改築工事が行われているので、ゴッシクからルネッサンス-バロック-ネオクラシック、そしてムデハル(イスラム系)といった様式まで目にすることが出来る。さて、大聖堂内が、目を奪うような素晴らしさであることは、言うまでも無いが、残念ながら撮影は禁止である。 特に目を惹くのは、大礼拝堂にある「ゴシック様式の祭壇屏」である。 1497~1504年にかけて、当時一流の彫刻師たちの共作で、木彫りに彩色し、金を施したものである。 イエス・キリストの生涯の各場面があらわされており、下から見上げた場合を考慮して、上部になるほど大きく彫られている。なお、大聖具室には、スペイン屈指の美術品が集められている。 中でも、エル・グレコの傑作『略奪』が圧巻である。 1581年の作とされている。次いで、同じくグレコの最高傑作とされている、『オルガス伯の埋葬』を所蔵している、サント・トメ教会へ向かう。 狭い道を通って、やがて、小広場に出る。黄色いポストが目に付く。教会の入り口は、すでに長蛇の列で、とにかく、最後尾につく。 ギリシャ出身の画家エル・グレコ(1541~1614年)が、スペインに来てから約10年経った1586年頃の作品で、彼の代表作とされている。 絵画は大変大きく、約4m x 5mもあり、アーチ型をしている。 オルガス伯が埋葬される最後の儀式が描かれている。絵画の構成が上下に分かれ、天上の世界では、今まさに死者を迎えようとしている。 地上では、聖職者に抱えられ、地下に埋葬されようとする伯爵が描かれている。圧倒される思いを懐いて、教会の外に出る。 再び、細い路地を通ってタホ川沿いに出る。 サン・マルティン橋の手前に、若木であるが「八重桜」が咲いていたのには驚いた。 橋を渡って、待機中のバスに乗車し、マドリッドへの帰途につく。大聖堂内・トレド(パンフレットを複写)同上、大礼拝堂の祭壇屏(パンフレットを複写)同上内、『略奪』・エル・グレコ(パンフレットを複写)サント・トメ教会へ教会前の小広場同上、黄色いポストサント・トメ教会入り口追加画像は下記をクリックして下さいサント・トメ教会内・『オルガス伯の埋葬』・グレゴ(パンフレットを複写)へジャンプ
2013年05月07日
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ピンク・スタッカート※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、1991年、作出アメリカ・Christensen。 花径 は約5cmと、ミニにしては大きな花を咲かせている。 丸弁盃状咲き、淡いピンク地に縁が濃いピンクと、ぼ かしの感じで素敵である。 花名の由来はよく分からないが、スタッカートとは「1音ず つ短く区切る奏法」を言う。 ミニチュア・ローズの改良が本格的に始まるのは、他系統に 比べると遅く、1936年以降のことである。 現在では、 バラエティ豊かとなり、鉢植えや小スペースで十分というこ とから、日本の住宅事情に適していることもあって、急速に 普及している。 ピンク・スタッカートへジャンプ ※スペイン旅行(26)-2004.4.9-スペイン広場・マドリッドから、「国立ソフィア王妃芸術センター」に向かう。 ブラド美術館の別館的存在であるが、マドリッドの近代・現代美術館としての役割を果てしていると共に、ピカソの有名な『ゲルニカ』を所蔵している事で有名である。かっては、プラド美術館別館で、防弾ガラスに守られていたこの作品も、1990年に、ここが誕生し、防弾ガラスをはずされて鑑賞出来るようになった。 しかし、2名も銃を持った警備兵が絵画の傍で監視しており、いささか、ものものしい感じである。 館内は残念ながら、撮影禁止である。ゲルニカ 約7.8m x 3.5m の巨大な絵画である。 こ の作品は制作直後(1937)に開催されたパリ万博 でスペイン館の壁面を飾った後、第二次世界大戦 勃発直前の1942年まで、反ファシズム運動の象 徴として、世界各国を巡回している。 フランコ政権 の下では、スペインに戻ることは出来ず、ようやく 祖国への帰還を果たしたのは、ピカソの死後の 1981年のことである。 