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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラ・セビリアーナ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ GR(修景用バラ)、1978年作出、フランス・メイアン。 FLに分類されることもある。 鮮紅色の花を途切れずに咲 かせる。 八重平咲き、中輪、四季咲き性。 枝変わりで、ピンクのものもある。 花付き、花保ちが 良いのが特徴である。 1979年ADR受賞、1980年オルレアン金賞受賞。ラ・セビリアーナ・京成バラ園へジャンプ※エジプト旅行(14)-2003.10.23-アスワンハイダムを後にして、アスワン市街地に向かう。 既に12:30を過ぎている。 今日は早朝から動き回ったので、いささか疲れた。 といって、腹が空いているという程でもない。 やたら、ミネラルウオーターを飲むからかも知れない。15分くらいで街に入る。 道路沿いに車を止めて、ナイル川へと下りていく。 ファルーカ(帆掛け舟)が浮かんでいる。 風がないのか、動いているようには見えない。 小さな桟橋があり、舟を待つ。 近くには遊覧船が多数停泊している。 モーターボ-トを少し大きくしたような舟がやってくる。乗り込んだのは、我々2人とガイドさんの3人だけである。 ナイル川をさかのぼって行く。 途中の景色は、川沿いということもあってか、適当に緑があり、素晴らしい景観である。 10分もしないうちに、レストラン専用桟橋に着く。13:00近くであったが、レストランは空いていた。先客の日本人グループが8人と、ヨーロッパからの観光客が数人いただけである。さて、例により先ずビールを注文する。 ノンアルコールのものしか無いというので、やむなく、それを頼む。 ビールの味はするし、冷たいので、思ったより美味しかった。 家内はミネラルウオーターである。いよいよ待望(?)のハト料理がやって来た。 早速撮影したが、ピーマンとトマトの陰にかくれてハトは良く見えない。 手で持って食べてもいいというが、後が大変なのでナイフとフォークを使う。 家内は食べないで、こちらの様子を見ている。もともと、かしわが苦手なので、先ず無理だろう。 ナイフで切るのに苦労する。 骨付きだからで、しかも、その骨が小骨なので食べにくい。 味は、聞いていた通り鶏肉に似ている。 どうしても、日本の鳩が脳裏をかすめ、食欲が湧いて来ない。 2~3口食べただけで止めてしまった。幸いバターライスがあるので、ピーマンと一緒にビールで流し込む感じで食事を終えた。イスラム教の国では、豚は不浄のものらしく、食卓には出てこない。 たまに、牛のステーキがでるが、硬くて美味しくない。 どうやら、鶏肉が主体のようである。 ラムセス2世はハト料理でスタミナを補給し、100人近い子供をもうけたそうだが、残念ながら、あやかる事は出来そうにない。食後のデザートはバナナである。 日本で食べるものより、小振りである。 皮がまだ青い感じであったが、思ったより美味しかった。再び桟橋に下りて行く。 元の所に戻るのではなく、ホテルに行くとのこと。 ホッとする。 ホテルは対岸の島にあるという。 どうやら、専用の島にホテルがあるらしい。 乗船して10分もしないうちにホテルについた。専用桟橋に、可成り大きなホテルの観光船が停泊していた。 リゾート型の立派なホテルである。ナイル川に浮かぶファルーカ(帆掛け船)桟橋遊覧船が停泊中ナイル川を遡る※追加画像は下記をクリックして下さい。レストラン専用桟橋へジャンプ
2017年01月31日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ヨハン・シュトラウス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1996年作出、メイアン・フランス。 花色は杏色から淡いピ ンクへと変わっていく。 花径は8cm位で中輪、丸弁平咲き、四 季咲き性、微香(ティーの香り)。 樹高0.8~1mで、半直立性、強健種。 花保ちが良い。 ワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)に因んで命名さ れたものであろう。 ヨハン・シュトラウス・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(13)-2003.10.23-アブシンベル大神殿、小神殿を見学し終わったところで、出口に向かう。 元の道に戻らずに、そのまま進んで行く。 つまり、神殿の丘を一周することになる。暫く行った道端に、ランタナが咲いていた。 日本で見るのと全く同じなので嬉しくなる。 神殿を裏側から見る形となる。 こんな、大きな丘をよく造ったものだと感心する。出口の近くに資料館があり、復元の様子をパネルで展示していたので、撮影した。 これで、多少雰囲気が分かってもらえるではなかろうか。暫く待って、専用バスで空港に向かう。 アブシンベル空港発10:25の便が、多少遅れて飛び立つ。 幸い窓際に座れたので、機上から神殿とナセル湖を撮影出来たのはラッキーであった。40分位の飛行で、アスワンに着陸態勢である。早朝カイロで積み込んだスーツケースを引き取るために、可成り時間がかかった。 マイクロバスに乗り込んだのは、11:30近かった。 20分位でアスワンハイダムに到着する。アスワンハイダム エジプトのダム建設の歴史は古く、紀元前2900 年頃、カイロの近くに15m程のダムが造られて いたという。 ナイル川の氾濫を防ぎ、農業の生産向上を目指 して、1898~1902にかけて造られたのが花崗 岩製のアスワン旧ダム。 しかし、実際は殆ど役 に立たず、アスワンハイダムの建設へとつながる。 1960~1971年、ソ連の協力によりアスワンハ イダムが完成した。 ダムは軍事的に重要な地点 で、レーダーやミサイルが配備され、厳重に警備 されている。 高さ111m、長さ3800m、水門 180門、210万kwの電力を供給している。 完成の結果、電力供給が安定し、川の氾濫がな くなった功績は大きい反面、ダム建設のよる気候 の変化、そして、栄養豊かな土が下流まで到達 しなくなり、この結果、ナイル河口付近の漁業が 壊滅的な打撃を受けた。 更に悪いことに、この川に潜んでいた住血吸虫 (※)が灌漑用水を伝って広い範囲に流布し、住 民に深刻な健康被害を与えた。※住血吸虫(アフリカの場合はマンソン住血吸虫) 住血吸虫の幼虫は水中を泳いでいて、人の皮膚 に侵入して感染する。 この虫は腸や膀胱の血管 の中で成長して産卵するが、この卵が血管をふさ ぐので、肝硬変や腎・膀胱の障害が起こる。 住血吸虫は貝の中で育つことを発見したのが、宮 入教授であり、その功績は極めて大である。 か って、日本国内にも有病地が存在したが、1996 年以降国内での流行は認められていない。 世界中に約2億人の感染者がいて、水浴したり、 水中で耕作する人達にとっては避けがたい大き な障害である。アブシンベル小神殿近くで咲くランタナ小神殿の裏側出口の近くに資料館があり、復元状況をパネルで説明している ※追加画像は下記をクリックして下さい。出口からナセル湖を望むへジャンプ
2017年01月30日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ヨソオイ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI(ミニチュア・ローズ)、1991年作出、京成バラ園。 花の大きさは3~4cm、樹高は20~30cm。 剣弁高 芯咲き、微香。 早咲き性。 1991年JRC銀賞受賞。 花が開くにつれて、中心がうっすらと象牙色になる。 ヨソオイ・京成バラ園へジャンプ※エジプト旅行(12)-2003.10.23-サソリ騒ぎでいささか疲れ、湖畔の木陰で休憩する。広い砂漠の中で、オアシスらしい緑はここだけである。 といっても、日陰は殆どない。 ただ、ナセル湖からの風が心地よい。石のベンチに腰掛けて、辺りを見渡すと、ここは大・小神殿を一望できる絶好の場所であることに気付く。 休憩している場合ではないと、早速撮影する。 手前に小神殿があるので、小神殿の方が大きく見えるが、当然大神殿の方がスケールは大きい。 アブシンベル小神殿 正確にはハトホル神殿というらしい。ラムセス2世 が、最愛のネフェルタリ王妃と、信仰するハトホル 神に捧げるために建てた神殿である。 大神殿の北120mのところにある。 横幅28.3 m、高さ12.2mで、左右に3体ずつ、それぞれ 王に挟まれた形で王妃が立っている(王妃は両手 を胸の前で組んでいる)。 足下には、彼らの子供 達が刻まれている。 王妃の像は、ラムセス2世と同じ高さで刻まれてい るが、普通は王の足下や足の間に小さく刻まれる。 これは、極めて異例のことで、如何に王が彼女を 愛していたか、そして、彼女の地位が高かったかを 現している。 カルトゥーシュ(楕円形の枠)の中に は、彼女の名前も書かれている。 (お土産のペン ダントNo.1は金又は銀のカルトゥーシュである。 象形文字で名前を入れてくれる。私も銀製のカル トゥーシュ・ネクタイピンを買い求めた。)さて、神殿内に入ると流石に涼しい。 ピラミッドと違い、洞窟内が広いからであろうか。 先ず、列柱室に6本の柱があり、手に命の鍵(天国の鍵♀)を握ったネフェルタリの綺麗な姿とハトホル神が描かれている。 天国の鍵は、あの世で善い人だけに神様から渡される鍵であり、この鍵を使って天国に入れるとされている。 この鍵♀は、エジプト内遺跡の至るところで見ることが出来る。 更に、奥にはいると至聖所があるが、ここは、ただの部屋で、何も無い。 壁画やレリーフ(浮き彫り)が素晴らしい。 特に、ネフェルタリ王妃が、2人の女神の間に立ち冠を被せて貰っているレリーフは有名である。撮影はOKであるが、残念ながらフラッシュは禁止である。 室内で感度を上げると、外では真っ白となり、なかなか難しい。湖畔の木陰で休憩する 小神殿と大神殿小神殿※追加画像は下記をクリックして下さい。アブシンベル小神殿正面へジャンプ
2017年01月29日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ユメ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1994年作出、京成バラ園。 花色は蕾の時は ベージュ色で、開ききると花弁縁がピンクになりツート ン。 丸弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花色は華やかで明るく、大輪の艶やかな花は見応えがあ る。 まさに、夢を与えてくれるバラである。 ユメ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(11)-2003.10.23-アブシンベル大神殿は紀元前14世紀頃、ラムセス2世によって建設された岩窟神殿である。 全体の大きさは、幅38m、高さ33m、正面にある4体の像は高さ20m。 いずれもラムセス2世を描いているが、左から右へと年齢が上がっている。 中央には太陽神ラーホルアクティの像がある。 足の間には、王妃、王子、王女の小さな立像が置かれている。この神殿には、アモン・ラー神、ハルマキス神、プタハ神を祭っているが、建造者ラムセス2世の絶対的な権力を誇示した神殿である。 今は静かに、ナセル湖を見つめている。神殿の中に入ると、綺麗な壁画と模様が彫られている。 最初の大列柱室には、2列8本の柱が並んでいる。ラムセス2世は、死んでから神様になると信じていたから、柱の表側には、両手を胸のところで組んだポーズのオシリス神の姿で、自分の像を現している。大神殿の一番奥に至聖所(しせいじょ)がある。左からプタハ神、アモン・ラー神、ラムセス2世、ラーホルアクティ神と並んでいる。 通常ここには、日光が差し込むことは無いが、毎年、2月下旬と10月下旬の2回朝日が差し込む。 まず、アモン・ラー神とラムセス2世を照らし出した後で、ラーホルアクティ神を照らす。 そして、この光は闇の神プタハには全く当たらずに20分後には消えて行くという。 まさに、「太陽の奇跡」としかいいようがない。外に出て、もう一度大神殿を正面から眺める。 左から2番目の像は、上半身が落ちてしまっているが、これは、移築時の姿をそのまま再現したものである。 壊れた部分は台座の前にあるが、その大きさに驚く。 更に上を見ると、猿の像が並んでいる。猿は夜と智慧の神様として崇拝されたので、夜はこの神殿を守るようにと、一番上に猿の像が刻まれたとか。全体像を撮影するため、ナセル湖側に移動していた時、ガイドさんが大声を上げた。 とっさのことで、日本語ではない。 指さす足元を見て、血の気が引いた。なんとサソリがいるではないか。 砂漠の映画では、よく見るシーンであるが、実物は初めてである。本当にゾッとした。 アブシンベル大神殿正面大神殿入り口付近大神殿内 至聖所(しせいじょ)像の前に大きな石が置いてある※追加画像は下記をクリックして下さい。アブシンベル大神殿内・壁画へジャンプ
