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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ロイヤル・ウィリアム※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1984年作出、ドイツ・コルデス。 ドイツ名は、ドフ ト・ツァーバァ ’84である。 ビロード赤色の半剣弁高芯咲き、花径は13~14cmで 大輪、花弁数25枚、四季咲き性、芳香。 樹形は半横 張り性、樹高は1~1.5m。 ドイツ名は、「香りの魔法」。 イギリスでは、「ロイヤル・ ウィリアム」と呼ばれ、故ダイアナ妃の愛息ウィリアム王 子に捧げられた。※グラナダE・スペイン旅行(14)(2004.04.07)ヘネラリーフェ(離宮)とは、アラビア語で「天の楽園」という意味で、天国にあるという水の庭園のイメージ を形にしたものとされている。 シェラ・ネバダ山脈か ら引かれた水は途絶えることなく、この庭園を潤して いる。 溝を流れて来た水は、一度小さな噴水となり、 再び溝に戻り、さらに下にある大きな噴水に向かって いる。 高低差をうまく利用し、やがて、アルハンブラ宮殿へと水を供給している。 イスラムの土木技術の高さを伺わせる。 高台にあるだけに、回廊から望む風景は誠に素晴ら しい。 いつまでも、たたずんでいたいが、2時間も歩き回って、いささか疲れた。 ぼつぼつ、帰途につく。 帰り道に通ったパティオに、古木が今にも倒れそうな のを、太いゴムバンドで支えている傍を通った。幹の下部にコブがある。 未婚の女性が、このコブに触る と1年以内に結婚できるという言い伝えがあるとか。コブの部分は、触る人が多いのか、黒光りしている。 離宮の門を出ると、キョウチクトウで出来た感じのア ーケードが長々と続いている。 駐車場までの距離は結構あるが、次は糸杉の並木とか、森林浴を楽しみ ながらなので、苦にはならない。 再びバスに乗り、市街地に向かう。 ホテルへの途中、トイレ休憩を兼ねて土産物店に立ち寄る。 2時間以 上我慢したとあって、殆どの人達がショッピングより、トイレに急ぐ。グラナダ名物に、「タラセア」がある。 伝統工芸の寄せ木細工で、木材に骨や貝、銀片などを組み合わせ て作る。 店の中に実演コーナーがある。 職人さん の技術は誠に素晴らしい。 モザイク模様が特徴で、 当然のことながら、手が込んだものほど高価である。タラセアのコースターが値段も手頃とあった、買い求める人が大勢いた。 手芸品や、貴金属コーナーもあるので、ご婦人方は目を凝らして選んでいる。 男性陣は手持ち無沙汰で、集合時間まで20分もあるので、外に出る人が多かった。 要するに、時間までにバスに乗ればい いわけである。 私も、家内を残して外に出た。 近くをぶらぶらして いると、サッカー場があった。 グラナダのチームは、レアル・マドリッドやバルセロナのように強くないよう だ。 といっても、スペインの国技はサッカーなので、 各都市とも力を入れている。 20分後にバスに乗車し、市内のホテルに向かう。 10分もしないうちに到着する。 18:00を過ぎてい た。 古いホテルだが、なかなか風格がある。 20:00ホテル内で夕食をとり、食後は室内でTVを見て過ごす。 22:00就寝。 素晴らしい一日であったが、とにか く疲れた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(14)へジャンプ
2017年02月28日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村レッド・ムーン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、作出年?、日本・伊丹バラ園。 花色は淡い ブルー地の花弁に、紅の覆輪が入る。 剣弁高芯咲 き、大輪、四季咲き性。 ※グラナダD・スペイン旅行(13)(2004.04.07)アラブの世界では水は貴重だったので、泉や噴水は権 力の象徴だったらしい。 殆どの部屋には、石像やブロンズ像は無く、床面にアラ ベスク模様のタイルが貼ってあるか、大理石が敷き詰め てあるだけである。 というのは、偶像崇拝を禁じたため像は無く、床には絨毯を敷いていた。 一部の部屋だけ、泉があったり、暖炉があったりする。 例外は、ワシントン・アーヴィング(1783-1859)が1829年に滞在した部屋で、彼が使用した木の机と椅子が残され ている。彼が滞在した当時は、ここを訪れる人は希で、村 人や放浪者などが住んでいたという。 彼が、アルハンブラ宮殿に滞在した素晴らしい経験と、そこにまつわる歴史・伝説を綴った紀行文の名作『アル ハンブラ物語』が、この宮殿を世界に知らしめた功績は極めて大きい。さて、高い天井を主に眺めていたので、首が疲れた。と いうことで、外に出て休憩する。 アルカサバ(城塞)の塔があり、そこから眺める風景は誠に素晴らしい。 一応、これで宮殿の見学を終わり、次いで、ヘネラリー フェ離宮に移動する。 宮殿を出たところに、フジの花が咲いていた。 手入れはされていないようだが、当然の事ながら、日本でみるフジの花と同じで嬉しくなる。ヘネラリーフェ離宮 宮殿の東に、少し離れて建つ「ヘネラリーフェ」は、王 が政務から逃れて息抜きをしたり、王室の私的な楽し みのために1319年に造られた夏の離宮で、庭園の 美しさで名高い。すでに可成り疲れていたので、離宮への道は、すぐ傍といわれても、結構遠かった。 ただ、途中面白い刈り込みがあり、退屈することはない。やっと、離宮の裏口に着き、中に入って行く。 辛抱して来ただけのことはあった。 別世界に来たような安らぎ を覚えた。 アセキアのパティオ アーチを多用した回廊と、一面の花がよく調和して、見 応えがある。 全長50mの噴水が展開している。ふん だんに使われている水音が、ギター曲『アルハンブラの 思い出』の原点だろうか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(13)へジャンプ
2017年02月27日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村レディー・ローズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1980年作出、ドイツ・コルデス。 花色は明るい 朱色で、半剣弁高芯咲き、中輪~大輪、四季咲き性、甘く さわやかなティーローズ香。 朱色のバラの中で、とくに花姿が美しく、花首がしっかり していて花枝は短く、花保ちも良いので、切り花やコンテ スト品種として注目されている。※グラナダC・スペイン旅行(12)(2004.04.07)アラヤネスのパティオ(中庭)に面してコマレスの塔が あり、その中に「大使の間」がある。 正式な接待に使用された部屋で、天井が高く、スカシ窓があり、天 井のアラベスク模様が素晴らしい。 続いて、「ライオンのパティオ」へ出ていく。 周囲に ムハマンド5世時代の124本の代理石柱からなるア ーケードがめぐらされ、中央に12頭のライオンに支えられた噴水がある(14世紀に完成)。 ここは、ハ ーレムとなっていて、王以外の男性は立ち入り禁止で、2階の部屋には王の后(きさき)達が住んでいた。この噴水は、シェラネバダの嶺から流れ出る水を引き込んだもので、かっては水時計の役割を果たして いた。 1時には1頭のライオンの口から水が流れ、 2時には2頭のライオンの口から水が流れる仕掛け になっていたという。ライオンのパティオから、「アベンセラヘスの間」へ入って行く。 王族のアベンセラヘス家の者がハー レムの女性に近づき、首を刎ねられ、その首は部 屋の中央の噴水に置かれたが、首から流れ出す血はライオンの噴水まで届いたという。 この部屋の、「モカラベと星型の天井」はなんとも素晴らしい。 モカラベとは、鍾乳石飾りの天井を いう。 続いて、回廊を通り各部屋を回るが、アラベスク模 様の壁面もすばらしいが、 「二姉妹の間」を始め、 豪華な天井が続いていて、見飽きない。 ただし、 首が痛くなったのには参った。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(12)へジャンプ
2017年02月26日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村レガッタ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1991年作出、フランス・メイアン。 花色は 明るいピンクで、花弁内側の下部が白っぽいので、ツー トンの感じ。 八重平咲き、中輪、四季咲き性、ラズベ リーの芳香。※グラナダB・スペイン旅行(11)(2004.04.07)アルハンブラ宮殿の門を入り、城壁に沿って奥に進む。 暫くして、広場があり、そこに旧式の大砲が据え付け られていた。 子供達が楽しそうに大砲と遊んでいる。アルハンブラ宮殿 イベリア半島は、8世紀以来イスラム教の支配下に おかれた。 イスラム教徒に滅ぼされた西ゴート王国 の貴族達は北方の山岳地帯に逃げ込み、そこを拠 点としてイベリア半島からイスラム教徒を駆逐し、キ リスト教徒の手に奪還する運動を起こした。この運動 は、レコンキスタ(国土回復運動)と呼ばれている。 レコンキスタが進展してくると、キリスト教徒に追われ たイスラム教徒達は、グラナダへと集まって来た。 1031年、コルドバの後ウマイヤ朝が崩壊すると、グ ラナダはコルドバにかわるイスラム文化の中心地と なった。 1238年、ムハンマド1世はナスル朝グラナ ダ王国を建国、15世紀になると人口は40万人に達 した。 アルハンブラ宮殿は、ムハンマド1世が事実上の起工 者となり、その後20人の王によって増改築が繰り返 された。 さて、大砲の向かいは、「カルロス5世宮殿」である。 1492年、レコンキスタの終わり(グラナダ奪還)から、 30年後、キリスト教国スペインの黄金時代に、国王カ ルロス5世が建てたルネッサンス様式の建物で、アルハ ンブラ宮殿最大の建物である。 コルドバにカテドラル(大聖堂)を増築したカルロス5世が、アルハンブラ宮殿に宿泊した際、イスラム建築に対抗した新しい宮殿を建てたいと希望して建設させたという。 正方形の建物の中心に、真円形の中庭(パティオ)があ る壮大な建物で、イスラム建築には見られない外壁の装飾や王家の紋章が目に付く。 真円形の中庭は、現在でもコンサート会場として使用さ れている。 音響効果が抜群に良いらしい。 中庭のど真ん中で、大声を張り上げている女性が後を絶たない。プリマドンナになった気分を味わえるとか。 宮殿内には、沢山の中庭があり、どの中庭も素晴らし いが、やはり、一番目立つのは、「アラヤネスのパティ オ」であろうか。アラヤネスのパティオ プールのような長方形の池がある中庭で、代理石柱 とアーチの回廊に囲まれている。 アラヤネスとは、 池の両側に植えられている天人花(フトモモ科、原産 地は東南アジアで、観賞用常緑低木)のことである。 現在は花は咲いていないが、生け垣の緑が整然と した空間を作っている。 バックのコマレスの塔が池面に映える姿は、なんと も素晴らしい。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(11)へジャンプ
