PR
カレンダー
カテゴリ
アメリカ合衆国の東側『フィラデルフィアの旅日記』・・・第11回
「ベッツィー・ロスの家」を訪問したのは、2015年9月27日(日)の午後でした♪
アメリカの星条旗の星が少ないです~
「ベッツィー ロスの家」です。
1776年に・・・エリザベス ロス夫人によって
初めてここで「アメリカの星条旗」が縫われたとの伝説。
星の数が・・・13個で、輪になっていますが・・・☆
Betsy Ross House
9室の小さな部屋があります。
彼女の愛用品などが展示され・・・
18世紀当時の状態が再現されております♪
BETSY ROSS(1752~1836)
ベッツィー・ロス BETSY ROSS ・・・とは?
Betsy Ross 1752年1月1日~1836年1月30日
エリザベス・グリスコム
エリザベス・アシュバーン
エリザベス・クレイプールとも 言われ・・・
初めて星条旗を作成し、
旗中の六稜星をより制作し易い五芒星に変えたことで知られるアメリカ合衆国の女性
しかしながら、この話が真実であるという証拠は文書の形で残されていない 。
【前半生】
ペンシルベニア州フィラデルフィアにて、
父サミュエル・グリスコムと
母レベッカ・ジェームズ・グリスコムとの間に
17人兄弟の8女として生まれる
質素な身なりとクエーカーの厳格な規律が支配する家庭に育つ
大叔母のサラ・エリザベス・アン・グリスコムから裁縫を習う
曽祖父でクエーカー教徒の大工であるアンドルー・グリスコムは、
1680年にイングランドより移住
クエーカー系学校にて学業を終えると
父によりウィリアム・ウェブスターなる室内装飾品製造業者の下へ
丁稚奉公に出されることとなる
修行中に同じく見習い工のジョン・ロス(聖公会の副牧師であるエーネス・ロスの子息)と
恋に落ち、21歳を迎えた1773年駆け落ちにより結婚
結婚は家族の分裂をもたらし、
クエーカー教会からも除名を余儀無くされる。
そのため、すぐに室内装飾品製造業を興すと、
ロスの家族やジョージ・ワシントンが属する聖公会に参加
2人の間に子はいなかった。
【戦争】
2人が結婚していた2年間にアメリカ独立戦争が勃発
ジョン・ロスは地元の民兵の一員として軍需品の護衛に当たるが、
一説によると火薬の爆発により死亡。
しかしこの説には疑義が指摘されている。
当時24歳のベッツィーは軍服の修繕やテント、毛布の作成に携わり、
1779年には大陸軍側でマスケット銃の砲弾に紙製の弾薬筒を詰める作業を行うなど、
銃後の守りに勤しんだ。
1777年6月15日には2番目の夫として、
水夫のジョセフ・アシュバーンと結婚
1780年アシュバーンの乗った船がイギリスのフリゲート艦に拿捕され、
反逆罪の廉でイングランドの監獄に収監を余儀無くされる(その後獄死)。
この間娘のエリザが生まれる。
1783年5月、アシュバーンと監獄で知り合ったジョン・クレイプールと結婚、
前夫の死を知らされることとなる。
2人の間には5人の娘を儲け、
次女が生まれると転居。
クレイプールは20年間体調不良に悩まされた後、1817年に他界する。
しかしその後も10年以上にわたり室内装飾品製造業を続けた。
退職に当たり、娘のスザンナと共に居を移す。
当時目が不自由だったロスは、
晩年の3年間をフィラデルフィアにて娘のジェーンと暮らし、1836年1月30日84歳で死去。
フィラデルフィアでは最も観光客が訪れる場所の1つに数えられる、
かつて住んでいたというベッツィー・ロスの家については議論が絶えない。
噴水がある お庭の隅に・・・問題の「お墓」がありました
【埋葬】
当初はフィラデルフィアの自由クエーカー墓地に埋葬されていたものの、
2年後墓荒らしに遭ったため、同市内の墓地に再埋葬されることとなる。
アメリカ合衆国独立200周年記念行事の準備に際して、
市側が1975年ベッツィー・ロスの家の中庭に遺体を移すも、
作業員は墓石の下に遺体を見つけられなかったという。
そのため、家族が住んでいたという土地で見つかった骨を
ロスのものであるということにして、現在地に埋葬。
(ウィキペディアより)
ベッツィー・ロスの家での・・・お買いものは、Tシャツ
BETSYROSS HOUSE PHILADELPHIA
「自由の鐘」
2個
12月8日ビートルズ ジョンレノン氏の命日… 2016.12.08 コメント(2)
まさかの大統領選挙「ホワイトハウス」&… 2016.11.09 コメント(3)
『ニューヨーク』マンハッタンへの旅行を… 2016.09.19