2017年01月28日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ユーロピアーナ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1968年作出、オランダ。 花色はダーク・レッドで、花弁 裏が少し淡い色なので、ツートンの感じである。 10cmほど のセミ・ダブル、丸弁咲きの花が房咲きになる。 多花性、四 季咲き性、微香。 90~120cm高さの小型シュラブであるが、旺盛に繁殖し、枝 を横に伸ばす性質がある。 耐寒性、強健種。 花と樹形とのバランスのとれた完成度の高いフロリバンダ(FL)種 で、新しい赤花FL種を判定するとき、ユーロピアーナと比較して、 色が濃いとか、香りの程度はとか判定の基準とされることが多い。 ユーロピアーナ・京都府立植物園へジャンプ※エジプト旅行(10)-2003.10.23-昨夜、光のショーが終わったのは20:00頃で、それから夕食で、ホテルに帰ったのは21:30過ぎである。 シャワーを浴びて、22:00就寝する。02:00 モーニング・コール 流石疲れたので、暫くベルに気が付かなかった。 5分後にやっと起床する。 03:00 ホテルを出発する。 朝食は弁当を持参する。 03:30 カイロ空港国内線に到着する。 チェックインはガイドさんがやってくれるので楽である。X線を通して待合室に入る。 すでに、待っている人達が大勢いるのには驚いた。 エジプトは朝早くから活動するようである。待ち時間があるので、弁当箱を開く。 パンが3個、リンゴ1個、ヨーグルト1個、そして缶入オレンジンジュース1本である。 1人分としては多すぎるので、ガイドさんに半分食べてもらった。定刻04:30を10分遅れて、カイロ空港を飛び立ち、南下する。 直接アブシンベルに行けば1時間半位で着くようだが、途中ルクソール、アスワンに立ち寄る。 つまり、エアバスのような感覚である。07:30 アブシンベル空港に到着する。 今日も快晴である。 お天気の心配をする必要がないのが有り難い。 午後は32℃を超えそうだが、午前中はそんなに暑くはない。 マイクロバスで、アブシンベル大神殿に向かう。30分後には着いた。 アスワンダムによって出来た、ナセル湖の湖岸にある。 つまり、アブシンベル大・小神殿は水没する運命にあったが、ユネスコが国際キャンペーンによって救済し、5年もの歳月をかけて、大小2つの神殿を、川岸60mの高台に移築したものである。水没する前に、巨大な石像や壁画を、巨大なノコギリで、いくつかのブロックに切り取って運び出した。 大変な作業だった事は言うまでもない。1967年に開始し、移築が完了したのが1972年である。 因みに、アスワン旧ダムは、イギリス支配時代の1898年に着工し、1902年に完成させた。これにより、毎夏のように氾濫するナイル川をコントロールする事に成功した。その後、上流に更にアスワンハイダムを建設する事になる。 ソ連とドイツの両国が協力して1972年に完成させた。 堤長3,600m、ダムの高さ111mで、ダムの上流500kmまで巨大なダム湖(ナセル湖)となっている。 琵琶湖の7.5倍もの広大な人造湖で、水力発電所が建設されている。早朝のカイロ空港・国内線空港の外はまだ暗い 夜明け前(機内より)夜明け後のナイル川(機内より)アブシンベル空港アブシンベル大神殿への途中(車窓より)アブシンベル大神殿の手前側同上王の石碑同上王の名前※追加画像は下記をクリックして下さい。ナセル湖・エジプトへジャンプ
2017年01月27日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ユーロ ’92※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1992年作出、ベルギー・R.V.S. 花色は赤で、裏 弁は白の斑いりである。 丸弁高芯咲き、花径は8~ 10cmと中輪、四季咲き性、微香。 1992年欧州連合条約内で、ユーロの導入が定められ たのを記念して命名されたのであろうか。 実際にユー ロが通貨として登場したのは、その10年後の2002年 始めである。ユーロ ’92・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(9)-2003.10.22-ギザ台地遺跡の見学を終わり帰途につく。 途中仮設の工事現場のような所があり、ガイドさんに聞くと、「アイーダ」の舞台だという。そういえば、話には聞いていたが、砂漠の中に、忽然と舞台が現れた感じである。 ヴェルディの作品であるが、舞台が古代エジプトなので、まさに、ぴったりの場所である。 もっとも、10数年前、ルクソール神殿で、野外特設劇場の第1回「アイーダ」が上演されたが、その後、ハトシェプスト女王葬祭殿前に移転した。絶好の場所で公演が行われ、順風満帆かと思い始めた頃、あの痛ましい乱射事件が起き、暗転してしまった。それに伴い、会場がギザに移されたという次第らしい。う~ん、上演しているなら、万難を排して聴きたかったが、終わったところらしい。 しかも、入場料は安くはない。 US$200~400である。 ホテルに帰ったのは15:00頃である。 疲れたので早速昼寝をしたかったが、家内は元気なもので、土産物屋に行ってしまった。 プールもあるので、泳ぎたかったが、水着を持ってくるのを忘れてしまった。考えてみれば、ヨーロッパの人達にとっては、ここギザは、観光地であり、同時に保養地でもあるわけである。シャワーを浴び、2時間くらい昼寝をして、やっと元気を取り戻すことが出来た。 さて、夜の部は、スフィンクス前の特設会場で、「ピラミッドの音と光のショー」が行われる。 US$50と高いが、まあ、これも記念になると2人で出かける。砂漠の上に、折り畳み椅子が置いてあるだけである。 500席くらいあるだろうか。 なぜか、最後列に日本人のグループが30人位いる。 我々は、前から2列目のいい場所を確保出来た。19:00頃だったが、予告もなしに、いきなり始まったのには驚いた。 闇夜に浮かぶスフィンクスは幻想的で素晴らしい。 間もなくピラミッドもライトアップされた。河岸神殿入り口の石の壁に、次々とエジプトの歴史が投影される。 ノーフラッシュなら撮影OKなので、写真をとりまくる。 英語で解説をしているが、映像だけが頼りである。『アイーダ』の舞台・ギザ台地ギザホテル内の土産品店ホテルのプール※追加画像は下記をクリックして下さい。スフィンクス・光のショーへジャンプ
2017年01月26日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ユウゼン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1982年作出、日本。 花色は濃いピンクで、 花弁裏が一部白っぽい。 剣弁高芯咲き、四季咲き性、 微香。 ユウゼン・鶴舞公園・名古屋へジャンプ※エジプト旅行(8)-2003.10.22-さあ、いよいよ第3ピラミッドに入って行くことになる。第3ピラミッド キザ3大ピラミッドの中、最も小さいメンカウラー 王のピラミッドである。 彼はクフ王の息子で、ギ リシャのヘロドトスによる『歴史』の中で「慈悲深 い王」として書かれている。これは他の2つに比 べて大きさが極端に小さいことによるが、実際は 王が急逝し設計変更が生じたためと考えられて いる。 王の死後、シェプセスカフ王が完成させ た。 南側には王女の小さな衛星ピラミッドが3つ残さ れている。 なお、出土した石棺や遺物はイギリ スへ運ばれる予定だったが、船が嵐に遭い、殆 どが海の底に沈んでしまった。 底辺部の1辺108.5m、高さ66.5mである。ともあれ、第3ピラミッドへ突入する。 軽く階段を上り、少し高い位置から、内部を下って行く。 広さは、人がやっとすれ違えるくらいで、天井が低いため、中腰で入って行かなければならない。 しばらく下っていくと、今度は道が真っ直ぐになり、奥に部屋がある。 だが、何もない。 ただの洞窟である。 途中に1ヶ所、分かれ道があり、小さな部屋がいくつかある。 壁画が描いてあるようだが、暗くて良く分からない。ピラミッドの中は結構暑く、帰りは上りになるので、喘ぎながら、何とか出口に着いた。 汗だくだくである。 次ぎは、スフィンクスに向かう。 第2ピラミッド(カフラー王)はスフィンクス、河岸神殿、参道、葬祭殿、そしてピラミッドどほぼ完全に揃っており、極めて貴重である。 つまり、このスフィンクスはカフラー王の墓を守る守護神とされている。先ずは、河岸神殿へと入っていく。 磨き上げられた石が積み上げられており、足元の通路はアラバスター(雪花石膏)で出来ている。 河岸という名が示すとおり、ここは、ナイル川上流のアスワンなどから切り出した石を、陸揚げする船着き場であったようだ。カフラー王が亡くなると河岸神殿でミイラ作りが行われ、ミイラは参道を通って、ピラミッドの麓にあった葬祭殿で儀式が行われたと言われている。 河岸神殿、参道、ピラミッドと通路は一直線である。スフィンクスは河岸神殿前の広場にある(ピラミッドに向かって右側)。 スフィンクス 人面獣身で、高さ20m、全長57mと、エジプト各 地に残るスフィンクスの中でも最大級のものであ る。 スフィンクスはカフラー王が自分に似せて作ったも のとされているが、最近ではこの説を否定する声 も出ている。 当初は鼻やあごヒゲがあったが、ア ラブの侵入やイギリス人によって取られてしまった。 あごヒゲは現在大英博物館に保存されている。有名なスフィンクスの謎 「朝には四本足、昼には二本足、夕べには三本足 のものは何か」 英雄オイディプスは、これを、「人間(幼・壮・老の 3態」と解いたが、古今の悲劇の最高傑作の主人 公となった。現代版スフィンクスの謎(小5の孫の質問) ギザのスフィンクスの目線の先にあるものは... 答えは画像を参照して下さい。第3ピラミッド(メンカウラー王)同上入り口スフィンクスとピラミッド河岸神殿入り口※追加画像は下記をクリックして下さい。河岸神殿内部へジャンプ
2017年01月25日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モンパルナス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1967年作出、フランス・Delbard。 花色は ピンクで、花弁縁が濃く、内側が淡いのでツートンの感じ。丸 弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 元々はフランスのバラが、日本のコンクールで優勝して、日本 で名前が付けられたという。 モンパルナスはギリシャ語で、「アポロが住む山」という意味で、 パリのモンパルナスが有名。モンパルナス・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(7)-2003.10.22-昼食を終わったところで、さあ、いよいよ待望の3大ピラミッドとの対面である。 早朝ホテルの窓からチラッと尖端部を眺めたが、やはり、近くに行って岩に登って見たい。歩いて行ける距離であるが、外は灼熱の太陽が照りつけている。 ガイドさんが、携帯でマイクロバスを呼んでくれる。 レストランのすぐ前に、車をつけてくれるので有り難い。5分で行けるはずが、結構渋滞していて10分以上かかって、第1ピラミッドの駐車場に着く。 ここはギザ台地といわれ、少し高台になっており、北側にカイロ市街地のビル群が望める。あまりにもピラミッドに近寄りすぎて、全景を撮影するのは困難である。 といって、下がりすぎると高台から転落する恐れがあるので、要注意である(柵などは無い)。 第1ピラミッド クフ王が造ったピラミッドである。 彼はエジプト第 4王朝(古王国時代に属する)の2番目の王である。 在位はBC2589~2566年と考えられている。 彼の父スネフェル王がダハシュールにある「屈折 ピラミッド」と「赤のピラミッド」を造った。 このピラミッドは完成時の高さは146.6mあった が、上部の約9m分を失い、現在は137.5mで ある。 これは、1307年にイギリスのリンカン大 聖堂に尖塔がのせられ、高さ160mとなるまで、 4,000年近く世界最大の建造物であった。 ピラミッドの基底部は、一辺が230mで、四角錐 の各面は、正確に東西南北を向いている。 一個 約2.5トンの巨岩を約268万個使用しているとい うから驚きである。 ちなみに、ギザの3大ピラミッドが造られた時は全 盛期であり、その後は大きなピラミッドは造られて いない。さて、内部には、一日約300人が入れるそうだが、なぜか我々はその選にもれ、第3ピラミッドに入るとの事である。 やむなく、入り口の近くの岩に登り撮影をした。再び車に乗り、3つのピラミッドが見渡せる絶好のパノラマポイントへ案内してもらう。 う~ん、絶景である。 暫く撮影を忘れて眺めていた。 風が強く、家内の帽子が飛ばされ、それを追いかけるのに苦労した。 砂漠を走るのは大変である。向かって左から、No.1~3である。 第2ピラミッド クフ王の跡を継いだカフラー王のピラミッドである。 底辺の一辺は215m、高さ143m(現在は136m) と、クフ王のものより少し小さいが、高い台地に立っ ているため、一番大きく見える。 頂上部分に、石灰岩の化粧石が残っているのが特 徴で、完成当時のピラミッドは、表面が現在のよう にゴツゴツしたものではなく、平らに磨き込まれて、 純白に光り輝いていたことが想像される。ギザ台地(カイロの市街地が望める)第1ピラミッド(クフ王)同上内部への入り口(上が正式の入り口、下が観光用入り口)観光用入り口前で待つ人達※追加画像は下記をクリックして下さい。巨岩の連なり・第1ピラミッドへジャンプ