2017年02月25日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村レオニー・ラメッシュ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプポリアンサ、1899年、作出国ドイツ・Lambert。作出年から考えて、オールドローズであろうか。 分類上はポリアンサ(小型品種で、密集した房状の花を付ける)となっている。花色は朱色で、中央部が淡いのでツートンの感じ。カップ咲き、花径は2~5cm位で小輪、房咲きで多花性、微香。樹高は20~90cm。 棘は少な目で、棘の無い枝もある。※グラナダA・スペイン旅行(10)(2004.04.07)グラナダに近づく頃、車窓より、「シェラネバダ山脈」が見えて来た。 3,000m級の山々が連なる山脈を背にする街がグラナダである。 つまり、30分も車で走れば、4月でもスキーが出来、1時間走れば、地中 海で海水浴が楽しめるという、素晴らしい立地条件に ある。 13:00過ぎ、グラナダに到着する。 古都の雰囲気を漂わせた、素晴らしい街並みである。 また、大学の街でもある。 特にグラナダ大学・医学部が有名で ある。 もっとも、イースター休み中とあって、学生の姿はあまり見かけなかったが。バスはレストラン近くで停車する。 例により、狭い入り口から中へ入っていく。 絵画が沢山壁に掛か っており、美術館内で食事する感じである。 赤ワインを飲みながら、待つこと暫し、パンプキン スープが出てくる。 誠に美味である。 メインディ ッシュは、「イカめし」である。 本来は、墨イカめし の筈が、色は黒くない。 イカは、富山のホタルイカ より大きいが、思ったより柔らかくて、これまた美味であった。 パンの皮が恐ろしく硬くて、食べるのに四苦八苦した以外は、先ずは満足することが出来た。 デザートは三色アイスクリームだった。 腹ごしらえが出来たところで、有名な「アルハンブラ宮殿」へと向かう。 バスを下りて、宮殿の入り口ま で、暫く歩かなければならない。 しかも、宮殿に入ってから、4km、約2時間も歩くという。 これは、大 変だ。 予め知っておれば、腹八分としておくべきで あったが、後の祭りで、腹一杯食べてしまった。 宮殿の近くで、「ハナズオウ」が濃いピンクの花を沢 山咲かせている。 日本のサクラの感じであるが、 街路樹にもなっている。ハナズオウ マメ科、原産地は中国で、落葉中高木。 特徴は、 束生した数~10個の花が幹や枝から直接出てい ることである。 マメ科とあって、花は濃いピンクの蝶花である。白 花もあるという。 豆果をつけているので、木全体 を見れば、マメ科という事がすぐ分かる。 日本には、すでに江戸時代(1695年)に渡来した という記録が残っている。さて、杉並木に沿って、可成り歩く。 やっと、城門が見え、アルハンブラ入り口に着いた時は、ほっと する。 「ALHAMBRA」と表札があるが、Hはサイ レントなので、現地では「アランブラ」である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(10)へジャンプ
2017年02月24日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村レインボーピンク※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、1989年作出、アメリカ・Devor Nursery。 花色はピンクで、花弁縁が濃いピンクなのでツートンの感じ。 八重 平咲き、花径は4cm程度の小輪、四季咲き性。 小さな可愛い花を次々と咲かせる。 花弁の先が尖った感じなのが面白 い。※バレンシア-グラナダ・スペイン旅行(9)(2004.04.07) 昨夜ホテルに入ったのは、21:00を過ぎていた。 シャ ワーを浴びて、すぐ就寝したが、満腹のためか、なかな か寝付けなかった。 05:20 モーニングコール06:00 朝食 本来は、弁当持参の予定であったが、ホテルのサービスで、ビュッフェスタイルを早朝から用 意してくれた。 07:10 バレンシアをバスで出発する。 グラナダまで トイレ休憩2回を入れて、5時間かかるとか。 なかなか の強行軍である。 地中海沿いに南下して行く。 ホテ ルを出る時は暗かったが、徐々に明るくなる。 しかし、もやっていて海が良く見えない。やっと明るくなった所で、丘の上に沢山の風車が並び風力発電を行っている。 地中海からの風が結構強い のだろうか。 2時間後、最初のドライブインに到着する。 トイレを借 用しただけで、すぐ外に出て周りを撮影する。 芝生で ヒルガオが数輪、可愛く咲いていた。 日本で見かける ものと、全く同じである。バスは地中海を離れ、内陸部に入っていったようだ。 広大な畑や牧草地が続く。 日本の面積の1.3倍で あることがうなずける。 最初のドライブインを出て、 約2時間後に、二番目のドライブインに着く。 店内に入ると、沢山黒豚の生ハムがぶら下がってい るのが目に付く。 スペイン名物らしい。ハモン・イベリコ スペインのイベリア半島で放牧されている黒豚(イ ベリコ豚)で作られる生ハムで、生産量はそんなに 多くはない。 世界最高の生ハムと呼ばれている。 2年以上熟成させるという。 イベリコ豚は牧草、ハーブ、収穫後の麦の刈り株、 林の中のドングリなどの自然餌だけを食べている。 黒い脚を持っているので、黒豚と呼ばれている。 店内のバールで、生ハムを食べているお客は多い。カウンターで生ハムを支える台を、「ハモネロ」という らしい。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(9)へジャンプ
2017年02月23日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ルージュ・メイアン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1984年作出、フランス・メイアン。 花色は ルージュというネーミングが見事にマッチした赤色で、 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 樹勢が強く、直立性で1.5m前後の株となる。 ※バレンシアC・スペイン旅行(8)(2004.04.06) 路地を少し入った所にあるレストランへ入って行く。 例により、入り口は狭いが、中は結構広い。 19:40頃というのに、我々が一番乗りである。しか も、珍しくテーブルには、すでに「野菜盛り」が置いて あった。 せっかちな、日本人のための特別サービス であろう。 何故か、やたら喉が乾いたので、今夜はビールを注 文する。 ビール、ワインとも同額である。 飲み物が来たところで、早速乾杯。 野菜は、まさに大盛りで、これだけで腹一杯になりそうだ。さて、メンディッシュは、「元祖パエリア」である。 元祖パエリア パエリアといえば、一般の人は「魚介類系の米料 理」を思い浮かべるだろう。 実際、本場スペイン でも特に観光客向けのレストランでは、魚介類の パエリアを出す店が多い。 しかし、パエリア発祥の地、ここバレンシア地方 では、本来「山」の食べ物として、その具材には、 兎肉、蝸、鶏などの肉類、そしてサヤエンドウ、 パプリカなどの野菜類を使う。ということで、今回は、元祖パエリアに挑戦する。 誠に美味であるが、例により大盛りなのには辟易する。 それでも、なんとか、平らげることが出来た。デザートは、オレンジが丸ごと1個というのも、ケー キよりは有り難い。さて、食事を終え、路地を出たところに、「城門」が見える。 旧市街地への入り口に、中世の城門が残っている。 イスラム教徒とキリスト教徒との、長 年の争いの名残である。バスに乗り、ホテルに向かう途中で、やっと日が暮れてきた。 夏時間とはいえ、既に21:00に近い。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(8)へジャンプ
2017年02月22日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村リリベット※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL(フロリバンダ・ローズ)、1953年作出、アメリカ・リン キスト。 花色は淡いピンクで、開くにつれて平咲きにな る、中輪、四季咲き性。 1954年、AARS賞を受賞している。 品種名は、エリザベス2世の、幼少時代の愛称「リリベット」に由来 している。 1950年代の銘花である。※バレンシアB・スペイン旅行(7)(2004.04.06)カテドラル(大聖堂)・バレンシアの内部へ入って行く。バルセロナと違って、こちらの方はオーソドックスな教 会堂である。 14世紀末以後、現在まで絶えることな ミサが行われている。 堂内は荘厳そのもので、圧倒される思いである。18 世紀にカテドラルが改修されバロック調の装飾が施さ れたようだが、正面の祭壇画をはじめ、左右の小部屋に飾ってある宗教画や像の数々は誠に素晴らしいの一言以外云いようがない。 今日(4/6)は、受難週(イースターは4/11)中なの で、特に「イエス・キリストの受難像」の前では、信徒か らの供花が後を絶たないようだ。 残念ながら、撮影出来なかったが、正面中央の窪み に「聖杯」が飾ってあるという。 イエス・キリストが弟子 達との最後の晩餐の折りに使われた聖杯であると伝え られている。 メノウで出来た器で、考古学的にはロー マ時代のものと証明されている。 どのような経緯で、ここに安置されているのか、伝説と して次のように云われている。まず、聖ペテロがローマへ持って行き、後のキリスト教 迫害の時代に、スペインのウエスカ生まれの聖ロレン ソが生まれ故郷へ送り、めぐりめぐって15世紀頃、バ レンシアのカテドラルに落ち着いたと伝えられている。さて、聖堂内の各所に素晴らしいステンドグラスが飾っ てある。 ここは、珍しく2ヶ所は人物像となっている。 19:00頃外にでる。 夏時間ということもあって、まだ日没まえで明るい。 19:20バスに再び乗車する。 超混雑する場所であり、駐車禁止地区なので、バス の運転手は一時車を移動させ、時間をピッタリ合わせ て迎えに来てくれた。 遅刻者が一人もいなかったの は幸運としかいいようがない。バスは市街地を通り抜けて、今夜のレストランに向か う。 街の目抜き通りに闘牛場があったのには驚いた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(7)へジャンプ