1937年、ナチス・ドイツはフランコが率いる反乱軍 を支援するため、スペインの古都ゲルニカを無差別 爆撃した。 多くの市民が犠牲者となった、祖国の 悲劇に衝撃を受けたピカソは、その怒りを巨大な カンヴァスに叩きつけるように画いた。ゲルニカの印象があまりにも強烈で、他にどんな作品を見たのか、あまり記憶に残っていない。正午を過ぎたので、バスでマドリッド市内の中華料理店に向かう。 座席にすわると同時に、例により飲み物を聞きに来る。 中華なら「老酒」と思ったが、昼間から酔い過ぎるわけにもいかず、赤ワインを注文する。スープをはじめ、炒め物、チャーハンと次々にやって来る。 久しぶりに、好物の食事にありつけたわけで、満足する。14:00 再びバスに乗車し、古都「トレド」に向かう。途中、トイレ休憩を兼ねて土産品店に立ち寄る。ドンキホーテが迎えてくれる。15:30 ドレドに到着する。 タホ川の向こうに展開する古都トレドは、全く素晴らしい。 左側にはカテドラルの尖塔が、右側にはアルカサル(王城)が望める。トレド 6世紀に西ゴート王国の首都として繁栄した。711年 イスラム教徒により征服される。 1085年レコンキス タ(国土回復運動)の流れで再征服。 キリスト、イスラ ム、ユダヤ(1492年国外追放)の融合した文化が発 展。1561年マドリッドに遷都されたが、トレドは現在も なお、カトリック・スペインの中心を保っている。つまり、 スペインにおけるカトリックの総本山である。『ゲルニカ』・ピカソ(絵はがきを複製)凱旋門・マドリッド(車窓より)中華料理店・マドリッド同上、店内スープ追加画像は下記をクリックして下さいマドリッド-トレド間の土産品店へジャンプ
2013年05月06日
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ピンク・ジョナサン ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、2000年作出、浅見均。 花色は中央部が白で、 周りがピンクのグラデーションが素晴らしい。 一重 咲き、花径は約6cm位で、一重としては大きい。四 季咲き性、多花性で、花保ちが良い。 花が風に揺れると、まるで、「かもめのジョナサン」が 飛んでいるようだ。 ピンク・ジョナサンへジャンプ※スペイン旅行(25)-2004.4.9-プラド美術館の1Fが次第に混んで来たので、2Fに上がる。先ずは、有名な『着衣のマハ』・『裸のマハ』・ゴヤ作を観る。 何とも、妖しげな魅力と謎に包まれた、着衣と裸の絵画である。フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828) ナポレオン1世と同時期に活躍した、18世紀の偉大 な芸術家である。 圧力に屈することなく、決断力の ある人であった。 初期はドイツの新古典主義の影 響を受けたが、ゴヤ自身の画風を、スペイン人の見 方で確立して行った。 彼のロマン主義的作品は、近 代美術の幕開けを告げた。次いで、悲惨なスペイン独立戦争を画いた、『1808年5月3日』・ゴヤ作を観る。 強大な軍事力を誇るフランス軍に対するスペインの人々の戦いは悲惨を極めた。絵は、「プリンシペ・ピオ丘での銃殺」で、武器を持たない人達が無惨に殺されていく無念さが滲んでいる。再度1Fに下りて、『ロザリオの聖母子』・ムリーリョ作を観る。 ムリーリョ(1617~82) ベラスケス、スルバランがリアリズムの頂点を極めた 後に続く、17世紀セビリアの巨匠である。 ラファエロ の甘美さ、ルーベンスの豊穣さをあわせ持ち、民衆の 圧倒的人気を得た。ツアーの途中とあって、プラド美術館の見学時間は僅か1時間である。 従って、有名作品を足早に見て回る。幸い、明日午前中自由時間があるので、再度個人的に来ることにして、館外に出る。 すぐ目の前に、「ゴヤの銅像」が立っている。バスに乗り、「王宮」に行く。 この王宮は、ブルボン家のフェリペ(フィリップ)5世の好みで、ルーブル宮殿風に建てられた。 現在は迎賓館として利用されている。 1734年に火災で焼失したあと、フェリペ5世が、同じ場所に宮殿を建設し、それ以来1931年まで、歴代国王が住んでいたという。次いで、観光客に人気のある「スペイン広場・マドリッド」に行く。 人気の理由は、ドン・キ・ホーテ像があることで、その像をバックに記念写真を撮る人達が後を絶たない。『着衣のマハ』・ゴヤ『裸のマハ』・ゴヤ 『1808年5月3日』(プリンシペ・ピオの丘での銃殺)・ゴヤ館内・プラド美術館『ロザリオの聖母子』・ムリーリョ追加画像は下記をクリックして下さいプラド美術館前に立つゴヤの銅像・マドリッドへジャンプ