2017年01月24日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モンタナ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1974年作出、ドイツ・タンタウ。 花色は濃い 赤味のある朱色で、花径は約10cm、丸弁咲き、 房咲き性、四季咲き性。 樹高は約60cmの半直立性。 耐病性のある光沢 葉が特徴。 極めて強健種。 モンタナ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(6)-2003.10.22-サッカラの階段ピラミッドの見学を終え、マイクロバスはギザに向かう。 サッカラ街道沿いにカーペット・スクールがある。 スクールと名が付いている通り、学校も兼ねており、子供達が実際に学びながら、エジプト絨毯を手織しているところを見学できる。絨毯を織るのは、ほとんどが10歳から15歳ぐらいの子供達だった。 子供の細い指が、絨毯を織るのに適しているらしい。 子供達は、目の前の設計図を見ながら、手早く絨毯を織っていく。 10cm進むのに約1ヶ月かかるという。 実に手間のかかる作業である。 子供達が織物業に従事というと、なぜか、野麦峠や女工哀史を連想する人もいるかも知れないが、そんな暗い雰囲気は全くない。 実に生き生きと仕事をしている。 事実、彼らは子供達のエリートなのであって、収入や待遇も結構いいらしい。1Fが観光用の作業場で、可愛い少女が家内を手招きして、そばに座れと言っている。 どうやら、どのようにして織るか教えてくれるらしい。 縦糸に横糸を結んで、結び目を作り、それの積み重ねで模様にするようだ。 家内は少し試みていたが、すぐ、断念してしまった。 子供達の熟練は素晴らしい。 まさに、小さな芸術家である。2Fは出来上がった絨毯の販売所である。 目を奪うような、素晴らしい絵柄の絨毯が壁に、そして床に並べられている。 お客は我々2人だけで、いささか気後れする。エジプト絨毯には、100%木綿のものと、横糸にシルクを織り込んだ物との2通りがある。 シルクのものは桁違いに高価である。 壁に掛かっていた8畳程度のものは400万円とのことだった。 散々迷った揚げ句、やはり、シルク製のものを選んだ。木綿のものと並べて見れば、一目瞭然、輝きが全く違う。 横35cmX縦50cmのエジプト絵柄のもので、甚だ気に入っている。 さらに、しつこく別の品物をすすめてくるが、木綿製の安物をもう1枚購入するにとどめる。さて、再度マイクロバスに乗り、ギザ市内に戻る。ホテルを出て、既に4時間経過している。 流石に腹が減って来た。 市内の、とあるレストランに案内される。ガイドは、カイロ大学・日本語学科出身の好青年である。 我々2人だけの専属で、申し訳ない感じである。例により、先ず飲み物を聞いてくる。 ビールを頼む。出てきたビールは、「サッカラ」とある。 つまり、階段ピラミッドのある所の地名で、地ビールのようだ。結構美味しい。食事は、エジプトパンが主体で、ゴマだれ(味は勿論違う)のようなものや、人参、ナスなどの付き合わせが出てくる。 どうやら、たれをつけるか、付き合わせの野菜をはさんで食べるらしい。これだけでも十分なのに、白身魚のムニエルと焼飯が出てきたのには驚いた。 味は、まずまずで、一寸食べ過ぎた。最後のデザートは、ブドウかバナナであるが、バナナは小さめである。ヤシ林(車窓より)-階段ピラミッドのあるサッカラからギザの方に向かう-サッカラ街道沿いのカーペット・スクール(エジプト絨毯の製造所)同上1Fで制作中同上2Fで絨毯を販売している※追加画像は下記をクリックして下さい。ヤシ林(車窓より)-ギザへの途中-へジャンプ
2017年01月23日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モン・シエリ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1981年作出、アメリカ・クリステンセン。 花色 は中央部がクリームで周辺が紅色のツートン。 何とも素敵 な色合いである。 丸弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 花名のモン・シエリは、「私の愛しい人」の意。 モン・シエリ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(5)-2003.10.22-メンフィスを後にして、サッカラに向かう。 カイロから西南方向に約20kmのナイル西岸に、ギザ台地に連なる石灰岩の台地がある。 ここ、サッカラには、古代エジプトの古都メンフィスのネクロポリス(古代の墓地)として、第一王朝のころからマスタバ(レンガで造った墓)があった。ここに、エジプトで最初に造られたといわれているピラミッド、ジョセル王の「階段ピラミッド」がある。 ジョセル王は古王国時代第3王朝(BC2686~2613年)の2代目ファラオであるが、階段ピラミッドは臣下の有名な建築家イムホテプが、王を埋葬するために建造されたと言われている。さて、ピラミッドや葬祭神殿が一体となった複合体を取り囲む壁は、白い石灰岩のブロックで建造され、小さな入り口が一ヶ所だけ造られている。 周辺の13の入り口はすべて偽扉である。入り口を入ると、真っ直ぐ西に向かって延びる回廊の石柱は、誠に壮大で、ギリシャ神殿の石柱を連想させるが、ギリシャ神殿の石柱が歴史に登場するのは、これらの列柱が造られてから、なんと約2,000年後のことである。列柱を抜け出すと、目の前に階段ピラミッドが聳えている。 なんとも素朴な形で、まさに、ピラミッドの原点といえる。階段ピラミッド もとの高さ60m、底辺の長さ東西123m、南北 107mである。 ただこのピラミッドは第3王朝に 造られて以来、第5王朝まで数回にわたって拡張 され、今日の姿になったという。 このピラミッド建造の時代は、まだ、巨石は使わ れていない。 レンガと小さな石が主体である。 従って、崩壊が進んでおり、どのように保存する か、頭を悩ましているとか。木製の歩道を通って、ピラミッドの裏に回ることが出来る。 砂の上を直に歩くと、可成り疲れるので有り難い。 保安状態がいい場所だろうか、警備の警官ものんびりと所在なげである。ピラミッドの周囲を囲む葬祭神殿入り口同上内列柱列柱を通り抜けると、目の前に階段ピラミッドが階段ピラミッド 木製側道を通ってピラミッドの裏側へ※追加画像は下記をクリックして下さい。礼拝堂?へジャンプ
2017年01月22日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モリノー※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ En.R、1994年作出、イギリス・オースチン。 花色は 黄色で周辺が少し淡くなる。 ロゼット咲き、中輪、ティーの 香り。モリノー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(4)-2003.10.22-屈折ピラミッドの近くに「赤のピラミッド」がある。赤っぽい石が使われているので、そのように呼ばれている。 断面が二等辺三角形の、真正ピラミッドとしては最古のものである。 高さは約104m、クフ王の父、スネフル王のものとされている。初期のピラミッドは小さくて、ギザのような派手さはないが、観光客がすくないので、静かに古代エジプトのロマンに浸ることが出来る。しかし、すぐそばに、軍事基地があるので、そちらにカメラを向けてはいけないとの事で、可成り神経を使う。ギザへの帰途、「メンフィス博物館」に立ち寄る。メンフィスはエジプト古王国時代の首都であり、エジプト統一国家発祥の地。 BC3,000年頃、初期王朝の開祖ナルメル王は、それまで2つに分かれていた上エジプト(ナイル下流のデルタ地帯)と下エジプト(ナイル上流の渓谷地帯)を統一した。 この博物館のメインはなんといっても、ラムセス二世(BC1293~1185)の横たわった巨像である。 なんと、2Fから見下ろす形で見学する。メンフィスの都が栄えた古王国時代のものではないが、後の新王国時代第9王朝のファラオであるラムセス二世がこの地に建造した自分の像である。 脚の一部は破損しているが、奇跡的な保存の良さで知られている。 身長は15mもあり、右腕の手首部分にラムセス二世の名が刻まれている。屋外の中庭には、アラバスター(雪花石膏)製のスフィンクスがある。 高さ4.3m、全長8mでギザのスフィンクスの7分の1の大きさである。1912年にヤシに覆われた丘の中から発見された。 第18王朝アメンヘテプ二世の建造といわれている。 風化が進んでいるが、顔の表情はよく残っている。この中庭には、この他にラムセス二世の立像や、聖牛アピスのミイラを作る時に使った解剖台、石棺などがある。 近辺はヤシの林に覆われており、いい雰囲気である。赤のピラミッド(ダハシュール)ごつごつした岩で上に登るのは困難 ラムセス二世の巨像(2Fより見学)ラムセス二世の名前が刻印されている※追加画像は下記をクリックして下さい。メンフィスのスフインクスへジャンプ
2017年01月21日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モリニュークス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ EnR、1994年作出、イギリス・オースチン。 花色は 黄色で、10cm径前後の丸弁咲き、四季咲き性、芳香。育 ちが良いと房咲きになる。 耐病性に優れている。 モリニュークス・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(3)-2003.10.21~22-21:00 ナイトサファリを見学し終わったところで、我々のみ空港行きで、他の人達はシンガポール泊まりである。 幸い、担当のガイドさんに会い、空港に向かう。 23:25 SQ428便にてカイロに向かう。 途中ドバイ空港に立ち寄る。 給油のためであるが、一旦機外に出る。 ということは、再度X-RAYのお世話にならなければならない。流石石油国である。 広々とした、砂漠の中に空港があり、不夜城の中を着陸する。 一旦機外に出る。 アナウンスはよく分からないが、どうやら、1時間後には再度搭乗しなければならい。アラブ首長国連邦(UAE)は日本に極めて親密である。 ドバイは7つの首長国の中では、アブダビに次いで2番目に大きな都市である。DFSを楽しむことは出来たが、1時間後再度機内に入る。 シンガポールからドバイまで、約6時間、ドバイからカイロまでやはり約6時間の旅である。 決して楽ではないが、TVを楽しんでいるうちに時間は経過して行く。06:00 予定より多少遅れてカイロ空港に到着する。 とにかく、広大な空港で、着陸に心配することはない。 カイロ市内には入らないで、ナイル川をはさんで隣接しているギザ市に向かう。 早速ホテルに入れたのは有り難い。 先ずは、デジカメのバッテリーを充電する。 部屋から外を見て、驚いた。 なんと、ピラミッドが目の前に見えるではないか。 歩いてでも行ける距離である。1時間半休憩して、早速活動開始である。 3大ピラミッドを見学するのかと思っていたが、10km南に向かう。 なるほど、他の観光客が来る前に見学しておこうという作戦である。5年前は来られなかったそうだが、エジプト陸軍の敷地内に入って行く。 ということは、途中で、我々のマイクロバスの中に陸軍兵士が機関銃を持って乗り込んで来たのには驚いた。観光客をそれだけ大事にするという事だろうか。やがて、待望のピラミッドが見えてきた。 まさに砂漠の中に聳えている。屈折ピラミッド カイロから南に車で約30分の、ダハシュール という所にある。 高さ約105mだが、丁度真 ん中から、角度が変わっているので、屈折ピ ラミッドと呼ばれている。 下の傾斜は52度、上部の傾斜は43度。クフ 王の父、ネスフル王のものとされている。他の観光客は全くいないなかでの撮影は気分最高である。 深夜のシンガポール空港コチョウランドバイ空港で給油シナイ半島を通過中エジプト・カイロ空港に到着ギザのホテルに向かうホテル・ギザのベッドルーム※追加画像は下記をクリックして下さい。ホテルの部屋の窓からピラミッドがへジャンプ