2017年02月21日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村リトル・プリンセス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1995年作出、河本弘元。 花色は中央部がピン クで、周辺にいくに従って淡いピンクになっていく。半 剣弁高芯咲き、花径は10cm位で中輪、四季咲き性。 リトル・プリンセス=小公女をイメージして名付けたも のであろうか。 ※スペイン旅行(6)-2004.4.6-11:50 聖家族教会東側入り口に集合する。 教会の南側にあるレストランに行く。 教会の拡張に伴い、何れ立ち退く必要があるとか。 ただし、それは多分100年先の事と、気にもしていない感じ。入り口は狭いが、中は凄く広くて、しかも素晴らしい。地元の人達もよく利用する店らしいが、12時とあっては、我々が最初の客である。 スペインでの昼食は、普通14時からとか。 その分、夕食も遅くなり、20~22時となる。今日のお目当ては、カタルーニャ名物・フィデウア(パスタ料理)である。 カタルーニャはスペイン北東部の地域をいう。 お米を使うパエリアのパスタ版といった料理である。 赤ワインを飲みながら、暫く待つ。 やがて、大きな平らな丸い鍋を2人がかりで持って来た。 撮影までさせてくれるサービスである。いやはや驚いた。 もの凄いボリュームである。 誠に美味で、いうことなし、おかげで、ワインの追加を頼む。男性陣は概ね平らげたが、女性陣は殆ど食べきれなかったようだ。 満足、満足というこで、外に出る。 バスは少し離れた所で待機しているとかで、5分位歩く。 途中屋台の土産品店が並んでおり、カラフルで楽しい。 時間の都合で、残念ながら買い物は出来ない。13:30バルセロナ発、バスはバレンシアに向かう。左側に地中海を見ながら、海沿いの道を走る。 片道2車線の自動車専用道路で、しかも無料のようだ。結構快適なドライブである。 2時間後にドライブインで休憩をとる。 オリーブ畑の向こうに青い地中海が望める。 その近くで、アロエが素敵な花を沢山咲かせていた。 温室では良く見かけるが、屋外で見るのは初めてである。再びバスに乗車して、更に2時間近く走る。 18:00少し前に、やっとバレンシアに到着した。 サラゴサ広場で下車する。 目の前に、バレンシアで一番有名な「ミゲレーテの塔」が望める。 バレンシアは、マドリッド、バルセロナに次ぐ、スペイン第3の都市で、人口約72万人である。 早速、カテドラル(大聖堂)を見学する。 ミゲレーテの塔は、このカテドラルに付属するものである。カテドラル・バレンシア 古代ローマ時代、現在のカテドラルのある場所には 神殿が建てられていた。 紀元714年に、イスラム 教徒がバレンシアを征服すると、この場所にモスク が建てられた。 1094年、中世スペインの英雄エル・シドがバレンシ アを征服し、ここにあったモスクを教会に変えた。 1102年、エル・シド亡き後のバレンシアをイスラム 教勢力のモラービト朝が征服し、この教会を再びモ スクに変えた。 1238年、アラゴン・カタルーニャ連合王国がバレン シアを征服する。 13世紀半ば、この地に現在のカテドラルの建設が 始まり、14世紀末に完成した。 18世紀末、カテドラルが改装され、バロック調の装 飾が施された。 ミゲレーテの塔は、1381~1424年にかけて建て られたもので、高さは51m。 塔には歩いて登れる が、207段もある階段を登らねばならない。レストラン入り口・バルセロナレストラン内部ムール貝入りスープカタルーニャ名物・フィデウア(パスタ料理)追加画像は下記をクリックして下さい昼食後バスへ・バルセロナへジャンプ
2017年02月20日
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2017年02月19日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村リーベスツァーバ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1990年作出、ドイツ・コルデス。 花色は赤で、 中心部がやや薄くなるグラデーションが素敵である。丸弁 高芯咲き、大輪、四季咲き性。 葉っぱは、初めは赤いが、次第に緑色に変わっていく。 花名を直訳すると、「愛の魔法」となる。 ※バルセロナD・スペイン旅行(4)(2004.04.06) 11:00近くに聖家族教会(サグラダ・ファミリア)にや って来た。 当教会は、まさに、バルセロナ観光最大の目玉であろう。 西側のチケット売場に並ぶが、相当混雑している。幸い団体ということで、約10分後に入場することが出来た。 聖家族教会 1883年、いくつもの建築やデザインの仕事を経て 実力が認められたガウディは、その前年に起工した 聖家族教会の主任建築家に任命される。 これに よりガウディは、聖家族教会の創造に半生を捧げる ことになる。 ところが、聖家族教会の建築事業は思うように進ま ず、何度も建築中断の危機にさらされる。 そんな、 状態から、ガウディ自身も一時精神的に不安定に なり、自殺を意識した断食などを行ったりしている。 なんとか、そんな時期を乗り越えたガウディだが、 1914年には聖家族教会の仕事に専念する事を 宣言。 その後のガウディの人生は、まさに聖家族教会一 色。 その後も度々資金難に陥るが、自ら献金の ために戸別訪問をしたり、最後には、教会内の事 務所で起居するまでになった。 設計コンセプトは、ガウディの住宅設計思想その もので、家はあくまで住む人々がくつろいで生活出 来るものでなければならないというものであり、「神 の住居」である教会は、神が同様に生活出来る場 所であるべきと考えた。 新約聖書の様々な場面が 壁面に彫られた外観は、たんに奇抜なものではなく、 どうすれば神が快適に暮らせるか、ガウディが真剣 に悩んだ末に考えついたデザインなのである。 ガウディは1926年6月、バルセロナ市内を歩いて いるところを路面電車にはねられて、呆気なく他界し た。 享年73歳。 彼の亡骸は、ローマ法王庁の特 別許可を得て、聖家族教会に埋葬された。 現在は、彼の遺志を継いだ弟子達が仕事を続けて いるが、完成までには、まだ100年とも200年かか るとも云われている。 西側は「イエス・キリスト受難のファサード」である。 特に「キリスト受難の門」は彫刻家・スビラックス氏に よる前衛的な彫刻群となっている。 反対の東側は、ガウディが直接指揮した、「イエス・ キリスト生誕のファサード」である。 なんとも、圧倒さ れる思いで見上げる。ちなみに、同上中央部分の「ハープの像」は、日本人 彫刻家・外尾悦郎氏の作である。 新約聖書の様々な場面が彫刻で描かれていて、まさ に石の聖書と言える。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。スペイン旅行(4)へジャンプ
2017年02月18日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ランデブー※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1987年作出、フランス・メイアン。 花色は ピンクで、丸弁カップ咲き、中輪、四季咲き性、強香。 ※バルセロナC・スペイン旅行(3)(2004.04.06) 大テラスから階段を下りて、「百本柱」(本当は86本)の空間へ行く。 列柱がギリシャ神殿を思わせる雰囲 気で、壮観である。 広い天井は、びっしりと白タイル の破片でモザイク風に覆われている。 所々色つきの モザイク絵柄で飾られている。 階段を下りていくと、途中の階段の真ん中で「大トカ ゲ」が睨みをきかしている。 一瞬ドキッとするが、よ く見ると結構可愛い。 階段を更に下りていくと門が あるが、その左右に、メルヘンチックな建物が建って いる。 左側は門衛室らしいが、右側は教会風である。しかし、実際は売店になっている。 門衛室の向かい に洞窟風の変わった建物がある。これらの建物に、ディズニーが影響を受けたと言われ ているが、成る程とうなずける。 門の近くに、もう一ヶ所本格的な売店があり、そこで暫く休憩する。 土産品販売と、通称「BAR」という、 日本の喫茶店とカウンター・バーを兼ねた所である。 昼食の時に、殆どの人達がワインを飲むので、ここ ではコーヒー程度にとどめている。さて、駐車場に戻る途中に、面白い形の「柱廊」が あった。 回廊になっているが、通路の頭上に「鍾 乳石」のつららが垂れ下がっている感じである。 10:00近く、バスに再び乗車する。 他のバスは まだ来ていない。 坂道を下る途中で、1台すれ違った。 市街地に入り、トイレ休憩を兼ねて、土産品 店に立ち寄る。 車窓から、オレンジの木が街路樹になっているのを撮影したが、流石地中海沿岸の地である。 土産品店では、革製品が主体であるが、アクセサリ ーとか陶器製品が面白い。 特に、陶器製コースタ ーがカラフルで素晴らしい。 土産品店の前は広場になっているが、店の右隣に「TAVERNA」と表示してあるレストランがあった。 日本人にとっては、「食べるな」がレストランとはと奇妙な感じがする。 イタリアでも、良く見かけたの で、イタリア語だろうか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。※スペイン旅行(3)へジャンプ