2013年05月05日
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ピンク・ジョイ MINI、1953年作出、アメリカ・Moore。 花色は 淡いピンクで、外周が少し濃いのでツートンの感じ。 丸弁高 芯咲きから、開ききると八重カップ咲きとな る。小輪。 ピンク・ジョイへジャンプ※スペイン旅行(24)-2004.4.9~10-4/9 15:50 パティオ・カテドラル・コルドバに集合。再び、バスに乗車してマドリッドに向かう。 途中、黒牛の大看板を見かける。 どうやら、シリー酒の宣伝用らしいが、メーカー名は入っていない。マドリッド市街地に入ったのは、日没後である。 レストランに20:30過ぎに入る。 長距離の乗車で、しかも腹が減っていたので、特別の料理ではないが美味しかった。ホテルに入ったのは、22:00近かったが、シャワーを浴びてすぐ就寝する。4/10 07:00 起床。 連泊なので、荷物出しはないので、気分的に楽である。 ホテル内で朝食をすませ、後はのんびりと室内でTVを見る。09:00 ロビーに集合。 バスに乗車し、プラド美術館に向かう。 到着して、驚いた。 10時開館というのに、既に長蛇の列である。 しかし、これはチケットを求める人達の列で、団体の予約済みの人達は入り口近くに並ぶことが出来た。 プラド美術館 世界3大美術館の一つで、その建物は、18世紀に カルロス3世が計画し、1819年に王立美術館とし てスタートした。 スペイン王室が集めたコレクション数は、美術館で は世界一。 また、スペインを代表する画家、ゴヤ の作品数も世界一である。 ベラスケス、エル・グレ コなどのスペイン画家はもちろん、カルロス1世と、 フェリーペ2世が愛好した、イタリア派の作品も多数 ある。 10:00 定刻開館。 5分後に美術館内に入ることが出来た。 現地ガイドは真っ先に、『ラス・メニーナス(女官たち)』・ベラスケス作の絵の所に我々を案内する。 どうやら、この絵が、第一ブロックでの目玉らしい。 ベラスケス(1599~1660) セビリア生まれ、若い頃より宮廷画家として頭角 を現し、宮廷生活のすべてに密接に関わってい た。 プラド美術館では、彼の完成作の1/3以 上を所蔵している。中央は、5歳のマルガリータ王女で、面白いのは、左で絵筆を持っている紳士がベラスケス自身である。なお、すぐ近くに、同じくベラスケス作の『ウルカヌスの鍛冶場』があった。 先日、バルセロナのホテル・ロビーで等寸大の複製品を見ているので、本物にお目にかかれて嬉しくなる。 幸い、立ち止まる人は殆どいないので、ゆっくりと撮影出来た。因みに、ノーフラッシュなら撮影はOKである。コルドバ-マドリッド間・黒牛の大看板(車窓より)マドリッド近郊マドリッド市街地レストラン・マドリッドレストラン内追加画像は下記をクリックして下さいスープ・レストラン・マドリッドへジャンプ
2013年05月04日
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ピンク・アバンダンス ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1974年、作出国イギリス・Gandy。 花色はローズ ピンクで、丸弁咲き、花径は8~10cm。 房咲き、多花 性、四季咲き性。 花保ちが素晴らしく良いのが特徴である。 因みに、アバ ンダンスとは、「豊かさ」という意味のようだ。 ピンク・アバンダンスへジャンプ※スペイン旅行(23)-2004.4.9-11:30 カテドラル・セビリアのパティオに集合する。少し歩いて駐車場へ。 