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金曜はおうちでミニ真名 土曜はカフェでパーソナル・ミニ真名 両日ともに、私がいっぱい喋っちゃいました。 きっと、「聴きたい」と思っておられたから自然に私が乗せられちゃったのですね。 ここんとこ、皆さんに、自分の内にある「私らしさ」や「私の輝き」に自分で気がついていてほしいな、って思っています。 誰から「キラキラしてるね」とか「すばらしいパフォーマンスだったね」とか言われることが無くても、逆にお叱りを受けたり、落ち込んだりするようなことがあっても、それでも確かに在る自分オリジナルの在り方に、自分で「よし」と思っていてほしい。 人はどこまで行っても間違いなく不完全な生きもの 不完全ながらも、「良し」とできることこそ、前に歩く勇気を作ってくれる小学校ボランティアパーソナルミニ真名バレエ自主練オーケストラ役員会オーケストラ練習 本日はそこそこハードだった。
2017.01.29
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5年前 友人とご一緒に山科の幼稚園で開いたコンサートをきっかけに始まった「お話の会」今日、とうとう最終日を迎えました。私は毎年一回、1月の会に集わせていただいていました。 子育て真っ只中のお母さんたち、小さな子どもたちを前にどんなふうに向き合ったら良いのか、どうやって自分の心を元気に保つことができるんだろうか、しんどい想いを抱えている時、同じような毎日を送っている者同士、あるいはすでに子供が小学生や中学生になっているような先輩ママたちと一緒にお話できることは、とっても心を楽にすることができる。 今日は社会人の子どもを持つママから0歳児のママで25人が集まった。最後、という事もあったからこれだけ多くの方々が集まられたとも言えるけれども、卒園児のお母さんたちの心の中にこの園がとっても大切な場所として今も息づいていることを、ふつふつと感じさせてくれるひとときでもありました。 今の意味はなかなか見えない。 けれど、過ぎ去ってみれば、その瞬間の大切さやその色合いがくっきりと感じられる。 毎日、ってそういう積み重ね・・・ 一人ひとりが今日の自分を大切にしてくれることが本当に美しい。 お話の会は「最後」を迎えたけれども、そこで出会った人のつながりは決して終らない。また 数ヵ月後には会えますようにいやいや、必ず会いましょうね
2017.01.27
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昨年もたいへんお世話になったご家族のメンバーである服部有吉(ダンサー&振り付け師)さんが、建国150周年記念行事のパフォーマンスの振り付け等なさるとのこと、とっても楽しみです。
2017.01.26
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1月のミニ真名は27日(金)10~14ぐらいまでです。 (お昼は、いつも通り、みんなで分けられる一品をお持ちいただけたらありがたいです。)まだ少し席がありますので、お時間よければお立ち寄りください。(コメント欄にご出席の旨、お書きくださいね) さて、6月は4女がカナダの高校を卒業する予定。卒業公演と卒業式見たさに、昨年に続いて今年もカナダにお邪魔することにしました。 ちょっと欲張ってBanffかCanmoreかKananaskis countryにまで足を伸ばそうかな、なんて考えながら、昨日航空券を買いました。 真っ青な青空と大自然と一人ひとりを大切にする社会の空気に触れてきたいです。 昨年お友だちに連れて行っていただいたElbow Fall
2017.01.24
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今日は新しいバレエの先生のところにお邪魔しました。 新しい、と言っても、実は先生とは昔からつながりのある方。22年前、うちの娘たちがバレエを始めたころ、同じ教室にすでにおいでになった方で、ずっとご一緒にレッスンを受けさせていただいていた方が、今ではご自分のバレエ教室を開いておられる、ということをお聞きし、是非お訪ねしてみたい、と思っていたのです。大学の舞踊科へ進学されて以来、ほぼお目にかかれていない。とても懐かしい気持ちを温めながら、お邪魔させていただいたら、おられましたおられました。かつての10代だったお嬢さんが、すっかり立派なバレエの先生になって、すっとそこにおられました。嬉しい限りです。 ともに学んだ先生の大切にされていた基本の基本を変わらず大切にしながら、さらに細やかに教えてくださいました、大人の入門クラスなのに・・・嬉しいな これからも、空いている機会を見つけては、ちょこちょこお邪魔させていただくことにしました。 弟子たちに伝えられたものは、必ず伝わっていく・・・
2017.01.21