2017年02月17日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラブリー・レディ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1986年作出、イギリス・ディクソン。花色 はピンクで、裏弁が少し濃いピンクなので、ツー トンの感じがする。 カップ咲き、中輪、四季咲き 性、中香。 名前の通り、美しい貴婦人である。※バルセロナB・スペイン旅行(2)(2004.04.06) 昨夜就寝したのは23:30頃だった。 06:00モーニン グコールで目が覚める。 移動の疲れの為か、ぐっすり と眠ることが出来た。 今日は、午前中バルセロナ市内観光、昼食後バスでバ レンシアへ行く予定なので、ス-ツケース内の荷物を整 理して07:00までに、部屋の外に出しておかなければ ならない。 洗面を済ませて、荷物の整理と結構忙しい。 07:00過ぎ、ホテル内のレストランに行く。 レストラン入り口前のロビーに絵画が沢山飾ってある。 現代画は本物のようだが、古典絵画は複製である。 その中に、500号はあろうか、ディエゴ・ベラスケスの『ウルカ ヌスの鍛冶場』(複製)があるのには驚いた。 原画は プラド美術館にある筈である。ビュッフェ・スタイルの朝食を済ませ、一旦部屋に戻る。といって、ゆっくりしてはおられない。 TVを一寸見た だけで、フロントに下りて、チェックアウトを済ませる。 08:00バスで市内観光に出かける。 バルセロナ市 内の建築物で、波打った変わった建造物は殆ど、アン トニオ・ガウディ(1852~1926)の設計によるもので ある。 地中海を望みながら、バスは丘を登っていく。 丘の中腹にあるグエル公園に08:25到着する。 当然の ことながら一番乗りで、他の観光バスは見あたらない。グエル公園 この公園は1900年から1919年にかけてガウディ により設計・造成された分譲住宅地であった。 とこ ろが、あまり人気が無くて、売れたのは僅かに3戸だ け。 しかも、そのうち2戸はスポンサーのグエル氏 とガウディだったという。 つまり、分譲住宅地としては最悪の結果で、仕方なく 1922年から市の管理する公園になってしまった。天 才の芸術は、なかなか理解されなかった訳である。 ガウディのオリジナリティを遺憾なく発揮した楽しい公 園で、波打つようなセラミック・ベンチの大テラスや、 テラスを支える「百本柱」(本当は86本)の空間など、 ここには夢とおとぎの世界がある。 公園内をぞろぞろと入っていく。 門はあるが、既に開い ていた。 斜面に出来た道路は、ローマの水道橋をイメ ージして造った感じである。 ガウディが住んでいたとい う家は、意外に普通の家であったが、門扉は変わって いた。 公園の中心にある大テラスは、セラミック・ベンチで囲わ れている。 陶器もわざわざ焼いた物では無くて、破損 品を上手に組み合わせて、芸術品に仕上げているのは流石である。 このテラスから眺める市街地は、まさに絶景である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 スペイン旅行(2)へジャンプ
2017年02月16日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラ・フランス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1867年作出、フランス・ギロット。 この花が作出され た1867年は、慶応3年にあたる。 明治が1868年から始 まっている。 花色は、明るいピンクで、裏弁はやや濃いピンク色。 剣弁 高芯八重咲き、四季咲き性、花径は9~12cmと大輪。強い ダマスクの香りがある。 歴史的なハイブリッド・ティーローズの第1号種である。 この 種の前にあった系統に入るバラはオールド・ローズと呼ばれる。※バルセロナA・スペイン旅行(1)(2004.04.05~ ) 早朝05:40家を出て、地下鉄2番目の列車に乗車す る。 黒川駅で下車し、名鉄バスに乗り換え名古屋空 港国際線へ。 07:00、3Fツアーデスクで手続きをし、 JALチェックインカウンターへ。 09:05ほぼ定刻通りに成田に向け離陸。 約20分後に、富士山が見え嬉しくなる。 離陸後約1時間で、成 田空港に到着する。 次のフランクフルト行きの便まで、 3時間も待たなければならない。 13:00発の予定なので、多分食事は14:00頃出る筈である。 といって、朝早かったので、腹が減ってきた。レストランで軽く食事をとる。 食後Yaho○・インターネ ットルームでPCを楽しむ。 パスポートを見せるだけで、 無料である。 暇つぶしには、結構有り難い。 家内は免税店で、早速買い物で、これから先が思いやられる。 13:10少し遅れて、フランクフルト向け離陸する。これ から12時間ものフライトである。 来年2月に中部国際 空港が完成すれば、多少は楽になるのだろうか。少なく とも、成田に立ち寄る必要はなくなる。スペインには、現在日本から直行便は出ていない。理由は、ツアー業者が、航空運賃を値切り過ぎたので、先方の航空関係従業員の間でストが起こり、以後他のヨーロ ッパ経由となったらしい。 12時間は確かに長時間であるが、途中2回食事は出る し、目の前の液晶TVで映画を楽しんでいる内に、思った より早くフランクフルトに到着した。 時差が7時間あるの で、現地時間はまだ18:00頃と夕方である。 19:30フランクフルトを離陸する。 イベリア航空なので、 機内のサービスはすべて有料である。 従って、機内で食事をする人は殆どいない。 成田又はフランクフルトで、 食料を買い込んで、ホテルで食べる作戦である。 21:30、待望のバルセロナに到着した。 入国審査は、 既にフランクフルトで済ませてあり、EU関係国内は、国内 線扱いである。 従って、パスポートを見せる必要は無い。 空港内のロビーに、巨大な馬の像があった。 フェルナン ド・ボテロ(1932~ )の作である。 彼は、「豊満」の美の画家・彫刻家として有名で、スペインでも人気がある。 22:00過ぎ、EXPOホテルに投宿する。 1977年に建 設され、1992年に改装されたビジネス地区にあるホテル である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 スペイン旅行(1)へジャンプ。
2017年02月15日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラブ・アンド・ピース※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、2002年作出、アメリカ・Lim。 中央部が橙色で、花弁の 縁が濃いピンクの覆輪。 半剣弁高芯咲き、大輪、四季咲き性。 当然のことながら、親である「ピース」によく似ている。※エジプト旅行(28)-2003.10.26~27- <完>土曜日の夜スーク(市場)で買い物を済ませて、ホテルに帰ったのは22:00頃であった。26日(日) 07:00起床する。 のんびりと朝食をとる。ナイルを眺めながらの食事は気分がいい。09:00 ホテル・ロビーへ。 ガイドさんと落ち合う。 チェックアウトをすませ、直ちにマイクロバスに乗車。 ルクソール空港に向かう。 11:00離陸の予定が、1時間も延着する。 この程度は、ごく普通のことらしい。 エジプト航空を利用するが、尾翼のマークは「空の神ホルス」である。12:00過ぎに離陸し、約1時間後にカイロに到着する。スーツケースを受け取り、直ちに昼食のため、レストランに向かう。 今日からラマダン(断食月)入りしたため、心配したが、旅行者は飲食が自由らしい。 しかし、お目当てのエジプト考古学博物館はラマダン中、14:00閉館のため、今日の予定が明日となる。 中止になったわけではないので、辛抱しよう。昼食は船上レストランで、朝食に引き続いてナイルを眺めながらの食事となる。さて、食事を終わったところで、一旦ホテルに入るわけだが、カイロ市内は車の渋滞がもの凄くて、なかなか進んでいかない。 しかも、割り込み自由という感じで、滅茶苦茶である。 ラマダン中は14:00に仕事が終わり、帰宅するためらしい。 それでも、15:00過ぎにホテルに到着する。 おお、超一流ホテルではないか。 ハイアッ○・ホテルである。 服装が気になるが、そこは、熱帯である。 半袖で勿論OK。例によりガイドさんがチェックインしてくれて、私はサインをするだけである。 またまた、2時間昼寝である。 このスタイルのおかげで、なんとか、旅行を続けることができたのかも知れない。17:00に起きる。 部屋のベランダからナイルの夕景、夕焼けを撮影する。 3日連続で、まことにいい眺めに満足する。18:00ロビーに下りる。 夕食はナイル・ディナークルージングで、大いに期待出来そうである。 30分後に桟橋に着いてみると、なるほど、豪華船が待っていた。いささか、ごてごてに飾った感じであるが、船首には、おなじみの「ハヤブサ神・ホルス」が威容を誇っている。19:00 乗船する。 う~ん、船内も凄い装飾である。10分後には、音もなく離岸したのには驚いた。ダンスが始まるまでは、キャンドルだけの、ムード満点の食事が楽しめる。30分後に5人のメンバーによる、演奏が始まった。やがて、お待ちかねのベリーダンサーの登場である。といっても、ラマダン中とあって、露出度満点とはいかない。 それでも、なかなかの踊りであった。続いて、男性による「スーフィーダンス」である。 旋舞というだけあって、回ること、回ること、こちらも目が回りそうになる。 各客席を回りながらのパフォーマンスは大したものである。 暫くして、上部甲板に出てみる。 ナイル川沿いにビルが林立しているが、宿泊中のホテルはすぐ分かった。素晴らしい夜景を楽しむことが出来た。2時間のクルージングは、あっという間に終わった。帰途、有名なハンハリーリ市場に立ち寄り、エジプト最後の買い物をする。 ラマダン中でも、日没後は凄い活気がある。 ホテルに帰ったのは、23:00近かった。27日(月)06:00 起床。 先ず、ベランダからナイルを眺める。今日で、エジプトは最終日である。 なにか、あっという間に過ぎ去ってしまった。 朝食をすませ、ロビーに下りたのは、08:00頃である。スーツケースをマイクロバスに載せ、エジプト考古学博物館に向かう。 さあ、いよいよ、お待ちかねのツタンカーメン黄金のマスクとのご対面である。08:30とまだ、早いのに、もう正門の前に行列が出来ている。 08:50に開門され、チケット売場へ。 ガイドさんが要領よく、チケットをゲットしてくれたので、博物館入り口前に真っ先に並ぶことが出来た。 09:00開館。 直ちに、2F展示場に向かう。 先ず、黄金のマスクを撮影するためである。 ノーフラッシュは少し辛いが、まあ、やむを得ない。 5分後には人の波また波となったが、それまでに、可成りの枚数を撮影することが出来た。 マスクの裏まで撮ったが、背中の所に、「死者の書」の一節が書かれているとかである。すぐそばに、黄金の棺が横たわっている。重さ1,170kgの堂々たる棺は、恐らく現存する世界最大の黄金芸術であろう。 その他、黄金の玉座、黄金のベッド等を夢中になって撮影した。館内には、過去5,000年にわたる古代エジプトの歴史的遺産を250,000品も収蔵しているとか、1日かけても、回りきれない感じである。 従って、目玉だけ撮って、後はさっと見て回る。10:10 博物館に別れをつげ、モハメッド・アリ・モスクを見学して、カイロ空港へと向かう。 空港には、旅行者の担当者がいて、手続きをすべてやってくれる。 本当に今回は、酷暑の中をということをのぞき、楽な旅であった。13:30 カイロ空港を離陸し帰国の途につく。 ドバイ、シンガポールを経由して、名古屋に着いたのは11/2908:30であった。 エジプト旅行<完>※次回はスペイン旅行をお送りいたします。エジプト航空・ルクソール空港(10月26日)昼食はナイル川沿いの船内で・カイロナイルの夕景・カイロナイルの夕焼け・カイロ※追加画像は下記をクリックして下さい。豪華船・ナイル川・カイロへジャンプ