2017年01月20日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モナリザ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1980年作出、ドイツ・コルデス。 花色はオレン ジ黄色で、花びらの縁は朱桃色を帯びている。 何と も素敵な色合いである。 剣弁高芯咲き、花弁数は 20~25枚、花径9~10cmで中輪、四季咲き性。 1株に複数の花が房になって咲き、株の見事さが楽 しめる。 香りは強く、甘く香る。 樹形は半直立性で、樹高1.5m位になる。 耐病性 に優れている。 ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」とは対照的に、控えめ で無く、積極的に行動する貴婦人のような雰囲気を 感ずる。 モナリザ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(2)(シンガポール経由)-2003.10.21-18:00 DFSの裏口に集合する。 同じ旅行社の成田空港組と合流する。 総勢10名となる。 殆どが若いカップルである。大型の観光バスに乗車して出発する。 車中シンガポールについて、簡単な説明があった。シンガポールの面積は約682平方キロで、淡路島の面積とほぼ同じである。 しかし、人口はシンガポールの約400万人に対して、淡路島は16万人である。 つまり、淡路島の20倍以上の人口密度である。人種は中国系が77%、マレー系14%、インド系8%でその他が1%程度である。 公用語は英語、中国語、マレー語、タミール語。1959年英国より自治権を獲得、1963年マレーシア連邦成立に伴い、その一州として参加。1965年8月9日マレーシアより分離、シンガポール共和国として独立する。約20分後、バスは坂道を登って行く。 途中で海が見え、眺めは抜群である。 標高約100mであるから、山というより丘であろうか。 船の形をしたレストランに到着する。 夕闇が迫る中、オープンデッキでの食事は最高である。 遥か向こうにマーライオンが見える。中華料理に出てくる、鯉の丸揚げに相当する淡水魚の丸揚げが出てきた。 おいしいが、小骨があるので、いささか煩わしい。 ビールはいうまでもなく、機中のタイガービールを指名する。 シンガポ-ル$にまだ両替してなかたので、ガイドさんにUS$を交換してもらう。1時間後に食事を終え、バスに再び乗車する。坂を下り、バスは北上し、ナイトサファリに向かう。ナイトサファリ シンガポール動物園に隣接して作られた、世界 で初めての「夜間だけ開園される動物園」である。 開園は日没から深夜24時まで。40haの敷地に 110種、約1,000頭の夜行性動物が放し飼い されている。 動物園と言っても檻はない。 夜のとばりにわず かに明かりを灯して、夜行する動物達の生態を ごく自然な形で見せようとするのが、ここの特色 である。 その明るさは50ルックスで、もちろん、 フラッシュ撮影は禁止である。 普通のカメラで はまず動物を写すことはできない。トラムコースとウォーキングコースの2通りがある。1晩に5回出るという日本語で解説するトラムを選ぶ。 トラムとは英語で路面電車のことだが、ここに線路はない。 さしずめ原生林に作られた道を軌道として走る観覧車といったところである。屋根以外は吹き抜けである。 途中でスコールに遭遇した時のために、両側にビニールシートが垂れ下がるようになっているのが面白い。目が慣れてくると、思ったより、はっきりと見える。悠然と歩くマレートラが今にも飛びかかってきそうで、凄い迫力である。 まさに、気分はジャングル探検隊である。20:15に発車して、45分間ゆっくりと回る。途中に1ヶ所停留所があるが、日本人が居なければ停車しない。 乗車したければ、手を挙げれば良い。伊勢丹・シンガポールタクシー夕食のレストランへ移動レストラン入り口へ到着 舟形レストランへデッキで食事 遙か向こうにマーライオンが※追加画像は下記をクリックして下さい。海鮮料理が次々とへジャンプ
2017年01月19日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村モダンタイムズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1956年作出、オランダ。 花色は濃いピンクに白のスト ライプが入って、何とも華やかな雰囲気をもっている。 半剣弁 高芯咲き、中~大輪、四季咲き性、微香。 樹高は1m、株立ち性。 樹形がコンパクトなので、鉢植えでも 育てられる。 花の名は、チャップリンの「モダンタイムス」をイメージしたもの かどうかは、分からない。モダンタイムズ・京都府立植物園へジャンプ※エジプト旅行(1)(シンガポール経由)-2003.10.21-10月21日(火) 1日目(1)05:30起床する。 軽い朝食を済ませて、06:50家を出る。 地下鉄・バスを利用して1時間後に名古屋空港・国際線へ。(中部国際空港開港は2005.02.17)旅行会社カウンターにて、搭乗券及び航空券を受け取り、シンガポール航空のチェックイン・カウンターへ。 幸い窓側を1席ゲット出来る。 今回は家内と二人だけのツアーである。 いささか心細いが何とかなるだろう。 従来二人だけは、すべて個人旅行でツアー形式は初体験である。出国審査後、搭乗時間まで90分もある。 DFSをのぞいたりして、時を過ごす。10:15 定刻をすこし過ぎて、名古屋空港を離陸する。 ベルト着用のサインが消えた直後に飲み物とスナック類を持って来たのには驚いた。 離陸後10分も経っていない。 シンガポール航空はサービスが良いとは聞いてはいたが、今後に期待出来る。その上、民族衣装を着たスチュワデスは抜群に美しく、キョロキョロ眺めていたら家内に注意された。先ずはビール(シンガポールのタイガービール)を飲む。 結構美味しい。 以後シンガポールでは、このビールに決めた。 暫くして昼食となる。 これがチキンを主体とした料理で、赤ワインを傾けながら満足、満足である。 といって、初日から酔っぱらっては、以後差し支えるので、ビールは缶で2本、グラスワイン2杯にとどめる。食後は、目の前の6吋液晶テレビで洋画を楽しむ。暫く睡眠をとったところで、再び軽食がやってくる。なんだか、食べてばかりの感じである。 さすが、ビールはやめて、ジュースにする。僅か6時間半の飛行でもう着陸のアナウンスがある。サービスがいいと、つい、もうすこし飛んで欲しくなる。15:50(時差-1時間) シンガポール・チャンギ空港に着陸する。 スーツケースはカイロへ直行なので、手荷物だけで入国審査を済ませて空港を出る。 幸い、旅行社の担当者にすぐ会うことが出来、直ちにマイクロバスに乗る。 さすが熱帯である。 屋外は32℃ある。 タビビトノキ(葉は4m位、長い柄があり扇状に開く)が暖かく(熱く?)迎えてくれる。 長袖のサマー・ジャンバーを脱いで、半袖とする。深夜便に乗るまでの、6時間近くの半日観光である。バスの中から眺めるシンガポールの街並みは、緑が多くて素晴らしい。 国土が狭いので、高層ビルが林立している。 マンションも高級な感じで、それぞれプールを持っているようだ。 今夜のツアーの集合場所はDFSである。 30分もしないうちに着いた。 集合時間(18:00)に、まだ、1時間もあるので、付近を散歩し撮影した。 繁華街のすぐそばに、綺麗な公園があり、入り口にプルメリアが白い花を咲かせていた。名古屋空港・国際線搭乗口シンガポール航空名古屋空港を離陸機内はガラガラ液晶TV先ずはビール続いて赤ワイン機内食※追加画像は下記をクリックして下さい。シンガポール上空へジャンプ
2017年01月18日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メロディ・メーカー※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1990年作出、イギリス・ディクソン。 花色は紅色 で、花弁の一部に白っぽいところがあり、ツートンの感じ。丸 弁高芯咲き、中輪、房咲き性、四季咲き性、芳香。メロディ・メーカー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(21) -2002.11.22- <六日目> <完>フォロ・ロマーノに行きたかったが、時間の都合で撮影だけにとどめ、カンピドリオの丘を下りていく。バスのところへ行く途中、何処を眺めても絵になる。 撮影に夢中になると、ついグループを見失いがちになり、慌てて後を追う。次の目的地は「真実の口」である。 車窓より、大理石の建築としては最古(紀元前2世紀後半)のヴェスタの神殿と、ローマに現存する神殿としては最も古い(紀元前2世紀)フォルトゥーナの神殿を撮影する。「真実の口」はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口左手の柱廊にある。 案内板は何も無いので分かりにくい。 イタリアを旅行していて気づくことは、日本に比べて、看板が殆ど無いということである。 遺跡と看板は似合わないわけで、立派なものだ。さて、分かりにくい所ではあるが、長い行列を見れば成る程と納得出来る。 兎に角、最後尾に並ぶ。 一人一人が「口」に手を入れて撮影しているので、時間がかかる。 おそるおそる手を差し込んでいるのが面白い。 海の神、トリトーネの顔をかたどったこの円盤は1632年に教会の壁から発見されたとか。 もとは井戸の蓋に使われていたという。いよいよ最終観光地、カラカラ浴場跡へと向かう。 夕陽に照らされた遺跡を眺め、往事を偲び感慨ひとしおである。カラカラ浴場 紀元後217年にカラカラ帝時代に造られた巨 大な浴場跡である。 1600もの人達が同時に 入浴出来たという。 この浴場は大理石で埋め 尽くされ、無数の彫像、壁画、モザイクの床で 装飾された素晴らしい建物だったようだ。 6世 紀に北ゴート族の襲来で破壊され、現在残るの はモザイクの床と煉瓦の壁のみである。 古代ローマ人は大の風呂好きで、朝風呂を習 慣とし、格好の社交場となっていたようだ。風 呂の後の赤ワインの味もまた、格別ではなか っただろうか。一週間に及ぶイタリア旅行も、あっという間に終わってしまった。 イタリア病にとりつかれ、いまだに夢心地が続いている。ホテルへの帰途、特にリクエストして、コロッセオに再度立ち寄ってもらった。 夕陽に浮かぶコロッセオをもってこの旅を締めくくりましょう。長い間のご愛読ありがとうございました。 イタリア旅行<完>※次回はエジプト旅行(シンガポール経由)(2003.10.21~)を掲載します。カンピドリオの丘を下りて駐車場に向かう・ローマ※追加画像は下記をクリックして下さい。車窓より・ヴェスタの神殿へジャンプ