バスに乗車しコルドバに向かう。コルドバ市内に入り、先ずは「ローマ橋」で下車する。ローマ橋 スペインの古都・コルドバのローマ橋は、紀元前1 世紀に造られた、223mのアーチ橋で現在も利用 されている。 グアダルキビル川の対岸に見えるの が、カテドラル(旧メスキータ=イスラム寺院)である。13:30を過ぎたので、対岸の「旧ユダヤ人街」に行く。例により、狭い入り口から、急な階段を下りてB1Fへ。今日のランチは、「タパス料理」である。タパス スペイン料理の中でも、意外に知られていない。スペ インの食文化で無視できないタパス。 タパスとは、 スペイン語で「おつまみ」という意味。 フェリーペ2世(在位1556~98年)の時代(フェリー ペは大変な美食家として知られている)に、飲みかけ のワインに埃が入るのを防ぐため、ハモン(生ハム) で蓋をしたのが始まりと、言い伝えられている。 このタパスは、スペイン人の食事であり、おやつでも あり、季節のタパスもあれば、定番でおいているメニ ューもある。昼食後、旧ユダヤ人街をぶらぶらする。 土産物屋あり、素敵な花の小道もある。 個人住宅の戸口が開放されていて、パティオを見ることも出来る。迷路のような道を通り抜けて、徒歩でメスキータに向かう。メスキータ 8世紀半ばに、コルドバがイスラムの支配下に置かれ た時、キリスト教の聖堂を破壊せず、半分をモスクとし て使用し、その後の480年間に大増築をした。1,000 本(現在は850本)の円柱と、赤と白のアーチで構成 された内部(180x130m)には25,000人が収容出 来たという。 1236年に、再びキリスト教が再征服した後、メスキー タは聖堂として転用され、16世紀にメスキータの一部 を壊して大聖堂が増築されたが、評判は良くなかった。 鐘楼のある、93mの「アルミナールの塔」は、ローマ 橋と共に、コルドバのシンボルである。ローマ橋・コルトバ川の向こうはメスキータ旧ユダヤ人街にあるレストラン入り口急な階段をB1Fへレストラン内部タパス料理追加画像は下記をクリックして下さい旧ユダヤ人街・コルドバへジャンプ
2013年05月03日
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ヒロシマ・マインド ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1995年作出、原田東岷。 花色は表弁が濃い ピンクで、裏弁が白い復色である。 丸弁高芯咲きか ら、咲き進むにつれロゼット咲きとなり、イングリッシュ・ ローズの雰囲気になるのが面白い。 中輪、微香。 湯川秀樹博士から、「広島のドンキホーテ」と呼ばれた 外科医の原田東岷(1912~1999)さんがバラと出会 ったは、現役を引退した1974年秋のことであった。 「バラという植物には平和運動を行う能力があるに相違 ない」と、著書『ヒロシマのばら』にそう書き記す東岷さん は、生粋の平和運動家でもあった。 彼の姉を含め、近 親者7人が原爆の犠牲者になっている。 ヒロシマ・マインドへジャンプ※スペイン旅行(22)-2004.4.9-スペイン広場の見学を終わり、再びバスに乗る。 極く近くで、バスを降り、ムリーリョ公園に入って行く。入ったすぐの所に、「コロンブス記念碑」が建っている。 2本の柱の上にライオンがいて、そのすぐ下に、「1492」と刻まれている。 つまり、コロンブスが新大陸を発見した年である。 柱の途中に、ブロンズ製の帆船があり、コロンブスが謁見した、「イザベル」女王の名前が入っている。公園内に、オレンジの大木があった。 果実を収穫する事が目的ではないので、伸びるに任せており、しかも、可愛い白い花を咲かせていた。公園は、ただ通り抜けたという感じで、やがて、「サンタ・クルス街」に入る。 サンタ・クルス街 昔のユダヤ人街で、白い壁、迷路のような狭い路地が 特徴である。 壁の2F部分の所々に、「聖画」が飾ら れている。 小広場もあり、地元のアクセサリーや絵皿、 革製品などを売る土産品店が並んでいる。 何とも、魅 力的な場所である。 引き続いて、「カテドラル・セビリア」に行く。 