2017年02月14日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラブ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプHT、1980年作出、アメリカ・Warriner。花色は表弁が濃いピンクで、裏弁が白のツートン。何と も素敵な色合いである。 剣弁高芯咲き、大輪、四季咲 き性。花つきが良く、5月から秋まで繰り返し花を咲か せる。 とても丈夫で、育てやすい品種である。ただ、残念なこ とに香りが殆ど無い。 1980年にAARS(オール・アメリカン・ローズ・ セレクション賞)を受賞している。 ラブ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(27)-2003.10.25-ナイルの夕景を眺めた後、ホテル内のレストランで食事をする。 チキン料理が主体であったが、慣れてきたので、まあまあの味であった。19:00 ホテルのロビーでガイドさんに会い、マイクロバスで、夜の街に出ていく。 ルクソール博物館は夜も開館しているので有り難い。ルクソール博物館 1975年に開館した。 展示品の数は843点で、可 成り充実している。 殆どが3,300年以上も前のもの で、しかも、信じられないくらい素晴らしい。 逸品ぞろいで有名なのは、ここには、盗掘で有名な 「クルナ村」の個人宅にあった秘蔵の品が展示して あるからである。 なお、各地の遺跡から出土したものは、それぞれの 地域で保管する方針になったとかで、近年ルクソール 神殿のアメンホテプ3世の中庭から発見された、多数 の彫像や遺物が展示されている。 良い物という意味 ならカイロに負けないかも知れない。さて、入り口を入ったすぐの所に、アメンホテプ3世の巨大な頭像がある。 2m近くあるだろうか、大きさにも驚かされるが、出来が全く素晴らしい。 頭に被っている長いものは白冠で、上エジプトの象徴である。近くに、「雌牛の頭部像」がある。 ハトホル女神を表しているもので、ツタンカーメンの墓にあった副葬品である。センウセレト3世は第12王朝(BC1991~1786年)の王で、頭部には上・下エジプトを象徴する二重冠をつけている。コプトスの主神であるミン神(多産の象徴の神)が描かれた壁画の一部は、彩色が未だに残っているのが素晴らしい。 顔の色が黒いのは、ナイル川の豊かな田畑の土の色を表している(砂漠の砂は赤)。シェプ・エン・コンスの棺も立派である。 この棺の主は女性である。 そばに、「カノポス壺」があるが、これは、人をミイラにした後、内蔵を入れる容器である。人の顔の壺には肝臓、猿(ヒヒ)の頭の壺には肺、ジャッカルの頭の壺には胃、ハヤブサの頭の壺には腸が納められていた。 心臓は遺体の中に残された。死者の再生復活に欠かせなかったからである。さて、丁寧に見学していては、2時間あっても足りない。適当な所で打ちきって外に出る。次に行ったのはスーク(市場)である。 夜とあってか、観光客は少ない。 瓶の中に色付けされた砂漠の砂を入れて、「月と砂漠」や「太陽と砂漠」などの絵を描く、まさに、砂の芸術を見ることが出来た。 写真を撮らせてくれたので、2瓶購入したが、今もPCのそばに置いて眺めながらキーを打っている。アメンホテプ3世の巨大な頭部像・ルクソール博物館 雌牛の頭部像センウセレト3世の頭部像 コプトスの主神であるミン神が描かれたもの※追加画像は下記をクリックして下さい。トトメス3世像へジャンプ
2017年02月13日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラビーニア※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプCL、1982年作出、ドイツ・タンタウ。 花色はコーラル ピンク、半剣弁高芯咲き、中輪、房咲き、四季咲き性、中香。 比較的、耐病性の強いつるバラで、放任すると高さ3m以上に もなる。 ラビーニア・京成バラ園へジャンプ※エジプト旅行(26)-2003.10.25-石製品の土産物屋を後にして、ルクソール橋に向かう。途中、さとうきび畑の間に、突然2体の巨像が聳えている。 メムノンの巨像 座像は新王国時代の王アメンホテプ3世のもので、か っては座像の後ろに、彼の葬祭殿があったが、後の 王達が、自らの葬祭殿建設の石材として調達したため、 完全に破壊されてしまった。 アメンホテプ3世(BC1386年即位、1364年没)は、 第18王朝9代目の王で、テーベ西岸のネクロポリス南 に王都を建設した。 広大な平地に、王宮、政庁、役人 達の施設をつくり、王妃ティイのために、長さ2kmの人 口池をつくらせた。 因みに、王妃ティイの弟が、ツタンカーメン(BC1358 年生まれ)の父アイである。 「メムノンの巨像」の呼び名は、ギリシャの伝説、メムノ ン王に由来する。 メムノン王はトロイ戦争でアキレス に敗れ、メムノンの母エオスは嘆き悲しんだ。 1日1回 の生き返りをゼウスに頼んだところ、朝日が昇るとき、 メムノンは物悲しい声をあげたという。 この巨像が、朝日の昇る頃に、きしむような音をたてた ことから、「メムノンの母親である曙の女神エオスにあい さつしている」と考えられた。 珍しさのあまり、ローマ皇 帝まで見物に来たとか。 その後、ローマ時代の修復で 音は聞こえなくなったという。巨像を後にして、ルクソール市街地に向かう。 昼食をとったレストランは、なんと、宿泊中のホテルの真向かいであった。 内部に、大きな扇が飾ってあった。 日本人観光客が多いからだろうか。 昼食は幸いにして、魚料理であった。 ビールを飲みながら、珍しく食が進んだ。 ハトはどうも苦手である。 食後、例によりホテルに戻り、昼寝である。 まあ、これがあるので、早朝からの観光も苦にならない。17:00過ぎに起きる。 やがて、夕闇が迫ってくる。 昨日に続いて、ナイル・ルクソールの日没を撮影することが、出来ラッキーであった。 これで、日の出を撮れればいうことはないが、早起きは苦手なので、それは一寸無理である。メムノンの巨像・ルクソール 昼食のレストラン同上内部※追加画像は下記をクリックして下さい。滞在中のホテル・ルクソールへジャンプ
2017年02月12日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラビアンローズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1990年作出、日本。 中心部が淡いピンクで、周辺 部は濃いピンクの目立つ花を咲かせる。 半剣弁高芯咲き、 中輪、四季咲き性。 花名は、「バラ色の人生」で、まさに、その名を謳歌するよう に、多くの花を咲き誇らせる。 ラビアンローズ・京都府立植物園へジャンプ※エジプト旅行(25)-2003.10.25-第1テラスから、スロープを第2テラスへと上がって行く。 向かって左側に、ハトホル女神の礼拝堂がある。 ハトホルは牝牛の女神で、古代エジプトでは特に人気があった。 この礼拝堂には、ハトホルの姿をかたどった柱がある。第2テラスから第3ヘと上がって行く。 中央入り口から、列柱中庭へ入る。 残念な事に、可成りの柱が損壊しているが、基部のレリーフが残っている。正面奥には、アモン・ラーの聖所が岩山に掘り込まれている。 第3テラスから、入り口方向を眺めると、この葬祭殿の広大さが確認できる。 エジプト人達はここを、「ジェセル・ジェセルー」(崇高なものの中の崇高)と呼んだと言うが、分かるような気がする。 とにかく、ただ、驚嘆しながら帰途につく。 例により、出口付近には、土産物屋が軒を連ねており、呼び込みがうるさいが、無視してマイクロバスに向かう。途中、石で花瓶やグラスを作る店に立ち寄った。店の前で実演している。 ノミのようなもので、石を削って外形を作り、中は特殊な工具を使って刳り貫く。 誠に単純な方法だが、立派な花瓶が出来るのには驚いた。店内には、他品種の石製品が並んでいる。 写真を撮らせてくれたので、何か一品は買わなければならない。 私用のワイングラスを1個だけ買った。ハトシェプスト女王葬祭殿・2Fテラス(正面に向かって左側)同上、ハトホル女神の柱 同上近くのレリーフハトシェプスト女王の間?第3テラスへ列柱中庭入り口※追加画像は下記をクリックして下さい。列柱中庭・第3テラスへジャンプ
2017年02月11日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラバグルート※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1978年作出、ドイツ・コルデス。 花色は深紅 で、ディープ・カップ咲き、花径は6~7cmで中輪、 房咲き性、四季咲き性、ティーの微香。 花保ちが極めて良く、いつまでも咲いている。 退色 の少ないのが特徴である。 花名は「灼熱の溶岩」という意味である。 ラバグルート・新宿御苑・東京へジャンプ※エジプト旅行(24)-2003.10.25-王家の谷から、ハトシェプスト女王葬祭殿へマイクロバスで移動した。 山の反対がわなので、すぐ到着した。 駐車場から葬祭殿が一望できる。6年前の1997年11月17日の悲劇を忘れることは出来ない。 日本人観光客10人を含む70人の人達が、テロリストの凶弾に倒れた。 この葬祭殿の第1、第2テラスで起きたという。至る所に警備兵が立っており、緊張が走る。 入り口で、厳しい手荷物検査と身体検査が行われる。 ベルト、時計、胸のバッジまで外して、やっとOKである。移動は例により、シャトルトレンで行う。 第1テラスのすぐそばに着く。 日陰ひとつない所を歩くのは、たしかに大変である。ハトシェプスト女王(在位BC1503~1482年)葬祭殿 向かって左側にある第11王朝のメンチュヘテプ2世 の葬祭殿を手本に、ハトシェプスト女王の大臣センムト によって建設された。 実現した神殿は、前面柱廊の 3つのテラスを軸線上に、次第に後退させ、背後の岩 山と一体に構成するという構想は独創的であった。 女王の墓は、ここではなく、王家の谷に父のトトメス1 世の墓とならんで、建築家ハプセネブによって作らせ た。 王家の谷とは、直線距離で500mしか離れて いない。 正式の名称は、デル・エル・バハリ神殿である。「古代エジプトで最も美しい建築物」といわれているが、大昔に、良くもこんな立派な建物を造ったものである。第2テラス、向かって右側に12角柱が立ち並んでいるが、その中に描かれている壁画が素晴らしい。 天井部分の青色が褪せずに残っているとは、奇跡としかいいようがない。駐車場よりハトシェプスト女王葬祭殿を望む同上、入り口(手荷物検査所)警備兵シャトル・トレインで移動王家の谷で見たピラミッド型の山ハトシェプスト女王葬祭殿全景※追加画像は下記をクリックして下さい。第1テラス(向かって右側)へジャンプ