2017年01月17日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メルローズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1985年作出、ベルギー・R.V.S. 花色は 濃いピンクで、丸弁高芯咲きから開ききるとロゼット咲き の感じになる。 中輪、四季咲き性。 メルローズ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(20) -2002.11.22- <六日目>コロンナ宮殿を後にし、再びバスに乗り込む。 市街地を走り5分もしないうちに、ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂に着く。 ヴェネツィア広場の南の大きな建物である。5世紀のローマ帝国の崩壊以来、いくつもの国に分かれていたイタリアを1870年に統一しイタリア王国を作り上げ、初代の国王となったのが、ヴィットリオ・エマヌエレ2世である。 記念堂中央に献花する場所があるが、国際的な行事に使用されているようだ。次いで、徒歩でカンピドリオ広場へと登っていく。 ここは、ミケランジェロによって設計された広場で、中央にあるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像もミケランジェロ作である。 高台にあるので、ここからの眺めは素晴らしい。 歩いていると石ばかりの町という感じであるが、高台から眺めると結構緑に恵まれている。広場の反対側からの眺めもまた格別である。 フォロ・ロマーノが一望出来る。 フォロとは「フォーラム」の語源となった言葉で、公共広場の意味だが、広場に建てられた神殿や聖堂などの政治・宗教の中心施設を含めたエリアを総称してフォロと呼んだ。フォロ・ロマーノ カンピドリオの丘とパラティーノの丘に挟まれた谷間 に広がる最古のフォロで、皇帝達のフォロが出来る 前までは、古代ローマの中心として栄えた。 その 起源ははっきりしないが、紀元前6世紀には排水口 などが設備され、都市として機能していたという。 現在の姿は、1803年以後に発掘されたもので、一 部復元された建物を除いて、廃墟のまま公開され ている。ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂・ローマ※追加画像は下記をクリックして下さい。ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂・ローマへジャンプ
2017年01月16日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メリナ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプHT、1973年作出、ドイツ・タンタウ。 花色は ローズピンクで、一部に白が入る。 剣弁高芯咲き、花 径は13cmで大輪、四季咲き性、微香。 樹高1~1.5m、半直立性、早咲き性の品種。 メリナ・鶴舞公園・名古屋へジャンプ※イタリア旅行(19) -2002.11.22- <六日目>12:00までに、一旦ホテルに帰る必要があるので、サン・ピエトロ広場前の大通りを広場の方に向かう。予想したとおり、タクシーの溜まり場が見えた。道路側に一番近いタクシーに乗ろうとすると駄目で、3列並んでいる車の一番中央寄りに乗車する。ホテルのカードを示せばOKで、すぐスタートする。ホテルは市街地の外れにあるので、渋滞する中心地を経由しなければならない。 ナビがついているので便利である。 渋滞しない場所を選んで進んでいる。 11:40にホテルに着き、一旦部屋に入る。10分後にロビーへと降りて行く。 グループの人達が既に半数位揃っている。ロビーに大きくて立派なアンスリウムが花瓶に生けられている。 見事としか、いいようがない。 早速撮影する。 さあ、イタリアにおける最後の観光に出発である。12:00全員集合したところで、バスに乗り込む。先ずは、腹ごしらえをしなければならない。 テルミニ駅に近いレストランに入っていく。 入り口は小さいが中に入ると豪華である。 地元の人達も食事をしているので、期待出来る。キノコ入りのピッツァは美味しかった。 ケーキとコーヒーも出て、満腹となる。 13:30レストランを出る。 目的地はコロンナ宮殿である。 「ローマの休日」のラストシーンを飾った所として有名である。歩いても行ける距離であるが、バスで近くまで行ってもらう。 宮殿を外から見たかんじでは、特別凄いというほどではないが、中に入った途端、目を見張った。 素晴らしい、これぞまさに宮殿と感嘆する。 アン王女と会えそうな雰囲気で、夢心地である。 ここも、例により撮影禁止であるが、入場者は我々のグループだけということもあって、係員が特に3枚だけ撮影を許可してくれる。 何処を選ぶか迷いに、迷ったあげく兎に角3枚数撮す。宿泊中のホテル・ローマのロビー天井絵画※追加画像は下記をクリックして下さい。アンスリウムへジャンプ>
2017年01月15日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メリーラン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、作出年、作出国ともに?。 花色は蕾の うちは、黄色にうっすらと赤がにじむ程度であるが、 花びらが開くと、縁が赤色に染まっていく。 その グラデーションが素晴らしい。 半剣弁高芯咲き、花径は4~5cmあり、ミニとし ては大きい。 メリー(楽しさ)がラン(続く)ように、というの が名前の由来とか。 メリーラン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(18) -2002.11.22- <六日目>サン・ピエトロ広場に出て、さて、次は何処に行こうかとあたりを見回す。 といっても、すぐ見つかるわけでもなく、ガイドブックを取り出す。近くにサンタンジェロ城があるようだ。 歩いて行ける距離なので、兎に角そちら方向に歩を進める。ヴァチカンは世界一小さな国である。 従って城壁があり、門もあるが、国境警備があるわけでもなく、自由に出入り出来る。しかし、中世時代には、法王とローマ貴族との争いの時、法王達はこの城壁の上の道を通ってサンタンジェロ城に入り、防戦したらしい。 城壁に沿って東へと歩いていく。 大きな通りを越えると、すぐサンタンジェロ城が目にはいる。 歩いて10分くらいだから、大した距離ではない。サンタンジェロ城 この城は、テヴェレ河畔にあり、紀元後135年ハ ドリアヌス帝が自分と子々孫々の墓所として建設 を開始、4年の歳月をかけて完成した。 この城の名は、590年、法王聖グレゴリオ1世が、 その頃ローマに猛威をふるっていたペストの絶滅 祈願の行列を催していた際に、城の上に天使(= アンジェロ)が現れ、手にした剣で悪疫を追い払っ たという伝説に由来する。 1527年、法王クレメンテ7世が神聖ローマ皇帝 カール5世の”ローマ略奪軍”に囲まれ、この城に 逃げ込み、身の安全を図った事で有名である。 イタリア統一後は兵舎や政治犯収容所として、現 在は武器・美術品等を陳列する博物館、および 歴代法王の廟として使用されている。 また、この城に架かるサンタンジェロ橋は、ローマ で最も美しい橋といわれ、橋上の天使10体は17 世紀のベルニーニの作である。 この橋はハドリ アヌス帝が建設したもので、橋げたを繋ぐアーチ のうち、中央部の3つは当時のまま残っている。お城の中に入りたかったが、残念ながら時間がないので、サンタンジェロ橋を渡って行く。 そういえば、オペラでトスカが身を投げるのはこの城からであるが、当時はテヴェレ川がすぐそばに迫っていたのだろうか。橋上からの眺めは素晴らしい。 ただ物売りが多いのは煩わしい。 古代ローマ人らしい扮装で、コンサートのチケットを売っている。橋を渡りきったところで、そのまま前進し、一本目を右側に路地に入ってみる。 裏通りも、なかなか趣きがある。 さて、今日は午前中のみ自由行動で、午後はグループと行動を共にするので、ぼつぼつホテルに帰らなければならない。 川と大聖堂のドームが目印なので、道に迷う心配はない。サン・ピエトロ大聖堂を出て広場へ衛兵※追加画像は下記をクリックして下さい。衛兵へジャンプ
2017年01月14日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メヌエット※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1969年作出、アメリカ・Lammerts。 花色 は白地で、花弁縁が赤い覆輪。 剣弁高芯咲き、中輪、四季咲 き性。 樹形はコンパクトで、鉢植え、花壇用としても適している。 メヌエット・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(17) -2002.11.22- <六日目>流石カトリックの総本山である。 サン・ピエトロ大聖堂は、内外観共に素晴らしいし、荘厳である。中に入って、奥に向かって右側に聖ピエトロ像がある。 ブロンズ製で、作者は13世紀にローマで活躍した彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオとされている。 この聖ピエトロ像は信者からの崇敬を集め、足にさわってお祈りする人が後を絶たず、甲の部分がすっかり擦り減ってしまっている。大ドームの真下に位置する内陣には、教皇の祭壇を飾るブロンズの天蓋が立っている。 ベルニーニが1624年から10年を費やして制作した、バロック彫刻の傑作で、らせん模様の刻まれた4本の柱が印象的で、この荘厳な聖堂内で、ひときわ目を引く建造物である。 聖ピエトロの豪華な墓室で、97個のオイル・ランプで照らされている。聖堂を飾っているのは、イタリア芸術の巨匠たちの傑作ばかりで、見て回るのに最低3時間は必要だろう。 ミケランジェロが設計した大ドーム(クーポラ)に登れば半日がかりとなる。我々は時間が無くて、残念ながら登れなかった。地上120mにあるバルコニーから、ローマが一望できて素晴らしいとのことである。出口に「天国の鍵」が描かれていた。 聖書によれば、ピエトロというのは「岩」という意味で、イエス様が彼に「お前の信仰は岩のように固い」といってそう名付けられた。 そのピエトロにイエス様が「天国の鍵」を授け、それをもってピエトロが初代教皇と見なされるようになった。従って、「鍵」のモチーフは教皇庁の印でもある。荘厳さに圧倒されて、いささか疲れを覚えた。外に出て、広場で深呼吸して、ほっとする。礼拝堂・サン・ピエトロ大聖堂壁画※追加画像は下記をクリックして下さい。壁画・サン・ピエトロ大聖堂へジャンプ
2017年01月13日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メニ・ハッピィ・リターンズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1991年作出、イギリス・ハークネス。 花色は極めて淡いピンクで、中央部が多少濃いツートン。 丸弁 高芯咲きから、開ききると八重平咲きとなる、中輪。 メニ・ハッピィ・リターンズ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(16) -2002.11.22- <六日目>昨日は最後のトレヴィの泉で雨が降り出したが、今日のお天気は大丈夫のようだ。 午前中はフリーである。07:30朝食後、午前中の行き先を検討する。昨日システィーナ礼拝堂は見学したが、サン・ピエトロ大聖堂はまだ見ていない。 そこへ行こうと衆議一決(といっても家内と二人だけだが)する。 立派なホテルだが、残念ながら地下鉄駅に遠い。 フロントでタクシーを頼む。 同じグループのご夫婦が同乗を依頼される。 勿論OKである。 5分くらい待たされたがタクシーがやって来た。 ガイドブックで目的地を指させば、すぐスタートする。 09:10頃である。少し渋滞した所もあったが、25分後にはサン・ピエトロ広場前に着いた。 割り勘ですんだのは有り難かった。 サン・ピエトロ広場 バロックの巨匠ベルニーニが設計した「世界一の 広場」として名高く、1667年に完成した。 広場 は284本のドーリア式円柱が並ぶ回廊で囲まれ、 中央にはエジプトのオベリスクが立つ。 これは、 紀元後37年に古代エジプト都市へリオポリスよ り運ばれてきたもので、後世の地震で唯一倒れ なかった。 高さは25mある。 クリスマスになると、この広場にはイエス様誕生 の場面の人形が多数置かれ、大変賑やかとの 事である。 毎週日曜日の正午には、法王様の 姿を拝見出来るとか。 この広場はなんと、30 万人を収容出来る。法王様を守る衛兵が入り口を警備している。 縞模様のユニフォ-ムはミケランジェロがデザインしたものを、現在も使用している。衛兵はスイス人で、しかも代々ここを警備した子孫でなければならないとか。 衛兵の交代を見学出来たのはラッキーだった。 広場を一通り撮影したところで、いよいよ待望のサン・ピエトロ大聖堂に入っていく。サン・ピエトロ大聖堂 世界最大の規模と豪華さを誇る、カトリック教会 の大聖堂である。 現在の建物は16世紀以後 のものだが、その前身となったのは4世紀のコ ンスタンティヌスの聖堂である。 紀元後313年にキリスト教徒となった最初の 皇帝コンスタンティヌスは信仰の証として、バシ リカ(聖堂)の建設を命じた。 聖ピエトロに捧 げられたこの聖堂は、暴君ネロによって逆さ磔 (はりつけ)にされたというピエトロ殉教の地に 建てられた(349年)。 1546年に再建の命を受けたミケランジェロは、 彼独自のデザインで建設を始めた。 さらに、 デラ・ポルタやカルロ・マデルノらに工事は引き 継がれ1626年に完成した。 この間に様式は ルネッサンスからバロックへと移り変わった。 最も有名なのは、ピエタの礼拝堂であろう。 ミ ケランジェロが最初のローマ滞在中に制作した 若き日(25歳)の傑作、ピエタ像が安置されて いる。 フランス人枢機卿フェツェンザックの依 頼を受けて、1499年に完成した。 この作品 によって、ミケランジェロは天才として世の注目 を集めるきっかけとなった。 1972年に像の一部が破壊されるという事件 があり、現在は防弾ガラスによって守られて いる。 台座が高くて、イエス様の顔が見られ ないのは残念である。サン・ピエトロ広場サン・ピエトロ大聖堂ドーム※追加画像は下記をクリックして下さい。オベリスク・サン・ピエトロ広場へジャンプ