カテドラル・セビリア この大聖堂は、ヴァチカンとロンドンに続いて、世界で 3番目に大きいカテドラルである。 1402年から1世 紀をかけて完成させたスペイン最大の教会である。 後期ゴシック様式であるが、ルネッサンス様式の影響 も見られる。 元は、イスラムのモスクがあったが、キリスト教徒がそ れを壊して聖堂を造った。 しかし、「ヒラルダの塔」と 美しいパティオ(中庭)だけは残した。 塔は98mあり、 いまや、セビリアのシンボルとなっている。カテドラルの内部に入る。 世界最大級の礼拝堂といわれるだけあって、誠に素晴らしい。 ステンドグラスもまさに絵画である。 幸運にも、昨夜TVで放映していた、「聖母マリア像の山車」を間近に見ることが出来た。 セマナ・サンタ(聖週間)で、セビリアのお祭りの主役を演ずる山車である。多分、今日の午後市街に繰り出して行くのだろう。なお、有名な「コロンブスの棺」を見ることが出来た。棺は男性4人に担がれている。 1894年にキューバから送られてきたコロンブスの遺灰が納められているという。ムリーリョ公園へ・セビリアコロンブス記念碑公園入り口公園内のオレンジの大木白い花を咲かせている追加画像は下記をクリックして下さいサンタ・クルス街・セビリアへジャンプ
2013年05月02日
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ヒロシマ・スピリット ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1991年作出、日本・原田敏行。 花色は中央部が クリーム色、周辺が紅色の複色。 半剣弁高芯咲き、大輪。 1本の茎に、1つ花を付ける。 平和を愛する心を広めるために、ヒロシマの名前を冠した一 連のバラ「ヒロシマシリーズ」の一つである。 育種にかか わった人たちが、一様に戦争の辛酸をなめたのも、あながち 偶然ではあるまい。 ヒロシマ・スピリットへジャンプ※スペイン旅行(21)-2004.4.9-06:30 モーニングコール07:30 ホテルにて朝食(ビュッフェスタイル)、レストランに複製ではあるが、立派な絵が掛かっていた。08:30 ホテルを出て、バスでセビリア市内観光。セビリア 有史前からの村落があったようだが、グアダルキビ ール川の水路を利用して、フェニキア、カルタゴの 殖民があり、紀元前2世紀にはローマのイベリア半 島南の首都ベティカが創られた。 711年に侵入した、イスラム教徒達によって、この 街は大きく発展し、12世紀にはモロッコのアルモア 族支配によってその基盤が作られた。 世界史に名を残すようになるのは、何と云っても コロンブスの新大陸発見(1492年)からのことで あり、2度目に航海後イザベラ女王に謁見したのが この街である。さて、先ずは「黄金の塔」を見学する。黄金の塔 12世紀に、アルモア族によって造られた要塞であ り、金ぴかの陶器で飾られていたことから、この名 がある。 対岸に同様の塔があって、グアダルキビール川を 通行する船舶の踏切でもあったようだ。 ついで、バスは「マリア・ルイサ公園」に向かう。この公園は、19世紀にモンペンシェ侯爵夫人によって、市に寄贈された庭園で、1929年には一種の万博であるスペイン・アメリカ博覧会が開かれた。主会場になった、「スペイン広場」にある巨大なムデハル様式の建物は、その時に建てられ、現在アンダルシア州庁舎となっている。 周辺にはその時の参加各国のパビリオンが残り、現在領事館等に利用されている。スペイン広場 建築家アニバル・ゴンザレスにより造られた。長さ 200mの巨大なれんが造りの建物が、半円形の 石畳の広場を囲んでいる。 建物にそって並ぶ58のベンチには、スペイン各地 の地図や歴史が美しい絵タイルで描かれている。 また、池に架かる橋は、陶器製の手すりや欄干が 印象に残る。レストランにて・セビリアセビリア市内(車窓より)黄金の塔 塔はグアダルキビール川沿いに建っている追加画像は下記をクリックして下さいスペイン広場・セビリアへジャンプ
2013年05月01日
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