2017年02月10日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラッシュ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1983年作出、ベルギー・Lens。 花色は白地に花弁縁がピンクのツートン。 一重平咲き、中輪、 房咲き性、四季咲き性、微香。 ラッシュ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(23)-2003.10.25-昨夜はホテルで夕食後、ホテル内の土産品店を物色した程度で、22:00には就寝した。 プールサイドでは遅くまで、太鼓の音が聞こえていた。 06:30 起床。 疲れていたこともあるが、結構熟睡することが出来、気分は爽快である。 1Fレストランで朝食をすませ、暫くナイル河畔を散歩する。07:30 ロビーへ。 今夜も連泊のため、気分的にゆとりがある。 ガイドさんは待っていて、直ちにマイクロバスに乗る。昨日はルクソール東岸を観光し、今日は西岸を見学するわけである。 ルクソールは、かって古代エジプトの都「テーベ」として知られていた。 BC2,000年頃、メンチュヘテプ2世によって、ここに都が建てられ、新王国時代(BC16~11世紀)に繁栄した。 ラムセス2世、ハトシェプスト女王、トトメス3世など、古代エジプトの歴史上の有名人が、入れ替わり現れた時代である。1997年にルクソール橋が完成するまでは、東岸と西岸をつなぐ交通手段は船しかなかった。 この橋は06:00まで、ゲートを閉じている。 今日バスがここを通過したのは、まだ、08:00前であった。早朝から行動する観光客が多いので、07:00過ぎ頃混雑するらしい。08:00過ぎ「王家の谷」に到着する。王家の谷 この谷の歴史は、トトメス3世が1,700年間守られ てきた伝統を破って、葬祭殿と墓を分け、埋葬場所 を秘密にすることを決心したことから始まる。 この谷には62基の墓が確認されているが、1992 年に発見されたツタンカーメンの墓が62基目であ る。 秘密にしたはずが、長い間に殆ど盗掘され、 無傷のものはツタンカーメン王のものだけという。とにかく、広大な谷なので、観光ポイントまでの移動は、シャトルトレン(タフタフ)による。 お墓で陽気になっても困るが、童心にかえって、結構楽しい。ツタンカーメンの墓の入り口に行って、初めてチケットを最初から購入する必要があったことにきづく。別料金が必要とは知っていたが、墓の入り口で支払えばいいものと、勘違いしていた。 聞くところによると、財宝の殆どはカイロのエジプト考古学博物館2Fに保存されているとかなので、墓の内部に入ることは諦め、入り口だけを撮影した。内部も現在は撮影禁止らしい。62基の墓の内、中に入れるのは数基だけである。我々はセティ2世の墓を選んだ。 内部の壁画が色鮮やかに残っている部分があり驚いた。 天井にまで、絵が描いてある。 途中ミイラもあったが、王のものではないらしい。 突き当たりの部屋に石棺があり、僅かに隙間があるが、王のミイラは確認出来なかった。 撮影禁止では、様子を映像でお伝え出来ないのが残念である。谷の奥にも徒歩で行けるようだが、暑い中をとても歩く気になれず、早い目にシャトルトレンの所に戻る。 土産物屋には目もくれず、マイクロバスに乗り込む。 次の目的地は「ハトシェプスト葬祭殿」である。ルクソール橋手前のゲートルクソール橋入り口(ホルス像が出迎える)橋上よりナイル川を望む(朝靄でかすんでいる)王家の谷入り口付近シャトルトレイン・タフタフ 対向車とすれ違う※追加画像は下記をクリックして下さい。王家の谷へジャンプ
2017年02月09日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラッキー・フォー※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、2002年作出、広島バラ園。 花色は黄色で、半 剣弁高芯咲き、中輪、四季咲き性。 黄色のバラは少 なく、花姿も素晴らしいので、目立つ存在である。 ラッキー・フォー・ユーの略かと思ったら、フォー(four= 4)で、4つの幸運をもたらしてくれるものと、勝手に解釈 している。 ラッキー・フォー・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(22)-2003.10.24-一番奥の至聖所の見学を終わり、第1パイロンに戻ることにする。 といっても、ルクソール神殿入り口から至聖所まで直進して来た感じなので、帰りは見落とした所を中心に回る。 ラムセス2世の中庭の近くに、「ツタンカーメン王と王妃アンケセナメンの像」を見つける。 普通、王妃の像は王より可成り小さいが、この像の2人は同じ高さである。王がまだ若かったということ、そして、なにより王妃を愛していたからだろうか。 2人は幼なじみだったという。なお、ツタンカーメン王の戴冠式も、この神殿で行われた。ツタンカーメン(BC1343~1325年) 義父イクナートンの跡をつぎ、わずか9歳で王になり、 18歳で権力争いに巻き込まれて死んだといわれてい る。 エジプト古代史で一番有名な人といえば、それはなん といってもツタンカーメン王であろう。 彼は殆ど歴史 に名を残さなかった短命の王だったので、ルクソール 西岸の「王家の谷」の中で、唯一盗掘リストに載って いなかった。 それが、幸いして、3.000年以上も盗 掘を免れた。 1925年イギリスの考古学者カーターがツタンカーメ ン王の墓を発見した。 まさに、20世紀の歴史に残る 大発見であった。 その中には例の黄金のマスクをし た若き王のミイラがあった。 棺、玉座、寝台、装身具 などの副葬品の豪奢さは目を見張るものがある。 黄金のマスクをはじめ、大部分の財宝は現在カイロ のエジプト考古学博物館に保存されているが、遺体 (ミイラ)は今も王家の谷に眠っている。第1パイロンの近くに、「テーベ3神の聖堂」がある。オペト祭で使われた船を休ませた所である。 向かって左から、アメン神、ムト女神、そしてコンス神を祀っていたという。ルクソール神殿を見終わったのは15:00過ぎである。今日の観光はこれで打ちきり、マイクロバスでホテルに向かう。 まあ、まあのホテルで、ほっとする。先ずは、シャワーを浴びて昼寝をする。17:00過ぎに起きる。 ベランダから外を見ると、ナイル川西岸に日が沈む所であった。 王家の谷は西岸にあるので、何か厳粛な気持ちで眺めていた。大円柱の壊れた跡ツタンカーメン王と王妃アンケセナメンの像ラムセス二世の中庭の列柱 バクシーシ(喜捨)を要求される テーベ3神の霊堂※追加画像は下記をクリックして下さい。アムセス二世の頭像へジャンプ
2017年02月08日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラッキー・ダック※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、2000年作出、イギリス・ディクソン。 花色は 緋紅色で、花弁裏が白いツートン。 半剣弁八重咲き、花径3 cm、四季咲き性、多花性、微香。 蕾の形が可愛らしく、整 った花形である。 ラッキー・ダック・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(21)-2003.10.24-ラムセス2世の中庭から、列柱が見える。 柱の間に像があり、像は左足を前に踏み出している。 この像はラムセス2世の像であり、しかも、彼が生存中に造ったものと考えられる。 左足を前に出した像は、生きている姿を表し、両足が揃って、胸で両手を交差させている像は死者の姿を表しているという。ここに、第2パイロン(塔門)があり、入り口にラムセス2世の座像がある。 足元に小さな像があるが、多分彼の妻・ネフェルタリの像であろう。 反対側には、見事なレリーフが刻まれている。第2パイロンを直進すると、14本の柱からなる大列柱廊を通る。 開花式パピルス柱で、なかなか迫力がある。 ここを通り抜けると、アメンヘテプ3世の中庭にでる。 この中庭は、大列柱廊より、一段と高くなっており、柱の森と形容される程、三方を囲んだ列柱が見事で列柱室を形成している。ここの柱は、閉花式パピルス柱となっている。 柱の上を見れば、その違いは、一目瞭然である。列柱室を通り抜けて、第3パイロンを更に奥に進むと、コプト教会がある。 エジプトはイスラム教と思っていたが、AD40年頃には、アレキサンドリアにキリスト教が布教され、2世紀頃には、エジプト全土に広まったという。 つまり、この教会は、古代エジプト文明が終わり、使われなくなったこの神殿を、原始キリスト教の一派であるコプト教会が利用したらしい。更に奥に進むと、アレキサンダー大王(BC356~323年)の間にたどり着く。 どうやら、アレキサンダー大王によって、神殿の奥が改修されたので、この名が付いたらしい。一番奥に、至聖所がある。 極めて簡素な造りであるが、神殿で一番大事な場所としての雰囲気は残っている。ラムセス二世の中庭・列柱の間に像像は左足を前に出しているラムセス二世の座像 座っている部分のレリーフ大列柱廊(開花式パピルス柱) ※追加画像は下記をクリックして下さい。閉花式パピルス柱・ルクソール神殿へジャンプ