2017年01月12日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メガミ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプHT、1980年作出、日本・鈴木省三。 花色は淡いピンク であるが、花弁裏が白いのでツートンの感じである。 丸弁高 芯咲き、中~大輪、四季咲き性、微香。このバラを見ると、ボッティチェッリの有名な繪、「ヴィーナス の誕生」に描かれたバラを思い出す。 ギリシャ神話では、愛の女神アフローデが巨大な帆立貝の中から誕生した時、空からバラ の花びらが降ってきたといわれている。 作出者が日本人なので「女神」と命名されたが、外国人なら「ヴ ィーナス」であろうか。 メガミ・京都府立植物園へジャンプ※イタリア旅行(15) -2002.11.21- <五日目>コロッセオを後にして、次はトレヴィの泉へと向かう。北上する感じだが、歩いてもいける位の距離である。途中の車窓からの眺めも素晴らしい。 古い遺跡の連続といっても過言ではない。バスを降りて、細い路地を歩いていく。 暫くすると、突然開けた場所にでる。 彫刻と一体になった、巨大なポーリ宮殿の白壁が現れる。 「トレヴィ」の原語が示している通り、3つの辻が出会っている。トレヴィの泉 ここは、ローマで最も有名な場所の一つであろう。 数あるローマの噴水の中で最も大きく、バロック 様式の舞台的効果にあふれている。 ポーリ宮殿の壁を巧みに利用して造られたこの噴 水の設計者は、1730年に法王クレメンス12世 が募集したコンクールで決められた。 入選者と なったのは、若く無名のニコラ・サルヴィであった。 彫刻はプラッチが担当し、完成したのは1762年 である。 壁面中央の勝利のアーチを背にして立つのが、 海の神・ネプチューンで、彼が乗る貝殻の馬車 を引くのは天馬ペガサス、手綱を操るのは2体 のトリトンという構成である。 ギリシャ・ローマ 神話の一場面が劇的に表現されている。 素朴な疑問の一つは、昔これほど豊富な水を どうやって引いてきたのか? なんと、紀元前 2世紀から紀元後2世紀にかけて、テヴェレ川 を水源として、整備された古代ローマの水道を 利用したという。 19世紀末に水道は改築され たが、今見る噴水も古代ローマの恩恵に浴して いるというのだから驚きである。 おなじみの、「後ろ向きにコインを投げれば、 再びローマに戻ってこられる」というロマンティ ックな伝説は比較的新しい習慣とか。 昔は 泉の水を飲むということで願をかけていたとい う。世界中から来る観光客が、必ず立ち寄る場所とあってか、兎に角人、人、人の波である。 日没も近く、薄暗くなっていたが、生憎ぱらぱらと小雨が降り始める。 慌てて、折り畳み傘を広げる。大部分の人達は、傘もささず平気で濡れている。身体のことより、カメラが心配で撮影は中止する。残念だがやむを得ない。30分後、小さな教会の前の石段の上に集合する。 2名がアイスクリームの行列で手間取り、雨の中を走ってくる。 これにて、今日の予定は終了。 バスでホテルに向かう。コロッセオを後にして車窓より(トレヴィの泉に向かう)※追加画像は下記をクリックして下さい。車窓より(トレヴィの泉に向かう)へジャンプ
2017年01月11日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村メアリー・ローズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1983年作出、イギリス・オースチン。花色はローズピンクで、カップ咲きからロゼット咲きに変化する。花径は8~10cmで中輪、多花性、四季咲き性、中香。樹高1~1.2m、半横張り性。 耐病性、耐暑性に優れ、育てやすい品種。メアリー・ローズ号はヘンリー8世により1510年に建造され た。 1545年ソレントの海戦でイギリス艦隊の旗艦となりフランス艦隊と戦闘を行うが、その際に炎上、沈没した。1982年に遺物が引き上げられ、この時代の艦船の貴重な資料となった。このことに因んで、花名が付けられた。 メアリー・ローズ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(14) -2002.11.21- <五日目>システィーナ礼拝堂を後にしてバスに向かう。 なかなか興奮が冷めない。 その上、11月下旬だというのにローマは暖かい。男性は全員ノー・コートである。この近くには駐車できないので、かなり歩かされる。とある教会の広場で、バスを待つ。 広場にピンクの可愛い花が咲いていた。 日本では見かけない花である。 早速撮影する。5分くらい待って、バスがやっと来る。 まだ、正午前だが早い目にレストランに向かう。 今回のツアーは殆ど食事が付いているので、面倒がなくて助かる。 ランチだというのに、野菜サラダ、ヒラメのムニエル、そしてパスタである。 勿論パンもあるから、ボリューム満点である。 赤ワインもボトルで出てきた。イタリア式に、のんびりと食事を楽しむ。 最後のケーキとコーヒーを飲んで外へ出たのは、既に13:30を過ぎていた。 バスに乗り込んで、コロッセオへと向かう。コロッセオ ”永遠の都”ローマのシンボルである。 「ローマ は永遠なり。 されど、コロッセオが崩れるとき ローマも終わる」という中世からの言い伝えが、 それを物語る。 この古代ローマの円形競技場 は、紀元前70年頃に建設が始まり、完成したの は100年以上も時を経た紀元後80年である。 直径188m、周囲527m、高さ57mの4階建て である。 5万人を収容した観客席は、身分や性 別によって区別されていたという。 大観衆を前にアリーナで行われていたのは、剣 闘士同士や猛獣と人間による血なまぐさい殺し 合いであった。 勝利者の門から、意気揚々と 出ていくか、密かに別の門から運び出されるか の何れかである。 昔のこととはいえ、なんとも、 やりきれない思いであった。コロッセオの隣にあるのが、ローマ最大の凱旋門である。コンスタンティヌスの凱旋門 コンスタンティヌス帝がテヴェレ川に架かるミル ヴィオ橋でマクセンティウス帝に勝利した記念に 建てられ、紀元後315年に完成した。 このこ とが、キリスト教公認(313年、ミラノ勅令)につ ながった。 18世紀までは、可成り傷んでいたが、以後修復 され、現在も美しさが保たれている。 ナポレオン がこの凱旋門を見て、パリに凱旋門を造ったの は有名な話である。システィーナ礼拝堂を後にして観光バスに向かう歩いて5分後、とある教会前の広場へ※追加画像は下記をクリックして下さい。広場の一隅に可愛い花が咲いていたへジャンプ
2017年01月10日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ムーンライト※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S、1913年作出、イギリス・ベンバートン。 花色 は、ほんの少しピンクがかった白で、黄色い蕊と の対比が素敵な可愛い花を咲かせる。 八重平 咲き、房咲き、四季咲き性。 花径は約4cmで 小輪。 残念ながら、花保ちはいま一つである。 大きな トゲがあるので要注意。 ムーンライト・新宿御苑・東京へジャンプ※イタリア旅行(13) -2002.11.21- <五日目>昨夜はフィレンツェでキャンティ・ワインをいささか飲み過ぎた。 しかも、悪いことに今朝は05:00起床である。 理由は簡単、ローマのシスティーナ礼拝堂を予約してあるからである。洗面後、荷造りをして、スーツケースをがらがらとロビーまで持って降りる。 早朝なので、自分でやるしかない。 06:20チェックアウトを済ませる。全員集合を確認して、06:30ホテルを出る。 しばらくして、バスは高速道路に入る。 途中の風景は全く素晴らしい。 朝食はバスの中でとる。 サンドイッチとジュースの簡単なものである。しかし、いい景色を眺めながらの食事も悪くない。1時間半くらい走ったところで、トイレ休憩である。勿論有料で、ユーロ・コインを用意する。 20セント、日本円で25円くらいか。 レストランの前でピラカンサが綺麗な果実をつけていた。 横幅10数mに広がっている。 なかなか、見応えがある。 早速撮影する。15分の休憩後出発する。 再び高速道路を走り、約1時間後にローマ市内に入る。 09:30予約のヴァチカン博物館へ十数分前に到着である。 入り口は既に長蛇の列である。 予約している人達は団体入り口から、すいすいと入れる。 チェケット売場は螺旋階段を上った2階にある。 法王様が住んでいるヴァチカン宮殿は、その大部分をヴァチカン博物館が占めている。 館内には20もの博物館、美術館や図書館があるという。すべてを見て回るには2日は必要とか。 我々はそんな余裕はないので、システィーナ礼拝堂に的を絞る。システィーナ礼拝堂 ミケランジェロの『最後の審判』と創世記を主題に した天井画で有名である。 ヴァチカン観光のクラ イマックスといっていいだろう。 65歳のミケラン ジェロが8年の歳月をかけて完成させたこの大作 は、修復によって鮮やかな色彩がよみがえり、オ リジナルの美しさを際だたせている。 実は、このフレスコ画が描かれてから何度か修復 が行われてきたが、その時ニカワを表面に塗布し て保護処理をした。 その結果、温度と湿度の変 化で、収縮を繰り返しているうちに、表面は亀裂 だらけとなった。 さらに、照明に使われたオイル ランプの煤でかなり、くすんでしまった。 そこで、後世のために、今回の洗浄の過程をフィ ルムに作成したが、これを担当したのは日本の TV局だったという。さて、システィーナ礼拝堂に至る廊下は極めて長い。しかも、その通路自体が芸術そのものである。やっとの思いで、礼拝堂に入って更に驚いた。全く人、人、人で、まさに立錐の余地もないくらいである。2部屋が通しになっているが、500人以上は確実にいる。 ひょっとすると、1000人近いかもしれない。『最後の審判』が素晴らしいことは勿論であるが、残念ながらゆっくりと鑑賞する訳にはいかない。写真撮影は勿論禁止で私語も禁止である。なにか、重苦しい感じであるが、ここは、文字通り「礼拝堂」であるから、当然かも知れない。20分後に出口近くにグループを見つけて、ほっとする。車窓より(フィレンツェ-ローマ間)※追加画像は下記をクリックして下さい。車窓より(フィレンツェ-ローマ間)へジャンプ
