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実は、行ったのは2月だったのですが・・・そういえば、記事を書いてなかった・・・;
1563年、織田信長 が美濃攻略の為に 初めて自ら築いたお城 です。
信長の人生を眺めると、この 「美濃攻略」
というものが
年数的にかなりの比重を占めているように思います。
とにかく、織田家先代たちからの悲願であり、
この「美濃攻略」が超難題であり、
それを思いのほか早くなしえたからこそ、
「天下」という異常なスケールに目が向かった・・・
ということなんだと思います。
さてさて。この小牧山城。
・・・現在、めっちゃ発掘中でした。
いや・・・信長築城、
そして 1584年には、小牧・長久手の戦いで徳川家康の本陣となった
ということで、
スーパービックネーム縁のお城ですから。
史跡としても、発掘はされつくされているだろうと勝手に思い込んでましたが、
結構最近まで、普通に未開の地
だったみたいです。
信長は、1567年美濃攻略を果たし、
たった4年間でこの小牧山城は一度廃城
となります。
なので少し前まで、
この小牧山城は信長にとって「足かけ」の場に過ぎなかった
というのが一般通説
だったようです。
ですが、近年の発掘調査で、
信長時代の多数の郭・石垣の存在が確認され、
信長が理想やイメージ戦略を注ぎ込み、かなり力を入れて築城した城だった、
ということが証明され始めた
みたいです。
とくに、最近ニュースになっていたのが、
天守付近の 石垣が三段・6メートル
にも及ぶ壮大なものだった
という調査結果。
石垣自体が、おそらくまだまだ波及する以前のお城ですので、かなり画期的なものだっただろう、とのこと。
また、現在の市街地にも大きくその名残がある
城下町の区画整備も行っていたとのこと。
信長の理想とした国の形が詰め込まれているのかもしれません。
信長って、本当にどんな歴史作品でも、「ああ」なるじゃないですか。
イメージがこれほどぶれない人物っていうのも凄いと思うんですよね。
どこ発掘しても、どんな資料が出て来ても、
イメージがまったくぶれないのは、
やっぱり本当に「ああ」いう方だったんだろうな、と思います。
天守
は、昭和期に地元の実業家が寄贈したもの。
信長時代には、こういった天守ではなかったようです。
(瓦は出土していないそう)
現在は資料館になってます。
これ、「お城」としては攻めやすくなる作りなのですが、
以前観たお城番組では、この一本道や天守付近の石垣を取り上げて
「イメージ戦略の城」
として紹介していました。
ちなみに現在では、この大手口をくだると、市役所が建っています。
資料館で購入しました。
教育員会製作の漫画冊子。
いいですね~!こういうの、地元愛が溢れてて好きなんですよ^^。
さてさて。
やっぱり信長はカッコいい!
そして発掘、がんばってください!
実はGWに、もう一つお城に行きました。
小牧山城に行ったら・・・次はここを訪れるしかありません!
また記事を書きます。
by姉
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