2017年02月07日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラジオタイムズ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ En.R(イングリッシュローズ)、1994年作出、イギリス・オー スチン。 花色はピンクで、ロゼット咲き、中輪、四季咲き性、オー ルドローズ香。 名前の由来は、1994年イギリスのラジオタイムズ誌が創刊70 周年を迎えたのを祝って付けられたらしい。 ラジオタイムズ・京都府立植物園へジャンプ※エジプト旅行(20)-2003.10.24-12:30過ぎ、カルナック神殿を後にして、ルクソール市街地に向かう。 レストランの前にバスを着けてくれる。今日のビールは「STELLA」で、アルコール入りである。 やはり、ノンアルコールでは味気ない。予想していたとおり、ハト料理が出てきた。 骨が見えて、まさに、焼き鳥である。 腹が減っているので、何とか挑戦を試みる。 手で食べてもOKとか。 といっても、やはり、ナイフとフォークを使う。歯があまりよくないので、食べにくい。 味はまあまあであった。 牛のソーセージが、思ったより美味しくて満足出来た。 さて、腹一杯になったところで、次は買い物である。 ルクソールで一流の装飾品店に案内してくれる。 これは、困ったと緊張するが、家内は張り切っている。 エジプトは金と銀が安いと聞いているからである。私は金には全く見向きもせず、銀製品で適当な土産品はないかと物色する。 時々家内の方を見るが、どうやら、金製のペンダントを選んでいるらしい。 色々考えるのも面倒なので、銀製のネクタイピンを選び、値段の交渉である。 エジプトポンドでは、分かりにくいので、US$で値切る。 場末のスーク(市場)なら半値以下になるのだろうが、金銀はそうもいかないようだ。悪戦苦闘の末、なんとか納得出来る線でOKとする。象形文字で名前をいれるので、明日ホテルに持って来てくれるらしい。 家内の方はなかなか決まらないようだ。 やむなく、片隅のソファで待つことにする。 冷たいコーラをサービスしてくれた。20分も待っただろうか、やっと、家内が呼びにくる。 値段の交渉を任される。 つまり、エジプトでは声が大きくないと駄目である。 18金の確認と、重さの確認が大事で、その上で値段が決まる。当然のことながら、銀製品とは問題にならない。1桁以上高い。 これまた、四苦八苦の上、なんとか、家内が納得する線に納まった。 キャッシュでは無理で、カード払いとする。さて、午後の観光はルクソール神殿である。そんなに遠くはないので、15分もすれば到着する。切符売り場には行列が出来ていた。 現地の子供達が大勢見学に来ている。 ルクソール神殿 カルナック神殿の附属神殿として建立された。カ ルナックの南約3kmに位置し、2つはスフィンクス 参道でつながっていた。 こちら側は、羊でなくて、 スフィンクスは人の顔である。 現存する神殿の大部分は、第18王朝のアメンヘ テプ3世(BC1386年頃)の時代に造られたもの である。 神殿の入り口には、ラムセス2世によって建造さ れた巨大な第1パイロン(塔門)があり、ラムセス 2世の座像がある。 また、ここには、かって2本 のオベリスクが立っていたが、向かって右側にあ った1本は、1819年モハメッド・アリによってパリ に贈られ、現在コンコルド広場に立っている。 そ のお返しが時計1個というから、ずいぶん気前の いい贈り物だったようだ。第1パイロンを通り抜けると、ラムセス2世の庭に出るが、左手になんと、モスクが建っている。アブ・アル・ハッジャージ・モスク ルクソール神殿が発掘される前に建てられたの で、入り口が可成り上部にある。 AD13世紀頃 使用されていた。 ビール「STELLA」・ルクソールハト料理 レストラン内部同上、照明同上、壁の絵住宅の1Fは土産品店※追加画像は下記をクリックして下さい。装飾品店・ルクソールへジャンプ
2017年02月06日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラクエン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1996年作出、京成バラ園。 表弁は明るいオレンジ色 で、裏弁は黄色の復色。 退色が少なく、華麗な雰囲気を持 っている。 半剣弁高芯咲き、花径は13~16cmと巨大輪で、 しかも芳香種。 半直立の株は丈夫で、信頼性がある。 黄色系にしては、他 の花色と調和しやすいのも、魅力の一つである。 ラクエン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(19)-2003.10.24-カルナック神殿は2つの軸をもって構成されている。1つは入り口から南東に延びており、第2パイロン(塔門)から第6まで。 もう1つの軸は、第4パイロンから南西に向かって延びており、第7~10まである。 早い話、T字型をしており、第7パイロン以降は、ルクソール神殿の方向に延びている。第5パイロンの近くにハトシェプストのオベリスクが立っているが、入り口から言うと、その右側(南西)に「聖なる池」がある。 120mX77mと、まあまあの大きさの池だが、神々の沐浴や、航海の際の儀式がここで行われたらしい。 それにしても、4,000年近く、水が枯渇しなかったという事は、まさに奇跡としかいいようがない。この池の近くに「至聖所(しせいじょ)」がある。至聖所 至聖所は、神殿の中でも最も特別な場所であった。 そこは、真っ暗で神秘的な部屋で、ここに入れるの は、ファラオ(王)と高位の神官たちだけだった。 この至聖所の中には、真ん中に大きな石があるで けの簡素なもので、この石の上に、捧げ物を置い たのであろうか。 天井の彫刻の星が、青い色を昔のまま留めている のには感動した。すぐそばに、ハトシェプスト女王の部屋らしきものがあり、壁のレリーフの女王像が削り取られている。どうやら、娘婿のトトメス3世によって削られたらしい。至聖所の奥の壁が壊れていて、入り口から、そのまま直進することが出来る。 外に出ると、目の前に「トトメス3世の祝祭殿」がある。 トトメス3世の祝祭殿 カルナック神殿の東端に位置する。 トトメス3世の ヘプ・セド(王位更新祭)記念の祭殿である。 内部 の列柱室には2列10本のテントポール柱があり、 その構造は、ヘプ・セドが行われた木柱のテントを 石に置き換えたものである。さて、一応東端まで来たので、入り口の第1パイロン(塔門)の方に帰ることにする。 途中「ロータスとパピルスの柱」を見つけた。 ロータスとパピルス エジプトを考える場合、上エジプト(ナイル川上流)と 下エジプト(ナイル川下流)に分けるが、上エジプトの シンボルがロータス(蓮)であったのに対して、下エジ プトはパピルスであった。 2本の柱が立っていると いうことは、上下両エジプトが統一(BC2,900年頃) 以降ということである。その近くの壁のレリーフに「スカラベ」があった。スカラベは「ふん転がし」で、エジプトでは幸福のシンボルである。 コガネムシの一種である昆虫なのだが、逆さまになって、足をクルクル回しながら、地面で糞を転がしていく。 この習性が、古代エジプトでは、太陽を転がし、東から西へ移動させると信じていた。 お土産のペンダントとして、圧倒的に人気がある。第1パイロン近くの第1中庭に、「タハルカ王の大円柱」が立っている。 タハルカ王は第25王朝3代目(BC747年頃)で、何本か柱廊として建てたが、現在は1本の柱が残るのみである。すぐそばに、「セティ2世(第19王朝、BC1,200年頃)の小神殿」がある。 アスワンからの聖船休憩所として使われていたらしい。外に出て、小さなオベリスクを撮影する。 本来なら最初に撮るべき物だろうが、つい、小さいので後回しになった。 前にも述べたが、カルナック神殿は、以前はナイル川に面しており、古代の船着き場の目印として建てられたオベリスクらしい。 根元には、歴代のファラオ達の名がカルトゥーシュの中に刻まれている。聖なる池・カルナック神殿至聖所同上反対側より同上天井青い星※追加画像は下記をクリックして下さい。ハトシェプスト女王の部屋?へジャンプ
2017年02月05日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラヴィング・タッチ※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ MINI、1983年作出、アメリカ・Jolly。 花色は 淡いピンクで、半剣弁高芯咲き、小輪、四季咲き性。 残念な がら香りは殆ど無い。 ラヴィング・タッチとは、ちょっと官能的な名前のような気も するが、もっと軽い意味を持つ名かもしれない。 ラヴィング・タッチ・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(18)-2003.10.24-「パネジェムの巨像」から、更に奥に進むと、多くの円柱が立ち並ぶ大列柱室がある。 巨大な柱は1本や2本ではない。 高さ23mの柱が12本、その他の柱を合わせれば、全部で134本の柱が立っている。 (映画「ナイル殺人事件」で使われた柱は、そのうちの1本だろうか)。因みに、この大列柱室を完成させるのに1世紀を要した。 完成させたのは、ラムセス2世である。 しかし、この壮大なカルナック神殿は、ついに完成することがなかったと言われている。 つまり、この神殿は古代エジプトにとっては「バベルの塔」だったわけである。カルナック神殿を見るまで、エジプトといえばピラミッドとスフィンクスという先入観をもっていたが、神殿もエジプトでは必見である。円柱の根元の大きさもさることながら、柱のレリーフの中に、「命の鍵(天国の鍵♀)」を見つけて嬉しくなる。 エジプトにとって、大きなテーマだったに違いない。 大列柱室を更に奥に進んで行くと、トトメス1世のオベリスクが立っている。 トトメス1世のオベリスク 第3塔門と第4塔門の間に立っている。 この神殿 の最初に建てられたものである。 オベリスクは2 本で1対だが、もう一つは台座しか残っていない。 高さ19.5m。 材質は赤色花崗岩でアスワンから 採石したものである(碑文にかいてある)。 BC1520年頃、新王国第18王朝第3代王トトメス 1世により創建された。 新王国時代(BC1567~ 1085年)は古代エジプトの最も輝かしい栄華の時 代であり、ファラオ(王)は世界の支配的な立場に あった。このオベリスクの近くに、更に巨大なオベリスクが聳えたっている。 ハトシェプストのオベリスである。ハトシェプストのオベリスク ハトシェプストは、BC1473~1458年の間在位し ていた女王。 娘婿のトトメス3世を押しのけて王に なってしまったり、補佐役である建築家のセネンムト と愛人関係にあったりと、色々悪い噂もあったが、 戦争より交易を重視する平和的な人物だったとの 好意的な見方もある。 彼女はトトメス1世の娘で、彼女が建てたオベリスク は、高さが30.4mと、現在のエジプトでは最大の ものである。 元々2本立っていたが、1本は折れて しまい、現在、近くの池のほとりに横たえられている。 頂点のピラミッド型の部分には、琥珀金という金と銀 の合金が張られていて、朝日を浴びてキラキラ輝くさ まが見られたという。大列柱室・カルナック神殿・ルクソール 円柱の根元※追加画像は下記をクリックして下さい。命の鍵・カルナック神殿へジャンプ