2017年01月09日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ムーン・シャドウ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1995年作出国アメリカ・J&P。 花色はラベンダ ー色で、花径は10~12cm、剣弁高芯咲き、四季咲き性。 樹高は1.2mで、直立性。 ボリュームのある強健種で、濃 厚なオールドローズ香が特徴である。 ムーン・シャドウ・京成バラ園へジャンプ※イタリア旅行(12) -2002.11.20- <四日目>サンタ・クローチェ広場ではすでに明かりが灯り始めた。 既に17:00近い。 バスに再び乗り郊外のドッチャに向かう。 有名な陶磁器メーカーのリチャード・ジノリ博物館に30分後に到着する。 館内は例により撮影禁止である。リチャード・ジノリ 13世紀末、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが中 国の白磁を持ち帰ったことに始まる。 ヨーロッパ の人々の、東洋の白い磁器への憧れは、18世紀 において、独自に磁器焼成を行うという形で結実す る。 マイセン、ウィーンに続いて、イタリアにおいて初め ての磁器窯が1737年、トスカーナ侯爵カロル・ジ ノリによって、フィレンツェ郊外の自領ドッチャに創 設された。 その後ジノリ侯爵家代々の当主に受 け継がれ、現代に至るまで265年の歴史を誇って いる。 1873年に日本の岩倉具視使節団がドッチャを 訪れ、ジノリ侯爵の案内で磁器工場を見学し、記 念のサイン・プレートを残している。 1896年ミラ ノのリチャード陶磁器会社と合併し、近代化の道 を歩んでいる。 ジノリ窯は伝統を守りつつ、革新 的な作品を送り続けている。 代表的なデザイン は1758年からのイタリアンフルーツ(通称イタフ ル)が有名である。 博物館内をゆっくり観覧していては、何時間あっても足りない。 僅か1時間で一旦見学を打ち切り、30分間工場製品直売所に行く人とそのまま見学を続ける人の2班に分かれる。 なんと、殆どの人達が買い物に行き、見学を続けるのは家内と2人だけになってしまった。 おかげで、のんびりと自分の見たいものを観察できた。 ジノリ製品は値段はともかく、その気なら日本でも買えるが、ここへ来るチャンスはまず二度とないからである。定刻19:00、入り口のシャッターが静かに降りる。バスに戻ったのは我々2人だけで、ガイドさんもまだである。 余程値打ちなものがあったのだろうか。 15分後、やっと全員揃う。 手に手に大きな紙袋を提げている。 バスはすぐスタートし、最後の見学地のミケランジェロ広場へと向かう。 どうやら高台からフィレンツェ市内の夜景を眺めようという趣向らしい。 暗い駐車場に観光バスが沢山停まっているのに驚く。 フィレンツェの夜景は本当に素晴らしい。広場を後にしたのは既に20:00をまわっていた。空腹も限界に達しつつある。レストランは有名なヴェッキオ橋のそばにある。この橋はフィレンツェで最も古い橋である。 橋の上に店が出るという。 中世の橋の形態をいまだに保っている。 昔は皮革製品店が多かったようだが、現在は殆ど宝石店である。20:30やっと食事を始める。 料理はトスカーナディナーである。 腹が減っていたこともあって、赤ワインがよくまわった。 いうまでもなく、キャンティ・ワインである。 料理も最高に美味しかった。リチャード・ジノリ博物館・ドッチャイタリアンフルーツ・デザインの磁器※追加画像は下記をクリックして下さい。高台にあるミケランジェロ広場・フィレンツェへジャンプ
2017年01月08日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミワク(魅惑)※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1988年作出、京成バラ園(鈴木省三)。 クリー ム白地にピンクの縁取りの花は、文字通り魅惑的で ある。 半剣弁高芯咲き、花径は13~15cmと大輪。 香りが強く、耐病性にも優れている。 樹高0.6~0.8m、半横張り性で、花付きが良い。 1988年、JRC(日本バラ会)銀賞を受賞。ミワク・可児花フェスタ記念公園へジャンプ ※イタリア旅行(11) -2002.11.20- <四日目>シニョーリア広場に有名な、ミケランジェロ作「ダビデ像」が立っている。 しかし、これは残念ながらレプリカである。 現物はアカデミア美術館に納められている。 本物は高さ6m近い大理石像で、1504年に完成した。 ダビデと名付けられているが、ミケランジェロは「理想の人間」を表現したかっのだろう。さて、いよいよ待望のウフィツィ美術館訪問である。予約していないと、2時間以上も待たされると言う。16:00の予約なので、ドゥオモの中に入ることが出来ず、急いでここに来たわけである。ツアーとあればやむを得ないことである。ウフィツィ美術館 イタリア・ルネッサンスの至宝を集めた、最も重要 な美術館である。 ウフィツィには総合庁舎の意味 がある。 そこに16世紀以来のメディチ家の当主 たちの熱心な収集意欲の成果のすべてが納めら れている。 この美術館は、ざっと見て回るだけで半日は必要 だろう。 そこを、ツアーの悲しさ、僅か1時間しか ない。 とにかく、超有名な作品に集中せざるを得 ない。 私が一番期待したのは、ボッティチェリの『春= プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』である。 レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』とミケランジ ェロの『聖家族』、そしてラファエッロの『ヒワの聖 母』も必見である。旅行前に、特に『ヴィーナスの誕生』は繰り返し美術書で見ておいたので、現物に接した時の感激は、言葉に表されないくらいである。 足早に鑑賞しただけで、後ろ髪を引かれる思いで次の会場へとむかう。 美術館からヴェッキオ宮殿が眺められる。 ここは単にデラ・シニョーリア(政庁)と呼ばれることもある。 この14世紀初頭の建物は、ドゥオモと共にフィレンツェの顔である。 鐘楼の高さは94mもある。 宮殿の一部は今でも市庁舎として機能している。次は、サンタ・クローチェ教会である。 フランチェスコ会の教会で、13世紀から15世紀にかけて建設されたものである。 時間の都合で中を見学できなかった。 この教会前の広場は、フィレンツェで最も古い広場といわれている。ダビデ像(レプリカ)-レオナルド・ダビンチ作の本物はアカデミア博物館に納められているネプチューンの噴水 ※追加画像は下記をクリックして下さい。ネプチューンの噴水 へジャンプ
2017年01月07日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミュージック・メーカー※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1973年作出、アメリカ・Buck。 花色は紫がかったピンクで、中央部が多少濃く、周辺が淡いの でツートンの感じ。 剣弁高芯咲き、中輪。 ミュージック・メーカー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(10) -2002.11.20- <四日目>オリエント急行内の服装の注意として、男性はジャケットとネクタイ着用、女性はパーティードレス又はそれに準ずるものとあり、男性は問題ないとして、女性はなにかと大変だったらしい。 着物の人もいたが、たしかに着物は国際的な正装である。旅行中はスリに狙われないように極めてラフな恰好をしていて、車内ではおめかしし、その落差が大き過ぎて面白かった。新幹線に4時間も乗ると言うことは大変なことなのに、オリエント急行での4時間はあっという間に終わってしまった。 次回は是非2泊くらいの旅行をしてみたい。 フィレンツェ駅到着はほぼ定刻の15:00である。駅前広場からドォウモのドームが見える。フィレンツェが町の形を整えたのは11世紀のことである。 次の12世紀を通じて、主として商業と金融の分野で発展し、自由都市となる。その発展の過程で、巨万の富の蓄積に成功したのがメディチ家であった。 メディチ家は町を実質的に支配すると同時に、学問、文芸、芸術を保護し、全ヨーロッパから優れた人々を集めるのに熱心であった。 実際、ミケランジェロ(1475~1564)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)といった、ルネッサンスを代表する巨匠たちは、フィレンツェに於いてその才能を開花させ、その後各地に散って行ったのである。ドォウモは正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレという。「花の聖母」という優美な名称で、その名の通り花の都フィレンツェのシンボルとなっている。14世紀半ばに完成したこの建築は、均整がとれていて、調和を追求したルネッサンスのひとつの完璧な帰結をここに見ることが出来る。近くにある84mの垂直の塔はジョットの鐘楼と呼ばれている。 ジョットはフレスコ画だけでなく、建築の設計にも類い希な才能を発揮した。 まさに、万能のルネッサンス的人物といえる。 完成は彼の死後の1359年である。ドゥオモの道を隔てた反対側(西側)に洗礼堂がある。 11世紀の建造で、フィレンツェ最古の建造物のひとつである。 東側のブロンズの扉はミケランジェロが「これこそ天国の門(Porta delParadiso)だ」と叫んだことで、世界的に知られている。 ということで、扉の前は観光客で込み合っている。撮影に苦労する。 ガイドさんが次に移るため、傘を振り上げて必死にグループを呼んでいる。次に行ったのは、シニョーリア広場である。 ドゥオモがフィレンツェの宗教の中心だとしたら、ここは政治の中心である。オリエント急行がサンタルチア駅・ヴェネツィア発車直後ヴェネツィア-フィレンツェ間(車窓より)※追加画像は下記をクリックして下さい。フィレンツェに到着へジャンプ
2017年01月06日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミュージック※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1984年作出、日本・浅見均。 花色は花弁の 内側が白で、縁が濃いピンクのツートン。 丸弁高芯咲 き、中輪、房咲き性、四季咲き性。 ミュージック・庄内緑地公園・名古屋へジャンプ※イタリア旅行(9)-2002.11.20- <四日目>昨夜サン・マルコ広場近くのレストランで遅い夕食をとり、リド島のホテルに着いたのは22:00頃である。さすがに疲れた。 シャワーを浴びる程度で、すぐ就寝する。 06:30起床、07:30朝食をすませる。 食後ホテルの近くを散歩する。 桟橋近くに八百屋さんがあったが、日本の店頭とそんなに変わりはない。 ミカン、洋なし、クリ、カーキ(柿)もある。 渋柿なので完熟を食べているようだ。このリド島は、普段は落ち着いた住宅地だが、8月最後の週から2週間にわたるヴェネツィア映画祭はこの島の「映画の宮殿」で催される。 世界中から名だたる俳優や監督、ジャーナリストが集まり、華やかな様子がTVで伝えられる。また、海水浴のリゾートとしても有名である。 なんと、1874年にはすでに2万5000人の海水浴客が集まっていたという。さて、09:00ホテルのロビーに集合する。 早速桟橋に向かう。 桟橋といっても、木の杭が4~5立っているだけである。 フェリー用の立派な桟橋が近くにあるらしい。 因みにこの島では自動車が走り回っているので、ヴェネツィアと違って要注意である。水上タクシーでサンタ・ルチアに向かう。 途中の眺めは、昨日と違う角度からで、それなりに素晴らしい。約25分後に桟橋に着く。 駅はすぐそばである。さあ、憧れの「ヨーロッパの貴婦人、オリエント急行」とご対面である。 いささか、エキサイト気味である。別に鉄道マニアというほどではないが、この列車には一生に一度でいいから、乗車したいとかねがね念願していた。いた、いた。 雑誌やTVでおなじみのブルーの車体である。 何枚も写真を撮る。 車体側面中央に誇らしげに飾り付けられている「向かい獅子」マークのエンブレムが眩い感じである。オリエント急行 ヨーロッパのオリエント急行を作り出したワゴンリ社 はベルギー人ジョルジュ・マッカースが創設した国 際寝台車会社である。 1883年にパリのエスト駅を出発して、トルコのイス タンブール駅に向かった5両編成の寝台車と食堂 車がその第1号車である。 内装はマホガニー、壁 は総絹張り、床にはトルコ絨毯を敷き詰めるという まさしく世界一の超豪華列車だった。 第1次世界大戦後には、次々に新路線と姉妹列車 が運行されるようになった。 120年にわたって世 界中の人々が優雅な歴史的ドラマを繰り広げてき た、まさに「走る宮殿」といえる。アガサ・クリスティの 推理小説『オリエント急行の殺人』はあまりにも有名 である。10:30オリエント急行は音もなく発車する。 ヨーロッパ旅行をした人はお気づきのように、駅でのアナウンスも列車内でも殆どない。 定刻(殆ど遅れるが)に音もなく出るので要注意である。先ずは、コンパートメント内に落ち着く。 といっても興奮気味で落ち着かない。 通路を観察したり、トイレを確認したりと忙しい。 別に急ぐ必要はない、なにしろフィレンツェまで4時間以上かかるのだからと言い聞かせる。今回は日本人ばかり約150人による貸し切り列車である。 従って、食事の時と記念品の買い物の時だけ日本語によるアナウンスがある。 これは例外で、普通は車掌が連絡にくるらしい。我らがグループは幸い第1回目の食事である。11:00と少し早いが、丁度腹も減ってきた時でありがたい。 ピアノで生演奏中のラウンジを通ってレストランに行く。ランチなのに、予想に反してフランス料理のフルコースである。 赤のフランスワインと美味しい料理で満足、満足である。 外を流れる風景は、まさに一幅の絵であり、夢心地となる。リド島のホテルに到着(リド島はヴェネツィア本島の東南にある長さ12kmの細長い島-11月19日夜)早朝のホテル・リド島(11月20日)ホテルの近くを散歩※追加画像は下記をクリックして下さい。ホテルの近くを散歩へジャンプ