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「お話を聴く」お話を聴く前、それはまず自分の心を真っ白に、透明に、クリアにする時。 お話をしてくださる方のお話を出来るだけそのまま受止めるために・・・お話が始まったら、私の頭の中は整理整頓作業の真っ只中 個々のこともさることながら、どういう力がが全体を動かしているのか、をみつけようとする。 まるで謎解き(パズル)のよう。キーワードやポイントが浮かび上がってくると、必ずと言って良いほど、同じようなメカニズムや状況を含んでいる自分の今までの経験が、するすると浮かび上がってくる。だからそのリアリティの中で、私は新しい視点や考えをお話して下さっている方にお伝えすることができし、しかもそれは私自身にとっても予期していない物差しの発見になることもある。 つまり、お話を聴く、ということはたしかに誰かのために時間と心を使っているように見えがちだけれども、実は自分もお話をしてくださる方との交わりの中で、新しい何かに出会える機会をいただいている。しかも自分の体験の中から・・・私はこの「自分の体験から」ということがとても大きな意味を持っていると思う。自分の何気ない日常の中に、見えない宝物(恵み)の種がいっぱい埋まっている、という事実を知らされているのだから 先週末もお友だちとのお話の機会があって、こんな問いかけに出会った。「今の日本の社会が良し、としていることと、さっちゃんが良し、と思っていることには、結構違いがあるけれど、そんな自分と会わない基準のところで毎日を送っていても、ちっとも落ち込んだりがっかりしたりしているように見えない、それはどこからやってきているの?」その答えは今日書いた「お話を聴くこと」の中にあるのだな、って思った。 本を読んで勉強したり、先生から教わったことではなく、日常的に「自分の体験の中から」生きるに必要なものを見つけることができていることこそが、私に自己肯定感や安心を作っているのではないか「聴く」ことはものすごく大きなもの ものすごく大切なこと
2017.01.18
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この年末年始に、私は少なくとも5人の友人とそれぞれ3~5時間お話をする機会を持った。(普段は週に4~6時間ぐらいかなぁ) 普段はお仕事をされていて、なかなかじっくりお話をする機会が無い方ばかりで、是非年末年始のときに、とお約束したわけだ。さて、話を聴いてもらうとは、どういうことなんだろう。(1)お話を聴く、とは、どういうことなんだろう。(2)ということが今朝、朝ごはんを食べながら心に浮かびあがってきた。「お話を聴いてもらうこと」 まず何より、私を受け止めてくれる誰かに出会えている、という時間。 だから、むしゃくしゃしている心の渦や波がだんだん静まってくことに気がつく。 心に留まっている出来事を相手に伝えるためには、ちょっと深呼吸、そしてことの始まりから物語る。 物語ることは、自分の姿を少しだけ外側から見ることが出来る機会。 どこで怒りや不安といった負の感情がうごきだしたか、が見えてきたり どうしたら良いのか分からない、と思い込んでいることや、 こういうふうに思っているに違いない、と自分流の解釈にどっぷりはまっているかも、と思えたりする。 そこに誰かの視点や経験が加われば、自分の感覚では読み取れなかった事実があるかもしれない、と気づかされる。 それは私の読み(判断のセンサー)をより豊かにし、疑似体験という情報を広げ、分析する力を強め、出来事の味わいを深めてくれる。何より、私のために時間と心を裂いてくれる誰かの存在こそがありがたいに決まっている。
2017.01.17
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本日、教会では新旧合同の評議会が開かれました。 これが私の役員最後の公式のお仕事。一緒に取り組んだほかの役員の方々は、この一年を振り返って、「楽しかった~~~」て言ってくださるのが何よりのご褒美。滞りなくバトンパスして、次の方々が気持ちよく役員のお仕事していただけるように、バックアップいたします。 それにしてもここ京都も久しぶりの一日降雪積雪 金閣寺付近は長蛇の列になっていました。
2017.01.16
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時間があるときに、中高生たちと語るのが好き。 彼らの言葉は、濁りが無く理想の姿を語ってくれることが多い。この冬休みも人間関係について、中3生と語った。ね、人間関係って 簡単に言えば「たて」と「よこ」と思うけど、 さて私(母)とあなた(娘)の関係はどっち?え、そりゃ 横じゃぁ~~ 友だちは「横」やんかなぁ なら学校の先生と自分だったら?おおむね「よこ」 先生と生徒は一見「たて」にみえるけど、人間としては「よこ」で役割が教える側と教えられる側で「たてっぽい」だけなら部活は?三年生と一年生 横よりは、ちょっと斜めってるかもね挨拶とか態度とか、やっぱり先輩には言葉遣いも違って「たて」な感じあるね。そやけど、それも 人間としてみた時は横やし・・・
2017.01.14