2017年02月04日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ライラック・ドーン※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ FL、1964年作出、アメリカ・Swim。 花色は 濃いピンクで、花弁内側が多少淡いのでツートンの感じ。 ダリア咲き、中輪、四季咲き性。 花名はライラックなので、普通はライラック色なのだろ う。 ライラック・ドーン・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(17)-2003.10.24-「切りかけのオベリスク」を後にして、アスワン空港に向かう。 途中、車を止めて貰い、アスワンの砂を採取する。 甲子園出場の球児のような感じである。09:20 空港に到着する。 スーツケース積み込みや、搭乗券の手配はすべてガイドさんがやってくれるので、出発まで待合室におればよい。時間は十分あるので、土産品店を見て回る。 ミネラルウオーターを1本購入する。 8エジプトポンドしたのには驚いた。 普通は2~3エジプトポンド(日本円で50~75円)の筈である。 要するに空港では割高ということらしい。 10:30 定刻を少し遅れて離陸する。 アフリカの空港は広いので、離着陸に心配することはない。 僅か25分で、着陸態勢である。 ルクソール到着は11:05。 スーツケースの引き取りがあるので、暫く待たされた。 それでも、15分後には空港を後にして、カルナック神殿に向かう。途中車窓から見える畑は、日本で見るものと、殆ど変わらない。 水さえ在れば、当然のことながら、作物は育つということであろうか。カルナック神殿 カイロから南へ670km。 ルクソールは古代エ ジプトの王都テーベがあったところである。BC 2040頃から2000年近く栄えた。 ルクソール最大の神殿であるカルナック神殿は 何代にもわたるファラオたちによって増改築がく りかえされ、現在のような広大な神殿となった。 東西540m、南北に西辺600m、東辺500m の周壁に囲まれた、世界最大の神殿である。 歴代の王たちが戦勝、繁栄を祈願して神殿や 宝物を寄進した。 ツタンカーメンの即位の儀 も、この神殿で行われたという。入り口の両側に「羊のスフィンクス」が並んで、参道となっている。 約40頭の羊頭スフィンクス(クリオ・スフィンクス)はアメン神の聖獣として大切にされた牡羊である。カルナック神殿の塔門前には、遺跡が残っている。 ここは、昔の船着き場だという。 その昔、この神殿はナイル川沿いに建っていた。参道を抜け、塔門をくぐると、「パネジェムの巨像」が目に付く。 パネジェムの巨像 パネジェムはエジプト第21王朝(BC1090年頃) の王であった。 彼の名前が巨像に刻まれていた ことから、この像は「パジェムの巨像」と呼ばれる ようになった。 しかし、この像を造らせたのはラムセス2世(BC 1304~1237年在位)であった。 パネジェム は、自分の名前を刻むだけで、後世に名を残し たわけである。車窓より・ナセル湖(アスワン)車窓より・アスワン市街地を望む途中下車し、アスワンの砂を採取(日本には持ち帰らなかった)アスワン空港待合室ルクソール空港へ到着車窓より・日本の畑と同じ感じ(ルクソール)※追加画像は下記をクリックして下さい。カルナック神殿入り口へジャンプ
2017年02月03日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ライナオパルク※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ S(シュラブローズ)、1983年作出、ドイツ・コルデス。 花色は赤で、中央部に白い斑が入っている。 丸弁高芯咲き から、開ききると八重平咲きとなり、中央の黄色い蕊が目立 つ、中輪。 ライナオパルク・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(16)-2003.10.24-06:30起床 昨夜はぐっすり眠れた。 おかげで、爽快に目覚めることが出来た。朝食は例により、ビュッフェ・スタイルなので、好きな物を食べればよい。 パンもコーヒーも美味しいので、いうことはない。 エジプト特有のものも置いてあるので、挑戦すればいいのだろうが、まあ、我が家の朝食の延長程度にしておく。食後、ナイル川畔に行き、休憩する。 日本では、とても味わえない雰囲気である。 風の音、小鳥のさえずり等、自然の音以外は何も聞こえてこない。 久しぶりに、ゆったりした気分で、しばしの時を過ごす。07:30 ロビーに行き、チェックアウト。 直ちに、桟橋に向かう。 東岸への通い船に乗る。 30人は乗れるだろうか。 我々3人だけで、桟橋を離れる。朝まだ早いのに、途中遊覧船と行き交った。 エジプトは、朝が早いということである。昨夕は、無風状態で苦労したが、今朝はファルーカも、風をはらんで快走している。 10分一寸で東岸の桟橋に接岸する。 道路に上がって行くと、すでに、マイクロバスが待っていた。アスワン市街地を通り抜けて、5,000年前に花崗岩の石切り場だった所に向かう。 まだ、午前8時前というのに、チケット売場には行列が出来ている。「切りかけのオベリスク」は、岩山の可成り上の方にあるようだ。 途中木板の歩道や階段がある。 途中巨岩に割れ目を入れた跡があり、どのようにして割ったのか、多少納得する。切りかけのオベリスク オベリスクとはギリシャ語で「焼き串」の意。 先端 の四角錐と全体を見れば、串であることに納得。 かって、エジプトにやって来たギリシャ人が、そう 叫んだという。 古代エジプトでは「テケン」と呼んでいた。 オベリス クは太陽神ラーの力を表現したもので、ファラオだ けが立てることを許された。 盛んに造られたのは、 新王朝時代で、神殿の入り口の前には、一対のオ ベリスクが立てられることが多かった。 オベリスク には、勝利や祝祭等の重要な出来事が刻まれてい る。 この「切りかけのオベリスク」は、全長41.75m、 底辺4.2m、重さ1185トンで、完成していれば、 エジプトでも最大級のオベリスクになっていたとい う。 残念ながら、中央部分に亀裂が入ったので、 製造中止になったらしい。 根元から頂点まで継ぎ目のない一枚岩、これを造 るのは勿論大変であろうが、運ぶ方法、そして最後 に、どのようにして立てたのか、???で、ただた だ感嘆するのみである。快い興奮を覚えながら、階段を下りて行く。 突き当たりに大きな木が聳えており、ここしか、木陰はない。木の根元に警備兵と観光客が休憩していた。外に出ると、土産物屋が軒を連ねていたが、すぐそばで、盾を手にした警備兵の姿が物々しい。朝食後ナイル川のそばで休息(アスワン)ホテルとモスクホテルの桟橋と東岸への通い船船の内部行き交う遊覧船※追加画像は下記をクリックして下さい。ファルーカは風をはらんで快走中へジャンプ
2017年02月02日
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下記を一日一回クリックしてください。ブログランキング応援感謝。にほんブログ村ラ・フランス※大きな画像は宮じいさんの掲示板へジャンプ HT、1867年作出、フランス・ギロット。 この花が作出され た1867年は、慶応3年にあたる。 明治が1868年から始 まっている。 花色は、明るいピンクで、裏弁はやや濃いピンク色。 剣弁 高芯八重咲き、四季咲き性、花径は9~12cmと大輪。強い ダマスクの香りがある。 歴史的なハイブリッド・ティーローズの第1号種である。 この 種の前にあった系統に入るバラはオールド・ローズと呼ばれる。ラ・フランス・可児花フェスタ記念公園へジャンプ※エジプト旅行(15)-2003.10.23-ホテル(アスワン)の部屋に入ってほっとする。 早速シャワーを浴びたいが、先ずはベランダに出てみる。ナイルの西岸と砂丘が目に入る。 ダムのそばという事もあってか、川の流れはゆるやかである。 目の前を遊覧船が通って行く。 現地の子供達が水浴びをしている。帽子をかぶり、サングラスをかけていたが、結構日焼けしたようだ。 シャワーを浴びると、顔や腕がヒリヒリする。 昼寝出来るのは、有り難い。 老人という事もあってか、「切りかけのオベリスク観光」を明日に延ばしてくれた。 余程疲れているように、ガイドさんに見えたのだろうか。 16:30 起床。 17:00 ロビーに下りて行く。 ガイドさんは待っていてくれた。 すぐホテルを出て桟橋に。桟橋にはディナークルージング用のホテルの船が2隻も停泊していた。 我々が乗るのはファルーカである。少し離れたところに、狭い木の板を渡して、我々を待ってくれていた。 私はいいとして、家内は大丈夫だろうかと心配する。 幸い船員が長い手を延ばして助けてくれたので、恐る恐る乗船することが出来た。乗客は我々3人だけである。 つまり、貸し切りということで、甚だ気分が良い。 エンジン付きの船が、次々と通り過ぎて行く。 我々の船は「ダイヤモンド」号で名前だけは一流である。 格好良く帆を下ろしたが、無風のため、一向に進んで行かない。 エンジンが付いていないので、漕ぐしかないようだ。 櫂で漕ぐのかと思ったが、何と、四角い材木で漕いでいる。 多分、浅い所では、船を押すのには便利であろうが、ただの角材で漕げるのだろうかと心配になる。すこしずつではあるが、上流に遡っているようだ。時々帆を上げたり、下ろしたりして様子を見ているが、一向風は出る気配はない。 諦めて、ひたすら漕いでいる。 可哀想で、川沿いの景色をゆっくり眺めておられない。 それでも、白サギを見つけた時は嬉しかった。 古代エジプトでは、アオサギは定期的に蘇る命の象徴、つまり再生の象徴でもあった。 というのは、浸水期になるとナイル川に必ず戻ってくるのがアオサギであったから。 夜明けと共に、水辺から飛び立つアオサギの姿は、地平線から昇る(再生する)太陽のイメージと重ねて想起したに違いない。 当然象形文字に用いられている。大昔の夢を追っている中に、急に薄暗くなって来た。夕陽の撮影には間に合わなかったが、素晴らしい夕焼けを撮ることが出来た。 僅かしかない木々を燃やし尽くす感じの夕焼けを目にして感動した。やがて、船はUターンして帰途につく。 帰りは下るので楽ではあるが、やはり、漕いでいる。 いやはや、凄い体力である。 今度は、ホテル専用桟橋に船を着けることが出来たので、容易に上陸できた。ホテルに入ると、急に腹が減ってきた。 部屋に帰らず、レストランに直行する。 幸いビュッフェ形式(バイキング)だったので、好きな物だけを選んで、ビールを飲みながら、満足、満足である。ホテル(アスワン)の部屋の窓から同上、ナイル川西岸遊覧船が通って行く間もなく日没待機中のファルーカ狭い木の板を渡って舟に乗る ホテル専用桟橋に遊覧船が待機中※追加画像は下記をクリックして下さい。ファルーカよりホテルを撮影するへジャンプ
2017年02月01日
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