2017年01月05日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミモレ1975※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1975年作出、日本・太田嘉一郎。 花色は サーモンピンクで、半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き 性。 香りは残念ながら殆ど無い。 ミモレ1975・庄内緑地公園・名古屋へジャンプイタリア旅行(8)-2002.11.19- <三日目>アカデミア美術館を鑑賞するには、少なくとも3時間は必要だが、ツアーの悲しさ僅か40分で切り上げてしまう。 有名な絵を見ただけである。 美術館を出ると、もう夕闇が迫っている感じである。幸いすぐ前の桟橋に水上バスが停船していた。 慌てて飛び乗る。 すぐ、船は桟橋を離れ一カ所寄って、 サン・マルコ広場のそばの桟橋に着く。 夕焼けを背にしたサン・マルコ寺院が美しい。 早速撮影する。サン・マルコ広場へ向かう途中の露店はもう閉まっている。 広場も薄暗くなり、人影もまばらとなっている。17:00をまわったところである。 レストランや土産品店は勿論まだ営業している。 ヴェネツィアン・グラス 土産品のNo.1はヴェネツィアン・グラスだろう。 この 町の文化と産業を考える上で忘れれないのは、ガラ ス工芸である。 オリエントやヴィザンティン世界か ら技術を導入し、10世紀ころからその製造が始まっ た。 13世紀末に火災の危険を避け、しかも技術の 秘密を保持するために、すべてのガラス工場を北東 に少し離れたムラノ島に移転させた。 15~16世紀には最盛期を迎え、その華麗さを世界 中に誇った。 このガラス工芸は、モダン・アートとも 結びつきながら、今なおヴェネツィアの重要な産業と なっている。 特に真紅のワイン・グラスは特筆ものである。 本物 の金を含有しないと、その色は出ないそうで、従って 極めて高価である。 欲しくて、迷いに迷ったが、あま りに高いので諦めた。17:30再度、先ほどの桟橋に集合する。 お待ちかねのゴンドラ・クルーズである。 舟1隻に6名ずつ乗船する。 乗り終わった舟から出発する。 先ずは、大運河をのんびりと進んで行く。 すでに、夕闇にすっぽりと包まれている。 所々ライトアップされたビルがある。大運河では3隻が並んで、陽気な船頭3人がお客を無視して、大声で話し合っている。 カンツォーネでも歌えばムードがより盛り上がるのだが。暫くして、小運河へ入る。 当然のことながら、1列縦隊となる。 それでも、狭い所では向こうからのゴンドラやモーターボートと行き交うのは大変である。 しかし、流石にプロである。 見事な舵さばきをみせてくれる。それでも、他のグループで、モーターボートと接触してゴンドラの船頭が運河に落ちたとか。 やはり、危険な感じである。1時間ちかくの航海を楽しみ、先ほどの桟橋にもどる。暗いのも、それなりにムードがあるが、もう一度昼間に乗ってみたいものだ。 上陸して、全員が揃ったところでレストランにむかう。 昼食の時と同じように狭い路地を入っていく。 看板が「TAVERNA」とあり、食べるなとはと、皆で面白がる。 イタリア語は全く分からないが、英語から連想すると「居酒屋」という感じだろうか。腹が減っていたということもあるが、ワインとシーフードは最高に美味しかった。夕暮れのサン・マルコ寺院(水上バスより)上陸後※追加画像は下記をクリックして下さい。夕暮れのサン・マルコ広場へジャンプ
2017年01月04日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミミ・ローズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ スプレイ系、1985年作出、アメリカ・Robert。 花色は、 中央部が濃いピンクで周りが薄いピンクのぼかしで、 中輪、丸弁咲き、分枝がスプレイタイプの房咲き、多花 性、四季咲き性。 スプレータイプの代表的な品種である。 ミミ・ローズ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(7) -2002.11.19- <三日目>昼食を終えて、再びサン・マルコ広場に戻る。 やはり、一番目立つ建造物は「大鐘楼」である。 高さが96.8mあり、エレベーターで昇るとヴェネツィアの全景が眺められる。この鐘楼は10世紀の監視灯台(16世紀再建)を転用したもので、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)はこの塔から天体観測を行ったと言われている。 しかし残念ながら1902年に倒壊し、その後復元された。さて、次の見学先はドゥカーレ(総督)宮殿である。 ドゥカーレ宮殿 ヴェネツィア共和国の総督(ドージェ)の住居と政治 の府、裁判所を兼ねた官邸である。 14~15世紀 に現在の姿になった。 ヴェネツィアン・ゴシック様 式を代表する建物で、大理石の白と薄ピンクの配色 が上品で美しい。 中庭に16世紀に造られた、ブロンズの縁石の井戸 がある。 総督及び貴人専用の階段が総督の間に 続いている。 外観は質素であるが、内部は素晴ら しい天井画や壁画で飾られている。 大委員会の間はこの宮殿で最も美しい部屋である。 総督の座の背後にティントレットの『天国』があり、 76代までの総督の肖像画が並んでいる。天井には ヴェロネーゼの『ヴェネツィア礼賛』がある。 宮殿の牢獄も見学できる。 牢獄へ連行する「溜息 の橋」は高い位置にあり窓も小さい。 囚人がここ で溜息を漏らしたとか。 牢獄は宮殿の華やかさか ら一転して、暗くじめじめしている。 カサノヴァ(有名 なイタリアの山師-1725~1798)が脱獄したのは この牢獄だったという。宮殿を出て、次に向かったのはアカデミア美術館である。 大運河の対岸に渡らなければならない。 かなり先に橋があるが、水上バスを利用した方が早く行ける。桟橋に行く途中に土産物を売っている店が並んでいて覗いて見たいが、ガイドさんは先を急いでいる。水上バスは思ったより混んでいた。 座席に座ることができない。 しかし、10分程度らしいので、たいしたことはない。 2つ目で降りる。 アカデミア美術館 ヨーロッパの中でも重要な美術館のひとつで、ヴェネ ツィア派の絵画の集大成をここで見ることが出来る。 特に第7室、ティツイアーノの『授洗者』、未完の『ピエ タ』、ヴェロネーゼの『レヴィ家の晩餐』、ティントレット の『聖マルコの奇跡』、『アダムとイヴ』は必見である。 ヴェネツィア派の14世紀から18世紀の流れがつか めるようになっている。 残念ながら館内は撮影禁止である。レストラン前の通り・ヴェネツィア本島土産品店大鐘楼・サン・マルコ広場※追加画像は下記をクリックして下さい。大鐘楼・サン・マルコ広場へジャンプ
2017年01月03日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミニヨン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1962年作出、フランス。 上品なピンク色で、花弁 の縁が濃くなっているので、ツートンの感じ。 半剣弁高芯咲 き、中輪。 ゲーテの原作で、「君よ知るや南の国」で知られる、19世紀のフ ランス・オペラの傑作『ミニヨン』をイメージしたものと思われる。ミニヨン・京都府立植物園へジャンプ※イタリア旅行(6)-2002.11.19- <三日目>サン・マルコ桟橋を降りたところにレストランがあり、ピンクの花が目に入った。 ゼラニュームだろうか。日本へは、江戸期にオランダより入った花で、天竺葵(てんじくあおい)となづけられた。 のんびりと、撮影していたらグループを見失ってしまった。慌てて、後を追う。 足元が濡れていて歩きにくい。十数メートル先を、50cmくらい嵩上げされた板の上を歩いているグループを見つけた。 ガイドさんに聞いてみると、今朝は10数cmくらい浸水していたらしいとのこと。 高潮のときは、よくあることのようだが、30cmを超えると徒歩で観光できなくなることもあるとか。 なるほど、サン・マルコ広場にはたまり水の後がまだ残っていた。 現地の人達は長靴を履いて歩いている。 有名なサン・マルコ寺院へ入って行く。サン・マルコ寺院 サン・マルコ寺院はまさにヴェネツィアのシンボ ルである。 この寺院は紀元828年にエジプト のアレキサンドリアから盗んできた聖マルコの 亡骸を奉るために、建設された。 こととき以来、ヴェネツィアの守護人は聖マルコ となり、付き添うライオンがヴェネツィア共和国 の紋章となった。 寺院は11世紀から17世紀 にかけて様々に手を加えられてきた。 東洋的 な円屋根は13世紀に造られたものである。 この改築によって、東洋と西洋の様式がミック スし、それらの調和が寺院に独特の美しさを醸 しださせている。 内部は残念ながら撮影禁止 である。 天井から床までモザイクで埋められ ている。 12~14世紀に施されたこのモザイクは、16 ~17世紀に有名な地元出身の画家、ティツィ アーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらの指揮 で修復された。寺院を見終わったのは12:30を過ぎていた。寺院のそばの路地をレストランへ向かう。路地は勿論濡れていて、滑りやすいので、注意しながら歩いていく。例により、赤ワインを飲みながらのランチである。 イカスミスパゲッティは最高に美味しかった。 因みに、白ワインは冷やしてあるが、赤ワインは常温のままである。 理由はよく分からない。サンマルコ桟橋ヴェネツィア本島に上陸するバルトロメオ・コレオーニ騎馬像※追加画像は下記をクリックして下さい。バルトロメオ・コレオーニ騎馬像へジャンプ
2017年01月02日
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明けましておめでとうございます。下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ミセス・ハーバート・スティーヴンス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1910年作出、イギリス・McGredy。 花色は 白で、中央部が淡いクリーム色なのでツートンの感じ。 丸弁 高芯咲き、中輪、四季咲き性、強いスパイシーなティーローズ 香。 樹高1.5m、葉は明るい緑色。 枝は細く、花は下向きに咲 くので、独特のやさしげな雰囲気がある。ミセス・ハーバート・スティーヴンス・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※イタリア旅行(5)-2002.11.19- <三日目>昨日ミラノ中央駅を見学した後、一旦近くのホテルに帰る。 16:30~18:30まで部屋で昼寝をする。19:00ツアーの連中とロビーに集まり、バスで夕食に出かける。 赤ワインとイタリア料理をたっぷり飲みかつ食べて、22:00ホテルに帰ってきた。今朝は07:30朝食、ホテル出発は09:00でヴェネツィアに向かう。 高速道路を走り、途中10:30頃ヴェローナで休憩する。 一面にブドウ畑が見渡せるのどかな所である。 15分後に出発する。 11:20頃海が見えてきた。前方に大きな橋が見える。 なんと、長さ5kmもあり、イタリア本土とヴェネツィアを結んでいる。 鉄道も通っていて、橋を渡りきった所が終点のサンタ・ルチア駅である。 駅のすぐ近くの桟橋でバスを降りる。海の上にあるヴェネツィアでは、水の都の名が示すように、大小の運河が道となっている。 バスやタクシーは走っていない。 従って市民の足としてかかせないのが水上バス(マークはActv)である。 また、急ぐ人のためには水上タクシーも大小色々ある。 小運河では、おなじみのゴンドラが活躍している。 我々は50人乗りの水上タクシーをチャーターして乗り込んだ。 前部と後部に客室は分かれている。全員乗り込んだところで、すぐスタートする。 目指す先はサン・マルコ広場である。 途中大きなフェリーや巨大な客船を見たが、流石かっての海運王国を偲ばせるものがある。約20分後にサン・マルコ桟橋に近づいた。海側から眺めるサン・マルコ寺院の円屋根(ドーム)もなかなか迫力がある。昨日(11月18日)の夕食※追加画像は下記をクリックして下さい。昨日(11月18日)の夕食へジャンプ
2017年01月01日
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