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昨日1月5日に父は94歳の誕生日を迎えました。 94年も前のこと、当時は子どもの誕生日も結構適当に当てはめたそうで、父いわく「私の誕生日は本当のところ分からない。たぶん年末の忙しい時だったのではないだろうか。 それで年明けてめでたいうちにと、1月5日を誕生日として届けたんだと思う」 前日に帰ってきた兄の発案で、集まれる子どもたち3人と両親でお食事会を開いてお祝いすることにした。父は一時杖をついていたけれど、「こういうふうに杖に頼って歩いていたら、きっとこのまま杖をつかずに歩く、ということは二度とできなくなるのではないか。少しずつ杖を使わないで歩く練習をするべきだ」と考えて、本当にそれを実行し、当時よりも年齢は上がったにもかかわらず、今は全く杖を携えずにどこにでも市バスを使って出かけます。だいぶ耳が遠くなり、補聴器をつけていても、なかなか傍に居る私たちの会話をキャッチすることはできなくなってきて、その不自由や孤独感を訴えることもあるけれども、決してその不満の中に埋没することなく過ごしてくれる。 兄から習ったヨガを朝晩必ず行ない、朝の散歩にも出かけて、自分の毎日にちゃんと責任を持って歩んでくれている。 頼もしい とてもありがたい存在。「こんなふうにお祝いしてもらえるなんて、初めてや~~」と少年のように喜ぶ父の横で、「私も94歳まで生きられるかなぁ」と89歳の母が珍しく弱気な発言をしました。「大丈夫 だいじょうぶ。 今までどおり大好きな朝歩きを続けていたら、 きっと、気がついたら94歳、それどころか100歳にもなっているんとちがうかなぁ、大ママ!!」「そうかな~」とにっこり微笑んだ母です。 二人合わせて183歳夫婦 達者で何より 「神に感謝」 です。
2017.01.06
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この冬休みで印象的だったのは中高生の娘たちとのお話でした。このお話のきっかけは、私とお友だちとの会話の中やTVなどで心に留まったことばなどから私が娘たちに質問をしたからです。そのひとつは「あなたは大人ですか、子どもですか」(社会の中で法律上でどう位置づけられているか、というのとは違って自分自身がどう自分を見ているか、という意味)中3生は即答で応えました。 「子ども」「何で子どもだって思うの?」「やっぱり大人っといえるには、自分の行動に責任をもてるようになっていないといけないと思う。だけど私はまだそこまで責任をもてないから・・・」「う~~ん なかなか難しい質問やね 私は大人か子どもか・・・ 直感的にいえば「どちらでもない」かなぁ」と高3生。「 どちらでもない、というのなら、やっぱり「大人とは~~~ 子どもとは~~~」という考えを持っているからそういえるんだよね。 でその辺はどう、教えてくれる?」「そうやなぁ 大人っていうのは両方が見えているって感じがする。たとえば支えられている側、支えている側 物事には大概そういう少なくとも2面性はあるから、そのどちらの側のことも見えるし理解できる、そういうのが大人の目、大人のあり方ではないかなぁ 子どもな時はやーっぱり 見えているものも考えていることも一方的な気がするの。で私はどうか、というと やっぱり両側があるってことは認識できるけれども、ちゃんと理解したり受け止めることが出来るか、というとそうとは言いきれないから、「どちらでもない」と思えるんだと思う。なるほど、シンプルだけど、出来事を認識する、分析する、あるいは行動を決める、ということをどのようにしたらできるのか、ということを上手にとらえているな、と私は思った。 さて、私は彼らにとって「大人」といえるのだろうか はたまた 私が思う「大人」とはどんな人物像でしょうか
2017.01.06
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20170104family leaving 1 元旦の朝には二女家族4人が千葉に向けて出発 事故やら渋滞やらであちらに着いたのは夜も更けて11時過ぎ 小さな子どもたちも大変だったね 何かスペシャルな物をこの家族にプレゼントしたいんだけれど、いまだに「これ」というものに絞り込めていない私です。family leaving 2 今日は4女のWが出発 まだ暗いうちにタクシーに来てもらって空港へ、Canada Timeにあわせた彼女は昨夜を完徹で過ごしたので、うとうととまどろみながら空港に着きました。外はもう明るい がターミナルの中は、人人スーツケース人かばん人荷物人・・・の大行列。こんなの見たことない。スタッフの皆さん がんばってねと思わず思ってしまう。本当にこんなにたくさんの人々を時間制限のある中で飛行機に乗せることが出来るのかしら・・・、でも30~40分の間にチェックイン手続き完了Wの飛行機はおよそ30分遅れで大阪から飛び立った。 新しい未来に向かってFamily Leavingはいつも未来への扉
2017.01.04
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明けまして おめでとうございます。 恵みいっぱいちりばめられた2017年の毎日となりますように お祈り申し上げます。 この2016年の大晦日の一日もファミリー・ギャザリング・ディ3になりました。 二男夫婦 、長女家族、二女家族、三女も昨日に引き続いて里帰り みんなの話に耳を傾けているうちに、なんとなくおせち料理も出来上がり 夜は久々にてんぷらに精を出して、年越しそばを作りました。大人9人、ちょっと足らないぐらい・・・ 普段は離れて暮らしている4女は言います。「みんな仲良くて、本当に嬉しい」 久しぶりに家族を味わう彼女だからこそ、敏感に感じることができるのかもしれません。 この目に見えないしあわせ(安心と自由)を今年も大切にしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願い致します。
2017.01.01
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